姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月… 姉歯 松平(あねは しょうへい、1885年(明治18年)5月17日 - 1941年(昭和16年)10月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者。日本統治下の台湾で活動した。 1885年(明治18年)、宮城県栗原郡長岡村大野(現在の大崎市古川、旧・古川市)に、姉歯五郎左衛門の五男として生まれた。 中学生のとき、学費が払えず中学校を中退し、のちに上京し、弁護士飯田宏作の事務所で写字生として活動した。 1906年(明治39年)6月、中央大学専門科卒業後、1907年、1908年、1909年、1910年の4回にわたって判事検事登用試験を受験したものの 、いずれも失敗し、1911年(明治44年)にようやく合格を果たした。
手代木 隆吉(てしろぎ りゅうきち、1884年(明治17年)… 手代木 隆吉(てしろぎ りゅうきち、1884年(明治17年)1月30日 - 1967年(昭和42年)3月31日)は、日本の教育者・政治家・弁護士・実業家。衆議院議員(当選6回、日本進歩党)。北海道有珠郡紋鼈(現・北海道伊達市)出身。号は「胡山」。 父、要蔵。母、エミの長男として誕生。母の父が仙台藩亘理伊達家の藩士手代木順造。 明治4年の亘理伊達家の北海道移住に際し一家で渡道(当時エミは4歳)。後に太田家より要蔵を入婿で迎え手代木家より分家。 エミの兄(長男)は伊達、苫小牧などの戸長、村長を歴任した手代木茂篤(隆吉の叔父)[出典無効] 1906年(明治39年)北海道尋常師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)卒業後、北海道の旧制小学校の訓導や校長を経て、1918年(大正7年)中央大学法学部卒業。
鈴木 五六(すずき ごろく、1883年(明治16年)11月2… 鈴木 五六(すずき ごろく、1883年(明治16年)11月21日 - 1932年(昭和7年)11月27日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 愛知県渥美郡赤羽根村(現在の田原市)出身。1902年(明治35年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。司法官試補を務めた後、弁護士を開業した。 豊橋市会議員に選出され、同参事会員、同副議長を務めた。さらに愛知県会議員、同郡部会議長、同議長を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
尾崎 重美(おざき しげみ、1883年(明治16年)4月2日… 尾崎 重美(おざき しげみ、1883年(明治16年)4月2日 - 1959年(昭和34年)11月23日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 高知県幡多郡中村(中村町、中村市を経て現四万十市)出身。尾崎重勝、美弥の三男として生まれた。早くに父が没し、苦学して中学卒業資格を取得。 東京郵便電信学校を卒業後、通信手、統監府通信属を務めた。1914年(大正3年)、中央大学を卒業し、高等文官試験と弁護士試験に合格した。青島守備軍民政部事務官、三重県桑名郡長、安濃郡長、会計検査院副検査官を歴任した。さらに市来乙彦東京市長の秘書官を務めた。その後、弁護士を開業するとともに判例集報社の経営にあたった。
上村 進(かみむら すすむ、1883年1月23日 - 196… 上村 進(かみむら すすむ、1883年1月23日 - 1969年5月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認)。自由法曹団設立に関わり、同団体の団長も務めた。 日本共産党機関誌「アカハタ」を印刷していたアカツキ印刷所の社長だった。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現在の南魚沼市)出身。早稲田大学専門部法律科及び中央大学卒業。日露戦争に従軍し、退役後上京、二六新報社に入社した。1915年、弁護士試験に合格、弁護士となった。1920年には普選演説会で首相や両院議長に対して、普選反対議員へ天誅を行う旨の決議文を提出したこと(天誅事件)で起訴される(後に無罪判決)。翌年布施辰治や山崎今朝弥らと自由法曹団を結成し、労働運動、農民争議への支援を精力的に行った。
君野 順三(きみの じゅんぞう、明治16年(1883年) -… 君野 順三(きみの じゅんぞう、明治16年(1883年) - 昭和29年(1954年))は日本の弁護士、政治家。元鳥取市会議員(議長)、鳥取県会議員。元鳥取弁護士会会長。 元若桜町町長君野秀三の兄。弁護士君野駿平の父。長女は弁護士上原準三の妻。 鳥取県八頭郡若桜町若桜に生まれた。君野良平の長男。 明治34年(1901年)東京法学院(現中央大学)卒業。弁護士試験に合格し鳥取市で弁護士を開業。明治41年(1908年)に判事となり松江地方裁判所に勤務したが、再び鳥取市に戻って弁護士生活を始めた。 大正6年(1917年)鳥取市会議員となって電灯市営論が政治・社会問題化すると愛市団に参加。 大正8年(1919年)に再選され市会議長に推され、鳥取弁護士会副会長にもなった。
中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8… 中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8日 - 1957年(昭和32年)8月12日)は、日本の衆議院議員(国民同志会)、弁護士。 静岡県榛原郡勝間田村(現在の牧之原市)出身。1901年(明治34年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。弁護士を開業し、静岡県弁護士会長に選出された。また静岡市会議員となり、議長も務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、社団法人救護会理事長、静岡県社会事業協会副会長、藤相鉄道株式会社監査役などを務めた。
平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、1877年(明治10年)… 平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、1877年(明治10年)5月15日 - 1943年(昭和18年)5月19日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、弁護士。 広島県双三郡和田村(現在の三次市)出身。1901年、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。弁護士試験に合格し、弁護士を開業。また小田原商業学校校長も務めた。 1924年の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、濱口内閣で小泉又次郎逓信大臣の秘書官を、第2次若槻内閣で逓信参与官を、平沼内閣で逓信政務次官をそれぞれ務めた。
佐野 正雄(さの まさお、1877年(明治10年)1月18日… 佐野 正雄(さの まさお、1877年(明治10年)1月18日 - 1933年(昭和8年)3月25日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)、弁護士。 松江市に佐野浩一の長男として生まれる。1898年(明治31年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。検事となるが、退官して弁護士を開業した。また松江市会議員に選出された。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。 その他に山陰製鉄株式会社取締役を務めた。
堀江 専一郎(ほりえ せんいちろう、1876年4月5日 - … 堀江 専一郎(ほりえ せんいちろう、1876年4月5日 - 1939年6月25日)は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長(第5代、1933年-1934年)。
森川 源吾(もりかわ げんご、1876年2月8日 - 195… 森川 源吾(もりかわ げんご、1876年2月8日 - 1957年9月25日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 滋賀県出身。1900年、東京法学院卒。司法官試補、検事代理、判事となる。その後、弁護士となり、大津弁護士会会長を務める。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。大浦事件で1916年に懲役2か月、執行猶予3年、追徴金1000円の判決を受けた。これにより従七位返上を命じられ、大礼記念章を褫奪された。1957年に死去した。
梅村 大(うめむら だい、1875年(明治8年)11月14日… 梅村 大(うめむら だい、1875年(明治8年)11月14日 - 1951年(昭和26年)1月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 秋田県秋田郡扇田村(北秋田郡扇田村、扇田町、比内町を経て現大館市比内町扇田)出身。 1901年(明治34年)東京法学院(現在の中央大学)を卒業。青森市で弁護士を開業し、青森弁護士会長に選ばれた。青森市会議員、青森県会議員、同参事会員に選出された。 1932年(昭和7年)第18回衆議院議員総選挙に青森県第1区から出馬し、当選を果たした。
松田 源治(まつだ げんじ、1875年〈明治8年〉10月4日… 松田 源治(まつだ げんじ、1875年〈明治8年〉10月4日 - 1936年〈昭和11年〉2月1日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(当選9回)。族籍は大分県平民。拓務大臣、文部大臣、衆議院副議長を務めた。 大分県宇佐郡柳ヶ浦村出身。松田録兵衛の二男。家は貧しく学資はなく、郷里で小学代用教員や電信技手をつとめた。1894年(明治27年)、上京した。苦学しながら、東京法学院(現:中央大学)や日本法律学校(現:日本大学)で学んだ。 法学博士、岡村輝彦の玄関番として住み込みをしながら1896年(明治29年)に、日本法律学校を卒業した。1897年(明治30年)、文官高等試験並びに判検事登用試験に合格。
牧野 賤男(まきの しずお、1875年(明治8年)2月26日… 牧野 賤男(まきの しずお、1875年(明治8年)2月26日 - 1943年(昭和18年)12月30日)は、日本の政治家で立憲政友会所属の衆議院議員、弁護士。大政翼賛会東京支部顧問。 新潟県佐渡郡相川町(現在の佐渡市)出身。牧野伸の三男。明治法律学校(現在の明治大学)法律科、東京法学院(現在の中央大学)高等研究科を卒業し、1898年(明治31年)に判事検事弁護士試験に合格した。司法官試補となった後、弁護士を開業。東京弁護士会副会長や帝国弁護士会理事を務めた。 下谷区会議員、東京市会議員、東京府会議員、同議長を歴任し、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を数えた。
大島 実太郎(おおしま じつたろう、1874年6月28日 -… 大島 実太郎(おおしま じつたろう、1874年6月28日 - 1924年9月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(1期)。 大阪府出身。1895年、東京高等蚕糸学校(現・東京農工大学)、1901年、東京法学院(現・中央大学)卒。京都府蚕糸同業組合立高等養蚕伝習所(現・京都府立綾部高等学校)教師を経て、弁護士の業務に携わる。花屋敷土地、四国生糸、大阪証券交換所各(株)取締役となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において京都6区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙で落選した。落選から間もなく死去した。
加瀬 禧逸(かせ きいつ、1873年(明治6年)9月25日 … 加瀬 禧逸(かせ きいつ、1873年(明治6年)9月25日 - 1928年(昭和3年)5月4日)は、日本の衆議院議員(政交倶楽部→猶興会→又新会→亦楽会→中正会)、弁護士。 千葉県海上郡旭町(現在の旭市)出身。1894年(明治27年)、東京法学院(のち中央大学に改称)に入学したが、日清戦争で召集を受け、歩兵第2連隊に入った。翌年、威海衛守備のため再び召集された。1897年(明治30年)、東京法学院を卒業。1900年(明治33年)、弁護士試験に合格し、翌年に開業した。1918年(大正7年)には東京弁護士会副会長に就任し、また日本弁護士協会理事も2回務めた。 1904年(明治37年)、第9回衆議院議員総選挙に出馬し当選。
野村 嘉六(のむら かろく、1873年〈明治6年〉8月10日… 野村 嘉六(のむら かろく、1873年〈明治6年〉8月10日 - 1952年〈昭和27年〉1月17日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党→翼賛議員同盟)、富山市長、貴族院勅選議員などを務めた。幼名は安次郎。 富山県婦負郡鵜坂村(現在の富山市)生まれ。1893年(明治26年)東京法学院(現在の中央大学)卒業。1898年(明治31年)に弁護士試験に合格し、1902年(明治35年)から判事として、富山・敦賀・大津の裁判所で勤務した。1906年(明治39年)に退官して富山市で弁護士を開業した。富山弁護士会長も務めた。 1911年(明治44年)3月、富山県会議員補欠選挙に婦負郡選挙区から立候補して当選した。
岡田 栄(おかだ さかえ、1873年〈明治6年〉1月10日 … 岡田 栄(おかだ さかえ、1873年〈明治6年〉1月10日 - 1940年〈昭和15年〉7月19日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲政友会)。位階は正七位。勲等は勲四等。 高知県高岡郡松葉川村(窪川町を経て現四万十町)生まれ。東京法学院(現在の中央大学)を卒業。判事検事登用試験・弁護士試験に合格。神戸地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事を経て、関東総督府審理官、関東都督府法院判官を歴任し、韓国政府法務補佐官を務めた。その後、官を辞して弁護士を開業した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1918年(大正7年)の衆議院補欠選挙で再選された。 その他、北海道と朝鮮で農場を経営した。
高野 金重(たかの かねしげ、1871年2月11日(明治3年… 高野 金重(たかの かねしげ、1871年2月11日(明治3年12月22日) - 1932年(昭和7年)4月4日)は、日本の政治家・衆議院議員(中正会)、弁護士。族籍は愛媛県士族。 伊予松山藩士高野金光の長男として松山湊町に生まれる。広島英語学校に英学を修め、芸備日日新聞や大阪毎日新聞に執筆した。1894年(明治27年)、上京して東京法学院(現在の中央大学)に入学して1896年(明治29年)に卒業した。1898年(明治31年)、弁護士試験に合格し、翌年に東京で事務所を開業した。一時期花井卓蔵弁護士事務所で実務を練習し刑事事件に精通したが、高野の得意とする所は民事・商事に関する事件であった。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
大久保 雅彦(おおくぼ まさひこ、1870年8月2日(明治3… 大久保 雅彦(おおくぼ まさひこ、1870年8月2日(明治3年7月6日)- 1922年(大正11年)6月6日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 伊予国越智郡蔵敷村(現在の愛媛県今治市)出身。1886年(明治19年)、松山中学校を卒業。英吉利法律学校(東京法学院、現在の中央大学)で英語法学を学び、1889年(明治22年)に首席で卒業。その後も穂積陳重のもとで学んだ。1892年(明治25年)に弁護士試験に合格し、松山市に事務所を開いた。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 三・一運動の際には、花井卓蔵・木尾虎之助らとともに、騒擾罪に問われた孫秉煕ら指導者の弁護にあたった。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日(186… 福田 辰五郎(ふくだ たつごろう、明治2年10月1日(1869年11月4日) - 大正7年(1918年)8月5日)は、衆議院議員(維新会→新政会)、弁護士。旧姓・丸山。 武蔵国入間郡南畑村(現在の埼玉県富士見市)出身。自由民権運動活動家で埼玉県会議員・衆議院議員の福田久松の養子となる。1890年(明治23年)、東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業し、翌年には東京法学院(現在の中央大学)を卒業。高等文官試験に合格して、前橋地方裁判所検事に任命された。1894年(明治27年)、横浜地方裁判所上席検事に昇進した。1898年(明治31年)、司法大臣曾禰荒助の勧めでアメリカ合衆国に留学した。アメリカではイェール大学・コロンビア大学で学び、博士号を取得した。
村田 不二三(むらた ふじぞう、1869年5月4日〈明治2年… 村田 不二三(むらた ふじぞう、1869年5月4日〈明治2年3月23日〉 - 1957年〈昭和32年〉11月10日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(当選1回)。 鳥取県西伯郡淀江町(現在の鳥取県米子市)出身。村田晋の長男。父の下に専ら漢学を修め、傍ら小学校に通う。 1883年(明治16年)に上京し、二松學舍(現在の二松學舍大学)で学んだ後、獨逸協會學校(現在の獨協大学)を卒業。 神奈川県足柄上郡で役所雇及び小学校授業生をした後、1888年(明治21年)に東京法学院に入学した。1891年(明治24年)には東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、翌年に代言人試験に合格した。1893年(明治26年)、札幌で弁護士事務所を開業し、後には札幌弁護士会長に選出された。
横山 金太郎(よこやま きんたろう、1868年12月14日〈… 横山 金太郎(よこやま きんたろう、1868年12月14日〈明治元年11月1日〉 - 1945年〈昭和20年〉9月25日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(広島県第三区選出、当選9回)。文部政務次官。第16代広島市長。族籍は広島県平民。 広島県比婆郡東城村(後の東城町、現在の庄原市)で、行商人の家庭に生まれる。横山要平の長男。3歳の時に父・要平が死去する。家督を相続する。 役場の書記をつとめる。1886年(明治19年)、代言人・渡邊又三郎を頼って家出、渡邊は「見処がある」と直覚して世話することにしたという。 横山は玄関番・書生となり広島法律学校に入り、1890年(明治23年)3月に同校を卒業、同年4月に東京法学院(現在の中央大学)3年級に編入。
卜部 喜太郎(うらべ きたろう、1868年11月25日〈明治… 卜部 喜太郎(うらべ きたろう、1868年11月25日〈明治元年10月12日〉 - 1942年〈昭和17年〉11月13日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(埼玉県郡部選出、当選1回、立憲国民党)。中央大学理事。東京弁護士会会長、東京弁護士会常議員会議長などを歴任。族籍は埼玉県平民。 1868年(明治元年)、武蔵国児玉郡沼和田村(埼玉県児玉郡旭村を経て現本庄市沼和田)に生まれた。卜部喜平の長男で、先代キンの養子である。幼くして怜悧であり、よく物の理義を悟った。児玉中学校を卒業した。18歳の時埼玉県師範学校に於いて小学校教員試験に応じて及第し、埼玉県小学校訓導に任ぜられ本庄小学校に在勤した。 1887年(明治20年)、家督を相続した。
黒須 竜太郎(くろす りゅうたろう、慶応4年6月28日(18… 黒須 竜太郎(くろす りゅうたろう、慶応4年6月28日(1868年8月16日) – 昭和26年(1951年)8月10日)は、衆議院議員(立憲国民党→立憲同志会→憲政会)、弁護士。 武蔵国足立郡瓦葺村(現在の埼玉県上尾市)出身。1886年(明治19年)、埼玉県師範学校を卒業し、小学校の校長となった。小学校を辞して東京に出て、1888年(明治21年)から英吉利法律学校(現在の中央大学)と東京英語学校に学んだが、在学中の1891年(明治24年)に弁護士試験に合格し、東京で開業した。1902年(明治35年)、東京弁護士会副会長に選任。 1903年(明治36年)、芝区会議員に選出され、後に区会議長となった。
花井 卓蔵(はない たくぞう、1868年7月31日〈慶応4年… 花井 卓蔵(はない たくぞう、1868年7月31日〈慶応4年6月12日〉- 1931年〈昭和6年〉12月3日)は、明治・大正に活躍した弁護士・政治家。第3代検事総長・中央大学教授を務めた花井忠の岳父。 1868年(慶応4年)、備後国御調郡三原町(現:広島県三原市)に士族・立原四郎右衛門の四男として生まれ、その後、分家により花井姓を名乗った。幼年期から神童と謳われ、10歳の時に進学のため上京するが、経済的に困窮し3年後に帰郷し、広島市の修道学校(現:修道中学校・高等学校)で学ぶ。その後、小学校の代用教員として勤務する傍ら、長谷川桜南の門下生となり、高楠順次郎らと桜南舎で学ぶ。その後3年間ほど教員を務めるが、高楠とともに自由民権運動に参加し、これが原因で教員を免職される。
井上 剛一(いのうえ ごういち、1868年5月4日(慶応4年… 井上 剛一(いのうえ ごういち、1868年5月4日(慶応4年4月12日) - 1946年(昭和21年)5月12日)は、日本の弁護士・政治家で憲政会→立憲民政党所属の衆議院議員。 紀伊国伊都郡学文路村(現・和歌山県橋本市)に、水木重左衛門の二男に生まれ、井上又左衛門の養子となった。和歌山県師範学校を卒業した後、1887年(明治20年)より英吉利法律学校(現・中央大学)で法学を学び、1889年(明治22年)に代言人試験に合格した。浜松代言人組合に所属し、後には静岡弁護士会長や日本弁護士協会名誉理事に選ばれた。 浜松市会議員、静岡県会議員を経て、1920年(大正9年)の第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
藤井 啓一(ふじい けいいち、1868年1月7日〈慶応3年1… 藤井 啓一(ふじい けいいち、1868年1月7日〈慶応3年12月13日〉 - 1953年〈昭和28年〉6月18日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(山口県第一区選出、当選3回)。 山口県厚狭郡厚東村(現在の宇部市)出身。山口県平民・藤井仁介の長男。初等学を寺子屋に学び、のち漢学を修める。 1890年(明治23年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。法学博士・江木衷の門下生となり、薫陶を受け、弁護士試験に合格。その後、下関市に事務所を開いた。弁護士の業務に従事。山口県弁護士会会長、山口県会議員、下関商業会議所特別議員・同顧問などに選ばれた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
中村 啓次郎(なかむら けいじろう、1867年11月10日〈… 中村 啓次郎(なかむら けいじろう、1867年11月10日〈慶応3年10月15日〉- 1937年〈昭和12年〉5月22日)は、日本の政治家、弁護士、実業家。衆議院議員、衆議院議長。銀行家巽孝之丞の実弟。また、小泉信三の祖父小泉文庫はいとこにあたる。 紀伊国和歌山山崎(現在の和歌山県和歌山市岩出町)に生まれる。英吉利法律学校を卒業。日清戦争において陸軍省雇員として大本営付となる。さらに占領地総督府民政部庶務課長兼司法課長に就任。1895年(明治28年)、遼東半島の還付後に台湾へ移り、弁護士を開業。台湾弁護士会会長、北港製糖・台湾瓦斯の各監査役、北海鉱業社長などを歴任し、『日刊台湾民報』を発刊した。
田中 左司馬(たなか さじま、慶応3年7月16日(1867年… 田中 左司馬(たなか さじま、慶応3年7月16日(1867年8月15日) - 大正3年(1914年)10月16日)は、衆議院議員(立憲国民党)、弁護士。 武蔵国足立郡北谷村(埼玉県北足立郡安行村、川口市、草加町を経て現草加市)に、田中平十郎の長男として生まれた。東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、浦和町(現在のさいたま市)に事務所を開いた。 浦和町会議員、埼玉県会議員を経て、1912年(明治44年)の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
大岩 勇夫(おおいわ いさお、慶応3年5月22日(1867年… 大岩 勇夫(おおいわ いさお、慶応3年5月22日(1867年6月24日) - 昭和30年(1955年)7月7日)は、日本の政治家、弁護士。名古屋市長や衆議院議員(立憲同志会)などを務めた。 三河国加茂郡花本村(現在の愛知県豊田市)出身。東京法学院(現在の中央大学)に入学し、在学中の1890年に代言人試験に合格した。翌年に卒業した後、弁護士を開業し、名古屋弁護士会会長も務めた。 1899年、愛知県会議員に選出された。1910年からは名古屋市会議員となり、3回にわたって議長を務めた。1915年、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。一期務めた。その他、愛知セメント株式会社専務、中京法律学校理事も兼ねた。
鳥居 鍗次郎(とりい ていじろう、慶応3年9月28日(186… 鳥居 鍗次郎(とりい ていじろう、慶応3年9月28日(1866年11月5日) - 大正8年(1919年)5月25日)は、衆議院議員(立憲同志会→憲政会)、弁護士。 越後国岩船郡村上本町(現在の新潟県村上市)出身。1888年(明治21年)、英吉利法律学校(現在の中央大学)出身。ついで代言人試験に合格し、弁護士を開業した。1898年(明治31年)、大阪区裁判所検事に転じ、翌年には大阪地方裁判所検事を務めるも、1900年(明治33年)に辞職して、再び新潟市で弁護士業務に従事し、新潟市弁護士会長も務めた。 新潟県会議員、新潟市参事会員を経て、1915年の第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第2次大隈内閣で内務副参政官を務めた。
渡辺 昭(わたなべ あきら、慶応2年5月1日(1866年6月… 渡辺 昭(わたなべ あきら、慶応2年5月1日(1866年6月13日) - 1940年(昭和15年)5月5日)は、衆議院議員(立憲国民党→革新倶楽部)、弁護士。 陸奥国(福島県)田村郡三春町出身。1889年(明治22年)に英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業。1891年(明治24年)、弁護士試験に合格し、翌年に京都市で事務所を開いた。1914年(大正3年)には京都弁護士会長に選ばれている。 1903年(明治36年)、京都府会議員、参事会員に選ばれ、翌年には京都市会議員に当選した。市会では1909年(明治42年)に議長に選ばれており、教育や公共事業のために尽力した。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
安東 敏之(あんどう としゆき、1866年5月15日(慶応2… 安東 敏之(あんどう としゆき、1866年5月15日(慶応2年4月1日)- 1932年(昭和7年)2月9日)は、明治から昭和前期の弁護士、政治家。衆議院議員。旧姓・芦田、幼名・利作。 美作国勝北郡広戸村(岡山県勝田郡広戸村、勝北町を経て現津山市)で芦田藤平の五男として生まれ、1884年(明治17年)4月、同郡、のちの新野村(勝北町を経て現:津山市)の安東友七の養嗣子となる。有功学舎、勝北中学校、大阪泰西学舘、関西法律学校を経て、1891年(明治24年) 東京法学院(現中央大学)法科を卒業した。同年、代言人試験(弁護士試験)に合格し東京で開業した。 1893年(明治26年)名古屋市に転居して、1901年(明治34年)名古屋弁護士会長に就任。
石塚 譲(いしづか ゆずる、慶応元年9月9日(1865年10… 石塚 譲(いしづか ゆずる、慶応元年9月9日(1865年10月28日) - 昭和6年(1931年)3月19日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 名古屋出身。1888年(明治21年)、英吉利法律学校(現在の中央大学)を卒業。1892年(明治25年)、弁護士となり、山田喜之助の事務所で勤務の後、独立開業した。1900年(明治33年)に新潟県高田町(現在の上越市)に事務所を開いた。 高田町会議員、高田市会議員を経て、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙(新潟県第4区)で当選を果たした。
森 肇(もり はじめ、1864年7月10日〈元治元年6月7日… 森 肇(もり はじめ、1864年7月10日〈元治元年6月7日〉 - 1927年〈昭和2年〉1月23日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(中央倶楽部、当選3回)。族籍は愛媛県士族。 現在の愛媛県松山市柳井町で生まれた(原籍は同県温泉郡朝美村)。伊予国松山藩士である。小学校を卒業して松山中学校に通学したが1881年、同校を中退して大阪、東京に出て法律学を専攻した。英吉利法律学校(のち東京法学院、現・中央大学)で学び、法政二科を修めた。 1884年、代言人試験に合格した。いったん帰国したが、ふたたび東京に出て代言事務を開業した。また、自由党員になった。後「感ずる所」あって同党を退き、内地雑居尚早会を起し、更に大日本協会が起ると共にその党員に列し拡張に尽瘁する所があった。
北島 伝四郎(傳四郎、きたしま でんしろう、1863年11月… 北島 伝四郎(傳四郎、きたしま でんしろう、1863年11月22日(文久3年10月12日)- 1924年(大正13年)9月16日)は、明治から大正期の裁判官、弁護士、地主、政治家。衆議院議員。本姓・北嶋。 出羽国秋田郡浦大町村字里ケ久(秋田県秋田郡浦大町村、南秋田郡浦大町村、面潟村浦大町を経て現八郎潟町浦大町)で、地主、素封家・北島吉右衛門の二男として生まれた。宇野弥三郎、谷田部吉次に師事し和漢学、英語を修めた。1886年(明治19年)上京して英吉利法律学校(現中央大学)で学び、1889年(明治22年)9月に卒業。 1889年12月27日、判事試補に任官し弘前始審裁判所詰となる。以後、弘前区裁判所判事兼青森地方裁判所判事、秋田区裁判所監督、本荘区裁判所監督、大曲区裁判所監督、沼津区裁判所判事、横浜地方裁判所判事を歴任。
沼田 宇源太(ぬまた うげんた、文久元年6月20日(1861… 沼田 宇源太(ぬまた うげんた、文久元年6月20日(1861年7月27日) - 明治44年(1911年)8月12日)は、衆議院議員(立憲革新党→進歩党→憲政党→憲政本党)、弁護士。 出羽国横手に生まれる。幼時に戊辰戦争で祖父と父を失った。漢学を修め、1887年(明治20年)11月に秋田県会議員に平鹿郡選挙区から選出された。1888年(明治21年)4月に辞職するが、同月再び県会議員となった。1889年(明治22年)、東京法学院(現在の中央大学)に入学して法学を学び、1891年(明治24年)に東京法学院を卒業して、弁護士資格を取得した。 1894年(明治27年)、第4回衆議院議員総選挙に出馬し当選。
平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、… 平 裕介(たいら ゆうすけ、7月16日[要出典] - )は、日本の弁護士、行政法学者。東京弁護士会に所属している。 東京都青梅市出身[要出典]。2004年に[要出典]中央大学法学部を卒業し、2006年に[要出典]日本大学法科大学院を修了した。2008年に弁護士登録。行政法を専門としており、『宮本から君へ』の助成金不交付問題を担当した。性風俗産業のコロナ補助金不支給問題では、弁護団長として取り組んでいる。 2026年4月から帝京大学法学部で准教授を務める。 2022年、立憲民主党の議員である塩村文夏がAV新法にからみ、アダルトビデオの「許可制」に言及した際、違憲の可能性を指摘した。 大阪駅の萌え絵ポスターで商業広告が論争になった際、囚われの聴衆事件の判例を引用し、「見たくないものを見ない自由」よりも「表現の自由」の方が優越すると述べている。
石黒 麻利子(いしぐろ まりこ)は、日本の弁護士。医学博士。… 石黒 麻利子(いしぐろ まりこ)は、日本の弁護士。医学博士。藤田医科大学大学院医学研究科修了、中央大学法学部法律学科卒業、中央大学大学院法務研究科修了。第二東京弁護士会所属。著者多数。英語が得意。 光樹法律会計事務所に所属する弁護士。医療過誤、医療事故、交通事故などを専門とする。 子どものころに母親がクモ膜下出血で急逝し、それがきっかけで脳科学者の道に進んだ。 理化学研究所、三菱化成生命研究所、国立精神・神経医療研究センターなどで研究員として勤務の後、法曹界に転身した。脳科学者時代に築いた人脈や親族に多くの医師がいる。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
佐藤 栄晃(さとう ひであき)は、日本の弁護士(登録番号:5… 佐藤 栄晃(さとう ひであき)は、日本の弁護士(登録番号:56339)。熊本県出身。 趣味は、ルアー釣り、バンド演奏、野球観戦。
髙橋 知典(たかはし とものり)は、日本の弁護士(第二東京弁… 髙橋 知典(たかはし とものり)は、日本の弁護士(第二東京弁護士会所属)、漫画原作者。神奈川県出身。 こどもに関わる事件全般、学校問題、離婚等の夫婦関係の問題まで幅広く事件に対応。学校問題では、いじめ、退学、体罰、学校内での事故等を多く取り扱う。 神奈川県出身。明治大学法学部法律学科、中央大学法科大学院を卒業後、司法試験合格。レイ法律事務所入所。
開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚… 開山 憲一(かいやま けんいち)は、日本の弁護士・元法務官僚・元検察官。 北海道帯広市生まれ。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。北海道帯広三条高等学校在学中は軟式テニス部に所属。帯広三条高校卒業後、働きながら通信教育で学び司法試験に合格した苦労人。さいたま地方検察庁公判部検事だった2002年(平成14年)、刑事事件での論告中に涙を流したこともある。退官後、LEC大学教授に就任。その後退任。
松丸 伸一郎(まつまる しんいちろう)は日本の元裁判官で弁護… 松丸 伸一郎(まつまる しんいちろう)は日本の元裁判官で弁護士。松丸総合法律事務所代表。 千葉県市川市で生まれ、市川市立八幡小学校、市川市立第三中学校、千葉県立国府台高等学校、中央大学法学部を経て、1975年に裁判官となる。東京地方裁判所判事などを経て、前橋地方裁判所民事第二部判事などを歴任したが、2013年に退官して弁護士に転じた。
井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護… 井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護士。東京地方検察庁特捜部長や、最高検察庁刑事部長、横浜地方検察庁検事正、中央大学大学院法務研究科客員教授、日本公証人連合会理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1968年千葉県立長生高等学校卒業。1973年中央大学法学部法律学科卒業。1978年検察官任官、東京地方検察庁検事。東京地方検察庁検事、札幌地方検察庁検事等を経て、1985年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。1986年福岡地方検察庁検事(公安部、刑事部)。1989年千葉地方検察庁検事(公安部、刑事部)。 1992年東京地方検察庁特別捜査部財政経済班検事。1993年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。
久保田 紀昭(くぼた としあき、生年月日非公表)は、日本の弁… 久保田 紀昭(くぼた としあき、生年月日非公表)は、日本の弁護士(登録番号:21085、東京弁護士会所属)、元タレントである。 『行列のできる法律相談所』には前身にあたる特別番組『絶対に訴えてやるぞ!!芸能人VS弁護士軍団・大爆笑!法律バトル』時代から北村晴男、丸山和也とともにレギュラー出演していた。北村とは司法研修所の同期で、弁護士会の野球部のチームメートでもあり、もともと他の出演者より関係は深い。 2002年12月、株式会社噂の真相が発行している月刊誌『噂の眞相』にキャバクラ通いを報じられた(久保田がキャバクラ嬢に「乳首触らせて」と下ネタを言っていたとの間違った記事も掲載された)。名誉毀損およびプライバシーと肖像権の侵害による不法行為による損害賠償請求をしたところ、2004年2月19日東京地裁は請求の一部を認め、『噂の真相』側へ名誉毀損で30万円の賠償を命じた(プライバシーと肖像権の侵害は認めず)。
大井 哲也(おおい てつや)は日本の弁護士。TMI総合法律事… 大井 哲也(おおい てつや)は日本の弁護士。TMI総合法律事務所パートナー。TMIプライバシー&セキュリティコンサルティング代表取締役。 富山県立富山中部高等学校を経て、1995年中央大学法学部卒業、1999年中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了。ソフトバンク・ファイナンス株式会社を経て、2000年最高裁判所司法研修所入所、2001年東京弁護士会登録、TMI総合法律事務所入所、2005年一般社団法人クラウド利用促進機構リーガル・アドバイザー。2007年ウィリアム・リチャードソン・スクールオブロー卒業(LL.M.)、ホノルルのカールスミス・ボール法律事務所勤務を経て、2008年TMI総合法律事務所復帰、経営法曹会議、ISMS認証機関公平性委員会委員。
山田 八千子(やまだ やちこ)は、日本の法学者・弁護士。専門… 山田 八千子(やまだ やちこ)は、日本の法学者・弁護士。専門は、法哲学・民法。中央大学法科大学院教授。第25期日本学術会議会員。 1978年神戸海星女子学院高等学校、1983年中央大学法学部法律学科、1990年同大学大学院法学研究科卒業。東京弁護士会に所属する弁護士のかたわら、1990年からは東洋大学法学部講師を務め、その後、1995年に同大学法学部助教授に昇任。2006年からは中央大学に移って、同大学法科大学院教授を兼任している。2020年第25期日本学術会議会員。2023年第26期日本学術会議会員。
稲田 龍樹(いなだ たつき)は、日本の裁判官、弁護士。東京高… 稲田 龍樹(いなだ たつき)は、日本の裁判官、弁護士。東京高等裁判所部総括判事や、学習院大学法科大学院教授、学習院大学法務研究所長等を歴任した。 東京都出身。1969年中央大学法学部卒業、司法修習生。1971年裁判官任官(札幌地裁判事補。長沼ナイキ事件第一審左陪席裁判官)。東京地方裁判所判事、青森地方裁判所判事、大阪地方裁判所判事、大阪高等裁判所判事、横浜地方裁判所横須賀支部判事、名古屋地方裁判所部総括判事、東京家庭裁判所部総括判事等を経て、2002年札幌家庭裁判所長。2004年千葉家庭裁判所長。2006年横浜家庭裁判所長。2008年東京高等裁判所部総括判事。2011年学習院大学法科大学院教授。