河合 正臣(かわい まさおみ、1891年〈明治24年〉4月1… 河合 正臣(かわい まさおみ、1891年〈明治24年〉4月10日 - 1958年〈昭和33年〉7月18日)は、大正から昭和時代の政治家。埼玉県川越市長。 秋田県に生まれる。中央大学を卒業し、東京興信所書記、同興信所川越出張所主事を経て、1930年(昭和5年)民政党系同志会が改称した愛市同盟に所属して川越市会議員に当選した。1938年(昭和13年)から1942年(昭和17年)の間に市会議長を2度務めた。1945年(昭和20年)同市長に就任。終戦を挟んで1946年(昭和21年)7月、ソースを公定価格の3倍近い価格で市民に配給した「ソース事件」の責任を取り、8月に辞任した。
広瀬 与兵衛(廣瀬 與兵衞、ひろせ よへえ、1891年(明治… 広瀬 与兵衛(廣瀬 與兵衞、ひろせ よへえ、1891年(明治24年)1月3日 - 1966年(昭和41年)6月5日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。旧姓は長谷川、旧名は勉。 神奈川県で長谷川豊吉の六男として生まれ、東京府の薪炭商、先代・広瀬与兵衛の養子となる。中央大学を修了。1926年(大正15年)に家督を継承し与兵衛を襲名して家業の薪炭商を経営した。 東京都燃料卸商業組合理事長、同燃料配給統制組合理事長、全国燃料団体連合会長、日本薪炭社長、ほまれ鋳物社長、中野木材工業社長、東京燃料林産取締役会長、千代田製鉄取締役会長、中央倉庫取締役、神田錦町町会長、東京商工会議所議員、商工組合中央会理事、同中央金庫評議員などを務めた。
崎山 武夫(さきやま たけお、1890年(明治23年)11月… 崎山 武夫(さきやま たけお、1890年(明治23年)11月15日 - 1934年(昭和9年)5月11日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→立憲政友会)、鉄道官僚、ジャーナリスト。 鹿児島県鹿児島市に竪山吉太郎の二男として生まれ、崎山賢輔の養子となった。一年志願兵制度によって陸軍歩兵中尉に任じられ、1920年に中央大学経済学部を、翌年に日本大学法律科を卒業した。鉄道局書記、鉄道属、鉄道省嘱託を経て、やまと新聞記者となった。 1928年の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、3回連続当選を果たした。その他、南九州窯業株式会社取締役も務めた。墓所は多磨霊園(11-1-11-8)
金 用茂(キム・ヨンム、朝鮮語: 김용무、1890年9月13… 金 用茂(キム・ヨンム、朝鮮語: 김용무、1890年9月13日または1891年 - 1951年9月12日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の政治家、法曹、弁護士。連合軍軍政期の大法院長、第2代韓国国会議員。 本貫は羅州金氏(朝鮮語版)。制憲国会議員を務めた金用鉉は弟。 現在の全羅南道務安郡夢灘面出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は弁護士を開業し、抗日民族弁護士として無料弁論を引き受けた。1930年初に普成専門学校の委託講師として法律学の実務についての講義をした。1930年10月より東亜日報社取締役、強制廃刊までの10年間に民族言論の創達に貢献した。1935年に普成専門学校創立30周年記念事業会実行委員会常任委員、1939年に普専学会会員。
樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年〈明治23年〉4月3… 樋貝 詮三(ひがい せんぞう、1890年〈明治23年〉4月3日 - 1953年〈昭和28年〉1月1日)は、日本の政治家、法学者。法学博士。位階は正三位。 保険院長官、衆議院議員、第37代衆議院議長、第3次吉田内閣国務大臣・賠償庁長官を歴任した。 山梨県東山梨郡勝沼町(現・甲州市)出身。日川中学、中央大学夜間法科在学中に文官高等試験に合格し、1918年に京都帝国大学法科大学を卒業。卒業後は法制官僚となり、法制局に勤務の傍ら中央大学講師を務め、内閣恩給局長・保険院長官などを歴任。1943年、『海の慣習法』で京都帝国大学法学博士。 1946年の戦後最初に行われた第22回衆議院議員総選挙では、郷里の山梨から日本自由党(鳩山自由党)の公認候補として擁立されて立候補し、当選する。
富山 徳潤(とみやま とくじゅん、1890年(明治23年)2… 富山 徳潤(とみやま とくじゅん、1890年(明治23年)2月26日 - 没年不詳)は、日本の弁護士、政治家。太平洋戦争当時の那覇市長。沖縄戦当時は後述の理由で沖縄には不在だった。旧姓・安慶名。 沖縄県那覇久米町で、汝翼の長男として生まれる。1909年、那覇市立商業学校(現沖縄県立那覇商業高等学校)を卒業後、糸満物産会社、鈴木商店で勤務し、鈴木商店沖縄出張所に転じて黒糖買付を担当。同出張所閉鎖により実業界から法曹界を志し、那覇区書記、専売局那覇出張所雇などを経て、1915年、普通文官試験に合格して上京し淀橋専売支局で勤務。その傍ら中央大学法科で学び、1918年に同大を卒業。大蔵省銀行局に転じ、1920年、弁護士試験に合格し天野弘一法律事務所に勤務。
徐 禹錫(ソ・ウソク、朝鮮語: 서우석、1889年11月12… 徐 禹錫(ソ・ウソク、朝鮮語: 서우석、1889年11月12日または12月6日 - 1966年)は、日本統治時代の朝鮮、満洲および大韓民国の実業家、教員、政治家。制憲韓国国会議員。 号は夢撨(モンチョ、몽초)。 全羅南道光州(現・光州広域市)または谷城出身。京畿工業伝習所応用化学科を経て、朴賛翊と共に西間島へ渡満し、私立敦校教員を務めた後、帰国し中央大学専門部法学部卒。抱川郡青城第七学校教員を務めた後、吉林省延吉府和龍県にイムソン学校を設立し、東興学校校長を務めた。以後講演家、朝鮮民立大学期成会光州地方部創立総会執行委員、新幹会光州支部会員、在満同胞擁護同盟準備委員、光州商民大会執行委員、湖南銀行本店嘱託、海南興産株式会社支配人、煉瓦製造工場経営者、韓国建国準備委員会光州府委員会委員・副委員長、韓国民主党光州支部総務、大韓独立促成国民会光州支部副委員長、光州国民協同組合理事長、南朝鮮過渡立法議員、制憲国会議員、国会法制司法委員・麗順事件調査収拾対策委員、弾劾裁判官正裁判官を歴任した。
菊地 養之輔(きくち ようのすけ、1889年9月5日 - 1… 菊地 養之輔(きくち ようのすけ、1889年9月5日 - 1983年1月5日)は大正、昭和期の日本の政治家、弁護士。日本社会党衆議院議員、日本弁護士連合会(日弁連)副会長、日中友好協会宮城県連合会長。仙台市名誉市民、岩沼市名誉市民。 1889年(明治22年)9月5日宮城県名取郡玉浦村(現在の岩沼市)に生まれる。日本地婦連会長の大友よふは従妹。妻は世界医師会会長の武見太郎と従妹。本籍地は仙台市東七番丁。1914年(大正3年)中央大学法科を卒業する。1921年(大正10年)弁護士試験に合格。翌1922年(大正11年)仙台市で弁護士事務所を開業する。息子の菊地一民も仙台弁護士会会長を歴任した。 弁護士の傍ら、社会運動に参加し、労働者、農民の立場に立った。
尾関 義一(おぜき ぎいち、1889年(明治22年)7月11… 尾関 義一(おぜき ぎいち、1889年(明治22年)7月11日 - 1966年(昭和41年)2月14日)は、明治末から昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員(3期)。 広島県三上郡、のちの比婆郡本田村(現庄原市)出身。1907年(明治40年)中央大学法律科を卒業。弁護士の業務に従事。 犬養内閣嘱託、衆議院嘱託、立憲政友会幹事、吉田内閣内閣総理大臣秘書官を務めた。立憲政友会幹事長森恪の側近として活躍し、森の没後は林譲治と共に活動した。 1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に栃木県第1区から日本自由党公認で出馬して落選。落選後の1948年(昭和23年)、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年… 柳田 宗一郎(やなぎだ そういちろう、1889年(明治22年)5月7日 - 1933年(昭和8年)6月18日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士、検事。 茨城県筑波郡葛城村(のち谷田部町を経て、現在のつくば市)出身。1912年に中央大学を卒業し、同年、判事検事弁護士試験に合格。翌年から弁護士業務に従事した。1923年に検事に任命され、1926年に退官するまでの間に、青森区裁判所兼青森地方裁判所検事、大館区裁判所兼秋田地方裁判所検事、仙台地方裁判所検事を歴任した。 退官後は再び弁護士業務を行っていたが、1929年に東京市会議員に立候補し、当選した。さらに1932年の第18回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
福田 重清(ふくだ しげきよ、1889年〈明治22年〉4月4… 福田 重清(ふくだ しげきよ、1889年〈明治22年〉4月4日 - 1964年〈昭和39年〉7月19日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。初代日立市長(1期) 。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 富山県出身。1909年(明治42年)中央大学法律科卒。日本鉱業(日鉱)に入り、日立鉱業所庶務課長を経て、1933年(昭和8年)副所長も兼任する。1939年(昭和14年)日立市が発足すると同所副所長のまま市長に就任した。市長は翌年まで務め、1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では茨城2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受け立候補して当選する。衆議院議員在職中に日立鉱業所の所長に就任する。
2代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、1888年〈明治21年… 2代 本間 千代吉(ほんま ちよきち、1888年〈明治21年〉6月25日 - 1959年〈昭和34年〉7月6日 / 7月16日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家、武道家。貴族院多額納税者議員。幼名・仙八 / 千八、名は応義(まさよし)。 群馬県佐位郡市場村(赤堀村、赤堀町を経て現伊勢崎市)で、剣道範士本間三郎の二男として生まれる。1907年(明治40年)東京府の錦城中学校を卒業、中央大学を中退。 伯父の初代千代吉の養子となり、1917年(大正6年)家督を相続し2代千代吉を襲名した。1917年以降、上毛貯蓄銀行、群馬県農工銀行、伊勢崎銀行、群馬銀行、粕川水電などの重役を歴任したほか、赤堀村農会長、同村会議員などを務めた。
小林 兵庫(こばやし ひょうご、1888年〈明治21年〉3月… 小林 兵庫(こばやし ひょうご、1888年〈明治21年〉3月21日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。東洋キネマ社長。同和火災海上保険(現・あいおいニッセイ同和損害保険)顧問。千代田区会議長。 東京都出身。中央大学法学部を卒業。1928年、東洋キネマ社長に就任。千代田区会議員に当選する。1951年、千代田区会議長に選ばれ、同和火災海上保険神田支部長を経て同社顧問。北神保町郵便局長、神田警察懇話会長、人権擁護委員などを兼務する。 宗教は神道。趣味は囲碁、剣道。本籍は静岡県。住所は東京都千代田区神田駿河台1丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
石原 雅二郎(いしはら つねじろう、1888年(明治21年)… 石原 雅二郎(いしはら つねじろう、1888年(明治21年)3月6日 - 1946年(昭和21年)11月8日)は、日本の内務・警察官僚、政治家、教育者。官選県知事、津市長、中央大学教授。 福岡県企救郡小倉町紺屋町(現北九州市小倉北区)で石原雅広の二男として生まれる。1906年、福岡県立中学修猷館、1910年7月、第一高等学校独法科を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 1915年9月、東京府属兼内務属となる。以後、栃木県理事官、特殊財産管理局事務官・第二課長、警保局図書課長、同外事課長、兼同保安課長、警察講習所教授兼内務書記官、社会局社会部長、同保険部長などを歴任。
宋 必満(ソン・ピルマン、朝鮮語: 송필만/宋必滿、1887… 宋 必満(ソン・ピルマン、朝鮮語: 송필만/宋必滿、1887年12月3日または1890年 - 1978年7月23日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員、第5代国会参議院議員。初代韓国大統領の李承晩の側近であった。 本貫は礪山宋氏。別名は鳴皐。 京畿道利川郡長湖院生まれ、忠清北道鎮川郡出身。1908年ごろに新学問を学ぶために渡日し、正則英語学校中等科、中央大学法学部卒。帰国後の1919年に延禧専門学校の法律教授となり、4年間在職した。その後は法律研究のために渡米しようとしたが、東京で関東大震災での朝鮮人虐殺を目撃し苦境に陥った。その時、アメリカ人の宣教師の力を借りてハワイに密航し、そこで李承晩と知り合ってそのまま滞在し、1924年6月までに大韓人同志会の総務として機関誌『太平洋雑誌』を発刊し、関東大震災での朝鮮人虐殺の真相を宣伝した。
作田 高太郎(さくた たかたろう、1887年(明治20年)5… 作田 高太郎(さくた たかたろう、1887年(明治20年)5月15日 – 1970年(昭和45年)3月15日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。文部政務次官、文部参与官。弁護士。 広島県沼隈郡藤江村(現在の福山市)出身。1915年(大正4年)、中央大学を卒業。1917年(大正6年)、弁護士試験に合格し、開業した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第21回に至るまで6回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で文部参与官を、阿部内閣で文部政務次官を務めた。 戦後、日本進歩党に加入するが、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった。 その他、常磐採炭株式会社取締役、日英醸造株式会社取締役、大日本醸造株式会社監査役、千代田毛織株式会社監査役、関東航空計器株式会社社長、和田製本工業株式会社社長などを務めた。
中西 伊之助(なかにし いのすけ、1887年2月8日 - 1… 中西 伊之助(なかにし いのすけ、1887年2月8日 - 1958年9月1日)は、日本の作家、労働運動家、政治家。衆議院議員を2期務めた。 1887年2月8日、京都府久世郡槇島村(現・宇治市)の農家に出生し私生児として届け出された。旧制大成中学校(5年級編入学)を経て海軍兵学校に志願するも、出自を理由に入校はならなかった。その後、中央大学、早稲田大学に入るがいずれも中退。 少年・青年時代から機関車掃除夫や陸軍宇治火薬造所職工、新聞配達、南満州鉄道社員など、多種多様な職に就く傍ら無産運動にも尽力。朝鮮で新聞記者を務めていた時代には、藤田組による鉱山労働者虐待の実態を報じ、投獄されたこともある。 帰国後の1919年に日本交通労働組合へ入り、同組合理事長として東京市電争議を主導するが、治安警察法違反により検挙投獄となる。
浜野 徹太郎(濱野 徹太郎、はまの てつたろう、1885年7… 浜野 徹太郎(濱野 徹太郎、はまの てつたろう、1885年7月26日 - 1974年1月21日)は、日本の政治家である。和歌山県西牟婁郡串本町(2005年4月1日に東牟婁郡古座町と合併し西牟婁郡から東牟婁郡に編入)出身だが、選挙区が旧兵庫1区だったため、一部の人名事典では出身地を兵庫県としてあるものもある。 1916年に中央大学専門部法律科を卒業。多年小学校訓導、弁護士を経て1930年の第17回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で立候補して初当選。以降衆議院議員選挙に連続5回当選した。 弁護士出身という経歴のため、政治家としても平沼内閣の司法参与官、司法省委員、鈴木貫太郎内閣の司法政務次官等、司法分野の要職を歴任した。
東 幸治(ひがし こうじ、1884年(明治17年)11月25… 東 幸治(ひがし こうじ、1884年(明治17年)11月25日 - 1925年(大正14年)6月21日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)。ジャーナリスト。号は孤竹。 鹿児島県出水郡上出水村(現在の出水市)出身。鹿児島中学校を卒業後、『鹿児島新聞』の記者となった。その後の1917年(大正6年)に中央大学を卒業した。内務省・鉄道省の嘱託として、アメリカ合衆国・メキシコ・中華民国・フィリピン・ボルネオ島・ジャワ島・マレー半島・南洋諸島・シベリアなどを調査した。 1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選。同年の第15回衆議院議員総選挙で再選を果たした。
砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年〈明治17年〉9月1… 砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年〈明治17年〉9月15日 - 1957年〈昭和32年〉12月27日)は、日本の政治家。防衛庁長官(第4代)、衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第2代)などを歴任した。 愛媛県今治市生まれ。父親は退役軍人で、家が貧しかったため役所の給仕として働き、18歳で上京。1904年(明治37年)東京法学院(現・中央大学)を卒業後、司法官補を経て、弁護士を開業する。1920年(大正9年)に立憲国民党から旧兵庫1区にて衆議院議員に初当選。以後当選9回。犬養毅に師事し、立憲国民党→革新倶楽部→立憲政友会と渡り歩く。犬養内閣にて農林政務次官に就任。犬養亡き後は、政務次官時代に大臣として仕えた山本悌二郎派に身を寄せる。
吉田 久(よしだ ひさし、1884年(明治17年)8月21日… 吉田 久(よしだ ひさし、1884年(明治17年)8月21日 - 1971年(昭和46年)9月20日)は、日本の裁判官、貴族院議員、大学教授である。福井県出身。位階および勲等は従三位・勲三等。 1884年8月21日、福井市佐佳枝上町の八百屋の長男として出生し、幼い頃から神童と呼ばれていたため、店をたたみ上京。一家は人力車業を営んだが、次第に振るわなくなり、日清戦争開戦の年、番町高等小学校尋常科を中退し、福井に戻ることとなった。後再び上京し、裁判所の給仕をして生計を立てた。弁護士の書生をしながら東京法学院(のちの中央大学)にて学ぶ。1905年(明治38年)に東京法学院を卒業し判事検事登用試験に次席合格する。
手代木 隆吉(てしろぎ りゅうきち、1884年(明治17年)… 手代木 隆吉(てしろぎ りゅうきち、1884年(明治17年)1月30日 - 1967年(昭和42年)3月31日)は、日本の教育者・政治家・弁護士・実業家。衆議院議員(当選6回、日本進歩党)。北海道有珠郡紋鼈(現・北海道伊達市)出身。号は「胡山」。 父、要蔵。母、エミの長男として誕生。母の父が仙台藩亘理伊達家の藩士手代木順造。 明治4年の亘理伊達家の北海道移住に際し一家で渡道(当時エミは4歳)。後に太田家より要蔵を入婿で迎え手代木家より分家。 エミの兄(長男)は伊達、苫小牧などの戸長、村長を歴任した手代木茂篤(隆吉の叔父)[出典無効] 1906年(明治39年)北海道尋常師範学校(現在の北海道教育大学札幌校)卒業後、北海道の旧制小学校の訓導や校長を経て、1918年(大正7年)中央大学法学部卒業。
鈴木 五六(すずき ごろく、1883年(明治16年)11月2… 鈴木 五六(すずき ごろく、1883年(明治16年)11月21日 - 1932年(昭和7年)11月27日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 愛知県渥美郡赤羽根村(現在の田原市)出身。1902年(明治35年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。司法官試補を務めた後、弁護士を開業した。 豊橋市会議員に選出され、同参事会員、同副議長を務めた。さらに愛知県会議員、同郡部会議長、同議長を務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
尾崎 重美(おざき しげみ、1883年(明治16年)4月2日… 尾崎 重美(おざき しげみ、1883年(明治16年)4月2日 - 1959年(昭和34年)11月23日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 高知県幡多郡中村(中村町、中村市を経て現四万十市)出身。尾崎重勝、美弥の三男として生まれた。早くに父が没し、苦学して中学卒業資格を取得。 東京郵便電信学校を卒業後、通信手、統監府通信属を務めた。1914年(大正3年)、中央大学を卒業し、高等文官試験と弁護士試験に合格した。青島守備軍民政部事務官、三重県桑名郡長、安濃郡長、会計検査院副検査官を歴任した。さらに市来乙彦東京市長の秘書官を務めた。その後、弁護士を開業するとともに判例集報社の経営にあたった。
西方 利馬(にしかた としま、1883年(明治16年)3月1… 西方 利馬(にしかた としま、1883年(明治16年)3月17日 - 1973年(昭和48年)11月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(6期)。 山形県東置賜郡中川村(現・南陽市)で、旧米沢藩の中山城代家中(陪臣)の西方家に生まれる。1919年中央大学法律科卒。中山葡萄、山形新聞各社長、山形県議、山形県体育会長などを務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙において山形県第4区(当時、小選挙区)から立憲政友会公認で立候補して初当選。以来当選6回。立憲政友会総務、内閣東北局委員、内務省委員などを歴任する 。 戦後、大政翼賛会の推薦議員のため、公職追放となる。1951年追放解除。1973年死去。
上村 進(かみむら すすむ、1883年1月23日 - 196… 上村 進(かみむら すすむ、1883年1月23日 - 1969年5月19日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認)。自由法曹団設立に関わり、同団体の団長も務めた。 日本共産党機関誌「アカハタ」を印刷していたアカツキ印刷所の社長だった。 新潟県南魚沼郡塩沢町(現在の南魚沼市)出身。早稲田大学専門部法律科及び中央大学卒業。日露戦争に従軍し、退役後上京、二六新報社に入社した。1915年、弁護士試験に合格、弁護士となった。1920年には普選演説会で首相や両院議長に対して、普選反対議員へ天誅を行う旨の決議文を提出したこと(天誅事件)で起訴される(後に無罪判決)。翌年布施辰治や山崎今朝弥らと自由法曹団を結成し、労働運動、農民争議への支援を精力的に行った。
君野 順三(きみの じゅんぞう、明治16年(1883年) -… 君野 順三(きみの じゅんぞう、明治16年(1883年) - 昭和29年(1954年))は日本の弁護士、政治家。元鳥取市会議員(議長)、鳥取県会議員。元鳥取弁護士会会長。 元若桜町町長君野秀三の兄。弁護士君野駿平の父。長女は弁護士上原準三の妻。 鳥取県八頭郡若桜町若桜に生まれた。君野良平の長男。 明治34年(1901年)東京法学院(現中央大学)卒業。弁護士試験に合格し鳥取市で弁護士を開業。明治41年(1908年)に判事となり松江地方裁判所に勤務したが、再び鳥取市に戻って弁護士生活を始めた。 大正6年(1917年)鳥取市会議員となって電灯市営論が政治・社会問題化すると愛市団に参加。 大正8年(1919年)に再選され市会議長に推され、鳥取弁護士会副会長にもなった。
中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8… 中田 騄郎(なかだ ろくろう、1882年(明治15年)4月8日 - 1957年(昭和32年)8月12日)は、日本の衆議院議員(国民同志会)、弁護士。 静岡県榛原郡勝間田村(現在の牧之原市)出身。1901年(明治34年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業した。弁護士を開業し、静岡県弁護士会長に選出された。また静岡市会議員となり、議長も務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、社団法人救護会理事長、静岡県社会事業協会副会長、藤相鉄道株式会社監査役などを務めた。
小山 寛蔵(おやま かんぞう、1882年〈明治15年〉3月3… 小山 寛蔵(おやま かんぞう、1882年〈明治15年〉3月3日 - 1929年〈昭和4年〉12月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 広島県三上郡、のちの庄原村(比婆郡庄原村、庄原町を経て現庄原市)出身。 東京法学院(のち東京法学院大学を経て、現在の中央大学)で学ぶ。広島県議、庄原町長、同農会長、比婆郡自治教育会長、同郡有財産林組合長、広島県土地収用審査委員、広島地方森林会議員、山陽製鉄(株)高野山工場長、東城製鉄(株)取締役兼工場長、京都西陣織物同業組合調査部長となる。 1928年(昭和3年)第16回衆議院議員総選挙において広島3区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務めたが、1929年12月、在職中に死去した。
前田 米蔵(まえだ よねぞう、1882年〈明治15年〉2月1… 前田 米蔵(まえだ よねぞう、1882年〈明治15年〉2月17日 - 1954年〈昭和29年〉3月18日)は、日本の政党政治家。 和歌山県出身だが、選挙区は中選挙区制時代の旧東京府第6区(戦後は東京都第5区)だった。衆議院議員選挙に通算10回当選し、特に戦前は総選挙に連続9回当選を果たした。戦前は立憲政友会政調会長・第1次近衛内閣参議等を歴任し、政党解消後は翼賛政治会筆頭総務・翼政会総務会長・大日本政治会顧問等を歴任した。 心理学者の前田嘉明は米蔵の次男。 1902年(明治35年)、東京法学院(現・中央大学)を卒業。翌1903年(明治36年)、弁護士を開業。弁護士時代に政友会所属の政治家・横田千之助の知遇を得たのが契機となり1917年(大正6年)、立憲政友会公認で第13回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
青木 雷三郎(あおき らいさぶろう、1881年(明治14年)… 青木 雷三郎(あおき らいさぶろう、1881年(明治14年)12月26日 - 1960年(昭和35年)7月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、明石市長。弁護士。 岡山県浅口郡富田村(現在の倉敷市)に尾藤廉平の三男として生まれ、青木与八郎の養子となった。1912年(大正元年)、弁護士試験に合格。翌年に中央大学法科を卒業し、弁護士を開業。後に神戸弁護士会会長に選ばれた。1920年(大正9年)、明石市会議員に選出され、議長に当選した。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回、第19回でも再選された。1937年(昭和12年)、明石市長に就任した。1946年(昭和21年)、明石市長を辞任した。
秋田 清(あきた きよし、1881年〈明治14年〉8月29日… 秋田 清(あきた きよし、1881年〈明治14年〉8月29日 - 1944年〈昭和19年〉12月3日)は、日本の政治家。第30代衆議院議長、厚生大臣、拓務大臣を務めた。 徳島県出身。旧制徳島中学(現:徳島県立城南高等学校)、日本法律学校(現:日本大学)、東京法学院(現:中央大学)卒業。高知地方裁判所の判事、二六新報の編集および社長職を経て政界入り。1932年(昭和7年)、衆議院議長に就任。1937年(昭和14年)、内閣参議に就任。1939年(昭和14年)、阿部内閣で厚生大臣に就任。1940年(昭和15年)、第2次近衛内閣で拓務大臣に就任。1944年(昭和19年)12月3日死去。
沢藤 幸治(澤藤 幸治、さわふじ こうじ、1881年(明治1… 沢藤 幸治(澤藤 幸治、さわふじ こうじ、1881年(明治14年)5月6日 - 1960年(昭和35年)6月9日)は、日本の政治家。岩手県和賀郡黒沢尻町(現:北上市)長。岩手県会議員。北上市の観光名所展勝地の生みの親として知られる。 岩手県和賀郡黒沢尻町に生まれる。東京法学院(現・中央大学)修了。修了後は金原明善に植林業を学ぶ。大阪毎日新聞に入り、風見章を知る。政友会院外団鉄心会に入り、中野正剛・緒方竹虎や大陸浪人達と交わる。 一旦帰郷し、1920年(大正9年)和賀展勝会を結成し、北上川沿いに桜の木を植え始める。上京し、出版業を始めるが、関東大震災で帰郷する。1926年(大正15年)に雑誌「共存共栄」を創刊する。
小野 重行(おの しげゆき、1881年(明治14年)3月26… 小野 重行(おの しげゆき、1881年(明治14年)3月26日 - 1931年(昭和6年)7月30日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。神奈川県橘樹郡町田村の村長を経て、大正9年の総選挙で初当選し、通算4期務めた。 神奈川県橘樹郡町田村(のち潮田町・鶴見町、現・横浜市 鶴見区)に生まれる。東京法学院(現・中央大学)卒。町田村の村長を務め、臨海部の埋立・宅地化や地域開発に尽力した。大正期には多摩川改修など地域インフラをめぐる請願・運動にも関わった。 1920年の第14回衆議院議員総選挙で初当選(神奈川3区)し、1924年(神奈川3区)、1928年・1930年(いずれも神奈川2区)に当選、通算4期務めた。
中島 照寛(なかしま てるひろ、1881年(明治14年)3月… 中島 照寛(なかしま てるひろ、1881年(明治14年)3月6日 – 1948年(昭和23年)4月16日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。熊本県荒尾市長。 熊本県葦北郡日奈久町(現在の八代市)出身。中央大学に学んだ。平井村(現・荒尾市)長、荒尾町(現・荒尾市)長、玉名郡会議員、熊本県会議員を務めた。その他、玉名郡畜産組合長、玉名郡家畜保険組合長を務めた。 1922年(大正11年)、熊本5区(当時)から衆議院議員に補欠当選を果たした。1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙で落選した。1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙では熊本1区から立候補したが落選した。 1942年(昭和17年)より荒尾市会議員を2期務め、議長を務めた。
大堀 孝(おおほり たかし、1880年(明治13年)7月20… 大堀 孝(おおほり たかし、1880年(明治13年)7月20日 - 1947年(昭和22年)2月3日)は、日本の衆議院議員(立憲国民党→純正国民党)。 和歌山県和歌山市出身。1900年(明治33年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。翌年、紀州日報社を創刊して社長兼記者となったが、1903年(明治36年)に廃刊となり、政界入りを志すようになった。1909年(明治42年)、和歌山市会議員に選ばれ、副議長となった。 1915年(大正4年)、立憲国民党から第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。第13回衆議院議員総選挙でも再選を果たしたが、普通選挙を主張し、党議に敗れて離党した。
石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月2… 石井 三郎(いしい さぶろう、1880年〈明治13年〉2月26日 - 1948年〈昭和23年〉3月25日)は、大正から昭和前期の剣道家、政治家、雑誌編集者。衆議院議員。 茨城県久慈郡、のちの久米村(金砂郷村、金砂郷町を経て現常陸太田市)で生まれる。1911(明治44年)に分家した。 中央大学で学び、銀行業に従事。大蔵省嘱託となり、狩猟調査委員を務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に茨城県第4区から出馬して初当選。以後、第15回、第16回、第18回、第19回総選挙で再選され、衆議院議員に通算5期在任した。この間、齋藤内閣と岡田内閣の陸軍参与官などを務めた。1935年(昭和10年)には、昭和会の結党にも参加した。
池田 清秋(いけだ せいしゅう、1879年(明治12年)9月… 池田 清秋(いけだ せいしゅう、1879年(明治12年)9月10日 – 1966年(昭和41年)11月2日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。 千葉県安房郡平群村(現在の南房総市)出身。日露戦争に従軍後、1908年(明治41年)に日本大学法律科を卒業。さらに中央大学高等研究科を卒業した。判事検事登用試験に合格し、司法官試補となった。その後、弁護士を開業し、さらに東京市会議員に選ばれた。 1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その後、蒲田女子高等学校理事・校長を務めた。
斎藤 勧治(さいとう かんじ、1879年〈明治12年〉8月1… 斎藤 勧治(さいとう かんじ、1879年〈明治12年〉8月13日 - 没年不明)は、昭和時代前期の政治家。広島県尾道市長。 1904年(明治37年)東京法学院大学法律専門部卒業。各府県における勤務を経て、1928年(昭和3年)6月に呉市助役に就任。1932年(昭和7年)6月に任期満了。ついで、1933年(昭和8年)5月に岡山市助役に就任し、1936年(昭和11年)10月に退職する。その後、翌年の1937年(昭和12年)1月13日に尾道市長に就任した。
松木 弘(まつき ひろむ、1879年(明治12年)4月11日… 松木 弘(まつき ひろむ、1879年(明治12年)4月11日 - 1967年(昭和42年)10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。弁護士。 新潟県新発田町(現新発田市)出身。1898年 東京法学院卒。翌年司法官試補試験に合格し、弁護士になり、鳩山和夫の事務所に勤務する。1903年 故郷の新潟県に帰り、弁護士事務所を開く。その後、新潟市会議員、新潟県会議員を4期務め、県弁護士会長も務めた。1932年の総選挙で新潟2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した。政友会解散後は鳩山一郎率いる同交会に入った。1942年の翼賛選挙では非推薦(新潟県第1区)で落選。戦後の1945年に日本自由党が結成されると新潟県支部長に就任した。
長塚 忠策(ながつか ちゅうさく、1879年(明治12年)3… 長塚 忠策(ながつか ちゅうさく、1879年(明治12年)3月10日 - 1948年(昭和23年)9月12日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。弁護士。 茨城県北相馬郡稲戸井村(現在の取手市)出身。東京法学院(現在の中央大学)を卒業し、1901年(明治34年)に判事検事登用試験に合格した。司法官試補として水戸区裁判所に勤務し、1903年(明治36年)からは判事として横浜区裁判所、前橋地方裁判所に勤務した。1906年(明治39年)に退官して、新治郡土浦町(現在の土浦市)に弁護士事務所を開いた。土浦町会議員を経て、1915年(大正4年)から茨城県会議員を務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
喜多 孝治(きた こうじ、1878年(明治11年)2月15日… 喜多 孝治(きた こうじ、1878年(明治11年)2月15日 - 1934年(昭和9年)3月11日)は、日本の逓信官僚、樺太庁長官、衆議院議員(立憲政友会)。 大阪府北河内郡門真村(現在の門真市)出身。1902年(明治35年)7月、東京法学院(現在の中央大学)英語法学科を卒業後、同院高等法学科で国際法を専攻し、1904年(明治37年)4月に卒業した。 1903年(明治36年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、1904年7月、逓信省に入省し経理局検査課下検査係事務取扱に就任。通信事務官、逓信書記官、経理局検査課長、兼経理局調度課長、兼電信灯台用品製造所長、通信副事務官、新潟郵便局長、東京中央電話局長、東部逓信局経理部長などを歴任。
平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、1877年(明治10年)… 平川 松太郎(ひらかわ まつたろう、1877年(明治10年)5月15日 - 1943年(昭和18年)5月19日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、弁護士。 広島県双三郡和田村(現在の三次市)出身。1901年、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。弁護士試験に合格し、弁護士を開業。また小田原商業学校校長も務めた。 1924年の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は7回を数えた。その間、濱口内閣で小泉又次郎逓信大臣の秘書官を、第2次若槻内閣で逓信参与官を、平沼内閣で逓信政務次官をそれぞれ務めた。
廖 仲愷(りょう ちゅうがい、1877年4月23日 - 19… 廖 仲愷(りょう ちゅうがい、1877年4月23日 - 1925年8月20日)は、清末民初の革命家・政治家。中国同盟会以来の革命派人士で、中国国民党では容共左派の指導者として知られる。仲愷は字で、名は恩煦。別名に夷白。筆名に屠富、淵実。祖貫は広東省恵州府帰善県。兄は廖鳳書。妻は何香凝。子は廖夢醒、廖承志。 アメリカ合衆国サンフランシスコで、客家の銀行員の家庭に生まれる。1893年(光緒19年)に母を伴って帰国し、1896年(光緒23年)には香港に赴いて英語を習得した。翌1897年(光緒24年)10月に何香凝と結婚している。1902年(光緒28年)に日本へ留学し、早稲田大学経済予科を経て中央大学政治経済科に入学した。
佐野 正雄(さの まさお、1877年(明治10年)1月18日… 佐野 正雄(さの まさお、1877年(明治10年)1月18日 - 1933年(昭和8年)3月25日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→政友本党)、弁護士。 松江市に佐野浩一の長男として生まれる。1898年(明治31年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。検事となるが、退官して弁護士を開業した。また松江市会議員に選出された。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。 その他に山陰製鉄株式会社取締役を務めた。
山辺 常重(やまべ つねしげ、1876年〈明治9年〉8月1日… 山辺 常重(やまべ つねしげ、1876年〈明治9年〉8月1日 - 1944年〈昭和19年〉7月29日)は、日本の政治家。衆議院議員。 長野県小県郡神川村(現上田市)生まれ。中央大学法学部卒業、東京株式取引所の仲買人を経て、巴商会支配人のほか、東京実株代行、大雄山鉄道、日満モリス興業、妙高温泉土地、日本勧業中央屑物市場の各取締役、大原簿記学校理事などを歴任した。 大正9年(1920年)第14回衆議院議員総選挙に初当選し、民政党の相談役を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
中川原 貞機(なかがわら ていき、1876年(明治9年)7月… 中川原 貞機(なかがわら ていき、1876年(明治9年)7月2日 - 1948年(昭和23年)6月9日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。 青森県三戸郡扇田村(浅田村を経て現在の五戸町)に生まれる。東京法学院を卒業後、家業を継ぎ、五戸産馬組合員、青森県産馬連合会役員を歴任し、多くの優良馬を育成する。1924年(大正13年)五戸産馬組合長の時、皇太子の乗用馬「ミヨシ」号を納める。その後、馬政局から産馬功労者として表彰を受けた。1925年(大正14年)浅田信用組合を創立し、組合長として経営に当たった。ほか、五戸銀行監査役、泉山銀行、五戸電気各取締役などを歴任した。 1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では青森県第1区から立憲政友会所属で出馬し、当選。
白石 正明(しらいし まさあき、1876年6月1日 - 19… 白石 正明(しらいし まさあき、1876年6月1日 - 1954年6月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 東京都出身。1901年東京法学院卒。東北鉱業会理事、福島県地下資源開発研究所所長、武蔵野食品科学研究所、白石鉱業各(株)社長、福島自家用自動車協会会長となる。 1947年の第23回衆議院議員総選挙において福島2区から日本民主党公認で立候補して落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙でも落選。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して当選した。衆議院議員は1期務め、1953年の第26回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
15代 榎本 次郎右衛門(えのもと じろううえもん、1876… 15代 榎本 次郎右衛門(えのもと じろううえもん、1876年(明治9年)4月13日 - 1926年(大正15年)5月11日)は、明治時代後期から大正時代の政治家。衆議院議員(1期)。 先代榎本次郎右衛門の子として千葉県相馬郡布佐村(東葛飾郡布佐町、我孫子町を経て現在の我孫子市)に生まれる。小学校、中学校を経て、東京法学院を卒業し、家業の農業を手伝う。布佐町会議員を経て、同町長を4年務め、東葛飾郡会議員、千葉県会議員などを歴任する。ほか、会社、銀行の重役を務めた。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では千葉県郡部から憲政会所属で出馬し当選。1期務めた。
木下 十四三(きのした としさぶ、1876年(明治9年)3月… 木下 十四三(きのした としさぶ、1876年(明治9年)3月20日 - 1942年(昭和17年)1月31日)は、明治末から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、佐賀県三養基郡北茂安村長。 佐賀県養父郡東尾村(養父郡北茂安村、三養基郡北茂安村大字東尾、北茂安町を経て現みやき町東尾)で、農業・木下七三、ナミの二男として生まれる。1897年(明治30年)東京法学院(英吉利法律学校後身、現中央大学)を卒業した。農業を営む。 北茂安村長、所得税調査委員、三養基郡農会長、佐賀県農会副会長、佐賀県会議員などを務めた。 1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙に佐賀県第3区から立憲政友会公認で出馬して当選し、政友本党に所属し衆議院議員に1期在任した。