建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月… 建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月8日 - )は日本の建設官僚、実業家。父は社会学者の建部遯吾。 新潟県中蒲原郡横越村横越出身 東京帝国大学卒 1936年 北海道庁に入庁。 1937年 大蔵省、 1942年 陸軍省、 1944年大蔵省に出向。終戦を経て、1947年 経済安定本部、1950年 建設省に出向。1962年 建設省 営繕局長に就任。1964年 住宅金融公庫 理事に就任。退官後は、1967年 三井建設㈱ 常務取締役に就任。1973年 三井建設㈱ 顧問に就任。また同時に 三井プレコン㈱ 顧問、資生堂開発㈱ 取締役を兼務。 建設省営繕局長時代、1964年東京オリンピック開催に向けて国立代々木競技場の建設に係る当時の参議院オリンピック準備促進特別委員会の議場において政府委員として出席答弁した。
小宮 賢一(こみや けんいち、1911年9月10日 - 19… 小宮 賢一(こみや けんいち、1911年9月10日 - 1990年6月3日)は、日本の建築系内務官僚。都市計画家。建築行政家。 現在運用されている建築基準法や都市計画法制定に尽力。建築の審査・行政指導方面で活躍した人物。 一方で、戦前期東武鉄道に造成開発された分譲住宅地常盤台 (板橋区)原案の設計者としても知られる。 東京出身。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、内務省本省大臣官房都市計画課に入省配属。市街地建築物法の運用、防火防空都市計画を担当した。 1937年(昭和12年)には、砧台付近を想定して戦前開催が中止となった当時の東京オリンピック選手村試案を制作し『建築と社会』11月号にて発表している。
正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 -… 正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 - 1994年4月17日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、経済企画庁長官。
戸田 康英(とだ やすひで、1911年4月30日 - 197… 戸田 康英(とだ やすひで、1911年4月30日 - 1977年4月2日)は、日本の宮内省・宮内庁官僚。東宮侍従。旧松本藩主戸田子爵家の当主で、祖父は第2代子爵戸田康泰、父は第3代子爵戸田康保。浅野忠允(浅野鉄馬養子)、本多光孝(本多忠昭養子)は実弟である。 学習院初等科・中高等科を経て東京帝国大学文学部卒業。1935年宮内省図書寮に入省。1937年侍従、1946年皇太子傅育官として明仁親王に仕えた。1965年4月、東宮侍従長に就任する。英国女王エリザベス2世の戴冠式を始め、皇太子の海外訪問にたびたび随行した。1968年11月、松本市名誉市民となる。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。
柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 199… 柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 1991年7月6日)は、昭和期の内務官僚。建設事務次官、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁等を歴任。建設行政の基礎を築き、特に水資源開発に大きな功績を残した。 貴族院議員や内閣書記官長などを務めた柴田善三郎の次男として愛媛県松山市に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学に進み、1935年の卒業とともに内務省に入る。 1939年内務事務官となり、太平洋戦争後の1950年に大阪府警察長に就任。1954年に初代警察庁長官官房長、警視監となる。 建設省大臣官房長(1955年)を経て、1958年12月16日に建設事務次官に就任した(1961年11月1日退任)。
原 純夫(はら すみお、1911年(明治44年)3月7日 -… 原 純夫(はら すみお、1911年(明治44年)3月7日 - 1997年(平成9年)10月30日)は、日本の大蔵官僚。国税庁長官、東京銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。旧制一高を経て、東京帝国大に進学、在学中の1933年に高文行政科と司法科に合格。翌34年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し大蔵省に入省。 理財局属。国税庁次長、主計局次長などを経て、1956年7月6日に主税局長。1960年4月12日に国税庁長官。 1962年5月をもって、退官し、同月東京銀行に入行。副頭取に就任。1965年5月には頭取に就いた。1973年5月に会長に退き、その後相談役を務めた。 1997年10月30日、心不全のために死去。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月… 西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月1日 - 1997年〈平成9年〉10月15日)は、日本の郵政官僚、政治家。参議院議員(4期)。国務大臣総理府総務長官兼沖縄開発庁長官。 鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。亀吉の二男。第六高等学校を経て、1936年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し逓信省に入省。中野郵便局属。 戦後は郵政省に移り、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、大阪郵政局長などを経て、1960年5月に簡易保険局長。1961年6月に郵務局長。1962年5月15日には郵政事務次官に就任した。1964年6月に退官。 1965年7月、第7回参議院議員通常選挙の全国区に自由民主党から出馬し初当選。
大塚 茂(おおつか しげる、1911年 <明治44年> 1月… 大塚 茂(おおつか しげる、1911年 <明治44年> 1月8日 - 2004年 <平成16年> 4月13日)は、日本の官僚、実業家。郵政事務次官・日本航空常務理事・新東京国際空港公団総裁を歴任した。 東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1936年、逓信省入省。貯金保険局保険業務課長、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、名古屋郵政局長、大臣官房人事部長などを務める。1957年10月、簡易保険局長。その後は貯金局長となり、1961年6月16日、郵政事務次官。1962年5月、退官。 郵政事務次官退官後、日本航空の常務理事となるが、「次の埼玉県知事に推す」と請われて1966年に埼玉県副知事になる。
山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910… 山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910年(明治43年)11月25日 - 没年不詳)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県香美郡徳王子村(大忍村、徳王子村、香我美町を経て現香南市香我美町徳王子)で、山崎栄の二男として生まれる。1933年(昭和8年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、営林署技師、大館営林署長、農林技官、林野庁林産課長、同業務課長、同計画課長、同指導部長などを歴任し、林野庁長官に1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)7月まで在任して退官した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14… 清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の農林官僚。農林事務次官。東京都出身。 東京帝国大学法学部卒業後、農林省入省(米穀部嘱託)。林野庁林政部長、食糧庁総務部長、農業改良局長を経て、1953年(昭和28年)水産庁長官、1954年(昭和29年)食糧庁長官、1956年(昭和31年)に農林事務次官に就任。 1957年(昭和32年)に退官後、日本穀物検定協会会長、農林漁業金融公庫総裁、農業信用保険協会理事長、日本中央競馬会理事長、東京都競馬社長、同会長を歴任した。
村田 恒(むらた ひさし 1910年11月2日 - 1998… 村田 恒(むらた ひさし 1910年11月2日 - 1998年11月14日)は、日本の通産官僚。元日本貿易振興会(ジェトロ)理事長。東京市(現 千代田区)出身。1984年 勲二等旭日重光章。 府立四中、一高を経て、1936年 東京帝国大学法学部を卒業し、同年 商工省入省、商務局属。入省同期に、小室恒夫(通商局長)、大堀弘、皆川良三、東澄夫(共に札幌通産局長)、秋山武夫(軽工業局長)など。戦後、経済安定本部部員、通商局通商政策課長などを経て、石炭局長(1957年6月15日 - 1958年8月1日)にて退官。同年 ジェトロ理事、木下産商経営企画部長、常務、専務を経て、1965年 三井物産取締役、1969年 常務、1973年 副社長。
鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3… 鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。位階は正四位。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。昭和8年(1933年)に東京帝国大学法学部を卒業し、同年商工省に入省。大阪通産局総務部長や横浜通商事務所所長、在英国日本国大使館商務参事官、札幌鉱山監督局局長を経て、昭和29年(1954年)通商産業省重工業局長に就任した。通産省を退官後は、昭和32年(1957年)に日本輸出入銀行理事、昭和41年(1966年)に日本揮発油(現・日揮)社長に就任。昭和55年(1980年)からは日揮会長を務めた。
森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 -… 森永 貞一郎(もりなが ていいちろう、1910年9月9日 - 1986年5月30日)は日本の大蔵官僚、銀行家。元大蔵事務次官、第5代東京証券取引所理事長、第23代日本銀行総裁。 妻は南洋庁長官・田原和男の長女で若槻禮次郎元首相の孫娘に当たる。 宮崎県小林市出身。父・貞右衛門は町会議員・商工会長などを務めた。宮崎・小林中学、第五高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業。同年、大蔵省に入省。主税局属。戦時中は理財局金融課長や理財局証券課長、総合計画局参事官、大臣官房文書課長等を歴任し、戦後は経済安定本部総裁官房次長、長沼弘毅次官の下で大臣官房長を務め、1953年8月に主計局長、1957年5月に大蔵事務次官に就任。
北島 武雄(きたじま たけお、1910年3月3日 - 197… 北島 武雄(きたじま たけお、1910年3月3日 - 1974年7月27日)は、日本の官僚。国税庁長官、日本専売公社総裁を務めた。 東京都出身。1933年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に大蔵省に入省。大臣官房経理課長、主計局総務課長、管財局長、国税庁長官などを歴任し、1960年5月を以って、退官。農林漁業金融公庫副総裁、北海道東北開発公庫総裁を経て、1965年9月から1967年7月までに公正取引委員会委員長を務め、1969年10月には日本専売公社総裁に就任。 1974年7月27日、胃癌のために死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12… 瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。 大阪府生まれ。後に東京市に転居し、東京市立麹町小学校、第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道省に入省。入省後は、東京改良事務所や新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通などに配属。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 196… 阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 1968年10月7日)は、日本の大蔵官僚。
高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 19… 高辻 正己(たかつじ まさみ、1910年1月19日 - 1997年5月20日)は、日本の官僚、裁判官。竹下改造内閣で法務大臣を務めた。甥に外交官の青木盛久がいる。名前は正巳とも。 1910年(明治43年)静岡県沼津出身。東京府立四中、旧制三高を経て、1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部卒業。内務省入省。第二次世界大戦後、1951年(昭和31年)には日ソ交渉全権委員の随行員としてソビエト連邦を訪問している。 その後、地方自治庁部長などを経て、内閣法制次長時代に自衛隊を「必要最小限の戦力」と解釈する。1964年(昭和39年)から1972年(昭和47年)にかけて第1次佐藤内閣~第3次佐藤内閣まで内閣法制局長官を務め、東大確認書問題、自衛隊の交戦権問題、沖縄返還や沖縄公用地問題について法律面から佐藤内閣を支えた。
小野 栄(おの さかえ、1910年(明治43年)1月19日 … 小野 栄(おの さかえ、1910年(明治43年)1月19日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 宮城県仙台市出身。1934年(昭和9年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年10月、高等試験行政科に合格。1937年(昭和12年)4月、台湾総督府交通局書記に任じ、鉄道部自動車課勤務、庶務課勤務、殖産局商工課勤務を経て、1939年(昭和14年)7月、台北州蘇澳郡守に就任した。その後、拓務事務官・殖産局、拓北局青年課勤務を経て、1942年(昭和17年)10月、陸軍司政官に任じた。
石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年… 石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年3月4日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁。 旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1933年に東京帝国大学法学部を卒業。同年に大蔵省に入省(大臣官房文書課に配属)。1945年4月13日に広瀬大蔵大臣秘書官(事務担当)。1947年11月19日に理財局為替第一課長。1948年7月5日に理財局外資部長。1949年3月15日に理財局外資部長兼理財局国庫課長。同年6月1日に大臣官房調査部長。その後、主税局税関部長、理財局長、官房長、為替局長を経て、1957年11月15日に銀行局長となり、1959年6月23日に大蔵事務次官に就任。
石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日… 石岡 実(いしおか みのる、1910年(明治43年)1月6日 - 1996年(平成8年)11月23日)は、日本の内務・警察官僚。 東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学法学部法律学科卒業。 同年、内務省入省。警視庁警部補を振り出しに、一年間、陸軍に召集された。内閣興亜院政務部第2課、警視庁特別高等警察第二課長などを経て、戦後に一旦辞職。民間の商社で代表取締役に付いていたものの、1955年に警察庁刑事部警察参事官として復帰。群馬県警察本部長、福島県警察本部長、警視庁公安部長、九州管区警察局長等を歴任する。1962年、古屋亨の後任として2代目内閣官房内閣調査室長就任。 1964年、内閣官房副長官(事務担当)就任。
林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 198… 林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 1989年6月21日)は、日本の官僚。大蔵・法務官僚を経て法制局に移り、鳩山・石橋・岸・池田の4内閣(10年弱)にわたって法制局長官(内閣法制局長官)を務めた。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。『時の法令』誌連載の判例解説でははやし しうぞうの別名を用いた。 著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
江下 孝(えした たかし、明治43年(1910年) - 平成… 江下 孝(えした たかし、明治43年(1910年) - 平成元年(1989年)6月11日)は、昭和時代の官僚。 福岡県出身。昭和10年(1935年)、東京帝国大学法学部を卒業後、高等文官試験に合格し、内務省に入省。東京府事務官を経て、秋田県・佐賀県にて県庁課長を歴任後、本省に戻る。その後、内務省の再編に伴い、厚生省、戦後、労働省に移る。職業安定局長を最後に退官。退官後は、労働福祉事業団理事、雇用促進事業団副理事長、中高年齢者雇用福祉協会会長を歴任した。1989年、肺炎のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
久野桂一郎(くの けいいちろう、1910年 - 1990年)… 久野桂一郎(くの けいいちろう、1910年 - 1990年)は、日本の翻訳家、鉄道官僚。 東京に生まれる。東京大学法学部卒業し国鉄に入社。青函船舶鉄道管理局長ほかを務めた。
浅村 廉(あさむら きよし 1909年11月6日 - 199… 浅村 廉(あさむら きよし 1909年11月6日 - 1994年7月6日)は、日本の経済企画官僚。 東京府立一中、第一高等学校文甲を経て、1935年、東京帝國大学法学部を卒業。台湾銀行入行。高等文官試験行政科合格を経て、朝鮮総督府入庁。財務局勤務などを経て、経済企画庁総合開発局長。その後、道路公団副総裁を経て、1968年4月から1977年9月まで住宅金融公庫に総裁としてその椅子にあった。1980年4月、勲二等旭日重光章を受章。
小沼 亨(おぬま とおる、1909年11月5日 - 1963… 小沼 亨(おぬま とおる、1909年11月5日 - 1963年9月8日)は、日本の公取官僚。青島領事などを経て、公正取引委員会事務局長を務めた。 愛媛県西宇和郡三瓶町(現・西予市)出身。1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。同年東京市入庁。1939年興亜院属。1940年興亜院華中連絡部事務官。1943年青島領事。1951年特別調達庁業務部総括課長。1952年特別調達庁管理部不動産管理課長。同年調達庁総務部会計課長。1954年公正取引委員会事務局官房庶務課長。1957年公正取引委員会事務局経済部長、総理府共済組合運営審議会委員。1962年公正取引委員会事務局長。1963年正四位勲三等瑞宝章。
高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日… 高野 務(たかの つとむ、1909年(明治42年)7月20日 - 1981年(昭和56年)8月9日)は、昭和時代の土木工学者、内務官僚、建設技監。 新潟県に生まれる。1934年(昭和9年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、富山県経済部土木課勤務、新潟県土木技師兼道路技師を経て、1940年(昭和15年)内務省土木局に奉職する。1943年(昭和18年)防空総本部技師を兼任し、終戦を経て、建設省関東地方建設局の横須賀国道改良、相模工事事務所長、京浜工事事務所長を歴任し、1952年(昭和27年)道路局国道課長に就任した。 ついで企画課長、技術参事官、中部地方建設局長、道路局長を経て、1961年(昭和36年)建設技監に就任するが、「河野旋風」のため就任から僅か9カ月で退官した。
吉本真二(よしもと しんじ、1909年7月17日 - 199… 吉本真二(よしもと しんじ、1909年7月17日 - 1996年2月26日)は日本の大蔵官僚。大臣官房調査企画課専門調査員、中小企業金融公庫監事、国立国会図書館専門調査員などを歴任した。 大阪府出身。1931年10月 高等試験行政科に合格。東京帝国大学経済学部経済学科卒業。1932年 大蔵省入省。理財局属。1934年2月 宇治山田税務署長。1948年7月5日 理財局調査部次長。1949年6月1日 大臣官房調査部専門調査員。1952年8月1日 大臣官房調査課専門調査員。1961年12月31日 退官、中小企業金融公庫監事。1972年4月 国立国会図書館専門調査員。1996年2月26日 心不全で死去。
中島征帆(なかじまゆきほ、1909年6月13日 - 1979… 中島征帆(なかじまゆきほ、1909年6月13日 - 1979年4月1日)は日本の通産官僚。 佐賀県佐賀郡新北村寺井津(現在の佐賀市諸富町寺井津)生まれ。佐賀県立佐賀中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学に進学。 1932年、東京帝国大学経済学部卒業後、商工省工務局に入省。化学局合成課、軍需省整備局整備課長、燃料局石油課長、経済安定本部動力局次長、福岡商工局商工部長、石炭庁開発局長、資源庁石炭管理局長、大阪通商産業局長などを務めた。
佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 19… 佐々木 義武(ささき よしたけ、1909年4月3日 - 1986年12月13日)は、日本の政治家、官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(9期)、科学技術庁長官・通商産業大臣を歴任した。 秋田県河辺郡河辺町(後の秋田市)生まれ。秋田中学(後の秋田県立秋田高等学校)時代は野球部員として甲子園出場の経験がある。1933年東京帝国大学経済学部を卒業後、南満州鉄道に入社し、調査部に配属される。その後興亜院に転じ、ここで大蔵省出身の大平正芳、農林省出身の伊東正義らと知り合い、第二次世界大戦後も「九賢会」と称する会合を持って交流を深めた。以後企画院、大東亜省、内閣調査局にて調査官を歴任した。 戦後の1947年、経済安定本部に転じ、初代経済復興計画室長として、傾斜生産方式による政策の遂行に辣腕を振るった。
桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月1… 桂 珖淳(ケ・グァンスン、朝鮮語: 계광순、1909年2月16日 - 1990年3月19日)は、日本統治時代の朝鮮の官僚、警視、韓国の政治家、実業家。第4・5・6代韓国国会議員。本貫は遂安桂氏。 平安北道宣川郡に生まれた。1931年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、翌年に高等文官試験行政科に合格した。 1931年に春川郡庶務課・江原道内務部地方課勤務、1932年に淮陽郡庶務係勤務、1933年に江原道警務課勤務、1934年に平康郡守・坡州郡守、1936年に咸鏡南道警察部保安課長警視、1937年に拓務省殖産局事務官、1940年に朝鮮総督府学務局社会教育課長、同年に国民総力朝鮮連盟参事、1943年に江原道内務部長、1944年に平安北道内務部長、同年に朝鮮勤労動員援護会平安北道支部理事を歴任した。
村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 … 村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1988年〈昭和63年〉1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。初代京都府警本部長、初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障の創業者で、社長・会長。 東京出身。東京高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事。 敗戦後は、青森県警察部長を務めている最中に吉田茂に才気を見出され、第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官に抜擢されるも、のちに内務省に戻り、廃止された特高警察の代わりとして設立された、内務省警保局公安一課(公安警察)の課長として、情報関係業務に従事。
古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年… 古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。
高城 元(たかぎ はじめ、1909年 <明治42年> 1月4… 高城 元(たかぎ はじめ、1909年 <明治42年> 1月4日 - 1989年 <平成元年> 11月15日)は、日本の官僚、経営者。商工組合中央金庫理事長を務めた。 東京都出身。1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、高文行政科にも合格。通商産業省東京通産局長、日本商工会議所、東京商工会議所各専務理事を経て、1967年11月から1975年11月までに商工組合中央金庫理事長を務めた。1976年には日刊工業新聞社社長に就任し、1978年12月に会長を経て、1980年には相談役に退いた。 1972年9月に藍綬褒章を受章し、1979年5月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年11月15日老衰のために死去。
山地八郎(やまじ はちろう 1908年10月1日 - 199… 山地八郎(やまじ はちろう 1908年10月1日 - 1999年6月9日)は、日本の元商工・通産官僚。長崎県南高来郡口之津町出身。
平原 浩哉(ひらはら こうさい、1908年(明治41年)9月… 平原 浩哉(ひらはら こうさい、1908年(明治41年)9月27日 - 1992年(平成4年)10月7日[要出典])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。 日本統治時代の台湾、台北庁生まれ。台北第一中を経て、第七高等学校造士館を卒業。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、鹿児島県属となる。1935年(昭和10年)10月、高等試験行政科試験に合格。1937年(昭和12年)台湾総督府属に転じる。1940年(昭和15年)1月、地方理事官に進み、台南州北門郡守に就任。 ついで殖産局商工課勤務、企画部労務課勤務、高雄州総務部教育課長などを歴任した。
荻田 保(おぎた たもつ、1908年 <明治41年> 9月2… 荻田 保(おぎた たもつ、1908年 <明治41年> 9月2日 - 2003年 <平成15年> 4月9日)は、日本の内務官僚。位階は従三位。 三重県生まれ。東京帝国大学法学部法律学科卒業。東京帝大在学中の1930年10月、高等試験行政科試験に合格。1931年4月に内務省に入省。東京府内務部地方課属。1948年1月7日に地方財政委員会事務局長。1949年6月に地方自治庁財政部長。同年12月に地方自治庁次長となり、1950年5月30日からは再び地方財政委員会事務局長。1952年7月に地方財政審議会委員となり、1967年10月に公営企業金融公庫総裁。1976年11月から1979年11月まで地方財政審議会会長。
石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29… 石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29日 - 1981年〈昭和56年〉9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。位階は正三位。勲章は勲一等瑞宝章。 参議院議員(2期)、鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)を務めた。 第102-103代内閣総理大臣、第28代自由民主党総裁である石破茂の父。 太宰治、永井荷風の著作物を好む。 田中角栄元首相は友人である。安田貞栄境港市長(第3代)が石破に「あなたは元気である限り、本県県政を担当願うことが県民のためになると思う。それほどあなたを高くかっておるが東京では(自民党の)田中派に属しておることが釈然としませんね」と言った時「君は田中という人を知らんからだ。
上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)… 上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の内務官僚、航空自衛官、実業家である。初代航空幕僚長。位階は従三位。 1908年(明治41年)7月18日、兵庫県で陸軍中将・上村良助の長男として生まれる。東京府立四中、旧制一高卒業。府立四中、一高同期に河野一之、佐々木直がいる。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業し、内務省に入省。秋田県属。1944年(昭和19年)8月、警視庁官房主事。1945年(昭和20年)4月、警視庁特別高等警察部長に就任。 1952年(昭和27年)9月、保安庁長官官房長。1954年(昭和29年)7月、初代航空幕僚長に就任。
山田 精一(やまだ せいいち、1908年6月19日 - 1… 山田 精一(やまだ せいいち、1908年6月19日 - 1991年2月13日)は、日本の官僚。公正取引委員会委員長を務めた。 東京都出身。1931年に東京帝国大学法科を卒業し、同年に日本銀行に入行。 1959年6月から1966年6月までに理事を務め、1967年8月から1969年11月までに公正取引委員会委員長を務めた。公正取引委員会委員長在任時には、八幡製鉄と富士製鉄との合併を一部部門の分離を条件に認定した。 1978年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1991年2月13日呼吸不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)3月1… 前田 利建(まえだ としたつ、1908年(明治41年)3月17日 - 1989年(平成元年)9月19日)は、日本の宮内官僚、華族(侯爵)。旧加賀藩前田家第17代当主。 第16代当主・前田利為の長男で、母は渼子(前田利嗣長女)。父の戦死に伴い1943年(昭和18年)1月15日、家督を継承し侯爵を襲爵。同日、貴族院侯爵議員に就任し、火曜会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。 1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業した。1936年(昭和11年)宮内省に入省し式部官兼主猟官に就任。以後、兼内大臣秘書官、帝室博物館嘱託、臨時内大臣府御用掛なども務めた。 1947年(昭和22年)10月29日、金沢市に昭和天皇の戦後巡幸が行われた際には、前田家の成巽閣が宿泊所となった。
石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3… 石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3月14日 - 1989年(平成元年)4月14日)は、日本の官僚、歴史学者。行政管理庁行政管理局長、法学博士。 兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町)で、石川伊兵衛の四男として生まれる。第一高等学校を卒業。1932年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。1935年10月、高等試験行政科試験に合格。1936年、内閣に入り内閣調査局属となる。 以後、企画庁属、企画院事務官・内政部勤務、地方事務官・富山県勤務、埼玉県地方課長、同商工課長、奈良県地方課長兼振興課長、静岡県官房主事、企画院調査官、軍需省軍需官などを歴任。 戦後、東北地方行政事務局第一兼第二部長、宮城県経済部長、大阪管区経済調査庁査察部物資課長、東京管区監察局第二部第二課長、岡山地方監察局長、名古屋管区行政監察局第二部長、行政管理庁行政監察局監察審議官などを歴任し、1963年12月、行政管理庁行政管理局長に就任。
奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月2… 奥田 豊三(おくだ とよぞう、1908年(明治41年)1月20日 - 1983年(昭和58年)10月7日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師、内務官僚。第2代国土地理院長を務めた。 富山県富山市出身。第四高等学校理科甲類から1933年(昭和8年)3月31日東京帝国大学理学部天文学科学士試験合格後、東京天文台を経て、1942年(昭和17年)11月10日陸軍技師(高等官六等)に任官し陸地測量部付となる。 終戦を受け陸地測量部解体後、地理調査所を経て、1952年(昭和27年)理学博士(東京大学)、1961年(昭和36年)4月1日国土地理院長に就任。1962年(昭和37年)10月1日に国土地理院長を退官後は緯度観測所長、日本天文学会理事長、日本地図調製業協会会長を務めた。
数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月… 数山 英一(かずやま えいいち、1908年〈明治41年〉1月18日 - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚。 数山定太郎の二男として山口県下関市に生まれる。広島高等学校を卒業。1930年(昭和5年)4月、東京帝国大学法学部法律科(英法)を卒業し、同年10月高等試験行政科および司法科に合格。同大大学院に進んだのち、1932年(昭和7年)6月に台湾総督府に奉職する。文教局学務課勤務を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任した。 ついで支那に転じ、興亜院調査官廈門連絡部勤務を経て、1942年(昭和17年)11月、大使館三等書記官となった。 戦後、丸善化成監査役を務めた。
石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月1… 石谷 憲男(いしたに のりお、1908年(明治41年)1月10日 - 1966年(昭和41年)9月20日)は、昭和期の農林官僚、政治家。林野庁長官、参議院議員。鳥取県会議長を務めた石谷源蔵の孫。 鳥取県八頭郡智頭町出身。 1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部卒業後、農林省に入り、秋田営林局を最初に一貫して林政に努め、鳥取営林署長も務めた。以後、経済安定本部林産課長、林野庁計画課長、同業務部長などを歴任。1955年(昭和30年)11月、林野庁長官に就任し1958年(昭和33年)6月まで在任した。 1959年(昭和34年)6月、第5回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で立候補して当選し1期在任。
小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月1… 小林 国司(こばやし くにじ、1908年(明治41年)1月10日 - 1993年(平成5年)7月9日)は、昭和期の農業技術者、農林官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 鳥取県出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学農学部農業土木科を卒業。農林省に入り、農地局設計課長、同建設部長、北陸農政局長、八郎潟新農村建設事業団理事、全国土地改良事業団連合会副会長などを歴任した。 1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で全国区から自由民主党公認で立候補して初当選。1974年(昭和49年)7月の第10回通常選挙(全国区、自由民主党公認)でも再選され、参議院議員を連続2期務めた。1980年(昭和55年)の第12回通常選挙には立候補しなかったが、翌1981年(昭和56年)11月、石破二朗の死去に伴う第12回通常選挙鳥取県地方区補欠選挙に自民党公認で立候補して当選し。
大森 寛(おおもり かん、1908年(明治41年) - 20… 大森 寛(おおもり かん、1908年(明治41年) - 2002年(平成14年)6月18日)は、青森県出身の旧内務省官僚及び陸上自衛官。東京帝国大学昭和5年度卒業。第4代陸上幕僚長。息子に大森義夫(内閣情報調査室長)、大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使)。旧姓・石岡。
藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年〈明治40年〉12… 藤枝 泉介(ふじえだ せんすけ、1907年〈明治40年〉12月3日 - 1971年〈昭和46年〉6月6日)は、日本の政治家、内務官僚。 衆議院副議長(第48代)、自治大臣(第13・14代)、国家公安委員会委員長(第22・23代)、運輸大臣(第34代)、防衛庁長官(第14代)、総理府総務長官(第4・5代)、衆議院議員(8期)などを歴任した。 「船田三兄弟」の末弟。長兄は第51・56代衆議院議長の船田中、次兄はローマ法学者の船田享二。所属政党は民主自由党→自由党→日本民主党→自由民主党。自民党での所属派閥は岸信介派→川島正次郎派→椎名悦三郎派(十日会→交友クラブ)。 1907年(明治40年)、船田兵吾の三男として栃木県宇都宮市に生まれる。