春日 學 (かすが まなぶ、1915年(大正4年)12月19… 春日 學 (かすが まなぶ、1915年(大正4年)12月19日 - 1993年(平成5年)2月5日)は、昭和期の音楽家であり、全日本吹奏楽連盟理事長、日本吹奏楽指導者協会会長を務めた。名が 学 と表記されることもある。 大正4年(1915年)、長野県伊那市に生まれる。 昭和7年(1932年)横須賀海兵団軍楽隊入隊。チューバを担当する。昭和12年(1937年)海軍省委託学生として東京音楽学校(現東京芸術大学)で学び、昭和14年(1939年)修了。その後も昭和18年(1943年)まで学び続ける。昭和20年(1945年)横須賀海兵団軍楽隊の教官(階級は海軍軍楽兵曹長)で終戦を迎える。 戦後、昭和28年(1953年)に大臣官房人事部の技術嘱託職員として郵政省に採用され、郵政中央吹奏楽団の指揮者に就任し、昭和38年(1963年)まで指導する。
藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月2… 藤井 典明(ふじい のりあき、1915年(大正4年)11月26日 - 1994年(平成6年)11月17日)は、日本の声楽家(バリトン、一部にテノールとなっているものも存在する)、合唱指揮者、音楽教育者。名前の読みをテンメイとしている資料もある。 広島県出身。1940年(昭和15年)東京音楽学校卒、1942年(昭和17年)東京音楽学校研究科修了。 1940年(昭和15年)読売新人演奏会でデビュー。オペラでは、藤原歌劇団を中心に、バリトン歌手として出演するとともに、1947年(昭和22年) - 1955年(昭和30年)藤原歌劇団合唱部の指導にあたった。オペラの公演に関わった記録は66回に及ぶ。 音楽教育面では、1940年(昭和15年)東京音楽学校教師。
辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 199… 辻 光典(つじ みつのり、1915年11月11日 - 1992年9月17日)は、日本の漆芸家。日展参事。日展出品作「装飾画、雲連作の六『クノサス』」により日本芸術院賞を受賞した。 旧満洲ハルビン市に生まれる。青山学院を経て、1939年に東京美術学校工芸科漆工部を卒業した。在学中の1938年、春台美術展に「文庫」、光風会展に「花器」で初入選した。翌年には実在工芸展に出品し、新工芸運動にも参加した。 1940年に東京都工芸展「蛾の踊り」で知事賞を受賞し、1943年には光風会会員となった。戦後は1948年に型々工芸、1950年には洋和会を主宰し、建築物と結びついた壁面装飾に漆工家としての新しい方向を求めた。
坂東 文夫(ばんどう ふみお、1915年(大正4年)9月28… 坂東 文夫(ばんどう ふみお、1915年(大正4年)9月28日 - 2006年(平成18年)5月2日)は、日本の彫刻家。元徳島大学教授。徳島県鳴門市出身。東京美術学校彫刻科(現在の東京藝術大学)卒業。 東京美術学校彫刻科(現在の東京藝術大学)卒業。徳島大学教授を歴任。徳島県の彫刻に大きな発展を貢献したとされ、1985年(昭和60年)に徳島県文化賞を受賞。 2006年(平成18年)5月2日に急性心不全のため徳島市の病院で死去。享年90。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎす… 工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎすけ)、1915年7月30日 - 2011年7月29日)は、日本の画家、日本画家。創画会会員。東京芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授。 青森県弘前市出身。1934年に上京し、翌年から川端画学校日本画科に入学。岡村葵園や福田豊四郎に師事した。1962年、弘前市から神奈川県平塚市に転居。1971年東京芸術大学助教授、1978年同教授。1983年定年退官後、名誉教授。1988年、沖縄県立芸術大学客員教授。2002年、神奈川県庁に飾られていた工藤の作品が盗難の被害に遭った。2011年7月29日、老衰のため神奈川県平塚市で死去。95歳没。 自然の昆虫や小動物、植物の葉などを繊細な描線で描き、その周りを群青などの単色の岩絵具で色面を大きく取り、装飾的に感じるような構図が特徴とされる。
奥田 智重子(おくだ ちえこ、1915年(大正4年)6月23… 奥田 智重子(おくだ ちえこ、1915年(大正4年)6月23日 - 2006年(平成8年)3月6日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。本名:久本 智重子(ひさもと ちえこ)。 千葉県千葉市出身。1937年(昭和12年)東京音楽学校本科卒業。1939年(昭和14年)同校研究科修了。世代柄『此の決意』(テイチク1943年2月新譜、東海林太郎・奥田智重子)等の軍歌の録音もある。 1949年(昭和24年)東京でリサイタル・デビュー。1953年(昭和28年)渡独、フライブルク音楽大学で学ぶ。1955年(昭和30年)同大学卒業。1955年(昭和30年) - 1958年(昭和33年)同大学マイスターコース修了。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日… 小杉 二郎(こすぎ じろう、1915年(大正4年)3月25日 - 1981年(昭和56年)2月17日)は、日本のインダストリアルデザイナー。東洋工業(現在のマツダ)の乗用車やトラック、新三菱重工業(現在の三菱重工業)のスクーター、蛇の目ミシン工業のミシンなどのデザインを手がけ、日本のインダストリアルデザイナー第一世代を代表する人物として知られる。没後38年を経た2019年(令和元年)11月、日本自動車殿堂の2019年度の殿堂者に選出された。 父は洋画家の小杉放庵、兄は美術史学者の小杉一雄、甥には洋画家の小杉小二郎(一雄の子)がいる。 1915年(大正4年)、東京市滝野川区にて洋画家である父・小杉放庵(国太郎)と母・ハルの二男として生まれる。
鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 198… 鈴木 新夫(すずき あらお、1915年3月17日 - 1980年5月10日)は、日本の洋画家。主に具象画の制作を行った。
松田 トシ(まつだ トシ、1915年3月7日 - 2011年… 松田 トシ(まつだ トシ、1915年3月7日 - 2011年12月7日)は、日本の歌手、声楽家(声域はソプラノ)。松田敏江の芸名でも活動した。 神奈川県横浜市出身。東京音楽学校本科卒業。在学中は長坂好子、マリヤ・トルに師事。卒業後、日本大学芸術科や東京女子体操音楽学校の講師となる。 1936年、NHKにおいて「フォーレ歌曲」を初放送。その後は国民歌謡で、「蘭花の頌」「満州帝国皇帝陛下奉迎国民歌」「日本婦人の歌」を放送。戦後もラジオ歌謡で「白鳥の歌」「ブンガワン・ソロ」など吹込みヒットさせた。 1949年8月からは、NHKで放送開始した『うたのおばさん』に約15年間出演。安西愛子と共に「うたのおばさん」として親しまれた。
山本 恪二(やまもと かくじ、1915年(大正4年)2月18… 山本 恪二(やまもと かくじ、1915年(大正4年)2月18日 - 2000年(平成12年)3月5日)は、昭和から平成期前半の彫刻家。京都市立美術大学名誉教授。 滋賀県生まれ。旧制中学2年の時にギリシャ彫刻の写真を見て、彫刻家になることを志したと言われる。1933年、東京美術学校彫刻科彫塑部に入学した。 1940年、第5回新制作派展に初入選するが、戦争に徴用される。戦後実家に戻り1947年から1949年まで京都市立美術専門学校(京都市立芸術大学の前身)、1950年から1980年まで京都市立美術大学・京都市立芸術大学、その後は大手前大学・神戸山手女子短期大学芸術科で彫刻の指導を行った。なお、この間1958年から1960年までパリに留学(パリ・エコール・デ・ボザール)しマルセル・ジモンとユーベル・ヤンセンに就いて学んだ。
吉賀 大眉(よしか たいび、1915年2月8日 - 1991… 吉賀 大眉(よしか たいび、1915年2月8日 - 1991年10月13日)は、陶芸家。文化功労者。 山口県萩市出身。本名は寿男。東京美術学校彫刻科卒。萩焼作家協会会長、山口芸術短期大学教授を務めた。1971年日本芸術院賞受賞。1982年日本芸術院会員。1986年勲三等瑞宝章、1990年文化功労者。墓は山口県萩市大井の周鷹寺の墓地にある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
多 久興(おおの ひさおき、1915年(大正4年)2月5日 … 多 久興(おおの ひさおき、1915年(大正4年)2月5日 - 1979年(昭和54年)11月17日)は、日本のヴァイオリニスト。元東京芸術大学音楽学部教授。徳島文理大学客員教授。 東京音楽学校卒業。東京都出身。父はヴァイオリニストの多久寅。 東京都出身。東京音楽学校の教授でヴァイオリニストである多久寅の子として生まれ、弟の多久尚もヴァイオリニストである。 1937年(昭和12年)に東京音楽学校を卒業し、1938年(昭和13年)の第6回日本音楽コンクールで第3位となる。 また東京藝術大学で教鞭を執り、同大学の教授を務めたほか、徳島文理大学の客員教授も務めた。 1979年(昭和54年)11月17日、死去。
二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 201… 二葉 あき子(ふたば あきこ、1915年2月2日 - 2011年8月16日)は、日本の女性歌手。 広島駅のすぐ北側、広島県広島市大須賀町二葉(現在の東区二葉の里)出身で、芸名は二葉の里で安芸の国と地元からとる。本名は加藤芳江。 広島県立広島高等女学校(現在の広島県立広島皆実高等学校)を経て、1935年、東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)師範科卒業。音楽学校在籍中、東京音楽学校の奏楽堂で同校期待の増永丈夫の美しいバリトンを聴いて感銘を受ける。その増永丈夫はすでに藤山一郎として流行歌手として名をなしていた。 レコードデビューは、在学中にコロムビアで吹込んだ教育レコード。卒業後、地元の広島の三次高等女学校(現在の広島県立三次高等学校) で教鞭をとる。
大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年〈大正4年〉1月1… 大橋 史典(おおはし ふみのり、1915年〈大正4年〉1月10日 - 1989年〈平成元年〉9月20日)は、日本の俳優、特殊技術専門の造形家、スーツアクター、特技監督、映画監督であり、日本特撮株式会社(日本特撮K.K.)の元代表取締役。本名は大橋 幸利(おおはし ゆきとし)。旧芸名は大橋 行利(読み同じ)など。 1915年(大正4年)1月10日、愛媛県に生まれる。東京美術学校(現在の東京藝術大学)彫刻科を卒業。 1935年(昭和10年)、松竹蒲田撮影所の演出課に入り、映画俳優、小津安二郎、島津保次郎の助監督としてキャリアをスタートさせ、キャメラマンも経験した。その後、末期の市川右太衛門プロダクションに関わる。
北村 治禧(きたむら はるよし、1915年1月1日 - 20… 北村 治禧(きたむら はるよし、1915年1月1日 - 2001年8月21日)は、日本の彫刻家、日本芸術院会員。長崎県出身。父は北村西望、妻路子(大正12年生まれ)は柿原万蔵(秩父鉄道社長)の二女。 父西望は曠原社を率いると、1922年(大正11年)、西ケ原に彫刻研究所を開いた。1953年(昭和28年)に父が当時の滝野川区から東京都武蔵野市にアトリエと住まいを移すと、北村治禧がひとりで創作を続け、1983年(昭和58年)に建て替えた。東京都北区は治禧の没後、2002年にアトリエを受贈し、寄託された作品とともに「(仮称)彫刻アトリエ館」として定期的に公開している。 主な執筆者、編者の順。
吉田 耕三(よしだ こうぞう、1915年 - 2013年)は… 吉田 耕三(よしだ こうぞう、1915年 - 2013年)は、日本の美術評論家。 神奈川県横浜市出身。日本画家の速水御舟の甥。御舟から日本画を学び、御舟の日本画の鑑定人を務める。現代陶芸の旗手といわれた加守田章二の才能を認める。陶芸の公募展・日本陶芸展創設を企画する。 東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科卒業。復員後、世界的な陶磁学者で陶芸家・小山富士夫の助手となり、その後、東京帝室博物館(現・東京国立博物館)陶磁器主任で、陶磁器の批評と収集の天才といわれる北原大輔、人間国宝・荒川豊蔵、百五銀行頭取で陶芸作家・川喜田半泥子から焼き物に関する学問と技術を学ぶ。北大路魯山人の弟子でもある。 東京国立近代美術館の創立時から勤務して日本画と工芸を担当し、総括主任研究官などを歴任。
若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4… 若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4月23日)は、日本のピアニスト。2010年現在95歳を迎えた時点でも、ピアノ指導に従事。教え子の数は1000人を超える。指揮者小林研一郎を見出した。アザミ会・アートスペースエリコーナ主宰。夫は画家の若松光一郎。
野口 三千三(のぐち みちぞう、1914年〈大正3年〉11月… 野口 三千三(のぐち みちぞう、1914年〈大正3年〉11月16日 - 1998年〈平成10年〉3月29日)は、野口体操の創始者。東京芸術大学名誉教授。群馬県北群馬郡駒寄村(現・吉岡町)出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 -… 三宅 洋一郎(みやけ よういちろう、1914年11月8日 - 1994年8月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト、合唱指揮者、フェリス女学院短期大学名誉教授。 長年にわたり日本女声合唱団の指導にあたるとともに、フェリス女学院短期大学学長などを務めた。 熊本県に生まれたが、間もなく神奈川県横浜市へ移った。東京音楽学校に学び、ケルン音楽大学へ留学した。1941年からフェリス女学院(戦時下では「横浜山手女学院」)で教鞭を執り、専門学校音楽科を開設する際には團伊玖磨とともに中心的な役割を果たし、戦後における短期大学音楽科への昇格でも中心となって、後の大学音楽学部への発展の基礎を築いた。 1969年には第18回横浜文化賞を受賞し、1978年には第27回神奈川文化賞を妻である三宅春恵とともに受賞した。
酒井 弘(さかい ひろむ、1914年(大正3年)11月3日 … 酒井 弘(さかい ひろむ、1914年(大正3年)11月3日 - 1996年(平成8年)12月9日)は、昭和期の歌手。 兵庫県丹波篠山市出身。大阪音楽学校、武蔵野音楽学校中退後、1935年(昭和10年)に東京音楽学校に入学する。同校卒業後、テノール歌手として活躍。1937年(昭和12年)3月、ポリドールから「春の感傷」でレコードデビュー。その際は三村博という変名であった。その後、コロムビアレコードに移籍し、代表曲は「戦友の遺骨を抱いて」(この曲は各社競作)、「比島決戦の歌」、「あゝ紅の血は燃ゆる」、「僕は空へ君は海へ」など戦時歌謡中心である。戦後は東京芸術大学で助教授を務める。1982年(昭和57年)まで同校に勤務し、「発声の技巧とその活用法」などの著書のほか「日本歌曲の歌い方と日本語の発音」などの著書も発表した。
鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2… 鈴木 共子(すずき きょうこ、1914年10月22日 - 2002年8月11日)は、東京生まれのヴァイオリニストである。 1935年、東京音楽学校本科器楽部ヴァイオリン専攻を卒業。1936年、時事新報社主催の第5回音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)で第2位となる。1938年~1940年、フランスに留学、ボリス・カメンスキー(英語版)に師事した。1949年、第1回毎日音楽特別賞を受賞。1961年の桐朋学園大学創立以来教授を務めた。2002年5月、「米寿を祝うコンサート」が開かれ、教え子である古澤巌、渡辺玲子、荒井英治、植村理葉、植村菜穂、西野優子などが出演した。同年8月、脳梗塞のため87歳で亡くなった。
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、19… 若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者。 「大地の歌」。グスタフ・マーラーの「大地の歌」を聞きながら、チベットの古代壁画のイメージで描いた150号超を3枚組み合わせた大作である。 東京国立近代美術館、福島県立美術館、いわき市立美術館、郡山市美術館、そしてアートスペースエリコーナに彼の作品が置かれている。
岡田 又三郎(おかだ またさぶろう、1914年8月2日 - … 岡田 又三郎(おかだ またさぶろう、1914年8月2日 - 1984年3月2日)は、昭和期の洋画家、日展理事。東京都出身。荒削りの大胆な技法で背景の省略された処理の巧みさと、伝統的な写実性を兼ね備えた風格ある画風が特徴。岡田三郎助、浦和画家の寺内萬治郎に師事。1965年にフランスのサロン・ドートンヌで日本人初の金賞を受賞、フランス政府から芸術勲章を授与された。 親しい友人に、三木武夫がいる。
浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日… 浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日 - 2007年(平成19年)1月9日)は、日本の音楽教育学者。 東京出身。1941年東京音楽学校甲種師範科卒。1941年福井県鯖江師範学校、42年8月青山師範学校(のち東京第一師範学校)教授、1949年東京都教育庁指導主事、56年文部省教科書調査官、1965年東京芸術大学講師、助教授、教授、音楽学部長。1983年名誉教授、武蔵野音楽大学教授。90年春、勲三等旭日中綬章受勲。
松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 -… 松本 民之助(まつもと たみのすけ、1914年7月11日 - 2004年3月15日)は、日本の作曲家、教育者。東京藝術大学名誉教授。 1936年(昭和11年)東京音楽学校甲種師範科卒業。下総皖一に作曲、伊藤武雄に声楽、福井直俊にピアノを師事する。1936年 (昭和12年) ベルリンオリンピックの芸術競技で佳作入選。1938年(昭和14年)交響曲『文覚』がワインガルトナー賞優等賞受賞。作曲家の松本日之春、松本清は息子。弟子に坂本龍一や嵐野英彦、赤石敏夫らがいる。東京芸術大学音楽学部附属高等学校で松本に師事した奥慶一によれば「非常に熱心かつ厳格」という人物評がある。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
大村 政夫(おおむら まさお、1914年6月23日 - 19… 大村 政夫(おおむら まさお、1914年6月23日 - 1998年2月11日)は、日本の彫刻家。高等学校美術科教諭、高校野球指導者。日展特選2回。日展参与を務めた。 東京都京橋区東湊町に生まれる。伊豆豆陽中学卒業。1940年3月、東京美術学校彫刻科卒業。同年12月、応召従軍。1949年、静岡県立静岡城内高等学校奉職。1951年、静岡県立静岡商業高等学校非常勤講師奉職。1963年、静岡商業高校非常勤講師退任。1968年第11回日展・1969年改組第1回日展において特選(2年連続)。1975年、静岡高校退職。 1949年から1975年の間、静岡高校で多くの後進を育てた。薮崎昭は画家を目指し大村に相談したところ「『よし、明日からやろう』と言われ、石膏デッサンが始まった。
杉全 直(すぎまた ただし、1914年3月26日 - 199… 杉全 直(すぎまた ただし、1914年3月26日 - 1994年1月23日)は、日本の洋画家。浦和画家。元東京芸術大学教授、多摩美術大学教授。東京都品川区出身。 洋画家であるが、東京美術学校系統のシュルレアリスムのグループで目立った活動をしていた「貌」に参加し、平面作品のみではなく、立体作品を中心に制作した時期もある。現代日本美術展、日本国際美術展などで優秀賞を受賞し、日本の抽象絵画をリードする一人となった。 2021年1月9日から3月28日まで三重県立美術館にて「ショック・オブ・ダリ ― サルバドール・ダリと日本の前衛」展が開催されサルバドール・ダリに影響を受けた日本の作家として杉全直他、 靉光、浅原清隆、池田龍雄、石井新三郎、小牧源太郎、斎藤長三、島津純一、白木正一、高山良策、難波架空像(香久三)、浜田浜雄、早瀬龍江、尾藤豊、福沢一郎、藤田鶴夫、古沢岩美、森堯之、矢崎博信、山下菊二、山本昌尚、吉井忠、米倉壽仁、渡辺武の24人とダリの作品が展示され、同年4月24日から6月27日まで諸橋近代美術館でも同展覧会が開催された 。
佐治 賢使(さじ ただし、1914年〈大正3年〉1月1日 -… 佐治 賢使(さじ ただし、1914年〈大正3年〉1月1日 - 1999年〈平成11年〉6月14日)は、漆芸家。岐阜県多治見市出身。本名は正。市川市名誉市民。位階は従三位。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年 - 1998年)は、… 金子 徳衛(かねこ とくえ、1914年 - 1998年)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家の一人。 兄は元蕨市市長の金子吉衛。浦和中学校(現:埼玉県立浦和高等学校)卒業後、東京美術学校油画科に入学。同級生には藤本東一良、柳宗理、1年先輩に渡辺武夫がいた。1947年の第三回日展では、審査員であり師の寺内萬治郎(同じく浦和画家)の肖像画「T先生の像」を出品し、特選を受賞した。また、萬治郎も弟子の金子の肖像画「画家K君の像」を展示し、師弟が互いの肖像画を展示するというのは文展以来の歴史の中でも無く、話題となった。作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
香取 みほ子(かとり みほこ、1914年(大正3年) - 2… 香取 みほ子(かとり みほこ、1914年(大正3年) - 2001年(平成13年))は、昭和期の歌手。本名は小島チエ(旧姓:大蔵)。 東京出身。東洋英和女学校卒業後に東京音楽学校に入学。荻野綾子とヘルマン・ヴーハープフェニッヒに声楽を師事し、1937年(昭和12年)3月に同校本科声楽部(ソプラノ)を卒業。その後、コロムビアレコードから歌手デビューした。「愛国行進曲」や「紀元二千六百年」の吹き込みに参加する。 2001年、88歳で死去した。命日は明らかになっていない。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1… 熊田 為宏(くまだ ためひろ、1913年10月20日 - 1993年)は、日本の作曲家、フルート奏者。 福島県出身。下総皖一と山口正男に師事し、1941年3月に東京音楽学校甲種師範科を卒業。富山師範学校教諭、土浦高等女学校教諭、NHK仙台放送合唱団・管弦楽団常任指揮者、山形大学音楽科、宮城学院女子大学にて教鞭を取る。日本指揮者協会会員、日本フルート協会理事を歴任。NHKラジオのインターバルシグナル音楽を作曲。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(… 富永 直樹(とみなが なおき、本名 富永 良雄、1913年(大正2年)5月18日 - 2006年(平成18年)4月11日)は、日本の彫刻家、三洋電機の工業デザイナー。長崎県長崎市生まれ。叙従三位。 東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑像部首席卒業。同校では北村西望、朝倉文夫、建畠大夢が教鞭をとっており、特に北村西望に師事した。〈在学中の1936年(昭和11年)に日展の前身、文展に「F子の首」(長崎県美術館蔵)にて初入選して以来、日展を主な舞台に活躍した。1950年(昭和25年)から1952年(昭和27年)にかけ、3年連続で日展の特選を受賞〉。同研究科卒業。 1972年(昭和47年)日本芸術院賞受賞。
小野 忠弘(おの ただひろ、1913年3月3日 - 2001… 小野 忠弘(おの ただひろ、1913年3月3日 - 2001年8月5日)は、日本の美術家、造形作家。1959年、米国『LIFE』誌が特集した「ジャンク・アート世界の7人」に選ばれた。青森県弘前市出身。 1931年、青森県立弘前工業学校土木科を卒業した。1938年、東京美術学校彫刻科を卒業した。在学中、鳥海青児のアトリエに出入りするようになり、油彩画を描きはじめた。大学卒業後徳島県立富岡中学校に赴任し、図画担当教員をしながら春陽会に出品を続けた。1942年、(旧制)福井県立三国中学校に転任した。1944年、三国町へ疎開していた詩人の三好達治と交流したり、1946年、同郷の版画家、棟方志功(青森市出身)と同じ下宿になったことがある。
萩原 英雄(はぎわら ひでお、1913年〈大正2年〉2月22… 萩原 英雄(はぎわら ひでお、1913年〈大正2年〉2月22日 - 2007年〈平成19年〉11月4日)は、日本の画家、版画家。油彩画、現代木版画などを描く。 1913年(大正2年)2月22日、山梨県甲府市相生町(現在の甲府市宝一丁目)に生まれる。父は元治郎・母は「ふじ」、英雄は元治郎の次男。父の元治郎は警察署長を務め、蔵書家としても知られ、現在の山梨県笛吹市境川町の出身である俳人の飯田蛇笏(いいだ だこつ)とも親交があった。 1920年(大正9年)、元治郎は日本統治下の朝鮮・定州の警察署長として単身赴任し、翌1921年(大正10年)には家族を呼び寄せ英雄も朝鮮へ渡る。1929年(昭和4年)には単身で日本へ帰国し、東京の日本大学第二中学校(現・日大二高)に編入する。
小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月… 小池 岩太郎(こいけ いわたろう、1913年(大正2年)2月22日 - 1992年(平成4年)7月21日)は、日本の美術教育者、インダストリアルデザイナーである。東京府(現・東京都)出身。 東京美術大学(現在の東京芸術大学)卒業後、地方公務員として福岡県庁に勤務する。その後東京に戻り商工省(現在の経済産業省)に入省し、工芸指導所にて技手として活動した。1947年(昭和22年)には古巣の東京芸術大学にて助教授として復帰し、1965年(昭和40年)に教授に昇格する。1980年(昭和55年)に退職後は、同大学の名誉教授に選出され、同時期に池を中心に複数のデザイナーと共にGKデザイングループを結成し、日本酒「大関」のボトルデザインやオートバイ、レコード、家庭用品等幅広いデザイン設計に携わった。
山本 秀(やまもと みのる、1913年2月9日 - 1996… 山本 秀(やまもと みのる、1913年2月9日 - 1996年10月5日)は、日本の作曲家。おもに「ひろしま平和の歌」の作曲者として知られる。 広島県出身。1936年、東京音楽学校 (旧制)(東京芸術大学音楽学部の前身)甲種師範科を卒業し、前橋市高等家政女学校(前橋市立前橋高等学校の前身)の教師となり、その後、広島県師範学校に勤め、学制改革を経て1951年からは広島大学教育学部東雲分校勤務となって、停年退官まで在職した。 山本は、地域の音楽教育関係組織である広島教育音楽連盟や広島中等教育音楽協会でも活動していた。 山本の専門は音楽教育で、音楽科の教員養成課程の学生のために多数の教科書類やピアノ教本の編集にあたり、他方では「音痴」の子どもへの歌唱指導法などについて、研究論文を発表した。
由利 あけみ(ゆり あけみ、1913年(大正2年)1月28日… 由利 あけみ(ゆり あけみ、1913年(大正2年)1月28日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、昭和期の歌手、声楽家(メゾソプラノ、アルト歌手)。本名・窪谷梅子(旧姓・加藤)。 広島県出身。高等女学校卒業後、建築家を目指して日本女子大学に進むが、兄の勧めで東京音楽学校を受験して合格、同校卒業。卒業後は女学校の教師になるが、歌手に転向する。 1936年(昭和11年)デビュー。1937年(昭和12年)コロムビアレコードに入り「夜のセレナーデ」で歌謡界にデビュー。間もなく移籍したテイチク時代のヒット曲としては、「歌の慰問袋」、「黒いパイプ」などがある。 1939年(昭和14年)ビクターレコードに移籍。
洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 19… 洲之内 徹(すのうち とおる、1913年1月17日 - 1987年10月28日)は、日本の美術エッセイスト、小説家、画廊主・画商。美術エッセイ「気まぐれ美術館」の筆者として名高い。愛媛県出身。 松山生まれ。松山中学(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1930年に東京美術学校建築科に入学。在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷した。そして松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。 戦後、郷里松山に引き揚げて古本屋を開業。
和田 義三(わだ よしぞう、1913年1月17日 - 199… 和田 義三(わだ よしぞう、1913年1月17日 - 1990年11月8日)は日本の漫画家。東京府出身。 1936年、東京美術学校工芸科図案部卒業。戦前には横山隆一主宰の「漫画集団」に参加、スケッチ入りの紀行文などを執筆していた。1943年には横山、近藤日出造、横井福次郎、那須良輔らとともに田村町に『漫画』同人用の宿舎を借りて暮らした。 第二次大戦終戦後の1945年8月、復刊された『漫画』に作品を寄稿する。1946年鈴木郁三によって創刊された漫画紙『子供マンガ新聞』に初代編集長として1952年まで連載を持ち、「ほらふき千一夜」「勇ましいキック君」などを掲載。1948年には映画『ターザンの黄金』から始まる一連のターザンブームに乗じて『少年ターザン』を子供マンガ新聞社より出版。
高田 正二郎(たかだ しょうじろう、1913年1月13日 -… 高田 正二郎(たかだ しょうじろう、1913年1月13日 - 1989年7月4日)は、日本の洋画家、グラフィックデザイナー。 東京都日本橋区の寿司屋の次男として生まれる。 東京都立第三中学校在学中に日本パステル画会に入会、洋画家の矢崎千代治(やざき ちよじ)に師事。1929年卒業。 1930年頃に従兄で彫刻家の吉田久継(よしだ きゅうけい)や東京美術学校教授の島田佳矣(しまだ よしなり)、同助教授の千頭庸哉(ちかみ ようさい)にデザインや鉛筆画を学ぶ。 1931年、東京美術学校図案科入学。和田三造、広川松五郎に師事。 1932年に東京湾汽船、キッコーマンの広告懸賞に入選したのを皮切りに各コンクールで入賞・受賞を重ねる。
鎌田 正蔵(かまた まさぞう、1913年 - 1999年)は… 鎌田 正蔵(かまた まさぞう、1913年 - 1999年)は、日本の洋画家、シュールレアリズム(超現実主義)運動画家。 福島県立美術館、郡山市立美術館、小野町ふるさと文化の館美術館
舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2… 舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は、日本の彫刻家。佐藤忠良と共に戦後日本を代表する具象彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身。直彫りによる石彫の第一人者とされ、日本でまだ石彫が珍しかった時代に、大理石や砂岩を使った作品に取り組み、独自のスタイルを築いた。 画家・俳人の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。長女の末盛千枝子(末盛憲彦の妻)は、児童文学編集者で「すえもりブックス」経営者。四女の舟越カンナはアーティスト・絵本作家。 1912年、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷生まれ。父親が熱心なカトリック信者だった。
山田 一雄(やまだ かずお、1912年(大正元年)10月19… 山田 一雄(やまだ かずお、1912年(大正元年)10月19日 - 1991年(平成3年)8月13日)は、日本の指揮者、作曲家。本名は和雄。和男、夏精(かせい)を経て、1968年に一雄と改名した。「ヤマカズさん」の愛称で親しまれ、朝比奈隆らと並んで日本のクラシック音楽界を支えた指揮者であり作曲家。東京芸術大学名誉教授。 東京府生まれ。学習院中等科2年の頃にピアノを独学で学び、作曲にも熱中した。学習院高等科へ進学するも東京音楽学校への進学を志して休学。1931年に東京音楽学校(現東京芸術大学)ピアノ科首席卒業ののち研究課程に進み、卒業後は同校で教鞭を取るようになった。在学中からクラウス・プリングスハイムに師事し作曲を学び、作曲関連の各種の賞を獲得。
島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正… 島村 千枝子(しまむら ちえこ、旧姓:生越、1912年〈大正元年〉10月7日 - 1976年〈昭和51年〉9月2日)は、日本のピアニスト。 元東京音楽学校教授。元武蔵野音楽大学音楽学部教授。元徳島文理大学音楽学部教授。 東京音楽学校ピアノ科卒業。東京都出身。息子は地震学者の島村英紀。 東京都出身。1937年(昭和12年)に東京音楽学校ピアノ科を卒業した。 1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)まで東京音楽学校で教鞭を執り、その後は武蔵野音楽大学音楽学部や徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 1976年(昭和51年)9月2日、死去。享年63。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。
中村 立行(なかむら りっこう、1912年7月31日 - 1… 中村 立行(なかむら りっこう、1912年7月31日 - 1995年3月30日)は日本の写真家である。本名は中村立行(なかむらたつゆき)。 神戸市出身。東京美術学校(現東京芸術大学)卒業後小学校の図画の先生をしていて、「毎晩1升近く飲んでいた酒を減らせれば」と夜できる道楽を探していて、飲み屋で誰かが借金の支払いとして置いて行った六櫻社(コニカを経て現コニカミノルタ)製のパーレットオプターF6.3付きを安価に入手したのが写真を始めたきっかけになった。ただ押し入れで現像をするようになっても押し入れにコップを持ち込み酒量は減らなかったという。 パーレットはヴェスト・ポケット・コダックのコピー品で撮影範囲を見当で決めなければならず構図を考えるのが難しかったため、厳密に構図を決められる二眼レフカメラのローライが欲しくなったが、月給が60円の時代に数百円したため高価で到底購入できず、1943年末にミノルタ(現コニカミノルタ)製のミノルタフレックスI型プロマーF3.5付きを購入した。
里見 明正(さとみ あきまさ、1912年7月26日 - 19… 里見 明正(さとみ あきまさ、1912年7月26日 - 1974年10月24日)は、埼玉県出身の洋画家。浦和画家のひとり。 熊谷中学校出身。浦和画家の須田剋太と同じく光風会に所属し、浦和市(現・さいたま市南区)の別所沼畔にアトリエを構え、須田のアトリエと隣り合っていた。別所沼対岸(稲荷台)の林倭衛のアトリエにも須田としばしば訪れた。また、寺内萬治郎の門下生が集まる武蔵野会に参加した。新文展に初入選で特選を受賞した。県北美術家協会会長、熊谷市教育委員長などを歴任し、文化の振興にも貢献した。作品は埼玉県立近代美術館に所蔵されている。
佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2… 佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。 生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現した。本の装幀の仕事もこなし、福音館書店版の絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども手がけた。出身地にある宮城県美術館には、「佐藤忠良記念館」が併設、日本で最も多い約600点の彫刻作品を収蔵。その他、滋賀県の佐川美術館の佐藤忠良記念館、札幌芸術の森「佐藤忠良記念子どもアトリエ」、国立近代美術館、国立国際美術館など、日本全国各地に佐藤忠良の作品が収蔵・展示されている。 女優の佐藤オリエは娘。作品のモデルを務めた彫刻家の笹戸千津子は弟子。
高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月2… 高山 辰雄(たかやま たつお、1912年(明治45年)6月26日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本画家。文化勲章受章者。脚本家の高山由紀子は長女。