松井 善之助(まつい ぜんのすけ、1926年2月1日 - 1… 松井 善之助(まつい ぜんのすけ、1926年2月1日 - 1996年11月1日)は、日本の経営者。 昭和電線電纜社長を務めた。神奈川県出身。 1953年に東京工業大学機械工学科を卒業し、同年に昭和電線電纜に入社。1980年に取締役に就任し、1984年7月に常務を経て、1988年6月には社長に就任。1992年6月には会長に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章。 1996年11月1日急性心不全のために死去。70歳没。
田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 20… 田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 2015年2月16日)は日本の化学者、理学博士。東京工業大学名誉教授。文化功労者。専門は光化学。 東京工業大学教授、学長などを歴任。光イオン化質量分析法の開発や、分子の電子状態を精密に測定する分子光化学の先駆的な手法開発などで知られる、光化学のパイオニア。
本間 龍雄(ほんま たつお、1926年1月 - 2021年1… 本間 龍雄(ほんま たつお、1926年1月 - 2021年11月15日)は、日本の数学者。理学博士。専門は位相幾何。横浜市立大学教授、東京工業大学教授、青山学院大学教授等を歴任。 東京工業大学で皆川多喜造に数学を学び、1948年卒業。1953年湯川フェローシップにより大阪大学で研究。1957年デーンの補題をパパキリアコプロスとは独立に証明した。プリンストン高等研究所所員(1960-1962年)、フロリダ州立大学客員准教授(1965年)、ミシガン州立大学客員准教授(1967年)、横浜市立大学文理学部教授、東京工業大学理学部教授、青山学院大学理工学部教授を歴任。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。
宇田川 重和(うだがわ しげかず、1926年 - 2016年… 宇田川 重和(うだがわ しげかず、1926年 - 2016年)は、日本の材料科学者。東京工業大学(のちの東京科学大学)名誉教授。日本セラミックス協会会長、日本粘土学会会長、日本学術会議会員等を歴任。セメント協会論文賞等受賞。 1952年東京工業大学(のちの東京科学大学)理工学部無機材料化学コース卒業、東京工業大学理工学部助手。1956年ペンシルバニア州立大学客員研究員。1973年度窯業協会学術賞受賞。1974年東京工業大学工学部教授。1982年日本粘土学会会長。1985年セメント協会論文賞受賞。1986年東京工業大学名誉教授、千葉工業大学教授。1991年第15期日本学術会議会員。1992年日本セラミックス協会会長。
大沼 正則(おおぬま まさのり、1925年12月15日 - … 大沼 正則(おおぬま まさのり、1925年12月15日 - 2001年7月16日)は、日本の科学史家、東京経済大学名誉教授。化学史を研究。マルクス主義の立場から反科学・反技術主義を批判した。 東京府出身。東京工業大学卒業。東京経済大学助教授、1966年教授。1997年定年退任、名誉教授。
穴山 武(あなやま たけし、1925年10月28日 - 20… 穴山 武(あなやま たけし、1925年10月28日 - 2014年5月27日)は、日本の工学者。磁気工学専攻。東北大学名誉教授。元八戸工業高等専門学校長。元豊橋技術科学大学副学長。従三位勲二等瑞宝章。 山梨県出身。1948年東京工業大学電気工学科卒業。1951年山梨大学工学部助手。1957年山梨大学工学部助教授。1960年東北大学工学部助教授。1961年東京工業大学より工学博士の学位を取得。1963年東北大学工学部教授。1979年文部省学術審議会専門委員。1985年東北大学工学部長、東北大学評議員。1988年八戸工業高等専門学校長、東北大学名誉教授。1994年八戸工業高等専門学校名誉教授。1996年豊橋技術科学大学副学長。
飯島 泰蔵(いいじま たいぞう、1925年9月24日 - … 飯島 泰蔵(いいじま たいぞう、1925年9月24日 - 2023年11月14日)は、日本の情報工学者。東京工業大学名誉教授。東京工科大学名誉教授。元北陸先端科学技術大学院大学副学長。瑞宝中綬章受章。 大阪府三島郡千里村(現吹田市千里山)生まれ。千里第二尋常小学校(現吹田市立千里第二小学校)、大阪市立扇町商業学校(現大阪市立扇町総合高等学校)を経て、1942年浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)首席入学。太平洋戦争中で沼津海軍工廠、東京芝浦電気柳町工場、海軍省海軍技術研究所島田実験所に動員されたのち、1945年東京工業大学電気工学科に進学。 1948年東京工業大学電気工学科及び応用数学科卒業、逓信省電気試験所入所、田無分室材料部物理課数学研究室配属。
篠原 一男(しのはら かずお、1925年4月2日 - 200… 篠原 一男(しのはら かずお、1925年4月2日 - 2006年7月15日)は、日本の建築家。 静岡県生まれ。1947年東京物理学校卒業後、東北大学で数学を専攻。建築に転向し東京工業大学建築学科で清家清に師事。1953年卒業後、1986年定年退官に至るまで東工大の教壇に立ち、プロフェッサーアキテクトとして、住宅を中心とする前衛的な建築作品を一貫して手がけた。 磯崎新と並んでメタボリズム後の日本建築界のリーダーと目され、特に1970年代以降の住宅建築デザインに多大な影響を与えている。坂本一成、白澤宏規、長谷川逸子、葛西潔、葛西秀一郎、高橋寛、高橋晶子、武田光史、西村博司、坂牛卓、安田幸一ら篠原研究室出身者の他、伊東豊雄へも直接的な影響を与えており、彼らは、篠原のカリスマ性や哲学的スタイルから「篠原スクール」「エピステーメー派」などと称された。
北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 20… 北川 太一(きたがわ たいち、1925年3月28日 - 2020年1月12日)は、日本の文芸評論家。 東京生まれ。東京工業大学卒。向丘高等学校教諭。高村光太郎記念会事務局長、高村光太郎一筋に研究をつづけ、『高村光太郎全集』『選集』の編纂にあたった。吉本隆明の盟友。
倉田 道夫(くらた みちお、1925年2月23日 - 200… 倉田 道夫(くらた みちお、1925年2月23日 - 2004年9月10日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。高分子物理学専攻。高分子の構造と物性の分野で業績を上げた。建築家の倉田康男(高山建築学校校長)は実弟。 日本レオロジー学会会長
榎本 肇(えのもと はじめ、1925年(大正14年)2月16… 榎本 肇(えのもと はじめ、1925年(大正14年)2月16日 - 2010年(平成22年)5月13日)は、日本の逓信官僚、工学者。東京工業大学名誉教授。電子通信学会副会長。 神戸工業専門学校機械科を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学航空機工学科へ入学する。のち電気工学科へ転科。1948年(昭和23年)卒業後、逓信省電波局に入省する。その後、1954年(昭和29年)国際電信電話研究所、1967年(昭和42年)東京工業大学教授、1985年(昭和60年)富士通常任顧問。同年電子通信学会副会長。芝浦工業大学教授を歴任した。 逓信省電波局では、主に雑音電波の統計的測定理論、フェージングの情報理論的研究、散乱伝搬の多重散乱機構に関する研究を行った。
三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013… 三輪 正弘(みわ まさひろ、1925年2月7日 - 2013年7月7日)は、日本の建築家、インテリアデザイナー。 東京市(現中野区東中野)出身。父は弁護士・政治家の三輪寿壮、弟は医学者の三輪史朗。1949年東京工業大学建築学科卒。『新建築』の編集、建築綜合研究所(現アール・アイ・エー)を経て、1971年三輪環造形研究所を設立し所長(のち三輪環境計画と改称)。1971年東京造形大学教授、1977年武蔵野美術大学教授、1995年名誉教授。日本インテリアデザイナー協会会長。一級建築士。1985年『インテリアデザインとは何か』で日本図書館協会特定賞受賞。「にんべん本店ビル」「貝類博物館」「軽井沢町立博物館」など。
関根 太郎(せきね たろう、1925年1月22日 - 201… 関根 太郎(せきね たろう、1925年1月22日 - 2013年3月23日)は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元木更津工業高等専門学校校長。 1944年東京工業大学電気化学科入学。1960年東京工業大学工学博士。東京工業大学大学院総合理工学研究科教授を経て、1985年退官、東京工業大学名誉教授。同年から1988年まで木更津工業高等専門学校校長を務めた。電気化学を専攻し、指導学生には谷口功元熊本大学学長、藤田玲子元日本原子力学会会長などがいる。 2004年4月瑞宝中綬章受章。 2013年3月23日、急性左心不全のため死去。
古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年… 古賀 義根(こが よしね、1925年1月1日 - 2014年9月23日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、日本セラミックス協会会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、北九州商工会議所会頭等を歴任した。正四位勲二等瑞宝章。藍綬褒章受章 佐賀県唐津市出身。1947年東京工業大学窯業学科卒業後、東陶機器(現TOTO)に入社し、衛生陶器の開発に従事。インドネシア進出担当役員等を経て、1987年からは社長を務め、アメリカ合衆国に子会社を設立するなど、国際化を進めた。1988年藍綬褒章受章。1992年に社長を退任し、同年から10年間北九州商工会議所会頭を務め、末吉興一市長とともに北九州都市圏の再興にあたった。
鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 201… 鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 2015年6月15日)は、日本の技術者、実業家。HOYA中興の祖・元名誉会長。 愛知県瀬戸市生まれ。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。 1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格。 1970年代表取締役社長に復帰。
吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11… 吉本 隆明(よしもと たかあき、1924年〈大正13年〉11月25日 - 2012年〈平成24年〉3月16日)は、日本の詩人、評論家。「隆明」を音読みして「りゅうめい」とも。著書に『共同幻想論』(1968年)など多数。東京工業大学世界文明センター特任教授。第二次世界大戦後、東京下町の生活と文化を思想の下地に、多方面の時代の問題について積極的に批評を展開し、長きにわたって日本の論壇をリードした。長女は漫画家のハルノ宵子、次女は作家の吉本ばなな。 東京市月島生まれ。兄2人姉1人妹1人弟1人の6人兄弟。実家は熊本県天草市から転居してきた船大工で、貸しボートのような小さな船から、一番大きいのは台湾航路で運送の航海をするような船 を作っていた。
西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14… 西尾 出(にしお いずる、1924年(大正13年)10月14日 - 1992年(平成4年)5月12日)は、日本の実業家である。日本ナレッジインダストリ(現在のアイエックス・ナレッジ)の社長を務めた。 東京府東京市(現在の東京都)世田谷区に生まれ、東京工業大学電気工学科に入学する。1949年(昭和24年)に卒業後は、第一物産(現在の三井物産)に入社しコンピューティングセンター室長代理を務めた。1967年(昭和42年)には三井情報開発取締役および常務を務め、1970年(昭和45年)から一年間業務部システム開発室長、1972年(昭和47年)には専務を歴任する。 その後独立し1979年(昭和54年)にはコンサルタントとしての活動を開始し、同年日本ナレッジインダストリを設立し同社の初代社長に就任した。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
石原 舜介(いしはら しゅんすけ、1924年4月15日 - … 石原 舜介(いしはら しゅんすけ、1924年4月15日 - 1996年4月16日)は、日本の都市計画家、工学博士。 1949年、東京工業大学建築学科卒業。東京都建設局都市計画課に勤務後、東工大助教授を経て同教授。田辺平学の都市防災論に学び、都市経営の視点から都市計画・社会工学研究を発展させた。門下に熊田禎宣、深海隆恒、梶秀樹、中井検裕、石見利勝ら。国民生活審議会委員、国民生活向上対策審議会委員、国土利用計画審議会委員、中央公害対策審議会委員、資源調査会委員、国土利用計画審議会委員、国会等移転調査会委員、土地政策審議会委員、日本都市計画学会会長、日本不動産学会会長、東京理科大学教授、明海大学不動産学部長等を歴任。
稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 20… 稲葉 興作(いなば こうさく、1924年1月16日 - 2006年11月26日)は、シンガポール生まれの実業家。石川島播磨重工業社長、会長、日本商工会議所会頭を務めた。
齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志… 齋藤雪彦『むらづくり入門』世界思想社、2022年。 青木 志郎(あおき しろう、1923年12月24日 - 2017年12月)は、日本の農村建築学者。農村計画学者。東京工業大学名誉教授。日本建築学会副会長、農村計画学会会長を歴任。内閣農政審議会専門委員、農林水産省「豊かなむらづくり」審査委員等を歴任。 長野県東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1948年に東京工業大学を卒業。同年に東京工業大学工学部建築学科の助手を務めた。1949年、東北大学農学部に新設された家政学科、のち生活科学科に講師として赴任。建築計画学に生活科学の視点を組み込む農村計画学の基礎を構築。
田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日… 田丸謙二(たまる けんじ、1923年11月2日 - )は、日本の化学者、理学博士。専門は触媒化学および表面化学。父はフリッツ・ハーバーに師事し、東京工業大学や学術振興会の設立にも携わった田丸節郎。教え子に環境工学を専門とし文化功労者に選ばれた中西準子がいる。
宮野 秋彦(みやの あきひこ、1923年(大正12年)10月… 宮野 秋彦(みやの あきひこ、1923年(大正12年)10月15日 - 2016年(平成28年)12月7日)は、日本の建築学者。名古屋工業大学名誉教授。元日本熱物性研究会会長。元日本建築学会副会長。 名古屋生まれ。1944年名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)建築科卒業。1945年東京工業大学工学部建築学科卒業。1962年東京工業大学工学博士。東京工業大学助手、同助教授、名古屋工業大学助教授、同教授を経て、退官後福山大学教授、名古屋工業大学名誉教授。1972年日本建築学会賞受賞。1986年日本熱物性研究会会長。1987年日本建築学会副会長。2001年勲三等瑞宝章受章。日本建築学会名誉会員、日本熱物性学会名誉員、中国文物学会名誉理事。
浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1… 浅野 康介(あさの こうすけ、1923年10月11日 - 1987年3月4日)は、日本の経営者。徳島県徳島市出身。 1947年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1974年に取締役に就任し、1978年に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年11月には社長に昇格。 1987年3月4日脳出血のために死去。63歳没。
関口 利男(せきぐち としお、1923年9月21日 - 20… 関口 利男(せきぐち としお、1923年9月21日 - 2008年11月17日)は、日本の電気工学者。東京工業大学名誉教授。元東京工業高等専門学校校長。 多賀工業専門学校、桐生高等工業学校を経て、1949年東京工業大学電気工学科卒業。1957年東京工業大学工学博士。東京工業大学工学部電気・電子工学科教授や、武蔵工業大学工学部電子通信工学科教授を務めた。東京工業大学名誉教授。1980年東京工業大学工学部長。1983年東京工業高等専門学校校長。1989年電子情報通信学会編集長。正四位、1997年勲三等旭日中綬章受章。東京工業大学関口研究室出身者には安藤真東京工業大学名誉教授や、遠藤信博日本電気代表取締役会長などがいる。
池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974… 池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974年11月14日)は、日本のエンジニアで、日本のコンピュータ開発のパイオニア。1970年から富士通役員を務め、死後に専務を贈られた。正五位勲三等。 日本の汎用機黄金期を築いた業績から、没後に“富士通の池田敏雄・NECの水野幸男”と双璧として譬えられることも多い。日本のコンピュータ産業の父である。 1923年8月7日、東京の東両国にある薬種商の長男として生まれた。小学校の頃から算数に秀でており、成績は上位だった。近くにあった国技館に通い、相撲も得意としていた。1936年に池田が東京市立第一中学(後の東京都立九段高等学校)に入学すると、背が高かったためバスケットボール部に勧誘された。
村崎 憲雄(むらさき のりお、1923年(大正12年)7月2… 村崎 憲雄(むらさき のりお、1923年(大正12年)7月20日 - 2014年(平成26年)1月27日)は、日本の物理学者。警察庁科学警察研究所顧問も務めた。 電磁気学を専門とし、洋学書の邦訳を手掛けた。また、静電気に関する研究を多く行い、測定法や放電エネルギーの災害予測への利用を論じた。科学警察研究所としては道路上の事故の発生要因の研究、ドライブレコーダーの研究も行っている。
田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 201… 田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 2011年12月24日)は、日本の応用物理学者。東京工業大学名誉教授。元応用物理学会会長。元日本分光学会会長。 1923年7月1日生まれ。1941年12月大阪市立都島工業学校機械科、戦時繰り上げ卒業。旧制高校への進学希望がつのり、始めた受験勉強の無理と戦前・戦中の食糧事情が重なり、結核を患う。旧制松山高等学校を経て、1944年10月東京帝国大学理学部物理学科入学。1947年9月同大学卒業後は、東京大学理工学研究所研究員となる。1956年1月中央計量検定所主任研究員。1970年12月東京工業大学教授、精密工学研究所の併任教授。1972年東京工業大学精密工学研究所に転任、電気計測部門教授。
宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年… 宇井 昇(うい のぼる、1923年4月28日 - 2008年3月18日)は、元中部日本放送(CBC)アナウンサー。日本の民間放送(本放送)で第一声を発した人物でもあった。 東京都墨田区出身。東京工業大学卒業後、大蔵省に入省する。1951年、同省を退職し、開局直前の中部日本放送に入社。プロ野球・中日ドラゴンズ戦や大相撲の実況中継、クイズ番組の司会などで活躍。1959年、同社を退社しフリーに。主に日本短波放送・ラジオ関東で活躍。1981年から2002年まで、リクルートで企業の社員研修を行うトレーナーを勤める。 晩年は東京都江戸川区に住み、出身地の墨田区でボランティア活動を行う特定非営利活動法人「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。
芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 … 芝 清之(しば きよし、1923年(大正12年)3月28日 - 1998年(平成10年)1月12日、本名: 柴 清(しば きよし))は、大衆芸能・浪曲研究家、浪曲作家。 木馬亭の実質的な支配人で、『月刊浪曲』の創刊や編集発行も務めた浪曲界の生き字引的存在であった。諸芸懇話会会員。 東京出身、東京高等工業学校(現・東京工業大学)卒業。当初は建築会社の社長で坂東玉三郎の後援者であったが、衰退期にあった浪曲の将来を案じて1970年(昭和45年)より浪曲の歴史調査や資料収集を始め、その後社長職を弟に譲り、以後浪曲の再興のために尽力した。浪曲の台本執筆や木馬亭の経営に加わり後継者育成に注力するほか、1982年(昭和57年)に『月刊浪曲』を創刊した。
永澤 満(ながさわ みつる、1923年3月17日 - 202… 永澤 満(ながさわ みつる、1923年3月17日 - 2020年5月8日)は、日本の化学者。名古屋大学名誉教授。豊田工業大学名誉学長。日本学士院賞受賞。 東京出身。1946年東京工業大学工学部応用化学科卒業。1954年東京工業大学工学博士。1951年名古屋大学講師着任。名古屋大学助教授を経て、1958年から3年間フルブライト・プログラムでシカゴ大学、ワシントン大学で在外研究に従事。1962年名古屋大学教授に昇格。1978年豊田工業大学設立計画アドバイザー。1980年名古屋大学工学部長。1986年退官、豊田工業大学教授。豊田工業大学図書館長、豊田工業大学副学長を経て、1996年豊田工業大学学長。2003年豊田工業大学シカゴ校学長。
藤本 盛久(ふじもと もりひさ、1923年 - 2016年1… 藤本 盛久(ふじもと もりひさ、1923年 - 2016年1月8日)は、昭和期の建築学者である。専門は当時黎明期にあった日本の鉄骨構造建築の広範な学際的、基盤的、先駆的研究。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24… 別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24日 - 2012年〈平成24年〉1月12日)は、日本の作曲家。 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
中込 雪男(なかごめ ゆきお、1922年5月22日 - 20… 中込 雪男(なかごめ ゆきお、1922年5月22日 - 2014年8月18日) は、日本の技術者。国際電信電話副社長、国際ケーブル・シップ社長、電子情報通信学会副会長、テレビジョン学会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 山梨生まれ。1949年東京工業大学電気工学科卒業、逓信省入省、電気通信研究所方式実用化部電信課。1960年東京工業大学工学博士。1973年前島密賞受賞。1976年国際電信電話研究所(のちのKDDI総合研究所)所長。1978年科学技術庁長官賞受賞。1980年国際電信電話研究所取締役、テレビジョン学会評議員。1981年電子通信学会編集長。1983年紫綬褒章受章。1984年国際電信電話常務取締役。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 20… 谷崎 義衛(たにざき よしえ、1922年4月16日 - 2023年7月16日)は、日本の物理化学者。工学博士。東京工業大学、長岡技術科学大学名誉教授。新潟県長岡市出身。 延伸高分子膜法による偏光吸収スペクトルの測定技術の確立およびその結果の理論的解析のパイオニア。 主な著書に化学の話シリーズ4「気体の話」など。 1950年、東京工業大学理学部化学科卒業。 1959年、東京工業大学助手。 1961年、東京工業大学工学博士。 1963年、東京工業大学助教授。 1969年、東京工業大学教授。 1978年、長岡技術科学大学教授。 1988年、長岡技術科学大学名誉教授。 1991年、東京工業大学名誉教授。
青木 成文(あおき しげぶみ、1922年(大正11年)4月1… 青木 成文(あおき しげぶみ、1922年(大正11年)4月14日 - 1996年(平成8年)5月10日)は、日本の原子力工学者。東京工業大学名誉教授。東京工業大学原子炉工学研究所所長や、日本伝熱学会会長、原子力委員会放射性物質安全輸送専門部会部会長、運輸省放射性物質等海上輸送技術顧問会会長などを歴任した。 現在の東京都港区出身。1945年東京工業大学機械工学科卒業。工学博士取得後、東京工業大学大学教授、東京工業大学原子炉工学研究所所長を経て、東京工業大学名誉教授、電力中央研究所研究顧問、日本原子力文化振興財団副理事長。日本伝熱学会会長、原子力委員会放射性物質安全輸送専門部会部会長、原子力委員会原子炉安全専門審査会委員、運輸省放射性物質等海上輸送技術顧問会会長なども歴任し、1993年に勲三等旭日中綬章を受章した。
星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 200… 星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 2007年11月8日)は、日本の技術評論家。 東京府生まれ。松本高等学校理科甲類を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学電気化学科卒業。内閣技術院参技官補、海軍少尉兵学校教官、文部省科学官補を経て、1946年(昭和21年)に民主主義科学者協会の設立に参加する。 1962年(昭和37年) - 1968年(昭和43年)立命館大学経営学部教授。1981年(昭和56年) - 1997年(平成9年)帝京大学経済学部教授。その他の時期は、主に技術評論家として技術論と現代技術史の研究に専念する。 1961年(昭和36年)に発表された代表的な著作『マイ・カー』は、日本の本格的モータリゼーション初期におけるオーナードライバー向け通俗啓蒙書であり、オーナー自らが運転する自家用自動車を指す「マイカー」my car という和製英語を一般に普及させたとされる。
古濱 庄一(ふるはま しょういち、1921年11月15日 -… 古濱 庄一(ふるはま しょういち、1921年11月15日 - 2002年1月10日)は、日本の工学者、教育者。武蔵工業大学(現東京都市大学)名誉教授、元学長。水素エネルギー協会元会長。工学博士。 レシプロエンジンのピストンリング研究の大家。ピストンリングの動的潤滑理論の確立や実働状態におけるピストンとピストンリングの温度、潤滑油消費量、シリンダー変形などの実験方法を開発する。1970年代頃より日本で初めて水素エンジンの研究に取り組み、水素自動車の基礎研究と試作を行った。実験を重視する研究姿勢で水素エンジン特有のバックファイア問題の解決に尽力した。また、研究の傍ら一般や青少年向けの本を執筆し普及に努めた。
松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9… 松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9月14日 - 1999年 <平成11年> 1月26日)は、日本の工学者、工学博士。位階は従三位。 カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)でハーバート・サイモンに学び、東京工業大学経営工学科助教授、教授、学長を歴任。日本オペレーションズ・リサーチ学会(OR学会)会長、IFORS(国際OR学会連合)会長、経営情報学会初代会長などをつとめ、日本における経営工学、OR研究の黎明期において、その発展、普及に寄与した。研究面では組織知能工学などを提唱。松田研究室出身者に飯島淳一など。
山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31… 山崎 升(やまざき のぼる、1921年(大正10年)3月31日 - )は日本の化学者(高分子工学)。工学博士。東京工業大学名誉教授。東京市赤坂区青山北町(現東京都港区北青山)で誕生。名前の英文表記: Noboru Yamazaki
中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 -… 中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - 2017年12月9日)は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。 CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。 デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
横山 亮次(よこやま りょうじ、1921年2月14日 - 2… 横山 亮次(よこやま りょうじ、1921年2月14日 - 2017年9月24日)は、日本の経営者、工学博士。日立化成工業(日立化成、昭和電工マテリアルズを経て、現在のレゾナック)社長を務めた。茨城県出身。 1944年に東京工業大学応用化学科を卒業し、同年に日立製作所に入社した。1971年2月に日立化成工業に転じ、1972年11月に取締役に就任し、1973年11月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月には社長に就任した。1991年6月、会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章した。 2017年9月24日に老衰のため死去した。96歳没。
石川 源晃(いしかわ げんこう、1921年2月11日 - 2… 石川 源晃(いしかわ げんこう、1921年2月11日 - 2006年6月13日)は、日本の占星学者、技術士。帝国海軍大尉。東京工業大学卒業。 世界の占星学史に残る数々の業績を残した。占星学(Astrology)を勉学するだけでなく自ら新しい手法を発明し、日本の占星学(西洋占星学ともいう)の水準を飛躍的に高めた。全ての知識を原書で得るという知識量、そして論理的理解力、科学的・数学的素養をバックボーンとする。一切のオカルト、神霊的な要素や、癒やしのような曖昧な概念を全て排した、厳密で精緻な分析は、日本占術界において研究者としての彼をむしろ孤高の地位へと追いやった。石源と略称されることもある。 源氏の末裔。
北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 199… 北田 卓史(きただ たくし 1921年1月12日 - 1992年8月24日)は、日本のイラストレーター。本名、北田孝幸。 東京都に生まれ、東京工業専修学校機械科(今の東京工業大学附属科学技術高等学校)卒業。 児童文学の挿絵を多数描いた。マジックのような単一な線、四角い眼、無機質な表情、大人を描いても手足が短い子供のような頭身などが特徴。 乗り物をテーマにした作品が多い。中でもタクシーが好きで、代表作の一つ「車のいろは空のいろシリーズ」もタクシーの話。卓史は本名でなく、タクシーから命名したとされる。イラスト右下の署名は「TAXI」。 児童美術科連盟会員。1958年と1959年に日本童画会賞、1962年に小学館絵画賞佳作賞を受賞。
石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25… 石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25日 - 2007年〈平成19年〉8月10日)は、昭和時代の政治家。神奈川県厚木市長。厚木市名誉市民。 神奈川県愛甲郡南毛利村(現厚木市愛名)出身。神奈川県立厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)を経て、1941年(昭和16年)東京高等工業学校機械科(現東京科学大学)を卒業し、逓信省航空試験所に入り、1942年(昭和17年)現役入隊。1945年(昭和20年)復員。1951年(昭和26年)南毛利農協専務理事、1954年(昭和29年)南毛利地区農業委員長を経て、1955年(昭和30年)厚木市議会議員に当選。1959年(昭和34年)2月、38歳の若さで厚木市長に就任した。
美坂 哲男(みさか てつお、1920年5月18日 - 200… 美坂 哲男(みさか てつお、1920年5月18日 - 2003年4月30日)は、日本の作家。 鹿児島県生まれ。東京工業大学で物理科学を専攻し、卒業後に岩波書店に入社。辞典編集や校正業務に携わる。1982年に定年退職後、温泉評論家として多くの著書を出版した。 また、TBS系列の「そこが知りたい」の「各駅停車路線バスの旅」のリポーターを長年務めた。 2003年4月30日、脳梗塞による多臓器不全で死去。82歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年)5月1… 川喜田 二郎(かわきた じろう、1920年(大正9年)5月11日 - 2009年(平成21年)7月8日)は、日本の地理学者、文化人類学者。東京工業大学名誉教授。 1920年(大正9年)、三重県津市で生まれた。京都府立第一中学校(現:京都府立洛北高等学校・附属中学校)に入学し、山岳部に入る山岳部の先輩の今西錦司らと山歩きに没頭。1937年に卒業。第三高等学校理科に進学し、1941年に卒業。 京都帝国大学文学部に進学し、地理学を専攻した。京都帝大時代は山岳部に入部し、今西錦司、森下正明、梅棹忠夫、吉良竜夫らと共に探検隊を結成。カロリン諸島や大興安嶺山脈を探検した。1942年の北部大興安嶺探検隊では、今西錦司が隊長、川喜田が支隊長であった。
面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2… 面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2010年2月13日)は、日本の実業家。王子製紙副社長、王子ティッシュ販売社長、新王子製紙特別顧問などを歴任。 鹿児島県川辺郡加世田村武田(川辺郡加世田町武田、加世田市武田を経て現南さつま市加世田武田)生まれ。鹿児島市へ移り上荒田で育つ。荒田尋常高等小学校(現鹿児島市立荒田小学校)、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、陸軍予科士官学校を経て、1941年に陸軍航空士官学校を卒業し、少尉として陸軍入隊。1942年陸軍航空技術学校へ移り発動機の研究員。1944年陸軍航空士官学校教官。 戦後、1949年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、日本パルプ工業へ入社。