會田 瑞樹(あいた みずき、1988年12月24日 - )は… 會田 瑞樹(あいた みずき、1988年12月24日 - )は、日本の打楽器/ヴィブラフォン奏者、作曲家。宮城県仙台市出身。 1988年、宮城県仙台市に生まれる。幼少よりヴァイオリンを照井勢子に師事。12歳で打楽器奏者を志し、佐々木祥、星律子、有賀誠門、藤本隆文に師事。独学で作曲を始め、14歳で処女作となる打楽器合奏曲《星の流れは大地を目指す》(2003)を発表。以降、作曲は独学。宮城県仙台第二高等学校を経て武蔵野音楽大学において吉原すみれ、神谷百子に師事。2014年武蔵野音楽大学大学院修士課程修了。 2010年日本現代音楽協会主催第9回現代音楽演奏コンクール”競楽Ⅸ”において大会最年少ファイナリストとしてデビューし、第二位を受賞。
嶋崎雄斗(しまざき ゆうと、1986年7月15日 - )は、… 嶋崎雄斗(しまざき ゆうと、1986年7月15日 - )は、日本のマリンバ奏者、ドラマー、パーカッショニスト、作曲家、編曲家。打楽器アンサンブル「東京 percussive pedia」の代表者でもある。 千葉県習志野市に生まれ、3歳頃からマリンバを、中学よりドラムを始める。その後、武蔵野音楽大学音楽学部ヴィルトゥオーソ学科、同大学院ヴィルトゥオーソ・コースに在籍し、その時からプロとして活動してきた。 これまでに打楽器を磯田裕美、高橋美智子、重奏を高橋美智子、吉原すみれ、中谷孝哉、ソルフェージュを佐々木邦雄の各氏に師事する。 菅長学園マリンバ講師、渋谷区青少年吹奏楽団パーカッション講師。 2018年からは「本気の趣味」としてYouTube企画を開始。
藤澤 ノリマサ(ふじさわ ノリマサ、1983年3月8日 - … 藤澤 ノリマサ(ふじさわ ノリマサ、1983年3月8日 - )は、日本の歌手、作曲家である。身長172cm。AB型。北海道札幌市東区出身。 真愛-shin Ai のドラムスはLUNA SEAの真矢が担当 ビルボードクラシック2週連続1位 -2012年/2017年 ピアノ弾き語り my favorite songs (ドレミ楽譜出版社)2009年
成宮 北斗(なるみや ほくと、1980年 - )は、日本の現… 成宮 北斗(なるみや ほくと、1980年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 武蔵野音楽大学を卒業の後、同大学院修士課程修了。2009年に同大学院音楽研究科博士後期課程作曲(創作)専攻修了、博士号(音楽)取得。博士論文は、「ブライアン・ファニホウにおける架空のポリフォニー/8曲の独奏曲の分析を通して」。現在は武蔵野音楽大学で作曲と音楽理論とを教えている。先端芸術音楽創作学会、日本音楽学会会員。
池田 綾子(いけだ あやこ、1978年6月1日 - )は、日… 池田 綾子(いけだ あやこ、1978年6月1日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学声楽科卒業。血液型はB型。 唱歌や童謡、スタンダードを根底に持つシンガーソングライターで、日本語の韻を大切にした歌詞やメロディを、クラシックの発声を基調とした独自の歌唱法で歌い上げる。地声とファルセットの境がほとんどなく、澄んだトーンのままメロディを連結させる技術の持ち主。 テレビ番組や映画の音楽、CMソングを手掛けるほか、他のアーティストへの楽曲提供も積極的に行う。また、小学校の教科書に合唱曲を書き下ろしている。 代表作に、「こころたび」(NHK BSプレミアム『にっぽん縦断 こころ旅』テーマソング)、「Life」(ドラマ『愛なんていらねえよ、夏』主題歌)、「はなびら」(世界紀行ドキュメンタリー番組『世界ウルルン滞在記』エンディングテーマ)、「僕たちのTomorrow」(JR九州新幹線「つばめ2枚きっぷ」CMソング)、「プリズム」&「空の欠片」(TVアニメ『電脳コイル』OP&EDテーマ)、NHKみんなのうた「数え歌」などがある。
樽屋 雅徳(たるや まさのり、 (1978-03-05) … 樽屋 雅徳(たるや まさのり、 (1978-03-05) 1978年3月5日- )は、日本の作曲家・編曲家、指揮者。 愛称は「樽さん」「たるのり」。 中学校、高校と吹奏楽部でトロンボーンを担当。銚子市立銚子高等学校卒業、武蔵野音楽大学音楽学部作曲学科卒業。佐藤博、宮本良樹に師事。大学卒業後は、作・編曲活動の他、吹奏楽団体の指揮・指導も行っている。
堀内 貴晃(ほりうち たかあき、1977年(48 - 49歳… 堀内 貴晃(ほりうち たかあき、1977年(48 - 49歳)-)は、日本の作曲家である。 石川県出身。石川県立金沢二水高等学校を経て武蔵野音楽大学音楽学部作曲科卒業。作曲を田辺恒弥に師事。長く合唱に親しんでいたことから作品には合唱曲が多いが、声楽、器楽を問わず様々な編成のための作編曲を行っている。 2001年に混声合唱組曲「野菜畑のソクラテス」で朝日作曲賞佳作。2004年に混声合唱組曲「キリンの洗濯」で朝日作曲賞入賞。
侘美 秀俊(たくみ ひでとし、1973年 - )は、日本の作… 侘美 秀俊(たくみ ひでとし、1973年 - )は、日本の作曲家、編曲家、楽譜浄書家、著述家。北海道帯広市出身。株式会社H-t studio代表取締役。 北海道帯広市に生まれる。北海道帯広柏葉高等学校を経て、武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科で音楽を学び、在学中は川辺真に和声、対位法、作曲の指導を受けた。 在学中から、演劇、バレエなどの舞台、映画、映像作品、イベントのオリジナル楽曲制作に携わる。卒業後は作曲・編曲活動を中心に、劇場映画、テレビドラマのサウンドトラック、陸上自衛隊音楽隊の委嘱作品、国民体育大会や音楽ホール開館記念のファンファーレ、演劇舞台音楽、こどものためのオペレッタなど幅広い分野で活動している。
藤川 賢一(ふじかわ けんいち、1969年12月15日 - … 藤川 賢一(ふじかわ けんいち、1969年12月15日 - )は、日本のシンガーソングライター・トランペッター・ミュージシャン・作詞家・作曲家。バンド「FOOMOON」のリーダー・ボーカリスト。ソロプロジェクト「Fujikawa Atomic Orchestra」のメインキャスト。 高知県香美市出身。武蔵野音楽大学を首席で卒業。トランペット専攻。新日本フィルハーモニー交響楽団、新星日本交響楽団(現東京フィルハーモニー交響楽団)等、プロオーケストラでトランペット、さらにはソリストとしても出演。 1994年2月に金曜ドラマ「いつも心に太陽を」の主題歌「大切な君の胸へ…」にてデビュー。甘い声にハイトーンボイス、間奏ではトランペットを吹くスタイルで注目を浴びる。
佐藤 生朗(さとういくお、1968年7月10日 - 2026… 佐藤 生朗(さとういくお、1968年7月10日 - 2026年2月25日)は 青森県弘前市出身の作曲家・歌手である。
高橋 久美子(たかはし くみこ、1965年(昭和40年)9月… 高橋 久美子(たかはし くみこ、1965年(昭和40年)9月4日 - )は、日本の作曲家。西洋音楽を背景としながらも主に邦楽器を使用した作品が多い。日本音楽集団団員、作曲家グループ<邦楽2010>代表。 1965年、東京都豊島区池袋にて医学博士 高橋健一の三女として生まれる。2才より音楽教室でエレクトーンを習い始めるが、小学校中学年の頃にピアノに転向。武蔵野音楽大学音楽教育学科卒業(ピアノ専攻)、ピアノを高橋誠、宮津邦彦に師事。在学中より作曲を田辺恒弥に師事。卒業後10年程は音楽教室の講師をしながら演奏、作曲活動をしていたが、2000年にニューヨークでの舞台「Buto Zen Performance & Zen Sound with Bamboo Flute」の音楽を担当することで、はじめて日本の音楽を意識するようになり、その後の作曲活動に邦楽器は大きな影響を及ぼすことになった。
高橋 東悟(たかはし とうご、1961年10月22日 - 2… 高橋 東悟(たかはし とうご、1961年10月22日 - 2012年1月4日)は、日本の現代音楽の作曲家。 新潟県新発田市出身。尚美学園高等音楽院(現・東京ミュージック&メディアアーツ尚美)本科を中退後、武蔵野音楽大学音楽学部作曲科卒業。 これまでに作曲を嶋津武仁、田辺恒弥、田村徹、山崎正嗣に師事。 通算3度にわたる日本音楽コンクールの入賞・入選など多くの受賞歴を持ち、代表作の一つである『言霊・彼方なる淵より… ― for orchestra』(2000年)は、Asian Contemporary Music Festival in Seoul(2002年)にて再演されている。 1998年に作曲家集団グループNEXTを結成し、亡くなるまで代表者などを務めた。
横島 浩(よこしま ひろし、 (1961-06-28) 19… 横島 浩(よこしま ひろし、 (1961-06-28) 1961年6月28日(64歳) - )は、日本の現代音楽の作曲家、ピアニスト。長野県出身。 息子にNHK交響楽団第2ヴァイオリン次席の横島礼理がいる。 武蔵野音楽大学大学院修了。池本武、竹内邦光、田辺恒弥に作曲を学ぶ。 1988年「C.P.E.タイムス」で第5回日本現代音楽協会新人賞入選。1989年、『モードへのオードII』で第58回日本音楽コンクールに入選。1990年には、「インヴァッディオン」で 第7回日本現代音楽協会新人賞入選。 2005年、『グラーヴェより遅く』で2005年に第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位受賞および明治安田賞受賞。
鍋島 佳緒里(なべしま かおり、1960年1月22日 - )… 鍋島 佳緒里(なべしま かおり、1960年1月22日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。本名は鍋島 かほる(なべしま かおる)。 1960年東京生まれ。父は東京外国語大学ロシア語卒業後、スウェーデン資本企業勤務、母は武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒、全音楽譜出版社編集部勤務、という家庭に育つ。 3歳からピアノを始め、9歳から武蔵野音楽大学附属音楽教室にピアノ専攻で6期生として入室し、さらにソルフェージュ、合唱、打楽器、声楽も学ぶ。 留学経験はないが高校時代に、日本IBMが招聘したイギリス人英会話講師が自宅に数年間一緒に住んでいた語学環境を持つ。 最終的には武蔵野音楽大学 音楽学部作曲科を卒業後、1996年にサントリーホールブルーローズにて個展演奏会「鍋島佳緒里の世界」で作曲家デビュー。
小沢 純子(おざわ じゅんこ、1959年6月8日 - )は、… 小沢 純子(おざわ じゅんこ、1959年6月8日 - )は、日本のゲームミュージックの作曲家。埼玉県出身。血液型はAB型。あだ名は「ZUNKO(ずんこ)」「ZUNちゃん(ずんちゃん)」。あだ名は作品のクレジット名義にも使われている。 4歳の頃からピアノを習い、1983年に武蔵野音楽大学器楽学科卒業後、株式会社ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)入社。ナムコ入社を志した動機は、マイクロマウス大会のイベントにて、ニャームコに一目惚れしたためとしており、他に『ニューラリーX』の曲が好きだったことを動機にあげたこともある。入社試験には、お手製のニャームコバッジをつけて臨んだという。 ナムコで最初に作った曲は、新人研修においてとくにゲームを想定せずに作られたものであったが、開発陣からは「ゲームに使えない」と退けられた。
宮澤 一人(みやざわ かずと、1952年11月11日 - )… 宮澤 一人(みやざわ かずと、1952年11月11日 - )は日本のクラシック音楽の作曲家。2004年作曲の『主題の無い7つの変奏曲』が第73回日本音楽コンクール第1位等、受賞及び入選歴多数。 昭和52年武蔵野音楽大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。同年4月より徳島大学教育学部助手から同大学総合科学部教授まで昇進。現在、同大学総合科学部名誉教授。 非常に職人芸を徹底したエクリチュールと現場主義のオーケストレーションで知られる。管楽器を最初に履修した故か、サウンドヴィジョンが明確なのも特徴。戦後前衛以後のイディオムを参照しているとはいえ、恐らくカール・アマデウス・ハルトマンやピーター・メニンといったシンフォニストの響きも念頭に置かれている。
川辺 真(かわべ しん、1949年6月19日 - )は、日本… 川辺 真(かわべ しん、1949年6月19日 - )は、日本の作曲家、編曲家。武蔵野音楽大学名誉教授。ペンネームに風戸 慎介(かざと しんすけ)があり、その名でも知られる。 静岡県静岡市出身。1968年、静岡県立静岡高等学校卒業。武蔵野音楽大学作曲科卒業。アメリカ・ロチェスター大学イーストマン音楽院大学院修了。クラウス・プリングスハイム、田村徹、サミュエル・アドラー、ジョセフ・シュワントナーに師事。テレビ・映画などにおける作品多数。作詞家である小椋佳の詞の作曲・編曲がある。
柳田 孝義(やなぎだ たかよし、1948年3月27日 - )… 柳田 孝義(やなぎだ たかよし、1948年3月27日 - )は、日本の作曲家。 1948年北海道札幌市生まれ。北海道札幌北高等学校を経て、武蔵野音楽大学・同大学院で作曲をクラウス・プリングスハイムに師事。ミュンヘン音楽大学で作曲をハラルド・ゲンツマーに学ぶ。 1969年、第38回日本音楽コンクール作曲部門第1位作曲賞を受賞。オーケストラ・プロジェクトのメンバーとして第52回・第54回の2回文化庁芸術祭優秀賞を受賞。2006年、吹奏楽曲「西風の肖像」で第1回フランク・ティケリ国際作曲コンテスト(The First Frank Ticheli Composition Contest、ニューヨーク)第3位入賞(カテゴリー2)。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao T… 蕭 泰然(シャオ・タイラン/しょう たいぜん、Hsiao Tyzen, 1938年1月1日 - 2015年2月24日)は、台湾の作曲家。 高雄県鳳山市出身。祖父は長老派教会の宣教師で、父は日本で学んだ歯科医師で長老。母は日本でピアノを学んだ経験があったので、彼は幼いころから西洋音楽に親しんだ。父は歯科医師の道を進むことを望んだが、彼の才能を惜しんだ中学校長の説得で音楽の道を進むことになった。 1959年、台湾省立師範大学(現在の国立台湾師範大学)に入学し、ピアノを専攻するとともに、許常恵から作曲を学んだ。1963年に卒業後、高雄中学の音楽教師となった。 1965年、武蔵野音楽大学に留学し、中根伸也にピアノを学ぶとともに、藤本秀夫から個人的に作曲を学んだ。
桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934… 桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934年8月19日 - 2007年6月1日)は日本の作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学卒業。 下総皖一、クラウス・プリングスハイムに師事。宝塚歌劇団出身の俳優・華村りこ(RICO)は実子。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1932年11月3日 - )は、日本の指揮者、作曲家。コンサートや映画音楽のレコーディング等で活動している。 福岡県に生まれる。福岡県立八女高等学校卒業後、武蔵野音楽大学作曲学科に入学し、クラウス・プリングスハイムに作曲を師事する。1957年、日本フィルハーモニー交響楽団に打楽器奏者として入団する。1960年代はニューディレクション設立にあたり同人として現代音楽と積極的に拘わる。傍ら指揮を渡邉暁雄に師事し、室内合奏団(スペルーロ合奏団)を組織し、放送(NHK-FM)、演奏会などで指揮活動を行う。 1970年、日本フィルを退団と同時に打楽器奏者を引退、同年日本フィル特別演奏会において指揮者としてデビューする。
江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 201… 江口 浩司(えぐち ひろし、1927年5月12日 - 2010年1月23日)は、日本の作曲家。 海軍軍楽隊出身で流行歌の作曲家として成功していた江口夜詩の長男として、東京府東京市神田区鍛冶町に生まれた。 1944年に海軍兵学校へ76期生として入校するも、在校中に終戦を迎えた。その後は父と同じ作曲家を志し、1947年に武蔵野音楽大学作曲科へ進み、服部正にも師事する。 1955年、作詞・作曲した「さよならのビギン」が松島詩子歌唱で発売され、流行歌の作曲家としてデビュー。 1959年から1984年にフリーになるまで、キングレコードの専属作曲家として「忘れな草をあなたに」、「下町の太陽」などを作曲した。
宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、192… 宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、1921年〈大正10年〉7月26日 - 2009年〈平成21年〉9月1日)は、日本の元作曲家、シャンソン歌手。武蔵野音楽学校声楽科卒業。 1955年にシャンソン歌手としてデビュー。『ひるのいこい』(NHKラジオ第一放送)にレギュラー出演するなどの活動をした後に作曲家へ転身し、シャンソンを中心に歌謡曲やテレビドラマの主題歌、或いは東京都内の小学校校歌に至るまで幅広いジャンルの作品を手掛けた。特に菅原洋一が1970年にヒットさせた『今日でお別れ』は其の年の日本レコード大賞を受賞するなどして宇井あきらの代表作となった。 また、宇野ゆう子を始め、後進のシャンソン歌手育成にも熱意を傾けたことでも知られる。
石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 … 石井 歓(いしい かん、1921年〈大正10年〉3月30日 - 2009年〈平成21年〉11月24日)は、日本の作曲家。東京市下谷区(現:東京都台東区)出身。 同じく作曲家である石井眞木は弟、石井五郎は叔父に当たる。父は舞踊家の石井漠。 成城学園小学部から旧制の成城高等学校尋常科に進むが、成城事件で父の友人の小原國芳が排斥されたため、玉川学園中等部に転じる。作曲を呉泰次郎について約3年間学んだ。武蔵野音楽大学本科ピアノ科を卒業後、池内友次郎に師事。太平洋戦争中は海軍予備学生として海軍入隊後、約2年間勤務。1947年(昭和22年)から尾高尚忠に指揮法を師事。1952年(昭和27年)、西ドイツに留学し、ミュンヘン国立音楽大学作曲科・指揮科を修了。
入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年… 入江 薫(いりえ かおる、1920年1月1日 - 2015年11月15日)は、日本の作曲家である。宝塚歌劇団の座付き作曲家として多くの作品を手掛ける。 1950年(昭和25年)宝塚歌劇団に入社する。2014年に『宝塚歌劇の殿堂』の100人に選ばれた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 199… 近江 俊郎(おうみ としろう、1918年7月7日 - 1992年7月5日)は、東京都出身の歌手、作曲家、映画監督である。本名大蔵 敏彦(おおくら としひこ)。兄は新東宝、大蔵映画社長を務めた大蔵貢、姉はコロムビア専属歌手となった香取みほ子。孫にアイドルグループ「エレクトリックリボン」の元メンバー、ericaがいる。 正則中学校卒業。武蔵野音楽学校在学中に教授と進級試験の方法を巡って対立し、1936年(昭和11年)に退学した。タイヘイレコードから鮫島敏弘の芸名で「辷(すべ)ろよスキー」でレコードデビュー。ポリドール・レコード専属になるまで、マイナーレコードを転々とし、その間に大友博(リーガル)、大久良俊(アサヒ)など改名を重ねるが、ヒットに結びつく作品はなかった。
木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 20… 木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 2018年4月30日)は、日本の作曲家。兄は映画監督の木下恵介。兄が監督した映画の音楽を数多く手掛けた。 妻は元音楽プロデューサーでiLabシリーズを販売するパントロン・ワンの創業者である木下美智子(関根光致子)。 静岡県浜松市生まれ。映画監督として有名な木下恵介の弟で、妹に脚本家の楠田芳子がいた。 静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京し諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。1940年卒業、新交響楽団(現NHK交響楽団)の機関誌『フィルハーモニー』の編集に携わるが、応召して敗戦まで内地および支那で軍隊勤務する。
髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年〈大正2年〉12月1… 髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年〈大正2年〉12月18日 - 2000年〈平成12年〉10月22日)は、日本の作曲家、指揮者。合唱曲を中心に作曲を行ったほか、自作を中心に指揮者としても活躍した。日本のカトリック教会で歌われる典礼聖歌を作曲したことでも知られる。 名字は「高田」ではなく「髙田」(いわゆるはしご髙)が正式な表記である。 愛知県名古屋市に生まれる。愛知県第一中学校(現:愛知県立旭丘高等学校)を経て、武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)師範科で呉泰次郎に和声法を師事する。次いで東京音楽学校(現:東京藝術大学)の本科作曲部を1939年に卒業し、さらに同校研究科作曲部、同校聴講科指揮部で学んだ。
髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年12月18日 - 2… 髙田 三郎(たかた さぶろう、1913年12月18日 - 2000年10月22日)は、日本の作曲家。自作を中心に指揮者としても活躍した。
中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 19… 中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 1970年2月19日) は、愛媛県大洲市出身の歌手・作曲家。服部良一、ディック・ミネとともに、アメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め和製ポップスの基礎を築く。
田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明… 田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明治41年)12月20日 - 1980年(昭和55年)10月14日)は、昭和期の作曲家。妻は作詞家の寺尾智沙、娘は女優の田村奈巳。 京都府中郡峰山町(現京丹後市)出身。家は、現在の田村写真館(京丹後市峰山町白銀)1925年(大正14年)地元の宮津中学校を卒業し上京。武蔵野音楽学校に入学。1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震で故郷の家が被災し、財産を喪失。苦学する。 1931年(昭和6年)武蔵野音楽大学を卒業。ビクターレコードから「酔って笑って」を作曲し作曲家デビュー。翌年キングレコードの専属となって松島詩子らの曲を作曲し、さらにポリドールレコードの東海林太郎などにも曲を提供した。
新城 正一(あらしろ せいいち、1908年(明治41年)5月… 新城 正一(あらしろ せいいち、1908年(明治41年)5月 - 1943年(昭和18年)8月)は、日本の作曲家、教師。 1908年(明治41年)、沖縄県恩納村名嘉真にて、瀬喜田、喜如嘉、宜野座、恩納の各小学校長を歴任した正成の長男として生まれる。沖縄県師範学校在学中に、恩師宮良長包と出会う。東京武蔵野音楽学校(現在の武蔵野音楽大学)卒業。 1938年(昭和13年)から、福岡県旧制小倉中学校・八幡中学校・門司中学校の教員となる。同年、陸軍省の愛馬進軍歌の作曲募集に応募、約5万件の応募作品の中から、一等に当選。 1943年(昭和18年)、喉頭結核にて35歳没。
万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - … 万城目 正(まんじょうめ ただし、1905年1月31日 - 1968年4月25日)は、日本の作曲家。本名は萬城目 侃(読みは同じ)。 北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身。 旧制中学校を卒業後に上京し、武蔵野音楽学校で学ぶ。その後一時帰道するが再び上京して松竹楽団に入社し、多くの劇伴を作曲・指揮を担当。1938年の映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」など多くの映画音楽を手がけ、そのほとんどの作品はコロムビアレコードからレコードとして発売され、専属作曲家として長年に渡り活動した。 戦後は映画『そよかぜ』の音楽を担当し、主題歌の「リンゴの唄」は並木路子が歌い大ヒットした。 また歌謡曲では高峰三枝子、美空ひばり、島倉千代子の歌を多く作曲し、戦前から多くの歌手や俳優の歌唱指導を担当した経験を活かして1957年には松竹大船撮影所の近くに「万城目正歌謡音楽院」を開校した。
栗谷 かずよ(くりや かずよ)は、日本のフルート奏者、作曲家… 栗谷 かずよ(くりや かずよ)は、日本のフルート奏者、作曲家・編曲家。熊本県出身。KAJU名義でシンガーソングライターとしても活動している。女性。 熊本市生まれ。4歳でピアノを始め、幼少の頃より即興で歌うようになる。小学生の頃は合唱部、中学時代は吹奏楽部に所属しその頃よりフルートを本格的に始める。高校卒業後、武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科(フルート専攻)に入学。大学3年の頃よりジャズや即興演奏に目覚める。同校を卒業後日本で演奏活動の後、Asia World Scholorship奨学金を得て2007年、米国ボストンのバークリー音楽大学に留学。在学中より、セッション・プレーヤー、レコーディング・アーティストとして活動を開始。
飯田 俊明(いいだ としあき)は、日本の作曲家、編曲家、ピア… 飯田 俊明(いいだ としあき)は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、キーボーディスト。テレビ番組、舞台作品、博覧会、テーマパーク、ゲーム作品などの音楽制作を手がけるほか、演奏家としてコンサートやレコーディングにも参加している。
水上 裕子(みなかみ ひろこ、英: Hiroko MINA)… 水上 裕子(みなかみ ひろこ、英: Hiroko MINA) は、日本のピアニスト、作曲家。アメリカでは「Hiroko MINA(ヒロコ・ミーナ)」の名で活動している。クラシカル・クロスオーバーを基軸に、クラシックやジプシー、フォーク、タンゴ、伝統音楽を融合した演奏活動を世界各地で行う。 幼少期より耳コピでピアノを弾き始め、即興演奏を得意としていた[1]。武蔵野音楽大学ピアノ科を卒業後、オーストラリアでデビューし、その後モスクワ音楽院とルーマニアで学ぶ。以降、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、中国などで数多くのコンサートや公演を行っている[2][3]。 これまでに自身の作曲によるアルバムを11枚、クラシックアルバムを2枚、ジャズボーカルアルバムを1枚リリースしている[4][5]。
松尾 謙二郎(まつお けんじろう)は、1966年(59 - … 松尾 謙二郎(まつお けんじろう)は、1966年(59 - 60歳)生まれ、福岡県出身のサウンドデザイナー、作曲家、メディアアーティストである。武蔵野音楽大学卒。株式会社インビジ、株式会社coton代表取締役。新しい音の価値と経験(サウンド・エクスペリエンス)を創造することをミッションに、サウンドデザイン、楽曲・映像制作、アートインスタレーション、インタラクティブデザインなど行う。 幼少時よりピアノを習い、クラシック好きな父親や、姉兄の影響で多様なジャンルの音楽に触れて育つ。初めて夢中になった楽曲は小学校低学年で聴いたビートルズの『イエロー・サブマリン』と『ゲット・バック』。中学ではベースを始め、本格的にバンド活動をスタートする。
樹原 涼子(きはら りょうこ)は、日本のピアニスト・作曲家。… 樹原 涼子(きはら りょうこ)は、日本のピアニスト・作曲家。熊本県熊本市出身。武蔵野音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。ピアノを、八戸澄江や有馬俊一、白石百合子らに教わり、ジャズピアノ・編曲・音楽理論などを八城一夫に教わる。 また、1991年2月から出版され、ロングセラーとなって180万部を超えた、メソッドの「ピアノランド」の著者である。このメソッドは、非常に音楽性を引き出すとしてピアノ教育界で高評価となった。 演奏家や講師以外にも、ゲーム『俺の屍を越えてゆけ』など、メディアへの楽曲提供を行っている。 父は元熊本日日新聞の記者にして、『走れ二十五万キロ マラソンの父 金栗四三伝』の著者でもある長谷川孝道であり、2013年の同著の復刻の際には樹原本人も編集に協力している。
高野 秀峰(たかの ひでみね)は、クラシック音楽の指揮者、作… 高野 秀峰(たかの ひでみね)は、クラシック音楽の指揮者、作曲家、編曲家。 東京都出身。作曲を鈴木輝昭、指揮をクルト・レーデル、ステファノ・マストランジェロに師事。桜美林大学総合文化学群音楽専修非常勤講師、日本作曲家協議会会員。2001年より、新国立劇場の副指揮(-06年)を経て、東京オペラプロデュース、オーケストラ・アンサンブル・トウキョウ監督、常任指揮者を務める。
西澤 健治(にしざわ けんじ)は、日本の作曲家、ピアニスト。… 西澤 健治(にしざわ けんじ)は、日本の作曲家、ピアニスト。日本童謡協会理事。 東京都出身。東京音楽大学付属高等学校ピアノ科卒業。武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。同大学院作曲科修了。
兵頭 佐和子(ひょうどう さわこ Sawako Hyodo)… 兵頭 佐和子(ひょうどう さわこ Sawako Hyodo)は日本のミュージシャン、ピアニスト、作曲家、編曲家。 5歳の時、母から教わりピアノを始める。武蔵野音楽大学ピアノ科卒、東京学芸大学大学院修了。クラシックピアノを習得するも、大学在学中にジャズの生演奏に触れ感銘を受け、それを契機にジャズに熱中し渡米。 NYでブルース・バース(Bruce Barth)にジャズピアノを師事。NYのライブハウスで多くの有名ミュージシャンとのセッションを経験する。帰国後日本のライブハウスで演奏を開始。2008年CDデビュー。都内ライブハウス中心にライブ活動を行っている。楽曲提供、編曲もジャンルボーダレスに行う。2011年9月ジョン・レノン・ソングライティング・コンテスト・ジャズ部門でベスト4(ファイナリスト)を日本人で初めて受賞した。
柳下 美恵(やなした みえ)は、日本のピアニスト、作曲家であ… 柳下 美恵(やなした みえ)は、日本のピアニスト、作曲家である。サイレント映画ピアニストとして国内、海外で活躍している。 1995年、山形国際ドキュメンタリー映画祭の映画誕生100年記念上映会でデビュー。2011年に杉田協士監督『ひとつの歌』の音楽を手がけ、2012年に篠崎誠監督『あれから』の音楽を手がける。2012年、カール・テオドア・ドライヤー監督『裁かるるジャンヌ』のUK盤DVDとUK盤Blu-ray Discに柳下のピアノ伴奏が収録された。