木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 19… 木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 1981年11月15日)は、日本の中国哲学研究者。大阪大学名誉教授。 京都府出身。1930年京都帝国大学文学部支那哲学史卒。1960年「老子の新研究」で京都大学文学博士。京大助教授、1949年大阪大学文学部教授、67年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。
京都大学:175人
木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 19… 木村 英一(きむら えいいち、1906年11月4日 - 1981年11月15日)は、日本の中国哲学研究者。大阪大学名誉教授。 京都府出身。1930年京都帝国大学文学部支那哲学史卒。1960年「老子の新研究」で京都大学文学博士。京大助教授、1949年大阪大学文学部教授、67年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。
竹内 喜三郎(たけうち きさぶろう、1905年9月4日 - … 竹内 喜三郎(たけうち きさぶろう、1905年9月4日 - 1989年3月7日)は、昭和時代の研究者、経営者。大阪府大阪市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
服部 英次郎(はっとり えいじろう、1905年1月14日 -… 服部 英次郎(はっとり えいじろう、1905年1月14日 - 1986年7月31日)は、日本の哲学研究者。関西大学名誉教授。 和歌山県生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒。神戸大学教授、名古屋大学教授、奈良女子大学教授、関西大学教授、1975年定年、名誉教授。 古代哲学末期のアウグスティヌスから中世哲学のトマス・アクィナス、ルネサンス期のベーコンなどの思想家を研究、アウグスティヌス『告白』『神の国』など多くの原典訳がある。
尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999… 尾上 正男(おのえ まさお、1905年1月4日 - 1999年5月16日)は、日本の国際政治学者、法学者、ソ連研究者。神戸大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市出身。1929年京都帝国大学法学部卒業。満州のハルピン学院や建国大学で教授を務める。終戦直前に現地召集され、戦後は5年間シベリア抑留された。 1951年より神戸大学法学部教授、1968年定年退官、名誉教授。同年より神戸学院大学法学部教授を務め、1974年から1980年までは学長も務めた。1989年退職。 1961年、「ソビエト外交史」で京都大学法学博士。1975年勲三等旭日中綬章受章。
澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき、1904年8月7日 - 19… 澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき、1904年8月7日 - 1995年2月26日)は、日本の哲学研究者。大阪大学名誉教授。専門はフランス哲学。 1904年、三重県伊勢市で生まれた。京都帝国大学文学部に入学し、哲学科で九鬼周造に師事した。1929年に卒業。1935年、フランス政府招聘留学生として渡仏。 1938年に京都帝国大学講師となり、1941年に大阪帝国大学講師に転じた。1954年、大阪大学文学部教授に昇格。1960年、学位論文『医学概論』を大阪大学に提出して医学博士号を取得。1968年、大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、南山大学教授を務めた。1986年、日本学士院会員に選出された。
桑原 武夫(くわばら たけお、1904年〈明治37年〉5月1… 桑原 武夫(くわばら たけお、1904年〈明治37年〉5月10日 - 1988年〈昭和63年〉4月10日)は、日本のフランス文学・文化研究者、評論家。京都大学名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階・勲等は従三位・勲一等。人文科学における共同研究の先駆的指導者でもあった。芸術・思想・社会・教育など文化全般に通じ、共同研究を推進。その成果は『ルソー研究』(1951年)などの著作に結実した。『第二芸術ー現代俳句について』(1946年)での俳句批判は物議を醸した。 1904年、福井県敦賀郡敦賀町蓬莱(現・敦賀市)で生まれた。父は京都帝国大学教授で東洋史専攻の桑原隲蔵(じつぞう)。敦賀は里帰り出産(両親とも同地の出身)の地であり、このような場合は京都生まれと称するのが通例だが、本人は敦賀に愛着を持っており、出身地として記載を続けた。
高田 三郎(たかだ さぶろう、1902年〈明治35年〉11月… 高田 三郎(たかだ さぶろう、1902年〈明治35年〉11月14日 - 1994年〈平成6年〉5月12日)は、日本の西洋哲学史(中世哲学)研究者、京都大学名誉教授。 大阪府に生まれる。1927年(昭和2年)京都帝国大学文学部哲学科(西洋古代中世哲学専攻)卒業。同年大学院に進学。1929年(昭和4年)から1932年(昭和7年)までの3年間ヨーロッパに留学し、オックスフォード大学のウィリアム・デイヴィッド・ロス(英語版)や、ベルリン大学のヴェルナー・イェーガーらのもとで西洋古典哲学を学んだ。 帰国後に広島文理科大学哲学科に講師として赴任。1936年(昭和11年)同大助教授、1947年(昭和22年)より京都大学文学部助教授、1950年(昭和25年)同大教授、1966年(昭和41年)定年退官し名誉教授。
春木 榮(はるき さかえ、1899年5月23日 - 2000… 春木 榮(はるき さかえ、1899年5月23日 - 2000年10月25日)は、昭和時代の研究者、経営者。島根県出身。京都帝国大学卒。富士フイルム株式会社社長を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂田 徳男(さかた とくお、1898年12月7日 - 198… 坂田 徳男(さかた とくお、1898年12月7日 - 1984年7月19日)は、日本の哲学研究者、大阪市立大学名誉教授。 1898年、兵庫県で生まれた。京都帝国大学文学部哲学科で学び、卒業。 修了後は、関西学院大学教授に就いた。戦後、大阪市立大学教授。1961年に大阪市立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、帝塚山大学教授として教鞭を執った。1984年に死去。
田崎 秀夫(たざき ひでお、1898年3月3日 - 1989… 田崎 秀夫(たざき ひでお、1898年3月3日 - 1989年12月19日)は広島文理科大学(現広島大学)の理学研究者。 福島県出身。X線および電子線による結晶解析の研究においてで、メタ硼酸の結晶構造の解析にフーリエ解析法を用いる方法を提案した。 広島大学退官後は、大阪電気通信大学学長に就任し、持ち前の温厚な性格と冷静な発言で、学生紛争を平和裏に終結に導いた。1970年、勲三等瑞宝章受章。1989年、腎不全のため死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
青山 民吉(あおやま たみきち、1896年 - 1953年1… 青山 民吉(あおやま たみきち、1896年 - 1953年11月30日、正字では靑山)は、日本の美術評論家、美学者、工芸研究者、装丁家、書店経営者。麻布中学校、第四高等学校 (旧制)一部法科独法、京都帝国大学文学部美学科卒。東西の美術に精通し、画集の出版等による紹介を行う。柳宗悦らによる民藝運動の同伴者となり、工藝美術の定義に関して啓発活動を行った[3]。また、有島生馬らによる一水會運動にも協力した。装丁家・美術評論家の青山二郎は弟。
上村 六郎(うえむら ろくろう、1894年10月10日 - … 上村 六郎(うえむら ろくろう、1894年10月10日 - 1991年10月29日)は、染織文化研究者。 新潟県刈羽郡生まれ。号は元人(げんじん、もとんど)。京都高等工芸学校染色学卒。京都帝国大学工学部工業化学科卒、同大助手。関西学院大学理工科講師、武庫川女子大学教授、1950年大阪学芸大学教授。58年定年退官、同年「上代文学に現れた色名・色彩並に染色の研究」で京都大学理学博士。県立新潟女子短期大学教授、新潟青陵女子短期大学初代学長、四天王寺女子大学教授、日本染織学園園長を兼任。旭川市の優佳良織(ゆうからおり)工芸館内国際染織美術館館長。 日本の古代染織を研究し、宮内庁の委嘱により正倉院御物裂の調査に当たる。
能勢 朝次(のせ あさじ、1894年〈明治27年〉4月1日 … 能勢 朝次(のせ あさじ、1894年〈明治27年〉4月1日 - 1955年〈昭和30年〉2月25日)は、日本の能楽研究者・日本文学者。専門は、中世・近世文学。奈良学芸大学学長等を歴任。能楽研究の分野では、膨大な史料を分析的に使う手法と卓抜した創見で斯界に一時代を画した。 1894年、京都府北桑田郡山国村(現京都市)に生まれた。1923年、京都帝国大学文学部国文科を卒業。 卒業後は、1924年より大谷大学教授となった。以降、京都帝国大学、東京高等師範学校、東京文理科大学(1949年に新制移行後東京教育大学、後筑波大学)などでも教鞭をとった。1947年に学位論文『能楽源流考』を東京文理科大学に提出して文学博士の学位を取得。
山本 修二(やまもと しゅうじ、1894年1月29日 - 1… 山本 修二(やまもと しゅうじ、1894年1月29日 - 1976年1月22日)は、日本の英文学者、演劇研究者。 京都生まれ。探墓家として知られた小学校教員山本臨乗の次男。1919年京都帝国大学文学部英文科卒、1921年龍谷大学教授、1925年第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1954年定年退官、名誉教授、立命館大学教授、1967年龍谷大学教授。アイルランド演劇の研究などをおこなうほか歌舞伎評論もした。森本薫と親しく、田宮虎彦は門下生(三高時代の教え子)。
御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)… 御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)10月27日 - 1971年(昭和46年)6月6日)は、日本の著述家、ジョン・ラスキン研究者。 三重県志摩郡鳥羽町(現鳥羽市)に生まれる。御木本幸吉の長男。第一高等学校を経て東京帝国大学文科に学ぶ。1914年に京都帝国大学に進み、河上肇のもと、イギリスの思想家、美術評論家のジョン・ラスキンを学ぶ。同校中退後、父親の会社で働きはじめるも、ラスキンは「海の底で真珠を探してドレスを飾るために100人のダイバーを雇うべきではない」(原文は「袖に縫い付けるビーズを見つけるために100人のダイバーを雇ってはいけない」)と述べているとして家業に批判的であった。
小笠原 登(おがさわら のぼる、1888年(明治21年)7月… 小笠原 登(おがさわら のぼる、1888年(明治21年)7月10日 - 1970年(昭和45年)12月12日)は日本の医学者(専攻は皮膚科学)でハンセン病(らい病)の研究者。元京都帝国大学医学部助教授。僧侶。 愛知県出身。京都帝国大学医学部卒業後、同大学医学部の皮膚科特別研究室助教授となり、1948年まで在職した。彼はハンセン病の発病は体質を重視すべきことや不治ではないことを主張し、当時行われていた患者の強制隔離・断種に反対したが、学会から葬り去られる結果となった。 愛知県海部郡甚目寺村(現:あま市)にある真宗大谷派円周寺の小笠原篤実の二男(戸籍では三男)として生まれる。祖父小笠原啓実は住職であり、尾張藩医浅井家の漢方医術を学んだ漢方医で、らい病、淋病、梅毒などを得意としていた。
武内 義雄(たけうち よしお、1886年(明治19年)6月9… 武内 義雄(たけうち よしお、1886年(明治19年)6月9日 - 1966年(昭和41年)6月3日)は、日本の東洋学者・中国哲学研究者。字は「誼卿」、「述庵」。東北帝国大学名誉教授。戦後の皇太子明仁親王に倫理(修身)を教えた。 1886年、三重県内部村小古曽(現四日市市)に真宗高田派の学僧・武内義淵の子として生まれた。第三高等学校で学び、京都帝国大学文科大学(現在の京大文学部)に入学。狩野直喜による「清朝学術沿革史」講義に深い感銘を受け、在学中はその指導を受けた。1910年、京大文科・支那哲学史講座を卒業。 卒業後は一度帰郷するが、勉学の志のため大阪に出て、大阪府立図書館に勤務。西村天囚と知り合い、漢文愛好者による修練会「景会」に加わった。
李 昇燁(い・すんよぷ)は日本の朝鮮近現代史研究者。大韓民国… 李 昇燁(い・すんよぷ)は日本の朝鮮近現代史研究者。大韓民国出身。佛教大学歴史学部教授。博士(文学)。 専門分野は朝鮮近現代史、日本帝国/植民地史で、植民地朝鮮における日本人社会・帝国/植民地をめぐる政治構造・植民地統治下における旧韓国皇帝一族(李王家)を研究課題としている。
下濱 俊(しもはま しゅん)は、日本の医師、研究者。札幌医科… 下濱 俊(しもはま しゅん)は、日本の医師、研究者。札幌医科大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
左右田 直規(そうだ なおき)は、日本の東南アジア研究者、歴… 左右田 直規(そうだ なおき)は、日本の東南アジア研究者、歴史学者。専門は東南アジア近現代史、マレーシア政治社会史。 東京外国語大学大学院総合国際学研究院(国際社会部門・地域研究系)教授。博士(地域研究)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山岸 久雄(やまぎし ひさお)は、日本の研究者。国立極地研究… 山岸 久雄(やまぎし ひさお)は、日本の研究者。国立極地研究所名誉教授、南極観測隊隊長。 埼玉県立熊谷高等学校、京都大学卒業。専門は超高層物理学。 電波によるオーロラ観測を専門とし、南極観測隊に6回参加し、越冬隊長、観測隊長を務める。南極ロケットや南極周回気球観測で主導的な役割を担う。北極圏では、カナダ、グリーンランド、ノルウェー、アイスランドでの観測に従事。 1998年、米国宇宙センター(NASA)グループ研究賞受賞。
鄔揚華(う・やんふぁ)は、中国・上海市出身の研究者、著述家。… 鄔揚華(う・やんふぁ)は、中国・上海市出身の研究者、著述家。中国琉球交流史、徐葆光、御冠船料理に関する研究・著述を行っている。一般社団法人徐葆光の道を歩もう会副理事長。 中国・上海市に生まれる。同済大学文学部日本語学科を卒業し、京都大学大学院工学研究科博士後期課程で単位を取得した。 徐葆光および御冠船料理を対象に研究・著述を行っている。2010年には、徐葆光の漢詩・琉球詩を軸とする琉球と中国の交流史研究と『徐葆光・奉使琉球詩「舶中集」詳解』の出版が、第20回おきぎんふるさと振興基金の助成先に選ばれた。 2003年、中国文聯出版社から『徐葆光『海舶集』 : 日文注釋』を刊行した。 2010年6月、出版舎Mugenから『「徐葆光奉使琉球詩舶中集」詳解』を刊行した。
平木 秀輔(ひらぎ しゅうすけ)は、日本の大学教員・研究者。… 平木 秀輔(ひらぎ しゅうすけ)は、日本の大学教員・研究者。専門は医療経営学、医療経済学、医療情報学。 灘高等学校、京都大学医学部医学科卒業。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。京都大学医学部附属病院医療情報企画部助教、京都大学医学部附属病院運営企画室副室長、田附興風会医学研究所北野病院医療情報部長などを経て、関西学院大学経営戦略研究科教授を務める。
山村 正俊(やまむら まさとし)は、関西大学システム理工学部… 山村 正俊(やまむら まさとし)は、関西大学システム理工学部物理・応用物理学科の前身である教養物理学教室の教授で原子核物理学分野の研究者。 原子核の基本的構成粒子をなす陽子と中性子の量子的集団運動の微視的理論を主に研究した。 1965年京都大学で理学博士の学位取得後、京都大学理学部助手を経て、1968年より独ハーン・マイトナー研究所へ留学。1972年より京都大学理学部助教授、1978年から招聘教授としてフランクフルト大学へ留学、1982年より関西大学工学部教授を務める。 関西大学システム理工学部 物理・応用物理学科が発足するまでの間、教養物理学教室にて工学部の物理教育を支えた。この間、1987年にはベルギーのルーヴェン・カトリック大学、1999年には独ミュンヘン工科大学へ関西大学から派遣され在外研究を行った。
湯川 剛一郎(ゆかわ ごういちろう)は、日本の食品に関する研… 湯川 剛一郎(ゆかわ ごういちろう)は、日本の食品に関する研究者。 1976年に京都大学理学部生物物理学科を卒業、同年、農林水産省食品流通局(現消費・安全局)に入省。2008年に退官。2008年5月に財団法人日本食品分析センター参与に就任、2009年4月に同テクニカルサービス部長兼務、2012年退所。2012年4月より、東京海洋大学で先端科学技術研究センター教授などを経て、2018年3月に退官。 2018年4月湯川食品科学技術士事務所所長となった。