井上 素夫(いのうえ もとお、1926年 - )は、日本の実… 井上 素夫(いのうえ もとお、1926年 - )は、日本の実業家。東京近鉄百貨店社長、近鉄松下百貨店社長、京都近鉄百貨店社長などを歴任した。 長野県出身、京都帝国大学卒業。 近畿日本鉄道入社後、分社化した近鉄百貨店へ転籍。関連会社の東京近鉄百貨店社長や同社と近鉄百貨店合併後の総務本部長(東京店担任)を務めた。 1985年5月、近鉄松下百貨店社長となり、山口県徳山市(当時)へ赴任。当時県内最大級の売場面積があり、周南地域では唯一の百貨店だったが、その地位に安住しないよう、社員には「東京、大阪へ出張して最新の情報を収集せよ」とハッパをかけていた。下関大丸、ちまきや(現在の山口井筒屋)で導入する女性社員の再雇用制度の導入も検討した。
岡本 夏木(おかもと なつき、1926年 - 2009年)は… 岡本 夏木(おかもと なつき、1926年 - 2009年)は、日本の心理学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1972年)(学位論文「発達的観点からみた弁別学習の転移に関する研究」)。京都教育大学教授・京都女子大学教授を歴任。 1952年京都大学文学部哲学科卒。 1972年「発達的観点からみた弁別学習の転移に関する研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。京都学芸大学助教授、京都教育大学教授、1990年定年退官、京都女子大学教授。2000年退職。発達心理学、言語心理学が専門。
木村 定(きむら さだむ、1926年 - )は、日本の医学者… 木村 定(きむら さだむ、1926年 - )は、日本の医学者。精神科医。 京都大学医学部卒業。1959年「神経症性離人症の精神病理学的研究」で京都大学より医学博士を授かる。関西医科大学助教授を経て龍谷大学に奉職、社会学部教授を務め1997年に定年退職[要出典]。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
小牧 久時(こまき ひさとき、1926年 - )は、日本の農… 小牧 久時(こまき ひさとき、1926年 - )は、日本の農学者。 1959年、京都大学大学院博士課程修了、農学博士。奈良女子大学講師、武庫川女子大学教授等を歴任。1992年ライナス・ポーリング(ノーベル化学賞受賞、ノーベル平和賞受賞)とともに国際地球環境大学を創立、名誉総長に就任。 農学者として活動する一方、宗教的な言動も多い。青年時代から国際平和を目的とした絶対菜食(ヴィーガニズム)を実践しており、谷口雅春に称賛された。生長の家宇治別格本山で講演したこともあり、国づくり人づくり財団の結成にも関与しているが、その関係者には村上正邦を始め谷口雅春の関係者も多く役員に加わっている。妙法蓮華宗の玉井礼一郎とも共著を記している。
尾崎 雄二郎(おざき ゆうじろう、1926年 - 2006年… 尾崎 雄二郎(おざき ゆうじろう、1926年 - 2006年12月8日)は、日本の中国研究者。専門は中国語音韻学。京都大学名誉教授。 1926年、東京生まれ。旧姓は清水。1943年4月、上海の東亜同文書院大学予科入学(第44期生)。1945年、日本の敗戦によって東亜同文書院大学が廃校となり京都大学に改めて入学し吉川幸次郎等に師事。1951年京都大学文学部文学科卒業。1956年京都大学大学院修了。立命館大学講師を経て、1959年京都大学教養部講師、1970年に助教授、1971年教授。1975年、京都大学人文科学研究所教授、1987年同・所長。1986年、『中国語音韻史の研究』で京都大学より文学博士の学位を取得。
黒川 洋一(くろかわ よういち、1925年12月15日 - … 黒川 洋一(くろかわ よういち、1925年12月15日 - 2004年9月23日)は、日本の中国文学者。大阪大学名誉教授。 広島県出身。京都大学文学部中国文学科で、吉川幸次郎・小川環樹に師事。 四天王寺女子大学助教授、大阪大学教養部教授、1979年「杜甫の研究」で、京都大学より文学博士の学位を取得。89年定年退官、名誉教授、奈良女子大学教授。近世漢文学の研究論考もある。 2004年9月23日、肺炎のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 201… 吉田 晶(よしだ あきら、1925年12月15日 - 2013年1月15日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。文学博士。岡山大学名誉教授。 兵庫県出身。陸軍士官学校59期生。1949年京都大学文学部卒業。高校教員を経て大阪電気通信大学教授。1978年岡山大学法文学部(現文学部)教授。1991年3月に退官後、甲子園大学教授を務めた。1986年「日本古代村落史序説」で大阪大学文学博士。岡山大学名誉教授。2013年1月15日、心不全で死去、87歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1… 清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1987年2月22日)は、日本の経営者、工学博士。富士電機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1976年1月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1986年6月に社長に昇格。 1983年4月に藍綬褒章を受章。 1987年2月22日急性心不全のために死去。61歳没。
清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008… 清水 茂(しみず しげる、1925年12月8日 - 2008年2月3日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。 1925年、京都府宇治市で生まれた。京都大学文学部を卒業。同・大学院に進み吉川幸次郎に師事した。 1952年、京都大学文学部助手に採用された。以後、助教授、教授に昇格。師の吉川が手掛けた『水滸伝』の翻訳を引き継ぎ、長年かけ訳した。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。
三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日… 三木 壽子(みき ひさこ、1925年12月8日 - )は、日本の植物学者。理学博士。元神奈川歯科大学教授。お茶の水女子大学ジェンダー研究センター研究協力員。レイチェル・カーソン日本協会会員。元花粉学会会長。 趣味はバード・ウォッチング。日本野鳥の会、鎌倉自主探鳥会グループなどに所属。探鳥と専門の植物観察のため、世界中を旅行する。世界のペンギン全種を観察したことは、日本野鳥の会神奈川支部では良く知られている。 (物理学史ノート 第11号 2008年9月1日発行 物理学史通信刊行会編より) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
武田 恒夫(たけだ つねお、1925年〈大正14年〉12月5… 武田 恒夫(たけだ つねお、1925年〈大正14年〉12月5日 - 2021年〈令和3年〉9月4日)は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授、大手前大学名誉教授。専門は日本絵画史。 1925年、京都府で生まれた。京都大学文学部哲学科で学び、1951年に卒業。 1962年、京都国立博物館学芸科技官に採用された。1967年より同室長。 1974年、大阪大学文学部教授に就任。1983年、学位論文『近世初期障屏画の研究』を大阪大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年に大阪大学を退任し、名誉教授となった。同年4月からは大手前女子大学文学部教授として教鞭をとった。2003年、日本学士院会員に選出された。 2021年9月4日、老衰のため死去。
谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 20… 谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄。弟に日本エディタースクール創設者の吉田公彦。 熊本県水俣市生まれ。水俣小学校、熊本県立熊本中学校(現:熊本県立熊本高等学校)、大阪府立浪速高等学校を経て、1945年、京都帝国大学文学部史学科に進学。兵役を挟んで、1948年9月卒業。同年京都大学大学院に入学し、その旁ら京都府立亀岡高等学校、京都府立洛北高等学校で教鞭も執る。 1952年11月に名古屋大学文学部助手(主任:宇都宮清吉)。1954年6月、京都大学大学院を退学する。名古屋大学文学部助教授を経て、1972年、名古屋大学文学部教授。
合田 健(ごうだ たけし、1925年11月26日 - 200… 合田 健(ごうだ たけし、1925年11月26日 - 2003年7月7日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。専門は衛生工学、水質工学、水質保全。工学博士(京都大学、1956年)。兵庫県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
甲斐 道太郎(かい みちたろう、1925年(大正14年)11… 甲斐 道太郎(かい みちたろう、1925年(大正14年)11月25日 - )は、日本の法学者。専門は、法社会学・民法。大阪市立大学名誉教授。 鹿児島県出身。イギリスが資本主義成立の先進国とされるのに対し、イギリスより後進国とされたドイツの法律が近代的法律のモデルとして引き合いに出されることに疑問を持ち英国土地制度史から土地所有権の研究を始める。法解釈論争、判例論争にも関わりその際「戦後の法律学は科学性に対するせつないまでの憧憬を示している」と主張し、論争相手でもあった星野英一に名言と言わしめた。 関西水俣病訴訟、大阪空港訴訟、サラ金問題などにも積極的に取り組む。また、法社会学者として司法書士の地位向上に関する研究も行う。
源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2… 源 哲麿(みなもと てつまろ、1925年11月21日 - 2020年3月30日)は、日本のドイツ文学者、専修大学名誉教授。中学校の社会科教員(勤務校:箕面市立第一中学校など)も務めた[要出典]。 島根県に生まれる。学徒出陣し、復員後京都帝国大学文学部哲学科を経て、同大学院(旧制)を修了する。[要出典] 専修大学文学部助教授を経て、経済学部教授に就任し、1996年に定年で退職、名誉教授となる。 この間、私生活では妻が胃癌を発症、その病床生活を綴った『青い水底で眠りたい ガン患者の病床覚書』を(共著として)1990年に刊行している。 2020年3月30日に死去(満94歳没)。
小関 治男(おぜき はるお、1925年11月20日 - 20… 小関 治男(おぜき はるお、1925年11月20日 - 2009年1月13日)は、日本の分子生物学者。京都大学名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
堀井 令以知(ほりい れいいち、1925年11月5日 - 2… 堀井 令以知(ほりい れいいち、1925年11月5日 - 2013年3月10日)は、日本の日本語学者・言語学者。関西外国語大学名誉教授。 京都市生まれ。父は兄の印刷所に勤め、1936年に独立して堀井欧文印刷所を経営していた。京言葉を中心に、語源の研究や言語比較など幅広く研究活動をおこなった。ドラマなどでの京言葉指導、御所言葉指導も数多く手がける。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
太田 時男(おおた ときお、1925年11月3日 - 200… 太田 時男(おおた ときお、1925年11月3日 - 2009年6月9日)は、日本の物理学者。 石川県金沢市生まれ。俳名・千崎登季生(せんざき ときお)。1948年京都帝国大学理学部卒、1962年「塑性的に変形された半導体に於けるゼーベック効果の理論」で理学博士。同副手、石川県立工芸高等学校教諭、金沢高等師範学校講師、教授、金沢大学助手、保安大学校講師、防衛大学校(校名変更)講師、助教授、教授、1965年オレゴン州立大学教授、1968年横浜国立大学教授、1981年水素エネルギー協会会長。1985年工学部長、学長を務めた。1989年定年退官、名誉教授。2001年春勲二等瑞宝章受勲。 2009年6月9日没、墓所は横浜市港南区の日野公園墓地。
片岡 曻(かたおか のぼる、1925年(大正14年)10月3… 片岡 曻(かたおか のぼる、1925年(大正14年)10月31日 - 2020年4月1日)は、日本の法学者。京都大学名誉教授。専門は労働法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1962年)。発行される書籍の中では「片岡昇」とも表記される。 この他に東京大学社会科学研究所兼任教授(1981年~1983年)、京都大学評議員、京都府労働基準審議会公益代表委員、日本学術会議第一部長なども務めた。 専門領域は、労働法全域とイギリス労働法で特に労働組合法、労働団体法を研究。労働協約論に造詣が深い。 2020年4月1日、京都市内の病院にて死去。94歳没。 法の一般理論・基本原理の分野では加藤新平を、労働政策を含む社会政策の分野では岸本英太郎に薫陶を受けた。
山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1… 山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1992年7月30日)は、建築学者。 1925年、京都市で由緒ある左官屋に生まれた。京都帝国大学工学部建築学科で学び、戦後の1949年に卒業。一級建築士として、鹿島建設に勤務。一方で、京都大学大学院特別研究生として学んだ。 1953年、大阪市立大学講師に就いた。1961年、学位論文『日本壁の歴史的研究』を京都大学に提出して工学博士号を取得。1963年、助教授昇格。1968年、関西大学工学部教授となった。大学では、日本建築史だけでなく、一般構造学、建築設計製図の講義や演習なども担当。また関西大学が企画した日印共同「伝祇園精舎発掘プロジェクト」にも参加した。
小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 -… 小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 - 1996年12月7日)は、経済学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1949年京都帝国大学経済学部卒、大阪市立大学経済研究所に入所。1951年京都大学助手、1956年助教授、1970年教授。1989年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。
上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 20… 上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 2005年12月17日)は、日本の教育哲学者、心理学者。姫路工業大学名誉教授。 大阪府茨木市出身。1952年京都大学文学部哲学科卒業。1968年「精神的に健康な人格の概念に関する研究」で京大教育学博士。姫路工業大学講師、助教授、教授、名誉教授、兵庫教育大学教授、龍谷大学教授。1996年退職。人間主義心理学を提唱した。
舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3… 舘 糾(たち ただす、1925年10月2日 - 2007年3月29日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務め、日本化学会会長、化学工学会会長、化学教育協議会議長を歴任した。 京都府京都市出身。1950年に京都大学農学部農林学科を卒業し、同年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に入社。1971年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1989年6月に社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2007年3月29日、肺炎のために死去。81歳没。かつて舘が特別顧問を務めていた国際教育学会では、舘の功績を称え、2007年度より学会賞として「国際教育学会・舘糾賞」を設立し、2014年度の第6回まで授賞が行われた。
門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 20… 門脇 禎二(かどわき ていじ、1925年9月28日 - 2007年6月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。大化の改新否定論や地域国家論で知られる。京都府立大学名誉教授、京都橘女子大学名誉教授。 1925年、高知県生まれ。第五高等学校在学中に応召。除隊後に京都大学文学部史学科に進み、1949年に卒業。同大学大学院に進んだ。 1954年、京都大学文学部助手に採用された。1957年、奈良女子大学文学部講師となった。1960年に同助教授、1966年に同教授昇格。1969年、学位論文『「大化改新」論:その前史の研究』を京都大学に提出して 文学博士号を取得。1975年10月、京都府立大学文学部史学科教授に転じた。
深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1… 深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1991年10月24日)は、日本の文化人類学者、評論家、歌人。 京都大学文学部仏文科卒、東京大学大学院で石田英一郎に文化人類学を学ぶ。1952年にパリ・ソルボンヌ大学留学、1953年よりNHK欧州総局、1957年より毎日新聞パリ支局勤務。日南貿易取締役のかたわらアンコール・ワットの研究をする。1960年より東南アジアでのフィールドワークの後、フランス文学から文化人類学へ専門を変更。ワシントン州立大学客員教授、京都精華短期大学教授、学長、京都精華大学教授、奈良女子大学教授、明治学院大学教授を歴任した。カンボジアの地域研究を専門に、幅広い批評活動を行った。
千葉 康則(ちば やすのり、1925年9月25日 - 200… 千葉 康則(ちば やすのり、1925年9月25日 - 2004年12月16日)は、日本の脳生理学者、医師。医学博士(1956年)(学位論文「ヒキガエルの膀胱の神經支配 」)。法政大学名誉教授。 東京府(現墨田区)生まれ。京都大学医学部卒。1956年医学博士。学位論文の題は 「ヒキガエルの膀胱の神經支配 」。 京都大学医学部助手、山口県立医科大学(現山口大学医学部)助教授、法政大学教養部教授、1996年定年、名誉教授。2003年瑞宝中綬章叙勲。知能研究所所長。日本生理学会、日本健康科学学会、たばこ問題を考える会会員。専攻は脳生理学、行動科学。 2004年12月16日、慢性腎不全のため死去。
山田庄一(やまだ しょういち、1925年9月25日 - )は… 山田庄一(やまだ しょういち、1925年9月25日 - )は、古典演劇の製作者、評論家。 大阪府大阪市船場生まれ。水落潔は実弟。1947年京都帝国大学医学部薬学科卒。岐阜薬科大学助教授、毎日新聞記者をへて、1966年国立劇場の開場にあたり創立メンバーとなり国立劇場に勤務。演出室長、芸能部副部長、調査養成部長、1982年国立劇場理事。国立文楽劇場理事を務めた。
小川 進(おがわ すすむ、1925年9月15日 - 2009… 小川 進(おがわ すすむ、1925年9月15日 - 2009年5月14日)は、日本の経営者。愛知県出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に東邦ガスに入社。1975年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1984年6月に社長に就任し、1994年6月には会長に就任。2000年6月から相談役を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2009年5月14日肺炎のために死去。83歳没。
竹中 正夫(たけなか まさお、1925年9月6日 - 200… 竹中 正夫(たけなか まさお、1925年9月6日 - 2006年8月17日)は、日本のキリスト教神学者、同志社大学名誉教授。 北京に生まれる。成城高等学校を経て、1944年、京都帝国大学経済学部入学後、学徒出陣。除隊後、復学し、1948年に卒業。同志社大学神学部に編入学し、1950年に卒業。イェール大学神学部大学院に留学し、1955年に神学博士。同志社大学助手、1956年、助教授、1961年教授。1962年ユニオン神学校訪問教授。1965年同志社大学神学部長。1996年、定年となり名誉教授、聖和大学教授。2005年にキリスト教功労者を受賞。同年11月に瑞宝中綬章を受章。
吉田 善一(よしだ ぜんいち、1925年〈大正14年〉8月1… 吉田 善一(よしだ ぜんいち、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2023年〈令和5年〉5月4日)は、日本の化学者。専門は有機化学、創造機能化学。京都大学名誉教授。1987年度日本化学会会長。工学博士。位階勲等は正四位勲二等瑞宝章。 1925年8月19日、香川県三豊郡仁尾町(現在の三豊市仁尾町)にて生まれた。家業が醸造業だったため、子供の頃からコウジやもろみなど、発酵過程における色の変化を不思議に思い、成長の中で自然が魅せる多種多様な色素に興味を持つようになった。戦時中は、父親が召集された上に、原爆による被爆を経験した。 戦後復員した父の許可を得て、色素研究で著名な吉田彦六郎のいる京都大学工学部工業化学科に進学した。
江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 200… 江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 2004年7月26日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀市生まれ。東亜同文書院大学第44期生、京都大学文学部東洋史学科卒。毎日新聞社に入り、北京支局長となるが文化大革命に際し国外追放となる。受難の書「燕山夜話」紹介解説で1966年菊池寛賞受賞、1968年米中関係全国委員会の招請で渡米報告、1979年論説委員で退社、日本大学商学部教授を務め、95年退職。上海師範大学客員教授。
黒川 正宏(くろかわ まさひろ 1925年7月19日-197… 黒川 正宏(くろかわ まさひろ 1925年7月19日-1974年2月28日)は、日本の教員、歴史家。 1947年に廣島高等師範学校卒業し、広島文理科大学に入学。1950年に卒業すると、京都大学大学院に入学。1954年に修了し、広島県立舟入高等学校教諭となる。教員を務める傍ら、研究を続け、広島県史編さん委員を委嘱される。1969年に退職し、尾道短期大学講師となり、翌1970年から同学助教授。 日本中世史を専攻し、若狭国の浦刀禰、山国荘、伏見荘などを題材に惣村の研究を進め、惣荘と地侍の関係を追究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 202… 禿 了滉(とく りょうこう、1925年7月15日 - 2020年2月18日 )は、日本の真宗誠照寺派の僧侶(浄覚寺住職)、仏教学者、教育者(学校法人仁愛学園学園長)・福井県元教育委員長。 1925年に福井県越前市に生まれる。母親の実家の浄覚寺(鯖江市)へ養子に入り、金沢市の第四高等学校を卒業、1951年に長尾雅人に師事し京都大学哲学科仏教学専攻を卒業、1953年に同大学院哲学研究科仏教学専攻を修了。 1965年に仁愛女子高等学校校長に就任、1969年に仁愛女子短期大学学長に就任。2008年に福井県教育委員長に就任(2010年まで)
奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 199… 奥村 三雄(おくむら みつお、1925年7月2日 - 1998年4月19日)は、日本の国語学者。九州大学名誉教授。専門は古典語、方言学。 京都府出身。1949年京都大学文学部国文科卒。1978年「平曲譜本の国語学的研究」で九州大学文学博士。京大助手、1956年岐阜大学講師、1958年助教授、1969年九州大学文学部助教授を経て、1978年教授となる。1989年定年退官、名誉教授。
伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 -… 伊藤 博(いとう はく、1925年〈大正14年〉7月1日 - 2003年〈平成15年〉10月6日)は、日本の文学者(万葉学者)。筑波大学名誉教授。伊藤益(筑波大学名誉教授)は息子。 長野県上伊那郡高遠町(現伊那市)出身。1952年(昭和27年)京都大学文学部文学科卒業。斎藤茂吉の『萬葉秀歌』の影響により万葉集研究を志す。京都大学在学中、澤瀉久孝の下で『万葉集』などの上代文学を学ぶ。 専修大学助教授、筑波大学教授、共立女子大学学長等を歴任。その他には萬葉学会代表も務めた。 伊藤は、一首ごとに注釈を付けるという万葉研究の伝統的な研究手法に疑問を抱いており、万葉集は複数の歌からなる歌群によって構成され、全体で一つの物語となると考えていた。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 20… 平井 俊彦(ひらい としひこ、1925年6月16日 - 2003年6月5日)は、日本の経済学・社会思想史学者。京都大学名誉教授。 神戸市生まれ。1948年京都帝国大学経済学部卒、1951年京都大学大学院経済学研究科修了。1964年「ロックにおける人間と社会」で京大経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1968年教授。1975年経済学部長。1989年定年退官、名誉教授、名古屋外国語大学教授、副学長、2000-2002年学長を務めた。第11期、第12期日本学術会議会員。2002年勲二等瑞宝章受勲。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 201… 伊藤 道治(いとう みちはる、1925年6月7日 - 2016年4月3日 )は、日本の中国古代史研究者。関西外国語大学名誉教授。 1925年、愛知県で生まれた。京都大学文学部史学科で学び、1949年に卒業。 卒業後は神戸大学文学部教授に就いた。1973年、学位論文『出土資料を中心とする殷周史の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。関西外国語大学教授・同国際文化研究所所長を務めた。定年退職後に同大学名誉教授。2016年4月3日に死去。
桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、… 桑原 亮三(くわはら りょうぞう、1925年6月 - )は、日本の仏教学者、僧侶。米国ライス大学研究員、太平寺住職。 駒澤大学仏教学部卒業。大本山永平寺安居。1956年京都大学大学院修士課程宗教学専攻修了(題目「宗教的真理の問題について-キルケゴールを中心として-」)。同博士課程単位修得退学。 京都大学に新制の大学院ができた年に出願。西谷啓治教授のもとで10年ほど哲学を学ぶ。米国ライス大学研究員を経て、太平寺住職。大阪国際宗教同志会会員。 主な著作に「現代に生きる世界の宗教」A・Jバーン(Archie J Bham)著(翻訳)、「道元とキエルケゴール」など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1925年5月30日 -… 中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1925年5月30日 - )は、日本の西洋史学者、京都大学人文科学研究所名誉教授。宗教改革を専門とした。 1925年、兵庫県神戸市で生まれた。京都帝国大学文学部史学科で学び、1948年に卒業。 1950年、神戸大学文理学部助手に採用された。1958年、立命館大学文学部助教授に就いた。1965年に京都大学人文科学研究所助教授に転じ、1977年に教授昇格。1990年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 CiNii Books 著者 - 中村賢二郎
谷口 謙(たにぐち けん、1925年5月28日 - 2022… 谷口 謙(たにぐち けん、1925年5月28日 - 2022年10月3日)は、京都府中郡口大野村(現・京丹後市大宮町口大野)出身の医師・詩人。京丹後市名誉市民。 1925年(大正14年)5月28日、京都府中郡口大野村(現・京丹後市大宮町口大野)に生まれた。父は開業医の谷口海山、母はしん。父方の曽祖父は峰山藩士の儒医であり、母方の曽祖父は姫路藩勘定奉行、母方の祖父は姫路町収入役だった。夭逝した兄、2人の姉がいた。2歳だった1927年(昭和2年)3月7日に北丹後地震を経験したが、幼少だったため地震の記憶はないという。 1932年4月(昭和7年)に口大野尋常高等小学校に入学し、1938年(昭和13年)3月に卒業した。
平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 200… 平田 嘉三(ひらた かぞう、1925年5月28日 - 2008年12月23日)は、日本の西洋史学者・教育学者。広島大学名誉教授。歴史教育学を提唱した。 広島県尾道市生まれ。1949年広島文理科大学西洋史学科卒。1953年京都大学大学院博士課程満期退学、広島大学助手、広島女学院大学講師、文部省初等中等教育局教科書調査官。1971年広島大学教育学部助教授、教授。広島大学附属小学校校長。1986-89年全国社会科教育学会会長。89年広島大を定年退官、名誉教授、広島工業大学教授、広島女学院理事、広島女子商短期大学長、同理事長。93年広島県教育委員会委員長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
酒井 修(さかい おさむ、1925年5月23日 - 2021… 酒井 修(さかい おさむ、1925年5月23日 - 2021年2月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。西洋近世・現代哲学および哲学史、ヘーゲルをはじめとするドイツ観念論を専攻。京都ヘーゲル読書会の初代世話人、名誉顧問。 1950年京都大学文学部卒、同大学院文学研究科特別研究生、1955年助手、1958年国際基督教大学専任講師(哲学)、1961年助教授、1966年準教授、1968年京都大学教養部助教授(哲学・論理学)、1972年教授、1975年文学部教授、1989年定年退官。1990年名誉教授、1991年川崎医療福祉大学教授、1996年退職、立命館大学文学部非常勤講師。2021年2月18日、心不全のため死去。
山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 20… 山田 宗睦(やまだ むねむつ、1925年5月21日 - 2024年6月17日)は、日本の評論家・哲学者。 1925年、山口県下関市生まれ。幼少期を下関、稚内、金沢、函館で過ごした。水戸高等学校で学び、1946年に京都帝国大学文学部哲学科に入学した。 卒業後は北海道第二師範学校助教授となった。東京大学出版会編集者などを務め、1959年より評論活動に入る。1962年「思想の科学」編集長。1965年には『危険な思想家』を出版。桃山学院大学教授を経て、1977年から1995年まで関東学院大学教授を務めた。1977年には作家の中山千夏らと革新自由連合を結成した。 1989年頃には神奈川県藤沢市辻堂に住んだ。
坂本 慶一(さかもと けいいち、1925年5月20日 -20… 坂本 慶一(さかもと けいいち、1925年5月20日 -2017年3月24日)は日本の経済学者。京都大学名誉教授。農業経済学を専門とし、農政問題について活発に発言した。またフランスの初期社会主義研究でも知られる。農学博士(京都大学、1965年)。青森県生まれ。
平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日… 平田 豊(ひらた ゆたか、1925年5月13日 - )は、日本の経営者。東京都出身。 1948年に京都帝国大学法学部法学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1970年11月に取締役を就任し、常務、専務を歴任。 1977年9月にユニチカ副社長に就任し、1982年4月には社長に昇格。社長在任時には、経営の再建に尽力した。1989年6月から1993年6月までに会長を務めた。 1989年4月から1年間日本紡績協会会長を務めた。
林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006… 林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006年1月1日)は、日本の考古学者。専門は中国考古学、特に青銅器・玉器を研究した。京都大学名誉教授。日本学士院会員。1995年勲三等旭日中綬章受章。 1925年、神奈川県藤沢市鵠沼に生まれた。父・林達夫は著名な思想家・評論家で、明治大学教授や平凡社『世界大百科事典』編集長を務めていた。その長男で、父を編集者・言論人として認める一方で、自身は父を越えるべく「自ら生み出す者としての学者になろうと思った」と語っていた。京都大学文学部史学科で学び、1950年に卒業。 卒業後は、父の伝手で一時期平凡社編集部に勤務。しかし1957年、京都大学人文科学研究所助手に採用された。
森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年1… 森田 桂(もりた かつら、1925年5月6日- 2013年11月14日 )は、日本の経営者。学位は、理学博士。武田薬品工業社長、会長を務めた。大阪府出身。 1948年に京都大学理学部化学科を卒業し、同年に武田薬品工業に入社。1961年から1年間アメリカ国立衛生研究所に留学。1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。1993年6月から会長を務め、1997年6月から相談役を務めた。 1997年11月には勲二等瑞宝章を受章した。 2013年11月14日、急性心不全のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 20… 上山 安敏(うえやま やすとし、1925年5月1日 - 2021年10月28日)は、日本の法制史学者。専門は、西洋法制史・法社会史・法思想史。京都大学名誉教授。 1925年、兵庫県生まれ。徴兵を受けて出征し、1949年11月、シベリアより復員帰国。1953年、京都大学法学部卒業。大学院に進み、1956年より京都大学法学部助手。1958年、同助教授に昇進。1965年、学位論文『ドイツ官僚制成立論』を京都大学に提出して法学博士号を取得。1966年、同教授に昇進。1989年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。 京都大学退職後は奈良産業大学法学部教授として教鞭をとった。2000年に奈良産業大学を退任。