建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 19… 建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 1997年12月27日)は、日本の経済学者。専門は、近代経済学・国際経済学。学位は、経済学博士(大阪大学・1961年)。大阪大学名誉教授。岡山県出身。
京都大学:5,064人
建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 19… 建元 正弘(たてもと まさひろ、1924年1月1日 - 1997年12月27日)は、日本の経済学者。専門は、近代経済学・国際経済学。学位は、経済学博士(大阪大学・1961年)。大阪大学名誉教授。岡山県出身。
中野 玄三(なかの げんぞう、1924年1月1日 - 201… 中野 玄三(なかの げんぞう、1924年1月1日 - 2014年4月21日)は、日本の美術史学者。嵯峨美術短期大学名誉教授。 佐賀県唐津市に生まれる。筑豊の貝島鉱山に勤めていた父の急逝により、家族で東京に転居した。第二荏原尋常高等小学校、名教中学を経て飛び級で陸軍予科士官学校に入学。運動が苦手で劣等生となるもどうにか卒業し、陸軍航空士官学校に進学、整備を学ぶ。1943年、航空士官学校を卒業(56期)、中国東北部温春に駐屯。戦況悪化により所属の戦隊が千葉県東金飛行場へ移動、そこで終戦を迎えた。 戦後、農家の下働きや工場の守衛などをして食いつなぐなか、訪れた東京国立博物館で百済観音のレプリカを目にし、仏像への興味を持つ。
森下 忠(もりした ただし、1924年1月1日 - )は、日… 森下 忠(もりした ただし、1924年1月1日 - )は、日本の刑法学者。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1962年)(学位論文「緊急避難の研究」)。広島大学名誉教授。弁護士であったが、後述の不祥事を契機に弁護士を辞めた。 鳥取県出身。森下重義・つねの二男。1950年、京都大学法学部卒業、1952年に岡山大学講師、後に助教授。1962年、「緊急避難の研究」で、京都大学より法学博士の学位を取得。1965年、岡山大学教授、1976年、広島大学法学部教授、1987年に定年退官、名誉教授、駿河台大学教授、1994年に退職し、その後、岡山大学名誉教授。弁護士。後述の不祥事により2015年に横浜弁護士会(現神奈川弁護士会)を退会。
井上 庄七(いのうえ しょうしち、1924年 - 1987年… 井上 庄七(いのうえ しょうしち、1924年 - 1987年3月)は、日本の哲学者。 大阪府生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒。神戸大学文理学部助教授、神戸大学文学部教授。在職中に死去。
上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史… 上島 有(うえじま たもつ、1924年 - )は、日本の歴史学者、摂南大学名誉教授。専門は中世古文書。 三重県生まれ。1950年京都大学文学部史学科卒業。京都府立総合資料館を経て、1980年代から大阪電気通信大学教授、摂南大学教授、花園大学教授。 1971年「京郊庄園村落の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1999年「東寺・東寺文書の研究」で、密教学芸賞 ・角川源義賞を受賞。京都大学教授で中世史家の上島享は子[要出典]。
島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)… 島崎 稔(しまざき みのる、1924年 - 1989年5月)は、日本の社会学者。中央大学文学部教授。妻は経済学者の島崎美代子。 日本の村落社会学・地域社会学の重鎮。「日本のマルクス主義的農村社会学の理論的指導者」。社会調査論の専門家でもあった。 東京生まれ。実家の家業は指物師。1945年3月旧制第二高等学校文科卒業。西域=シルクロードの美学を学ぶため京都大学文学部哲学科(美学美術史講座)に入学。すぐに陸軍に徴兵され、千葉県で敗戦を迎えた。敗戦後も憲兵としてしばらく軍隊に所属した。1945年10月に復員、京都大学を退学。戦争直後で家を離れて生活できず、美学で生計を立てられる可能性が小さいという経済上の問題のため、また社会主義を学ぶため、1946年東京大学文学部哲学科社会学専修科に入学。
高原榮重(たかはら ひでしげ、1924年 - )は、筑波大学… 高原榮重(たかはら ひでしげ、1924年 - )は、筑波大学農林工学系・教授。第5回日本公園緑地協会北村賞受賞。徳島県生まれ。1949年京都大学農学部林学科卒業。1982年から筑波大学農林工学系・教授。退官後、(株)オオバの技術顧問。農学博士。 著書に『環境科学〈2〉人間社会系』(編集、朝倉書店、2012年)『環境科学』(編集、朝倉書店、2010年、1989年)『都市緑地』(鹿島出版会、1988年)『緑地施設の設計 : 造園意匠論』(共著、鹿島出版会、1978年)『都市緑地の計画』(鹿島研究所出版会、1974年)『园林设计 : 造园意匠论』(共著、索靖之, 任震方, 王恩庆译(訳)中國建築工業出版社、1984年)など。
山田操(やまだ まもる、1924年- )は、日本の社会学者、… 山田操(やまだ まもる、1924年- )は、日本の社会学者、神奈川大学名誉教授。 奈良県生まれ。1948年京都帝国大学文学部哲学科卒。神奈川大学助教授、教授。1995年定年退任、名誉教授。
澤田 久雄(さわだ ひさお、1924年 - 2001年8月3… 澤田 久雄(さわだ ひさお、1924年 - 2001年8月30日)は、日本の外交官。 澤田廉三・美喜夫妻の次男として生まれた。京都帝国大学在学中に海軍に召集され予備少尉となる。特別攻撃隊に入隊するが出動の2週間前に終戦となり復員した。 復学後、1947年1月に国公立大学では初めてとなる京都大学アメリカンフットボール部・京都大学ギャングスターズを創設し、初代主将を務めた。ポジションはセンターであった。 創部当初は、同志社大学ワイルドローバーの主将・伊藤荘造からユニフォームの貸し出しや練習に付き合ってもらうなど多くの手助けを受けたという。その後、ダンスパーティーを主催し、その売上でユニフォームや防具の費用を賄った。
本庄 良邦(ほんじょう よしくに、1924年 - 1988年… 本庄 良邦(ほんじょう よしくに、1924年 - 1988年4月6日)は、日本の教育社会学者。 京都帝国大学文学部教育学科を卒業。鹿児島大学教育学部講師、関西大学社会学部講師、助教授を経て、教授となる。64歳で死去。 1975年、「産業教育体制論研究 その現象形態と改革の視覚」で大阪市立大学より文学博士号を取得した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
楊名時(中国語:Yáng Míng-Shí/和名:よう めい… 楊名時(中国語:Yáng Míng-Shí/和名:よう めいじ、1924年 - 2005年7月3日)は、中国山西省五台県古城村生まれで日本に帰化した武術家。 京都大学法学部政治学科卒業後、東京中華学校校長を経て、大東文化大学名誉教授、楊名時八段錦・太極拳を創始。1960年頃より、日本で独自の太極拳の指導・普及に携わる。日本健康太極拳協会(楊名時八段錦・太極拳友好会)を創立し自ら最高顧問を務めた。日本空手協会師範。2005年7月3日逝去。享年80。
中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2… 中村 尚夫(なかむら ひさお、1923年12月17日 - 2008年6月25日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。京都府京都市出身。 第三高等学校を経て、1948年に京都大学経済学部を卒業し、1950年に同大学院を修了し、同年にクラレに入社した。 1972年11月に取締役に就任し、1976年6月には常務に就任し、1981年6月には副社長に就任した。 1985年6月には社長に昇格し、1993年6月には会長に就任した。2000年6月から相談役に就任した。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1996年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2008年6月25日急性冠症候群のために兵庫県宝塚市の病院で死去。
林 敬次郎(はやし けいじろう、1923年11月28日 - … 林 敬次郎(はやし けいじろう、1923年11月28日 - 2018年9月2日)は、美津濃株式会社(現ミズノ株式会社)元常務取締役技術開発本部長。 炭素繊維を用いたゴルフクラブ(ブラックシャフト)の開発などで、1970年代、1980年代にスポーツ用品への新素材活用を世界に先駆けておこなった技術者。CFRPを世界で初めてゴルフクラブに採用。1989年、通商産業大臣表彰(安全性認定制度普及功労者表彰)受賞。薬学博士。旧バット工業会会長。 1923年(大正12年)大阪市北区で美津濃株式会社(現ミズノ株式会社)創業者水野利八と内縁の妻林つゆとの間に生まれる。大阪薬学専門学校(旧制)(現大阪大学薬学部)卒業後、第二次世界大戦では海軍にて薬剤官として従事。
江木 信敬(えき のぶたか、1923年11月26日 - 20… 江木 信敬(えき のぶたか、1923年11月26日 - 2012年11月27日)は、日本の経営者。三菱倉庫会長を務めた。東京都出身。 1948年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。 1976年6月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1987年6月には会長に就任。1992年6月に相談役に就任。 1996年4月に藍綬褒章を受章。。 2012年11月27日肺炎のために死去。89歳没。
小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 20… 小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 2011年6月4日)は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。1982年に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年4月には新キャタピラー三菱社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 2011年6月4日肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
越智 武臣(おち たけおみ、1923年(大正12年)11月2… 越智 武臣(おち たけおみ、1923年(大正12年)11月20日 - 2006年(平成18年)1月10日)は、日本の西洋史学者。京都大学名誉教授。専門は近代イギリス史。 1923年、愛媛県で生まれた。第三高等学校を卒業後、兵役についた。戦後京都大学文学部に進学し、1948年に卒業。英国ハル大学に留学して学んだ。 1952年、京大文学部助教授に就任。1969年、学位論文『近代英国の起源』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1970年に教授昇格。1987年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都橘女子大学教授として教鞭をとり、1989年に同大学学長に就いた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2… 桂田 鎮男(かつらだ しずお、1923年11月12日 - 2014年10月21日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。滋賀県出身。 1949年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友電気工業に入社。1976年6月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1982年6月に顧問に就任。1982年3月に住友ゴム工業副社長に就任し、1984年3月には社長に昇格。1990年3月に副会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2014年10月21日心不全のために死去。90歳没。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
田淵 節也(たぶち せつや、1923年10月25日 - 20… 田淵 節也(たぶち せつや、1923年10月25日 - 2008年6月26日)は、野村證券(現・野村ホールディングス)の社長、会長を歴任した日本の実業家。 後任の社長に就任した田淵義久(縁戚関係はない)と区別するため俗称は大田淵(大タブチ)。 京都大学法学部卒業後、1947年野村證券に入社。主に営業畑を歩んだ後、1978年社長に就任。精彩を欠いていた国際部門を飛躍的に伸ばし、世界有数の証券会社に押し上げた。 1985年に社長の座を同姓で出身都道府県も同一である田淵義久に譲り、会長に就任した後も、実力会長として君臨した。 1990年12月には証券業界では初の経団連副会長に就任したが、1991年損失補てん問題や暴力団との取引が発覚。
巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日… 巽 外夫(たつみ そとお、1923年(大正12年)10月7日 - 2021年(令和3年)1月31日)は、日本の実業家。住友銀行頭取を歴任したほか、マツダ再建に尽力したことでも知られる。福井県出身。旧姓は中野。 旧制京都府立桃山中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年京都大学法学部を卒業後、住友銀行入行。 1963年平野支店長、本店営業部次長、一宮支店長、1968年審査第二部長、1971年審査第一部長、融資部長を経て、1972年取締役。1975年常務取締役。1979年代表取締役専務。1982年副頭取。 1975年に東洋工業(現:マツダ)の再建を担当。同社とフォード・モーターの資本提携交渉では橋渡しを務め、米国の独占禁止法の審査では英語で証言に臨むなど奔走した。
馬場 正雄(ばば まさお、1923年 <大正12年> 10月… 馬場 正雄(ばば まさお、1923年 <大正12年> 10月4日 - 1986年 <昭和61年> 10月27日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士(1962年)。元京都大学教授。位階は正四位。 滋賀県出身。京都大学経済学部卒、1962年「景気予測と企業行動」で経済学博士の学位を取得。和歌山大学講師、助教授、京都大学助教授、教授。1971年 - 1974年京都大学経済研究所所長、1986年に再任されるが、ほどなく63歳で死去。死没日付をもって正八位から従四位、正四位に進階し、勲二等瑞宝章を追贈された。
大橋 博司(おおはし ひろし、1923年9月26日 - 19… 大橋 博司(おおはし ひろし、1923年9月26日 - 1986年9月21日)は、日本の医学者・精神科医。国立京都病院(現:国立病院機構京都医療センター)院長。京都大学名誉教授。専門は臨床精神医学、特に失語症を中心とする神経心理学。 1946年京都大学医学部卒業後、医学を専門とするかたわら帝塚山大学にて哲学や古典を勉強した。1953年「失語における一般障碍について」で京都大学より医学博士の学位を取得。 1973年 - 1985年京都大学精神医学教室教授(第4代)。
吉田 克己(よしだ かつみ、1923年9月13日 - 201… 吉田 克己(よしだ かつみ、1923年9月13日 - 2016年1月16日)は、日本の公衆衛生学者。三重大学名誉教授。 岐阜県出身。京都帝国大学を卒業。1958年(昭和33年)、三重県立大学(現・三重大学医学部)の教授に就任する。四日市ぜんそくの発生原因について疫学的な見地から研究をおこない、硫黄酸化物との関連を指摘、住民による訴訟においても証人として出廷した。1960年代以降に四日市市の公害防止対策委員などを歴任して、四日市公害と環境未来館の設立時に資料などを提供した。1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)まで、三重県公害センター所長を兼任した。三重県による硫黄酸化物の総量規制の制定にも関与した。
前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 20… 前川 道介(まえかわ みちすけ、1923年9月2日 - 2010年6月11日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。同志社大学名誉教授。 京都市出身。京都大学文学部卒業。同大学院中退、1954年天理大学助教授、1956年西京大学助教授(1958年、京都府立大学に改称)、1967年同志社大学教授、1989年定年退任し名誉教授。 国書刊行会「ドイツ・ロマン派全集」責任編集を務めた。ドイツ文学の怪奇・幻想文学を多く翻訳し、評論を刊行した。 2001年春、勲三等瑞宝章を受章。2010年、呼吸不全により死去(没年86歳)。
上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(… 上野 英信(うえの えいしん、本名:上野鋭之進、1923年(大正12年)8月7日 - 1987年(昭和62年)11月21日)記録文学作家。「時間を惜しむな、金を惜しむな、命を惜しむな」という姿勢を貫き、炭鉱労働者の生きざまを描き続けた。 山口県吉敷郡井関村(阿知須町)で、父彦一、母ミチの7人兄弟の長男として生まれる。小学校に上がる年に、父の転職により北九州の黒崎に移る。1940年、旧制八幡中学を卒業して満州国建国大学へ進学する。1943年12月1日、学徒出陣により関東軍山砲兵第二十八連隊第五中隊へ入営。1945年8月6日、見習士官として船舶砲兵教導隊第一中隊付の時、広島市宇品において原爆投下に遭遇、被爆する。
田島 宏(たじま ひろし、1923年8月7日 - 2004年… 田島 宏(たじま ひろし、1923年8月7日 - 2004年2月4日)は、日本のフランス語学者。 東京浅草生まれ。東京外事専門学校卒、1949年京都帝国大学文学部仏文科卒。1951年東京大学大学院(旧制)修了、東京外国語大学講師、助教授、教授。84年定年退官、名誉教授、明治大学教授。1985-89年日本フランス語フランス文学会会長。2000年、勲三等旭日中綬章受章。墓所は多磨霊園。
菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007… 菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007年2月17日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は理論経済学。経済学博士(京都大学、1962年)。東京生まれ。 スラッファ経済学研究の大家として有名である。 1949年、京都大学経済学部卒業。1954年、京都大学経済学部講師、1957年11月、同助教授。1962年「重農学説と経済表の研究」により、経済学博士(京都大学)。1967年2月、同教授。1972年5月、京都大学経済学部長(1973年1月まで、1977年1月から1977年5月まで)。1987年、退官、京都大学名誉教授。同年、大阪産業大学経済学部教授。 1992年、福井県立大学経済学部教授。
岡崎 敬(おかざき たかし、1923年7月22日 - 199… 岡崎 敬(おかざき たかし、1923年7月22日 - 1990年6月11日)は、日本のアジア考古学者。九州大学名誉教授。 奈良県出身。1944年京都帝国大学文学部東洋史学科卒。京都大学大学院(旧制)修了。1979年「東西交渉の考古学」で九州大学文学博士。1952年名古屋大学助教授、1960年九州大学文学部助教授、1972年教授。1987年定年退官、名誉教授。1986年紫綬褒章受勲。イラン、敦煌を調査。
森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 20… 森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は、日本の経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授、同校サー・ジョン・ヒックス教授、大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。大阪府出身。 1923年に大阪市に生まれるが幼少期は神戸に在住し、1936年に神戸市の本山第一小学校を卒業する。七年制の旧制浪速高等学校を卒業後、1942年10月に京都帝国大学経済学部に進学する。大学在学中の1943年、学徒出陣により、20歳で徴兵される。1943年12月大日本帝国海軍に入隊し、海軍通信学校を出た後、長崎の大村航空隊へ配属。暗号解読を担当する少尉として赴任した。大村航空隊では、通信将校として、数多くの特攻隊との通信、沖縄に向かった戦艦大和との通信、沖縄戦の通信などを担当した。
桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7… 桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7月14日 - 2018年 <平成30年> 1月18日)は、日本の経営者、銀行家。伊予銀行頭取を務めた。位階は正五位。 愛媛県出身。1948年に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に伊予銀行に入行。1971年10月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1979年12月に専務を経て、1983年6月には頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年1月18日急性心臓死のために死去。94歳没。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。
米澤 貞次郎(よねざわ ていじろう、1923年7月3日 - … 米澤 貞次郎(よねざわ ていじろう、1923年7月3日 - 2008年5月20日)は、日本の化学者。勲等は勲三等。京都大学名誉教授。 1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一の指導学生(博士課程)であり、米澤の指導学生(修士課程)の吉野彰も2019年にノーベル化学賞を受賞している。指導学生(博士課程)の北川進も2025年にノーベル化学賞を受賞している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月2… 岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月25日 - 1972年(昭和47年)6月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期、民社党)。位階は正五位、勲等は勲三等。 大阪府枚方市津田町生まれ。母親とは早くに死別した。 小学校卒業後、府立四條畷中学校に学ぶ。1945年(昭和20年)、陸軍士官学校卒業。 1946年(昭和21年)4月、京都大学法学部入学。卒業後、大学院に進学し国際法を専攻した。 1954年(昭和29年)、法曹界に入る。愛情と信頼を信条とし、進んで恵まれない人たちの弁護を引き受け、「庶民の岡沢、正義の岡沢」として知られた。 1959年(昭和34年)、大阪府議会選挙に際し、やがて第二の故郷となった大東市から日本社会党公認として立候補し、当選したが、これは、岡沢が庶民の中に親しく入っていった庶民性と行動力がその根底にあったからである。
田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 198… 田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 1989年1月21日)は、日本の哲学者。神戸大学名誉教授。 広島県出身。1946年9月京都帝国大学文学部哲学科卒。1947年3月神戸経済大学(経営学専門部)、神戸大学文理学部、神戸大学文学部、神戸大学教養部教授、1987年定年退官、名誉教授。1989年1月21日、肝不全のため逝去。 『らくがき大学生』が話題になった。
天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 200… 天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 2000年3月23日)は、日本の法学者。立命館大学名誉教授。学校法人立命館総長・立命館大学学長。父はタイムレコーダーなどの発明家でアマノ創業者の天野修一。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
渡辺 信夫(わたなべ のぶお、1923年5月5日 - 202… 渡辺 信夫(わたなべ のぶお、1923年5月5日 - 2020年3月27日)は、日本の神学者、牧師。日本キリスト教会の指導者。 京都大学哲学科卒業。ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』の翻訳者として知られる。 大阪府出身。田舎のクリスチャン・ホームに生まれたが、両親は神社参拝をしてもよいと教えていた。当時から主流派キリスト教会は、宗教的な妥協の道を歩んでいたのである。旧制高校時代は、偶像礼拝という意識がないままに、級長として神社参拝を行っていた。また戦争中は日本軍の将校として、神社拝礼を指揮した。1949年京都大学文学部哲学科卒。1977年「カルヴァンの教会論」で京都大学文学博士。大学卒業後、神学を学ぶ過程で、その行為が「教会」を通して行われた背信行為であり、神の前(コーラム・デオ)に偶像礼拝の罪であるという意識を持つに至った。
平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - … 平岡 定海(ひらおか じょうかい、1923年4月27日 - 2011年11月26日)は、華厳宗の僧侶で歴史学者。第213世東大寺別当。書家。 1923年(大正12年)、奈良市東大寺上之坊に生まれる。1949年(昭和24年)京都大学文学部史学科卒業。1955年(昭和30年)東京大学大学院修了。1960年(昭和35年)文学博士。 1954年(昭和29年)種智院大学講師、1957年(昭和32年)助教授、1966年大手前女子大学教授。東大寺上之坊住職、東大寺執事長、華厳宗管長、東大寺別当を歴任。 2011年(平成23年)11月26日、多臓器不全により遷化。88歳没。
森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日… 森 光明(もり みつあき、1923年(大正12年)3月29日 - 1992年(平成4年)1月11日)は、日本の実業家。オリエンタルランド第3代代表取締役社長。徳島県徳島市幸町出身。 1946年に京都帝国大学経済学部卒業と同時に三井物産に入社するも三井財閥解体のため、1年で退社。その後、1947年9月に知人の勧めで日本興業銀行に入行。1973年に仙台支店長就任。 1975年に関連会社の常和興産常務取締役に就任。1979年に同社の専務取締役を経て、1980年にオリエンタルランドの専務取締役に転身し東京ディズニーランド建設に参加。 1988年4月に高橋政知代表取締役社長の妻・弘子が心臓病の悪化した事をきっかけに、同年6月25日付で同社の3代目代表取締役社長に就任。
吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 20… 吉田 金彦(よしだ かねひこ、1923年3月23日 - 2022年9月19日)は、日本の国語学者。姫路獨協大学名誉教授。 香川県満濃町(現まんのう町)生まれ。京都帝国大学文学部国語国文学科卒業。京都大学大学院博士課程(旧制)修了。静岡女子短期大学助教授、愛媛大学助教授、京都府立大学短期大学部教授、大阪外国語大学教授。1987年、定年退官、姫路獨協大学教授、退職、名誉教授。日本語語源研究会主宰。日本語語源研究所を私設。2000年勲三等瑞宝章受章。 2022年9月19日に死去、99歳没。
小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月1… 小森 義峯(こもり よしみね、1923年〈大正12年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉2月1日)は、日本の憲法学者、海軍軍人、民族派。法学博士(京都大学・論文博士・1966年)。佐賀県小城郡牛津町(現・小城市)出身。大石義雄の門下。門下生は皇學館大学名誉教授の富永健。 1942年旧制佐賀高等学校文科乙類卒業。1943年大日本帝國海軍に応召。その後、中尉に昇進。1945年9月復員。1946年京都帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年佐賀龍谷中学校教諭。1948年4月京都府立桃山高等学校教諭。1948年12月京都師範学校附属桃山中学校教諭。 1953年3月京都大学大学院法学研究科修士課程修了(指導教授:大石義雄)。
重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -20… 重富 健一(しげとみ けんいち、1923年3月16日 -2020年10月11日)は、日本の経済学者。専門は農業経済学。東洋大学名誉教授。 佐賀県生まれ。佐賀師範学校卒、1945年東京高等師範学校卒、1947年まで東京都立上野中学校(旧制)(現東京都立上野高等学校)教諭、1950年京都大学農学部卒、政治経済研究所研究員、1961年東洋大学経済学部専任講師、1962年助教授、1967年教授。1976年東洋大学理事。1979年評議員。1983年東洋大学経済研究所長。1992年退任、名誉教授。 全日本学生自治会総連合設立に関わり、日本共産党に入党した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
永井 弥太郎(ながい やたろう、1923年3月5日 - 20… 永井 弥太郎(ながい やたろう、1923年3月5日 - 2007年3月21日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 兵庫県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1946年11月に三菱化成工業に入社。1965年5月に三菱レイヨンに移り、1973年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1988年6月に社長に昇格。1993年6月に会長に就任し、1998年4月に相談役を退く。 2007年3月21日に心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
河本 一郎(かわもと いちろう、1923年〈大正12年〉2月… 河本 一郎(かわもと いちろう、1923年〈大正12年〉2月27日 - 2017年〈平成29年〉4月18日)は、日本の法学者。専門は商法・証券取引法。学位は法学博士(神戸大学・論文博士・1975年)。神戸大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。日本学士院会員。弁護士(大阪弁護士会所属)。勲等は勲二等。 神戸大学法学部教授、神戸大学法学部学部長、神戸学院大学法学部教授などを歴任した。大隅健一郎門下。弟子に川口恭弘、森田章など。 商法などを専攻する大阪府出身の法学者である。1958年に『民商法雑誌』誌上で論文「手形法における悪意の抗弁」を発表した。そこで発表された理論は、後に商法の手形・小切手法の分野において、「河本フォーミュラ」と称されるようになった。
谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2… 谷田 昌平(たにだ しょうへい、1923年2月26日 - 2007年8月19日)は、日本の編集者、文芸評論家。堀辰雄の研究で知られる。妻は詩人の牟礼慶子。 徳島県生まれ。兵庫県神戸市出身。大阪府立池田師範学校、東京高等師範学校を経て、京都大学文学部卒。在学中から堀辰雄研究を行い、大阪府立桜塚高等学校教諭時代に遠藤周作と知り合った縁から、「三田文学」に「堀辰雄年表」が掲載される。1954年に新潮社に入社。出版部時代、『武者小路実篤全集』を皮切りに、室生犀星『杏っ子』、幸田文『流れる』、安部公房『砂の女』、遠藤周作『沈黙』など、編集者として数々の話題作を手掛けた。1976年『新潮』編集長。町田に転居した遠藤に誘われて「町田会」にも参加し、多くの文豪たちと交友を持った。
蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5… 蓮井 良憲(はすい よしのり、1923年(大正12年)2月5日 - 2019年(令和元年)9月26日[要出典])は、日本の法学者。専門は商法。九州大学教授、福岡大学教授を歴任。香川県出身。 九州地方鉱業協議会委員、福岡県水洗炭業審議会委員、福岡県消費生活審議会会長等を歴任。
野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 201… 野平 健一(のひら けんいち、1923年2月2日 - 2010年7月5日)は、東京府出身の編集者。
加来 彰俊(かく あきとし、1923年1月29日 - 201… 加来 彰俊(かく あきとし、1923年1月29日 - 2017年7月18日)は、日本の哲学者。法政大学名誉教授。専攻はギリシア古代哲学。 鳥取県西伯郡大山町生まれ。1950年京都大学文学部哲学科卒。同大学院中退。田中美知太郎に師事。弘前大学助教授、法政大学教授、1993年定年退任。1998年、勲三等瑞宝章受勲。
波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 19… 波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京府出身の俳人。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人、俳誌「青」を創刊・主宰。本名・敬栄(よしひで)。 父・敬三、母・辰子の長男として東京府に生まれる。祖父は元宮内大臣の子爵・波多野敬直。生まれた年に鎌倉の母の実家の別荘で関東大震災に遭い家屋の下敷きとなるも、叔父に庇われて助けられた。なおこの別荘は虛子の次女・星野立子の隣家であり、爽波が助けられる場面に19歳の立子の姿もあったという。1939年、健康を害し鎌倉で療養中に「ホトトギス 」を読みふけり、翌年より同誌に投句をはじめる。1929年。学習院初等科、1935年、学習院中等科、1940年、学習院高等科文科甲類入学。
池田 正晴(いけだ まさはる、1923年(大正12年)1月2… 池田 正晴(いけだ まさはる、1923年(大正12年)1月20日 - 2018年(平成30年)10月7日)は、昭和時代の政治家。新潟県新井市長。 新潟県出身。1945年(昭和20年)京都帝国大学理学部卒業。 新井市議会議員、矢代農協組合長を経て、1966年(昭和41年)新井市長に当選。5期務め、1986年(昭和61年)落選した。
杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 -… 杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 - 2009年7月15日)は、日本の社会学者。神戸大学名誉教授。部落問題研究の中心的な論客の一人である。京都府出身。 京都市生まれ。1943年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都大学人文科学研究所助手を経て、1986年まで神戸大学文学部教授。日本学術会議会員。 部落の中で階層分化が進行していることを実態調査から明らかにし「アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本」を部落差別の主敵とする日本共産党の主張の正当性を訴えていたが、当の共産党が国民融合論を提唱した後には一転し、同じ調査を根拠に部落差別は解消しつつあるとの立場を取るようになった。1984年、「現代部落差別の研究」で第9回野呂栄太郎賞を受ける。