三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 202… 三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 2022年7月8日)は、日本の実業家、工業デザイナー。アルマン株式会社創業者。禁煙グッズ「禁煙パイポ」の開発者であり、1980年代半ばにユニークなテレビCM戦略で社会現象を巻き起こしたヒットメーカーとして知られる。 1984年の設立当初、社長以下わずか4名の体制で「禁煙パイポ」を発売。静岡県でのテスト販売を経て、首都圏、名古屋、大阪へと市場を拡大した。発売当初は月商580万円ほどであったが、テレビCMのヒットにより1年足らずで月商3億円(年商換算30億円規模)を超える爆発的な成長を記録した。 三好は禁煙パイポを単なる健康器具ではなく、口寂しさを紛らわせる「おしゃぶり」のような「心理的商品」と定義した。
岡本 栄一(おかもと えいいち、1931年7月22日 - )… 岡本 栄一(おかもと えいいち、1931年7月22日 - )は、日本の社会福祉学者。 兵庫県佐用郡生まれ。1955年同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒、同大学院文学研究科修士課程中退。児童福祉施設、ボランティア活動推進機関などの福祉現場で働く。1990年聖カタリナ女子大学教授、西南女学院大学保健福祉学部教授、流通科学大学サービス産業学部教授。大阪ボランティア協会理事長・九州保健福祉大学大学院(通信制)教授を経て、現在、大阪ボランティア協会 顧問。
清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日… 清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日本の経営者。ライフストア(現在のライフコーポレーション)社長を務めた。 三重県出身。1954年に同志社大学法学部政治学科を卒業し、同年に清水商店(のちのライフコーポレーション)に入社した。1956年に専務、1978年に副社長を経て、1982年から1988年までに社長を務めた。1995年から2003年までと2010年から2013年までにライフフーズ社長を務めた。
瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 200… 瓜生 喬(うりゅう たかし、1931年3月28日 - 2009年10月6日)は、脚本家・作家。本名は上條孝之。 長野県松本市出身。同志社大学文学部卒。1955年から1966年まで長野県立高校の英語教師を務め、1962年劇団「炎」を旗揚げし、全国や海外で民話劇や朗読劇を上演する一方、NHKラジオの劇作家として約300本のラジオドラマを書き下ろす。1982年にはNHKニュースワイドのリポーターとして活躍。「推理ロマン〜望郷〜」で1992年度日本民間放送連盟賞優秀賞を受賞。またタイ国立芸術大学客員講師を務め、1997年にタイ王国政府から文化功労賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。
藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年1… 藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年12月19日)は、日本の俳優。東京府荏原郡荏原町(現・東京都品川区)出身の大阪府大阪市西成区育ち。身長180cm。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵(すずき ゆうぞう)。
今尾 哲也(いまお てつや、1931年2月17日- 2013… 今尾 哲也(いまお てつや、1931年2月17日- 2013年2月6日)は、近世演劇研究者。 旧関東州大連出身。1953年同志社大学文学部英文科卒、1960年早稲田大学大学院演劇学専攻博士課程単位取得満期退学。杉野女子大学教授、玉川大学教授。1997年名誉教授、武蔵野女子大学教授、2001年退職。 1947年より6代目坂東簑助(8代目坂東三津五郎)に師事して歌舞伎を学ぶ。はじめ広く劇評を手がけ、のち歌舞伎研究に専念、民俗学的な手法を用いた。1971年『変身の思想』で河竹賞受賞。1993年『役者論語評註』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1999年「元禄歌舞伎の研究-ヤツシ・ヤツシ事を中心に」で早大文学博士。
西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7… 西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7日 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、ニュースキャスター、大学教授。 山口県下関市出身。京都府立洛北高等学校→同志社大学文学部英文科卒業後、1953年に中日新聞社(当時は「中部日本新聞社」)に入社。当初は社会部記者として活動するが、後にカイロ、ワシントンD.C.特派員記者、東京本社(東京新聞)国会担当記者を歴任。1976年から名古屋本社文化部長を務めた。 1978年、東海テレビ放送が「イブニングニュース」シリーズ (630→600) をスタートさせると、中日新聞社が東海テレビのニュース制作に現在に至るまで協力している関係から初代メインキャスターに抜擢される。
広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日… 広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日- 2014年12月4日 )は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1954年に同志社大学経済学部を卒業し、同年4月に日興證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、1983年9月に常務、1985年11月に専務を経て、1987年8月に副社長に就任し、1990年6月には東京証券社長に就任した。1995年6月に会長に就任し、1998年4月には相談役に就任。 2014年12月4日、慢性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
太田 雅夫(おおた まさお、1931年 - )は、日本の政治… 太田 雅夫(おおた まさお、1931年 - )は、日本の政治学者。近代日本の反体制政治思想が専門。 京都府生まれ。1954年同志社大学法学部政治学科卒業、同志社大学学生主事補、1957年立命館大学大学院法学研究科修士課程修了、1964年同志社大学人文科学研究所助手、専任講師、助教授、1974年桃山学院短期大学教授、1982〜92年学長、学校法人桃山学院常務理事、1992年桃山学院大学教育研究所教授・同研究所長、99年定年退職。2003年新島研究功績賞を受賞。
中村 哲夫(なかむら てつお、1931年 - 没年不明)は、… 中村 哲夫(なかむら てつお、1931年 - 没年不明)は、デザイナー、著述家。長野県出身。同志社大学卒業。雑誌編集者ののち、グラフィック・デザイナー。城下町・宿場町など全国の古い町並みを訪ね著作をなす。日本建築学会会員。
火口 親幸(ひぐち ちかゆき、1931年 - 2003年3月… 火口 親幸(ひぐち ちかゆき、1931年 - 2003年3月)は、日本のタップダンサー。
権藤 芳一(ごんどう よしかず、1930年12月18日- 2… 権藤 芳一(ごんどう よしかず、1930年12月18日- 2018年3月30日)は、日本の古典芸能評論家。 京都生まれ。同志社大学文学部卒業。京都観世会事務所に30年勤務しながら関西の舞台を見続け、能、歌舞伎、現代演劇評論を書く。大阪学院大学国際学部教授、2001年に定年退任。日本演劇学会関西支部長(最後の関西支部長)も務める。
黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 20… 黒木 和雄(くろき かずお、1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、日本の映画監督。代表作に『竜馬暗殺』『祭りの準備』『TOMORROW 明日』などがある。 母親の実家・三重県松阪市生まれ。兵庫県神戸市、宮崎県飯野町(現えびの市)を経て、5歳のときに父の仕事先満州に家族と渡り、少年時代は満州で育つ。1942年日本に戻り、中学から祖父母の住む宮崎県えびの市で育った。宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。高校時代の恩師の勧めで同志社大学法学部に進学。卒業後、岩波映画製作所へ入社。1958年の『東芝の電気車輛』で監督デビュー。その後も主にPR映画を監督するが、火力発電所の宣伝映画でありながら前衛的な表現に訴えた『海壁』(1959年)や『ルポルタージュ 炎』(1960年)、アラン・レネ監督の影響を受けた北海道のPR映画『わが愛 北海道』が異色のドキュメンタリーとして注目される。
芳野 昌之(よしの まさゆき、1930年8月26日 - 20… 芳野 昌之(よしの まさゆき、1930年8月26日 - 2014年12月3日)は、日本の作家・評論家。読売新聞東京本社編集局長。本名は藤村健次郎。 兵庫県生まれ。同志社大学文学部卒。1961年に垂水 堅二郎の筆名で執筆した「紙の墓碑」が江戸川乱歩賞の最終候補となる。
川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17… 川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17日 - 2023年(令和5年)5月12日)は、日本の実業家。南海電気鉄道元社長・会長。元毎日放送社外監査役。南海電気鉄道社長・会長を歴任し、南海ホークスのオーナーも務めた川勝傳の長男。 同志社大学経済学部卒業後、1953年に南海電気鉄道へ入社。その後、副社長・1992年社長・1999年会長・相談役をそれぞれ歴任。南海電気鉄道顧問を務めていた。2007年旭日重光章受章。2023年5月12日、心不全のため、死去した。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 京都府南丹市、大阪府高石市 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年〈昭和5年〉5… 徳山 詳直(とくやま しょうちょく、1930年〈昭和5年〉5月13日 - 2014年〈平成26年〉10月20日)は、日本の教育者。 1930年5月13日、隠岐島(島根県隠岐郡海士町)生まれ。1948年に同志社外事専門学校に入学、1950年に同志社大学法学部政治学科へ進学。進学後、朝鮮動乱に抗議する運動に身を投じたことから、数回にわたり逮捕・拘留される。拘置中に差し入れられた奈良本辰也の著書『吉田松陰』に感銘を受ける。同時に、近代西欧文明が行き詰まりを予測し、芸術の力による芸術立国を志した。 1977年に京都芸術短期大学を設立したことを皮切りに、1991年に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)、1992年に東北芸術工科大学、1993年に財団法人日本文化藝術財団を創設し、各校の理事長を勤める。
廣瀬 方人(ひろせ まさひと、1930年(昭和5年)3月6日… 廣瀬 方人(ひろせ まさひと、1930年(昭和5年)3月6日 - 2016年(平成28年)1月13日)は、長崎の被爆体験を伝える語り部として活動した人物。長崎県長崎市出身。「原爆青年乙女の会」会長。市民団体「長崎の証言の会」会長代表委員。創成期の被爆運動を知る貴重な証言者であった。戦後になって洗礼を受け、洗礼名はヨゼフ。 1969年に「長崎の証言の会」が発足し、初代の事務局長となる。同年に秋月辰一郎医師らと「長崎の証言」を創刊した。被爆者から体験を聞き取り、70冊以上の証言集を出版した。英語や中国語訳にも取り組んだ。山端庸介が原爆直後の長崎で撮影した写真の中に、「おにぎりを持つ親子」がある。その親子が、戦後生きていたことを知り、面会取材して、「証言1990~ヒロシマ・ナガサキの声 第4集」に掲載した。
保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 … 保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月19日)は、日本の作詞家。和歌山県西牟婁郡すさみ町出身。名前の別表記は苗字が「保冨」、名前に「庚午」がある(庚午が本名)。現在日本で広く知られている「大きな古時計」の日本語訳の詞を作詞したことで著名。 幼少期は千里山に在住し千里第二小学校を卒業した。のちに同志社大学卒業後、詩人である村野四郎に弟子入りしていたが、知人からミュージカルの台本依頼をされたことを機にテレビの仕事に携わるようになる。 構成作家として『サンデーサン』、フジテレビ『ミュージックフェア』などの歌番組を始め、演歌歌手達のショーの舞台も数多く担当。
二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 20… 二谷 英明(にたに ひであき、1930年1月28日 - 2012年1月7日)は、日本の俳優。京都府舞鶴市出身。京都府立東舞鶴高等学校卒業、同志社大学文学部英文学科中退。妻は白川由美。長女は二谷友里恵。 8人兄弟の5番目の三男として生まれる。兄が3人、弟が1人、姉妹が4人いる。父の吉秀は運送業や港湾業、倉庫管理などを営み、海軍舞鶴鎮守府に物を納めるなどしていたが、1937年に亡くなったため母が女手一つで育てた。カトリックの幼稚園に通い、1936年に東舞鶴小学校に入学。1942年、東舞鶴中学校に入学。同志社予科から1947年同志社大学文学部英文学科に入学し、アーモスト館に入寮したが、2年生の時に家計が傾いたため、後に大学を中退した。
中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )… 中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )は、日本のタレント。男性。
小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日… 小西 通雄(こにし みちお、1930年1月1日 - )は、日本の映画監督・演出家。岡山県備前市出身。東映製作の作品を中心に、数多くの映像作品に携わった。 旧制岡山二中に在学中陸軍航空士官学校に合格、軍事教練では「秀」の好成績を収めていた。その後岡山空襲での被災を経て終戦を迎える。 1954年3月、1年間の留年(しかも大手広告代理店に一度就職する)を経て、同志社大学文学部社会学科新聞学専攻を卒業。大学の同級生には、後に自身が演出する 『アイフル大作戦』『バーディー大作戦』『Gメン'75』にレギュラー出演していた藤木悠がいた。 当初は新聞記者を志したが、映画好きもあって(きっかけは黒澤明監督作品『酔いどれ天使』だという)東映を受験し、1954年4月に東映に入社。
岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007… 岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、日本の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表監督。日本ラグビーフットボール協会理事。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。同大FWで活躍。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。
北垣 宗治(きたがき むねはる、1929年9月24日 - 2… 北垣 宗治(きたがき むねはる、1929年9月24日 - 2024年3月28日)は、英文学者。同志社大学名誉教授。 1929年、兵庫県城崎郡香住町(現美方郡香美町)出身。1982年、同志社大学文学部英文科卒、同大学院博士課程満期退学、1954年、文学修士(同志社)。1957年、B.Phil.(英国セントアンドルーズ大学)アーモスト大学に半年間学ぶ。ハーヴァード大学で数次にわたり在外研究を行う。1981年「十七世紀英国における翻訳の原理と諸問題」で文学博士。同志社大学文学部教授。1990年定年退職、名誉教授、1991年、新潟県で設立された敬和学園大学初代学長、2003年退任。 クリスチャンで、日本基督教団京都教会に所属していた。
中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2… 中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年〈昭和4年〉8月2日 - 2013年〈平成25年〉5月3日)は、日本の弁護士(大阪弁護士会)。法学士(京都大学)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。 森永ヒ素ミルク中毒事件や豊田商事事件の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構の初代社長を務めた。 1999年に設置された司法制度改革審議会において委員として参加し、法科大学院や裁判員制度の導入に尽力した。戦後日本を代表する弁護士であり、「平成の鬼平」とマスコミ各社に名付けられ呼ばれた。 京都府京都市で、父・中坊忠治、母・富の次男として生まれる。
今井 芳男(いまい よしお、1929年5月7日 - 2021… 今井 芳男(いまい よしお、1929年5月7日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。びわこ銀行頭取を務めた。 滋賀県出身。1953年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に滋賀相互銀行に入行。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務、1980年5月に専務を経て、1985年5月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年2月にびわこ銀行頭取に就任し、1999年6月に会長を経て、2001年6月に取締役相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2021年6月14日に肺炎のために死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 勇(さいとう いさむ、1929年3月25日 - )は、… 斎藤 勇(さいとう いさむ、1929年3月25日 - )は、英文学者。同志社大学名誉教授。滋賀県生まれ。 1950年同志社大学英文科卒、1952年助手、1955年専任講師、1964年助教授、1966年教授。1964年ウィリアム・ラングランドの『農夫ピアズの幻』の研究(「農夫ピヤス」における赦免状破棄の場の研究)により同志社大文学博士。1971年から1972年までケンブリッジ大学で中世英文学を学ぶ。日本中世英語英文学会会長を務めた。1999年定年退任、名誉教授。2010年秋瑞宝中綬章受章。 年長の英文学者、斎藤勇(たけし)と同名であるため、しばしば間違われたらしいが、今なお著作などで混同されることが少なくない。
八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 … 八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - )は、日本の実業家。多聞酒造会長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の三男。1952年、同志社大学美学科卒業。宝梅園農場常務となり、1953年に社長となった。1976年から1987年まで多聞酒造社長を務めた。 八馬啓、八馬理の弟である。趣味は音楽鑑賞、読書。宗教は真宗。兵庫県西宮市在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 -… 薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 - )は、日本の英文学者、詩人、写真家。同志社大学名誉教授。 英国初期ロマン派が専門。詩誌『Ravine』編集・発行同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本翻訳家協会、日本写真協会、日本バイロン協会、関西詩人協会、京都現代詩協議会、京都写真芸術家協会、京都市芸術文化協会に所属。 京都市生まれ。1952年同志社大学文学部英文科卒、1954年同大学院修士課程修了。立命館大学専任講師、助教授、教授、同志社大学文学部教授、1999年名誉教授、東海学園大学経営学部教授。 1997年京都市芸術文化協会賞受賞。2010年瑞宝中綬章受章。
榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2… 榊原 胖夫(さかきばら やすお、1929年1月23日 - 2013年7月24日)は、日本の経済学者。同志社大学名誉教授。 名古屋市生まれ。1952年同志社大学経済学部卒、54年同大学院経済学研究科修士課程修了、同志社大学経済学部助手。1954年アマースト大学大学院、1956年ハーバード大学大学院に学ぶ。 1957年帰国、1958年同志社大学経済学部専任講師、1960年助教授、1966年教授。1993年定年、名誉教授、帝京平成大学情報学部教授。大阪商業大学商経学部教授。関西外国語大学教授。1988-90年日本アメリカ学会会長、のち名誉会員。交通経済学。
杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月1… 杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月18日 - 2016年(平成28年)10月25日)は、日本の国際政治学者、中京大学名誉教授。専門は国際政治学、軍縮問題。 東京生まれ。同志社大学大学院法学研究科修士課程修了、三重短期大学講師、助教授、中京大学法学部教授。1999年定年退任、名誉教授。日本科学者会議幹事、「日本の科学者」編集長、日本平和学会理事。
井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 20… 井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 2022年1月9日)は、日本の映画監督。京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業。 1950年、大映京都撮影所に入社、助監督となる。同期には土井茂、黒田義之、池広一夫らがいる。 助監督として溝口健二、森一生、吉村公三郎らについた。井上は森から映画を撮るテクニックを、溝口から「形而上学的な情念の世界」を学んだと述べている。1960年に『幽霊小判』で監督としてデビュー。井上によるとこの作品は『悪魔のような女』を時代劇にアレンジしたものだという。監督デビュー以降も『大菩薩峠』、『釈迦』では助監督を務めた。大映在籍中に21本の作品で監督を務めた。
日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - … 日比野 光鳳(ひびの こうほう、1928年11月22日 - 2023年8月23日)は、日本の書家。勲等は旭日中綬章。水穂会会長、公益社団法人日展顧問、日本芸術院会員、文化功労者。本名は日比野 尚(ひびの ひさし)。 宝酒造株式会社での勤務を経て、同志社大学文学部講師、社団法人日展常務理事などを歴任した。 書家・日比野五鳳の子として京都市に生まれる。幼い頃より書に親しむ。同志社大学経済学部卒業、1953年宝酒造に勤務、1965年まで勤める。同志社大学文学部講師、京都新聞書き初め書道展審査委員長、京都市展審査員などを歴任。1987年日本美術展覧会(日展)会員賞。1992年京都府文化賞功労賞。1994年京都市文化功労者。
野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - … 野村 栄太郎(のむら えいたろう、1928年11月8日 - 2012年4月29日)は、日本の経営者。京都新聞社社長を務めた。京都府京都市出身。 1951年に同志社大学商学部を卒業し、同年に京都新聞社に入社した。 1981年6月に取締役に就任し、1982年12月に常務、1983年3月に専務を経て、1987年6月には副社長に就任した。 1999年6月には社長に昇格し、2003年には会長も兼任し、2004年を以って、退任。 2012年4月29日脳出血のために死去。83歳没。
藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2… 藤田 正蔵(ふじた しょうぞう、1928年10月30日- 2012年5月29日 )は、日本の経営者、馬主。中鉄バスとテレビせとうちで社長を務めた。 岡山県岡山市出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、同年に中鉄バスに入社し、取締役にも就任。1953年に社長に就任し、1954年には中国交通社長に就任。1984年10月から1999年12月までにテレビせとうち社長を務めた。 1984年6月に運輸大臣表彰を受けた。1965年9月に紺綬褒章を受章し、1990年5月に藍綬褒章を受章した。 2012年5月29日、心不全のために死去。83歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002… 上野 瞭(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。 息子の上野宏介はイラストレーター。 京都府京都市生まれ。本名は瞭(あきら)。父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。母は眼を病んでいた。6人兄弟の長男。第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。 京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。
森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013… 森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は、日本の考古学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本考古学・日本文化史学。 大阪府大阪市出身。少年時代は堺市近郊に住み、尋常小学校の国史の国定教科書における記紀神話と、堺市の百舌鳥古墳群を通じて、古墳及び陵墓への関心を抱く。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)卒業。1951年に同志社大学文学部英文学科卒業、1957年、同大学院文学研究科文化史学専攻修士課程修了。学生時代から古墳の発掘と報告書作成に取り組む(例:黄金塚古墳)。学生考古学研究会も創設(後に古代学研究会)。 卒業後は府立泉大津高校の教諭を務める傍ら、新沢千塚(奈良県橿原市)など古墳の発掘に従事。
長谷部 栄一(はせべ えいいち、1928年5月17日 - )… 長谷部 栄一(はせべ えいいち、1928年5月17日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手、高校野球・社会人野球監督。
花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 … 花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月3日)は、日本の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。 1928年(昭和3年)滋賀県大津市上北国町(現・長等1丁目)の近江商人の家に生まれる。旧姓名・川崎善之助。花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改めた。滋賀県立大津商業学校を経て、同志社大学商学部に進学。 1947年(昭和22年)北国町青年団の一員として演劇活動を始める。1948年(昭和23年) 大津で自主劇団人間座の結成に参加。その後「文芸座」を設立し、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。1951年(昭和26年)同志社大学商学部卒業。
立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29… 立石 定夫(たていし さだお、1928年(昭和3年)2月29日 - 1995年(平成7年)6月8日)は、日本の政治家、弁護士、歴史研究家。第8代福山市長(3期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 広島県福山市東堀端町(現・福山市城見町)に生まれる。1945年(昭和20年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1948年(昭和23年)、旧制広島高等学校卒業。1951年(昭和26年)、同志社大学法学部卒業。 1955年(昭和30年)4月、弁護士を開業。1960年(昭和35年)4月、広島弁護士会福山地区会会長に就任。 1963年(昭和37年)4月、広島県議会議員に初当選。1967年(昭和42年)に再選。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 201… 秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 2019年1月5日)は、日本の銀行家。 滋賀県出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、翌年に京都銀行に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年7月に常務、1984年6月に専務、1992年6月に副頭取を経て、1994年4月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月から2006年6月までに相談役を務めた。 京都銀行協会会長、京都経済同友会副代表幹事、京都商工会議所副会頭、京セラ・日本電産各監査役などを歴任した。 2002年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2019年1月5日、老衰のために死去。91歳没。
谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2… 谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2022年7月31日)は、日本のプロ野球審判員。所属はセントラル・リーグ。京都府出身(出生地はアメリカ・ニューヨーク)。 1927年、父親の駐在先であるニューヨークで生まれる。5歳で帰国した。 旧制同志社中学(現:同志社高校)、同志社大学から極東商事(現:三菱商事入社。選手時代は二塁手で、甲子園出場は無いが、大学では4年生時に主将を務め、1950年秋のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を受賞している。また、1952年に社会人野球チーム・京都クラブで第23回都市対抗野球大会への出場経験がある。 大学卒業後、24歳から旧関西六大学野球と高校野球で審判員を務め、1955年から甲子園大会も担当。
笠原 芳光(かさはら よしみつ、1927年5月23日 - 2… 笠原 芳光(かさはら よしみつ、1927年5月23日 - 2018年11月10日)は、日本の宗教学者、京都精華大学名誉教授。宗教思想史専攻。評論家として『思想の科学』などに執筆。文芸評論も行う。 大阪府生まれ。同志社大学卒業、同志社大学大学院神学研究科修士課程修了。同大宗教主事、1969年京都精華大学教授。83年から92年まで学長を三期務めた。1998年定年、名誉教授。
大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2… 大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2016年8月15日)は、日本の実業家。位階は正五位。 月桂冠株式会社元代表取締役会長。13代目当主。 1927年(昭和2年)3月25日、月桂冠創業家の大倉家12代目・治一の長男として、京都府京都市伏見区(紀伊郡伏見町)で生まれる。 1952年(昭和27年)3月、同志社大学大学院経済学研究科修了後、同年4月に第一銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)入行。のち退行し、1956年(昭和31年)、大倉酒造(現・月桂冠)株式会社に入社。1978年(昭和53年)、同代表取締役社長に就任。その後、1997年(平成9年)に会長、2008年(平成20年)に相談役を歴任した。
八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1… 八田 恭昌(やつだ やすまさ、1926年11月12日 - 1992年11月18日)は、日本の政治学者。ドイツ政治史学者。 1926年、兵庫県神戸市生まれ。静岡県立沼津中学校(現静岡県立沼津東高等学校)卒、1951年同志社大学文学部社会学科卒業、1953年同大学院社会福祉学専攻修了、同文学部社会学科助手、1962年講師、1965年助教授、1968年教授、1973年新聞学専攻教授。
住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日… 住谷 磬(すみや けい、1926年〈大正15年〉11月11日 - 2009年〈平成21年〉7月24日)は、社会福祉学者。 住谷悦治の次男として京都市に生まれる。兄は住谷一彦。1956年同志社大学文学部卒、58年同大学院社会福祉専攻修士課程修了、同志社大学文学部助手、講師、助教授、1972年教授。94年定年退任、名誉教授、滋賀文化短期大学教授、95年学長。毎日社会福祉顕彰特別賞受賞。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
松居 直(まつい ただし、1926年10月5日 - 2022… 松居 直(まつい ただし、1926年10月5日 - 2022年11月2日)は、日本の編集者、出版事業家、児童文学者。 京都府京都市生まれ。生家は近江商人の家系で、6人姉兄弟で長姉は1914年生まれ。幼時より上村松園や竹内栖鳳などの作品に接して育つ。 洋画家の須田国太郎は叔父で、若いころ彼のアトリエに入り浸っていたこともある。また国太郎の息子で東海旅客鉄道元社長の須田寬とは親戚にあたる。 同志社大学法学部政治学科を卒業する直前、24歳のとき、自宅に下宿していた佐藤身紀子と恋仲になったことがきっかけで、身紀子の父佐藤喜一の経営する福音館書店の編集者となった。のち身紀子は妻となる。 このとき実験的に作った「福音館小辞典文庫」シリーズが成功を収めたため、翌1952年2月、佐藤と共に正式に福音館書店を発足させた。