市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日… 市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日 - 2018年(平成30年)11月20日)は、日本の医学者(酵素病理学者)である。医学博士。 大阪市出身。市原硬大阪大学名誉教授の子。1952年(昭和27年)大阪大学医学部を卒業。1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)までアメリカに留学し、カルフォルニア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で学んだ。 1959年(昭和34年)大阪大学歯学部助教授に就任。1965年(昭和40年)徳島大学医学部教授に転じた。同大酵素科学研究センター長を務め、名誉教授となった。指導学生に田中啓二がいる。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。
竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 19… 竹本 弘一(たけもとひろかず 、1928年6月1日 - 1993年3月18日)は、映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。和歌山県出身。 東映映画撮影所で数々の映画作品に助監督として携わったが、当時の映画業界は斜陽を迎えていたため監督への昇進は叶わず、テレビの世界に活路を求めた。1966年、38歳の時に『悪魔くん』で監督デビューを果たす。以降は主に、東映のテレビ作品で辣腕を振るい『キイハンター』・『プレイガール』・『バーディー大作戦』などの大人向けアクション作品を演出する。他にも『仮面ライダー』・『秘密戦隊ゴレンジャー』など多くのキャラクター作品を演出し、幅広く活躍した。 長年活動を続けた東映を離れた後、大映テレビに移籍する。
岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )… 岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )は、日本の土木工学者。工学博士(大阪市立大学)。大阪工業大学名誉教授・構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長。 専門は、構造解析、構造工学(複合構造・コンクリート工学)、建設システム工学・橋梁工学、社会基盤マネジメント・維持管理工学。 1952年大阪大学工学部構築工学科卒業。のちに、大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて工学博士(大阪市立大学)。同大学工学部助手などを経て、1962年大阪工業大学工学部土木工学科講師、土木工学教室を担当。1965年同学科助教授。同学科教授を経て、1988年大阪工業大学構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長(初代所長は伊藤冨雄)。
久木田 稔(くきた みのる、1928年3月22日 - 198… 久木田 稔(くきた みのる、1928年3月22日 - 1988年6月12日)は、日本の経営者。鹿児島県出身。 1951年に大阪大学法学部を卒業し、同年に宝酒造に入社。1965年5月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。 1988年6月12日脳腫瘍のために社長在任時に死去。60歳没。
赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2… 赤木 昭三(あかぎ しょうぞう、1928年2月23日 - 2013年10月26日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 大阪市生まれ。1952年京都大学法学部卒業、1956年大阪大学文学部仏文科卒、1959年同大学院文学研究科修士課程修了、パリ大学博士(哲学)。大阪大学教養部助教授、文学部仏文科教授。1991年定年退官、名誉教授。妻の赤木冨美子は大阪外国語大学名誉教授。
高橋 理明(たかはし みちあき、1928年2月17日 - 2… 高橋 理明(たかはし みちあき、1928年2月17日 - 2013年12月16日)は、日本の医学者。専門分野はウイルス学。大阪大学名誉教授。日本ウイルス学会名誉会員。 主な業績として水痘生ワクチンの開発がある。 趣味は音楽鑑賞、歴史書散策など。 教え子に近藤一博(ウイルス学、慈恵医大名誉教授)など他多数。 日本ワクチン学会高橋賞は、高橋理明の開発した水痘ワクチンがほぼ全世界で実用化されたことを記念し、財団法人阪大微生物病研究会により創設された賞である。創設にあたり、同財団より高橋記念基金が日本ワクチン学会に寄贈された。日本ワクチン学会高橋賞は、同学会の創立趣旨に沿って、学問的・実学的に卓越した貢献をした者を授賞の対象とする。
大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023… 大塚 滋(おおつか しげる、1928年2月1日 - 2023年8月8日)は、日本の食品化学者、食物史研究者、『文学雑誌』同人。元武庫川女子大学教授。専攻は食文化論、食品化学。 新潟県生まれ。大阪大学理学部卒。1961年「肝臓ニトロ基還元酵素系に関する研究」で理学博士。大阪府立大学助教授、東洋食品工業短期大学教授、米国マサチューセッツ州ウースター生物学研究所研究員、武庫川女子大学教授、同生活美学研究所研究員、1998年退職。 2023年8月8日死去。95歳没。
西川 禮二(にしかわ れいじ、1928年1月20日 - 20… 西川 禮二(にしかわ れいじ、1928年1月20日 - 2021年10月20日)は、日本の経営者。三菱ガス化学社長を務めた。大阪府出身。 1951年に大阪大学理学部理化学科を卒業し、同年に三菱江戸川化学(のちの三菱ガス化学)に入社。1979年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年6月に社長に就任。1995年6月には会長に就任し、2001年6月には相談役に退いた。 1994年11月に藍綬褒章を受章し、2006年4月には旭日中綬章を受章。 2021年10月20日死去。93歳没。
杉本 龍太郎(すぎもと りゅうたろう、1928年 - )は、… 杉本 龍太郎(すぎもと りゅうたろう、1928年 - )は、英文学者、大阪女子大学名誉教授。 大阪生まれ。大阪帝国大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、大阪大学助手、関西学院大学文学部講師、大阪市立大学文学部助教授、大阪女子大学教授、92年定年退官、名誉教授、広島女学院大学教授。英国の形而上詩が専門。
矢澤 一彦(やざわ かずひこ、1928年 - 没年不明)は、… 矢澤 一彦(やざわ かずひこ、1928年 - 没年不明)は、日本の工学博士。電気通信大学名誉教授。専門は電子工学(電子デバイス、電子材料物性、エネルギー変換)。長野県出身。
眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月… 眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月19日)は、日本の医学者・眼科医。専門は、角膜移植を中心に視覚生理学分野。大阪大学名誉教授。 香川県三豊郡下高瀬村(現 三豊市三野町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、大阪大学医学部卒業。 1954年(昭和29年)大阪大学医学部卒業。同大大学院修了後、同大眼科学教室 に入局。1963年(昭和38年)ミュンヘン大学留学、1969年(昭和44年)ボストンの眼研究所留学を経て、1974年(昭和49年)大阪大学医学部脳神経感覚器外科学(眼科学)講座教授に就任。 初期の研究分野は電気生理であったが、留学したボストンで初めて角膜の研究に従事し、角膜に含まれる「水」の問題、コラゲナーゼ、フィブロネクチン、ヘルペス感染症などに関する多くの業績をおさめて現在の日本角膜学会の基礎を作った。
岩田 平太郎(いわた へいたろう、1927年 <昭和2年> … 岩田 平太郎(いわた へいたろう、1927年 <昭和2年> 12月22日 - 2009年 <平成21年> 4月19日)は、日本の神経薬理学者。大阪大学名誉教授。妻は水墨画家の岩田咲子、長男は応用昆虫学者の岩田隆太郎。曾祖父の弟は実業家の岩田惣三郎。位階は従三位。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。大阪大学医学部1951年卒業。1956年大阪大学医学博士。 奈良県立医科大学助手、名古屋市立大学医学部助教授、大阪大学薬学部教授を歴任。 タウリンなどの神経薬理作用の研究などを行う。 関西探偵作家クラブ会員としてラジオドラマなどの執筆も行い、白井 竜三のペンネームによる「渦の記憶」で1960年6月、「クラボウ・ミステリ・影」入選[6]。
長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2019年〈令和元年〉9月3日)は、日本の経済評論家。日本個人投資家協会初代理事長。 主な評論の対象は時事の経済評論の他、国内政治評論、国際政治、国際経済、軍事関係等である。国際経済・政治評論に製鉄・金属加工の切り口からの分析を加えている。 京都府出身。大阪府立茨木中学校(旧制中学校)大阪高等学校 (旧制)(後の大阪大学一般教養部南校)を経て大阪大学工学部冶金学科に入学し1953年(昭和28年)卒業。日本共産党に入党、「国際派」に属した志賀義雄衆議院議員秘書。1955年から1963年まで日刊産業新聞記者を経て、1963年に経済評論家として独立し、証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行う。
12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭… 12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭和2年)11月20日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の実業家。大丸社長・会長。 京都府出身。大丸の創業家12代目当主。府立一中を経て、大阪大学経済学部を卒業。 1951年、大丸の主力行である三菱銀行に入行。ニューヨーク支店などに勤務。1965年に大丸に転じ、取締役となり、常務、専務を経て、1984年に社長に就いた。 梅田店出店のため、社長就任直前の1984年2月期に大丸は赤字決算に転落した。しかし、就任直後の1984年上半期(3~8月)の売上高は前年同期の7%増となった。このまま業績を回復軌道に乗せるため、1万人の労使あげて、サービス向上の「スクラム10,000運動」を始めた。
村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10… 村上 信吾(むらかみ しんご、1927年 <昭和2年> 10月21日 - 1999年<平成11年> 12月3日)は、日本の数学者。専攻は、代数学・幾何学。学位は、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 京都市出身。第三高等学校を経て、大阪大学理学部卒。 大阪大学理学部教授、プリンストン高等研究所員、シカゴ大学、グルノーブル大学、タタ基礎科学研究所、南開大学客員教授、大阪産業大学教養部教授を歴任。 フランスパルムアカデミーク勲章受章。 1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
山本 正和(やまもと まさかず、1927年〈昭和2年〉10月… 山本 正和(やまもと まさかず、1927年〈昭和2年〉10月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(3期)を務めた。 1927年(昭和2年)生まれ。中国(当時は関東州)大連市出身。帰国後に旧制大阪薬学専門学校に入学。卒業後は三重県で教員として勤務。後に組合活動に参加し三重県教職員組合委員長などを歴任。 1986年(昭和61年)に行われた第14回参議院議員通常選挙に日本社会党から比例代表区から出馬して初当選。以後3期連続当選。1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙で再選。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙で社会民主党選出で比例代表区の名簿4位で3選。 労組出身の実力者として知られ、地元である三重県では北川正恭を支援して当選させるなど三重県政、社会民主党の影の支配者とも呼ばれた。
松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2… 松中 昭一(まつなか しょういち、1927年9月8日 - 2014年3月20日)は、日本の農学者。 三重県出身。大阪大学工学部発酵工学科卒、同大学院博士課程満期退学、1961年東京大学農学博士。農林省農業技術研究所技官、生理遺伝部生理第1科生理第6研究室長、所長、1978年神戸大学農学部教授、1991年定年退官、名誉教授、関西大学工学部教授。1988-1989年日本雑草学会会長。日本農薬学会会長、日本学術会議会員。日本農薬学会業績賞(1978年)、アメリカ雑草学会名誉賞(1983年)、日本農学賞(1988年)、科学技術庁長官賞(1997年)、1998年紫綬褒章受勲。
垂井 清一郎(たるい せいいちろう、1927年7月23日 -… 垂井 清一郎(たるい せいいちろう、1927年7月23日 - 2024年1月6日)は、日本の医師・医学博士。代謝異常の研究者。大阪大学名誉教授、大手前病院名誉院長。 兵庫県西宮市出身。1953年に大阪大学医学部医学科を卒業し、6年後に大阪大学大学院医学研究科内科系専攻博士課程を修了。糖尿病研究の功績で知られ、糖原病VII型は「垂井病」の別名で人口に膾炙する。1990年、日本糖尿病学会ハーゲンドーン賞および上原賞を受賞。1995年、武田医学賞を受賞。2006年4月、瑞宝中綬章を受章。著書に「糖尿病物語(ISBN 9784521731063)」などがある。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。
吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5… 吉峯 良二(よしみね りょうじ、1927年 <昭和2年> 5月24日 - 2022年 <令和4年> 5月7日)は日本の政治家。鹿児島県加世田市長(2期)。加世田市名誉市民、南さつま市名誉市民。位階は正六位。 鹿児島県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、陸軍士官学校61期入校(赤崎義則鹿児島市長、久保亘参議院議員らと士官学校同期で、1945年に予科生で終戦し士官学校解散となり終業)。1951年大阪大学経済学部卒業。会社役員を経て、1962年12月から6期22年にわたり加世田市助役を務める。1985年11月10日第3代加世田市長に就任し、1993年11月9日まで2期務めた。
能澤 正雄(のざわ まさお、1927年5月6日 - 2019… 能澤 正雄(のざわ まさお、1927年5月6日 - 2019年7月15日)は、日本の原子力工学者。理学博士(1962年)。元日本原子力研究所理事。元高度情報科学技術研究機構顧問。日本工学アカデミー会員。 1927年生まれ。1945年、都島工業学校(現・大阪府立都島工業高等学校卒業。同年4月、阪大理学部に併設されていた大阪臨時教員養成所に入るが、6月に赤紙を受取り独立工兵隊に配属、和歌山県紀ノ川の川口付近に配置される。終戦を経て臨時教員養成所を卒業した後1951年3月、大阪大学理学部物理学科卒業。大学では菊池正士の研究室に所属した。1960年2月、大阪大学理学部助教授となる。武田栄一から移籍の要請をうけ、同年4月、日本原子力研究所入所。
山本 昭(やまもと あきら、1927年4月27日 - 201… 山本 昭(やまもと あきら、1927年4月27日 - 2015年8月8日 )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1953年に大阪大学法学部法学科を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1971年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年4月に専務を経て、1984年5月に副頭取に就任し、1985年6月には頭取に昇格した。1990年6月から1994年6月までに会長を務めた。 2015年8月8日、急性心筋梗塞のために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹内 郁夫(たけうち いくお、1927年4月21日 - )は… 竹内 郁夫(たけうち いくお、1927年4月21日 - )は、日本の植物学者、京都大学名誉教授。元岡崎国立共同研究機構機構長。 専門は、細胞性粘菌。細胞が分化していく過程を追う方法を国内で定着させ、発生生物学に大きく貢献している。 兵庫県出身。1950年大阪大学理学部卒。プリンストン大学大学院修了。
大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月1… 大下 勝正(おおした かつまさ、1927年(昭和2年)2月18日 - 2023年(令和5年)12月28日)は、日本の政治家。元東京都町田市長(5期)。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立北野中学校 (旧制)、大阪高等学校 (旧制)文科を経て、1948年京都大学法学部卒業。 日本社会党入党後、鈴木茂三郎元日本社会党委員長の秘書を経て、社会党中央本部政策審議会に勤務。1970年、町田市長選挙に出馬し、初当選を果たした。以後、1990年まで5期20年にわたり町田市長を務める。町田市長在任中、日本国有鉄道横浜線の原町田駅(当時)および小田急電鉄の新原町田駅(当時)の駅前再開発に着手し、約700メートル離れていた二駅を、国鉄の原町田駅の位置を移転させ、駅名をいずれも町田に統一させた。
河内山 重高(こうちやま しげたか、1927年2月10日 -… 河内山 重高(こうちやま しげたか、1927年2月10日 - 2013年8月8日)は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 山口県出身。1950年に大阪大学工学部通信工学科を卒業。日本放送協会での勤務を経て、1953年6月に山陽放送に転じ、1968年5月に取締役、1974年に常務、1979年に専務を経て、1981年6月には社長に就任。1996年1月に会長に就任し、同年6月に相談役を経て、1997年4月に顧問に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章し、2000年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2013年8月8日、心不全のために死去。86歳没
阪口 清和(さかぐち きよかず、1927年2月6日 - )は… 阪口 清和(さかぐち きよかず、1927年2月6日 - )は、日本の電気工学・半導体工学者。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。工学博士(大阪大学)。 専門は、電気材料・材料物性工学(特に絶縁破壊)・半導体工学、光工学。 旧制大阪府立淀川工業専門学校(のちの大阪府立大学)卒業。1962年大阪大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪大学)。同年、大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。同学科教授などを経て、1997年同大学名誉教授。 大阪工業大学工学部電気工学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に初期の電気材料・半導体工学の研究・育成に貢献した。 主な所属学会は、電気学会、日本物理学会、応用物理学会など。
葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日… 葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日 - 2009年〈平成21年〉1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。 葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。学習院に初等科から高等科まで通った。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職資格を勉強し、神職の最高階位である明階を取得した。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任。
今村勤(いまむら つとむ、1927年 - )は、日本の物理学… 今村勤(いまむら つとむ、1927年 - )は、日本の物理学者。関西学院大学名誉教授。 1927年生まれ。大阪大学理学部物理学科卒業。1957年 大阪大学 理学博士。同大学助教授を経て、1961年から関西学院大学理学部教授。この間ボストン大学講師、ノースカロライナ大学客員準教授などを歴任。2006年秋の叙勲において「瑞宝中綬章」を受章。大学生・専門家向けの物理数学に関する教科書を多数執筆している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
納谷嘉信(なやたに よしのぶ、1927年- 2009年5月2… 納谷嘉信(なやたに よしのぶ、1927年- 2009年5月29日)は大阪電気通信大学名誉教授。兵庫県出身。色彩学の広範な研究分野で多大な功績を残したことで知られる。 1951年、大阪大学工学部電気工学科を卒業。1961年、大阪大学で工学博士を取得。 1984年から1986年の間、日本色彩学会の会長を務めた。1997年に日本で開催された第8回国際色彩学会(AIC)の京都大会では組織委員長を務めた。
杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )… 杉浦 寅彦(すぎうら とらひこ、1926年12月8日 - )は、日本の電気・電子工学者。大阪工業大学名誉教授、電子クラブ名誉顧問。工学博士(大阪大学)。元大阪工業大学短期大学部長・中央研究所計算センター長。 専門は、通信工学・無線工学・電波工学(特にマイクロ波)、信号処理・パターン認識・ファジィ理論。 1948年大阪大学工学部通信工学科卒業。1957年同大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪大学)。1953年大阪工業大学工学部電気工学科(現:電気電子システム工学科)に着任。1958年同学科教授。その後、新設の電子工学科(現:電子情報システム工学科)教授として異動。1982年同大学図書館長。
奥田節夫(おくだ せつお、1926年10月16日 - 201… 奥田節夫(おくだ せつお、1926年10月16日 - 2017年6月2日)は、日本の地球物理学者。京都大学名誉教授。 岡山県出身。1948年大阪大学理学部卒業後、高校講師や岡山大学理学部助教授などを務めた。 その後、1963年より京都大学防災研究所で助教授、1964年1月に教授となる。陸水学、地球物理学的見地から防災や環境について研究を行った。奥西一夫、諏訪浩らと進められた焼岳における土石流の観測の研究は国際的に高い評価を得ている。1985年から1987年まで同所長を務めた後、定年を待たずに1988年に退官した。 その後、岡山理科大学に移り研究を続けた。岡山理科大学定年後は、NPOで河口、沿岸海域の調査研究を進めた。
藤田 廣志(ふじた ひろし、1926年9月7日 - 2008… 藤田 廣志(ふじた ひろし、1926年9月7日 - 2008年11月17日 )は、日本の金属工学者。専門は、電子顕微鏡による材料物性の研究。博士(工学)。大阪大学名誉教授。 香川県出身。旧制香川県立三豊中学校、徳島高等工業学校機械工学科を経て、大阪大学工学部冶金学科卒業。同大学大学院工学研究科金属物性専攻修了。 大阪大学産業科学研究所では、アルミニウムの再結晶における転位の挙動を電子顕微鏡によって調査を行い、再結晶機構のモデル「サブグレイン・コアレッセンス」を提唱する。電子顕微鏡を用いることによって、初めてサブミクロンスケールの内部組織と直接対応づけて調べた研究として高い評価を受けた。 科学技術庁金属材料技術研究所では、電子顕微鏡の中で種々の条件を現出できる世界で初めての本格的な材料科学研究用の500kV超高圧電子顕微鏡を開発した。
斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 20… 斎藤 光雄(さいとう みつお、1926年8月25日 - 2010年8月4日)は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。専門は計量経済学、経済統計学。経済学博士(大阪大学、1975年)(学位論文「一般均衡と価格」)。大阪府大阪市南区出身。 1926年8月25日 大阪市南区の商家の四男として生まれる。 1947年3月 浪速高等学校高等科文化甲類卒業 1951年3月 京都大学経済学部卒業 1959年3月 大阪大学大学院経済学研究科経済政策専攻修士課程修了 1959年7月 大阪大学助手(経済学部付属社会経済研究施設) 1964年3月 大阪大学助教授(経済学部付属社会経済研究施設) 1970年2月 大阪大学教授(社会経済研究所) 1971年2月 神戸大学教授(経済学部) 1990年3月 神戸大学を定年により退官 1990年3月 神戸大学名誉教授 1990年4月 帝塚山大学教授(経済学部) 1991年4月 理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長(1992年3月まで) 1973年10月 『一般均衡と価格』、創文社 1991年11月 『国民経済計算』、創文社 一般均衡理論モデルに計量経済学的な個別主体均衡のモデルを組み込んで、日本経済の実証分析を行った。
中野 董夫(なかの ただお、1926年6月18日 - 200… 中野 董夫(なかの ただお、1926年6月18日 - 2004年8月15日)は、日本の物理学者。大阪市立大学名誉教授、大阪市立科学館初代館長。 生前、西島和彦とともに1961年および1970年のノーベル物理学賞の共同受賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。 東京都出身。1948年大阪大学理学部物理学科卒業。1950年に大阪市立大学理工学部に助手として着任し、教授の南部陽一郎、助教授の早川幸男、講師の山口嘉夫、助手の西島和彦とともに理論物理学のグループを立ち上げた。1953年には西島とともに中野・西島・ゲルマンの法則を提唱。 1990年に大阪市立大学を定年退官した後は、大阪市立科学館の初代館長に就任した。
砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 201… 砂田量爾(すなだ りょうじ、1926年5月21日 - 2015年3月23日)は、日本のシナリオ作家。 愛媛県今治市出身。旧制松山高校から大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部化学科卒。理学部へ進んだのは「一種の徴兵拒否」が目的と話したことがある。教師になるが一年で上京、欧文のタイピング、翻訳、オーディオの製造販売から物作りが得意なことを活かして闇市で売るなどさまざまな職を転々とする。初めて書いた脚本は、岩波映画の子供向け科学映画。友人にTBSの「七人の刑事」のスタッフに紹介されて脚本を1本書いたら採用され、1962年から「七人の刑事」のシナリオに参加、以後テレビドラマ、演劇台本などを多く書いた。「風の色」「風の町」「娘たちの四季」などがある。
板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月… 板倉 周二(いたくら しゅうじ、大正15年(1926年)4月23日 - )は日本の実業家。鳥取缶詰代表取締役会長。境港商工会議所参与。元永瀬石油監査役。 岳父は元鳥取缶詰代表取締役会長の板倉乾。長男は鳥取缶詰代表取締役社長の板倉良多。 昭和19年(1944年)大阪陸軍幼年学校卒業。昭和20年(1945年)陸軍航空士官学校廃止により中退。昭和22年(1947年)松江高等学校理科甲類卒業。昭和25年(1950年)大阪大学工学部発酵工学科卒業。 昭和26年(1951年)鳥取缶詰勤務。昭和30年(1955年)同社常務取締役に就任。昭和56年(1981年)同社代表取締役社長に就任。 趣味は読書。座右の銘は分相応。
マサトシ・ギュンデュズ・イケダ(トルコ語: Masatoşi… マサトシ・ギュンデュズ・イケダ(トルコ語: Masatoşi Gündüz İkeda、1926年2月25日 - 2003年2月9日)は、日本生まれのトルコの数学者。日本名は池田 正敏(いけだ まさとし)。専門は代数的整数論。主にガロア理論への貢献で知られる。 東京生まれ。兄と2人の姉を持つ4人兄弟の末っ子。父親は保険会社勤務。小さい頃から父親の数学の本を読んで、学生時代に数学と数学者の生涯に関する古本を購入し読んだ。特にフランスの数学者エヴァリスト・ガロアに感銘を受けたという。 1948年に大阪大学数学科を卒業。中山正らとフロベニウス代数と準フロベニウス代数を研究した後、正田建次郎の指導の下で1953年に博士号を取得した。
筑井 甚吉(つくい じんきち、1926年1月31日 - 20… 筑井 甚吉(つくい じんきち、1926年1月31日 - 2010年3月5日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。東京経済大学助教授・成蹊大学教授・大阪大学教授を歴任。 東京吉祥寺生まれ。1942年東京都立第二商業学校卒業。1952年中央大学入学資格認定試験合格・入学。1956年中央大学経済学部を優等の成績で卒業。1958年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。同年東京経済大学助手に着任。1961年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。指導教官は山田雄三。同年、一橋大学経済学博士。 1961年東京経済大学専任講師に昇格。ハーバード大学経済研究所研究員を経て、1964年東京経済大学助教授。
池辺 義教(いけべ よしのり、1926年-2016年)は、大… 池辺 義教(いけべ よしのり、1926年-2016年)は、大阪府出身の、日本の哲学者、奈良県立医科大学名誉教授。 大阪府生まれ。1953年大阪大学文学部哲学科卒、58年同大学院(旧制)修了、奈良県立医科大学教授(人文学)。90年定年退官、名誉教授、大谷女子短期大学教授。
大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003… 大庭 浩(おおば ひろし、1925年12月6日 - 2003年12月24日)は、日本の実業家、工学博士。川崎重工業社長、会長を務めた。 静岡県掛川市出身。1948年に大阪大学工学部を卒業し、同年に川崎重工業に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年6月には社長に昇格した。在任中は、工場の統廃合や品質保証運動をなどを進めていくことで、経営基盤を再建し、創業100周年の年である1996年には売上高1兆円を達成した。1996年6月には会長も兼任し、1997年6月に会長に専任し、2000年6月に相談役名誉会長を経て、2001年6月には相談役に就任。
佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 201… 佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 2010年6月15日)は、日本の医師。 大阪府堺市生まれ。1951年大阪大学医学部卒、56年医学博士。大阪大学医学部耳鼻咽喉科講師、1975年熊本大学教授、1979年大阪府立成人病センターに移り、院長を務め、のち名誉総長。喉頭がんが専門で、近藤誠の「がんもどき」理論を批判した。
岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - … 岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - 2001年9月23日)は、日本の俳人。号に、槐、槐庵、槐散人など。 三重県度会郡生まれ。大阪大学医学部卒業。内科医のかたわら句作をはじめ、加藤楸邨および森澄雄に師事。1968年、「寒雷」に入会、1970年、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、宇佐美魚目、大峯あきららと俳誌「晨」を創刊し、二人とともに代表同人。1991年、「槐」を創刊、主宰。 代表句に、宇治市・三室戸寺参道の句碑に刻まれた「あぢさゐの色をあつめて虚空とす」(句集『鯨と犀』所収)などがある。門下に、児玉輝代、菅原鬨也、小山森生、山西雅子、加藤かな文、吉野裕之などがいる。
植田 義明(うえだ よしあき、1925年10月26日 - )… 植田 義明(うえだ よしあき、1925年10月26日 - )は、日本の経営者。上新電機社長を務めた。奈良県出身。 1948年に大阪大学工学部通信工学科を卒業し、日本電信電話公社に入社した。 近畿電気通信局長などを経て、1979年7月に理事に就任し、1984年4月に日本電通建設副社長などを歴任し、1993年6月には上新電機社長に就任。1998年6月に会長、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に特別顧問に就任。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。
木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - 20… 木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - 2017年1月30日)は、日本の美術学者(民族芸術学・近現代美術史)。大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、兵庫県立美術館名誉館長。位階は従四位。勲等は勲三等。京都市立美術大学美術学部教授、大阪大学文学部教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを務めた。 1925年、京都府綴喜郡青谷村(現:城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの二男として出生。姉、兄、弟、妹6人兄弟の3番目であった。青谷小学校を経て、京都市立第一商業学校を優等生で卒業。優等賞として寺内製の腕時計を授与された。1943年4月に名古屋高等商業学校に入学、在学中の1944年4月1日に名古屋経済専門学校と改称され、学徒動員により繰上げ卒業となった。
栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - … 栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - )は、日本の経営工学・経営学者。大阪工業大学名誉教授・第3代工経会会長、青藍会初代会長・名誉会長。工学博士(大阪大学)・経営学博士(大阪市立大学)。元摂南大学学長。日本学術会議経営情報研究連絡委員会1996委員長・第18期情報技術革新と経済・社会特別委員会元委員。日本経営工学会(JIMA)第21期会長・名誉会員。日本情報経営学会(JSIM)元副会長・名誉会員。国際経営工学会連合名誉理事。経営行動学会理事。日本データプロセシング協会常任理事。日本セキュリティマネジメント学会副会長。瑞宝中綬章受章。 専門は、経営工学・経営情報学、経営学・経営管理、技術経営(MOT)・技術マネジメント(特にSIS、CIM・MRP、OA、FA)、社会システム工学、経済工学・マーケティング科学。
佐藤 次彦(さとう つぎひこ、1925年7月29日 - 20… 佐藤 次彦(さとう つぎひこ、1925年7月29日 - 2001年)は、日本の機械工学者。大阪工業大学第7代学長・名誉教授。工学博士(大阪大学)。溶接学会抵抗溶接研究委員会(現:軽構造接合加工研究委員会)初代委員長。 専門は、熱工学・溶接工学・接合工学、金属工学・溶接/接合システム工学。 福岡県出身。福岡県中学修猷館を経て、大阪帝国大学工学部機械工学科卒業。のちに、大阪大学大学院工学研究科にて工学博士。1957年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。助教授、教授などを経て、1983年同大学学長。1995年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部機械工学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に初期の溶接工学・溶接/接合システム工学の研究育成に貢献した。
川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012… 川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012年12月18日)は、日本の哲学者、美学者。文学博士(大阪大学、1986年)。東京都立科学技術大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授。 旧満州国撫順市生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1951年東京大学文学部哲学科卒業、 1955年東京大学助手、1961年東京都立航空工業短期大学講師(1965年助教授)、1971年東京都立工科短期大学教授、1986年東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)教授、1990年長野大学教授、1994年東北芸術工科大学教授。 1990年東京都立科学技術大学名誉教授、1996年東北芸術工科大学名誉教授。
砂川 重信(すなかわ しげのぶ、1925年3月15日 - 1… 砂川 重信(すなかわ しげのぶ、1925年3月15日 - 1998年8月7日)は、日本の理論物理学者。大阪大学名誉教授。 1925年、東京に生まれる。大阪大学理学部物理学科卒業。1960年大阪大学助教授、1963年東北大学教授を経て、1966年大阪大学教授になる。その後、1988年に退官して同大学名誉教授になる。 数多くの物理学の書物を著した。 1998年8月7日、腎不全のため逝去。享年73。
中岡 稔(なおおか みのる、1925年 - 2013年)は、… 中岡 稔(なおおか みのる、1925年 - 2013年)は、日本の数学者。大阪大学名誉教授。 大阪狭山市出身。東京文理科大学(中退)を経て、大阪大学理学部卒。大阪大学教授、プリンストン高等研究所員、大阪市立大学教授を歴任。 対称群のホモロジー群の分解定理および安定性定理を発見。無限対称群のコホモロジー環を決定。
樋口 俊夫(ひぐち としお、1925年 - 2022年4月1… 樋口 俊夫(ひぐち としお、1925年 - 2022年4月11日)は、大阪府出身の薬局経営者。ヒグチ産業創業者、元社長、元会長。 旧制四條畷中学(現大阪府立四條畷高等学校)、大阪薬学専門学校(現大阪大学医学部)卒。1945年陸軍軍医学校を経て、戦後、国立兵庫病院勤務。1947年、大阪市京橋にて、「ヒグチ薬局店」を開業。その後1954年にヒグチ産業の前身となる「京浜薬局」を立ち上げ、「薬ヒグチ」の全国チェーン展開を進めるようになる。 樋口は、この「薬ヒグチ」の全国チェーン展開を「目標!!427店」と掲げる。創業当時の日本には42700件もの薬局があり、その1%に相当する427店を目指して本部と各地の薬局とのフランチャイズ契約を結ぶことによって全国展開を進めた。
野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 200… 野水 克己(のみず かつみ、1924年12月1日 - 2008年11月5日)は、日本の数学者。 大阪府出身。旧制第三高等学校卒、大阪大学理学部卒、シカゴ大学でPh.D.を取得。名古屋大学、ブラウン大学教授。パリ大学、ボン大学、ブラジルの純粋応用数学研究所(ポルトガル語版)(IMPA)、大阪大学客員教授。専門は多様体上の接続論。