守島 正(もりしま ただし、1981年〈昭和56年〉7月15… 守島 正(もりしま ただし、1981年〈昭和56年〉7月15日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(2期)、大阪市会議員(3期)、大阪維新の会政調会長(第3代)、日本維新の会常任役員・選対本部長代行などを歴任。 大阪市東淀川区出身。大阪市立豊里小学校、大阪市立大道南小学校を経て、大阪市立大桐小学校卒業。大阪市立大桐中学校、大阪工業大学高等学校(現常翔学園高校)普通科、同志社大学商学部商学科卒業。 2004年、新日本製鐵株式会社に入社。名古屋製鉄所にて生産管理業務を行う。 2008年、家業の町工場である共和精機株式会社に転職し、製造・管理・営業等を行う。その後、中小企業診断士を取得し、業務の傍ら中小企業支援や講師活動を始める。
尾形 賢(おがた けん、1980年10月27日- )は、日本… 尾形 賢(おがた けん、1980年10月27日- )は、日本の政治家。前京都府議会議員(3期)。京都府議会決算特別委員長、総務警察常任委員長などを歴任した。 2019年の京田辺市長選(4月14日告示、同21日に投開票)へ、無所属、自民党からの推薦での立候補したが、上村崇に敗れた。 生まれ育ったふるさとである八幡市は、「旧態依然とした市政運営が行われる中、しがらみのない政治は自民党ではできない」と考え、八幡市長選挙へ日本維新の会からの出馬を決断。「生まれ育った街に貢献する」と語り、市長報酬の2割削減のほか高校授業料の実質無償化などを挙げている。 2023年10月16日 自民党京都府連より除名処分。
伊藤 良夏(いとう よしか、1980年7月22日 - )は、… 伊藤 良夏(いとう よしか、1980年7月22日 - )は、日本の政治家、ファッションモデル。大阪維新の会に所属し、大阪市会議員を2期務めた。 大阪府大阪市住吉区山之内元町生まれ。大阪市立依羅小学校、金蘭会中学校・高等学校卒業。高校在学中から服飾モデルの仕事を始める。高校卒業後、金蘭短期大学に入学し、2002年に卒業。 大学卒業後、モデル活動の拠点を東京に移し、首都圏を中心に企業広告やCM、ショーへの出演を行ったほか、ファッションブランドのオーディションで日本代表に選抜され、フランスのパリ市内でも活動していた。 モデル活動中は芸能事務所office48(2004年7月設立)に所属していたが、契約を解除し、帰阪。
園崎 弘道(そのさき ひろみち、1980年(昭和55年)3月… 園崎 弘道(そのさき ひろみち、1980年(昭和55年)3月23日 - )は日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。京都府議会議員(4期)、城陽市議会議員(2期)を務めた。 石川県七尾市に生まれ、兵庫県西宮市で育つ。三田学園高等学校を経て、2002年に神戸大学経営学部を卒業後、カネボウ化粧品に就職。2005年に退社し、同年の第44回衆議院議員総選挙に際して京都6区で井沢京子選挙事務所スタッフを経験した後、約2年間は家庭教師、キャディ等アルバイトを掛け持ちする時期を過ごした。 2007年4月に城陽市議会議員選挙で初当選、2期目末期の2014年4月の京都府議会議員選挙補欠選挙で府議会初当選、以後京都府議会議員を4期10年務める。
文月 涼(ふづき りょう、1967年〈昭和42年〉8月10日… 文月 涼(ふづき りょう、1967年〈昭和42年〉8月10日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 兵庫県神戸市に生まれ、神奈川県で育つ。本籍地は千葉県松戸市。 1989年に大阪市立大学商学部卒業後、日産自動車に入社したが1996年に退社。その後は、映像制作会社社長、内閣官房職員などを経験。内閣官房時代には内閣サイバーセキュリティセンター上席サイバーセキュリティ分析官を務めている。 また、日産自動車退社後の数年間は、フリーライター、カメラマンとしてオリンパスCAMEDIAシリーズを用いた「水中デジカメ」など、デジタルカメラ関連の記事や著書を執筆することもあった。 2012年12月の第46回衆議院議員総選挙において自民党公認で比例南関東ブロックから立候補したが落選(比例単独・名簿登載順位第33位)。
池田 克史(いけだ かつし、1962年10月30日 - )は… 池田 克史(いけだ かつし、1962年10月30日 - )は、日本の政治家。大阪維新の会所属の前堺市議会議員(4期)。 この項目は、政治に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 政治学/ウィキプロジェクト 政治)。
辻 宏康(つじ ひろみち、1959年〈昭和34年〉8月29日… 辻 宏康(つじ ひろみち、1959年〈昭和34年〉8月29日 - )は、日本の政治家。大阪府和泉市長(5期)。桃山学院大学客員教授。元和泉市議会議員(3期)。 1978年(昭和53年)3月、大阪府立鳳高等学校卒業。1984年(昭和59年)3月、京都工芸繊維大学工芸学部卒業。その後加商(現在の豊田通商)に入社し勤務。 1996年(平成8年)9月15日執行の和泉市議会議員選挙に立候補し、初当選。同月23日に議員に就任。以後市議を計3期務める。市議の傍ら、2004年(平成16年)3月に大阪市立大学大学院法学研究科を修了している。 2005年(平成17年)4月、市発注の公共工事をめぐる競売入札妨害事件で、当時の和泉市長だった稲田順三が逮捕される。
伊達 憲太郎(だて けんたろう、1959年〈昭和34年〉1月… 伊達 憲太郎(だて けんたろう、1959年〈昭和34年〉1月19日 - )は、日本の政治家。鳥取県境港市長(2期)。 鳥取県境港市竹内町生まれ。1977年(昭和52年)3月、鳥取県立米子東高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、大阪市立大学経済学部卒業。同年4月、境港市職員に採用される。市民生活部長、産業部長、福祉保健部長、総務部長等を歴任する。 2019年(平成31年)3月、境港市役所を退職。同年9月18日、任期満了に伴う境港市長選挙に立候補する意向を表明した。 2020年(令和2年)7月12日に行われた境港市長選挙に、自由民主党鳥取県連は伊達と元境港市議会議員の佐名木知信の両名に推薦を出し、16年ぶりの保守分裂選挙となった。
喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日… 喜岡 淳(きおか じゅん、1952年〈昭和27年〉9月19日 - )は、日本の政治家、人権活動家。 日本社会党参議院議員(当選1回)。香川県高松市出身。 1971年 - 高松第一高等学校卒業。1975年 - 大阪市立大学商学部卒業。 1976年 - 日本社会党に入党。香川県本部副委員長などを務める。 1983年6月 - 第13回参議院議員通常選挙で香川県選挙区から出馬し落選。1986年7月 - 第14回参議院議員通常選挙で落選。 1989年7月 - 第15回参議院議員通常選挙で初当選。1994年6月 - 村山内閣で環境政務次官に就任。 1995年7月 - 第17回参議院議員通常選挙で落選。1998年7月 - 第19回参議院議員通常選挙で比例区に転出し落選、政界引退。
中川 治(なかがわ おさむ、1951年2月10日 - )は、… 中川 治(なかがわ おさむ、1951年2月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、大阪府議会議員(3期)などを務めた。父は寝屋川市議会議員を務めた中川清治。 大阪府寝屋川市出身。大阪府立寝屋川高等学校卒業。大阪市立大学法学部中退。 衆議院議員秘書や、部落解放同盟の研究部門である部落解放研究所勤務等を経て、1991年(平成3年)に大阪府議会議員選挙に日本社会党公認で和泉市選挙区から出馬し、初当選。以後3期連続当選。 2003年の第43回衆議院議員総選挙にて大阪18区(岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、泉北郡忠岡町)から民主党公認で初出馬。保守地盤が厚い地域であり、長年自由民主党所属の中山太郎への支持が強い選挙区であったが、民主党躍進の波に乗り、小選挙区では敗北したものの比例近畿ブロックから比例復活して初当選した。
石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8… 石田 耕太郎(いしだ こうたろう、1949年(昭和24年)8月8日 - )は、日本の政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)。 鳥取県倉吉市出身。1968年(昭和43年)3月、鳥取県立倉吉東高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、大阪市立大学法学部卒業。 1979年(昭和54年)10月、鳥取県庁に入庁。2000年(平成12年)8月、境港管理組合事務局長に就任。2009年(平成21年)4月、県営病院事業管理者に就任。 2010年(平成22年)3月28日に行われた倉吉市長選挙に立候補し初当選。2014年(平成26年)の市長選は無投票で再選。2018年(平成30年)、3選。 2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した。
阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月2… 阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月23日 - )は、日本の政治家。大阪府吹田市長(3期)、大阪府議会議員(3期)を務めた。 大阪府生まれ。大阪府立茨木高等学校、大阪市立大学文学部卒業。1982年から吹田市職員。 1987年、父親の跡を継ぎ、大阪府議会議員選挙に日本社会党公認で出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。1999年、自民・民主・社民3党の推薦で吹田市長選挙に出馬し、当選。約30年続いた革新市政に終止符を打った(ただし阪口も元々は社会党の出身である)。 2011年4月、統一地方選挙に際して実施された吹田市長選に4選をめざして出馬したが、大阪維新の会が擁立した新人の井上哲也に敗れ、落選した。
山下 栄一(やました えいいち、1947年〈昭和22年〉8月… 山下 栄一(やました えいいち、1947年〈昭和22年〉8月18日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(3期)、公明党大阪府本部副代表、公明党文部科学部会長、環境副大臣、参議院法務委員長などを歴任した。 1947年、大阪府豊中市生まれ。1966年3月に大阪府立豊中高等学校を卒業後、京都大学法学部に進んで国際法を専攻する。1972年3月に同大学を卒業し、1974年3月に大阪市立大学大学院法学研究科修士課程を修了する。 1974年4月、関西創価学園に就職。関西創価中学校・高等学校で教壇に立つ。1991年7月には公明党大阪府本部に転職した。 1992年6月に公明党大阪府本部を退職し、同年7月の第16回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区から公明党公認で立候補して初当選する。
久保 哲司(くぼ てつじ、1946年11月27日 - 200… 久保 哲司(くぼ てつじ、1946年11月27日 - 2003年6月10日)は、日本の政治家。元衆議院議員(3期)。
奥田 敏晴(おくだ としはる、1945年(昭和20年)8月3… 奥田 敏晴(おくだ としはる、1945年(昭和20年)8月3日 - )は、日本の政治家。元京都府城陽市長(3期)、元京都府議会議員(4期)。 京都府寺田村(現・城陽市寺田)出身。幼稚園園長を務めた。また、城陽市文化協会の理事長、城陽市国際交流協会の会長などを歴任。 1999年(平成11年)4月の京都府議会議員で初当選。以後計4期務めた。県議時代は自由民主党に所属した。 2013年(平成25年)9月8日に行われた城陽市長選挙に自民党・民主党・公明党の推薦を得て出馬。現職の橋本昭男、元市議の大西吉文、日本共産党推薦の岡本やすよら3候補を破り初当選した。9月25日、市長就任。選挙の結果は以下のとおり 。
榎 信晴(えのき のぶはる、1939年〈昭和14年〉8月16… 榎 信晴(えのき のぶはる、1939年〈昭和14年〉8月16日 - )は、日本の政治家。元奈良県五條市長 (3期)。旭日中綬章受章。 奈良県出身。1962年〈昭和37年〉大阪商科大学(現・大阪市立大学)卒。奈良県議会議員(自由民主党)を4期務め、1989年〈平成元年〉と1992年〈平成4年〉の参院選に奈良県選挙区から立候補するが落選した。1997年〈平成9年〉の五條市長選挙に立候補し、現職の今田武を破って初当選する。2001年〈平成13年〉に再選。2004年〈平成16年〉に三選した。2007年〈平成19年〉3期目途中で体調不良のため市長を退任した。2010年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
寺田 為三(てらだ ためぞう、1936年〈昭和11年〉11月… 寺田 為三(てらだ ためぞう、1936年〈昭和11年〉11月29日 - )は、日本の政治家。元大阪府高石市長(3期)。 大阪府出身。大阪市立大学法学部卒業。卒業後は泉北郡高石町(現・高石市)役場に入り、助役などを務める。1991年の高石市長選挙に立候補し、初当選。1995年に再選。1999年に三選を果たした。 在任中、平成の大合併による堺市との合併を打ち出し、2003年の市長選挙の公約に掲げたが、対立候補で合併に反対の元高石市議の阪口伸六に半数近い得票で敗れ、同時に行われた住民投票でも、合併反対が全得票数の74%を占め、堺市との合併は白紙となった。
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月… 鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月30日 - 2012年7月5日)は、大韓民国の政治家、実業家。第10・11・12代韓国国会議員。本貫は東萊鄭氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡に生まれた。尚州国民学校(現・尚州初等学校)、大阪高等商業学校卒。一燈園農事研究所専門課程、成均館大学校経営行政大学院、嶺南大学校経営大学院修了。在日本居留民団京都本部副団長、京都韓国人商工会副会長、在日韓国人体育会副会長を歴任した。 第10代総選挙に無所属で立候補して初当選した。国会議員3期務めたほか、大韓消防協会顧問、社団法人尚州セマウル教育院設立者、社団法人尚州文化院長、学校法人尚州南山学院理事長、尚州薬酒株式会社代表理事、韓日合資株式会社パシフィックホテル代表理事、民主正義党中央委員会農林畜産分科委員長、前現職国会議員民友会会長を務めた。
李 鍾南(イ・ジョンナム、朝鮮語: 이종남/李鍾南、1919… 李 鍾南(イ・ジョンナム、朝鮮語: 이종남/李鍾南、1919年1月20日 - 2000年5月17日)は、大韓民国の公務員、政治家。初代慶尚南道議会(朝鮮語版)議員、第4・5・8代韓国国会議員。 本貫は徳水李氏(朝鮮語版)。号は白岩(ペガム、백암)。漢字表記は李 種南とも。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・全羅南道長城郡南面三台里)出身。光州高等普通学校(現・光州第一高等学校(朝鮮語版))、大阪経営大学卒、延世大学経営大学院修士課程履修。外務部文書課長、公報部経理課長、大韓行政新聞社論説委員、大韓労働組合総連合会本部事務局長、韓国民主社会主義研究会幹事長、対日屈辱外交闘争委員会組織委員長、民主党慶南道党宣伝部長、民推協発起人などを務めた。
千 炳圭(チョン・ビョンギュ、朝鮮語: 천병규、1918年7… 千 炳圭(チョン・ビョンギュ、朝鮮語: 천병규、1918年7月1日 - 1993年7月19日)は、大韓民国の金融官僚、外交官、政治家、実業家。韓国銀行副総裁、第14代財務部(現・企画財政部)長官、第10代韓国国会議員。本貫は潁陽千氏。号は東栢(トンベク、동백)。日本名は千田 圭一。 元検察総長、法務部長官の呉鐸根は妻の兄弟。 慶尚北道安東に生まれた。1931年に大邱公立普通学校を卒業し、1936年大邱高等普通学校(現・慶北高等学校)を修了した。1939年に大阪商科大学(のちの大阪公立大学)予科を卒業し、1941年に大阪商科大学を卒業した。1942年に朝鮮銀行に入行し、1950年に韓国銀行初代東京支店長を務め、その後は大阪、香港の支店長および外務部長、調査部長を務めた。
渡邊 良夫(わたなべ よしお、1905年10月29日 - 1… 渡邊 良夫(わたなべ よしお、1905年10月29日 - 1964年11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属衆議院議員(9期)。厚生大臣(第33代)。次男は元自民党衆議院議員の渡辺肇。三男も同じく元自民党衆議院議員の渡辺紘三。 新潟県生まれ。1931年大阪商科大学高等商業部(のちの大阪市立大学)卒業。国民新聞社記者等を経て、戦後、吉田茂内閣総理大臣秘書官を務める。1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧新潟2区から日本自由党公認で立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。民主自由党副幹事長、第3次吉田第2次改造内閣の建設政務次官などを務めた後、1955年の保守合同による自由民主党結党に参加。
玉柳 実(實、たまやなぎ みのる、1903年(明治36年)1… 玉柳 実(實、たまやなぎ みのる、1903年(明治36年)10月27日 - 1960年(昭和35年)3月15日)は、昭和期の内務官僚、厚生官僚、政治家、弁護士。参議院議員。現在の愛媛県松山市生まれ。 愛媛県温泉郡味生村南斎院(現:松山市)で玉柳政吉の長男として生まれる。松山中学校(現愛媛県立松山東高等学校)を経て、1923年(大正12年)に大阪高等商業学校(現大阪市立大学)中退。1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科合格。1930年(昭和5年)に高等試験司法科に合格。同年、内務省に入省し岩手県属に任官。1943年(昭和18年)に厚生省保険局船員労災課長、1946年(昭和21年)に愛媛県農地部長、1948年(昭和23年)に愛媛県経済部長。
杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 19… 杉原 荒太(すぎはら あらた、1899年8月28日 – 1982年1月20日)は、日本の政治家、外交官。参議院議員(4期)。防衛庁長官(第3代)。 佐賀県杵島郡中通村(後の山内町、現武雄市)に生まれる。 1917年旧制鹿島中学校卒業。旅順中学校を経て1922年大阪市立高等商業学校(後の大阪市立大学)を卒業後。外務省に入省。アメリカ合衆国ヴァーモント大学に留学、卒業する。 帰朝後は南京総領事、本省法規課長、企画課長、大東亜省総務局長、外務省調査局長、同条約局長を歴任。 戦後、首相となった吉田茂とは何かと対立し、1946年いわゆる“Y項パージ”で外務省を追放され、弁護士となる。 1950年、第2回参議院議員通常選挙に自由党から佐賀選挙区にて立候補し当選を果たす。
2代 竹腰 徳蔵(たけごし/たけこし とくぞう、1891年〈… 2代 竹腰 徳蔵(たけごし/たけこし とくぞう、1891年〈明治24年〉7月10日 - 1956年〈昭和31年〉7月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、群馬県会議員(6期)、群馬県群馬郡箕郷町長。幼名は五四二(いよじ)。群馬県知事選挙に立候補したが投票日の3日前に急逝し、弟・俊蔵が補充立候補により当選を果たした。 1891年(明治24年)、群馬県群馬郡箕輪村西明屋(現・高崎市箕郷町西明屋)で造り酒屋「十一屋」を営む竹腰徳蔵・コウ夫婦の長男として生まれる。竹腰家は新潟から移住してきた徳蔵の先々代が酒造業を創業、銘酒「友鶴」を醸造し、広大な山林田畑を持つ資産家だった。 旧制群馬県立高崎中学校を経て市立大阪高等商業学校を卒業。
梅園 篤彦(うめぞの あつひこ、1889年〈明治22年〉7月… 梅園 篤彦(うめぞの あつひこ、1889年〈明治22年〉7月17日 - 1978年〈昭和53年〉8月4日)は、大正から昭和期の神職、政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。 男爵・梶野行篤の七男として生まれ、1913年(大正2年)6月、子爵・梅園実師の養子となる。養父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月10日、子爵を襲爵した。 1909年(明治42年)京都府立第二中学校を卒業。1912年(明治45年)3月、大阪市立高等商業学校を卒業。その後、京都帝国大学法科大学を修了した。 1916年(大正5年)官幣中社白峯宮主典に就任。以後、府社男神社社司、京都市主事、京都市嘱託、滋賀県嘱託、京都薬学専門学校講師、京都計理士会会長、三島製紙常務取締役、精版印刷監査役などを務めた。
岸本 彦衛(きしもと ひこえ、1887年(明治20年)4月1… 岸本 彦衛(きしもと ひこえ、1887年(明治20年)4月11日 - 1977年(昭和52年)1月1日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。貴族院勅選議員。旧姓・岡村。 山口県で岡村米吉の六男として生まれる。1907年(明治40年)大阪市立高等商業学校を卒業した。鉄鋼問屋岸本商店店主・4代岸本吉右衛門の養子となり、1929年(昭和4年)に分家した。 1918年(大正7年)岸本商店常務取締役に就任。以後、岸本商店副社長、大建産業副社長、日印通商取締役、函館船渠(現函館どつく)取締役、日本曹達監査役、大阪鋼材監査役、呉羽紡績監査役、日本繊維工業社長、大阪ロータリー倶楽部会長などを務めた。 1946年(昭和21年)3月22日、貴族院勅選議員に任じられ、同和会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
嶋居 哲(島居、しますえ てつ、1887年1月1日 - 19… 嶋居 哲(島居、しますえ てつ、1887年1月1日 - 1979年3月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 広島県出身。1909年、大阪高等商業学校卒。のち京都帝国大学独法科で学ぶ。その後、尾道市会議員、同議長、鉄道大臣秘書官となる。また、尾道電燈、尾道鉄道、広島農産各(株)取締役、尾道自動車(株)社長、備南銀行頭取、島居商店、島居電機(株)取締役社長、嶋居薬品、嶋居薬局各社長、中国薬品卸連合会会長を務めた。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において広島3区(尾道市)から立憲政友会公認で立候補して当選。1928年の第16回衆議院議員総選挙では広島3区(中選挙区)から立候補して再選した。
上田 弥兵衛(うえだ やへえ、1880年9月28日 - 19… 上田 弥兵衛(うえだ やへえ、1880年9月28日 - 1950年9月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 兵庫県川辺郡杭瀬村(小田村字杭瀬を経て現尼崎市)出身。大阪高等商業学校卒。米穀商を営み、日露戦争に参加、陸軍二等主計となる。大阪商業会議所特別議員、大阪穀物商同業組合長、大日本木管、網島土地、大日本石油鉱業、南洋護謨拓殖各(株)社長、大阪堂島米穀取引所、東京米穀会専任幹事、日本倉庫(株)取締役、日本米穀(株)理事となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において大阪市から無所属で立候補して当選する。1920年の第14回衆議院議員総選挙では大阪3区から無所属で立候補して当選する。
山邑 太三郎(やまむら たさぶろう、1880年〈明治13年〉… 山邑 太三郎(やまむら たさぶろう、1880年〈明治13年〉2月13日 - 1928年〈昭和3年〉2月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 兵庫県菟原郡、のちの武庫郡魚崎村(魚崎町を経て現神戸市東灘区)出身。1897年、大阪高等商業学校卒。日露戦争に従軍し、陸軍二等主計となる。魚崎村会議員、同村長、同町長、武庫郡東郷酒造組合長、東醤油(株)社長、山邑酒造、日章火災海上再保険、名古屋信託各(株)取締役、日章信託、太平洋水産、帝国紡績、日清生命保険各(株)監査役となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において兵庫4区から無所属で立候補して当選した。御影師範学校附属小学校保護者会役員であったことから、1923年頃から灘校設立運動を支援。
大野順末(おおの じゅんまつ、1877年(明治10年)10月… 大野順末(おおの じゅんまつ、1877年(明治10年)10月 - 1954年(昭和29年)10月)は、日本の実業家、政治家。 初代大泊町町長、樺太銀行専務取締役。 石川県江沼郡瀬越村(現在の加賀市大聖寺瀬越町)出身。1877年(明治10年)10月本谷惣次郞の四男として生まれる。 1897年(明治30年)大阪高等商業学校を卒業した後北海道に渡り、小樽の板谷商船に入社する。数年後適齢と共に陸軍に入隊し、満期後も再役して陸軍二等主計となる。 1906年(明治39年)に樺太へ渡島して商界に従事する。米穀雑貨酒造業を営み豊原に支店を構える。1911年(明治44年)に小樽に本店を設ける。 樺太銀行専務取締役に就任。
石川 又八(いしかわ またはち、1877年(明治10年)6月… 石川 又八(いしかわ またはち、1877年(明治10年)6月14日 - 1935年(昭和10年)9月6日)は、明治後期から昭和前期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県佐賀郡久保田村長。 佐賀県佐賀郡久保田村久保田宿(久保田町大字久保田を経て現佐賀市久保田町大字久保田)で、石川謙助の長男として生まれる。大阪市立高等商業学校(のち大阪商科大学)を卒業。1897年(明治30年)家督を相続し、農業を営む。日露戦争に従軍し、陸軍歩兵中尉で除隊した。 1903年(明治36年)頃より農業改良に取り組み、田での正条植えを奨励し、村内の篤農家と共に晩生稲の時代を主張して、1913年(大正2年)全国五石収穫懸賞会で入賞してその成果が認められた。
今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年(明治9年)5月… 今給黎 誠吾(いまきいれ せいご、1876年(明治9年)5月30日 - 1953年(昭和28年)2月16日)は、明治から昭和時代前期の政治家。衆議院議員(1期)、第3代東南方村長・初代枕崎町長(現枕崎市)。枕崎市名誉市民。 鹿児島県出身。鹿児島県川辺郡鹿籠村西鹿籠(後に西鹿籠村、東南方村、枕崎町、枕崎市)の今給黎久清(児玉久清、初代東南方村長)の長男として生まれる。1878年(明治11年)家督を相続する。長谷場敦(衆議院議員、串木野町長)は実弟。 市立大阪商業学校に学ぶ。農業を営む傍ら、同県川辺郡東南方村長、鹿児島県会議員、同参事会員、枕崎町長を歴任する。1910年(明治43年)第3代東南方村長に就任してから初代枕崎町長を1947年(昭和22年)に退任するまで、連続36年8カ月在任した。
瀧川 儀作(たきがわ ぎさく、1874年(明治7年)12月8… 瀧川 儀作(たきがわ ぎさく、1874年(明治7年)12月8日 - 1963年(昭和38年)1月31日)は、日本の実業家、政治家。瀧川辨三の養嗣子。旧姓梶岡。 瀧川辨三が発展させた東洋燐寸株式会社社長を引き継ぎ日本のマッチ王と呼ばれる。 奈良県吉野郡、のちの高見村(現東吉野村)で豪家梶岡源重郎、たみの三男として生まれた。後旧長州豊浦藩藩士瀧川辨三の養子となり、明治32年(1899年)分家す。 明治29年(1896年)大阪商業学校卒業。岳父を助けて幾多の事業に参画。 1918年1月には兵庫県下の28工場を合併して帝国燐寸株式会社を設立、2月には膠州湾租借地に青島燐寸株式会社を設立。神戸商業会議所会頭、神戸日華実業協会長、瀧川学園理事を歴任。
矢野 荘三郎(やの しょうざぶろう、1867年9月25日(慶… 矢野 荘三郎(やの しょうざぶろう、1867年9月25日(慶応3年8月28日) - 1925年(大正14年)9月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 伊予国宇和郡川之石浦(愛媛県西宇和郡川之石村、川之石町、保内町を経て現八幡浜市)で生まれた。1896年大阪府立商業学校(現・大阪市立大学)卒。のちに慶應義塾に学ぶ。鉱業に従事し、伊予製鉱、宇和紡績、第二十九銀行、愛媛鉄道、龍野電気鉄道各(株)取締役、明治製煉(株)専務取締役を務めた。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において愛媛県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。