多田 斎(ただ ひとし、1955年3月29日 - )は、日本… 多田 斎(ただ ひとし、1955年3月29日 - )は、日本の実業家。 野村證券取締役兼執行役会長、だいこう証券ビジネス代表取締役社長等を経て、セレス取締役、ライトオン取締役。 兵庫県出身。1978年甲南大学経済学部卒業、野村證券入社。1988年成城支店長。1996年渋谷支店長。1997年営業相談室長兼総務審理室長。1999年営業業務本部支店経営担当。1999年取締役。2003年常務取締役。2008年執行役兼専務執行役員。2009年執行役副社長。2010年執行役副社長兼営業部門CEO。2011年Co-COO兼執行役副社長。2012年取締役兼執行役会長。2013年野村総合研究所顧問。同年だいこう証券ビジネス代表取締役社長、ジャパン・ビジネス・サービス代表取締役社長。
森 茂起(もり しげゆき、1955年(昭和30年)2月19日… 森 茂起(もり しげゆき、1955年(昭和30年)2月19日 - )は日本の心理学者で甲南大学名誉教授。トラウマ研究の第一人者として知られる。 1973年(昭和48年)に兵庫県立長田高等学校を卒業。 1977年(昭和52年)に京都大学理学部生物学科、1979年(昭和54年)に京都大学教育学部教育心理学科を卒業。 1984年(昭和59年)に京都大学大学院教育学研究科教育方法学専攻博士課程を単位取得満期退学。 1998年(平成10年)に京都大学 博士(教育学)を取得。 甲南大学文学部社会学科講師、助教授を経て、1997年(平成9年)4月より人文学部人間科学科教授。 ユング研究所、タヴィストック・センター、ジークムント・フロイト研究所にて研究に従事。
鳥井 信吾(とりい しんご 1953年1月18日 - )は、… 鳥井 信吾(とりい しんご 1953年1月18日 - )は、日本の実業家、サントリーホールディングス代表取締役副会長、3代目マスターブレンダー。大阪府出身 父はサントリー名誉会長の鳥井道夫。2代目社長の佐治敬三は伯父、3代目社長の鳥井信一郎、4代目社長の佐治信忠は従兄にあたる。従兄弟に旧皇族久邇宮家の久邇朝尊がいる。 サントリーの看板商品の1つであるウイスキーについて、ブレンドの総責任者であるマスターブレンダー(3代目)を務めているが、アルコールは水割り1杯、ビール2-3杯程度と強いということではない。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
奥谷 通(おくたに とおる、本名・奥谷 通敏、1951年(昭… 奥谷 通(おくたに とおる、本名・奥谷 通敏、1951年(昭和26年)10月7日 - 2003年(平成15年)7月8日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。 自由民主党衆議院議員(2期)、兵庫県議会議員(2期)。神戸不燃板工業元副社長。ザ・アール元社長の奥谷禮子は元妻(1984年に離婚)。長男は奥谷謙一兵庫県会議員。 兵庫県神戸市兵庫区(現・北区)山田町出身。父は神戸不燃板工業元社長の奥谷謙三。甲南中学校・高等学校を経て、1974年(昭和49年)3月、甲南大学法学部を卒業。1970年(昭和45年)の第25回国民体育大会(岩手国体′70)に剣道で出場した。 1975年(昭和50年)4月、神戸大学環境工学研究室勤務。
濱田 和生(はまだ かずお、1951年8月9日 - )は、日… 濱田 和生(はまだ かずお、1951年8月9日 - )は、日本の経営者。サンスター社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1970年に甲南大学法学部を卒業し、同年にサンスターに入社。2006年6月に取締役に就任し、2007年6月には社長に昇格。2011年までに社長を務め、2013年には会長に就任。
越智 通勝(おち みちかつ、1951年1月18日 - )は、… 越智 通勝(おち みちかつ、1951年1月18日 - )は、エン・ジャパン株式会社代表取締役会長兼社長。同社の創業者。金光学園高等学校、甲南大学経済学部卒。妻は元フジテレビアナウンサーで会社経営者の高木広子
吉野 俊昭(よしの としあき、1950年10月10日 - 2… 吉野 俊昭(よしの としあき、1950年10月10日 - 2018年7月31日)は、日本の経営者。ロート製薬社長を務めた。 静岡県出身。1974年に甲南大学法学部を卒業し、同年にロート製薬に入社した。2004年に取締役に就任し、2008年に常務を経て、2009年6月に社長に就任。なお、ロート製薬創業以来初の親族外社長である。 2018年7月31日心筋梗塞のために在任時に死去。67歳没。
奥谷 禮子(おくたに れいこ、1950年4月3日 - )は、… 奥谷 禮子(おくたに れいこ、1950年4月3日 - )は、日本の実業家。株式会社ザ・アール元会長(2018年3月に退任)。CCCサポート&コンサルティング株式会社代表取締役会長(2018年3月就任)。本名は米澤 禮子(よねざわ れいこ)。名前に使われている漢字「禮」は旧字体であり、著書などでは奥谷 礼子とも記される。なお「奥谷」は旧姓。現在の夫は東京大学名誉教授、元日本学術会議会員で理化学研究所計算科学研究機構副機構長の米澤明憲。元夫は衆議院議員の奥谷通。2020年9月に新刊「如是我聞 完結編 世相を一刀両断」を発売。2022年奥谷禮子財団設立。2025年3月公益財団法人奥谷禮子財団理事長に就任。
寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、… 寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家、鉄道作家、鉄道評論家、元公立小学校教諭(地方公務員)、鉄道友の会会員、鉄道運輸史研究会会員。 大阪府八尾市出身。柏原市在住。 幼き頃より鉄道に興味を示し、義務教育在籍中から鉄道写真を撮影するようになり、また並行して鉄道雑誌に投稿したり、鉄道の歴史を研究する活動を行っていた。趣味活動対象は主に日本国有鉄道(国鉄、なかでも旧大阪鉄道管理局や天王寺鉄道管理局管内を中心とした関西地区関連)・JRグループ(特に地元のアーバンネットワーク関連)であるが、近畿日本鉄道(近鉄)や京阪電気鉄道(京阪)や南海電気鉄道(南海)などの大手私鉄関連も行っている。
高田 恵太郎(たかだ けいたろう、1950年 - )は、ファ… 高田 恵太郎(たかだ けいたろう、1950年 - )は、ファッションプロデューサー 甲南大学卒業後、アパレルメーカーヴァンヂャケット入社。 その後、企画会社、スポーツメーカーを経て、1989年神戸ファッションマートプロジェクト(ジャパンマーケットセンター/住友信託銀行)に参加。同社のマーケティング部長としてアパレルメーカーの合同展示会、若手デザイナーの育成イベント(神戸コンポーズド)、クリエイター育成支援事業、ITとファッションの融合など、様々なプロジェクトを実施。2002年8月神戸コレクション第1回目を発起人として開催し現在まで育て上げた。 取締役事業部長を歴任後2005年に退社。55歳を機に「オヤジベンチャー」を目指して以降、ITベンチャー企業、ファッション企業等のアドバイザーとして活動。
森本 直樹(もりもと なおき、1949年4月20日 - )は… 森本 直樹(もりもと なおき、1949年4月20日 - )は、日本の経営者。日本盛社長を務めた。兵庫県出身。 1973年に甲南大学経済学部を卒業。協和発酵工業での勤務を経て、1978年5月に西宮酒造に転じ、1986年に常務に就任し、1988年に副社長を経て、1989年4月には社長に就任。2020年6月には会長に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
烏丸 光広(からすまる みつひろ、1949年 - )は、能面… 烏丸 光広(からすまる みつひろ、1949年 - )は、能面師。 1949年(昭和24年)兵庫県川西市生まれ。1971年(昭和46年)甲南大学法学部を卒業後、能面師の高野唯閑、能楽師の河村晴夫らに師事する。1979年(昭和54年)京都市立芸術大学 彫刻専攻科修了。もとは石の彫刻を手がけていたが、この在学中に能面を彫り始めたと取材に対して述べている。
小原 夏樹(おはら なつき、1949年(昭和24年) - 1… 小原 夏樹(おはら なつき、1949年(昭和24年) - 1992年(平成4年)1月13日)は、いけばな小原流の四世家元。 兵庫県神戸市に生まれる。甲南大学経済学部卒業。1969年(昭和44年)1月、父である三世家元小原豊雲より次期家元に指名され、併せて財団法人小原流理事に就任する。以来、アメリカや欧州など、三世家元の助手として世界各地を歴訪する。1973年(昭和48年)11月にはドイツ大使館にて作品を展示。1978年(昭和53年)6月、三世家元と東京セントラル美術館にて「小原豊雲・夏樹二人展 いけばな・いま・そして」を開催する(以降9月大阪、11月福岡にて巡回展)。1979年(昭和54年)、自身主催の造形いけばなによる公募展「マイ・イケバナ」を開催する(以降毎年開催(2018年1月現在))。
堀場 厚(ほりば あつし、1948年2月5日 - )は、日本… 堀場 厚(ほりば あつし、1948年2月5日 - )は、日本の実業家。株式会社堀場製作所代表取締役会長兼グループCEO、京都商工会議所会頭、2025年日本国際博覧会協会副会長。元京都経済同友会代表幹事。京都府京都市出身、在住。既婚、1男1女。 京都教育大学附属京都小学校・中学校、京都府立山城高等学校を経て1971年(昭和46年)3月甲南大学理学部卒業。同年11月に米オルソン・ホリバ社(堀場製作所のアメリカ子会社)入社。 この他、ソフトバンク株式会社社外取締役(2018年6月~)、住友電気工業株式会社社外取締役(2021年6月~)、一般社団法人日本電気計測機器工業会会長(2017年5月~2019年5月)、一般社団法人日本分析機器工業会会長(2007年5月~2011年5月)、京都商工会議所副会頭、産業構造審議会委員などを務める。
本間 充(ほんま みつる、1947年(昭和22年)11月6日… 本間 充(ほんま みつる、1947年(昭和22年)11月6日 - )は、日本の実業家。元三洋電機株式会社代表取締役副社長、元株式会社ジャパンディスプレイ(JDI)代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)。元一般社団法人電池工業会会長。 三洋電機の生え抜きとして、三洋電機グループ解体まで長らく電池事業を率い、三洋を電池業界トップに導いた。電池業界のトップである電池工業会会長にも就任し「電池の顔」「電池の本間」の異名を取る。 三洋電機では米国子会社の副社長を任され、経営者としての素地を磨いた。帰国後は電池事業を率い、携帯電話用のリチウムイオン二次電池で大きなシェアを獲得し、三洋のリチウムイオン二次電池部門を業界シェア首位に導く。
ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月1… ポール岡田(又は岡田ポール、本名・長岡和彦、1947年8月13日 - )は、日本のミュージシャン。 滋賀県大津市出身。1969年5月、グループ・サウンズバンド、ザ・カーナビーツの2代目ボーカリストとして加入するが5ヶ月でグループは解散する。解散後、1969年12月から翌1970年2月末まで渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後は再びボーカリストとしてソロ、男女デュオなどで数枚のレコードをリリースした。 1970年代末、偶然紹介された伊集院静の誘いで、音楽活動を諦め、本名の長岡和彦として広告業界へ転身。広告代理店・株式会社JMSクリエイティブセンターに入社、伊集院が小説家への転身で退社するまで約1年間は伊集院の下でスタッフを務め、その後本体の株式会社ジャパン・マーケティング・サービスに移る。
廣崎 利洋(ひろさき としひろ、1947年2月4日 - )は… 廣崎 利洋(ひろさき としひろ、1947年2月4日 - )は、日本の実業家、馬主。 甲南大学を卒業後、イタリアへ渡りオリベッティの日本法人に入社。帰国後、1973年に25歳の若さでコンサルティング会社のASK PLANNING CENTERを西宮市に創業した。その後3年間のうちに東京都まで進出し、ビブレ、天王洲アイル(シーフォートスクエア)、広島のアルパーク、小倉のコレット、銀座シャネル、大江戸温泉物語などの都市開発に関与。ファッションビルというコンセプトを生み出したとされている。 その後はASK GROUP HOLDINGSの代表取締役となり、ASKグループなど数社の企業を国内で主宰している。
中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )… 中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )は、日本のジャーナリスト、社会運動家。ホンマルラジオ元パーソナリティー。 大阪府茨木市出身。甲南大学卒業。1980年代から、京都新聞の記者として文化人類学の知識を背景に風俗産業のルポルタージュなどに取り組みながら、京都民俗学会でも性風俗についての報告をしていた。1997年(平成9年)に、京都新聞社を退社し、以降はフリー・ジャーナリストとして活動している。 2017年からホンマルラジオ大阪 パーソナリティー。番組名「勃ち上がれ中高年 〜70代男性セラピスト中村彰と語る「性」と「生」〜」。 この間、フェミニズムやメンズリブの思想に共鳴し、1991年(平成3年)に大阪でメンズリブ研究会の立ち上げに参加、1995年(平成7年)には大阪に男性団体のメンズセンターを設立し2006年(平成18年)までその運営委員長を務めた。
山野 常禎(やまの つねよし、1946年12月12日 - )… 山野 常禎(やまの つねよし、1946年12月12日 - )は、日本のアマチュア無線家。コールサインはJA5HTP。徳島県徳島市国府町東黒田出身。 甲南大学文学部卒業。アマチュア無線に興味を抱き、世界最長の無線交信に挑むべく南大東島に渡る。同島でブラジル・クラチバの PY5BABと交信 50MHzにおける世界遠距離交信記録1万9997.05kmを達成、アマチュア無線において世界最長交信記録保持者(50MHz)になった。この交信記録は1984年のギネスブックに掲載された。 後に、アマチュア無線の発展に力を注ぎ、日本アマチュア無線連盟徳島県評議員を6期務め、DCCS会長(剣山デジピータ及びリピータ)の役職を経てアマチュア無線のデジタル化技術に関する調査検討会委員になった。
塩野 元三(しおの もとぞう、1946年11月17日 - )… 塩野 元三(しおの もとぞう、1946年11月17日 - )は、日本の実業家。塩野義製薬創業家出身で、同社代表取締役社長や、日本製薬団体連合会副会長、大阪医薬品協会会長等を務めた。 兵庫県出身。塩野義製薬創業家7代目で、1969年に甲南大学経営学部卒業後、塩野義製薬入社。1984年取締役営業計画部長に昇格。1987年常務取締役経理部長。1996年代表取締役専務動植工薬品事業部長。1999年から代表取締役社長を務め、医療用医薬品事業への集中などを進めた。2008年代表取締役会長。日本製薬団体連合会副会長、大阪医薬品協会会長等も務めた。2019年、旭日中綬章受章。
小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えい… 小倉 エージ(おぐら エージ、本名:小倉 栄司(おぐら えいじ)、1946年〈昭和21年〉6月15日 - )は、日本の音楽評論家、料理評論家。 兵庫県神戸市出身。甲南大学卒業後、URCレコードのディレクターとなり、はっぴいえんどのデビューアルバム『はっぴいえんど』の制作を手がけた(12弦ギターも演奏)。 またその頃、音楽雑誌『ニュー・ミュージック・マガジン』(現『ミュージック・マガジン』(ミュージック・マガジン))の創刊に携わり、以後は主に音楽評論家として活動している。 洋楽から歌謡曲、アジアン・ポップスまで評論の幅は広く、日本レコード大賞の審査員も務めるなど、音楽業界の重鎮の一人である。NHK-FMの人気番組だった『クロスオーバーイレブン』の選曲も長きに渡り担当していた。
川越 一(かわごし はじめ、1946年1月30日 - )は、… 川越 一(かわごし はじめ、1946年1月30日 - )は、日本の実業家。ロイヤルホテル代表取締役社長を務めた。 1946年、母の実家のある岩手県盛岡市で生まれ、転居により阪神間(尼崎市)で育つ。1968年、甲南大学経営学部卒業後、リーガロイヤルホテルの前身に当たる新大阪ホテル入社。リーガロイヤルホテル京都、早稲田等の総支配人、2002年より常務取締役を経て、2007年に社長に就任した。2010年に社長を退任し、相談役となる。2011年より大阪学院大学経営学部教授を務める。
石森 秀三(いしもり しゅうぞう、1945年10月14日 -… 石森 秀三(いしもり しゅうぞう、1945年10月14日 - )は、日本の文化人類学者。専門は、観光文明学・文化開発論。北海道博物館館長、北海道大学観光学高等研究センター特別招聘教授、国立民族学博物館・総合研究大学院大学名誉教授。 1945年、兵庫県神戸市生まれ。1968年甲南大学経済学部を卒業。オークランド大学大学院人類学研究科修士課程に進み、1970年に中退。 帰国後、1971年より京都大学人文科学研究所研究員京都大学人文科学研究所研究員。1990年、国立民族学博物館第四研究部助教授となる。2002年より国立民族学博物館民族社会研究部教授・センター長。北海道大学観光学高等研究センター教授、北海道大学観光学高等研究センターセンター長、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院観光創造専攻専攻長となった。
小林 豊(こばやし ゆたか、1945年5月28日 - 201… 小林 豊(こばやし ゆたか、1945年5月28日 - 2019年12月26日)は、日本の経営者。小林製薬社長を務めた。兵庫県出身。 1968年に甲南大学文学部を卒業し、同年に小林製薬に入社。1976年に取締役に就任し、1982年に常務、1985年に専務、1992年に副社長を経て、2004年に社長に就任。2013年6月に副会長に就任。 2019年12月26日肺癌のために死去。74歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
來住 壽一(きし じゅいち、1944年(昭和19年)7月16… 來住 壽一(きし じゅいち、1944年(昭和19年)7月16日 - )は、日本の政治家。元兵庫県西脇市長(1期)。 甲南大学経営学部卒。西脇市役所に入り、助役などを経て、2005年西脇市長選挙に立候補し、当選する。2009年は無投票当選。市長は2期務め、2013年に引退した。
小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、… 小谷 博泰(こたに ひろやす、1944年1月9日 - )は、日本の国語学者、歌人、甲南大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1966年甲南大学経済学部卒、74年同大学院文学研究科国文学科博士課程満期退学、同助手、76年講師。奈良教育大学講師、助教授、甲南大学文学部教授。2011年退任、名誉教授。上代日本語を専門とする。 短歌は安田章生に師事、結社「白珠」同人、「鱧と水仙」同人。 師・安田章生の、「一首のなかに文語と口語とを混用することも、美感を損しない限り許されるべきことであって、すべて窮屈に考える必要はない」という教えに従い、故郷の方言である播州弁を混交させた短歌を作る。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
井上 凱文(いのうえ いつのり、1944年〈昭和19年〉1月… 井上 凱文(いのうえ いつのり、1944年〈昭和19年〉1月5日 - )は、元山陽放送(RSK)アナウンサー。岡山弁協会名誉顧問。 番組内では、井上いつのりと紹介されることが多い。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
村瀬 智(むらせ さとる、1944年 - )は、日本のベンガ… 村瀬 智(むらせ さとる、1944年 - )は、日本のベンガル研究者。30年以上研究しつづけてきたバウルに関しては2019年現時点で日本の第一人者と目される。 1944年、兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部を卒業し、甲南大学文学部を卒業。イリノイ大学にて修士号、後に博士号を取得。シカゴ大学に本部を置くアメリカ・インド学研究所の在インド特別研究員、カルカッタ大学客員研究員を経て、2004年より大手前大学人文科学部教授となった。2005年、社会文化学部教授、2008年にはメディア芸術学部教授をつとめた。2015年に大手前大学を定年退職し、引き続き同大学非常勤講師を務めている。
土井 肇(どい はじめ、1943年8月23日 - )は、日本… 土井 肇(どい はじめ、1943年8月23日 - )は、日本の実業家、馬主。 愛知県名古屋市に本社を置く証券業の大万証券株式会社の取締役会長を務める。 1943年、愛知県出身。1966年3月に甲南大学卒業後、土井商事株式会社に入社し取締役、1967年3月に系列会社の大万証券株式会社社長就任。1975年1月に大万証券社長を辞任し土井商事副社長、1979年11月に大万証券会長、1982年に土井商事社長に就任。2000年7月、大万証券の岡崎支店における損失補填に係る不祥事の発生に伴い社長の近藤忠が引責辞任したため土井が社長に復帰。2001年6月、社長後任に駒田博明の昇格を決定し土井は再度会長へ就任した。
水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、… 水野 正人(みずの まさと、1943年5月25日 - )は、日本の実業家。元ミズノ代表取締役会長。公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長。兵庫県芦屋市出身。 祖父はミズノ創業者の水野利八。父はミズノ元会長・社長の水野健次郎。弟はミズノ社長の水野明人。
廣津 岱雲(ひろつ たいうん、1943年4月3日 - 201… 廣津 岱雲(ひろつ たいうん、1943年4月3日 - 2011年6月18日)は、明朝清朝の連綿体を関西に流行させた廣津雲仙を父にもち、その後継者として活躍した、日本を代表する書家の一人。兵庫県神戸市出身で、本名は廣津 宏祥(ひろつ ひろよし)。甲南大学卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の… 芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の実業家。JCRファーマ株式会社創業者で、同社代表取締役会長兼社長兼CEO兼COOを経て、取締役ファウンダー。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、日本初となるCOVID-19ワクチンの製造拠点整備を行った。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺生まれ。神戸市東灘区御影の旧乾邸の向いの洋館で育つ。神戸大学附属住吉小学校を経て、愛知県安城市に転居し、1958年愛知学芸大学附属岡崎中学校(現愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1961年愛知県立岡崎高等学校卒業。 西宮市からYMCA予備校に通って浪人生活を送ったのち、1962年甲南大学文学部に進学。
草野 旦(くさの あきら、1943年 - )は、日本の演出家… 草野 旦(くさの あきら、1943年 - )は、日本の演出家。 神戸市生まれ。甲南大学文学部卒業後の1966年、宝塚歌劇団に入団。1971年、宝塚大劇場公演『ハレルヤ』で演出家デビュー。1977年、草野が構成・演出を担当した『ザ・レビュー』第3部夢人で、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 1982年、バウホール『永遠物語』で初めてドラマの脚本・演出を手がけ、再演を繰り返す作品を生み出している。1992年、ニューヨーク・ジョイスシアターの海外公演『TAKARAZUKA“夢”』の作・演出を担当。 1996年、歌劇団理事に就任。 2000年、『源氏物語 あさきゆめみし』で、初めて大劇場公演の芝居の作・演出を手掛ける。
竹中 統一(たけなか とういち、1942年〈昭和17年〉12… 竹中 統一(たけなか とういち、1942年〈昭和17年〉12月8日 - )は、日本の実業家。株式会社竹中工務店取締役名誉会長、創業家である竹中家の第17代当主。 竹中家第15代当主・竹中錬一の長男。竹中家17代目当主(第16代は、錬一の弟、宏平)に就任すると、33年間竹中工務店の社長を務める。後任には、竹中工務店創業以来初の創業家外部からの出身となる宮下正裕を指名し、会長兼CEOに退いた。 社団法人海外建設協会会長、大阪日米協会、社団法人建築業協会会長、日本美術協会評議員、社団法人日泰貿易協会理事等を歴任。
稲垣 嗣夫(いながき つぐお、1942年〈昭和17年〉3月1… 稲垣 嗣夫(いながき つぐお、1942年〈昭和17年〉3月11日 - )は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 兵庫県出身。1964年甲南大学理学部経営理学科卒業後、神戸新聞社入社。1991年取締役、1994年2月常務、1995年2月専務を経て、2003年2月社長、2008年2月会長。2018年に兵庫県功労者表彰を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中部 銀次郎(なかべ ぎんじろう、1942年〈昭和17年〉2… 中部 銀次郎(なかべ ぎんじろう、1942年〈昭和17年〉2月16日 - 2001年〈平成13年〉12月14日)は、日本のアマチュアゴルファー。大洋クラブ会長。大洋漁業創業者中部幾次郎の孫。 山口県下関市出身。大洋漁業(現・Umios)副社長及び林兼産業社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。小学校から兄の中部一次郎らと共にゴルフを始め、1958年、山口県立下関西高等学校2年生の時に関西学生選手権に大学生に混じって出場、優勝を果たし一躍その名をとどろかせる。 慶應義塾大学に進学するつもりであったが、ゴルフ環境の悪さ(大学のある都心からゴルフ場が遠い)を理由に一浪し甲南大学に入学。
渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )… 渡辺 康二 (わたなべ こうじ、1942年1月19日 - )は、日本のプロテニスプレーヤー。 兵庫県芦屋市出身。1960年、全日本ジュニアテニス選手権、1963年全国高等学校総合体育大会(インターハイ)それぞれシングルスに優勝。甲南大学在学中の1963年からデビスカップの日本代表として活躍する傍ら、プロテニス選手として活動し、1964年・1965年・1968年に全日本テニス選手権大会シングルス優勝、1965年-1968年はダブルスも制覇。特に1967年・1968年はシングルス・ダブルスの二冠を達成した。 1970年に競技者の第一線を退き、デビスカップ日本代表の監督に就任(1974年退任)。特に、1971年の大会において、オーストラリアを50年ぶりに破る時の監督として知られた。
西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年… 西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年〈昭和16年〉8月8日 - 1996年〈平成8年〉4月3日)は、元漫才師、タレント。 兵庫県神戸市出身。甲南大学文学部卒業。父は西条凡児。兄は西條遊児。娘は元宝塚歌劇団の西條三恵。 1966年、それまで勤務していた広告代理店をリストラされたことを機に兄とコンビを結成し漫才師デビュー。神戸を中心にラジオのパーソナリティーを長年勤めた。 1996年4月3日、死去。55歳没。 西條の没後、日本映画批評家大賞内の舞台ミュージカル大賞に西條笑児賞の副名称がつけられている。
武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15… 武田 國男(たけだ くにお、1940年(昭和15年)1月15日 - 2024年(令和6年)6月8日)は、日本の実業家。武田薬品工業代表取締役会長CEO、日本経済団体連合会副会長、関西経済連合会副会長を務めた。 父・武田鋭太郎(後に六代目武田長兵衛を襲名)、母・繁子(十代目國分勘兵衛の娘)の三男として兵庫県住吉村(現:神戸市)に生まれる。長兄・彰郎(34年生)、次兄・誠郎(35生)の三兄弟で武田家住吉別邸(銜艸居、現:武田資料館)で育つ(長男は大阪・道修町本邸に住まい後継者として教育を受ける)。1944年甲南幼稚園に入園するが、母と2人で丹波大山に疎開。戦後は、住吉別邸がアメリカ軍によって自宅の3分の2が接収され、同居生活を送る。
小林 一雅(こばやし かずまさ、1939年(昭和14年)9月… 小林 一雅(こばやし かずまさ、1939年(昭和14年)9月19日 - )は、日本の実業家。兵庫県出身。小林製薬の社長・会長を務めた。 小林製薬社長の小林三郎の長男として生まれ育った。大学在学中に父の三郎が死去。甲南大学経済学部卒業後、1962年3月に小林製薬に入社。1964年米国に視察旅行をきっかけに1965年にコロンビア大学に留学。1966年11月に取締役、1970年11月に常務取締役を経て、1976年12月、4代社長に就任。医薬品の卸業であった小林製薬をメーカーへと転換を進めた。 その後、2004年6月に弟である豊が社長となり、一雅は会長となった。 2024年7月23日、紅麹配合サプリメントによる健康被害の拡大を受け会長を辞任。
古野 清之(ふるの きよゆき、1939年6月2日 - )は、… 古野 清之(ふるの きよゆき、1939年6月2日 - )は、日本の実業家。元古野電気会長、社長。長崎県出身。 1939年長崎県生まれ。10人兄弟の三男で、兄の古野清孝(長男)と古野清賢(次男)は古野電気の創業者である。長崎県立長崎東高等学校を経て、1962年に甲南大学経営学部経営学科を卒業後、古野電気に入社。1985年5月取締役、1989年5月常務、1990年3月国内本部長、1991年5月専務、1995年3月舶用機器事業部長、1996年5月代表取締役専務、1997年5月副社長を経て、1999年6月社長に就任した。 就任当時、同社の売上と経常利益はいずれも下降していた。そこで、長期的なビジョン(フルノビジョン)や、その実現に必要となる企業としての価値観(フルノバリューズ)の策定に取り組み、社内の意識改革に努め、同社の業績回復を実現させた。
鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月1… 鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月17日 )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。 大阪府出身。甲南大学卒業後、1962年関西テレビにアナウンサーとして入社。同期は塩田利幸と杉本清。 主に「ハイ!土曜日です」のアシスタントや「奥さまリビング」のメイン司会を担当した。のちにテレビ宮崎へ出向し、1982年から1983年にかけて「UMKニュースレポート」のメインニュースキャスターを務めた。関西テレビを退職後、甲子園大学でマスコミ論やジャーナリズム論などを担当。現在はFM宝塚番組審議委員長を務めている。
上山 英介(うえやま ひですけ、1937年〈昭和12年〉6月… 上山 英介(うえやま ひですけ、1937年〈昭和12年〉6月24日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の実業家。元大日本除虫菊会長。元大阪青年会議所理事長。元甲南大学体育会弓道部名誉会長。元NPO法人SKC企業振興連盟協議会・船場経済倶楽部会長。 甲南大学経済学部卒業。大日本除虫菊入社。1981年、社長に就任。1999年、会長に就任。
森友 健(もりとも けん、1937年 - )「森友綜合教室」… 森友 健(もりとも けん、1937年 - )「森友綜合教室」塾長。日本珠算連盟理事長・一般社団法人大阪珠算協会会長・近畿珠算強化連合会代表。大阪府生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。
湯木 佐知子(ゆき さちこ、1937年 - )は、日本の実業… 湯木 佐知子(ゆき さちこ、1937年 - )は、日本の実業家。株式会社吉兆の役員。かつて存在した吉兆グループの一社であった船場吉兆の最後の社長。株式会社吉兆の創業者である湯木貞一の三女。甲南大学経済学部卒。 2007年に発覚した船場吉兆による多数の食品偽装疑惑を受け、同年12月10日に行われた記者会見にて、長男の湯木喜久郎に対して小声で「ないです(と言いなさい)」「頭が真っ白になった」「責任逃れの発言をしてしまいました」などの返答内容を指示し、喜久郎がそのまま発言するという一連の言動がマイクに全て拾われたことで有名になった。 ワイドショーなどではこの模様を「腹話術みたいだ」と揶揄され、メディア上では「ささやき女将」と称されるようになった。
石井 一二(いしい いちじ、1936年(昭和11年)7月24… 石井 一二(いしい いちじ、1936年(昭和11年)7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。株式会社ピコテック代表取締役。 兵庫県議会議員(3期)、参議院議員(3期)、環境政務次官(竹下改造内閣・宇野内閣)、外務政務次官(第2次海部内閣)、参議院農林水産委員長、自由民主党副幹事長、新進党参議院国会運営委員長、同参議院幹事長、同参議院副会長、自由連合幹事長、NPO法人日本紛争予防センター理事長、三共生興株式会社取締役、徳洲会特別顧問などを歴任。 ニックネームは、ワンツーさん。 兄は元自治大臣の石井一、父はタイヘイレコード元社長で、元兵庫県議会議員の石井廣治。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、民主党元衆議院議員、西宮市長の石井登志郎がいる。
西河 紀男(にしかわ のりお、1936年(昭和11年)2月1… 西河 紀男(にしかわ のりお、1936年(昭和11年)2月11日 - )は、日本の実業家。公益財団法人ひょうごコミュニティ財団 副代表理事。元三ツ星ベルト株式会社代表取締役会長・神戸空港ターミナル株式会社取締役会長。 灘中学校・高等学校出身。甲南大学では予科練から戻った満州国からの引揚げ者から刺激を受ける。阪神・淡路大震災で火災に見舞われた神戸市長田区にゴム製品を作る等、神戸経済に貢献。2003年(平成15年)に社会貢献に対する表彰として「渋沢栄一賞」を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年… 正司 泰一郎(しょうじ たいいちろう、1935年(昭和10年)10月18日 - )は日本の元政治家。元兵庫県宝塚市長。旭日中綬章。 兵庫県に生まれる。甲南大学経済学部を卒業し、オハイオ州立大学大学院を修了。 宝塚青年会議所理事長、兵庫県議会議員を務めた。1983年(昭和58年)第37回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区から無所属で立候補したが落選した。 1991年(平成3年)2月7日、宝塚市長に就任し、2003(平成15年)まで3期在任して引退した。 2010年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 現在は正司邸の正司家当主となっている。
一色 貞輝(いっしき さだてる、1935年〈昭和10年〉9月… 一色 貞輝(いっしき さだてる、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2011年〈平成23年〉8月29日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。大阪府豊中市長 (第19代・20代)。位階は従五位。旭日中綬章受章。 大阪府出身。1954年(昭和29年)大阪府立桜塚高等学校卒業。1959年(昭和34年)甲南大学経済学部卒業。 1958年(昭和33年)住友商事入社。1968年(昭和43年)摂津米穀取締役、1975年(昭和50年)社長を経て、1983年(昭和58年)第10回統一地方選挙に立候補し大阪府議会議員に初当選、以降4選。 1998年(平成10年)豊中市長に当選。2期8年務めた。 2006年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18… 松岡 功(まつおか いさお、1934年(昭和9年)12月18日 - )は、日本の実業家・テニスプレーヤー。東宝名誉会長(元代表取締役会長)、日本アカデミー賞協会名誉会長。兵庫県芦屋市出身。 小林一三の次男・松岡辰郎の次男として生まれた。甲南幼稚園から甲南小学校へ進学。小学校時代の同級生には野村文英がいたという。1945年には丹波市の慧日寺へ集団疎開した。甲南中学校・高等学校在学中は硬式テニス部に所属し、全日本ジュニア選手権ダブルスで優勝、高校総体では準優勝に輝いた。甲南高校の2学年下には石黒修がいた。 1953年、設立3年目の甲南大学へスポーツ推薦で入学した。松岡はこの当時「高校テニス三羽烏」の1人に数えられており新設大学における広告塔として期待されていたという。