福地 駿多朗(ふくち しゅんたろう、2006年7月18日 -… 福地 駿多朗(ふくち しゅんたろう、2006年7月18日 - )は、東京都足立区出身の日本の柔道選手。階級は66kg級。 柔道は七段を有する父親の影響で、3歳の時に自宅の道場で始めた。修徳中学から修徳高校へ進むと、2年の時にインターハイ66㎏級決勝で佐賀商業高校1年の田中龍希を破って優勝した。全国高校選手権でも優勝した。3年の時には金鷲旗で3位になった。インターハイでは決勝で田中を破って2連覇を達成すると、全日本ジュニアでは決勝で天理大学2年の顕徳海利を破って優勝した。続く世界ジュニアでは決勝で顕徳と再戦して背負投で技ありを先取されるも、それがヘッドダイブとみなされたため、反則勝ちで優勝した。グランプリ・リンツでは決勝まで進むも、ブラジルのロナウド・リマに技ありで敗れて2位だった。
新井 道大(あらい どうた、2005年1月29日 - )は、… 新井 道大(あらい どうた、2005年1月29日 - )は、日本の柔道家。埼玉県富士見市出身。階級は100kg級。身長187cm。段位は三段。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は大内刈 柔道は7歳の時に祖父が開設した栄武館新井道場で始めた。埼玉栄中学3年の時に全国中学校柔道大会90kg級で5位にとどまったが、団体戦では優勝した。マルちゃん杯でも優勝した。 埼玉栄高校2年の時にはインターハイ100kg級で優勝すると、全日本ジュニアでも2位になった。3年の時には金鷲旗で優勝すると、インターハイでも2連覇を達成した。世界カデの90kg超級では3位に終わった。全日本ジュニアでは決勝で天理大学1年の平見陸を破って優勝した。
顕徳 海利(けんとく かいり、2004年4月13日 - )は… 顕徳 海利(けんとく かいり、2004年4月13日 - )は、兵庫県出身の日本の柔道選手。階級は66kg級。身長171cm。血液型A型。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は5歳の時に神戸少年柔道蟻クラブで始めた。望海中学2年の時に全国中学校柔道大会50㎏級で2位、3年の時には55㎏級で優勝した。神港学園高校2年の時にはインターハイ66㎏級で3位、全国高校選手権では決勝で東海大相模高校2年の服部辰成を技ありで破って優勝した。3年の時にもインターハイ決勝で服部を破って優勝した。2023年に天理大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで3位になった。2年の時には全日本ジュニアの決勝で修徳高校3年の福地駿多朗に敗れて2位だった。
樋口 裕大(ひぐち ゆうた、1997年4月22日 - )は、… 樋口 裕大(ひぐち ゆうた、1997年4月22日 - )は、日本の柔道家。大阪府出身。階級は60kg級。身長161cm。段位は四段。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は背負投。 柔道は6歳の時にミキハウス柔道教室で始めた。小学校6年の時には全国小学生学年別柔道大会の50kg級で5位になった。扇中学2年の時には全国中学校柔道大会50kg級で2位、3年の時に55kg級で2位になった。足立学園高校へ進むと、2年の時に全日本カデで優勝したが、アジアカデでは2位に終わった。3年の時には全日本ジュニアで優勝するも、アジアユースでは2位、世界ジュニアでは初戦で敗れた。2016年に天理大学へ進学すると、1年の時に全日本ジュニアの60kg級で2位になった。
丸山 城志郎(まるやま じょうしろう、1993年8月11日 … 丸山 城志郎(まるやま じょうしろう、1993年8月11日 - )は、日本の柔道家。宮崎県宮崎市出身。階級は66kg級。身長167cm。血液型はA型。組み手は左組み。得意技は内股、巴投、袖釣込腰。父親はバルセロナオリンピックの柔道65kg級で7位となった丸山顕志。兄は2011年の世界ジュニア81kg級チャンピオンの丸山剛毅。 5歳の時に父親の出身道場である静充館で柔道を始めた。その後、父親が開設した泰山学舎に所属になると、小学校5年の時に全国少年柔道大会の個人戦で3位、団体戦でも兄とともに活躍して3位になった。全国小学生学年別柔道大会には40kg級に出場するが、決勝で栃木県代表の髙藤直寿に上四方固で敗れた。
石内 裕貴(いしうち ゆうき、1993年4月2日 - )は、… 石内 裕貴(いしうち ゆうき、1993年4月2日 - )は、福岡県出身の、日本の柔道選手。階級は100kg級。身長183 cm。組み手は右組み。血液型はA型。得意技は小内刈。 柔道は7歳の時に大刀洗豪武館で始めた。大刀洗中学から高水高校へ進むと、3年の時にはインターハイ100kg級で優勝した。全日本ジュニアでは3位だった。2012年に天理大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアで3位、2年の時には優勝大会で3位、3年の時には優勝大会で3位、学生体重別では2位となった。2016年に旭化成の所属になった。2019年の実業個人選手権で優勝を飾ると、講道館杯では3位となった。2020年の全日本選手権では準決勝で会社の2年先輩である羽賀龍之介に腕挫十字固で敗れるも3位入賞を果たした。
土井 健史(どい たけし、1992年5月26日 - )は、大… 土井 健史(どい たけし、1992年5月26日 - )は、大阪府出身の、日本の柔道選手である。階級は73kg級。身長169cm。組み手は左組み。得意技は背負投。
丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、… 丸山 剛毅(まるやま ごうき、1992年4月5日 - )は、宮崎県宮崎市出身の、日本の柔道選手である。階級は81kg級。身長173cm。得意技は内股。現在はパーク24所属。父親はバルセロナオリンピックの柔道65kg級で7位となった丸山顕志。1つ年下の弟である丸山城志郎は2019年に世界選手権66㎏級で優勝した。 5歳の時に柔道を始めた。小学校6年の時に全国少年柔道大会の個人戦で5位、団体戦でも弟とともに活躍して3位になった。全日本選抜少年柔道大会小学生の部では個人戦で優勝すると、団体戦でも弟とともに活躍して優勝を飾った。相原中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦では3位だったものの個人戦90kg級では優勝を果たした。
大野 将平(おおの しょうへい、1992年〈平成4年〉2月3… 大野 将平(おおの しょうへい、1992年〈平成4年〉2月3日 - )は、山口県山口市出身の日本の柔道家。階級は73kg級。身長170cm。血液型はO型。組み手は右組み。段位は五段。得意技は大外刈と内股。現在は旭化成に所属。 柔道は7歳の時に松美柔道スポーツ少年団で始めた。道場の2年先輩には後に無差別の世界チャンピオンとなる上川大樹がいた。山口市立良城小学校卒業後、2歳上の兄である哲也を追って上京すると、講道学舎の所属となった。指導者の持田治也によれば、入学当初の大野は同じ学年の選手8名のうち7番手に過ぎなかったものの、弦巻中学の2年生になる頃には一切妥協せず常に真剣勝負を挑んでくる大野の姿勢に躊躇して、上級生を含めた他の選手が大野と組み合うのを避ける傾向が出てくるなど、その存在感を示すようになってきたという。
酒井 高喜(さかい ごうひ、1990年2月1日 - )は、日… 酒井 高喜(さかい ごうひ、1990年2月1日 - )は、日本の柔道家。階級は100kg超級。新潟県三条市出身(生まれはアメリカ・ニューヨーク州)。得意技は、大外刈、小外刈。 加茂農林高校、天理大学を経て、新日本製鐵に所属。 父が日本人で、母がドイツ人。四人兄弟の長男であり、三人の弟、酒井高徳・酒井宣福・酒井高聖は皆、プロサッカー選手である。
齋藤 涼(さいとう りょう、1987年11月14日 - )は… 齋藤 涼(さいとう りょう、1987年11月14日 - )は兵庫県出身の日本の柔道家。73kg級の選手。身長は176cm。組み手は右組み。得意技は大外刈。 柔道は6歳の時に広畑柔道教室で始めた。朝日中学から育英高校へ進むと、3年の時にはインターハイ団体戦で、後にロンドンパラリンピック100kg超級金メダリストになる同級生の正木健人などとともに活躍して3位になった。 天理大学に進学すると、3年の時には学生体重別の73kg級決勝で筑波大学4年の形部安彦を破って優勝した。嘉納杯では3位に入った。ワールドカップ・トビリシでは2年連続3位になった。4年の時には学生体重別の決勝で東海大学2年の中矢力に敗れて2連覇はならなかった。
正木 健人(まさき けんと、男性、1987年8月9日 - )… 正木 健人(まさき けんと、男性、1987年8月9日 - )は、兵庫県南あわじ市北阿万筒井出身の日本の柔道家。身長191cm、 体重150kg。2016年現在はエイベックスに所属している。 生まれつき弱視で色の識別は出来なかった色覚異常もあったものの、視力は0.08程あったので日常生活にそれほど支障はなかったという。 南淡中に入学した時点で身長180センチ以上で体重も100kgあり、幼馴染の誘いで柔道部に入部することとなった。3年の時には全国中学校柔道大会の90kg超級で2位となった。 育英高校に入学後、2年の時にはインターハイ団体戦の準々決勝で国士舘高校と対戦して石井慧に崩上四方固で一本負けを喫したものの、5位入賞を果たした。
出口 雄樹(でぐち ゆうき、1985年8月16日 - )は、… 出口 雄樹(でぐち ゆうき、1985年8月16日 - )は、兵庫県淡路市出身の日本の柔道家。身長185cm。足の大きさ30cm。 血液型A型。段位五段。東浦柔道教室、津名高校、天理大学出身組み手は右組み。得意技は大外刈、内股。 現在は広島県の体育教師をしている。そして2人の子供がいる性格は真面目で優しく、嘘が嫌いである。生徒想いでポジティブである。
穴井 隆将(あない たかまさ 1984年8月5日 - )は、… 穴井 隆将(あない たかまさ 1984年8月5日 - )は、大分県大分市出身の柔道家。段位は四段。得意技は内股、大外刈。妹の穴井さやかも柔道家で、2008年の世界団体柔道には共に出場している[4]。現在は天理大学柔道部の監督を務めている[5]。
松本 雄史(まつもと かつし、1984年7月23日 - )は… 松本 雄史(まつもと かつし、1984年7月23日 - )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手。階級は81kg級。身長180cm。血液型はO型。組み手は左組み。得意技は体落。 柔道は4歳の時に一宮柔道教室で始めた。上郡中学から赤穂高校へ進むと、3年の時には全日本ジュニア73kg級の決勝で浜松商業高校3年の川端常弘を大外落で破って優勝した。 天理大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアの決勝で道都大学1年の出花崇太郎を有効で破って2連覇を果たした。2年の時には体重別団体で3位だった。 2007年には全国警察選手権の所属となると、全国警察選手権で2連覇した。その後階級を81kg級に上げると、2009年のグランドスラム・東京では準決勝でイギリスのイアン・バートンに大外刈で敗れるも3位になった。
村上 嘉広(むらかみ よしひろ、1982年12月23日 -)… 村上 嘉広(むらかみ よしひろ、1982年12月23日 -)は京都府出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長は162cm。得意技は大内刈。 柔道は5歳の時に始めた。京都市立桂中学校から天理高等学校へ進むと、3年の時にはインターハイ60kg級決勝で比叡山高校3年の米富和郎を破って優勝を飾った。天理大学へ進学すると、3年の時には体重別の66kg級決勝で府中刑務所の重松誠司を破って優勝を飾ったが、世界選手権代表には選出されなかった。体重別団体では3位だった。4年の時には体重別団体で3位になると、講道館杯でも3位に入った。2005年には警視庁に入庁すると、2006年の全国警察柔道選手権大会では優勝を飾った。
米富 和郎(よねとみ かずお、1982年10月8日 - )は… 米富 和郎(よねとみ かずお、1982年10月8日 - )は、大阪府出身の日本の柔道家。60kg級の選手。身長161cm。組み手は左組み。得意技は背負投。 柔道は8歳の時に始めた。下福島中学から比叡山高校へ進むと、2年の時にはインターハイ60kg級で3位になった。全日本ジュニアでは2位となった。3年の時にはインターハイで2位にとどまるも、全日本ジュニアでは優勝を飾った。世界ジュニアでは2回戦で敗れた。2001年に天理大学へ進むと、全日本ジュニアで2連覇を達成した。正力杯では3位、体重別団体では2位だった。2年の時には学生体重別と世界学生でそれぞれ優勝を飾った。嘉納杯では3位だった。3年の時には体重別団体で3位だった。
倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )… 倉持 亜佐美(くらもち あさみ、1982年4月30日 - )は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は48kg級の選手。身長154cm。得意技は背負投。 幼少の頃にはヨルダンに3年ほど住んでいた。小学校2年の時に帰国すると、兄が柔道を始めたことがきっかけで、双子の姉である亜佑美とともに始めた。姉はすぐに辞めてしまったために寂しい思いをしたものの、永山中学2年の時には全国中学校柔道大会48kg級で3位になった。3年の時には準決勝で沖学園中学3年の松田邦恵に判定で敗れて3位だった。続く全国女子体重別ではこの階級トップの田村亮子と長井淳子が出場しなかったものの、予想外の活躍で決勝まで進むと、同じ中学3年生である松田と史上初となるシニアの全国大会における中学生同士の対決となった。
稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三… 稲澤 真人(いなざわ まさと、1982年1月22日 -)は三重県出身の日本の柔道家。現役時代は73kg級の選手。身長は175cm。組み手は左組み。得意技は大外刈。
筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は… 筒井 宏樹(つつい ひろき、1978年10月23日 - )は三重県出身の日本の柔道家。100kg級の選手。身長は189cm。 稲生高校から天理大学へ進学すると、3年の時には優勝大会と体重別団体で3位になった。4年の時には優勝大会と体重別団体及び正力杯90kg級でそれぞれ3位になった。オーストリア国際では2位だった 2001年には平成管財の所属となると、2002年の日本国際柔道大会では5位だったが、講道館杯では決勝で明治大学2年の泉浩を破って優勝を飾った。その後階級を100kg級に上げると、2003年の実業個人選手権では決勝で日本道路公団の深川幸太郎を破って優勝した。2005年には実業個人選手権の決勝で綜合警備保障の近野貞治を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。
森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道… 森 大助(もり だいすけ、1978年8月23日 -)は北海道旭川市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg超級の選手。身長187cm。体重110kg。得意技は小外刈。 柔道は8歳の時に始めた。北都中学から旭川大高校に進むと、3年の時にインターハイ軽重量級と全日本ジュニアの95kg級でそれぞれ3位となった。1997年に天理大学へ進学すると、全日本学生柔道優勝大会では1年生から4年連続で3位、学生体重別団体では3年生から2年連続3位になるなど団体戦では一定の活躍を示したが、個人戦では際立った活躍が見られなかった。2001年には北海道警察所属となり、全国警察柔道選手権大会100kg級で優勝した。2003年の全日本選手権では準決勝で世界チャンピオンである綜合警備保障の井上康生と対戦すると、先に谷落で技ありと小外刈で有効を取るなど大きくリードする健闘を見せたが、その後背負投で逆転負けを喫したものの、3位入賞を果たした。
植田 裕子(うえだ ゆうこ、1977年6月16日 - )は、… 植田 裕子(うえだ ゆうこ、1977年6月16日 - )は、奈良県出身の日本の柔道家。57kg級と63kg級の選手。身長161cm。得意技は内股。 奈良教育大学附属中学から天理高校を経て、天理大学へ進学した。2年の時には選抜体重別61kg級の2回戦でアトランタオリンピック金メダリストである恵本裕子に合技で一本勝ちするなどして3位になった。3年の時には63kg級で3位となった。4年の時には正力杯で優勝を飾った。2000年にミキハウスの所属となると、全国女子体重別で3位に入った。2001年のオーストリア国際では2位だった。2002年には実業個人選手権の決勝で三井住友海上の徳久瞳を破って優勝した。全国女子体重別では3位となった。
江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )… 江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )は、日本の柔道家。野村忠宏と同じく長く日本の60kg級を代表する選手。得意技は背負い投げ、釣込腰。 福岡県行橋市出身、福岡工業大学附属城東高等学校・天理大学卒。 アジア大会やアジア選手権で優勝経験があるほか、2005年と2007年の世界柔道選手権大会にも出場している。2008年、嘉納治五郎杯東京国際柔道大会ワールドグランプリ2008優勝。 拓殖大学柔道部特別コーチとして指導も行なっていた。 1994 愛知国体柔道競技少年男子(福岡チーム先鋒) 優勝 1995 全日本ジュニア柔道選手権大会 優勝 1998 グルジア国際柔道選手権大会 優勝 1998 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 1999 嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会 2位 1999 アジア柔道選手権大会 (温州) 3位 1999 フランス国際柔道選手権大会 2位 1999 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 1999 熊本国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 1999 韓国国際柔道選手権大会 3位 1999 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 2000 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2位 2000 韓国国際柔道選手権大会 3位 2000 ロシア大統領杯国際柔道大会(団体) 3位 2000 アジア柔道選手権大会(東京) 優勝 2001 アジア柔道選手権大会(ウランバートル) 3位 2001 ハンガリー国際柔道選手権大会 優勝 2001 チェコ国際柔道選手権大会 3位 2001 宮城国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 2002 日本国際柔道選手権大会 2位 2002 ロシア国際柔道選手権大会 優勝 2002 エストニア国際柔道選手権大会 優勝 2002 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 2002 ワールドカップ国別団体柔道大会(スイス・バーゼル) 優勝 2002 モスクワグランプリ国際柔道選手権大会 優勝 2002 講道館杯全日本体重別選手権大会 優勝 2003 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は… 浅見 重紀(あさみ しげき、1975年11月21日 - )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と66kg級。現役時代は身長173cm。 荒井中学3年の時に全国中学校柔道大会の65kg級で2位になった。高砂高校3年の時にインターハイの軽中量級で優勝を飾った。さらに全日本ジュニア65kg級でも優勝した。1994年には天理大学へ進学すると、2年の時には全日本ジュニアで2位だった。4年の時には正力杯で優勝すると、正力国際の66kg級でも決勝で世界チャンピオンである韓国の金赫に背負投で一本勝ちして優勝を飾った。1998年には大阪府警の所属になると、体重別で3位になった。講道館杯では決勝で横浜そごうの鳥居智男に敗れて2位だった。
大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は… 大野 義啓(おおの よしひろ、1975年8月14日 - )は兵庫県出身の元柔道家。鍼灸師。柔道整復師。在日韓国人3世で本名は姜義啓朝: 강의계。 韓国の100kg超級および無差別級の柔道代表として2000年アジア柔道選手権大会銅メダル、1999年夏季ユニバーシアード銅メダル、2001年世界柔道選手権大会無差別級ベスト8。 在日韓国人3世として明石市に生まれる。小学5年生の時に地元道場、陽明館に通う。中学卒業後は岡山県作陽高等学校を経て天理大学体育学部に進学、卒業後はダイコロに所属。韓国代表として1999年夏季ユニバーシアード100kg超級で銅メダル、2000年アジア柔道選手権大会100kg超級でも銅メダルを獲得。
野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )… 野村 忠宏(のむら ただひろ、1974年12月10日 - )は、日本の男性柔道家。医学博士。ミキハウス所属。柔道七段。得意技は背負投。身長164cm、体重62kg。
眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - … 眞喜志 慶治(まきし よしはる、1973年11月13日 - )は、日本の柔道家(2017年4月現在、七段)。沖縄県那覇市出身。苗字は、正確には旧字体「眞喜志」を使う。 沖縄尚学高等学校柔道部の監督を務めていた父親の影響で小学校4年の時に柔道を始めた。この当時から高校生に混じって練習をしていた。本人によれば、いつのまにかやらされていた感じで、本当はあまりやりたくもなかったし、楽しくもなかったという。しかし、小学校6年の時に県大会で優勝したあたりから、自分には柔道しかないと思い始めた。 沖縄尚学中学に入学すると、2年の時には全国中学校柔道大会の78kg超級で3位になった。3年の時には小学生の時の同級生で後に大相撲に転進することになる阿嘉宗彦が柔道を始めたことにより、団体戦で一緒に試合に出ることを目的に、阿嘉の在籍する古蔵中学へ転向した。
篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )… 篠原 信一(しのはら しんいち、1973年1月23日 - )は、日本の柔道家(六段)、タレント。 兵庫県神戸市長田区出身。身長190cm、体重135kg。 得意技は大外刈り、内股、内股すかし。 父親は建築業をしていた。10歳年下の妹がいる。30歳を過ぎる頃まで本籍地は父親の出身地である鹿児島県日置郡金峰町大坂(現:南さつま市金峰町)に置いていた。 中学入学と同時に新設された柔道部に入部して柔道を始め、育英高等学校を経て天理大学体育学部へ進学。 大学生の時に才能が開花し、外国人に負けない体格とパワー、巧みな技術によって多くの大会を制覇した。 天理大学卒業後は旭化成に入社し、2000年シドニーオリンピック100kg超級にて銀メダルを獲得する(後述する誤審判定問題を参考)。
弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は… 弓矢 竜太(ゆみや りゅうた、1972年9月19日 - )は、日本の柔道家(65kg級)、柔道指導者。三重県いなべ市出身。身長168cm。 いなべ市立大安中学校から四日市中央工業高校を経て、1991年に天理大学へ進学。1年の時に新人体重別の65kg級で3位となった。2年の時には正力杯の決勝で筑波大学4年の内村直也を破って優勝すると、ジュニア体重別でも決勝で筑波大学2年の南條充寿を破って優勝を飾った。4年の時には体重別の決勝で近藤興産の内村に敗れて2位だった。正力杯の決勝では順天堂大学4年の和合徹を破って2年ぶり2度目の優勝を果たした。嘉納杯では決勝で世界チャンピオンである東海大学4年の中村行成に敗れて2位だった。
堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は… 堀越 英範(ほりこし ひでのり、1968年5月17日 -)は奈良県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級の選手。身長173cm。現在は稲生高校の教諭を勤めている。
中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年… 中谷 弘(なかたに ひろし、1967年6月5日 -2021年 )は、兵庫県出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長183cm。体重118kg。 荒井中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦決勝で弦巻中学と対戦すると、代表戦で相手エースの小兵である古賀稔彦に内股で一本勝ちしてチームを優勝に導いた。天理高校へ進むと、1年の時に全国高校選手権の団体戦で優勝した。2年の時にはインターハイ団体戦で優勝を飾った。3年の時にはインターハイ団体戦で3位にとどまったが、個人戦重量級では決勝トーナメントに入ってから八王子高校3年の小川直也を破ると、決勝でも日大三島高校3年の秋山勝彦に勝利して優勝を飾った。
徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、… 徳田 真三(とくだ しんぞう、1967年4月5日 - )は、京都府出身の、日本の柔道選手である。階級は86kg級。身長171cm。 京都商業高校2年の時にインターハイ軽重量級決勝で大垣日大高校3年の岡田弘隆に敗れて2位だった。1986年に天理大学へ進学すると、1年の時には新人体重別86kg級で優勝を飾った。2年の時には正力国際でも優勝した。3年の時には優勝大会で優勝した。4年の時には優勝大会と正力杯で3位だった。1990年には桂中学の教員になると、講道館杯と体重別で3位となった。1991年にはダイコロに所属が変わると、1993年の講道館杯では3位だった。一方で、京都教育大学の大学院修士課程を修了後に龍谷大学短期大学部の講師に就任した。
羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都… 羽賀 善夫(はが よしお、1963年1月8日 - )は、京都府出身の、日本の柔道家。階級は95kg級。身長183cm。長男の善之介は六角橋中学3年の時に全日本選抜少年柔道大会無差別で優勝した。次男の龍之介は2015年の世界選手権100kg級のチャンピオンとなった。 大谷高校から天理大学へ進むと、1年の時に優勝大会で優勝した。全日本ジュニアの95kg級では3位になった。2年からは優勝大会で3年連続2位にとどまった。無差別で争われる全日本学生選手権では3回戦で国士舘大学4年の斉藤仁を有効で破るなどの活躍で3位に入った。3年の時には全日本選手権で5位になった。正力杯決勝では、後に世界選手権を2連覇する同期のライバルである東海大学3年の須貝等を破って優勝を飾った。
正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - … 正木 嘉美(まさき よしみ、男性、1962年8月20日 - )は、大阪府忠岡町出身の日本の柔道家、スポーツ科学研究者。天理大学体育学部体育学科教授。
大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - … 大迫 明伸(おおさこ あきのぶ、1960年11月27日 - )は、日本の柔道家。8段を取得。宮崎県西諸県郡野尻町(のちの小林市)出身。身長178cm。 1988年ソウルオリンピック(男子86kg級)銅メダリストで、のちに全日本柔道連盟強化コーチを務める。 宮崎県中央部に位置する西諸県郡野尻町で、 農林業を営む大迫家5人姉兄の末っ子として生まれる。柔道は、地元の紙屋中学校時代に始めた。中学時代は無名選手だったが、県立宮崎商業高校の藤井猪徳監督(当時)に誘われ、1976年に同校へ入学。高校時代は藤井の家に下宿しながら3年間を過ごし、高校3年次にはインターハイの団体戦でベスト8に入る。 1979年に天理大学へ進学すると、2年次よりレギュラーとして活躍し、この間に同大学は全日本学生優勝大会において、1980年3位、81年優勝、82年準優勝という好成績を収めている。
細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、… 細川 伸二(ほそかわ しんじ、1960年1月2日 - )は、兵庫県一宮町(現・宍粟市)出身の柔道家。1984年ロサンゼルスオリンピック柔道男子60kg級金メダリストで1980年代の日本の軽量級を代表する選手。得意技は背負い投げ、巴投げ、内股すかし。身長157cm。
岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 -… 岩田 勝彦(いわた かつひこ、1951年または1952年 - 2015年9月17日)は、宮崎県出身の日本の柔道家。軽重量級及び95kg級の選手。 天理大学4年の時に優勝大会でチームの優勝に貢献する活躍を果たして優秀選手にも選ばれた。1974年に宮崎県警察の所属となると、選抜体重別の軽重量級決勝で水戸南高校教員の白瀬英春を破って優勝した。続いてソウルで開催されたアジア選手権でも優勝し、今大会において全階級制覇を果たした日本選手団の一員として名を連ねることにもなった。1976年には全国警察柔道選手権大会の無差別で優勝した。1979年には講道館杯の95kg級決勝で九州産業大学職員の安河内春彦に敗れて2位だった。
藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )… 藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )は、日本の柔道家。旧姓名:藤猪省三(読み同じ) 現役時代は対外国人選手で生涯無敗を誇り世界選手権大会4連覇を果たすなど、1970年代から1980年にかけて一世を風靡した名選手であったが、一方で3回チャンスがあったオリンピックを怪我やボイコットでことごとく棒に振った悲運の名選手でもあった。現役を引退後は京都産業大学や天理大学で後進の指導に当たり、多くの五輪王者・世界王者を育て上げた名伯楽として知られる。 香川県大川郡大内町(後の東かがわ市)出身。町立大川中学校1年生の時に柔道を始める。藤猪は当時身長150cm・体重50kg前後と平均的な体躯ながら大相撲の力士に憧れており、角界へ行くために「体を大きくするにはどんなスポーツをやれば良いか」を考え、「柔道だったら背が高くて大きくなるだろう」と思って入部する事にしたという。
野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 -… 野村 豊和(のむら とよかず、男性、1949年7月14日 - )は、日本の柔道家。奈良県広陵町生まれ。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子軽中量級金メダリスト。天理高校 - 天理大学 - 博報堂 - 和歌山県高校職員。得意技は背負投、一本背負投、巴投。身長163cm。
橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福… 橋本 昇(はしもと のぼる、1948年2月6日 - )は、福岡県北九州市出身の、日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。
二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - … 二宮 和弘(にのみや かずひろ、1946年11月28日 - )は、日本の柔道家。1976年モントリオールオリンピック柔道男子93kg級金メダリスト。福岡県福岡市出身。柔道九段。 博多高校卒業後、天理大学を経て、正気塾にて岡野功に師事する。その後、当時の福岡県警柔道師範の誘いで、1972年4月より県警に入る。同年全日本選手権で3位入賞。 1973年のスイス・ローザンヌの世界選手権での無差別級で優勝、翌1974年の全日本選手権でも準優勝。永くライバル関係の上口孝文(同じく全日本柔道選手権準優勝経験者)を下して出場した1976年モントリオールオリンピックでは、当時の日本人選手が苦手にしていたクラスで金メダルを獲得。
呉勝立(オ・スンニプ、朝: 오승립、英: Oh Seung-… 呉勝立(オ・スンニプ、朝: 오승립、英: Oh Seung-Lip、1946年10月6日-)は韓国の柔道選手。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長175cm。高校までは「呉原」姓を名乗っていた。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。
山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年1… 山中 圏一(やまなか けんいち、1943年 - 2025年10月26日[要出典])は長崎県佐世保市出身の日本の柔道家。階級は中量級(80kg級)。 佐世保に生まれるが、その後豊後高田市に移った。1956年に高田中学に入学すると、当初はテニス部に所属していたが、柔道部の稽古風景を見て「これだ!」と思い柔道部に転部した。その後、高田高校から天理大学に進学すると、1963年の全日本学生柔道優勝大会で2位、1964年の全日本学生柔道選手権大会中量級では中央大学の関根忍に体落で敗れるが2位となった。1965年の世界選手権中量級では準決勝でアメリカのジェームズ・ブレグマンを体落で破るものの、決勝では中央大学の岡野功に背負投で立て続けに技あり2つを取られて敗れた。
金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-T… 金 義泰(キム・ウィテ、朝: 김의태、英: Kim Ui-Tae、1941年6月2日-)は韓国の柔道選手。日本名は山本 義泰(やまもと よしやす)。兵庫県神戸市長田区出身。階級は中量級。身長174cm。 在日韓国人として生まれて、神港学園高校から天理大学に進み、主将を務めるなどして活躍した、1961年の世界選手権(無差別)では韓国代表で出場して、準決勝で曽根康治に判定、3位決定戦で古賀武に払腰で敗れたが4位となった。また、1963年のプレオリンピック大会の中量級では決勝で中央大学の岡野功に敗れた。 その後、1964年には東京オリンピックの中量級代表に選ばれて韓国で練習していたが、コーチがいなかったので何もかも自分でこなさなければならなかった。
奥田 義郎(おくだ よしろう、1941年生)は、日本の柔道家… 奥田 義郎(おくだ よしろう、1941年生)は、日本の柔道家。京都府出身。修猷館高校教師らを歴任。2000年現在、九州大学柔道部師範。 平安高校、天理大学卒。 1963年、福岡の修猷館高校に赴任。1964年には全日本選手権で同年の東京オリンピック中量級の金メダリストの岡野功を寝技で破りベスト8に進出するなど、絞めの奥田として勇名を馳せた。 「どんな大男でも寝かせてしまえば条件は一緒」と公言し、身長170 cm・体重70 kgと小柄ながら、強化合宿では重量級の代表選手でも、寝技では相手にならなかった。 例えば、世界柔道選手権で2度の優勝、全日本選手権も制した、これまた寝技の名手と呼ばれ名声を馳せた佐藤宣践を試合で絞め落としたネズミ捕りという技は、相手を抑え込みに誘い込み、自分が下になりながら絞める技で、抑えていた佐藤が痙攣して落ちてしまい、目撃していた岡野功はまるで魔術のようだったと語っている。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
光本 正輝(みつもと まさき)は、日本の柔道家。階級は軽中量… 光本 正輝(みつもと まさき)は、日本の柔道家。階級は軽中量級(70kg級)。
山崎 祐次郎(やまざき ゆうじろう)は、日本の柔道家。 階級… 山崎 祐次郎(やまざき ゆうじろう)は、日本の柔道家。 階級は軽中量級。現役時代は身長169cm。体重72kg。 天理大学3年の時にマニラで初開催となったアジア選手権の軽量級で優勝を飾った。4年の時には優勝大会の決勝で拓殖大学と対戦すると、後にミュンヘンオリンピック重量級の銅メダリストとなる巨漢の西村昌樹を得意の背負投で揺さぶって引き分けに持ち込み、チームの優勝に貢献する活躍を果たした。さらに、東京で開催されたユニバーシアードの軽中量級に出場すると、決勝で法政大学に留学していた韓国の朴清三との対戦となった。背負投が得意同士の一戦として注目されたが、山崎が背負い投げで2度技ありを取って合わせ技で優勝を飾った。