中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年〈昭和21年〉6月6日 … 中尾 ミエ(なかお ミエ、1946年〈昭和21年〉6月6日 - )は、日本の女性歌手、女優。本名は中尾 美禰子(なかお みねこ)。名前は中尾ミヱと表記されていた時期もある。 福岡県小倉市(現:北九州市小倉北区)出身。身長156cm。 6人兄弟。実家は書店を経営していた。 父親が事業に失敗し、1958年に一家で上京、以降は千葉県市川市で育った。福岡学芸大学附属小倉小学校から市川市立真間小学校に転校。精華学園中学校時代に東宝の募集に行くが、背が小さいからダメと渡辺プロダクションを紹介される。しかし、すぐには契約してもらえず毎日通って粘り、平岡精二のバンドに預けられ、代々木のキャンプなどで歌った。当時はスタンダード・ナンバーを歌っていた。
弓野 憲一(ゆみの けんいち、1945年- )は、日本の教育… 弓野 憲一(ゆみの けんいち、1945年- )は、日本の教育心理学者、静岡大学名誉教授。弓野教育研究所主宰。専攻は教育心理学、創造心理学。 福岡県築上郡椎田町(現築上町)生まれ。福岡県立小倉工業高等学校卒、1年半大阪の工場で働いたのち、福岡教育大学技術科卒業。1977年九州大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、1985年「記憶の構造と検索に関する研究」で九大教育学博士。九大教育学部助手、1979年静岡大学教育学部講師、81年助教授、90年教授。2011年定年退任、名誉教授。
清水 潔(しみず きよし、1941年7月12日 - )は、フ… 清水 潔(しみず きよし、1941年7月12日 - )は、フリーライター。 東京生まれ。福岡教育大学卒、世界文化社勤務を経て、フリーライター・エディトリアルデザイナー。 自然図鑑や子供向け科学書の執筆・編集のほか、各紙誌に自然科学と文化の両面から執筆を続ける。
原田 慎太郎(はらだ しんたろう、1941年(昭和16年)2… 原田 慎太郎(はらだ しんたろう、1941年(昭和16年)2月19日 - 2006年(平成18年)4月4日)は、日本の政治家、教育者。福岡県宗像市長(在任:2000年5月29日 - 2003年3月31日、2003年4月27日 - 2006年4月4日)。 福岡教育大学卒。小学校教諭、宗像市教育長などを経て、2000年5月21日に宗像市長選挙で初当選。2003年4月1日に玄海町と合併し、新たに宗像市になった際の宗像市長選挙にも当選し、新・宗像市の初代市長となった。 2006年視察先の中国・南京で倒れ収容先の病院で死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月1… 松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月13日 - )は、日本の政治家。元福岡県嘉麻市長(2期)、元山田市(現・嘉麻市)長(2期)。旭日小綬章。 福岡県出身。福岡学芸大学(現・福岡教育大学)卒。福岡県筑豊教育事務所長を経て、2001年、山田市長武信弘隆の死去による市長選挙に立候補して当選する。2005年に再選した。 2006年に山田市は合併で嘉麻市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選した。2010年の市長選挙でも再選した。嘉麻市長は2期務め、2014年に退任した。2016年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
加治 忠一(かじ ちゅういち、1938年11月23日 - )… 加治 忠一(かじ ちゅういち、1938年11月23日 - )は、日本の政治家。元福岡県田川郡香春町町長(4期)。
高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )… 高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人・歌人・俳人。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる。大学卒業後、1962年上京し、日本デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。
都築 泰壽(つづき やすひさ、1936年3月11日 - 20… 都築 泰壽(つづき やすひさ、1936年3月11日 - 2015年4月27日)は日本の学校法人経営者、都築学園グループ元総長。強制わいせつ元被告人。 1936年、創設者夫妻(都築賴助・貞枝夫妻)の次男として生まれた。福岡学芸大学卒、早稲田大学大学院修了、ブリガムヤング大学大学院中退。当時の都築学園グループの理事長であり、第一薬科大学、第一経済大学(現:福岡経済大学→日本経済大学)、第一工業大学、第一福祉大学(現:福岡医療福祉大学)、および第一幼児教育短期大学の学長も務めていた。1999年にオックスフォード大学より「ジョンソン・オーナラリイフェローシップ」を、ケンブリッジ大学より「ペイトロン賞」を妻である仁子とともに受賞、毎年福岡経済大学の入学式には両大学の学長が挨拶に来た。
青沼 茜雲(あおぬま せいうん、1935年8月21日 - 2… 青沼 茜雲(あおぬま せいうん、1935年8月21日 - 2021年3月31日)は、福岡県出身の日本の洋画家。本名、青沼茂男。福岡教育大学卒業後、石橋美術館学芸員補を経て高校教員となる。サロン・ドートンヌ会員。ノーベル財団認定作家。
森友 重憲(もりとも しげのり、1933年〈昭和8年〉3月2… 森友 重憲(もりとも しげのり、1933年〈昭和8年〉3月28日 - 2015年〈平成27年〉12月16日)は、福岡県出身の日本の教育者である。農林官僚であった森友政勝の長男である。 福岡学芸大学(現・福岡教育大学)を卒業後、田川市立伊田小学校を始めとして田川地区の小学校で教鞭を執り、イランの日本人学校、田川市立大浦小学校校長を務めた。その後、国際協力機構(JICA)からの依頼でブラジルのトメアス(ポルトガル語版)日本語学校にて教鞭を執る傍ら、学校経営の基本方針や組織運営を決定していくなど、日本語学校の経営に貢献した。 2013年(平成25年)春の叙勲にて瑞宝双光章受章。
品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教… 品川 洋子(しながわ ひろこ、1931年 - )は、日本の教育者。東京都出身。福岡県にて育つ。「女性校長の草分け的存在」と紹介されることがある。 1931年、東京府に生まれる。12歳のとき、戦時疎開で、現在の福岡県みやこ町へ移住。京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)を経て、1953年に福岡学芸大学(現・福岡教育大学)中学校教育課程社会科を卒業する。 教職に就き、1992年に北九州市の公立中学校校長をもって定年退職する。同年より福岡教育大学教育学部講師となる。 2001年、九州産業大学大学院国際文化研究科国際文化専攻で修士号を取得した。 2002年、九州女子大学文学部教授を定年退職する。 2007年、北九州森鷗外記念会会長に就任。
大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は… 大野 正隆(おおの まさたか、1930年3月31日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球審判員(パシフィック・リーグ)。 1947年福岡県中学修猷館を卒業。在学中は野球部に所属し、同期には、同じくパ・リーグ審判員となる吉田正雄、名古屋ドラゴンズ(現・中日ドラゴンズ)内野手の菅野武雄、一年後輩には、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の内野手として黄金期を支えた河野昭修がいる。その後、福岡第一師範学校(現・福岡教育大学)本科を卒業し、福岡県の公立学校の教員となる。 1959年、福岡県高野連・九州六大学・社会人野球の審判員を経て、菅野武雄からプロ野球審判員になることを勧められたことにより、1961年に教員を退職し、パ・リーグ審判員に就任。
谷口 明(たにぐち あきら、1929年 - 2009年2月)… 谷口 明(たにぐち あきら、1929年 - 2009年2月)は、実業家、地主。 株式会社サンフローラ創業者・初代代表取締役社長・初代社主(オーナー)。全日本プロポリス協会初代会長。「日本プロポリスの父」ともいわれている。長男は株式会社サンフローラ役員・社主(オーナー)の谷口大典。 1929年福岡県に生まれる。福岡学芸大学空手部師範を経た後、1960年に南米のブラジルへ移住。農業などをしながら、現地の空手、柔道などの普及に努める。またプロポリスに注目し、現地にて1965年谷口貿易商会、アンデスローラ社などを創業。ブラジル産プロポリスを日本に輸出する。 日本に戻り、1988年有限会社サンフローラジャパンを香川県高松市に創業。
安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21… 安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2003年〈平成15年〉6月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福岡県鞍手郡若宮町(現宮若市)出身。1940年福岡師範学校(現・福岡教育大学)卒。小中学校の教諭になり、福岡県教組委員長や県労組評議会議長を歴任する。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して初当選した。2期務めた後1980年の第12回参議院議員通常選挙で落選。1983年の第13回参議院議員通常選挙では比例区から立候補して当選した。1995年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。同年引退。国会内では建設委員長や決算委員長を歴任し、党内では参院国対委員長や参議院議員会長などを務めた。
安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 199… 安西 均(あんざい ひとし、1919年3月15日 - 1994年2月8日)は、日本の詩人。日本現代詩人会会長、日本文芸家協会会員。作家の増田俊也は従甥。 福岡県筑紫郡筑紫村(現・筑紫野市筑紫)生まれ。福岡師範学校(現・福岡教育大学)中退。師範学校在学中に文学を志す。1943年朝日新聞社福岡総局、東京本社学芸部記者などを務める。学芸部では詩壇を担当した[要出典]。戦後は「九州文学」に参加し、火野葦平や劉寒吉、野田宇太郎などと出会い、「母音」の丸山豊に師事する。また、伊藤桂一主宰の「山河」、高田敏子主宰の「野火」をはじめ、「歴程」「地球」「山の樹」などの詩誌に参加する[要出典]。1983年『暗喩の夏』で第1回現代詩花椿賞受賞。
鑓水 速太(やりみず はやた、1908年4月14日 - 20… 鑓水 速太(やりみず はやた、1908年4月14日 - 2017年9月10日)は、日本の政治家。浮羽町長(6期)を務めた。 1908年4月14日、福岡県浮羽郡浮羽町(現うきは市)に生まれる。1935年、福岡師範学校(現福岡教育大学)専攻科卒業。1941年3月、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験日本史東洋史に合格し、1942年1月より、福岡県学務部社会教育課兼学務課勤務となった。その後、三井地方事務所教育課長、教育庁三井出張所長、糟屋出張所長、福岡県教育委員会社会教育課長を歴任し、1963年8月に福岡県国民健康保険課長在職時に退職した。1969年12月、浮羽町長に無投票で初当選した。1981年11月21日、無投票で6選を果たした。
小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 19… 小山 いと子(こやま いとこ、1901年7月13日 - 1989年7月25日)は日本の作家。高知県長岡郡大篠村(現・南国市)篠原出身。出生名は池本 イト、結婚後は小山 イト。綿密な調査に基づき社会問題を扱った作品が多く、清純なヒューマニズムと社会性が特徴である。「執行猶予」で第23回直木三十五賞を受賞した。『読売新聞』紙上の人生相談「人生案内」回答者を務め、皇太子妃美智子に関する小説連載中止騒動に巻き込まれたことでも知られる。 福岡女子師範学校(現・福岡教育大学)を卒業。在学中に歌人の橋田東聲の門下生となる。1920年(大正9年)、19歳で父親により結婚を強要されるが、相手を好きになれず、男性に対する反逆心を持ち始める。
田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1… 田崎 広助(たさき ひろすけ、1898年〈明治31年〉9月1日 - 1984年〈昭和59年〉1月28日)は、洋画家。福岡県八女郡北山村(現・八女市立花町)生まれ。本名・田﨑 廣次。 1917年、福岡県師範学校(現福岡教育大学)第二部卒業、坂本繁二郎、安井曾太郎に師事。関西美術院にも通った。 二科展出品後の1932年渡仏、留学中の1933年サロン・ドートンヌ賞受賞。1935年、帰国。 1939年、一水会の創立に参加。 戦後、広稜会を結成、また東郷青児らと日伯現代美術展(伯剌西爾、ブラジルのこと)を開催。 1949年より日展審査員、(以後1958年日展評議員、1967年理事、1978年顧問を勤める。
岡部 平太(おかべ へいた、1891年9月10日 - 196… 岡部 平太(おかべ へいた、1891年9月10日 - 1966年11月6日)は日本のスポーツ指導者、柔道家、日本で最初のアメリカンフットボール紹介者。スポーツ黎明期の日本に科学的トレーニングを導入した事から「近代コーチの祖」と呼ばれている。柔道8段、剣道5段。 福岡県糸島郡芥屋村(現在の糸島市)出身。 1891年(明治24年)養蚕業と櫨ろう業を営む農家の9人兄弟の長男として生まれる。 1908年(明治41年)福岡師範学校(現・福岡教育大学)入学。学校では持前の運動神経を発揮し、柔道、剣道、相撲、軟式テニス、陸上、野球、ボートと多岐にわたり活躍する。 1911年(明治44年)当時の武道界最大の大会で、京都武徳殿(旧武徳殿)で開かれた「青年大演武会」柔術16歳以上20歳未満 選抜勝負の部 で準優勝(金光弥一兵衛、宇土虎雄も出場)。
竹下 しづの女(たけした しづのじょ、1887年3月19日 … 竹下 しづの女(たけした しづのじょ、1887年3月19日 - 1951年8月3日)は、日本の俳人。本名はシズノ。 福岡県京都郡稗田村(現:行橋市)出身。末松謙澄の兄の房泰に漢詩を学び、福岡女子師範学校(後の福岡教育大学)卒業後、6年間の教員生活を経て結婚退職し、2男3女を儲ける。夫の代作をきっかけに俳句に親しみ、育児の傍ら本格的に句作を始め、吉岡禅寺洞・高浜虚子に師事。虚子が主催する『ホトトギス』の巻頭を飾るなど、中央の俳壇でも認められるようになり、杉田久女・長谷川かな女とともに、大正期の女流黄金時代をつくった。1928年『ホトトギス』同人。 理知的な手法で、女性の自我や自立を詠った作品が多い。
勝野 重吉(かつの しげよし、1876年〈明治9年〉4月 -… 勝野 重吉(かつの しげよし、1876年〈明治9年〉4月 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家。福岡県直方市長。 福岡県出身。1899年(明治32年)福岡県師範学校(福岡教育大学の母体のひとつ)を卒業する。1915年(大正4年)福岡県糸島郡視学に任じ、ついで同県嘉穂郡視学、福岡県属、同県遠賀郡長、地方事務官などを歴任する。 1927年(昭和2年)推挙され直方町長に就任し、1931年(昭和6年)2月5日、直方市長となり、1941年(昭和16年)まで3期務めた。