小野 俊雄(おの としお、1947年5月18日 - )は、日… 小野 俊雄(おの としお、1947年5月18日 - )は、日本の経営者。間組社長、安藤・間会長を務めた。 山口県出身。1972年に九州大学工学部土木工学科を卒業し、同年に間組に入社した。2003年6月に執行役員に就任し、2005年6月に常務を経て、2007年6月に副社長に就任し、同年12月には社長に昇格した。2013年4月には安藤・間会長に就任 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西見 有二(にしみ ゆうじ、1947年(昭和22年)1月20… 西見 有二(にしみ ゆうじ、1947年(昭和22年)1月20日 - )は、日本の実業家。 旭硝子(現・AGC)株式会社代表取締役兼副社長執行役員を2011年3月から2015年3月まで務めた。 1970年 - 九州大学経済学部経済学科卒業。同年 - 旭硝子(現・AGC)株式会社に入社。 入社以降、電子事業に長く携わる。 子会社社長、電子事業部門長を経験した後、代表取締役 兼 副社長執行役員に就任。就任後、主に全社内の改善や事業開発など、社長補佐を取り組みながら、社内運営を指揮した。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1945年9月25日 - )は、日本の実業家、工学博士。神戸製鋼所代表取締役社長、同社代表取締役会長、神戸国際会館代表取締役社長、関西経済連合会副会長、日本鉄鋼連盟副会長、日本知的財産協会会長等を歴任。 大分県日出町出身。大分県立杵築高等学校を経て、九州大学工学部金属学科卒業。表面処理分野研究室出身。1970年九州大学大学院工学研究科冶金学専攻修士課程修了、神戸製鋼所入社。1983年「チタンの不働態化反応と局部腐食に関する研究」で九州大学より工学博士の学位を取得。 神戸製鋼所では技術開発本部材料研究所長、開発企画部長、技術開発本部長を経て、1996年取締役に昇格。常務、専務を経て、2004年代表取締役副社長。
田中 稔一(たなか としかず、1945年2月7日 - )は、… 田中 稔一(たなか としかず、1945年2月7日 - )は、日本の実業家。三井化学代表取締役社長や、日本肥料アンモニア協会会長、日本知的財産協会会長などを務めた。 福岡県出身。1968年九州大学経済学部卒業、東洋高圧工業(現三井化学)入社。1999年取締役基礎化学品事業本部フェノール事業部長に昇格。2003年常務取締役基礎化学品事業グループ 副事業グループ長。2004年常務取締役基礎化学品事業グループ長。2005年代表取締役副社長。 2009年から三井化学代表取締役社長を務め、高収益体質への改善を進め、V字回復を実現した。2014年会長ポストを廃止して相談役に退いた。2015年日本知的財産協会会長、三井E&Sホールディングス取締役。
貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日… 貫 正義(ぬき まさよし、1945年1月27日 - )は、日本の実業家。元九州電力会長。日本電気協会会長。福岡県北九州市出身。 福岡出身。福岡県立八幡中央高等学校を経て、1968年3月、九州大学経済学部を卒業。高木暢哉ゼミ出身。同年4月、九州電力株式会社入社。 九州電力では社長を経験しない初めての会長となった。福岡県文化団体連合会会長、福岡経済同友会代表幹事なども務める。 眞部利應とは同期入社の盟友と言われ、やらせメール事件が発覚した当時は副社長の1人であった。
段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日… 段上 守(だんがみ まもる、1944年12月4日- )は、日本の技術者、実業家。九州電力副社長を経て大分共同火力代表取締役社長。 福岡県出身。九州大学工学部機械工学科卒業。1967年、九州電力入社。1987年原子力建設部原子力工事課長。1991年玄海原子力発電所次長(蒸気発生器管理担当)。1997年玄海原子力発電所第一所長。2001年6月川内原子力発電所長。同年7月執行役員川内原子力発電所長。2007年6月、常務執行役員原子力発電本部長。2009年、副社長。 九電社内で原子力のエキスパートと言われ、2009年11月玄海原発3号機での日本初のプルサーマル発電開始を前に、「図らずも国内9電力会社の先頭を切る形になり、責任も感じているが、粛々と進めていきたい」と淡々と語った。
上野 至大(うえの みちとも、1944年11月2日 - )は… 上野 至大(うえの みちとも、1944年11月2日 - )は、日本の実業家。第2代NTT西日本代表取締役社長を務めた。 鹿児島県揖宿郡山川町(現指宿市の一部)生まれ。1963年鹿児島県立指宿高等学校卒業。1967年九州大学工学部電子工学科卒業、日本電信電話公社入社。1996年日本電信電話取締役相互接続推進部長。取締役西日本会社移行本部副本部長を経て、1999年に西日本電信電話が設立されると同社代表取締役副社長に就任し、新世代通信網開発センター代表取締役社長も兼務した。2002年から西日本電信電話代表取締役社長を務めた。2004年西日本電信電話取締役相談役。2011年九州大学関西同窓会会長。2019年九州大学関西同窓会名誉会長。
小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日… 小江 紘司(おえ こうじ、1944年2月23日 - )は、日本の経営者、工学博士。DIC社長、会長を務めた。福岡県北九州市出身。 1969年に九州大学大学院工学研究科を修了し、1970年に九州大学生産科学研究所に入所。1981年3月に大日本インキ化学工業に転じ、2000年6月に取締役に就任し、2002年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2004年6月に社長に就任。2009年4月には会長に就任。
小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - … 小田原 智一(おだはら ともかず、1944年2月12日 - )は、日本の実業家。福岡空港ビルディング代表取締役社長や、九州大学学術研究都市推進機構理事長を経て、福岡証券取引所理事長。 福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校を経て、1966年九州大学法学部卒業、九州電力入社。九州電力理事人事労務部長、九州電力執行役員鹿児島支店長などを経て、2003年九州電力取締役。2004年九州電力常務取締役。2007年から福岡空港ビルディング代表取締役社長を務め、利便性の向上などにあたった。2009年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2016年福岡空港ビルディング顧問。2017年福岡証券取引所理事長。
杉坂 政典(すぎさか まさのり、1944年 - )は、日本の… 杉坂 政典(すぎさか まさのり、1944年 - )は、日本の実業家、工学者である。Alife Robotics社長、元大分大学工学部電気工学科教授、元日本文理大学工学部機械電気工学科教授。学位は工学博士(九州大学)。 1996年からInternational Conference on Artificial Life and Robotics(ICAROB)を運営。2006年10月20日に計測自動制御学会のフェローを授与されている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山下 隆(やました たかし、1943年11月20日 - 20… 山下 隆(やました たかし、1943年11月20日 - 2025年9月16日)は、日本の実業家。中国電力相談役。 中国電力入社同期に福田督(元中国電力相談役)等。
青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、… 青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社特別顧問を務めた。 鹿児島県出身。1962年鹿児島県立川内高等学校卒業。1968年九州大学法学部卒業、日本製粉入社。仕入れや製造に携わり、小山工場長、千葉工場長を経て、2001年取締役千葉工場長に昇格。2002年取締役経営企画部長。2004年常務取締役製粉業務部長。2005年常務取締役製粉事業本部長。2006年から代表取締役社長(C.O.O.)を務め、意識改革などにあたった。2008年にリーマン・ショックが発生し、2009年に特別顧問に退いた。
長尾 亜夫(ながお つぐお、1943年6月1日 - )は、日… 長尾 亜夫(ながお つぐお、1943年6月1日 - )は、日本の実業家。元・西日本鉄道代表取締役社長。前・西日本鉄道代表取締役会長。現・西日本鉄道相談役。 福岡県出身。福岡県立田川高等学校を経て、九州大学法学部卒業。 2003年6月から2008年6月まで約5年間にわたり代表取締役社長を務め、この間、宮地岳線の一部廃止及び貝塚線への改称、天神大牟田線のスピードアップ、非接触型ICカード乗車券「nimoca」の導入などを行った。 2008年6月には、代表取締役社長を竹島和幸に譲り、代表権を有する会長に就任した。 2013年6月27日、会長を退任し、相談役に就任。
籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日… 籾井 勝人(もみい かつと、1943年3月4日 - )は、日本の実業家。元三井物産副社長、元日本放送協会(NHK)会長。日本小学生バドミントン連盟名誉会長。 三井物産米州監督兼米国三井物産社長、三井物産本社専務取締役、副社長を経て、日本ユニシス代表取締役社長、相談役・特別顧問。のち日本放送協会(NHK)会長(第21代)。他にアジアバドミントン連盟会長、日本バドミントン協会副会長、日本小学生バドミントン連盟会長を歴任した。 福岡県嘉穂郡山田町(後の山田市、現:嘉麻市)出身。実家は筑豊炭田周辺の「籾井鉱業」。血液型はB型。家族は妻と2女。娘の一人は文科省官僚の籾井圭子(2022年11月現在日本オリンピック委員会(JOC)常務理事、元東京五輪大会組織委員会常務理事)。
一ノ瀬 秋久(いちのせ ときひさ、1942年11月2日 - … 一ノ瀬 秋久(いちのせ ときひさ、1942年11月2日 - )は、日本の教育者、実業家。 福岡県に生まれる。1961年福岡県立修猷館高等学校を経て、1966年九州大学法学部を卒業。 1966年九州電力に入社。理事、福岡支店長を経て、2001年執行役員、2003年6月取締役、2004年6月常務取締役、2007年6月常任監査役に就任。 2011年3月学校法人中村産業学園(九州産業大学)理事長に就任。2019年6月退任、特別顧問となる。
光安 哲夫(みつやす てつお、1942年7月14日 - )は… 光安 哲夫(みつやす てつお、1942年7月14日 - )は、日本の実業家。曽田香料社長・会長を歴任。
西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2… 西村 英俊(にしむら ひでとし、1942年4月29日 - 2013年12月31日)は、日本の実業家。双日最高経営責任者(CEO)。西日本高速道路社長。
梅本 茂夫(うめもと しげお、1942年〈昭和17年〉1月3… 梅本 茂夫(うめもと しげお、1942年〈昭和17年〉1月31日 - 2015年〈平成27年〉11月8日)は、日本の実業家。元富士紡ホールディングス代表取締役社長。アンジャッシュの渡部建は甥にあたる。 千葉県出身。梅本正倫・とねの三男として生まれる。1965年九州大学経済学部卒業、富士紡績入社。1996年富士紡績取締役製品事業部長兼フジボウアパレル代表取締役社長。2000年富士紡績常務取締役。2001年から富士紡績代表取締役社長を務め、商品開発などを進めた。2005年に持株会社化し富士紡ホールディングス代表取締役社長。2015年肺がんで死去。
荻田 伍(おぎた ひとし、1942年1月1日 - )は、日本… 荻田 伍(おぎた ひとし、1942年1月1日 - )は、日本の実業家。アサヒグループホールディングス代表取締役会長兼CEO、日本経団連副会長などを務めた。 アサヒビール入社当初は営業職を務めた。当時のビール市場のシェアはキリンビールが50%を越えており、アサヒの売り上げは低迷していた。酒販店の協力を得て、他社のビールケース(英語版)の四隅に自社製品を入れたり、店頭の冷蔵庫に自社のビールを入れて、冷えたビールを求める客に薦めてもらうなどの工夫で小売店や料飲店との信頼を築いていった。2002年のアサヒ飲料出向後は朝専用をうたったWONDAモーニングショット発売 や三ツ矢サイダーのリニューアル などにより、債務超過目前といわれていた赤字体質から脱却、2003年度からは単年度黒字を出すまでに業績を回復させた。
井上 舜三(いのうえ しゅんぞう、1941年11月2日 - … 井上 舜三(いのうえ しゅんぞう、1941年11月2日 - )は、日本の経営者。戸田建設社長を務めた。 福岡県出身。1965年に九州大学工学部建築学科を卒業し、同年4月に戸田建設に入社した。1997年6月に取締役に就任し、1999年6月に常務、2003年6月に専務を経て、2007年6月から2013年6月までに社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は… 安武 史郎(やすたけ しろう、1941年9月30日 - )は日本の実業家。日商岩井代表取締役社長や、同社代表取締役会長、アステラス製薬取締役等を務めた。 福岡県出身。1964年九州大学経済学部卒業、日商(のちの日商岩井)入社。1988年車輌交通システム部長。1992年ソウル支店長。1994年建設・都市開発本部長。1996年取締役建設・都市開発本部長に昇格。1997年取締役機械・情報産業部門長補佐(大阪機械本部担当)兼本社ビル建設室長。1998年常務取締役機械第一部門長。1999年から代表取締役社長を務めた。2009年代表取締役会長、アステラス製薬取締役。
中川 博迪(なかがわ ひろみち、1941年4月11日 - )… 中川 博迪(なかがわ ひろみち、1941年4月11日 - )は、日本の実業家。楽天生命保険の創業者で、アクサ生命保険代表取締役社長等を歴任した。 鹿児島県出身。1967年九州大学文学部卒業、東京生命保険入社。1973年アリコジャパン入社。1991年アリコジャパン取締役副社長。1993年アクサ生命保険日本連絡事務所上席顧問。1994年アクサ生命保険取締役副社長。1997年アクサ生命保険代表取締役社長。1998年エキスパートアライアンスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年同社取締役会長に就任するとともに、エキスパートアライアンス保険準備(のちの楽天生命保険)を設立。2008年特定非営利活動法人中川希望塾理事長。
藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、… 藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、日本の実業家。イフジ産業株式会社創業者最高顧問。 天津租界生まれ。日本の降伏後引き揚げ、桜坂で農業や畜産業を営むようになり、福岡県福岡市で育った。福岡県立福岡中央高等学校を経て、九州大学法学部卒業後、家業の養鶏場経営に従事し、加工卵事業に業態転換を行い1972年にイフジ産業を設立。山崎製パンに採用されて以降全国展開が進み、その後M&Aなどにより業容を拡大させ、2001年にはJASDAQに上場した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではピエトロの村田邦彦とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。2012年には東京証券取引所市場第二部に上場し、ホテルニューオータニ博多で祝賀会を開催した。
堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の… 堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役副会長、製粉協会会長などを務めた。 熊本県出身。父は警察官。玉名市立伊倉小学校、玉名市立玉南中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、九州大学経済学部に進学。大学では野球部に所属し九州六大学野球連盟で活躍した。1964年大学を卒業し日本製粉に入社。神戸工場配属。 日本製粉企画部副部長、小山工場長、人事部長を経て、1998年取締役人事部長に昇格。2001年常務取締役企画部長兼調査部長兼業務統括室長。2002年から代表取締役社長兼COOを務め、グローバル化を進めた。2005年製粉協会会長。2006年日本製粉取締役副会長。
白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )… 白水 宏典(しらみず こうすけ、1940年8月28日 - )は、日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、ダイハツ工業代表取締役会長を務めた。 佐賀県鳥栖市出身。福岡県立明善高等学校を経て、1963年九州大学工学部造船科卒業。同年トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。田原工場第2製造部長を経て、1992年湯野川孝夫らとともに取締役に昇格。1997年常務取締役。2000年専務取締役。2001年取締役副社長。 2005年からダイハツ工業代表取締役会長を務め、系列の解体や軽自動車専用ラインの整備などを進めて、軽自動車販売台数で30年以上トップの座にあったスズキを抜き業界トップとした。トヨタ自動車の意向でグループ定年の68歳を超えても続投していたが、2011年相談役技監に退いた。
池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は… 池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本経団連評議員会副議長、経済同友会副代表幹事、全国法人会総連合会長などを歴任した。 福岡県筑紫野市出身。福岡県立福岡高等学校を経て、1963年九州大学経済学部卒業、朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)入社。飲料営業部営業課長を経て、1987年営業部副部長。1996年取締役。1997年常務取締役。1999年専務取締役。2000年専務執行役員。2001年専務取締役。2002年代表取締役社長兼COO。2006年代表取締役会長兼CEO。2008年九州大学経済学部同窓会会長。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。
藤本 修一郎(ふじもと のぶいちろう、1939年9月20日-… 藤本 修一郎(ふじもと のぶいちろう、1939年9月20日- )は、日本の経営者。日産化学工業社長、会長を務めた。香川県出身。 1962年に九州大学法学部を卒業し、同年4月に日産化学工業に入社した。1991年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1999年6月に副社長に就任し、2000年6月には社長に昇格した。2008年6月に会長に就任し、2011年6月から2013年6月までに取締役相談役を務めた。
槙原 紘(まきはら ひろし、1939年3月19日-2016年… 槙原 紘(まきはら ひろし、1939年3月19日-2016年8月27日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。佐賀県出身。 1961年に九州大学工学部応用学科を卒業し、同年に三井金属鉱業に入社した。1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2000年6月に副社長に就任し、2003年6月には社長に昇格した。2007年6月に相談役に就任。 2016年8月27日心不全のため死去、77歳没。
古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は… 古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、日本郵政グループで、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長、郵便局代表取締役会長、日本郵便代表取締役会長を歴任した。 東京で生まれ、太平洋戦争中に母の故郷鹿児島県の現薩摩川内市に疎開した。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年九州大学法学部法律学科卒業、三菱商事入社、営業会計部配属。1992年取締役広報部長に昇格。1993年取締役人事部長。1995年常務取締役名古屋支店長。1999年取締役副社長。 2004年三菱自動車工業取締役副会長。2005年三菱商事常任顧問。2007年ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長。
中垣 喜彦(なかがき よしひこ、1938年〈昭和13年〉3月… 中垣 喜彦(なかがき よしひこ、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2025年〈令和7年〉5月26日)は、日本の実業家。元電源開発社長、同相談役。 元オリックスコーチの中垣征一郎は息子。 福岡県出身。1961年(昭和36年)九州大学法学部を卒業し、電源開発に入社。松島火力建設所総務課長、企画調整部企画課長、企画調整部長補佐兼企画課長、企画調整部長補佐、企画調整部長代理兼調整課長、九州支社若松総合事業所長、企画部企画室長、開発計画部次長兼企画部参事役、開発計画部長、企画部長、取締役、副社長を経て、2001年(平成13年)6月、社長に就任した。 2005年(平成16年)石炭エネルギーセンター会長。
永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業… 永田 一良(ながた いちろう、1938年 - )は日本の実業家。 九州大学卒業後、1961年に日立製作所入社。後に日立製作所研究開発本部技術主管、1995年に日立製作所取締役電機システム事業本部長に就任。1997年には日立エンジニアリング代表取締役社長に就任し、2005年に退社。 CDP統括小委員会委員長、 日立理科クラブ副代表理事、日本技術士会理事を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は… 大囿 純也(おおぞの すみや、1937年9月13日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県出身。1960年に九州大学文学部を卒業し、南日本新聞社に入社。1993年12月に取締役に就任し、1995年12月に専務を経て、1999年12月から2003年12月までに社長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、… 岡野 利道(おかの としみち、1936年8月6日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。岡山県玉野市出身。 1959年に九州大学工学部造船学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1992年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月には会長に就任し、2003年6月に相談役に退いた。
石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )… 石川 敬一(いしかわ けいいち、1936年4月21日 - )は、日本の実業家。九州電力副社長や、九電工会長、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長等を歴任した。 福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学経済学部卒業。1959年九州電力入社。九州電力取締役営業部長を経て、1995年九州電力常務取締役。1998年九州電力取締役副社長。2004年九電工取締役会長。福岡経済同友会代表幹事、九州経済同友会代表委員、福岡アジア都市研究所会長、アクロス福岡館長、九州システム情報技術研究所理事長。2004年九州大学学術研究都市推進機構理事長。2005年山崎広太郎福岡市長を支持するために大手企業らで設立された希望ふくおかの会長に就任。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月… 梅本 彪夫(うめもと あやお、1935年(昭和10年)11月18日 - )は、日本の実業家。東京放送(現・TBSホールディングス)元常務取締役。テレパック・TBSサンワーク元社長。お笑いタレントの渡部建は甥。 梅本正倫・とねの次男として奈良県に生まれる。1958年(昭和33年)九州大学経済学部を卒業。同年東京放送に入社。 1978年(同53年)6月パリ支局長、1986年(同61年)6月人事労務局長、1988年(同63年)2月制作局長、1989年(平成元年)1月テレビ編成局長を経て、1991年(同3年)6月テレパック社長に就任。 1992年(同4年)6月東京放送取締役、1993年(同5年)6月同社常務を経て、1995年(同7年)TBSサンワーク社長に就任。
田﨑 雅元(たざき まさもと、1935年(昭和10年)9月6… 田﨑 雅元(たざき まさもと、1935年(昭和10年)9月6日 - )は、日本の実業家。川崎重工業元社長。満洲国奉天市生まれ。ハルビン市、京城府、大連市を経て、日本の降伏後宮崎県高千穂町に引き揚げ、宮崎市出身。父は都城市生まれで満州医科大学出身の医師で京城帝国大学医学部助教授などを務めた。
大和 文哉(やまと ふみや、1935年8月29日 - 202… 大和 文哉(やまと ふみや、1935年8月29日 - 2024年2月28日)は、日本の経営者。間組社長を務めた。 福岡県出身。1958年に九州大学工学部土木工学科を卒業し、同年に間組に入社。1993年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月に副社長に就任し、1987年6月に社長には昇格。2003年6月から特別顧問を務めた。 2024年2月28日、老衰のため死去した。88歳没。
有吉 孝一(ありよし こういち、1935年7月20日 - 2… 有吉 孝一(ありよし こういち、1935年7月20日 - 2025年10月14日)は、日本の経営者。安田火災海上保険社長、会長を務めた。福岡県出身。 1959年に九州大学経済学部を卒業し、同年に安田火災海上保険に入社。1988年6月に取締役に就任し、1990年4月に常務を経て、1993年4月には社長に就任。1999年4月に会長に就任し、2000年6月に相談役に就任。 2012年11月に旭日重光章を受章。 2025年10月14日、胃がんのため死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 20… 増田 信行(ますだ のぶゆき、1934年3月28日 - 2025年6月3日)は、日本の実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、日本防衛装備工業会会長等を務めた。 長崎県または静岡県出身。佐賀高校を経て、1957年九州大学工学部卒業、三菱造船(現三菱重工業)入社。1987年三菱重工業広島製作所副所長。1989年三菱重工業下関造船所長。1991年三菱重工業取締役下関造船所長。1992年三菱重工業常務取締役機械事業本部長。1994年三菱重工業取締役副社長機械事業本部長。1995年三菱重工業取締役社長。1999年三菱重工業取締役会長、日本原子力発電取締役。2000年日本防衛装備工業会会長。2001年経済産業省産業構造審議会航空機宇宙産業分科会航空機委員会委員長。
佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )… 佐々木 勝美(ささき かつみ、1933年12月18日 - )は、日本の経営者。山陽新聞社社長を務めた。 福岡県出身。1958年、九州大学教育学部を卒業し、同年に山陽新聞社に入社。1988年2月、取締役に就任。1990年2月、常務に就任。1992年2月、社長に就任。2006年12月、会長に就任し、2012年2月、取締役相談役に退いた。 2009年11月、旭日重光章を受章。
広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 … 広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2020年 (令和2年) 2月7日)は、日本の実業家。富士紡績元代表取締役社長。廣瀬資料館理事長日田広瀬家第11代当主。江戸時代の儒学者広瀬淡窓の弟・広瀬久兵衛の子孫である。 父は日田市長、佐藤内閣で郵政大臣などを歴任した日田広瀬家第10代当主広瀬正雄。実弟にテレビ朝日会長、日本民間放送連盟会長を務めた広瀬道貞、通商産業事務次官の後、大分県知事を5期務めた広瀬勝貞、興銀証券常務を務めた広瀬興貞がいる。
吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 200… 吉田 清治(よしだ せいじ、1932年8月20日 - 2006年1月27日)は、元日本相撲連盟会長・九州電力副社長。大分県湯布院町(現由布市)出身。 1956年、九州大学経済学部を卒業。卒業後、九州電力に入社。資材部長、常務を経て1993年に副社長に就任。1997年から2002年まで顧問を務めた。2000年から2002年まで九州大学経済学部同窓会会長。ほかに、九州・山口経済連合会副会長、九州・山口経済連合会専務理事、九州国立博物館設置促進財団募金活動推進本部長、西日本新聞モニター会議委員、福岡経済同友会幹事などの要職を歴任した。特に九州国立博物館の建設に当たっては、募金活動推進本部長として奔走し、41億円の募金を集めた。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2… 日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2023年5月23日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 鹿児島県出身。1956年に九州大学工学部機械工学科を卒業し、1960年に富士製鉄(現在の日本製鉄)に入社。 1987年に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月に山陽特殊製鋼副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に就任。 2023年5月23日老衰のために死去。92歳没。
藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、… 藤野 清(ふじの きよし、1931年〈昭和6年〉 - )は、日本の実業家、技術コンサルタントである。元宇部興産(現・UBE)専務取締役。 1931年(昭和6年)、山口県宇部市に生まれる。 終戦間近の1944年(昭和19年)、広島県広島市の広島陸軍幼年学校へ入校するが、翌1945年(昭和20年)6月に阿南惟幾陸軍大臣(当時)の命を受けて広島から疎開し、2ヶ月後の広島市への原子爆弾投下による被爆を免れた。藤野はこれを「お前たちは敗戦後の日本の復興に努力せよ」との遺言と受け止めている。 終戦後、九州大学工学部機械工学科へ進学し、1953年(昭和28年)に卒業。同年宇部興産に入社し、同社機械部門に配属される。
近藤 秋男(こんどう あきお、1930年11月20日 - )… 近藤 秋男(こんどう あきお、1930年11月20日 - )は、大分県出身の日本の実業家。元全日本空輸社長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。