橋本 晃明(はしもと てるあき、1943年9月4日 - )は… 橋本 晃明(はしもと てるあき、1943年9月4日 - )は、日本の実業家。東洋水産創業者の森和夫に招かれ、同社第2代社長や、三井食品会長、日本即席食品工業協会副理事長等を歴任した。 東京都出身。1966年学習院大学経済学部卒業、三井物産入社。1989年創業者森和夫に招かれ東洋水産常務取締役に就任。1991年東洋水産代表取締役専務。1995年から森の後任として東洋水産第2代代表取締役社長を務めた。2003年代表取締役社長を退任し、三友小網(現三井食品)代表取締役会長及びポスフール顧問に就任。2006年三井食品取締役相談役、三井物産顧問。2008年三井食品相談役。2013年森永乳業独立委員会委員。
井村 正勝(いむら まさかつ、1943年3月15日 - )は… 井村 正勝(いむら まさかつ、1943年3月15日 - )は、日本の経営者。井村屋製菓社長を務めた。 三重県出身。1966年に学習院大学法学部を卒業し、1968年に井村屋製菓に入社。1977年6月に取締役、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任。 2017年11月に旭日双光章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
五味 陸仁(ごみ みちひと、1943年2月14日 - )は、… 五味 陸仁(ごみ みちひと、1943年2月14日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都出身。学習院大学政経学部卒業。 陸仁の陸の字が睦に似ていることから一時期、五味睦仁(ごみむつひと)と紹介された事が度々あった。 1965年(昭和40年)4月、TBSにアナウンサー10期生として入社(同期には今村稔・小川哲哉・車尾具昭・多田護・奈良陽・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子)。主にニュース、報道番組を担当。ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)に勤務後、1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。その後、報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付(1968年6月)。
新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2… 新町 敏行(しんまち としゆき、1943年1月20日 - 2019年12月)は元日本航空代表取締役社長。 神奈川県出身。鎌倉学園高等学校、学習院大学政経学部卒業後、1965年日本航空に入社。1997年6月取締役。2000年4月常務取締役、2001年専務取締役、2002年10月日本エアシステムの経営統合を実現し持ち株会社日本航空システムの専務取締役。2003年6月代表取締役副社長、2004年6月から代表取締役社長。統合後の経営基盤固めに努めるも運航トラブルが相次いだ責任を取り、2006年6月に会長に退く。2008年3月退任・退職。
濱本 松子(はまもと まつこ、1943年〈昭和18年〉1月1… 濱本 松子(はまもと まつこ、1943年〈昭和18年〉1月19日 - )は、日本の女官長。東京都出身。 昭和天皇の側近の一人で内大臣を務めた木戸幸一の長男である木戸孝澄の長女として生まれた。木戸孝允の玄孫にあたり、孝允の妻の松子と同名である。学習院大学文学部を卒業した。 内閣情報調査室次長である濱本康也と結婚した。1990年(平成2年)に宮内庁侍従職の御用掛となり、1992年(平成4年)に女官となる。 2004年(平成16年)3月31日より皇后美智子の世話をする女官長に就任し、2013年(平成25年)4月1日まで務めた。また前女官長の井上和子は叔母にあたる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実… 加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実業家。加森観光取締役相談役。元代表取締役社長。 1943年、北海道札幌市に生まれる。札幌北高校を卒業、同高校時代の修学旅行で後楽園遊園地のジェットコースターに乗ったことをきっかけに遊園地好きとなり、その後の遊園地開発へと繋がる。 大学は教師を志望し東京教育大学を第一志望としていたものの不合格となり、1968年に学習院大学経済学部を卒業、立教大学大学院ホテル観光学科修了。大学卒業後は日本ケーブル浦安工場に出向し索道の安全輸送について学んだ後、大学院修了後に父の加森勝雄が第三セクター方式で設立した「登別温泉ケーブル」に就職。夏の濃霧の頃が事実上のオフシーズンになっていたさなか「のぼりべつクマ牧場」の運営にたずさわり、ヒグマを飼育し観光客を呼び込むとともにヒグマの人工飼育や計画出産への挑戦、博物館の建設、ヒグマに芸を覚えさせてのショーの開催といったヒグマに特化した積極策を取り、クマ牧場の収益を元手に札幌市の都心で中古ビルを買収し収益を強化した。
野村 豊弘(のむら とよひろ、1943年- )は日本の法学者… 野村 豊弘(のむら とよひろ、1943年- )は日本の法学者。学習院大学法学部教授。専門は民法。東京都生まれ。
ヘンリー 幸田(ヘンリー こうだ、本名・幸田 栄夫、1943… ヘンリー 幸田(ヘンリー こうだ、本名・幸田 栄夫、1943年(昭和18年) - 2014年(平成26年)12月16日)は、日本出身のアメリカ合衆国の法律家。米国特許弁護士、日本弁理士。 東京都大田区出身。学習院大学理学部化学科を卒業後、杏林薬品に就職するが1年で辞めて特許事務所に転職。勤務の傍ら、明治大学法学部で法学を学び、1970年に弁理士試験に合格する。 協和特許法律事務所での勤務の後、1972年に渡米し、ロサンゼルスのスペンスリー・ホーン・ジュバス・ルービッツ法律事務所で働きながら、パテント・エージェントおよびニューヨーク州弁護士の資格を取得。1977年に米国にてコーダ&アンドローラ法律事務所を開設した。
賀陽 健憲(かや たけのり、1942年〈昭和17年〉8月5日… 賀陽 健憲(かや たけのり、1942年〈昭和17年〉8月5日 - 2017年〈平成29年〉7月20日)は、日本旧皇族。皇籍離脱前の名は健憲王(たけのりおう)。賀陽宮恒憲王の第6王子。母は恒憲王妃敏子。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱。学習院大学卒業後、日本交通公社に勤務した。2017年7月20日、東京都杉並区で逝去。
上田 信之(うえだ のぶゆき、1942年6月18日 - )は… 上田 信之(うえだ のぶゆき、1942年6月18日 - )は、日本の経営者。アマダ社長を務めた。東京都出身。 1965年に学習院大学経済学部を卒業し、1969年に天田製作所(現在のアマダ)に入社。1973年5月に取締役に就任し、1983年11月に常務、1985年6月に専務、1989年4月に副社長を経て、1993年6月には社長に就任。2003年6月に副会長を経て、2004年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
池坊 保子(いけのぼう やすこ、1942年〈昭和17年〉4月… 池坊 保子(いけのぼう やすこ、1942年〈昭和17年〉4月18日 - )は、日本の政治家。特定非営利活動法人萌木理事長。学校法人いわき明星大学理事。特定非営利活動法人日本伝統文化協会名誉顧問。横綱審議委員会委員。第125代天皇明仁の再従妹に当たる。夫は華道家の池坊専永。 衆議院議員(5期)、文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、文部科学副大臣、公明党女性委員会副委員長、衆議院青少年問題に関する特別委員長、財団法人日本漢字能力検定協会理事長、公益財団法人日本相撲協会評議員会議長などを歴任した。 1942年4月18日、旧羽林家の梅溪家に属する子爵として貴族院議員に選出されていた梅溪通虎の三女として、東京府(のちの東京都)に生まれる。
清水 洋二(しみず ようじ、1942年〈昭和17年〉3月2日… 清水 洋二(しみず ようじ、1942年〈昭和17年〉3月2日 - )は、日本の実業家。TBSラジオ&コミュニケーションズ(現:TBSラジオ)初代社長。TBSホールディングス(TBSHD)社長室参与。東京都出身。
ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ(1942年3月 - 2011… ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ(1942年3月 - 2011年11月22日)は、日本の占星術師、著述家である。東京深川出身。本名は渡辺幸次郎(わたなべ・こうじろう)。 学習院中等科・高等科を経て、学習院大学文学部国文学科卒業(心理学専攻を希望していたものの、当時、学習院大学には心理学科が無かったため、他大学の講義をもぐり聴講したという)。その後、ロンドン大学に留学して心理学を専攻。 帰国後、コピーライターを経て『non-no』創刊と同時に西洋占星術のページを受け持つ。 ルネ・ヴァンダール・ワタナベは師匠から名前を決められる時に、マドモアゼル・愛とジャンケンで勝ったから、ルネ・ヴァンダール・ワタナベになったと言われる。
鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24… 鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年〈昭和17年〉1月24日 - 2021年〈令和3年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、衆議院運輸委員長、農林水産大臣(第14・51・52代)、総務庁長官(第12代)、運輸政務次官、新党みらい代表、国民の声代表、民政党幹事長、民主党国会対策委員長、常任幹事会議長、副代表、自由民主党青年局長、総務局長などを歴任した。父は衆議院議員を5期務めた鹿野彦吉。 民主党内では珍しい、自民党清和政策研究会出身。自民党時代は「清和会のプリンス」と呼ばれ47歳で初入閣するなど、将来の総裁候補として期待されていた。離党後も新党みらい・国民の声で代表を務め、新進党・民主党でも党首(代表)候補としてたびたび名前が挙がった。
遠藤 征四郎(えんどう せいしろう、1942年(昭和17年)… 遠藤 征四郎(えんどう せいしろう、1942年(昭和17年) - )は、日本の合気道家。合気道(合気会)八段。合気会本部道場師範。「合気道開祖植芝盛平最後の内弟子」と呼ばれる師範の一人。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
芳村 思風(よしむら しふう、1942年 - )は、日本の哲… 芳村 思風(よしむら しふう、1942年 - )は、日本の哲学者。思風庵哲学研究所所長 奈良県御所市出身。学習院大学文学部哲学科を卒業。下村寅太郎先生に「感性の研究」を認められ、大学院へ進学。28歳の時、下村先生の勇退により、同時期に学習院大学大学院博士課程を中退。「思風庵哲学研究所」を設立する。感性論哲学という感性が生命や人間の本質であり、宇宙の究極的実在であるとする哲学を体系化させた人物と言われている。 現在、全国で20数カ所、感性論哲学を学ぶ「思風塾」が、開催されている。
飯島 太千雄(いいじま たちお、1942年 - )は、書の研… 飯島 太千雄(いいじま たちお、1942年 - )は、書の研究家。 書家・飯島春敬、敬芳の三男として東京・六本木に生まれる。学習院大学仏文科中退。書藝文化新社で古筆複製・学術書の編集製作・撮影を行う。書道史研究論文を『墨美』『書品』などに発表。1980年退社、以後は著作・制作に専念。編集工房「書玄」主宰。
大三輪 龍彦(おおみわ たつひこ、1942年 - 2006年… 大三輪 龍彦(おおみわ たつひこ、1942年 - 2006年6月27日)は、日本の考古学者。元鶴見大学教授。浄光明寺住職。
中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2… 中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2012年4月24日)は、日本の小説家。 岩手県一関市出身。本名は廣嶼文彦(ひろしま ふみひこ)。岩手県立一関第一高等学校、学習院大学政経学部卒業。ペンネームの由来は、家の傍に中津川が流れていたことから。 岩手日報社で報道記者として務めていた1982年、『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、退社して作家活動に専念する。1985年には『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞した。 2012年4月24日、肝不全により逝去。70歳没。
浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月… 浦野 烋興(うらの やすおき、1941年〈昭和16年〉11月3日 - 2021年〈令和3年〉1月25日)は、日本の政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、科学技術庁長官(第53代)を歴任した。 自民党内では宮澤派に所属。労働大臣を務めた浦野幸男の女婿。結婚前の旧姓は伊藤。 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市長興寺9丁目)に生まれる。父親の伊藤茂は教員で、のちに愛知県立豊田西高等学校の校長を務めた。1948年4月、知立町立知立小学校(現・知立市立知立小学校)に入学。1954年3月、挙母市立挙母南部小学校卒業。1957年3月、愛知学芸大学附属岡崎中学校(現・愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1960年3月、愛知県立岡崎高等学校卒業。
2代目 花柳 錦之輔(はなやぎ きんのすけ、1941年(昭和… 2代目 花柳 錦之輔(はなやぎ きんのすけ、1941年(昭和16年)10月18日 - 1988年(昭和63年)11月21日)は、花柳流の日本舞踊家。本名は青山 克己。学習院大学経済学部卒業。父が初代錦之輔(2代目壽楽)。 4歳で父の元に入門。1965年に2代目錦之輔を襲名した。 実の子が3代目錦之輔。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
落合 和雄(おちあい かずお、1941年9月19日 - 20… 落合 和雄(おちあい かずお、1941年9月19日 - 2013年8月6日)は、日本の経営者。東急建設社長、会長を務めた。 東京都出身。1965年に学習院大学政治経済学部を卒業し、同年に東急電鉄に入社した。1997年に取締役に就任し、1998年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任し、2002年5月から2003年10月までに社長を務めた。2005年6月から2010年3月までに東急車輛製造社長を務めた。 2013年8月6日、心不全のために死去。71歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5… 仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉10月19日)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)出身。本名は仲本 興喜(なかもと こうき)。バンドでの担当はボーカルとギター。ドリフから派生したこぶ茶バンドメンバーとしても活動した。生前は渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属して、同じザ・ドリフターズメンバーで既に故人となっているいかりや長介、志村けんと同様に没後もイザワオフィス所属となっている。 当初は「仲 こうじ」「仲本 こうじ」「仲本 コージ」を名乗っていた。
荒井 秀吉(あらい ひでよし、1941年(昭和16年)4月1… 荒井 秀吉(あらい ひでよし、1941年(昭和16年)4月16日 - 1997年(平成9年)3月11日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。茨城県結城市長。 茨城県出身。1964年(昭和39年)学習院大学政経学部卒業。 1957年(昭和32年)荒井綿業に入社、専務。1967年(昭和42年)より結城市議会議員を3期務める。結城市議時代は自由民主党に所属した。1978年(昭和53年)より茨城県議会議員を1期務めた。1987年(昭和62年)結城市長に当選し、3期目在任中に死去した。
小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉… 小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉3月8日 - )は、東京都出身の自動車技術者、モータージャーナリスト。小早川家当主。 日産自動車の自動車技術者の小早川元治の長男として誕生。 学習院大学理学部物理学科を卒業後、広島県の東洋工業(現:マツダ)に入社。RX-7&モータースポーツ担当主査、北米マツダ副社長などの役職を務める。 マツダを退職後はモータージャーナリストとしても活動。日本自動車研究者ジャーナリスト会議監事を務める。 出典が無い限り霞会館 1996, p. 608を参照している。
大橋 孝至(おおはし たかよし、1941年3月 - 2009… 大橋 孝至(おおはし たかよし、1941年3月 - 2009年3月9日)はマツダスピードの専務取締役、レース監督である。
佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941… 佐伯 隆幸(さえき りゅうこう、本名読み・たかゆき 1941年2月15日 - 2017年1月21日)は、日本の演劇評論家、フランス文学者、学習院大学名誉教授。 シンガーソングライターの大和姫呂未は姪にあたる。 広島県生まれ。愛媛県出身。学習院大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。演劇集団68/71(現在の劇団黒テント)創立に参加。同集団の制作部門責任者として1960代後期からのアングラ演劇の左翼的活動の興隆に携わった。のち現場を離れ演劇評論家として活躍。またフランス文学者として駒澤大学教授を経て、学習院大学フランス語圏文化学科の教授を務め、フランスを軸にした現代演劇と演劇史を関心領域としていた。
秋保 雅男(あきほ まさお、1941年2月14日 - )は、… 秋保 雅男(あきほ まさお、1941年2月14日 - )は、日本の社会保険労務士。株式会社労務経理ゼミナール代表取締役。 学習院大学政経学部卒業後、民間企業の債権管理専門課長、総務課長、経理課長を経て1975年に開業社会保険労務士となる。その後LECやTAC、産能大学、早稲田大学、朝日カルチャーセンター等で社会保険労務士(社労士)試験担当講師や企業研修担当講師を歴任、その後、自身で労務経理ゼミナールを立ち上げる。 現在では毎年8月下旬に実施される社労士試験の受験シーズンになると全国の書店に週刊住宅新聞社が発行しているテキスト『うかるぞ社労士』をはじめとした秋保本人や自身が経営する労務経理ゼミナールの社員が執筆する著書が並んでいる。
島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの… 島崎 晃(しまざき あきら、1941年 - )は、イギリスの政治家。ニックネームはJack Bara Caws。西ウェールズの町カーディガンで、2012年から2017年まで町議会議員を務めた。 2017年時点で、日本人として唯一、イギリスの町議会議員を務めていたことで知られる。なお、国籍は2000年以降イギリスである。 1941年、栃木県那須郡佐久山町(現大田原市)に生まれる。実家は造り酒屋であった。大田原市立佐久山小学校、大田原市立佐久山中学校、学習院高等科を経て、学習院大学文学部哲学科でイギリス哲学を専攻する。大学時代は小松茂夫に師事し、大学卒業後、1967年にイングランド南東部コルチェスターに語学留学する。
上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )… 上野 照博(うえの てるひろ、1940年12月25日 - )は、日本の実業家で、株式会社ゾフ創業者、同社元代表取締役社長である。 東京都出身で、学習院初等科、学習院中等科・高等科を経て1963年に学習院大学経済学部を卒業し、レナウンニシキに入社する。1968年に上野衣料株式会社に入社して1969年専務取締役となる。アパレル業界の不況でメガネ事業を構想し、1993年に、株式会社ゾフを設立して代表取締役社長となり、株式会社インターメスティックを設立して代表取締役社長となる。2014年に株式会社インターメスティック代表取締役会長、2015年に株式会社インターメスティック代表取締役会長兼社長、2020年に株式会社インターメタックス取締役会長となる。
細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12… 細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる。1964年、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬』。
三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - … 三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - )は、日本の経営者。阪神百貨店社長、会長を務めた。 その他、2007年から2021年までに「三枝輝行の商い勘所」のパーソナリティも務めた。 1940年、兵庫県加西市に生まれた。一人っ子で、兄弟姉妹はいなかった。父親の二郎は、海軍で南方戦線に従軍し、その後大分県別府市で働いていた。三枝自身も防空壕に避難した経験があり、また母親と一緒に別府を訪れたことを覚えている。 終戦間際に父親が復員し、神姫バスとして知られるバス会社の経営を本格化させ、家計が安定し始めた。しかし、その後、母親が結核にかかり、三田市の病院に入院した。この頃、夜の8時や9時に帰宅した父に、夕食を作ってもらう日々が続いた。
千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日… 千葉 敦子(ちば あつこ、1940年(昭和15年)11月6日 - 1987年(昭和62年)7月9日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクションライター。死に至るまで自らのガン闘病記を出版し続けた。そのほかキャリアウーマンとしての生活術・仕事術、日本人論などについての著書もある。
平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年… 平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年12月30日)は、日本のスポーツジャーナリスト(スポーツライター)。企画つばさ社長。東京都港区出身。 主に日本プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)専門に活動。 学習院高等科三年、夏の甲子園の東京都予選大会で早稲田実業のエースピッチャー王貞治に3打数3三振に抑えられ野球を断念。 その後、巨人へ入団した王を取材しようと、1963年に学習院大学を卒業後、報知新聞社へ入社。報知新聞(現:スポーツ報知)の記者となり、巨人の番記者として活躍した後、月刊ジャイアンツ編集長を務め、フリーとなる。1980年代前半頃から2004年頃まで、ラジオ日本ジャイアンツナイターの解説者をはじめ、テレビやラジオの放送メディアにおいても活動した。
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20… 麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。
高島 肇久(たかしま はつひさ、1940年9月1日 - )は… 高島 肇久(たかしま はつひさ、1940年9月1日 - )は、海外通信・放送・郵便事業支援機構会長、外務省参与。NHK解説委員長、国際連合広報センター所長、外務省大臣官房外務報道官、BBCワールドニュース放送番組審議会委員、日本国際放送社長など歴任。 東京出身。東京学芸大学附属高等学校を経て学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学卒業後の1963年、NHKに入局し報道局記者となる。高松放送局を経て1968年から報道局外信部(現在の国際部)。サイゴン支局特派員(1972年~1973年)NHKワシントン支局特派員(1974年~1978年、1982年~1984年の2回)、NHKロンドン支局長(1984年~1988年)を経験。
臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は… 臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は、日本の日本の政治学者。国際政治学・平和学を専攻。獨協大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。 神奈川県平塚市生まれ。学習院大学政経学部卒業。旧・東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。獨協大学法学部専任講師・助教授・教授、フェリス女学院大学文学部教授、同大学国際交流学部教授、中央大学法学部教授を務める。
松平 宗紀(まつだいら むねとし、1940年〈昭和15年〉3… 松平 宗紀(まつだいら むねとし、1940年〈昭和15年〉3月23日 - )は、越前松平家(旧福井藩主家)第20代当主。 学習院大学理学部物理学科卒業。学位は理学士(学習院大学)。福井市立郷土歴史博物館名誉館長。社団法人茶道裏千家淡交会福井支部名誉顧問。東京福井県人会会長。 1940年(昭和15年)3月、田安徳川家第10代当主徳川達成の四男として生まれる。旧姓名は徳川 宗紀(とくがわ むねとし)。1946年(昭和21年)、学習院初等科入学。 1963年(昭和38年)、越前松平家第19代当主松平康昌の未亡人である綾子(徳川宗家・徳川家達の二女)の養子となり、1945年(昭和20年)に戦死した康愛(康昌の長男)の長女である智子と婚姻、越前松平家第20代当主となる。
徳川 恒孝(とくがわ つねなり、旧字体:德川 恆孝、1940… 徳川 恒孝(とくがわ つねなり、旧字体:德川 恆孝、1940年〈昭和15年〉2月26日 - )は、日本の実業家。徳川宗家第18代当主。 学習院大学政経学部政治学科卒業(学位:政治学士)。元日本郵船副社長。公益財団法人德川記念財団初代理事長(現在は名誉理事長)。WWFジャパン名誉会長。公益財団法人斯文会名誉会長。公益社団法人東京慈恵会元会長。一般社団法人横浜港振興協会元会長。早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校特別講演講師。公益財団法人日本美術刀剣保存協会名誉顧問。一般財団法人軽井沢会理事(2010年時点)。 ちなみに、恒孝の母方の祖父で系譜上の養父に当たる家正は最後の貴族院議長であり、父方の祖父に当たる松平恆雄は貴族院に代わって成立した参議院の初代議長である。
濱田 矩男(はまだ のりお、1940年1月13日 - 202… 濱田 矩男(はまだ のりお、1940年1月13日 - 2023年11月24日)は、日本の実業家。東邦ホールディングス代表取締役社長を経て、同社取締役最高顧問。 兵庫県生まれ。1963年学習院大学政経学部卒業。1966年東邦薬品入社。1979年取締役大森支店長に昇格。1991年取締役経営企画室長。1993年常務取締役。1999年代表取締役専務。2001年代表取締役副社長。2005年代表取締役社長CEO兼COO。2009年には持株会社に改組された東邦ホールディングスの代表取締役社長及び新設の事業子会社である東邦薬品の代表取締役会長に就任。2010年東邦薬品取締役会長。2017年東邦ホールディングス代表取締役会長CEO。
毛利 元敦(もうり もとあつ、1940年〈昭和15年〉1月5… 毛利 元敦(もうり もとあつ、1940年〈昭和15年〉1月5日 - )は、東京都品川区出身の日本の実業家。 長州藩毛利宗家第30代当主で陸軍軍人や貴族院議員を歴任した、毛利元道の四男として東京・品川で生まれる。 幼稚園時には戦火を避けるためにかつての毛利家の本拠地でもあった防府市に疎開。現在は重要文化財や国の名勝にも指定されている毛利邸で幼少期を過ごす。 学習院大学を卒業後は日立金属に入社。サラリーマンとして40年近く同社で勤務していた。40歳代から50歳代にかけては毛利家旧領・山口の山口営業所や毛利家ゆかりの地・広島の中国支店で計13年勤務し、営業所長や支店長を歴任した。また、日立金属の関連会社で海外の現地法人でもある、日立金属シンガポールや日立金属アジアの社長なども歴任している。
森村 桂(もりむら かつら、1940年〈昭和15年〉1月3日… 森村 桂(もりむら かつら、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉9月27日、本姓:三宅)は、日本の作家。父は作家の豊田三郎、母は歌人の森村浅香。 作家・豊田三郎の長女として生まれる。公立小学校入学後、学習院初等科に4年次編入し、学習院女子中・高等科を経て、学習院大学文学部国文学科に入学した。大学在学中、19歳の時に父・三郎が病気のため急死。以後一時家計が苦しくなり、また母親との困難な関係を抱え、苦悩のうちに大学生活を送る。 大学卒業後、女性週刊誌(誌名未詳)記者となるが、ゴシップを追うばかりの取材が嫌になり、2か月で退社して暮しの手帖社に入社。ここも短期間で退社し、1964年にニューカレドニアに一人旅に出る。
小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )… 小谷 正博(こたに まさひろ、1939年12月25日 - )は日本の化学者。東京都出身。元学習院大学理学部教授。研究領域は物理化学。
桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )… 桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )は、日本のアナウンサー(TBS→フリー)、ナレーター。本名、桝井 貞之(ますい さだゆき)。愛称は「ロンペー」。 東京府東京市江戸川区(現:東京都江戸川区)出身。有限会社桝井論平事務所取締役会長。血液型A型。江戸川区立小岩小学校、開成中学校・高等学校を経て学習院大学政経学部卒業。テレビプロデューサー・実業家(桝井論平事務所代表取締役)の桝井あけぼのは長女。 1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)、報道総局アナウンス部(1990年2月)、アナウンスセンター(1991年5月)に配属。
亀井 久興(かめい ひさおき、1939年〈昭和14年〉11月… 亀井 久興(かめい ひさおき、1939年〈昭和14年〉11月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(通算5期)、国土庁長官(第30代)、国民新党幹事長(初代)、総務省顧問などを歴任した。島根県日華親善協会会長。 自由民主党時代には、閣内人事では国土庁長官、党内人事では自由民主党の国会対策委員会副委員長、総務会副会長、政務調査会の副会長、会長代理を歴任し、自民党の党三役に近い立場にいた。 2005年7月5日の郵政国会では衆議院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じ、同年8月、綿貫民輔らと国民新党の結党に参加した。結党時より国民新党幹事長を務める。 2007年7月の第21回参議院議員通常選挙の島根県選挙区には長女の亀井亜紀子が国民新党公認・民主党推薦で出馬し、初当選。
溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月… 溝口 泰男(みぞぐち やすお、1939年〈昭和14年〉10月26日 - 1989年〈平成元年〉6月17日)は、栃木県出身のタレント、司会者、ジャーナリスト、日本教育テレビ→テレビ朝日専属契約キャスター。 栃木県で出生し、生後すぐ東京へ移った。学習院大学政経学部卒業。 経済誌の記者や月刊『今日』編集長を経て、選挙運動を通じて知り合った小田久栄門にスカウトされ、1969年に『奈良和モーニングショー』(NET、後のテレビ朝日)のサブ司会に抜擢され、テレビデビューを果たす。同時にNETとの専属契約を結んだ。 1977年5月からはメイン司会者(溝口泰男モーニングショー)となり、1983年3月末で政界進出のため番組を降板した。
松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、… 松井 康子(まつい やすこ、1939年10月3日 - )は、日本の元女優。本名同じ。牧 和子(まき かずこ)の芸名でも活動した。 父・松井久(山口県下関市長松井信助の三男)、母・宏子の娘として東京府東京市世田谷区に生まれる。母方祖父の小笠原長生は子爵であり、松井の母・宏子は華族の出である。学習院初等科・学習院女子中等科・学習院女子高等科を経て、1958年4月、学習院大学文学部に入学。 1958年の秋、通院していたかかりつけの歯科医が松竹の嘱託医であったことが縁で、松竹社長・城戸四郎にスカウトされる。大学を中退し松竹に入社。 1959年、内川清一郎監督の映画『パイナップル部隊』でデビュー。当初は大部屋女優で、デビュー作となった同作品でも端役であった。
岩居 文雄(いわい ふみお、1939年5月29日 - )は、… 岩居 文雄(いわい ふみお、1939年5月29日 - )は、日本の技術者、実業家。コニカミノルタホールディングス取締役代表執行役社長や、同社取締役会議長、東京工芸大学理事長、日本オプトメカトロニクス協会会長などを務めた。 東京都出身。1963年学習院大学理学部卒業、小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)入社。事務機事業部八王子工場製造部技術グループリーダーを経て、1983年事務機事業部八王子工場製造部長。 1988年コニカカメラ事業部長。1991年情報機器事業本部機器販売事業部長。1992年取締役情報機器事業本部長兼同本部機器販売事業部長。1996年常務取締役情報機器事業本部長兼同本部機器販売事業部長。
近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、… 近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、近衞家第32代当主で日本赤十字社名誉社長。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)元顧問、公益財団法人日本国際フォーラム参与。初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。 旧肥後熊本藩細川侯爵家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の次女)の次男として生まれた。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。 清泉小学校、栄光学園中学校・高等学校を経て、1962年(昭和37年)に学習院大学政経学部政治学科を卒業(学位:政治学士)。その後、英国のロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学(国際関係論)。
近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1… 近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1939年5月8日(78歳) - )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。