魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 20… 魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 2017年7月24日)は、日本の警察官僚、法学者。元愛媛県警察本部長、平成国際大学名誉教授、慶應義塾大学博士(法学)。
慶應義塾大学:919人
魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 20… 魚谷 増男(うおたに ますお、1927年6月11日 - 2017年7月24日)は、日本の警察官僚、法学者。元愛媛県警察本部長、平成国際大学名誉教授、慶應義塾大学博士(法学)。
多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015… 多田 真鋤(ただ ますき、1927年5月25日 - 2015年7月12日)は、日本の政治学者。専門は、西洋政治思想史。法学博士。慶應義塾大学名誉教授。 福岡県生まれ。1950年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1950年同法学部助手・同法学部通信教育課程インストラクター、1956年同法学部助教授、1963年同法学部教授、1968年同通信教育部長、88年慶應義塾大学早期退職、同名誉教授、「近代ドイツ政治思想研究」で法学博士の学位を取得、横浜商科大学商学部教授。1998年横浜商科大学定年退職。日本文化大学法学部客員教授。2003年日本文化大学退職。この他に、旧司法試験第一次試験考査委員や維新政党・新風講師も務めた。
利光 三津夫(りこう みつお、1927年3月10日 - 20… 利光 三津夫(りこう みつお、1927年3月10日 - 2009年9月13日)は、日本の法制史学者。法学博士(京都大学・論文博士・1962年)。慶應義塾大学名誉教授、清和大学名誉学長。 1950年慶應義塾大学法学部卒業、同講師、助教授、教授、1962年「律の研究」で、法学博士(京都大学)の学位を取得。1991年定年退任、名誉教授、清和大学学長。日本貨幣協会会長。古代律令制を研究したが、のち貨幣史で知られた。 2003年、勲三等旭日中綬章を受章。2009年9月13日、心不全のため死去。
桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - … 桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 人形劇『きかんしゃトーマス』の原作となった絵本『汽車のえほん』の翻訳者のひとり。 1926年、群馬県利根郡池田村大字奈良(現沼田市奈良町)に桑原武一郎、志げの3男として生まれる[要出典]。父は誕生4ヶ月前に腹膜炎で急死、母も生後8ヶ月足らずで脳溢血で死亡、祖母そめとともに乳母杉野そうのもとで育った[要出典]。12歳年上の兄真一郎を父親代わりに、5歳年上の姉富子が教育係になって幼少期を過ごした[要出典]。その姉も18歳の時、災害死して兄1人ともう1人の姉朝子が記憶に残る兄弟となったためか、兄弟愛は強かった[要出典]。
槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 20… 槌田 満文(つちだ みつふみ、1926年12月3日 - 2011年5月31日)は、ジャーナリスト、日本近代文学の研究者、武蔵野大学名誉教授。
安澤 秀一(やすざわ しゅういち、1926年12月2日 - … 安澤 秀一(やすざわ しゅういち、1926年12月2日 - 2024年6月18日)は、日本の文化情報学者、国文学研究資料館・史料館名誉教授、駿河台大学名誉教授。専攻は文化情報学、アーカイブズ学。 東京市芝区(現港区)生まれ。父は元調布町長の安沢秀雄。慶應義塾大学法学部から同大学経済学部大学院(旧制)に進学し、1956年に退学した。1962年に桃山学院大学助教授となり、教授に昇格後、1978年に国立国文学研究資料館・史料館教授(アーカイブズ系)となる。その後、1990年に明海大学教授となり、1994年に駿河台大学に新設された文化情報学部の学部長に就任する。1999年に同大学院教授・文化情報学研究科長となり、2002年に退任した。
野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 201… 野口 祐(のぐち たすく、1926年11月22日 - 2016年5月7日)は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(1966年)。慶應義塾大学名誉教授。 栃木県生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒、1966年「生産管理の経営学」で経済学博士の学位を取得。1951年慶大経済学部副手、1955年助手、1958年慶應義塾大学商学部助教授、1964年同教授。1992年定年、名誉教授、日本大学教授、創価大学経営学部教授。2001年退任。日本経営学会理事長、日本学術会議会員、ベルリン自由大学客員教授、パリ大学客員教授。 戦前の三井財閥などの財閥研究、金融史(銀行史)、人事労務管理論、経営管理論、組織論、企業経営分野において業績を残す。
末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2… 末舛 惠一(すえます けいいち、1926年 8月21日- 2015年1月29日[リンク切れ])は、日本の医学者。専門は呼吸器外科学。学位は、医学博士。国立がんセンター名誉総長。東京都済生会中央病院名誉院長。神奈川県出身。 1987年度高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。
西山 浅次郎(にしやま あさじろう、1926年5月20日 -… 西山 浅次郎(にしやま あさじろう、1926年5月20日 - 2021年3月30日)は、英文学者、慶應義塾大学名誉教授。 茨城県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部英文科卒、1958年慶大法学部講師、64年助教授、71年教授、1989年定年退任、名誉教授、杏林大学教授。
槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010… 槇田 仁(まきた ひとし、1926年4月10日 - 2010年)は、心理学者、筆跡学者、慶應義塾大学名誉教授。 山梨県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部哲学科心理学専攻卒業。52年同大学院修士課程修了、東京少年鑑別所技官、1954年中京大学講師、1955年精神医学研究所心理室所員、主任。1964年「パースナリティに於ける指向性の研究 生活態度乃至興味の基礎的一側面について そのdimensionの設定並びにテスト化」で慶大文学博士。1969年慶應義塾大学文学部助教授、71年教授。92年定年退任、名誉教授。槇田パーソナリティ研究所理事長・所長。専攻、パーソナリティ、人事・組織心理学、臨床心理学。
保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、… 保崎 秀夫(ほさき ひでお、1926年3月12日 - )は、日本の医学者・精神科医。専門は、精神病理学・司法精神医学。慶應義塾大学名誉教授。学位は、医学博士(慶應義塾大学・1960年)。 神奈川県川崎市生まれ。1948年慶應義塾大学医学部医学科卒業。後に東京学芸大学助教授。1960年医学博士(慶応義塾大学)。1968年慶應義塾大学精神神経科教授。慶應義塾大学医学情報センター長、慶應義塾大学病院院長を歴任。1991年慶應義塾大学名誉教授。
松本 隆信(まつもと りゅうしん、1926年3月11日 - … 松本 隆信(まつもと りゅうしん、1926年3月11日 - 1993年2月16日)は、日本の国文学者、書誌学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京市麻布区(現・東京都港区元麻布)生まれ。1943年に慶應義塾普通部(旧制)修了、1948年に慶應義塾大学文学部文学科(国文学専攻)卒業。 1959年に同大学専任講師、1961年に同大学附属研究所斯道文庫専任講師、1965年に助教授、1974年に教授。1975年に「中世における本地物の研究」で文学博士。1982年から1987年まで斯道文庫長、1988年に定年退任、名誉教授。1989年に『室町時代物語大成』の編纂で角川源義賞受賞。 1993年、肺炎のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国… 西村 亨(にしむら とおる、1926年1月25日- )は、国文学・民俗学者、慶應義塾大学名誉教授。
大出 晁(おおいで あきら、1926年 - 2005年2月8… 大出 晁(おおいで あきら、1926年 - 2005年2月8日)は、日本の哲学者。慶應義塾大学・創価大学名誉教授。 東京で蒲田病院医師・大出俊夫の子に生まれる。母の兄は児童文学作家の小出正吾。 慶應義塾大学文学部哲学専攻卒業。1952年よりパリ大学ソルボンヌ校、アンリ・ポアンカレ研究所、ベルギーのルーヴァン大学哲学研究所。1958年慶應義塾大学文学部助教授、1965年教授。慶應義塾常任理事、同図書館長、同文学部長、同大学院文学研究科委員長。1982年「論理と経験世界」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1990年慶應大学定年退職、名誉教授、創価大学文学部教授。2001年退職、名誉教授。
佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1… 佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1988年3月23日)は、日本の美術史家、陶磁器研究家。東洋美術史、中国、日本の陶磁史を研究。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部芸術学科卒。1951年大阪市立美術館学芸員、学芸課長、1972年京都市立芸術大学教授、1980年学長。北海道立近代美術館館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
西村 皓(にしむら ひろし、1925年(大正14年)9月25… 西村 皓(にしむら ひろし、1925年(大正14年)9月25日 - 2018年(平成30年)5月3日)は、日本の教育学者、哲学者。慶應義塾大学名誉教授、元慶應義塾常任理事。 東京生まれ。1945年復員、慶應義塾大学文学部教育学科卒、同大学院、助手、1953年慶大文学部助教授、教授、1991年定年退任、名誉教授。 2018年5月3日、老衰のため、川崎市の介護施設で死去、92歳。
君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 20… 君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 2023年6月8日)は、日本の中国文学者・民族学者。国立民族学博物館名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学名誉教授。 栃木県出身。慶應義塾大学文学部卒業。旧・東京都立大学大学院修士課程修了。国立民族学博物館教授を務め、1990年に定年退任し名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学・岐阜聖徳学園大学教授。中国中央民族大学および雲南大学名誉教授。 中国児童文学研究会代表として『西遊記』『王さまと九人のきょうだい』など、多くの中国の昔話・民話の翻訳・研究著書を刊行している。
木村三生夫(きむら みきお、1925年 - )は、日本の小児… 木村三生夫(きむら みきお、1925年 - )は、日本の小児医学者。慶應義塾大学医学部教授・東海大学医学部教授を経て、東海大学名誉教授。 東京都出身。慶應義塾大学医学部卒、同大学院医学研究科(小児科学専攻)修了。1958年医学博士。慶大医学部教授を経て東海大学医学部教授(小児科)。東海大学名誉教授。社会福祉法人信泉会理事、介護老人保健施設とわだ施設長。
小川 恭一(おがわ きょういち、1925年 - 2007年9… 小川 恭一(おがわ きょういち、1925年 - 2007年9月25日)は、日本の歴史家、事典編纂者。 東京府生まれ。慶應義塾大学卒業。1943年、慶應義塾大学在学中に、奥野信太郎教授の紹介で三田村鳶魚に師事、徳川幕府関係の記録を譲り受け、帝国図書館に勤務した。戦後は会社員となり、1980年代より研究を再開。大名・旗本・御家人といった徳川幕府制度の実態を明らかにした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 20… 大塚 保治(おおつか やすじ、1924年10月5日 - 2011年2月28日)は、日本の工学者。工学博士。元慶應義塾大学理工学部長。専門分野は高分子化学。 横浜市出身。慶應義塾大学工学部応用化学科卒業、工学博士。慶應義塾大学理工学部教授、理工学部長、財団法人慶應工学会顧問を歴任した。 1989年(平成元年)繊維学会会長。2002年(平成14年)勲三等旭日中綬章受章。 藤井光雄研究室出身。 慶應義塾大学理工学部教授の川口春馬、小池康博は大塚研究室の出身である。 2011年2月28日、胃がんのため東京都新宿区の病院で死去。86歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
喜田川 信(きたがわ しん、1924年7月20日 - )は、… 喜田川 信(きたがわ しん、1924年7月20日 - )は、日本の牧師、神学者。熊本県出身。 慶應義塾大学文学部哲学科、同志社大学神学部卒業後、フラー神学校、テュービンゲン大学留学を経て、日本ナザレン教団を代表する神学者として多くの著作活動を行っており、日本ナザレン教団横浜教会牧師。日本基督教短期大学の学長も歴任した。 ジェームズ・バー(英語版)の『ファンダメンタリズム-その聖書解釈と教理』を訳したことが福音派で問題となった。日本の福音派を代表する機関である日本福音同盟は「偏見に基づいた福音派攻撃の本」がナザレン教団の指導者によって翻訳、出版されたことは重いとしている。これら聖書の無誤性についての聖書論論争を経て、喜田川の立場とは異なる全的無誤性が福音派の合意として確認された。
伊藤 清司(いとう せいじ、1924年5月27日 - 200… 伊藤 清司(いとう せいじ、1924年5月27日 - 2007年6月16日)は、日本の中国文化学者。慶應義塾大学名誉教授。 1924年岩手県生まれ。1947年慶應義塾大学文学部史学科を卒業。同大学大学院に進学し、1959年に博士課程を満期退学した。 1962年、母校の慶應義塾大学文学部専任講師となり、後に助教授、1970年より教授。1984年からは同大学言語文化研究所所長も務めた。1991年、学位論文『東アジア民間説話の比較研究』を慶應義塾大学に提出し、文学博士号を取得。1988年に慶應義塾大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は杏林大学外語学部教授として教鞭をとり、学部長もつとめた。また、中国雲南大学名誉教授。
加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月1… 加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月13日 - 2006年(平成18年)5月29日)は日本の医学者。元慶應義塾看護短期大学学長。日本腎臓学会名誉会員。 1947年慶應義塾大学医学部卒業、同内科学教室副手。1949年同助手。1954年から55年までロックフェラー財団研究員としてイェール大学に留学。1955年、医学博士の学位を取得。1960年から63年まで国立栃木病院内科部長。1964年から72年まで慶應義塾保健管理室主任、慶應義塾大学医学部講師。1973年同助教授。 1988年、慶應義塾看護短期大学教授・学長に就任。1991年、定年退職。 2006年5月29日、前立腺がんのため死去。
荒井 保男(あらい やすお、1924年- )は、日本の医師、… 荒井 保男(あらい やすお、1924年- )は、日本の医師、随筆家、歴史家。 茨城県生まれ。1949年横浜市立医学専門学校卒。1956年「アミノ酸尿に關する研究」で横浜市立大学医学博士。1964年慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。66年「老年期の心理学的研究」で慶大文学博士。開業の傍ら、横浜市立大学医学部講師、放送大学客員教授。飯山医院名誉院長、日本エッセイストクラブ会員。92年度日本医師会最高優功賞(学術)受賞。2004年度日本医史学会総会会長。
渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 197… 渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 1972年11月4日)は、日本の医師・医学者。また慶應義塾大学医学部教授。専門は微生物学。胃癌のため慶應病院で死去、享年49。 岐阜県岐阜市出身。1948年に慶應義塾大学医学部を卒業後、微生物遺伝学を専攻し、この立場から1972年に胃癌で倒れるまで、細菌の薬剤耐性獲得の機序の研究に終生をかけ、多くの成果を通じて近代分子生物学上のみならず、治療医学ならびに公衆衛生学上重大な貢献を成し遂げた。 研究生活前半の約10年間は当時結核治療に福音をもたらしたストレプトマイシンに対し、細菌がどのような機作によって耐性を獲得するかを、遺伝学的に詳細に検討し、いわゆる「自然突然変異および選択説」を実験的に明らかにした。
印東 太郎(いんどう たろう、英: Tarow Indow、… 印東 太郎(いんどう たろう、英: Tarow Indow、大正12年(1923年)8月22日 - 平成19年(2007年)9月22日)は、日本またはアメリカの数理心理学者、計量心理学者、実験心理学者、文学博士。慶應義塾大学及びカリフォルニア大学アーバイン校名誉教授。国際色彩学会(AIC) の会長も務めた。
千住 鎮雄(せんじゅ しずお、1923年7月14日 - 20… 千住 鎮雄(せんじゅ しずお、1923年7月14日 - 2000年9月2日)は、日本の工学者。慶應義塾大学名誉教授、工学博士(慶應義塾大学、1960年)。
佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013… 佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013年)は、日本の心理学者、慶應義塾大学名誉教授。 北海道生まれ。1933年より徳島で育つ。1944年応召、軍曹で敗戦。1949年慶應義塾大学文学部心理学科卒、慶大助手、1956年慶大文学部専任講師、1957年助教授、1964年「パースナリティ診断におけるテスト・バッテリィの構成 SCT,INT,TATによる構成」で慶大文学博士。1965年教授、1988年定年、名誉教授、東京国際大学教授、1992 - 1995年特任教授、1995年同常任理事。イリノイ大学訪問研究員など。
生田 正輝(いくた まさき、1923年2月6日 - 2012… 生田 正輝(いくた まさき、1923年2月6日 - 2012年5月7日)は、日本の社会学者・大衆伝達学者。学位は、法学博士(慶應義塾大学・1960年)。慶應義塾大学名誉教授。勲二等旭日重光章受章。 兵庫出身。1941年慶應義塾大学予科入学、1943年学徒動員にて応召、1944年陸軍延吉予備士官学校卒業、1945年復員復学、1947年9月慶應義塾大学法学部政治学科卒業。10月助手、1951年助教授、1957年教授、1960年「マス・コミュニケーションの諸問題」で法学博士の学位を取得。同年ハーバード大学訪問研究員、1969年慶應義塾常任理事、1972年塾長代理、1973年慶應義塾大学新聞研究所長、1977年慶應義塾大学法学部長、1988年定年、慶應義塾大学名誉教授、常磐大学教授、1979年日本新聞学会会長、1991年郵政省(現総務省)電波監理審議会会長、2000年勲二等瑞宝章受章、2012年逝去(89歳)。
沼野一男(ぬまの いちお、1923年 - 2013年3月)は… 沼野一男(ぬまの いちお、1923年 - 2013年3月)は、日本の教育工学者。 東京生まれ。1949年慶應義塾大学文学部教育学科卒、玉川学園中等部・高等部教諭、東邦大学助教授、教授、玉川大学教授。94年退職。
中村 秀一郎(なかむら ひでいちろう、1923年(大正12年… 中村 秀一郎(なかむら ひでいちろう、1923年(大正12年) - 2007年(平成19年)10月20日)は、日本の経営学者、多摩大学名誉学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月… 高鳥 正夫(たかとり まさお、大正11年(1922年)11月3日 - 平成11年(1999年)12月31日)は、日本の法律学者。短期大学基準協会会長、東横学園女子短期大学学長等を歴任。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 新潟県長岡市生まれ。 昭和22年(1947年)に慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、助手、助教授を経て、1957年(昭和32年)から1986年(昭和61年)まで教授。専攻は商法だが、証券取引法及び経済法など研究業績の幅が広い。津田利治が創設した慶應義塾大学商法研究会を継承した。 法務省法制審議会商法部会委員、大蔵省公認会計士審査会委員、大蔵省企業会計審議会委員などを歴任し、昭和57年まで慶應義塾図書館長、慶應義塾研究・教育情報研究センターの立ち上げを主導した。
森岡 敬一郎(もりおか けいいちろう、1922年9月9日 -… 森岡 敬一郎(もりおか けいいちろう、1922年9月9日 - 2020年7月29日)は、日本の西洋史学者。慶應義塾大学・創価大学名誉教授。イングランド中世制度史に関する論文・著作がある。 1947年慶應義塾大学文学部卒業。 1956年慶應義塾大学文学部 助教授、1959年ハーバード燕京研究所 Visiting Scholar、1965年から1988年慶應義塾大学文学部教授、1971年慶應義塾大学大学院研究科委員。 1985年から1987年にかけて三田史学会会長。1986年Royal Historical Society Fellow。 1988年慶應義塾大学名誉教授、創価大学文学部教授。1998年創価大学名誉教授など。
中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 20… 中谷 瑾子(なかたに きんこ、1922年8月23日 - 2004年6月23日)は、日本の法学者。専門は刑法。学位は博士(法学)(慶應義塾大学・論文博士・2001年)(学位論文「21世紀につなぐ生命と法と倫理:生命の始期をめぐる諸問題」)。慶應義塾大学名誉教授、大東文化大学名誉教授。山形県酒田市出身。 長男は慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)特任教授で前WHO(世界保健機関)執行理事会議長を務めた中谷比呂樹(慶應義塾大学医学部卒業)。 1970年4月から翌年3月まで、ヨーロッパ諸国の大学、矯正施設を視察。厚生労働省の諮問機関「厚生科学審議会」の委員として医療法分野での功績の他、公安審査委員会委員としてオウム真理教の破壊活動防止法適用の審査(オウム真理教破壊活動防止法問題)を行った。
伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016… 伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016年?)は、日本の法学者(民事訴訟法)。慶應義塾大学名誉教授。 幼稚舎から大学まで慶應義塾に学ぶ。1960年「民事訴訟法研究」で法学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1948年4月慶應義塾大学法学部助教授、1953年4月教授、1986年定年、名誉教授。日本民事訴訟法学会の設立メンバー。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉… 野村 実(野村 實、のむら みのる、1922年〈大正11年〉4月16日 - 2001年〈平成13年〉5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史学者。滋賀県出身。 専門は日本海軍史。防衛大学校教授、名古屋工業大学教授、軍事史学会会長を歴任した。学位は文学博士(慶應義塾大学)。最終階級は海軍大尉。 滋賀県彦根市生。旧制彦根中学校を経て海軍兵学校入校(第71期)。1942年(昭和17年)卒業(次席)。 空母「瑞鶴」、戦艦「武蔵」乗組、軍令部第1部付(作戦記録係)で太平洋戦争を経験、海軍兵学校教官で終戦を迎える。 終戦後は復員庁で極東国際軍事裁判海軍被告人弁護事務を担当。海軍大尉の経歴のため公職追放となる。
藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2… 藤川 正信(ふじかわ まさのぶ、1922年4月13日 - 2005年3月10日)は、日本の図書館情報学者、翻訳家。 横浜市生まれ。愛媛県出身。東京大学文学部哲学科、慶應義塾大学文学部図書館学科で学ぶ。ジョージ・ピーボディ大学大学院図書館学修了。慶應義塾大学文学部助教授、教授、大東文化大学経済学部教授、図書館情報大学教授、1987年同大学学長。1991年退任。愛知淑徳大学教授。 1981年「オーデュボンソサイエテイブック」で日本翻訳出版文化賞受賞。
村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年… 村井 実(むらい みのる、1922年3月6日 - 2024年10月18日)は、日本の教育学者。慶應義塾大学名誉教授。 佐賀県東松浦郡北波多村芳谷炭鉱(現:唐津市)の商店で7人兄妹の長男として生まれる。旧制唐津中学、広島高等師範学校英語科を経て、1944年広島文理科大学教育学科卒業。長崎青年師範学校助教授、同時に東部四六部隊の見習士官で終戦。1961年「教育的思惟の性格 ソクラテス研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。 1948年慶應義塾大学文学部講師、1949年助教授、1961年教授、1962-66年慶應義塾女子高等学校校長、1987年定年、名誉教授、大東文化大学教授。ハーバード大学、テュービンゲン大学、ケルン大学、プリンストン高等研究所などの欧米の大学・研究所で教育哲学・思想史の研究を行った。
羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出… 羽鳥 卓也(はとり たくや、1922年 - 2012年[要出典])は、日本の経済学者、岡山大学名誉教授。アダム・スミス、デヴィッド・リカードなどの古典派経済学を研究した。 岐阜県生まれ。1947年、慶應義塾大学経済学部卒業。専修大学経済学部助教授、福島大学経済学部助教授、1962年、「古典経済学の研究」で名古屋大学経済学博士。福島大教授、岡山大学法文学部教授。1985年経済学史学会代表幹事。1988年、定年退官、熊本学園大学教授。
久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日… 久野 洋(くの ひろし、1921年(大正10年)11月18日 - 1988年(昭和63年)5月27日)は日本の化学者。慶應義塾大学工学部(現理工学部)教授。慶應義塾長。慶應義塾長に工学部出身者が就任するのは久野が初めてであった。日本私立大学連盟会長。 父は生理学者で名古屋大学名誉教授の久野寧。妻の祖父は司法官僚の松室致。 1944年9月慶應義塾大学工学部卒業。同年10月から1945年9月まで文部省大学院特別研究生となる。1946年10月工学部助教授、専攻は応用化学。 1960年3月、慶應義塾大学工学博士。論文の題は「粉体の物理化学的性質とその応用の研究」。 同年8月アメリカのミシガン大学に招聘留学し、1961年10月帰国、1962年4月1日大学教授となる。
高橋 茂(たかはし しげる、1921年4月1日 - 2005… 高橋 茂(たかはし しげる、1921年4月1日 - 2005年11月22日)は、日本の工学者。東京工科大学名誉教授。工学博士。 慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。1944年6月、慶應義塾大学卒業前に運輸通信省電気試験所第5部に入所する。 1953年に「電気絶縁材料の誘電特性とその測定法の研究」において、慶應義塾大学第一号となる工学博士の学位を授与された。 その後トランジスタ計算機の開発に着手し、ETL Mark IIIを完成させた。ETL Mark IIIは、日本では2番目、トランジスタ式計算機としては日本初の電子式コンピュータである。 さらに次いで、接合型トランジスタの採用で安定性を増し、多くの計算機メーカーが製品化のベースとしたETL Mark Ⅳを完成させるなど、国産電子計算機の発展に大きな貢献をした。
安藤 英治(あんどう ひではる、1921年3月3日 - 19… 安藤 英治(あんどう ひではる、1921年3月3日 - 1998年12月17日)は、日本の社会学者。成蹊大学名誉教授。マックス・ヴェーバーの研究者であった。東京出身。 社会思想史面や人物としてのヴェーバー研究を行った。また剣道家で、成蹊大学剣道部の顧問を務めた。ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳、岩波文庫)精読を、竹刀の素振りにも喩えている(なお晩年接した弟子によると、読み潰し3冊目を買い直していた)[要出典]。ゼミの指導学生に杉原哲彦(元東亜大学教授)などがいる。
佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2… 佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2007年9月9日)は、医学博士、弘前大学名誉教授(衛生学)、疫学者。 1921年1月17日東京都港区三田綱町に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1943年9月慶應義塾大学医学部卒業。1956年弘前大学医学部教授(衛生学)に就任。1986年退官、弘前大学名誉教授の称号を授与される。2007年9月9日午後9時頃、脳卒中のため青森県弘前の自宅で死去(享年86)。墓所は東京都港区の青山霊園。二男は指揮者の佐々木修。幕末の豪商伊藤八兵衛の曾孫。渋沢栄一の後妻の兼子は伯叔母にあたる。 1974年日本における高血圧の疫学的研究について毎日学術奨励賞、1981年衛生学青森県褒賞、1983年青森県の特産物であるりんごの高血圧予防効果を世界にさきがけて指摘したことにより木村甚弥賞(りんご顕彰会)、1986年脳卒中・高血圧予防についての疫学研究と地域住民の保健活動の推進の貢献に対し保健文化賞(厚生大臣賞))、1995年勲三等旭日中綬章、1996年、脳血管障害に関する基礎的臨床的研究分野における多大の貢献に対し美原賞、同年日本公衆衛生学会推薦により中冨健康科学振興賞、2002年青森りんごの発展に貢献した功績により青森りんご勲章を授与された。
中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 -… 中鉢 正美(ちゅうばち まさよし、1920年12月30日 - 2013年7月11日)は、日本の経済学者、経済心理学研究者、慶應義塾大学名誉教授。 「生活」をキーワードに、心理学・生態学の視点を加えて人間の経済行動を学際的に研究し、「生活構造論」の方法を確立する傍ら、行政の各種諮問委員として幅広くフィールドワークを行い、日本の社会政策、社会保障の充実に寄与した。元(財)地域開発研究所所長。第4回今和次郎賞受賞。 (「回想・林試の森」(1995)P.203~205より作成) 趣味は、動物生態・能面鑑賞。 カトリック目黒教会(聖アンセルモ教会)の教会員であり、自身の洗礼名もアンセルモ(アンセルムス)。
西川 新次(にしかわ しんじ、1920年(大正9年)12月1… 西川 新次(にしかわ しんじ、1920年(大正9年)12月11日 - 1999年(平成11年)9月18日)は、日本彫刻史学者。慶應義塾大学名誉教授。 1920年12月、福井県武生市(現:越前市)蓬莱の商家に生まれる。慶應義塾大学に進学した。 日本彫刻史の研究を志すきっかけは、和辻哲郎の著『古寺巡礼』の名文に刺激されて日本美術の仏像彫刻に興味を覚えた。慶應の文学部在学時に、生涯の師となる丸尾彰三郎の門を敲く。 1943年9月、同大学文学部哲学科(芸術学専攻)を卒業し、東京帝室博物館に採用となり、列品課勤務(技術雇員)。 1947年5月、国立博物館陳列課勤務(文部技官)。1950年9月文化財保護委員会保存部美術工芸課に配置換。
渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4… 渡邉 渡(わたなべ わたる、1920年9月 - 2011年4月21日)は、日本の経済史学者。特に明治維新の時期を中心とした日本経済史を専門とした。前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長、学長(1984年 - 1988年)を歴任した。 1920年東京に生まれる。大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業した。商工組合中央金庫勤務を経て、1946年に大倉経済専門学校と改称していた母校の講師となった。1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、専任講師となり、1951年に助教授、1958年に教授と昇進した。
高橋 吉之助(たかはし きちのすけ、1920年4月25日 -… 高橋 吉之助(たかはし きちのすけ、1920年4月25日 - 1992年5月13日)は、日本の会計学者。 福岡県福岡市博多出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒、1966年「近代勘定理論の展開 企業会計の基本構造に関する一省察」で経済学博士。慶大理工学部講師、助教授を経て、教授。1986年定年となり、名誉教授、武蔵工業大学教授を務めた。
中島 陽一郎(なかじま よういちろう、1920年 - 200… 中島 陽一郎(なかじま よういちろう、1920年 - 2000年8月)は、日本の歴史家、官僚。 東京都生まれ。1943年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東亜研究所調査員・衆議院参事。国立国会図書館主査。
神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 … 神津 善三郎(こうづ ぜんざぶろう、1919年12月31日 - 2002年5月15日)は日本の教育学者。専門は日本教育史。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ、同郡小諸町(現小諸市)出身。旧制上田中学(現長野県上田高等学校)を経て、1944年慶應義塾大学文学部卒業。長野県短期大学(現長野県立大学)講師をへて、1961年教授、1976年学長就任。1984年長野大学学長に就任。1961年教育学博士(慶應義塾大学)(論文タイトルは『近代日本における義務教育の就学に関する研究:長野県における学齢期勤労児童の場合』) 長野県地方自治研究センター理事長やコープながの理事長を歴任した。1993年勲三等旭日中綬章。