小林 政子(こばやし まさこ、1924年2月29日 - 20… 小林 政子(こばやし まさこ、1924年2月29日 - 2008年6月28日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(日本共産党公認)を5期務めた。日本共産党名誉幹部会顧問。 新潟県出身。日本大学を卒業後の1944年小学校教諭に就任。東京都教職員組合(都教組)足立支部執行委員婦人部長や全日本自由労働組合(全日自労)足立分会執行委員婦人部長を経て、1951年に足立区議(4期)、1967年には東京都議にそれぞれ当選する。 1969年の衆院選で旧東京10区(足立・葛飾・江戸川区)から出馬し初当選。この選挙では小林のほか、同じく共産党から不破哲三前議長や山原健二郎ら、自民党では森喜朗元首相や浜田幸一など、後に党・政界を牽引する人士が初当選を飾ったことから、「花の昭和44年組」とも称される。
井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2… 井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2000年1月1日)は、日本の写真家、城郭研究家、ワイン評論家。推理小説も手がけた。 愛媛県宇和島市生まれ。日本大学農学部拓殖学科に在学中に学徒出陣し、名古屋の高射砲兵科に配属。陸軍病院に入院中、名古屋大空襲により名古屋城天守閣が焼け落ちる様子を目撃している。これを機に、城郭に関心をもち続けた。 戦後は公職追放を受け一時帰郷。復学後、元担任教授の今村忠助の勧めで新設の新聞学科を卒業。カメラマン編集者として雑誌・新聞社に勤務。1955年2月日本城郭協会を設立し、代表世話人に就任。のちに常務理事を務めた。 1964年、井上フォトプロダクションを設立。
前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年… 前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。東京府出身。 日本大学芸術学科卒業。1950年6月、田中明夫、真木恭介、西乃砂恵、高城淳一、三島雅夫とともに劇団七曜会の創立に参加、1955年、劇団葦の創立に参加、その後、フリーランス期間、風の会を経て、プロダクション・エムスリーに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 20… 岡安 大仁(おかやす まさひと、1924年1月9日 - 2017年1月12日)は栃木県出身の医学者。 栃木町入舟町(現・栃木市入舟町)に生まれる。旧制栃木県立栃木中学校を経て、日本大学医学部卒業。元日本大学医学部教授。 元日本歯科大学客員教授。ピースハウス病院ホスピス最高顧問。信愛病院ホスピス棟顧問。 兄の岡安恒武は詩人・歯科医、その妻の岡安歌子は日本画家であった。
石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月2… 石原 明(いしはら あきら、1924年 - 1980年7月23日)は、医学者、東洋医学研究者。 日本大学医学科卒、1952年「幼態心臓の生理学的研究」で日大医学博士。横浜市立医学専門学校教員、横浜市立大学医学部専任講師、助教授。日本東洋医学会設立に参加。
太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月2… 太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月26日 - 1998年〈平成10年〉11月20日)は、日本の俳優。大宰 久雄と表記されることもある。 映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは見所のひとつであった。 東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区浅草千束)出身。浅草の荒物雑穀商、海苔問屋・佐野屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている。この独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているため、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった。
只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月… 只野 通泰(ただの みちやす、1923年〈大正12年〉12月18日 - 2015年〈平成27年〉7月18日)は、宮城県白石市出身の作曲家、編曲家。 1944年、日本大学芸術学部音楽科作曲専攻卒業。終戦を清津で迎え、ソ連軍との交戦の後、捕虜としてシベリアに抑留される。抑留中に竹山逸郎が後に大ヒットさせることになる「異国の丘」(吉田正作曲)をアコーディオンで伴奏し、同胞に歌わせ元気づけていた。その様子は日本国内でも報道され、「異国の丘」の作曲者でもある吉田正も知っていたと言われる。 1949年10月に復員し、東京都文京区立第六中学校で音楽科教諭として教鞭をとる中、「異国の丘」の縁で吉田正と運命的に出会う。
齊藤 喜久蔵(さいとう きくぞう、1923年11月30日 -… 齊藤 喜久蔵(さいとう きくぞう、1923年11月30日 - 2003年9月8日)は、日本の技術者・実業家。大昭和製紙社長・会長を務めた。 静岡県出身。齊藤知一郎の三男。大昭和製紙2代目社長の齊藤了英(知一郎の長男)と政治家で静岡県知事を務めた齊藤滋与史(知一郎の次男)は兄、政治家で防衛庁長官を務めた齊藤斗志二(了英の次男)と大昭和製紙監査役の齊藤知三郎(了英の三男)、ジーク証券元会長兼社長の齊藤四方司(了英の四男)は甥。トヨタ自動車名誉会長豊田章一郎は次兄・滋与史の義兄にあたる。日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)卒。 知一郎の5人の息子の中で唯一技術者の道を歩み、大昭和製紙入社後は技術部長、白老工場長等を歴任した。
阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 19… 阿部 桂一(あべ けいいち、1923年11月11日 - 1991年8月15日)は、日本の脚本家である。 筆名は別に新井 啓(あらい けい)がある。日本シナリオ作家協会会員・功労賞受賞者、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。フジテレビジョン映画部の五社英雄が手がけたテレビ映画『トップ屋』、『刑事』で頭角を現し『三匹の侍』の成功で知られる。テレビの代表作はほかに『SFドラマ 猿の軍団』、『佐武と市捕物控』等、劇場用映画の代表作には『花と怒濤』等がある。 1923年(大正12年)11月11日、宮城県に生まれる。『放送作家年鑑 1966』の阿部の項には東京府(現在の東京都)に生まれた旨の記述がある。
岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 19… 岩城之徳(いわき ゆきのり、1923年11月3日 - 1995年8月3日)は、日本近代文学研究者、日本大学名誉教授。文学博士。石川啄木の実証的研究の基礎を築いた。 愛媛県松山市に生まれる。父は今治商業銀行(伊予銀行の前身の一つ)勤務から独立して商社を起こしたが失敗、伊予合同銀行(伊予銀行の前身)に復職後1947年に死去した。母は河東碧梧桐の縁者の出身であった。 日本大学法文学部文学科在学中の1943年11月に学徒出陣により従軍し、最終的に中国南部から1946年3月に復員、復学した。在学中の1947年には、開校したばかりの墨田区立隅田第二中学校で、日大OBの校長からの依頼により学生の身分で国語の専任授業嘱託となる。
服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 201… 服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 2012年2月27日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)、ノンプロ野球指導者・組織運営者。右投右打。
野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - … 野長瀬 三摩地(のながせ さまじ、1923年8月30日 - 1996年5月23日)は、日本のテレビ監督、脚本家。京都府京都市出身。別名:南川 竜、南川 龍。 父は大正画壇で活躍した野長瀬晩花。伯父はトピー工業創業者の一人である野長瀬忠男。 野長瀬氏の末裔で、本名の三摩地は仏教用語のサマディー(三昧)にちなんで名付けられた。 幼少より父に連れられてよく映画を観に行き、映画制作の道を志す。 1946年に日本大学芸術学部映画学科を卒業し、東宝に入社。渡辺邦男、青柳信雄、本多猪四郎らの助監督を務め、主に杉江敏男監督作品に従事。黒澤明監督の『蜘蛛巣城』『どん底』(1957年)、『隠し砦の三悪人』(1958年)ではチーフ助監督を務めた。
田中 完一(たなか さだかず、1923年(大正12年)8月2… 田中 完一(たなか さだかず、1923年(大正12年)8月29日 - 1985年(昭和60年)7月8日)は、日本の自然保護運動家、医師である。 宮城県志津川町(現在の南三陸町)に生まれる。実家は個人経営の病院であり日本大学医学部に入学し、卒業後は故郷に帰省し家業を継ぐため当病院の医師として活動した。 その後独立して田中自身が開業した病院を建てた後に、1953年(昭和28年)に医師として勤務す傍らに子供たちを中心に愛鳥教育を行う目的で私有財産を投資して「志津川愛鳥会」の設立に携わる。その後は野鳥の保護活動やその業績を描いた著書の執筆も行った。 この項目は、環境に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:環境)。
長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 20… 長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 2008年1月10日)は、日本の作曲家。 東京出身、日本大学芸術学部を卒業。作曲を清瀬保二に師事した。1964年、現代邦楽の演奏団体である日本音楽集団が設立された際、創設メンバーの一人となった。1990年、紫綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2… 永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2018年2月23日)は、東京都小金井市長(2期)。 1923年東京府に生まれる。日本大学法学部卒。卒業後は国鉄に入り、日本社会党東京都本部執行委員となる。 小金井市議会議員を2期務め、1971年市長に就任。 革新市政を行い、 ごみやし尿を収集する多摩清掃公社を直営化、 学校など30の市施設に各々3人配置の90人の準職員を配置などを行なった。 小金井市長を2期務め、1979年に市建設部長の星野平壽に市長を譲った。 2018年2月23日に94歳で亡くなった。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
岡部 正(、1923年〈大正12年〉5月11日 - 没年不詳… 岡部 正(、1923年〈大正12年〉5月11日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。 同姓同名で医学博士の岡部正とは別人である。 1923年(大正12年)5月11日、埼玉県入間郡飯能町(現・飯能市)に生まれる。日本大学芸術科を卒業。 小学校教諭を経て東宝の専属俳優となり、戦後の早い時期から1970年代前半にかけて、ジャンルを問わず多くの作品に出演した。主に端役、時には脇役として活躍。 東宝特撮映画も多く出演し、学者や医師、またはそれらの助手など白衣の役が多い。また、クレージー映画の出演も多数ある。 1960年代にはテレビドラマにも出演。ウルトラシリーズでは、1966年(昭和41年)に放送された『ウルトラQ』の一の谷博士(江川宇礼雄)の助手・本多や、翌1967年(昭和42年)に放送された『ウルトラセブン』の医師・キタムラ博士を演じた。
関 喜誉仁(せき きよひと、1923年4月13日 - 没年不… 関 喜誉仁(せき きよひと、1923年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家である。旧漢字表記関 喜譽仁、別名に沖 全吉(おき ぜんきち)、沖 弘次(おき こうじ)。 allcinema等での読み「せき きよじ」は誤りである。 1923年(大正12年)4月13日、関東州大連市(現在の中華人民共和国遼寧省大連市)に生まれる。 旧制中学校に在学中、校内での月1度の選定上映で映画に夢中になり、東京に出て、日本大学法文学部芸術学科映画専攻(現在の日本大学藝術学部映画学科)に入学する。同学在学中に、マキノ雅弘(当時は正博)に個人的に師事する。関が満18歳であった1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が開戦し、やがて戦況は激化、応召して1944年(昭和19年)9月に同学を繰り上げ卒業する。
武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012… 武田 郁夫(たけだ いくお、1923年4月6日 - 2012年7月4日)は、日本の製造技術者、実業家。タケダ理研工業(現在のアドバンテスト)創業者。 愛知県出身。1943年4月に日本大学旧工学部電気科に入学した。1944年に学徒動員により逓信省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)の神代分室に勤務した。 1945年日本大学電気工学科卒。戦後の1945年11月に電気試験所に正式に採用された。 1950年11月にレッドパージにより電気試験所を退職し、千野製作所(現在のチノー)を退職した3人の技術者とともに八島製作所を創業した。 その後、1954年6月に愛知県豊橋市でタケダ理研工業株式会社を設立した。
菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年… 菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の政治家、医師。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 参議院議員(連続2期・在職12年)、日本医師会常任理事。医学博士(新潟大学)。 宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。 1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区に日本社会党から出馬し初当選、連続二期。参議院厚生委員会理事、地方行政委員長、環境特別委員長を歴任。
石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1… 石原 豪人(いしはら ごうじん、1923年3月15日 - 1998年6月19日)は、日本のイラストレーター。別ペンネームに林月光(はやし げっこう)。本名:石原徹。島根県簸川郡大社町出身。日本大学芸術学部中退。 18歳で満州に渡り、映画看板などを描く。体調を崩したため、1955年頃(昭和30年)から挿絵画家としての仕事を始める。以後40年間にわたって精力的に描き続けた。 テレビがなかった時代の映画の看板から始まり、光文社の江戸川乱歩シリーズの挿絵(『魔法人形』ほか数巻のみ)、立風書房のジャガーバックスシリーズを始めとする怪奇系児童書、小学館の「なぜなに学習百科」シリーズ、各社の学年誌・少年雑誌・少女雑誌の怪獣・怪人・幽霊・妖怪・怪奇現象などのイラストを手がけた。
中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8… 中村 恒也(なかむら つねや、1923年(大正12年)3月8日 - 2018年(平成30年)12月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 山形県酒田市出身。山形県立酒田中学校(現・山形県立酒田東高等学校)を経て、1944年日本大学理工学部機械工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1945年に、別会社である株式会社第二精工舎諏訪工場(第二精工舎諏訪工場→諏訪精工舎→セイコーエプソン〈現〉)に転籍した。1956年機械式腕時計「マーベル」を独自に設計し商品化。1959年自動巻腕時計「ジャイロマーベル」を開発。 1963年に諏訪精工舎取締役に就き、1964年東京オリンピックで使用するクォーツ時計の開発プロジェクトリーダーを務めた。
福田 純(、1923年〈大正12年〉2月17日 - 2000… 福田 純(、1923年〈大正12年〉2月17日 - 2000年〈平成12年〉12月3日)は、日本の映画監督、脚本家。満洲出身。日本大学芸術学部卒業。 1923年、中国吉林省長春県(現・長春市)で生を受ける。父が南満洲鉄道に勤務していたため、幼少期を満洲で過ごす。 1941年(昭和16年)、日本本土へ渡り、松山高等学校へ入学。1943年、日本大学に進学したが、講義にはほとんど出ず、1日の大半を読書と映画鑑賞に費やしていた。在学中、学徒動員に従事。第二次世界大戦中に外地で鑑賞した映画『無法松の一生』に感銘を受け、映画監督を志す。 1946年(昭和21年)、東宝へ入社。助監督募集を聞いて試験に参加し、200人が応募する中で合格であった。
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明… 藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明)は、日本の小説家、推理作家。 伝奇ミステリ「えぞ共和国」シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。 また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出した。 篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている。 東京都生まれ。日本大学国文科卒業。 後に『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。処女作は1955年ごろ『文芸首都』に発表した「作為の他」である。
大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10… 大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10日 - 2011年(平成23年)9月1日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。 現在の山形県最上郡舟形町出身。1940年、東京市経済局に入局。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した。1943年に世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。社会・共産・民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)。
角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 20… 角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 2000年9月20日)は、日本の会計学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)出身。1942年旧制日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。1949年明治大学商学科卒、1977年「営業費分析の研究」で経営学博士の学位を取得。明大経理研究所研究員、1957年明治大学経営学部専任講師、1960年助教授、1966年教授となる。1980-1982年経営学部長を務め、1993年定年、名誉教授。
世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日… 賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日 - 2001年(平成13年)3月9日)は、日本の考古学者。『週刊文春』の報道被害により自死した。 栃木県烏山町(現那須烏山市)出身。1944年(昭和19年)、日本大学法文学部在学中に学徒出陣で応召し、宇佐海軍航空隊に配属。広島市へ原子爆弾が投下された際には九七式艦上攻撃機で広島への偵察を行なった。 1947年(昭和22年)、日大法文学部卒業後、大分県文化財委員会などを歴任し、別府大学文学部教授(後に名誉教授)を務め、大分県を中心に、旧石器時代から中世に至るまでの広範囲の遺跡の発掘調査に関わり、九州の考古学のパイオニアと目された。1963年には別府大学文学部に史学科を設立した。
金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 -… 金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 - 2004年11月29日)は韓国の詩人、文学評論家、国文学者、政治家である。本貫は光山金氏。慶尚南道忠武市(現在の統営市)出身。 代表作は「花」「ブダペストでの少女の死」など、韓国の教科書に収録されることもある。 1922年11月25日、慶尚南道の忠武で生まれる。統営普通学校と京畿中学校を卒業して、日本大学の芸術科に入学したが、1942年12月に不敬罪の疑いにより退学処分になった。 統営中学校、馬山高校の教師、それから馬山の海印大学(現・慶南大学校)、慶北大学校、嶺南大学校などで教授を務めた。文芸振興院の顧問、韓国詩人協会長などを歴任。
山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11… 山谷 親平(やまたに しんぺい、1922年〈大正11年〉11月4日 - 1984年〈昭和59年〉11月28日)は、日本の評論家・ラジオパーソナリティ。福井県出身。日本において実質的な意味で初のラジオパーソナリティであったと言われている。 ジャーナリスト・政治家の山谷えり子(戸籍名は小川恵理子、結婚により改姓)は娘。 実母の実家のあった現在の福井県あわら市(旧・坂井郡芦原町)芦原温泉で生まれる。東京で育ち、日本大学法文学部に進学するが学徒動員となる。1944年(昭和19年)8月、志願して加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)に加わり、3度撃墜されたが生還した。 戦後は産経新聞政治部記者、福井新聞政経部長を経て、1953年(昭和28年)に福井放送に入社。
秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008… 秋谷 豊(あきや ゆたか、1922年11月2日 - 2008年11月18日)は、日本の詩人。詩誌「地球」の創刊者。埼玉文化功労賞受賞者。 埼玉県生まれ。日大三商-日本大学予科中退。堀辰雄や立原道造に影響され詩作を開始する。元日本現代詩人会会長。詩集「砂漠のミイラ」(日本詩人クラブ賞)、「時代の明け方」(丸山薫賞)など。登山家で山や旅の著作も多い。日本現代詩人会議会長、埼玉詩人会会長、世界詩人会議日本大会会長。浦和区元町の自宅は秋谷豊資料室となっている。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月… 竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月25日 - 2004年 <平成16年> 11月2日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(8期)。位階は正四位。 長野県諏訪郡湖東村(現・茅野市)出身。 1946年、日本大学法文学部卒業。日本農民組合中央本部書記となり、1949年に社会党に入党。書記局員、農民部長を経て、1966年から中央執行委員組織局長を3期務めた。 落合寛茂の後継として1969年の第32回衆議院議員総選挙で旧茨城3区に社会党公認で立候補するも次点で落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙では3位で初当選し、以来衆議院議員を8期期務めた他、同年から社会党茨城県本部委員長も6期務めた。
一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 19… 一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 1987年)は、日本の作家。新樹社同人。本名・高橋保。 東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒。歴史・時代小説、麻雀小説などを書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 20… 小沢 茂弘(おざわ しげひろ、1922年8月29日 - 2004年10月12日)は、日本の映画監督、脚本家、占い師、山伏。 戦後、日本映画の最盛期に娯楽性の高い作品を世に数々送り出し、職人監督と評されている。長野県東筑摩郡四賀村出身。 易者・山伏名:小沢 宏瑞(おざわ こうずい)、本名:小沢 茂美(おざわ しげよし)。 少年時代は松本市で上映される無声映画を頻繁に見ていた。1930年に旧制松本中学に入学。日本大学芸術科専門部映画科へ入学し、演劇科には三木のり平、映画科には沼田曜一がいた。在学中の17歳に映画研究会を作り、熊谷久虎・マキノ正博らに講演依頼をしたのが縁で、やがて正博の家に居候をし、薫陶を受ける。
橋本 不美男(はしもと ふみお、1922年8月15日 - 1… 橋本 不美男(はしもと ふみお、1922年8月15日 - 1991年12月25日)は、日本の国文学者。王朝和歌が専門。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1944年9月日本大学法文学部国文科卒業。宮内庁書陵部図書調査官、早稲田大学教授。1990年定年退任。王朝和歌が専門。 『宮内庁書陵部蔵 御所本 三十六人集 全36巻』(橋本不美男 編)新典社、1970年。
石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1… 石丸 進一(いしまる しんいち、1922年7月24日 - 1945年5月11日)は、プロ野球選手(投手・内野手)、大日本帝国海軍軍人。
キノ トール(1922年5月30日〈または5月31日〉 - … キノ トール(1922年5月30日〈または5月31日〉 - 1999年11月29日)は、日本の劇作家、脚本家、演出家。本名は木下 徹(きのした とおる)。東京都出身。テアトル・エコー顧問。妻は、産婦人科医、性医学評論家であるドクトル・チエコ(本名:木下 和子)。 出生時の姓名は松宮 徹。父は東京市世田谷区在住の松宮三郎。のちに木下荘()(満洲パルプ工業常務)の養子となる。俳優の松宮五郎(本名:隆)は、徹の実弟にあたる。 日本大学芸術学部卒業。第二次世界大戦中、予備学生として学徒出陣、海軍航空隊中尉で終戦を迎える。戦後、「独立劇場」設立。「東京青年劇場」を経てテアトル・エコーに入団。脚本家、演出家として劇団活動の基礎を築いた。
鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月… 鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月9日 - 2003年8月30日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教員、実業家、政治家。第7・8代韓国国会議員。本貫は慶州鄭氏(朝鮮語版)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道莞島郡出身。莞島郡薬山初等学校、平安中学校(京都)、日本大学法科卒。上海臨時政府宣撫団参加。全羅南道光州西中学校・莞島中学校教員、莞島郡水産高等学校・長興高等学校校監を務めた後に政界入り、民主共和党結党メンバー・大統領選挙対策委員長・莞島地区党事務局長・全南地区組織部長・宣伝部長、韓国水産技術協会会長、三光物産重役などを務めた。また、1968年12月11日より第11代大韓バドミントン協会会長を務めた。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月2… 大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月26日 - 2004年〈平成16年〉3月17日)は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。 1937年(昭和12年)東京浅草寿町郵便局勤務。その後、日本大学法律科に入るが、1943年(昭和18年)に中退し軍務に就いた。 1948年(昭和23年)全逓信従業員組合中央執行委員。1950年(昭和25年)日本電信電話公社関東電気通信局に移り、1953年(昭和28年)に全電通書記長になる。1958年(昭和33年)委員長に就任。1962年(昭和37年)総評幹事。1970年(昭和45年)から6年間事務局長を務めた。
内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18… 内藤 晋(ないとう すすむ、1922年〈大正11年〉3月18日 - 2007年〈平成19年〉8月11日)は、日本のスピードスケート選手。戦後のスピードスケート界を代表する人物の1人とされ、1951年(昭和26年)にスイスで開催された世界選手権で、日本新記録で優勝を飾った。その実績と将来性から、冬季オリンピックの代表選手に2度選ばれたが、戦争と自身の病気によりその2度とも出場の機会を失い、「不運のアスリート」とも呼ばれる。現役引退後はオリンピック日本代表選手のコーチとして、スケート界の発展に尽くした。 北海道札幌市出身。父の内藤芳雄は、幼少時、まだスケート靴が非常に高価だった時代より、我流でスケートを楽しんで技術を鍛え上げ、成人後は札幌スケート協会の幹事長を務めた。
岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月… 岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月28日 - 2013年(平成25年)6月4日)は、日本の政治家。東京都練馬区長(4期)、練馬区教育長を歴任した。 練馬区出身。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務。在職中に日本大学専門部法律科卒業。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる。練馬区学務課長(1960年-1965年)、庶務課長(1965年-1966年)、納税課長(1966年-1968年)、財務課長(1968年-1971年)、予算課長(1971年)、区民部長(1971年-1973年)などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた。
北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 19… 北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 1994年2月25日)は、日本の男性俳優、声優。劇作家、演出家。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。 1944年、瑞穂劇団に入団。1947年、新協劇団入団。1958年、東京芸術座入団。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属。1965年の時点では劇団砦に所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日… 青木 清相(あおき きよみ、1922年(大正11年)1月6日 - 1995年(平成7年)11月26日)は、日本の法学者。位階は正五位。 専門は法哲学、刑事法。元日本大学法学部教授。 高梨公之博士に師事し、法哲学、刑事法の分野においての業績で有名。 記念論文集に『青木清相教授古稀特別記念号』日本法学第57巻第4号平成4年(日本大学法学会)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 20… 坂本 一亀(さかもと かずき、1921年12月8日 - 2002年9月28日)は、日本の編集者。坂本龍一の父。 福岡県甘木市(現:朝倉市)生まれ。愛称は「ワンカメさん」。 旧制福岡県立朝倉中学校を卒業後、上京。1943年に学徒出陣により、日本大学法文学部文学科(国文学専攻)を繰上卒業し、佐賀の電信第2連隊補充隊に入営。その後、満洲・東安の通信隊に配属される。1945年(昭和20年)4月、福岡県筑紫野の通信基地に転じ、敗戦を迎えた。3ヵ月後に復員し、帰郷して近所の鋳物工場でなどで働く。文学書に読み耽りながら『朝倉文学』という小さな同人誌をやっていたところ、甘木に療養に来ていた元河出書房社員の眼にとまったのがきっかけとなり、1947年1月同社に入社。
市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日… 市原 麟一郎(いちはら りんいちろう、1921年11月22日 - 2023年9月24日)は、日本の民話研究家、児童文学作家。 土佐民話の会主宰、文学館・語りと紙芝居の会代表。 高知県出身。日本大学高等師範部地歴科を卒業。 高知県の民話の採話と記録に努め、月刊『土佐の民話』を発行する傍ら、民話を子どもたちに語り継ぐため、手づくり紙芝居をもって、県内各地の保育・幼稚園、小学校、図書館などへの巡回公演を行った。また小学生、一般対象に紙芝居講座(演じ方、作り方)の講師を務めた。1987年、民話の発掘と伝承の仕事により高知県文化賞を受賞。 2023年9月24日、老衰のため死去、101歳。
武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - … 武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - )は、日本の俳優。本名同じ。別名義:五藤 雅博(ごとう まさひろ)。 岡山県備前町出身 。日本大学芸術科卒業。 日本統治時代の朝鮮の全羅南道光陽郡で生まれる。大学卒業後、1947年、劇団文化座の創立に参加。その後は、劇団創造座を経て、劇団七曜会に入団、1957年に退団した後はグループ・てえぶらに所属し、活動の中心をラジオに移す。その後、富士放送プロ、つくしグループ創立参加。風の会、エヌ・エー・シー、楡プロダクション、サン・プロモーションに所属していた。北海道深川市在住。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2… 宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2015年9月18日)は、日本のアマチュア天文学者。 天文学界における人口増加に努め、1968年の熊本天文学研究会の創設に携わった。天文学者の星野次郎から鏡作りを学び、1971年にはアマチュア天文学者としては初めてライトシュミット式望遠鏡を作り上げた。 小惑星番号6020の「Miyamoto」は彼の名前を元に付けられた。 1921年10月21日 熊本県熊本市で誕生。1945年 日本大学旧工学部建築学科卒業。 1968年 熊本天文学研究会の創設に携わる。1971年 天体用カメラ「ライトシュミット」を完成。 1982年、熊本市博物館職員を嘱託され、プラネタリウム運営スタッフとなる。
水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7… 水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7月16日 - 1977年(昭和52年)7月18日)は、日本の家具デザイナーである。大分県豊後高田市出身。 日本大学卒業後、1942年(昭和17年)に前川國男が創設したデザイン建築事務所に入所し、デザイナーとしての活動を始める。その後前川から建築の設計を教わり、椅子やテーブル等の家具の設計に携わる。水之江の作品はこれまで以上に丈夫な材料を用いた事や斬新なデザインによって、1954年(昭和24年)に神奈川県立音楽堂や神奈川県立図書館に所蔵され、一躍有名となった。 後に公共施設のみならず、家庭向けの家具の設計にも従事する。1958年(昭和33年)には日本室内設計家協会の発足と共に理事長を務め、1963年(昭和38年)には独立して自身のデザイン設計事務所を創設した。