宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )… 宮崎 未樹子(みやざき みきこ、1967年8月10日 - )は、青森県出身の柔道家、女子レスリング選手である。1996年女子レスリング世界選手権61 kg級金メダリスト。八戸西高を経て、日本体育大学卒業。 高校生時代から柔道で活躍。第23回三船十段杯争奪柔道大会女子の部優勝(1985年)、第1回全日本女子柔道選手権(1986年、後の皇后盃全日本女子柔道選手権大会)に出場するが持田典子に敗れる。 日体大に進むと柔道部の1年先輩に持田典子がおり、浦野弥生(レスリング・京樽クラブ)は後輩に当たる。日体大を卒業すると、持田を追って住友海上火災保険に入社した。1991年には全日本選抜柔道体重別選手権大会66 kg級3位の成績を残し、バルセロナオリンピックを目指していた。
大本 洋嗣(おおもと ようじ、1967年6月26日 - )は… 大本 洋嗣(おおもと ようじ、1967年6月26日 - )は、日本体育大学体育学部体育学科教授であり、同大学の水球部監督を経て現在は水泳部部長。千葉県出身。2001-2006,2012-2021年まで水球男子日本代表の監督も務め、日本代表を32年ぶりにリオデジャネイロオリンピック出場へ導いた。日本選手権9回優勝(2019-2025は7連覇)のクラブチームIKAI・Kingfisher74代表。 市立千葉高校から日本体育大学へ進学。同大学大学院修士課程を修了。 大学1年で水球日本代表に選出され、以後1994年まで日本代表として活躍し、1991、1993、1994年には主将を務めた。 1998年、元水球日本代表選手らを中心に社会人チーム「30Club」を創立。
有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は… 有倉 雅史(ありくら まさし、1967年6月12日 - )は、北海道上川郡鷹栖町出身の元プロ野球選手・現アマチュア野球指導者。 小学6年生から投手として活躍し、北海高では2年秋からエースとなった。 1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名されるも拒否して、首都大学野球連盟の日本体育大学に入学(専攻は体育学部体育学科)、4年春に5勝1敗防御率1.50の好成績を記録し最優秀投手・ベストナインを獲得する。秋は明治神宮大会の初戦で先発するが、東北福祉大・金本知憲のサヨナラ本塁打で敗れた。 その後、1989年にプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから6位指名を受け入団。 長身からのフォークボールを武器に入団1年目の1990年から16試合に登板し4勝を挙げる。
安達 康(あだち やすし、1967年6月10日 - )は、日… 安達 康(あだち やすし、1967年6月10日 - )は、日本の元バスケットボール選手、指導者。宮城県出身。身長192cm。 バスケットボールの名門秋田県立能代工業高等学校から日本体育大学を経て、日本鉱業に入社。 1993年オールジャパン優勝に貢献。 1992年 日本リーグ年間ベスト5 1993年 オールジャパン ベスト5 1994年 日本リーグ年間ベスト5 1987年 ユニバーシアード この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は… 佐藤 博信(さとう ひろのぶ、1967年4月25日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の日本の柔道家、体育学者。関西学院大学人間福祉学部准教授。 長男はプロ野球の阪神タイガースに所属する佐藤輝明。 仙台育英学園高等学校柔道部から、日本体育大学に進学。日体大では「平成の三四郎」古賀稔彦と同期入学。日本体育大学2年の時に全日本学生柔道優勝大会の準決勝 天理大学戦で当時、小川直也(明治大)と並び学生重量級のホープであった中谷弘を終始攻め、背負投で破る大金星を挙げる。チームは敗れたが3位進出の原動力となる。その後、無差別で争われる全日本学生選手権では86kg級の選手ながら3位となった。4年の時には日体大柔道部の副キャプテンとなる(キャプテンは古賀稔彦)。
多胡 肇(たご はじめ、1967年1月28日 - )は、日本… 多胡 肇(たご はじめ、1967年1月28日 - )は、日本のスポーツ指導者。東京都出身。身長170cm、体重64kg。血液型B型。 1985年に日体荏原高校を卒業。1989年に日本体育大学体育学部を卒業。日体大在学当時は、体育教師を目指していたことから体操を専攻した。また、団体徒手(新体操)の日本代表選手として国際大会へ出場したこともある。大学卒業と同年に西武鉄道へ入社し、ビッグボックス西武アスレティッククラブにインストラクターとして勤務。 1994年に西武グループ傘下のプロ野球球団である西武ライオンズへ出向し、2軍トレーニングコーチに就任、1995年度シーズンから1997年度シーズンにかけて務めた(選手経験はないが、右投右打として登録。
中村 由利(なかむら ゆり、1966年8月14日 - )は、… 中村 由利(なかむら ゆり、1966年8月14日 - )は、日本の元女優。本名は平野 直美(ひらの なおみ)。 北海道出身。日本体育大学体育学部卒業。東映俳優センターに所属していた。 大学在学中より、フジテレビ系の深夜番組『オールナイトフジ』にオールナイターズの一員として本名で参加。大学卒業後、東映俳優センターに所属し、芸名を「中村 由利」としてテレビドラマに出演する。 1992年に放映された東映制作の特撮テレビドラマ『特捜エクシードラフト』では、ヒロインの日向愛を演じた。主演を務めた影丸茂樹は、中村について「普段は活発な女性で、ぱっと見た感じではおしとやかな雰囲気があった」と語っている。 特技は、剣道二段、スキー。
北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、… 北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、東京都中央区出身の日本の柔道家。世田谷学園高校を経て、日本体育大学体育学部武道学科卒業。現役時代は61kg級の選手。旧姓は持田。兄は監督として母校の世田谷高学園高校を何度も全国優勝に導いた持田治也であり、また、従兄には世界選手権で2位になったことのある持田達人がいる。身長162cm。得意技は内股、小内刈。
川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、… 川嶋 伸次(かわしま しんじ、1966年6月4日 - )は、日本の元陸上競技・マラソン選手。現在は主に指導者として活動中。旭化成陸上部コーチ。2000年シドニー五輪男子マラソン日本代表で、元東洋大学陸上競技部監督(2002年1月 - 2008年12月)。埼玉県出身。埼玉県立飯能高等学校、日本体育大学卒業。柔道二段を持つ。 1982年4月、埼玉県立飯能高等学校に入学。飯能高校の1学年上に、高1で横浜インターハイ5000m 5位、高2で鹿児島インターハイ5000m 優勝、高3で名古屋インターハイ5000m 2位とインターハイ5000mで3年連続入賞した牧野典彰(飯能高校⇒明治大学⇒旭化成)が存在した。
中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )… 中村 大伸(なかむら だいしん、1966年2月11日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元社会人野球選手(外野手)。左投左打。 1996年アトランタオリンピック野球日本代表主将。 小学校4年の時に「永田オックス」で野球を始め、横浜市立永田中学校時代に投手から外野手に転向。 横浜市立横浜商業高等学校では2年春からベンチ入りし、2年秋からエース三浦将明擁するチームの主力となる。3年春(1983年)には第55回選抜高等学校野球大会では5番センターで出場、水野雄仁 擁する池田高に敗れ、準優勝を果たした。 春夏連続出場した夏の第65回全国高等学校野球選手権大会でも5番センターで、決勝戦で桑田真澄、清原和博のKKコンビ擁するPL学園高に敗れ、惜しくも春夏連続準優勝となった。
村﨑 五郎(むらさき ごろう、1966年 - 2025年10… 村﨑 五郎(むらさき ごろう、1966年 - 2025年10月30日)は猿まわし師。本名は村﨑 義則。周防猿まわしの会所属。 山口県光市出身。父は猿まわしを復興した村﨑義正、兄も猿まわし師の村﨑太郎。 高校の体育教師となり、野球部を甲子園に出場させることを夢みて、日本体育大学に進学。しかし、1985年、大学1年の時に「周防猿まわしの会」の先輩調教師が退会したため、急遽、初代チョロ松とコンビを結成。大学の卒業論文も「猿まわし」をテーマにした。 初代チョロ松は後に、ソニー「ウォークマン」のテレビCMでも有名となった。 1990年に初代チョロ松引退後、二代目チョロ松とコンビを組む。1991年には「猿まわし5人衆」に出演し、文化庁芸術祭賞を受賞する。
内藤 重人(ないとう しげと、1965年12月28日 - )… 内藤 重人(ないとう しげと、1965年12月28日 - )は、日本のトレーニングコーチ。2007年より、読売ジャイアンツに所属している。
鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - … 鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長171cm。 足立学園高校から日本体育大学へ進むと、1年の時に正力杯78kg級で3位になったとされている。2年の時には正力杯で3位、正力国際では決勝で東海大学3年の松田亮一に判定で敗れて2位だった。3年の時には講道館杯の決勝で福岡大学教員の高野裕光に有効で敗れた。正力杯では優勝すると、正力国際でも決勝で松田を判定で破って優勝を飾った。また、フィンランド国際とブルガリア国際でも優勝した。4年の時には正力国際の決勝でソ連のバシール・ワラエフに判定で敗れた。1988年には慶應義塾高校の体育科教員になると、講道館杯で3位になった。
小川 直樹(おがわ なおき、1965年10月28日 - )は… 小川 直樹(おがわ なおき、1965年10月28日 - )は、日本の元男子バスケットボール選手。神奈川県川崎市出身。現役時代は日本鋼管に所属。Bリーグ、横浜ビー・コルセアーズ初代ゼネラルマネージャー。 日体大荏原高校、日本体育大学卒業後、日本鋼管に入社。全日本にも選ばれる。 1998年、現役引退。実業団チームで指導を始める。 1999年、知的障害者バスケットボールの日本FIDバスケットボール連盟理事に就任。シドニーパラリンピックなどの国際大会でヘッドコーチとして指揮を執った。連盟理事長も務めた。 2011年、bjリーグに新規参入する横浜ビー・コルセアーズの初代GMに就任。 2017年オフ、GM退任。
勝崎 耕世(かつざき こうせい、1965年9月8日 - )は… 勝崎 耕世(かつざき こうせい、1965年9月8日 - )は、日本のアスレティックトレーナー。北海道日本ハムファイターズや中日ドラゴンズなどでコーチを務め、琉球ブルーオーシャンズではチームディレクターを務めた。プロ野球選手の経験はない。 愛知県三好高校卒業後は、日本体育大学に入学し400mハードルの選手として活躍。日本体育大学卒業後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学し、帰国後は日本体育大学助手になり、日本体育大学大学院修士課程修了、同大学院博士課程満期退学。 1996年から2003年まで日本プロ野球・日本ハムファイターズのトレーニングコーチを担当。日本ハムの北海道本拠地移転に際して家庭の事情で帯同できないこともあり、中日ドラゴンズ監督に就任した落合博満監督に請われ、2004年から中日ドラゴンズのコンディショニングコーチを務め、4度のチーム優勝に貢献した。
塚原 賢治(つかはら けんじ、1965年7月4日 - )は、… 塚原 賢治(つかはら けんじ、1965年7月4日 - )は、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの寮長・元ストレングス&コンディショニングコーチ。東京都出身。
西川 佳克(にしかわ よしかつ、1965年5月1日‐ )は、… 西川 佳克(にしかわ よしかつ、1965年5月1日‐ )は、日本の体育指導者、政治家。千葉県我孫子市議会議員(2期)。日本体育大学卒業、筑波大学大学院修了。 兵庫県姫路市出身。千葉県我孫子市在住。中学校時代は軟式テニス部のキャプテンを務めた。高校は、兵庫県立社高等学校体育科に進学。器械体操部に所属し昭和50年代後半の月面宙返り(ムーンサルト)の技を日々練習していた。卒業後は、体育教師を目指し日本体育大学体育学部に入学。大学時代では学校体育の分野だけではなく「社会体育」という地域、医療、福祉、保育、企業などの分野でも活躍できる指導者を目指し、卒業後は、財団法人児童手当協会(名称改正・児童育成協会)こどもの城・体育事業部にて幼児から高齢者までの運動指導に携わった。
田村 誠(たむら まこと、1965年4月5日 - )は、株式… 田村 誠(たむら まこと、1965年4月5日 - )は、株式会社ゼンニュートリションの代表取締役を務める。自然食養学会会員。 大阪府豊中市出身。小学校で父親の転勤で東京に移転。都立駒場高等学校、日本体育大学卒業。 大学卒業後、関東学院中学高等学校の体育課の教員として勤務。その後、株式会社パソナに転職。現在は株式会社ゼンニュートリションの代表取締役を務める。
瀬戸山 正二(せとやま しょうじ、1965年1月25日 - … 瀬戸山 正二(せとやま しょうじ、1965年1月25日 - )は、宮崎県出身の元ビーチバレー選手。現在は日本ビーチバレーボール連盟理事長、日本ビーチ文化振興協会理事長、一般社団法人川崎ビーチスポーツクラブ理事長。一般社団法人イマジンワンワールド理事。一般社団法人イマジンワンワールドのKIMONOプロジェクトが、KIMONOを大使館とデザインする仕組みとなったのは、瀬戸山正二と手嶋信道(一般社団法人イマジンワンワールド代表理事)のアイデアからである。 日本体育大学在学時まではインドアでスパイカーとして活躍。 卒業後は高校教員を務めるが、大学の先輩である川合俊一とロサンゼルスを旅した際にビーチバレーと出会い、プロビーチバレー選手に転向。
飯島 庸一(いいじま よういち、1964年6月19日 - )… 飯島 庸一(いいじま よういち、1964年6月19日 - )は、S-CHALLENGE Traininng Programu Works代表として活動するフィジカルトレーナー。 神奈川県鎌倉市に生まれ、三歳で千葉県に転居。そのメソッドは、スキー、スノーボード、ゴルフ、サーフィン、トライアスロンなどの競技を中心に、トップアスリートだけではなくパーソナルプログラムやワークショップなどを通して幅広いユーザーに展開している。 念願の日本体育大学ラグビー部に入部するも大きな怪我(腰椎分離および腰椎すべり症)に見舞われ、4ヶ月の入院生活に。8ヶ月におよぶリハビリをするも、元のフィジカルレベルに回復出来ず退部を決意。
山田 隆弘(やまだ たかひろ、1964年6月9日 - )は、… 山田 隆弘(やまだ たかひろ、1964年6月9日 - )は、徳島県出身の元体操選手で現在[いつ?]はコーチ。1988年ソウルオリンピック体操男子団体銅メダリスト(このとき男子体操日本チーム副主将)。徳島県立鳴門高等学校~日本体育大学卒業。
狭間 善徳(はざま よしのり、1964年5月12日 - )は… 狭間 善徳(はざま よしのり、1964年5月12日 - )は、兵庫県明石市出身(熊本県生まれ)の日本の高校野球指導者。 明石市立花園小学校時代に長嶋茂雄に憧れ、野球を始める。その後は明石市立望海中学校に進学。 17歳の頃に高校野球の指導者を志したという。 明石南高校、日本体育大学では内野手として、プレー。大学時代には保健体育科の教員免許も取得している。 日体大卒業後の3年間は一般企業にてサラリーマンとして勤務。 その後は1988年に明石南高校、1989年に高砂南高校で講師や野球部のコーチを務める。 1993年からは明徳義塾中学校・高等学校のコーチや監督に就任する。中学校軟式野球部の指導者として、軟式野球の全国大会で4度優勝している。
森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県… 森 淳(もり あつし、1964年4月5日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブスタッフ。 神奈川県立旭高等学校、日本体育大学を経て、日本サッカーリーグ(JSL)のフジタ工業サッカー部(のちのベルマーレ平塚、湘南ベルマーレ)に在籍。 1988年には日本代表の西アジア遠征メンバーに選ばれたが、試合出場はなかった。 29歳で現役を退き、1994年に同年よりJリーグに参入したベルマーレ平塚のクラブスタッフとなる。スカウトとなって一年目に当時Jリーグの12クラブ中11クラブが獲得に乗り出していた中田英寿の獲得に成功する。その後は石原直樹、中町公祐らを獲得。 2005年から2009年までベガルタ仙台にて強化部チーフスカウトを務める。
原 喜彦(はら よしひこ、1964年2月11日 - )は、日… 原 喜彦(はら よしひこ、1964年2月11日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手、高等学校教諭。 新潟県白根市(現新潟市南区)出身。新潟県立巻農業高等学校(現新潟県立巻総合高等学校)入学と同時にレスリング部に入部した。しかし高校時代はさしたる実績を挙げることができず、大学進学を希望したものの推薦の声は掛からず、辛うじて日本体育大学体育学部の推薦を受けて入学。大学時代は同世代の赤石光生(日本大学)らをライバル視しつつ研鑽を重ね、国内のトップ選手に名を連ねるまでに成長した。全日本レスリング選手権大会では1988年から74kg級フリー5連覇を達成。学士修了後も引き続き日体大に研究員として残り、1988年のソウルオリンピックの日本代表に選出。
伊藤 祐靖(いとう すけやす、1964年〈昭和39年〉 - … 伊藤 祐靖(いとう すけやす、1964年〈昭和39年〉 - )は、日本の元海上自衛官。自衛隊初の特殊部隊、特別警備隊の先任小隊長を務めた後、2等海佐で退官。予備役ブルーリボンの会幹事長。ゼロレンジコンバット名誉顧問。 日本体育大学体育学部に陸上競技の短距離選手日体奨学生(特待生)として入学。卒業後、「一番階級の低いところからやる」との考えのもと、1987年(昭和62年)に海上自衛隊に2等海士で入隊。 しかし、任期制自衛官である士階級の同期の国防への志の低さに酷く落胆し、幹部自衛官になることを決心。その年の内に、2士から幹部候補生試験を受験して合格、海上自衛隊幹部候補生学校に入校する。同校卒業後は、幹部自衛官として艦艇勤務に従事する。
井上 恭治(いのうえ やすはる、1964年 - )は、日本の… 井上 恭治(いのうえ やすはる、1964年 - )は、日本の教育者、スポーツコーチ。 陸上競技コーチを主に事業を展開する。日本陸上競技連盟のコーチであり棒高跳の指導においては、クラブチームを設立し選手の育成に取り組む。 広島県東広島市出身。広島県立賀茂高等学校を経て日本体育大学を卒業した。 公立学校で1988年から保健体育科の教員として勤務した。2002年から広島陸上競技協会強化委員会で棒高跳の指導をおこなう。その後、個人事業を立ち上げて活動している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
河野 徳良(こうの とくよし、1964年)は、日本体育大学に… 河野 徳良(こうの とくよし、1964年)は、日本体育大学に所属する大学教員(准教授)であり、野球日本代表のヘッドトレーナーである。日本体育大学、日本鍼灸理療専門学校卒業。インディアナ州立大学大学院修了。
古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月2… 古賀 元博(こが もとひろ、1964年または1965年6月25日 - 2025年1月24日)は、佐賀県三養基郡出身の、日本の柔道選手である。階級は65kg級と71kg級。身長168cm。弟はバルセロナオリンピック71kg級金メダリストの古賀稔彦。 柔道は小学校3年の時に近所の友達の影響で弟の稔彦とともに始めた。小学校を卒業すると上京して柔道私塾の講道学舎へ入塾した。弦巻中学3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位となった。なお、講道学舎の厳しさを考慮して弟の入塾には断固反対していたが、弟は全く聞き入れず兄と同じ道を辿ることになった。講道学舎では東京オリンピック中量級金メダリストの岡野功より直立姿勢から投げ切る一本背負投を直々に伝授されて得意技にしていった。
シンシア・ラスター(Cynthia Luster、1963年… シンシア・ラスター(Cynthia Luster、1963年12月31日 - )は、日本のアクション女優である。アジア各地で活躍した後、現在は福岡に活動拠点を移している。 日本での芸名は大島 由加里(おおしま ゆかり)。福岡県福岡市西区出身。総合学園ヒューマンアカデミー福岡校の特別顧問を務めている。既婚。 中学の時に器械体操、中学3年生の時に剛柔流空手を学ぶ。体育教師を志して日本体育大学女子短期大学部体育学科に進学した。在学中、たまたま友達に誘われて行った映画『ヤング・マスター 師弟出馬』を観て衝撃を受け、ユン・ピョウに憧れスタントの道を志す。当時バイトしていた喫茶店の常連客が昔アクションを志した人で、その人物にジャパン・アクション・クラブ(JAC)を紹介してもらう。
山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )… 山本 佳司(やまもと けいじ、1963年11月21日 - )は、滋賀県甲賀市出身の元アマチュアレスリング選手、サッカー指導者。滋賀県立野洲高等学校保健体育科教諭で同校のサッカー部総監督を務めている。 日本体育大学時代はレスリングの選手として活躍。卒業後の1986年、ドイツ・ケルン体育大学に留学し、そこでサッカーと出会う。当時マスコミは素人監督の快挙と持て囃したが、中学時代はサッカー部で活躍した。高校、大学とレスリング部ではあるが、満更素人でもなかったという話である「同級生談より」[要出典]。 帰国後、水口東高校を経て、1996年に野洲高校に赴任。就任当時、無名で部員数16人しかいなかったサッカー部を、2002年の高校選手権に初出場でベスト8に導く。
山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は… 山下 雄樹(やました ゆうき、1963年8月19日 - )は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者である。現在は三菱電機コアラーズゼネラルマネージャー、名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務取締役。 立川五中でバスケを始め、関東高、日本体育大を経て、三菱電機に入社。バスケットボール部に所属する。 1987年にはユニバーシアード日本代表に選出される。そのシーズンの日本リーグでも新人王を獲得。 その後も個人タイトルを次々と手にし、オールジャパン連覇にも貢献した。 引退後、社業に専念したのち、2008年に女子部のヘッドコーチに就任。Wリーグ復帰に導いた。2016年、ゼネラルマネージャーに就任。名古屋ダイヤモンドドルフィンズ常務も兼任。
園川 一美(そのかわ かずみ、1963年5月1日 - )は、… 園川 一美(そのかわ かずみ、1963年5月1日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(投手)。
川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年〈昭和38年〉2月… 川合 俊一(かわい しゅんいち、1963年〈昭和38年〉2月3日 - )は、日本の元ビーチバレー選手、元バレーボール全日本男子代表主将(ポジションはセンタープレーヤー)。 現職は、日本バレーボール協会会長、日本ビーチバレーボール連盟名誉会長、NPO法人日本バレーボール・オリンピアンの会理事、アジアバレーボール連盟理事、トヨタ自動車ビーチバレーボール部ゼネラルマネージャー、ケイブロス代表取締役社長、タレント、バレーボール解説者。ワタナベエンターテインメント所属。 新潟県西頸城郡青海町(現:糸魚川市)出身。8歳から東京都大田区本羽田で育つ。大田区立都南小学校、大田区立出雲中学校を経て、明治大学付属中野高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒業。
甲斐 真吾(かい しんご、1963年1月8日 - )は、日本… 甲斐 真吾(かい しんご、1963年1月8日 - )は、日本の元男子水球選手である。日本体育大学4年時に1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
加納 弥生(かのう やよい、1963年 - 2019年5月2… 加納 弥生(かのう やよい、1963年 - 2019年5月28日)は、日本の元体操選手。國學院大學人間開発学部准教授。國學院高等学校、日本体育大学卒業。1970年代末期から1980年代初期に日本女子体操界で頂点に君臨した。元体操コーチ。現姓名は笹田弥生。 東京都出身。國學院高等学校を経て、日本体育大学卒業。1979年から1982年まで、NHK杯で4連覇。1980年モスクワオリンピック代表選手(日本は参加ボイコット)。元日体大体操コーチ、解説者。実娘は女子体操選手の笹田夏実(OSTC大泉スワロー体育クラブ所属。帝京高等学校→日本体育大学)。 2019年5月28日午前5時55分、肝不全のため東京都の病院で死去。
朽木 英次(くつき えいじ、1962年12月25日 - )は… 朽木 英次(くつき えいじ、1962年12月25日 - )は、日本の元ラグビー選手、同指導者。
山崎 慎次(やまさき しんじ、1962年11月13日 - )… 山崎 慎次(やまさき しんじ、1962年11月13日 - )は、日本の元男子水球選手である。日本体育大学4年時に1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
斉藤 久治(さいとう ひさはる、1962年11月6日 - )… 斉藤 久治(さいとう ひさはる、1962年11月6日 - )は、日本の元男子水球選手である。日本体育大学4年時に1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
田中 直樹(たなか なおき、1962年4月2日 - )は、日… 田中 直樹(たなか なおき、1962年4月2日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元全日本代表。 福岡県北九州市出身。福岡県立直方高等学校、日本体育大学を経て、住友金属(本拠地:北九州市)に入社。 1985年神戸ユニバーシアード優勝に貢献。1986年の第17回実業団リーグではチームの優勝に大きく貢献し、自らもMVPに輝いた。 引退後はFNS春高バレーコーチングキャラバンのコーチも務めた。
陸川 章(りくかわ あきら、1962年3月11日 - )は、… 陸川 章(りくかわ あきら、1962年3月11日 - )は、新潟県出身の元バスケットボール選手であり、バスケットボールの指導者である。現役時代のポジションはセンター。東海大学体育学部競技スポーツ学科教授。第29回ユニバーシアード競技大会日本代表HC。 新潟県立新井高等学校から日本体育大学へ進みセンターとして活躍。卒業後NKKに所属し、センターフォワードで日本代表選手としても注目を浴びた。しかし、1999年NKKが廃部となったと同時に現役を引退。しばらく仕事に専念した後、米国カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校に留学してコーチ学を研究。2000年度より東海大学のヘッドコーチに就任し現在は監督を務めている。
砂岡 良治(いさおか りょうじ、1962年2月18日 - )… 砂岡 良治(いさおか りょうじ、1962年2月18日 - )は、栃木県下都賀郡大平町(現・栃木市)出身の元重量挙げ選手で現在は日本ウエイトリフティング協会理事。
藤森 耕資(ふじもり こうし、1961年12月19日 - )… 藤森 耕資(ふじもり こうし、1961年12月19日 - )は、日本の元男子水球選手である。日本体育大学卒業。1984年ロサンゼルスオリンピックに日本代表として出場した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
浜田 治貴(はまだ はるき、1961年8月15日 - )は、… 浜田 治貴(はまだ はるき、1961年8月15日 - )は、日本の俳優、ナレーター。本名および旧芸名は浜田 治希(読みは同じ)。 高知県出身。高知高校・日本体育大学卒業。アトミックモンキー所属。身長178cm。 大学在学中に文学座演劇研究所を経て、大学卒業後にこまつ座に入団する。演劇活動を経て、1985年に『電撃戦隊チェンジマン』の主演の剣飛竜 / チェンジドラゴン役に抜擢される。その後もドラマなどに出演。 2000年に活動をナレーションに移行する。ナレーターへの移行は、同期の俳優たちが声優として活躍していたことに刺激され、自分の仕事の幅を広げたいという意識からだった。 趣味は映画、音楽鑑賞。特技は野球で、中学から大学時代の途中まで野球部に在籍していた。
DJ KOO(ディージェイ・コー、本名:髙瀨 浩一(たかせ … DJ KOO(ディージェイ・コー、本名:髙瀨 浩一(たかせ こういち)、1961年〈昭和36年〉8月8日 - )は、日本のDJ、音楽家、サウンドクリエイター、バラエティタレント。東京都出身。TRFのメンバー・リーダーでDJ担当。日本のダンス・ミュージックを黎明期から知る。他、The JG's、WEST 87、Phal、シュウマイDJ、WILLとしても活動。 柏日体高等学校(現・日本体育大学柏高等学校)出身。在学中はラグビー部に所属し、ポジションはスタンドオフだった。高校卒業後は神田外語学院に進学。 新宿のディスコ「カンタベリー・ハウス」「B&B」においてDJを務め、1986年にはリミックス・ユニット『The JG's』を本田勝裕(dj honda)・大場次一らと結成し、リミックスやプロデュースを手がけた。
石田 仁(いしだ ひとし、1961年(昭和36年)7月22日… 石田 仁(いしだ ひとし、1961年(昭和36年)7月22日 - )は、日本の政治家。岐阜県大垣市長(2期)。元大垣市議会議員(5期)。 大垣市立日新小学校、大垣市立西中学校、岐阜県立大垣東高等学校卒業。1984年3月、日本体育大学卒業。同年4月、大垣農業協同組合に就職。 2003年、第15回統一地方選挙の一環で行われた大垣市議会議員選挙に自由民主党公認で出馬。以後5回連続当選。 2015年~2016年、大垣市議会議長。 2021年、小川敏市長(当時)の不出馬表明を受け大垣市長選挙への立候補を表明。自民党、公明党、立憲民主党、国民民主党の推薦を受け、同年4月18日に初当選した。4月22日、市長就任。
相原 博之(あいはら ひろゆき、Hiroyuki “Hiro… 相原 博之(あいはら ひろゆき、Hiroyuki “Hiro” Aihara、1961年6月5日 -)は、元アルペンスキー日本代表。現在は、東海大学国際文化学部教授、東海大学スキー部監督、J Sportsスキー解説者、スキー・ゴルフウェアブランドKjusアンバサダー。1980年代にアルペンスキー・ワールドカップに参戦し、オーストリア・キッツビュールで最も有名な日本人として知られる。 北海道枝幸郡歌登町(現枝幸町)出身。北照高等学校、日本体育大学卒業。 現役時代は片桐幹雄・千葉信哉・富井澄博らとともに日本を代表する高速系選手の一人で、1987年に富良野で開催されたアルペンスキーワールドカップの滑降競技で9位に入賞した。
白坂 契(しらさか ひさし、1961年5月10日 - )は、… 白坂 契(しらさか ひさし、1961年5月10日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。東京都出身。プロ野球選手としての経験はない。 千葉県立松戸南高等学校、日本体育大学卒業。中学校教諭を経て、「リボーンスポーツシステム」と「ヘルスパーク」でフィットネス、トレーニングを学ぶ。 2001年、立花龍司の後を受ける形で千葉ロッテマリーンズにコンディショニング担当として入団。2005年はボビー・バレンタイン監督の下、コンディショニング担当として「故障を未然に防ぐ」を実践。ロッテ日本一の立役者の1人とされる。 その手腕を評価され、2006年から読売ジャイアンツの一軍トレーニングコーチに就任。
黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 … 黒葛原 淳一(つづらばら じゅんいち、1961年2月26日 - )は、日本の元バレーボール選手である。 1961年2月26日、宮崎県北諸県郡三股町出身。 両親がバレーボール経験者であり、自身も小学校6年生次に松平康隆監督率いる男子バレーボール日本代表がミュンヘンオリンピックで優勝した際にTBS系列で放送されたテレビ番組『ミュンヘンへの道』に感動してバレーボールを始めた。 宮崎県立都城工業高等学校を経て日本体育大学へ進学。バレーボール部でプレイする一方で『バレーボールは大学で引退して、故郷(宮崎)で中学校教師になるつもりでいた』ところに、日本バレーボールリーグの名門である日本鋼管からスカウトされ、1983年4月に入社。
吉武 永賀(よしたけ ひさよし、1961年2月24日 - )… 吉武 永賀(よしたけ ひさよし、1961年2月24日 - )は、コーチ。ミッショントレーナー。株式会社LPN創業者。一般財団法人日本コアコンディショニング協会創設者。 16年間の愛知県立学校保健体育科教諭経験を経て、2000年ストレッチポール®を開発し、株式会社LPNを創業。2003年一般社団法人日本コアコンディショニング協会創設。2008年ブレークスルーコーチング主宰、2017年ミッションスクールへと名称変更し再開。生命保険営業マンの育成では、2022年現在、社内日本一5名・TOT19名・COT23名・MDRT多数を輩出している。コーチを兼任する実業家。 愛知県立南陽高等学校にて保健体育科教諭として着任。
岡崎 聡子(おかざき さとこ、1961年1月13日 - )は… 岡崎 聡子(おかざき さとこ、1961年1月13日 - )は、東京都出身の日本の元体操選手、タレント。 國學院高等学校在学中の1975年、全日本体操競技選手権大会の種目別跳馬競技で優勝を飾り、翌1976年には同大会で総合優勝、NHK杯体操選手権でも優勝した。オリンピック代表に選ばれモントリオールオリンピックの体操競技に15歳で出場を果たした。 モントリオールオリンピックでは団体8位、個人総合30位の成績であった。同世代のナディア・コマネチにあやかり、「和製コマネチ」の愛称で親しまれた。 高校卒業後の1979年、日本体育大学女子短期大学部に進学したが同年、ケガで体操界を引退。すぐに中退してタレントに転向し、エアロビクスの普及に貢献した。