浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1… 浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1898年(明治31年)12月27日 - 1960年(昭和35年)10月12日)は、日本の政治家。東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身。日本社会党書記長、委員長を歴任。
早稲田大学:996人
浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1… 浅沼 稲次郎(あさぬま いねじろう、旧字体:淺沼 稻次郞、1898年(明治31年)12月27日 - 1960年(昭和35年)10月12日)は、日本の政治家。東京府三宅村(現在の東京都三宅村)出身。日本社会党書記長、委員長を歴任。
門脇 勝太郎(かどわき かつたろう、1898年(明治31年)… 門脇 勝太郎(かどわき かつたろう、1898年(明治31年)10月18日 - 1969年(昭和44年)11月19日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 鳥取県東伯郡倉吉町越中町(現倉吉市越中町)で資産家、酒造業の門脇猪蔵の長男として生まれる。早稲田大学政治学科卒。 「菊水」の銘柄で酒造業を営む。その他、大東京小売市場組合主事、東京婦人子供服小売商業組合理事長、東京都繊維製品統制理事、全国繊維製品小売商連合会理事長、全国衣料品小売商協会理事長、全装商事社長、日本洋装協会会長、中央技能検定協会理事などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 19… 降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 1995年9月5日)は、日本の政治家、実業家。信濃日報社長、信越放送取締役、長野放送社長、衆議院議員、第2次吉田内閣の逓信大臣、松本市長などを歴任した。映画監督の降旗康男は三男。
伊藤 幟 (いとう のぼり、1898年〈明治31年〉6月23… 伊藤 幟 (いとう のぼり、1898年〈明治31年〉6月23日 - 1963年〈昭和38年〉3月22日)は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)、画家。従五位勲四等。 1898年(明治31年)6月、福島県安達郡本宮町(現:本宮市)に生まれた。福島縣立安積中學校を経て、早稲田大学を卒業。本宮町長や全国町村会長を務めて、馬匹・畜産を盛んにすることに貢献した。1949年(昭和24年)、全国町村長大会に出席した首長が皇居を訪問した際には、町村会会長として昭和天皇に御礼言上する役を担った。 1930年(昭和5年)、福島県美術協会を創設。石井柏亭と親交が深く、美術協会の審査委員長招いて十数年にわたり公募展を開いた。
木村 吉太郎(きむら きちたろう、1898年(明治31年)5… 木村 吉太郎(きむら きちたろう、1898年(明治31年)5月23日 - 1937年(昭和12年)4月4日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)。サッカー選手。 大阪市南区(現在は浪速区)出身。早稲田大学に学ぶ。大阪サッカー倶楽部部長を務め、極東選手権競技大会・明治神宮競技大会に出場した。大阪府会議員に3度、同参事会員に2度選ばれ、大阪市会議員・同参事会員にも選出された。 1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 また若槻礼次郎立憲民政党総裁秘書も務めた。
宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月1… 宮田 重文(みやた しげふみ、1898年(明治31年)3月17日 - 1973年(昭和48年)12月6日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、茨城県久慈郡太田町長、常陸太田市長、同名誉市民。旧姓は立川。 茨城県久慈郡太田町(現常陸太田市)で、立川義之の三男として生まれる。茨城県立太田中学校(現茨城県立太田第一高等学校・附属中学校)を経て、1921年(大正10年)早稲田大学政治経済科を卒業した。 1921年、明治屋に入社し、1926年(大正15年)に丸の内支店次長で退職して帰郷した。書籍・学用品販売業の宮田家の養子となった。茨城新聞社に入社し、営業局外交部長に就任。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙に大学の恩師五来欣造が茨城県第2区から立候補した際に、選挙事務長を務めたが五来は落選した。
稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7… 稲村 隆一(稻村隆一、いなむら りゅういち、1898年3月7日 - 1990年11月20日)は、日本の農民運動家、政治家、衆議院議員(4期)。政治家の稲村順三は弟、稲村稔夫は甥。 北海道虻田郡喜茂別町出身。 1918年北海中学校(旧制)、1923年早稲田大学政治経済学部卒業。 早稲田大学在学中から建設者同盟に参加、その後農民運動に入った。その間日本共産党に入党し、1926年に労働農民党に入党。 1928年の三・一五事件で検挙された後、社会大衆党に移った。 1937年に新潟県日本農民連盟を結成し、皇国農民連盟と連携を図った。 1940年に東方会、石原莞爾の東亜連盟運動にも参加。戦後、日本社会党に入ったが、公職追放を受けた。
斎藤 憲三(さいとう けんぞう、1898年2月11日 - 1… 斎藤 憲三(さいとう けんぞう、1898年2月11日 - 1970年10月31日)は、日本の実業家・政治家。TDKの創業者で衆議院議員・科学技術政務次官を務めた。 1898年(明治31年)斎藤宇一郎とミネの三男として、秋田県由利郡平沢村(現にかほ市)に生まれた。父の宇一郎は秋田の農業の発展に尽力し、代議士にもなった人である。憲三は地元の平沢小学校を卒業した後、本荘中学(現:秋田県立本荘高等学校)への進学を希望していたが、父の勧めにより大阪の私立学校である桃山中学(現:桃山学院高等学校)に入学した。 1922年(大正11年)早稲田大学商学部を卒業後、農家の副業奨励のため炭焼きや養豚などの事業に取り組むが、いずれも失敗する。
柳谷 保一(やなぎたに やすいち、明治31年(1898年)2… 柳谷 保一(やなぎたに やすいち、明治31年(1898年)2月8日 - ?)は日本の教育者、実業家、政治家。元鳥取県議会議員、米子市議会議員。 元鳥取県議会議員の柳谷中は長男。 鳥取県出身。丈四郎の長男。 大正12年(1923年)早稲田大学商学部卒業。 倉吉中学校・米子高等女学校各教諭の後、昭和16年(1941年)日本海新聞に入社、米子支社長、取締役総務局長を歴任。 其間米子市議、米子市国民健康保険組合常務理事となり、昭和30年(1955年)8月米子自動車学校理事長・校長に就任。 趣味は釣、俳句。宗教は曹洞宗。住所は米子市皆生・米子市角盤町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20… 津島 文治(つしま ぶんじ、1898年〈明治31年〉1月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月6日)は、日本の実業家、政治家、地主、青森県多額納税者。 金木銀行頭取。衆議院議員(3期)。参議院議員(2期)。青森県知事(公選初・第2・3代)。陸奥銀行、津軽鉄道、津軽酒造各取締役。東北鳩協会顧問。農業。 小説家の太宰治(津島修治)は弟、俳優の津島康一は長男。元衆議院議員の津島雄二は義理の甥。 大地主で銀行家の津島源右衛門(旧姓松木)とタ子(たね)の三男として青森県北津軽郡金木村(現在の五所川原市)に生まれた。 金木第一尋常小学校から五所川原農学校(現青森県立五所川原農林高等学校)を卒業後上京し、早稲田大学政治経済学部に入学。
安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月… 安 駿相(アン・ジュンサン、朝鮮語: 안준상、1898年1月9日 - 1994年12月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、実業家、政治家、独立運動家。制憲韓国国会議員。 初代文教部長官の安浩相は従弟。 慶尚南道宜寧郡富林面立山里の耽津安氏(朝鮮語版)の世居地である立山村出身。東萊高等普通学校、正則英語学校(現・正則学園高等学校)卒。早稲田大学政経科2年修了。三・一運動のときは宜寧郡内の万歳運動を主導し、その後も族叔の安熙済の独立闘争活動を手伝った。また、立山学院長、古今社経営者、宜寧協同組合創立・経営者、馬山ゴム工業社経営者、薬草栽培園経営者を歴任した。光復後は慶尚南道ハングル文化普及会長、釜山東亜大学(現・東亜大学校)理事、独立促成国民会釜山支部副会長、朝鮮民族青年団慶尚南道団部理事、釜山一五倶楽部幹事、宜寧郡選出の国会議員、制憲同志会会長などを務めた。
黄 朝琴(おう ちょうきん、1897年〈明治30年〉10月2… 黄 朝琴(おう ちょうきん、1897年〈明治30年〉10月25日 - 1972年〈民国61年〉7月5日)は台湾嘉義県塩水港(現:台南市塩水区)出身の政治家。 妹は日本統治時代の台南で有名な詩人、黄金川。 内地とアメリカ国際法を学んだ後、中華民国に渡って国民政府外交部に勤務した。台湾光復後は台湾省議会議長、中国国民党中央委員等を歴任し、省議会を20年近く主宰した。連震東、黄国書、林頂立らとともに1950年代の台湾政治を代表する「半山(中国語版)」の一人である。 東京やアメリカへの留学を経て政治学に親しみ、国民党の台湾統治の仲介役を務めた。 1897年10月25日、台湾嘉義県塩水港の裕福な家庭に生まれた。
中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月… 中村 高一(なかむら たかいち、1897年〈明治30年〉7月31日 - 1981年〈昭和56年〉7月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(社会党、当選8回)。日本社会党顧問。衆議院副議長(第41代)を務めた。弁護士として社会運動や人権活動に取り組んだ。 東京府西多摩郡西秋留村(現在の東京都あきる野市)出身。中村作兵衛の六男。東京府立第二中学校出身。1922年、弁護士試験に合格。1923年、早稲田大学法学部英法科卒業。弁護士開業。1930年、労農党中央執行委員。1936年、社会大衆党中央執行委員。早くから自由法曹団に参加し、自由法曹団事件で検挙された。 東京市会議員を経て、1937年の第20回衆議院議員総選挙に東京7区から出馬し当選。
楠山 義太郎(くすやま よしたろう、1897年(明治30年)… 楠山 義太郎(くすやま よしたろう、1897年(明治30年)6月28日 – 1990年(平成2年)1月7日)は、大正・昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員。 和歌山県日高郡由良村(現由良町)で楠山四郎右衛門の二男として生まれた。1920年(大正9年)早稲田大学政治経済学科を卒業。同年9月、大阪毎日新聞社に入社。1921年(大正10年)コロンビア大学に留学し、さらにバージニア大学で学んだ。 ロンドン特派員となり、1932年(昭和7年)リットン調査団報告書をスクープした。神戸支局長を経て、東京日日新聞外国通信部長に転じて第二次世界大戦下のヨーロッパを視察した。欧米部長、副主筆を経て、戦時中は日本タイムス社長、上海タイムス社長を務めた。
合田 健吉(ごうだ けんきち、1897年(明治30年)6月2… 合田 健吉(ごうだ けんきち、1897年(明治30年)6月28日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、香川県仲多度郡多度津町長。位階は正八位。勲等は勲四等。 香川県多度郡多度津町本通(現:仲多度郡多度津町)で、豪商「嶋屋」合田房太郎の二男として生まれる。早稲田大学商科を卒業。1937年(昭和12年)家督を相続した。 1928年(昭和3年)以降、四国水力電気取締役、琴平電気鉄道取締役、琴平参宮電鉄取締役、屋島登山鉄道取締役、槙田鉄工取締役、協和鉄工所社長、亀陽航空社長、中讃興業社長、多度津銀行監査役などを務めた。その他、多度津町社会教育委員、同農業会監事などにも就任した。
山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治3… 山口 喜久一郎(やまぐち きくいちろう、1897年 <明治30年> 5月11日 - 1981年 <昭和56年> 5月6日)は日本の政治家、第52代衆議院議長(在任期間・1965年12月20日 - 1966年12月3日)。長崎県佐世保市出身(選挙区は和歌山県)。栄典は勲一等旭日大綬章、正三位、佐世保市名誉市民。 1915年旧制鹿島中学(現佐賀県立鹿島高等学校)卒業。1920年早稲田大学専門部中退。株式ブローカー、岡崎邦輔秘書を経て、1930年和歌山県会議員に当選。1937年の第20回衆議院議員総選挙に当時の旧和歌山1区から立憲政友会公認で立候補するが落選。同年より県会議長を2期務めた後、1942年の第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)に前回と同じく旧和歌山1区から非推薦で立候補し衆議院議員に初当選。
中川 寛治(なかがわ かんじ、1897年(明治30年)3月1… 中川 寛治(なかがわ かんじ、1897年(明治30年)3月11日 - 1984年(昭和59年)11月29日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、富山県下新川郡泊町長。 富山県下新川郡泊町(現朝日町)で、綿商人・中川屋、中川彦吉の長男として生まれる。1909年(明治42年)家督を相続した。1919年(大正8年)早稲田大学政治経済科を卒業した。三菱海上保険会社に入社したが、1926年(大正15年)に退職して帰郷し農業を営む。 また、黒東銀行取締役、泊銀行取締役、泊通運取締役、泊郵便局長などを務めた。1939年(昭和14年)9月、立憲民政党公認で富山県会議員に選出され、1期約3年間在任し、同副議長も務めた。
石崎 千松(いしざき せんまつ、1897年〈明治30年〉3月… 石崎 千松(いしざき せんまつ、1897年〈明治30年〉3月5日 - 1972年〈昭和47年〉6月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県企救郡、のちの門司市大里御所町(現北九州市門司区)で、石崎作蔵の息子として生まれた。1922年、早稲田大学商科卒。1930年アメリカアラバマ大学大学院経済学科卒、ノースウエスタン大学院政治家で学ぶ。その後は新聞記者となり、日本人会会長、同幹事、日本語学校校長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で福岡2区(大選挙区制)から無所属で立候補して当選。当選後は日本民主党準備会、新政会、国民党、国民協同党と変わった。この間、国民党渉外部長、国民協同党中央常任委員を歴任した。
関内 正一(關内、せきうち しょういち、1897年(明治30… 関内 正一(關内、せきうち しょういち、1897年(明治30年)3月4日 - 1962年(昭和37年)4月26日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・新妻。 福島県岩城郡大浦村上仁井田(四倉町を経て現いわき市)で素封家・新妻伊之助の長男として生まれ、岩城郡平町(平市を経て現いわき市平)の老舗・関内家の養子となる。福島県立磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)を経て早稲田大学商科で学んだ。 28歳で平町会議員に就任。同議長、福島県会議員、平市会議員、同議長を務めた。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福島県第3区から自由党公認で出馬して当選。第24回総選挙で再選され、1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙では次点で落選。
藤井 顕孝(ふじい けんこう、1897年〈明治30年〉3月3… 藤井 顕孝(ふじい けんこう、1897年〈明治30年〉3月3日 - 1979年〈昭和54年〉10月21日)は、日本の地方政治家。初代東久留米市長。 1924年(大正13年)早稲田大学文学部卒。浄牧院住職、鉄道教習所講師、東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)教員、久留米町教育委員長を歴任した。 1959年(昭和34年)の久留米町長選挙に立候補したが、この時は前職の番場憲隆に敗れた。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1963年(昭和38年)の町長選挙で、社会党の新人を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1967年(昭和42年)の町長選挙では、別の社会党新人との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
徐 相国(ソ・サングク、朝鮮語: 서상국/徐相國、1897年… 徐 相国(ソ・サングク、朝鮮語: 서상국/徐相國、1897年2月11日または3月11日 - 1977年1月4日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員。 現在の全羅南道咸平郡出身。早稲田大学専門部政経科卒。1925年には長城郡の精米所で約5か月間勤めていた。中央中学校、中央大学校の教員を務めた後、1950年の第2代総選挙に咸平選挙区から民主国民党所属で出馬し、国会議員を務めた。政界では民主国民党中央執行委員を務めた。
朴 瓚熙(パク・チャニ、朝鮮語: 박찬희、1897年1月29… 朴 瓚熙(パク・チャニ、朝鮮語: 박찬희、1897年1月29日 - 1972年3月2日または4月2日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、政治家。参議員。 漢字表記は朴讚熙とも。 漢城府出身。本籍地は忠清北道鎮川郡鎮川面。早稲田大学経済学部卒。1919年には出版法と保安法違反により起訴されたが、免訴放免の処分を受けた。時代日報記者、東亜日報地方部長を務めた後、韓国民主党結党に参加し、同党情報部長・運動部長・労働部長・調査部長を歴任した。その後は民主国民党と民主党の結党にも参加し、民主党中央常任委員を務めた。1950年の第2代総選挙と1954年の第3代総選挙ではいずれも落選したが、四月革命以後の第5代総選挙では民主党所属の参議員に当選し、国会交通逓信委員会委員長を務めた。
藤原 繁太郎(ふじわら しげたろう、1897年(明治30年)… 藤原 繁太郎(ふじわら しげたろう、1897年(明治30年)1月15日 - 1981年(昭和56年)5月28日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 長崎県南松浦郡奈留島村(のち奈留町、現・五島市)出身。1923年(大正12年)早稲田大学商学部を卒業した。 日本電報通信社通信記者となる。興亜精機顧問、興亜産業顧問、興亜産業取締役社長を務めた。また、日本漁民組合組合長、日本社会党長崎県支部連合会副会長を務めた。1947年(昭和22年)4月の第23回衆議院議員総選挙に長崎県第2区から日本社会党所属で出馬して当選し、衆議院議員を1期務めた。 その後、長崎新聞社常務、同東京支社代表取締役、同社長、民華企業取締役など務めた。
具 中会(ク・ジュンフェ、朝鮮語: 구중회/具中會、1897… 具 中会(ク・ジュンフェ、朝鮮語: 구중회/具中會、1897年または1898年4月21日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の教育者、独立運動家、大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国の政治家。号は蓮波(ヨンパ、연파)。天道教徒。 同じく独立運動家の具南会は弟。 慶尚南道昌寧郡霊山面出身。霊山公立普通学校(現・霊山初等学校)、普成中学校卒。己未独立運動での投獄を経て、しばらく周時経の下で韓国語文を学んだ後、早稲田大学高等師範学校英文科(現・早稲田大学教育学部)に留学し1926年に卒業した。大卒後は密陽郡北面私立精進学校設立校長、馬山中学校校長、木浦女子高等学校校長を歴任し、天道教の宣教活動にも従事した。
東 舜英(あずま しゅんえい、1896年(明治29年)12月… 東 舜英(あずま しゅんえい、1896年(明治29年)12月15日 - 1986年(昭和61年)1月11日)は、日本の新聞記者、政治家。衆議院議員。 石川県出身。東栄松の三男として生まれる。1923年、早稲田大学政治経済学部を卒業した。 萬朝報記者、読売新聞記者、國民新聞記者、拓務省嘱託、日満醸造社長、逓信大臣秘書官、東京市会議員などを務めた。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙おいて石川県第一区で民主党から立候補して当選し、衆議院議員を一期務めた。この間、民主自由党総務に就任。 炭鉱国管疑獄により逮捕され、1950年4月21日、東京地方裁判所で、懲役4ヶ月の判決を受けた。その後、控訴して争い、1951年5月22日、東京高等裁判所で無罪となり判決が確定した。
小山田 義孝(おやまだ よしたか、1896年(明治29年)1… 小山田 義孝(おやまだ よしたか、1896年(明治29年)11月9日 - 1963年(昭和38年)1月31日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、陸軍参与官、秋田県会議員、秋田県仙北郡西仙北町長、強首村長。 秋田県仙北郡強首村(のち西仙北町を経て、現在の大仙市)出身。早稲田大学専門部政治経済科卒業。陸軍に入り、主計少尉となる。除隊後、帰郷し、強首村議、同村長、同農会長を経て、秋田県議、同参事会員となる。1932年(昭和7年)秋田2区(当時)から立憲政友会公認で立候補し、初当選する。以後、4期連続当選。この間、阿部内閣で陸軍参与官を務めた。太平洋戦争により1943年(昭和18年)に応召されたが、終戦後の1945年(昭和20年)9月に復職した。
12代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1896年(明治2… 12代 佐藤 助九郎(さとう すけくろう、1896年(明治29年)10月22日 - 1979年(昭和54年)12月5日)は、大正から昭和時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。富山県東礪波郡柳瀬村長(1931年11月11日 - 1946年12月12日、1951年5月13日 - 1954年1月14日)。 富山県東礪波郡柳瀬村(砺波町を経て現砺波市)出身。先代佐藤助九郎の二男・健太郎として生まれ、1931年(昭和6年)家督を相続する。1918年(大正7年)早稲田大学専門部政治経済学科卒業。 1919年(大正8年)以降、中越銀行勤務、富山県スキー連盟会長、富山鉄道、佐藤工業各社長、高岡新聞社、高岡劇場各取締役、中越無尽監査役、北日本新聞社長のほか、柳瀬村長、同村産業組合長、同村農会長を務めた。
10代 深川 栄左衛門(榮左エ門、ふかがわ えいざえもん、1… 10代 深川 栄左衛門(榮左エ門、ふかがわ えいざえもん、1896年(明治29年)10月18日 - 1960年(昭和35年)3月2日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。初名は隆。 佐賀県西松浦郡有田町で9代・深川栄左衛門(与太郎)の四男として生まれる。1920年(大正9年)早稲田大学商科を卒業した。 有田合同運送社長、有田信用無尽社長、香蘭碍子販売社長、香蘭合名会社代表社員、香蘭社社長、西松浦通運社長、佐賀興業銀行取締役、有田陶磁器工業組合連合会理事、佐賀県工芸協会評議員、九州貿易振興会常任委員、佐賀県陶磁器工業協同組合相談役、窯業協会常議員などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に民主党公認で出馬して当選し、その後、改進党に所属して参議院議員に1期在任した。
庄司 彦男(しょうじ ひこお、1896年〈明治29年〉10月… 庄司 彦男(しょうじ ひこお、1896年〈明治29年〉10月9日 - 1960年〈昭和35年〉5月18日)は、昭和期の漁業関係者、政治家。衆議院議員。八田一朗と共に日本へアマチュアレスリングの導入に貢献した。彦雄と表記される場合がある。 鳥取県西伯郡渡村(境港町を経て現境港市渡町)で生まれる。1920年(大正9年)に早稲田大学大学部商科を卒業。東京電気に入社する。小学校専科教員を務めた。 1921年(大正10年)にアメリカ合衆国のプロレスラーアド・サンテルが来日し、講道館の柔道家との異種格闘技戦を望んだ。しかし、館長嘉納治五郎が他流試合を許さず戦ったものは破門とすることを表明した。当時、早稲田大学柔道部に所属し柔道三段であった庄司と永田礼次郎がこれに応じて、同年3月、靖国神社相撲場でサンデルと試合を行い、試合は引き分けとなった。
金 良洙(キム・ヤンス、朝鮮語: 김양수、1896年9月4日… 金 良洙(キム・ヤンス、朝鮮語: 김양수、1896年9月4日 - 1969年9月19日または1971年1月19日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家、独立有功者。第2代韓国国会議員、原子力院(現・原子力安全委員会)院長を歴任した。 本貫は光山金氏。号は若嬰。キリスト教徒。 全羅南道順天出身。早稲田大学政経学部卒、コロンビア大学・ロンドン大学修学。東亜日報・朝鮮日報論説委員、ハワイ第二次汎太平洋会議朝鮮代表(徐載弼・金活蘭・申興雨と共同)、ニューヨーク三一新報主幹・主筆、ベルリン世界反帝同盟会議出席者、朝鮮興業株式会社重役を務めた。中国で金枓奉とハングル運動について意見を交わした後、1935年から朝鮮語学会に参加して辞典の編纂を財政的に支援したが、1942年の朝鮮語学会事件により3年間投獄され、1945年1月に懲役2年・執行猶予4年の刑を言い渡された。
中塚 元太郎(なかつか もとたろう、1896年9月1日 - … 中塚 元太郎(なかつか もとたろう、1896年9月1日 - 1972年10月9日)は、日本の政治家。岡山県児島市(現・倉敷市)長。 岡山県児島郡小田村出身。旧制矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)、早稲田高等学院を経て、1920年、早稲田大学英法科を卒業する。証券会社に勤務した後は帰郷し、小田村収入役となる。その後、退職し、朝鮮に渡り、農場、酒造、漁業に従事する。再び帰郷し、1942年、児島町(小田村は1928年に町制施行し、児島町に改称)会議員、1947年、児島町長となり、翌1948年、児島市の発足により児島市長となる。2期務めた後、1956年の市長選では元助役の中村純雄に敗れるが、4年後の1960年に中村を破り、市長に返り咲いた。
佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8… 佐藤 芳男(さとう よしお、1896年9月 - 1967年8月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。
大西 十寸男(おおにし としお、俊夫とも、1896年(明治2… 大西 十寸男(おおにし としお、俊夫とも、1896年(明治29年)8月18日 - 1947年(昭和22年)7月29日)は、日本の政治家、農民運動家。参議院議員(無所属懇談会、1期)。 三重県飯南郡花岡村(現:松阪市)生まれ。早稲田大学で建設者同盟に加わり、卒業後の1922年(大正11年)に日本農民組合関東同盟を組織。翌年には日農総本部書記となり、1927年(昭和2年)に日本共産党に入党。三・一五事件、四・一六事件で検挙された後に共産党から離党し、全国農民組合総本部書記を歴任。一方で労農派の立場から農民運動や左翼運動を指導し、人民戦線事件で検挙された。 戦後、日本農民組合の再建に関わり、1947年(昭和22年)2月には同会書記長になる。
松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年… 松平 銑之助(まつだいら せんのすけ、1896年(明治29年)7月9日 - 1978年(昭和53年)12月22日)は、昭和期の官吏、政治家、華族。貴族院子爵議員。 旧小幡藩主家当主、子爵・松平忠恕の八男として生まれる。甥・子爵松平忠相(義兄松平忠禎長男)の死去に伴い家督を継承し、1924年(大正13年)10月15日、子爵を襲爵した。 早稲田大学文科を修了。1926年(大正15年)衆議院兼逓信属に就任。その後、衆議院理事官、昭和食糧顧問などを務めた。 1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1947年(昭和21年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
森下 國雄(もりした くにお、1896年6月20日 - 19… 森下 國雄(もりした くにお、1896年6月20日 - 1975年5月7日)は、日本の政治家。位階は正三位。衆議院議員(10期)。 栃木県塩谷郡阿久津村(現高根沢町)出身、早稲田大学政治経済学部卒業。コロンビア大学に留学する。外務参与官、外務次官、特派大使を歴任。1936年の総選挙で立憲民政党から立候補して初当選。終戦後公職追放された。1950年追放解除。追放解除後の1952年に自由党から政界復帰。その後、衆議院外務、建設各委員長、自民党代議士会長や道路調査会長、国土開発調査会長などを務めた。1972年の総選挙で落選した。 1975年5月7日、死去。78歳没。同月9日、特旨を以て位四級を追陞され、死没日付で正五位から正三位に叙され、銀杯一組を賜った。
片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月… 片岡 恒一(かたおか つねかず、1896年(明治29年)4月19日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家。衆議院議員(2期)。地方議員(三重県会議員・四日市市会議員)。三重郡富洲原町の教育者。 1896年(明治29年)4月19日、三重県三重郡富洲原町(現・四日市市)に生まれる。富田一色地区の三重県下の富豪で名門の商家であった片岡家(有力者の片岡徳松の一粒種の子供)の一人っ子であった。金持ちの1人息子でボンボンと呼ばれて、片岡氏は北勢四十八家の1つで堺村城主だった片岡家の一族である。型破りの人物で、親譲りの監元買別所(四日市市に立地)と、米穀取引所仲買店(名古屋市に立地)と、回漕店(三重郡富洲原町に立地)を切廻して一分の隙もなかった。
鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月… 鈴木 十郎(すずき じゅうろう、1896年〈明治29年〉4月8日 - 1975年〈昭和50年〉5月4日)は、日本の政治家。小田原市長(5期)。歌舞伎研究家 。位階は正五位。 現在の神奈川県小田原市出身。 1909年(明治42年)、神奈川県立第二中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)に入学。同級に終生の友となる牧野信一(のち小説家)がいた。早稲田大学英文科中退。早大時代、同人誌「金と銀」「象徴」などを主宰した。読売新聞、朝日新聞、歌舞伎座支配人、松竹系の役員を務めた。 1949年(昭和24年)に小田原市長に初当選し5期務めた。この間、全国市長会副会長、関東市長会会長、国保中央会理事などを務めた。1969年に市長を引退。
鈴木 平一郎(すずき へいいちろう、1896年2月18日 -… 鈴木 平一郎(すずき へいいちろう、1896年2月18日 - 1971年10月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。清水市長。 静岡県清水市(現静岡市)出身。1914年早稲田大学商科卒。清水市議、同参事会員、静岡県議、同副議長などを経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に静岡県(当時は大選挙区制)から立候補して当選した。衆議院議員を1期務めた後、清水市農地委員、同委員長を歴任し、1955年の清水市長選挙に立候補して当選した。 市長在職中は市内に住宅が増設され、日本平にテレビ塔とロープウェイが開設。1957年には静岡で国体が開かれ、天皇、皇后の視察を受けた。このほか、石岩ふ頭(富士見ふ頭)の完成や大型漁船の建造も進められた。
加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月… 加藤 弘造(かとう こうぞう、1895年(明治28年)10月7日 - 1982年(昭和57年)7月28日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、静岡県志太郡島田町長。 静岡県志太郡島田町本通り(現島田市)で、木材業、加藤商事会社・加藤友吉の四男として生まれる。1916年(大正5年)早稲田大学予科 を卒業した。 家業の加藤商事会社社員となる。1920年代に、廓潰運動、部落解放運動、無政府運動に係わり、静岡県水平社などに資金援助を行った。1931年(昭和6年)静岡県会議員に選出され3期在任し、参事会員も務めた。1934年(昭和9年)島田町長に就任し3期在任した。日中戦争に出征し陸軍中尉となる。
中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月… 中山 栄一(中山 榮一、なかやま えいいち、1895年10月7日 - 1976年8月21日)は、日本の政治家。衆議院議員。 群馬県出身。早稲田大学商学部卒業。龍ケ崎町会議員、茨城県会議員、同参事会員などを歴任。 1946年、戦後初の衆院選に茨城県選挙区から無所属で立候補し当選。その後、公職追放となり、追放解除後は旧茨城県第1区において第25回・第27回・第29回・第30回・第31回総選挙で当選し、衆議院議員を通算6期務めた。1969年12月の第32回総選挙には立候補せず引退。 その後、石橋内閣・第1次岸内閣の北海道開発政務次官、第1次佐藤内閣の行政管理政務次官、衆議院災害対策特別委員会理事、衆議院農林水産委員会委員などを歴任した。
瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月1… 瀬田 醻一(せた しゅういち、1895年〈明治28年〉8月16日 - 1968年〈昭和43年〉)は、日本の政治家、東京府多額納税者、鍋屋、金融業、地主・家主。東京市会議員(板橋区選出、革正会会員)、板橋区会議員。 東京府北豊島郡板橋町大山出身。質商・瀬田文次郎の長男。 早稲田中学、同高等学院を経て1917年、早稲田大学大学部法学科英法科卒業。貸地貸家業、金融業を営んだ。 1921年5月、板橋町会議員に当選し、1932年9月市郡併合迄3期在職。1931年4月、板橋町名誉助役として市郡併合迄在職。 1932年11月、板橋区会議員に当選。1933年3月、東京市会議員に当選。1938年4月、東京市参事会員に当選。
小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日… 小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小沢。長男は元塩尻市長の小野光洪。 長野県上伊那郡小野村(現辰野町小野)で、小沢五郎三郎の三男として生まれ、東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市北小野)の小野郡吾の養子となる。旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1920年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。陸軍に志願して入隊し2年後に歩兵少尉で除隊し、1928年、予備役歩兵中尉に昇進。帝国在郷軍人会本会審議員、同第十四師管連合支部審議員、同東筑摩郡連合分会長、同東筑摩郡将校分団長、同長野支部参事など、在郷軍人会の役職を務めた。
森下 政一(もりした まさかず、1895年〈明治28年〉3月… 森下 政一(もりした まさかず、1895年〈明治28年〉3月5日 - 1957年〈昭和32年〉3月5日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 位階は正五位、勲等は勲三等。 大阪市財務部長、大阪市民信用組合長、大阪市教育会長、日本社会党大阪府支部連合会会長、参議院議員総会副会長を務めた。 京都府福知山市生まれ。1916年(大正5年)- 早稲田大学商科卒業。大学卒業後、米国に留学。 1925年(大正14年) 関西大学経済学部で講師、後に教授として財政学や英語経済を教える。 1930年(昭和5年) 第17回衆議院議員総選挙大阪1区落選(国民同志会)。 1936年(昭和11年) 大阪市助役就任。 1947年(昭和22年) 第1回参議院議員通常選挙大阪府選挙区初当選(日本社会党)。
高橋 啓(たかはし けい、1895年(明治28年)2月25日… 高橋 啓(たかはし けい、1895年(明治28年)2月25日 - 1968年(昭和43年)5月22日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 宮城県出身。1920年早稲田大学専門部法律科卒。拓北産業社長、宮城県林業会長、日本林業会理事などを歴任する。1947年の第1回参議院議員通常選挙において宮城地方区から民主党公認で立候補して当選。参議院通商産業委員長となる。1950年の参院選で落選。1968年5月22日死去、73歳。死没日をもって勲四等旭日小綬章追贈、従五位に叙される。
羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月2… 羅 容均(ナ・ヨンギュン、朝鮮語: 나용균、1895年2月25日または1895年11月25日または1896年1月8日 - 1984年7月6日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。制憲・第4・5・6代韓国国会議員、第6代保健社会部長官、第6代国会副議長を歴任した。 本貫は羅州羅氏。号は白峰。金大中の側近で外交官・元駐日大使の羅鍾一は四男、順天郷大学校名誉教授の羅鍾億(朝鮮語版)は六男。2人以外に次男と三男も政治学者である。 全羅北道井邑またはソウル鍾路区出身。早稲田大学政治科卒(または政経学部中退)。早大在学中に白寛洙・金度演ら朝鮮人留学生と共に二・八独立宣言の発表を主導し、三・一運動に関わり逮捕・投獄された後、渡中し大韓民国臨時政府議政院議員に選ばれ、臨時議院法制委員・政務調査特別委員・政治分科委員、上海海内外国民大会準備委員を務めた。
野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年… 野田 武夫(のだ たけお、1895年2月8日 - 1972年6月7日)は、昭和期の日本の政治家。総理府総務長官・自治大臣。位階は正三位。元衆議院議員の野田毅は娘婿。 熊本県飽託郡川口村(現・熊本市南区)出身。 旧制熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)を経て、1923年早稲田大学法学部独法科を卒業後、国民新聞記者、東京朝日新聞政治部記者、神奈川新聞社社長、町田忠治商工大臣秘書官を経て、1936年第19回衆議院議員総選挙に立憲民政党公認で旧神奈川2区より立候補して当選を果たす。以後戦後も含めて当選8回。戦前は軍需政務次官、商工省参与などを務めた。政党解消後は翼賛議員同盟→翼賛政治会→大日本政治会に所属した。
八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)… 八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)1月23日 - 1980年(昭和55年)8月29日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、初代大分県旧杵築市長。 大分県速見郡八坂村大字日野(現杵築市)で、大分県会議長を務めた八坂三治の長男として生まれる。早稲田大学政治経済科で学んだが、中国大陸に心惹かれ中退して満州に渡った。1927年(昭和2年)政治家を目ざして帰郷。 1933年(昭和8年)八坂村会議員に選出された。別府自動車社長に就任し、1939年(昭和14年)大分県会議員となる。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、その後、民主党に所属し衆議院議員に1期在任した。
3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年… 3代八馬 兼介(はちうま かねすけ、旧名・栄之介、1894年〈明治27年〉12月23日 - 1960年〈昭和35年〉8月12日)は、日本の実業家、政治家、資産家、兵庫県多額納税者。貴族院議員。神戸銀行頭取。八馬汽船相談役。勲四等。 兵庫県武庫郡西宮町(現西宮市)出身。兵庫県平民、海運業・八馬永蔵の長男。初代八馬兼介の孫。1916年、早稲田大学商科卒業。 1917年、家督を相続し、旧名・栄之介を改めた。精米及び海運業を営み、傍ら銀行会社の重役であった。 西宮市会議員、日本船主協会、日伯協会各理事、八馬汽船社長、同会長、同相談役、武庫銀行、西宮銀行各頭取、日伯拓殖、大同信託、神戸土地興業、日本毛織、共同信託、東洋パルプ各取締役、西宮酒造、神戸海上火災保険、朝日海上火災保険、梅田映画劇場、阪神急行電鉄、東京宝塚劇場、山陽中央水電、南街映画劇場、神戸瓦斯、日本鉱産業、桐花興業各監査役、神戸信託相談役、多聞代表社員などを務めた。
張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 194… 張 徳秀(チャン・ドクス、1894年12月10日 - 1947年12月2日)は、朝鮮の政治家、教育者、独立運動家。本貫は結城張氏、号は雪山。東亜日報の初代主筆。 黄海南道載寧郡出身。1910年代に早稲田大学に留学し、在学中は朝鮮人留学生のリーダーとして活躍した。「新亜同盟党」で、大陸中国や台湾の留学生と交流したほか、茅原華山の雑誌「第三帝国」にも寄稿した。1918年に上海に渡り、呂運亨とともに「新韓青年党」を組織した。1919年2月に朝鮮に戻り逮捕された。同年11月の呂運亨の訪日の際には通訳を務めた。1920年「東亜日報」創刊とともに主筆を務め、金明植らと高麗共産党(朝鮮語版)上海派の国内支部を組織した。
坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12… 坂本 大造(さかもと だいぞう、1894年(明治27年)12月8日 - 1964年(昭和39年)7月29日)は、大正から昭和期の造船技術者、政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・長野県。海軍士官・坂本俊篤の長男として生まれる。父の死去に伴い、1941年(昭和16年)6月2日、男爵を襲爵した。 1916年(大正5年)早稲田大学理工科を卒業した。同年、横浜船渠に入社。その後、石川島造船所に移り、工作部鍛錬工場長、鋳鍛部部長代理などを務めた。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。