西見 雄一郎(にしみ ゆういちろう、1953年 - )は、日… 西見 雄一郎(にしみ ゆういちろう、1953年 - )は、日本の実業家。鷺宮製作所代表取締役社長。日本暖房機器工業会副会長、日本冷凍空調工業会副会長を務めている。 東京都出身。78年国際商科大学(現東京国際大学)卒業後、鷺宮製作所入社。95年代表取締役副社長、2002年に代表取締役社長に就任する。 鷺宮製作所はルーズヴェルト・ゲームの舞台になっており、爆笑問題の田中裕二とは親戚だということが判明した。
島袋 俊夫(しまぶく としお、1952年(昭和27年)10月… 島袋 俊夫(しまぶく としお、1952年(昭和27年)10月26日 - )は、日本の政治家。沖縄県うるま市長(3期)、うるま市議会議員(1期)、具志川市議会議員(4期)などを歴任した。また、県内9市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーである。 琉球政府具志川市(現・沖縄県うるま市天願)出身。1976年(昭和51年)3月、沖縄国際大学短期大学部経済科卒業。 1990年(平成2年)、具志川市議会議員に就任。具志川市議4期目中の2005年(平成17年)4月1日、具志川市は、石川市・勝連町・与那城町と合併してうるま市となったため消滅した。2005年4月からはうるま市議会議員となる。2006年(平成18年)10月8日のうるま市議選で当選。
照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は… 照屋 寛之(てるや ひろゆき、1952年10月4日 - )は、沖縄県出身の政治学者、専攻は行政学、政治学。沖縄国際大学名誉教授。 政治家、弁護士の照屋寛徳は親戚。 具志川市(現うるま市)宇前原に生まれる。高江洲小学校、高江洲中学校、前原高校、琉球大学を卒業後、日本大学大学院法学研究科博士後期課程(単位取得退学)。1999年沖縄国際大学専任講師、助教授を経て2006年教授となり、沖縄国際大学沖縄法政研究所所長、副学長、図書館長を歴任。2021年2月退職。 2021年4月うるま市長選挙に出馬。無所属新人で前市議の中村正人に敗れる。
赤沼 宏(あかぬま ひろし、1952年4月19日 - )は、… 赤沼 宏(あかぬま ひろし、1952年4月19日 - )は、福島県出身の日本の実業家。川崎近海汽船代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 設立以来初の生え抜き社長である。東京国際大学(旧国際商科大学)商学部出身
小板橋 喜久代(こいたばし きくよ、1952年3月 - )は… 小板橋 喜久代(こいたばし きくよ、1952年3月 - )は、日本の看護学者である。現在群馬大学医学部保健学科看護学専攻教授。専門は基礎看護学(リラクゼーション)。 ホリスティックナーシングケアに活用できる補完代替療法の効果 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
姫野 達也(ひめの たつや、1952年2月1日 - )は、日… 姫野 達也(ひめの たつや、1952年2月1日 - )は、日本のシンガーソングライター。チューリップのボーカリスト、キーボーディスト、ギタリスト。 現在[いつ?]は、地元福岡に暮らしながら音楽活動をしている。 福岡県福岡市出身。東福岡高等学校から八幡大学に進学。アマチュア時代は、後に海援隊メンバーとなる、高校・大学の同窓である千葉和臣とともにライラックを結成していたが、財津和夫に誘われチューリップに加入。1972年に上京し、東芝音楽工業(後の東芝EMI、現:EMIミュージック・ジャパン)より『魔法の黄色い靴』でレコード・デビュー。当時、メンバー最年少だった姫野がリードボーカルをとった3曲目のシングル『心の旅』(1973年)がヒットし、チューリップは、メジャー・バンドとなる。
太田 喜久子(おおた きくこ、1952年 - )は、看護学者… 太田 喜久子(おおた きくこ、1952年 - )は、看護学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は地域看護学、老年看護学。元日本看護系学会協議会会長。 1975年、聖路加看護大学衛生看護学部卒業。1994年聖路加看護大学大学院看護学研究科課程修了。看護学博士, 論文の題は「痴呆性老人と主たる介護者との家庭における相互作用の構造」。 宮城大学教授、慶應義塾大学看護医療学部教授、東京大学大学院医学系研究科講師などを経て、2005年より慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科教授、2006年日本看護系学会協議会会長、日本学術会議連携会員。2009年より看護医療学部学部長、日本看護系大学協議会理事(副代表)。2010年日本老年看護学会理事長。
樋口 晶彦(ひぐち あきひこ、1952年 - )は、日本の言… 樋口 晶彦(ひぐち あきひこ、1952年 - )は、日本の言語学者・教育学者。専門は、応用言語学・英語教育学・外国語教育政策。鹿児島大学教育学部名誉教授。宮崎国際大学国際教養学部特任教授。 東京国際大学商学部卒業、ミシガン大学大学院言語学研究科にてM.A. (言語学)、エジンバラ大学大学院応用言語学研究科よりM.Sc.(応用言語学)を取得。 現在、鹿児島大学附属中学校の校長を退任している。現在は鹿児島大学名誉教授、宮崎国際大学国際教養学部特任教授をしている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
千葉 和臣(ちば かずおみ、1951年〈昭和26年〉12月2… 千葉 和臣(ちば かずおみ、1951年〈昭和26年〉12月24日 - )は、東京都練馬区出身のシンガーソングライターで、海援隊のギタリスト。 のちにチューリップのメンバーとなる姫野達也とともに、アマチュアフォークデュオ・ライラックで活動していたが、財津和夫に誘われた姫野がチューリップへ加入したためグループを解散。その後、中牟田俊男に誘われ、海援隊に加わる(1971年結成、1972年デビュー、1982年解散。1994年に再結成)。 『3年B組金八先生』第1シリーズ主題歌で海援隊の代表曲となった「贈る言葉」は千葉の作曲。本人も海援隊のメンバーとして『金八先生』の第1・第2シリーズへ中牟田とゲスト出演。
稲本 隆寿(いなもと たかとし、1951年(昭和26年)12… 稲本 隆寿(いなもと たかとし、1951年(昭和26年)12月1日 - )は、愛媛県喜多郡内子町長。 喜多郡内子町生まれ。旧内子町職員時から河内紘一町長に仕え、河内町長の支持を得て町長選に出馬、無投票当選、就任した。本名の字体は「隆壽」。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
菊地 誠一(きくち せいいち、1951年(昭和26年)8月2… 菊地 誠一(きくち せいいち、1951年(昭和26年)8月29日 - )は、BS朝日取締役相談役。
吉田 実 (よしだ みのる、1950年11月 - )は日本の… 吉田 実 (よしだ みのる、1950年11月 - )は日本の経営者。シーモール下関商業開発株式会社、前代表取締役社長。山口県下関市出身。 下関商業高校から八幡大学法経学部経営学科に進学。在学中に経営学に没頭する。1973年大学を卒業し下関商業開発株式会社に入社。一貫してシーモール下関設立準備に関わる。以後経理部長、営業部長、常務、専務を経て、2006年代表取締役社長に就任。2019年まで社長として13年間シーモール下関を運営してきた。その間シネコン誘致や下関海峡映画祭実行委員長 として地元文化の発展に貢献してきた。
菊谷 秀吉(きくや ひでよし、1950年6月25日 - )は… 菊谷 秀吉(きくや ひでよし、1950年6月25日 - )は、日本の政治家。元北海道伊達市長(6期)。
秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪… 秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪問看護師、有限会社ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役所長、特定非営利活動法人白十字在宅ボランティアの会理事長、新宿区介護サービス事業者協議会副会長、東京女子医科大学非常勤講師。異名は「市ヶ谷のマザー・テレサ」。 1950年(昭和25年)秋田県秋田市土崎港で9人きょうだいの末っ子として生まれる。1969年(昭和44年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)聖路加看護大学衛生看護学部卒業。看護師、助産師、保健師の資格を取得。大学卒業後は京都府の日本バプテスト病院で産婦人科病棟に勤務。 大阪大学医療技術短期大学部看護学科助手、日本バプテスト看護専門学校専任教員を経て、1992年(平成4年)8月、医療法人春峰会白十字訪問看護ステーションに勤務。
外間 守吉 (ほかま しゅきち、1949年10月8日 - )… 外間 守吉 (ほかま しゅきち、1949年10月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元沖縄県与那国町長(4期)、元与那国町議会議員(3期)。福山海運代表社員。 沖縄県八重山郡与那国町祖内生まれ。沖縄国際大学卒業。大学卒業後、福山海運専務を経て、1978年に与那国町議会議員に初当選する。町議を3期務め、1986年から1990年まで与那国町議会議長を務めた。 2005年、尾辻吉兼町長の死去に伴う与那国町長選挙に自由民主党、公明党の推薦を受けて出馬し、初当選。 2009年の町長選では、民主党が支援する元与那国町副参事の田里千代基を破り再選。この町長選では、与那国島への陸上自衛隊誘致の是非も争点化していたが、外間は誘致推進を掲げていた。
山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本… 山下健夫(やました たてお、1949年1月4日 - )は日本の登山家。福岡県北九州市出身。 1971年八幡大学(現九州国際大学)卒業。学生時代山岳部で国内中心に山岳登頂を重ねる。大学卒業後アウトドア用品会社に就職。 エベレスト登頂後は九州マウンテン・ガイド・サービス(山ちゃん塾)を主宰。山岳ガイドの傍ら講演活動等も頻繁に行っている。他マッキンリーやヨーロッパアルプス等登頂多数。 2006年エベレスト登頂にはハンディカムで撮影しながらのアタックに挑戦した。 2010年に3回目のエベレスト登頂を計画していたが体調の調整の為延期となった。 2012年に3回目のエベレスト登頂を目指しネパール側ルートでC4まで到達したが、エベレスト登山史上類を見ない悪条件により山頂直前で大渋滞が発生。
松山 良一(まつやま りょういち、1949年 - )は日本の… 松山 良一(まつやま りょういち、1949年 - )は日本の実業家、外交官。イタリア三井物産社長、三井物産理事兼九州支社長、駐ボツワナ特命全権大使などを経て、独立行政法人国際観光振興機構理事長。学校法人国際大学 理事及び評議員。GLOCOM所長。 鹿児島県鹿児島市出身。1968年ラ・サール高等学校卒業。1972年東京大学経済学部を卒業し、三井物産入社。 1995年イタリア三井物産社長、1997年から在イタリア日本人商工会議所会頭。1999年三井物産広報室長、2001年三井物産情報総括部長兼営業事業部長、2004年米国三井物産副社長兼情報産業本部長、2005年三井物産九州支社長、2006年三井物産理事兼九州支社長。
稲葉 佳江(いなば よしえ、1949年 - )は、日本の看護… 稲葉 佳江(いなば よしえ、1949年 - )は、日本の看護学者。札幌保健医療大学元学長。専門分野は看護教育学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016… 流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016年9月15日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球スカウト、長崎国際大学硬式野球部監督。福岡県立小倉商業高等学校卒業。 小倉商業高校では、2年生の時に1965年秋季九州大会県予選で県北部決勝まで進むが小倉高に敗退。翌1966年春季九州大会県予選では2回戦で八幡高を相手に7回コールドながら完全試合を達成して注目される。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で柳川商に惜敗、甲子園には出場できなかった。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。足立光宏、山田久志に続くアンダースロー。飄々とした風貌から投げられるシュート、カーブを武器に6年目にプロ入り初勝利を挙げる。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
川越 博美(かわごえ ひろみ、1948年(昭和23年)4月1… 川越 博美(かわごえ ひろみ、1948年(昭和23年)4月10日 - )は日本の看護師、訪問看護師。訪問看護パリアン看護部長。NPO法人すみだ在宅ホスピス緩和ケア連絡会あこも代表。
田村 やよひ(たむら やよひ、1948年 - )は、日本の看… 田村 やよひ(たむら やよひ、1948年 - )は、日本の看護学者、保健師・看護師。博士(保健学)。静岡県出身。元国立国際医療センター国立看護大学校学校長、前日本赤十字九州国際看護大学学長。公益財団法人日本訪問看護財団理事長。日本看護科学学会理事長を歴任。2022年、瑞宝中綬章受章。 厚生省では、看護職員の需給見通しの策定、在宅看護や精神看護学を強化するための看護教育カリキュラムの改正に取り組んだ。性別によって異なっていた資格の名称を統一した保健師助産師看護師法の改正、新人看護師・助産師の臨床能力向上を図るための卒後研修の仕組みの検討を行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平野 かよ子(ひらの かよこ、1948年 - )は、日本の看… 平野 かよ子(ひらの かよこ、1948年 - )は、日本の看護学者。社会福祉学博士。神奈川県出身。 聖路加看護大学卒業、立教大学大学院修士課程修了(社会学)、東洋大学大学院博士課程終了(社会福祉学)。聖路加国際病院看護師・保健師を経て、東京都東村山保健所保健師を経験。1992年から2008年まで、公衆衛生従事者の研修機関である国立公衆衛生院(2002年国立保健医療科学院に改組)公衆衛生看護部に勤務。2001年、日本保健師活動研究会(旧・日本公衆衛生看護研究会)会長に就任。これまでに聖路加看護大学講師、日本赤十字看護大学講師、東北大学大学院医学系研究科保健学専攻・教授を歴任。2013年から長崎県立大学参与・特命教授。
富田直美(とみた なおみ、男性、Naomi Tomita、1… 富田直美(とみた なおみ、男性、Naomi Tomita、1948年 - )は静岡県出身の実業家であり、レボテックパートナー社の代表取締役社長。数々の米国企業を日本へ導入するコンサルティングを行い、デザイン会社D&Dスタジオのデザイン顧問も勤めている。 国際商科大学卒。デザイナーのハンス・ムート、CollabNet創立者ティム・オライリー、w:Brian Behlendorf、マーク・アンドリーセン、ベン・ホロウィッツとは親しい仲である。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
野口 春生(のぐち はるお、1948年 - 2021年10月… 野口 春生(のぐち はるお、1948年 - 2021年10月28日)はエフエム福岡の元アナウンサー。 熊本県出身。1971年八幡大学(現・九州国際大学)法経学部卒業後、FMラジオ局のエフエム福岡に入社。(おおはら はるお)名のアナウンサーとして1970年代から80年代にかけて音楽番組などのディスクジョッキーを担当、紳士的かつ品性のある声で番組を進行し評判を得た。その後同社のディレクター、大阪支社長、放送部長、理事などを歴任。現在は系列会社キュー・ミュージックのエグゼクティブ・プロデューサー取締役。 2011年から九州国際大学国際関係学部客員教授(コミュニケーション論)に就任。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
池田 和穗(いけだ かずお、1947年9月14日 - )は… 池田 和穗(いけだ かずお、1947年9月14日 - )は、日本の実業家。日清フーズ株式会社会長、日清製粉グループ本社副社長、日清製粉プレミックス社長を務めている。 国際商科大学商学部を卒業後、1971年日清製粉に入社。数年後、社内選考をパスして米国コーネル大学へ1年間留学。食品流通経営学を学んだ。2002年に日清製粉執行役員、2004年に取締役。2005年日清フーズ社長に就任。以来10年以上日清製粉の取締役を務めている。 大学時代はゴルフ部に在籍しており、ケンウッド元社長の中野宏とは大学の同期で親しい友人である。
中野 宏(なかの ひろし、1947年7月6日 - )は、日本… 中野 宏(なかの ひろし、1947年7月6日 - )は、日本の実業家。オンキヨー株式会社代表取締役副社長COO。ケンウッド元代表取締役社長。 長野県生まれ。国際商科大学商学部を卒業後、1971年ケンウッドに入社。以来、役員になるまで海外畑として働き、1998年にケンウッド取締役。2001年に代表取締役社長に就任。 社長に就任した中野は、それまで慢性的な赤字を垂れ流し続けていたホームオーディオ事業の大半を切り捨てることを表明した。前任の酒井田格社長は、清算を拒むOBとの権力闘争により退任しており、ケンウッド中興の祖である石坂一義および、経営OBは指示に従うであろう当時53歳の若い中野を社長に指名したが、中野は徹底的なOB外しを敢行した。
堀田 泰司(ほった やすじ、1946年12月21日 - )は… 堀田 泰司(ほった やすじ、1946年12月21日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は民法で、特に請負契約を研究対象とする。九州国際大学名誉教授、前学長、法学部・大学院法学研究科教授。広島県三原市出身。 新版不動産取引の基礎、(共著)青林書院、1983年 民法と現代社会、(共著)嵯峨野書院、1989年 民事裁判例の基本原理、(共著)嵯峨野書院、1989年 債権法各論・市民社会の法シリーズⅣ、(編著)嵯峨野書院、1998年 現代民事法学の構想・内山尚三先生追悼論文集、(編著)信山社、2004年 『債権法各論』〔新現代社会と法シリーズⅣ〕(編著)(嵯峨野書院、2006年 『民法総則』〔新現代社会と法シリーズⅠ〕(編著)(嵯峨野書院、2007年 『民法総則』〔スタンダール民法シリーズⅠ〕(編著)(嵯峨野書院、2015年 『債権法各論』〔スタンダール民法シリーズⅣ〕(編著)(嵯峨野書院、2016年 『物権・担保物権法』〔スタンダール民法シリーズⅡ〕(編著)(嵯峨野書院、2019年|-|主な論文 建設請負契約における諸問題(一)、(二)、(三・完)(単著)建設総合研究24巻3・4合併号、1975年、建設総合研究25巻1号、1976年、建設総合研究25巻2号、1976年 ジョイント・ヴェンチャーに関する一考察(単著)八幡大学論集第31号第3号、1981年 請負と所有権移転の時期(単著)現代民法学の基本問題(中)、第一法規、1983年 安田先生の借地借家法論(単著)安田民法学、八幡大学社会文化研究所、1984年 債権譲渡の対抗要件(単著)債権法重要論点研究、酒井書店、1988年 中間省略登記(単著)物権法重要論点研究、酒井書店、1991年 定期借家制度における問題点(単著)、財産法諸問題の考察・小林一俊博士古希記念論集、酒井書店、2004年|-|学会発表 わが国に於ける公共工事請負契約の問題点(第85回九州法学会)1992年|-|その他
奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看… 奥宮 暁子(おくみや あきこ、1946年 - )は、日本の看護師、看護学者。学位は医学博士。札幌医科大学 名誉教授。専門はリハビリテーション看護学、老年健康看護学など。これまでに茨城県立医療大学教授、大阪大学教授、東京工科大学教授、帝京科学大学教授、北海道科学大学教授などを歴任した。 祖父は大日本帝国海軍中将の栗田健男、高祖父は東京帝国大学教授の栗田寛、おじは大日本帝国海軍中佐・空将の奥宮正武。 1969年に聖路加看護大学を卒業する。1973年に日本社会事業学校研究科を修了。その後、1973年から1982年にかけて国家公務員等共済組合連合会虎の門病院看護師、1982年から1986年にかけて埼玉県立衛生短期大学講師となり、1986年から1996年にかけて東京都立医療技術短期大学助教授、教授として勤める。
リボウィッツ よし子(Yoshiko Leibowitz、1… リボウィッツ よし子(Yoshiko Leibowitz、1945年9月2日 - ) は、日本の看護学者。専門は在宅・終末期看護学。元公立大学法人青森県立保健大学理事長兼学長。元新潟青陵大学学長。 1964年山梨英和高等学校卒業。1968年聖路加看護大学卒業、看護学士、聖路加国際病院勤務。1976年ニューヨーク大学大学院看護学研究科修士課程修了、MAN(看護学修士)。1977年ワシントン州立大学看護学講師。1981年トーマス・ジェファーソン大学病院フォードロードキャンパス看護婦長。1984年トーマス・ジェファーソン大学病院フォードロードキャンパス副看護部長。1995年ペンシルバニア州フィラデルフィアで訪問看護ステーション・コンティニュアスホームケアを設立し施設長に就任。
竹之内 雅史(たけのうち まさし、1945年3月15日 - … 竹之内 雅史(たけのうち まさし、1945年3月15日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・野球指導者。現在は、羽衣国際大学野球部総監督を務めている。
齋藤 富雄(さいとう とみお、1945年1月20日 - )は… 齋藤 富雄(さいとう とみお、1945年1月20日 - )は、日本の元地方公務員。西播磨県民局長や、兵庫県副知事、兵庫県顧問等を経て、神戸山手大学学長兼関西国際大学副学長を歴任した。兵庫県立大学特任教授。 兵庫県出石郡出石町(現豊岡市)出身。1963年兵庫県立出石高等学校卒業、兵庫県入庁。1969年関西大学法学部法律学科卒業、1990年兵庫県知事公室秘書課長。1993年兵庫県知事公室次長兼秘書課長。1995年兵庫県西播磨県民局長。1996年初代兵庫県防災監。2001年兵庫県出納長。2001年兵庫県副知事。 2005年兵庫県国際交流協会理事長。2009年兵庫県顧問。2010年神戸学院大学客員教授。
山下 香枝子 (やました かえこ 1944年 - )は、日本… 山下 香枝子 (やました かえこ 1944年 - )は、日本の看護師。看護学者。専門は臨床看護学(成人・老年期)、禁煙行動、排尿機能障害、医療事故予防。慶應義塾大学看護医療学部教授。2007年より、同部・学部長。また、慶應義塾大学ワークライフバランス研究センター・センター長兼任。2010年より、聖隷クリストファー大学看護学部看護学科教授、同学部学部長を経て16年より国際医療福祉大学成田看護学部教授・学部長 名古屋大学医学部附属病院、慶應義塾大学医学部の看護師を経て、1976年、慶應義塾大学医学部附属・厚生女子学院(現・慶應義塾大学看護医療学部の前身)の専任教員となった。その後、アメリカ・デューク大学への留学時の経験等から看護師養成における科学的教育の重要性を認識。
谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018… 谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018年2月24日)は、株式会社ジェイ・エム・エス元代表取締役社長。広島県三次市出身。 発注生産管理に於いてコンピューターでの一元管理システムの構築に貢献。シンガポール子会社設立に携わった。趣味は囲碁。
池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2… 池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2016年8月24日)は、日本の武道家。日本空手道常心門少林流・初代宗家。 1942年3月18日、満洲国生まれ。引揚げ後、鹿児島県で育つ。鹿児島経済大学(鹿児島国際大学)で空手部へ所属し、少林寺流空手道錬心舘の初代宗家 保勇に師事した。 1962年、第8回全国空手道選手権大会(旧・全空連主催)中量級準優勝。同年、第1回鹿児島県空手道選手権大会総合優勝。1963年、第2回鹿児島県空手道選手権大会優勝。 1965年12月、錬心舘の保勇師範に随行し、当時は「竹のカーテン」といわれ、日本との国交がなかった中華人民共和国(「日中国交正常化」は1972年)の中国武術界から招聘を受けて、中国を訪問。
新道幸惠(しんどう さちえ、1942年 - )は、日本の看護… 新道幸惠(しんどう さちえ、1942年 - )は、日本の看護学者・看護師・助産師。山口県出身。なお、「新道幸恵」とも表記される。 1963年日本赤十字中央女子短期大学看護科卒。1964年日本赤十字社助産婦学校卒。1969年国立公衆衛生院専攻課程看護コース卒。1977年弘前大学医療技術短期大学部助教授。1983年聖路加国際大学大学院看護学研究科修士課程修了。東海大学医療技術短期大学助教授。1984年国立公衆衛生院主任研究官。1990年神戸大学医学部附属病院看護部長。1992年東邦大学にて「母性意識・行動等と乳幼児期における小児の発育発達との関連性」で医学博士取得。1993年神戸大学医学部教授。1999年青森県立保健大学学長。
アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
正野 隆士(しょうの たかし、1941年 - )は日本の実業… 正野 隆士(しょうの たかし、1941年 - )は日本の実業家。元ミサワホーム中国 代表取締役社長、会長、現特別顧問。北九州市 八幡東区出身。 1964年八幡大学二部法経学部経営経済学科卒業。河合楽器に就職。1968年ミサワホーム岡山に入社。1982年同社社長。ミサワホーム中国設立後、専務を経て1996年代表取締役社長に就任。他に岡山県公安委員会委員長、 地方独立行政法人岡山市立総合医療センター理事、 公益財団法人キリスト教青年会日本YMCA同盟評議委員会会長 、岡山シルバー人材理事長センター、NPO団体ふるさと創生プロジェクト特別顧問などを務める。 2018年11月、旭日小綬章。
露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日… 露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 元フジテレビのエグゼクティブアナウンサー。東京国際大学特命教授・客員教授。日本記者クラブ企画委員。 TBSスパークル(旧キャスト・プラス)所属。妻は早稲田大学時代の同級生で同じ放送研究会に所属していた元NETテレビ(現在:テレビ朝日)アナウンサーの軽部和子。 東京府東京市麹町区(現在:東京都千代田区)出身。千代田区立麹町小学校、千代田区立麹町中学校、早稲田大学高等学院(早大学院)を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属(当時の会友には大沢悠里、鈴木史朗、枇杷阪明、石川顕らがいた)する。
知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、… 知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、日本の政治家。沖縄県初代うるま市長(1期)、具志川市長(2期)、具志川市議会議員(6期)などを歴任した。 沖縄県具志川村具志川出身(現・沖縄県うるま市具志川)出身。沖縄国際大学短期大学部卒。1970年から具志川市議会議員を6期連続で務め、議長に就任した。1998年、具志川市長に当選。2期務めた。2005年に具志川市は合併でうるま市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選、初代うるま市長として、合併後うるま市の基盤づくりに努めた。。うるま市長は1期務め、2009年に退任した。2011年11月3日、秋の叙勲において旭日中綬章受章した。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
比嘉 盛光(ひが せいこう、1938年(昭和13年)7月1日… 比嘉 盛光(ひが せいこう、1938年(昭和13年)7月1日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宜野湾市長(2期)。 現在の沖縄県宜野湾市出身。沖縄国際大学法学部卒。宜野湾市役所に入り、経済民生部長、教育次長、市民経済部長、企画部長を歴任し、1997年宜野湾市長選挙に立候補し、当選。2001年も再選した。 2期目の2003年市長選挙をめぐる違法献金事件で、公職選挙法違反と政治資金規正法違反の容疑で逮捕され、3月6日に市長を辞職した。
松本 昌悦(まつもと しょうえつ、1937年7月12日 - … 松本 昌悦(まつもと しょうえつ、1937年7月12日 - )は、日本の法学者(憲法・行政法)。元中京大学法学部及び大学院教授、法学部長。弁護士。 他著書、論文共に多数有 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょ… 佐木 隆三(さき りゅうぞう、本名:小先 良三〈こさき りょうぞう〉、1937年〈昭和12年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉10月31日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家で、北九州市立文学館名誉館長、九州国際大学元客員教授。当初は純文学作家として活動したが、直木賞受賞の『復讐するは我にあり』以降は犯罪ノンフィクションで人気を博し、後年は法廷のルポルタージュでも広く知られる。旧朝鮮咸鏡北道穏城郡生まれ。 両親とも広島県出身で、父親は農家。一旗あげようと田畑を売り払って朝鮮に渡り、良三は朝鮮で生まれる。1941年(昭和16年)、銀山の所長をしていた父が呉の海軍に召集されたため、一家で日本に引き揚げた。
仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - … 仲宗根 正和(なかそね まさかず、1936年12月1日 - 2022年1月21日)は、日本の政治家。元沖縄県沖縄市長(2期)。 沖縄県中頭郡越来村(のちコザ市、現・沖縄市)胡屋出身。沖縄国際大学卒。コザ市役所に入り、沖縄市財政課長、企画部参事、総務、福祉、企画、建設の各部長、東部海浜開発局長を経て、1998年の沖縄市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。2002年に再選。沖縄市長を2期務め、2006年に退任した。2022年1月21日、老衰のため、うるま市内の施設で死去した。85歳没。死没日を持て正六位に叙された。
岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、… 岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、日本の国際金融マン、医療経済研究者。 住友銀行(現:三井住友銀行)入行。取締役国際投融資部長、常務取締役ロンドン支店長、専務取締役を歴任。同行退職後、明光証券(現:SMBC日興証券)代表取締役会長、広島国際大学医療福祉学部医療経営学科および同大学院教授を経て、医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構副所長を歴任。
藤原 欣一郎(ふじわら きんいちろう、1932年 - )は日… 藤原 欣一郎(ふじわら きんいちろう、1932年 - )は日本の会計学者。元八幡大学教授。公認会計士 。 1957年 八幡大学二部法経学部経営経済学科卒業。1964年公認会計士登録、会計事務所開設。同年八幡大学法経学部講師就任。1974年八幡大学教授に就任。大学では賃金管理論、会計学総論、経営分析論の講義を受け持った。 1988年日本税務会計研究学会理事。2005年福北監査法人設立。 2020年8月28日、死去、88歳。
中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、… 中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、日本の経済史学者。京都大学・福井県立大学・鹿児島国際大学名誉教授。堀江英一門下。 1931年、愛知県岡崎市出身。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、1951年4月、京都大学文学部入学。1955年4月、同文学部史学科国史学専攻卒業。1957年3月、京都大学大学院文学研究科修士課程国史学専攻修了。1959年3月、京都大学大学院文学研究科博士課程国史学専攻退学後、京都大学人文科学研究所助手を1966年まで務める。同年4月、龍谷大学経営学部助教授。1969年4月、京都大学経済学部助教授に就任。1970年7月、経済学博士学位取得。1976年7月、同経済学部教授。
崔 昌華(チェ チャンファ、さい・しょうか、朝: 최 창화、… 崔 昌華(チェ チャンファ、さい・しょうか、朝: 최 창화、1930年9月24日 - 1995年2月8日)は、在日コリアンの牧師。朝鮮平安北道出身。 ソウル新興大学卒業後、1954年に当時国交の無かった日本に密入国し、北九州市に違法に居住し始めた。1960年在日大韓基督教会小倉教会を開設し、そこの牧師になる。牧師としての活動の傍ら、日本の法律を学ぶ為八幡大学に入学、1966年に法律学科を卒業。後年、八幡大学では朝鮮語の講師も務めた。 外国人参政権問題について日本は在日韓国人に与えるよるように要求し、1975年に北九州市に公開質問状を送った。同年NHKを相手取り"韓国人名の発音を日本語読みにて放送するのは人権侵害である"と主張して訴訟を起こした。
瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - … 瀬戸山 登一(せとやま とういち、1930年5月13日 - 1978年10月19日)は、日本の法学者。専門は、行政法・公法学。学位は、法学博士(明治大学・論文博士・1972年)(学位論文「明治憲法における予算制度」)。元八幡大学教授。宮崎県都城市出身。子息に大阪大学大学院法学研究科教授瀬戸山晃一がいる。 宇賀田順三、森三十郎、和田英夫らに師事した。存命中に32の研究論文を発表した(法学セミナー1973判例憲法等)。また福岡大学法学部、鹿児島大学法文学部の非常勤講師も勤めた。明治憲法における研究では、予算制度の研究の他、租税法律主義、予算の効力、現憲法下における思想の残存とその検討、ドイツ予算制度の導入とその矛盾、等多角的また比較論的にも考察し当時の学会に於いて一定の評価を得た。