田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は… 田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、日本の歌人。短歌結社竹柏会「心の花」編集委員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。全国高校生短歌大会審査員。
國學院大學:37人
田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は… 田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、日本の歌人。短歌結社竹柏会「心の花」編集委員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。全国高校生短歌大会審査員。
榮 猿丸(さかえ さるまる、1968年3月5日 - )は、俳… 榮 猿丸(さかえ さるまる、1968年3月5日 - )は、俳人。東京都北区生まれ。 國學院大学文学部哲学科卒。在学中『國大俳句』復刊に誘われ俳句と出会う。ただしこのときは三ヶ月で退会し、しばらく俳句から離れていた。 2000年、澤俳句会に入会、小澤實に師事。2002年、『澤』編集部加入。2004年、第4回澤新人賞。2008年、「とほくなる」で第54回角川俳句賞候補。2010年、第6回澤特別作品賞。同年より3年間、『澤』編集長を務める。2014年、第一句集『点滅』で第5回田中裕明賞受賞。「ビニル傘ビニル失せたり春の浜」「箱振ればシリアル出づる寒さかな」など、現代的な生活風景に素材を取った句が多い。
森本平(もりもと たいら、 (1964-11-22) 196… 森本平(もりもと たいら、 (1964-11-22) 1964年11月22日(61歳) - )は、日本の歌人。歌誌「開耶」発行人。 東京都出身。祖父は万葉学者の森本治吉、母は歌人の槇弥生子という家系に生まれる。 1978年に歌誌「醍醐」に入会し、母に師事。1984年、國學院大學文学部入学。在学中「國學院短歌」に参加。同大学院博士後期課程満期退学。阿部正路に師事。修士論文のテーマは「近代幻想小説論」。1989年に第一歌集『空を忘れず』を出版。1995年、「砦」創刊に参加。1997年の第三歌集『モラル』を出版した際は、「草葉の陰で祖父が泣いてるぞ」などといったような「暖かい励ましのお手紙」を多数受けたという。
中澤 伸弘(なかざわ のぶひろ、1962年 - )は、高校国… 中澤 伸弘(なかざわ のぶひろ、1962年 - )は、高校国語教師、大学講師、神道学研究者、国学者、歌人。号は柿之舎(かきのや)。 東京生まれ。1985年に國學院大學文学部文学科を卒業。在学中は森田康之助から神道思想、また鈴木敬三から有識故実を学ぶ。 卒業後は都立高校国語科(主に古典教育)教諭(主幹)。上野、足立、小岩、科学技術高校等を歴任し、2023年定年退職。この間、國學院大學文学部神道学科兼任講師(1993-2001年、2015年-)、國學院大學日本文化研究所共同研究員(6年間)、財団法人無窮会東洋文化研究所特別研究員を兼任。2009年「徳川時代後期出雲歌壇と國學の研究」で博士(神道学)。
鈴木 伸一(すずき しんいち、1957年4月20日 - )は… 鈴木 伸一(すずき しんいち、1957年4月20日 - )は、日本の俳人。国際俳句雑誌「吟遊」同人。 群馬県出身。國學院大學文学部卒業。1985年に「俳壇正賞」を受賞。ぐんま社会保険センター俳句教室講師。1997年より上毛新聞「ジュニア俳壇」選者として数多くの青少年俳句に接すると共に、学校での俳句授業や講演などを行い、青少年が俳句に親しむ環境づくりに取り組んでいる。世界俳句協会会員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )… 桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。 國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。 1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 202… 甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 2025年1月4日)は、日本の歌人。 愛知県出身。國學院大學文学部日本文学科卒業、同大学院日本文学研究科修士課程修了。 大学入学前から作歌を始め、大脇月甫主宰の歌誌「青虹」に入会。香川進、岡野弘彦に師事。前田夕暮の流れを汲み、「地中海」を経て、「ナイル短歌工房」代表を務めた。その後2021年に、釈迢空系隔月刊同人誌「ぱとす」(1978年創刊)を復刊し、「ぱとす短歌会」に活動の場を移した。 日本文藝家協会会員、現代歌人協会会員、國學院大學国文学会会員、日本短歌協会理事長。テレビ朝日のドラマ『相棒』2011年11月2日放送の「晩夏」では短歌監修を担当した。
藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - … 藤井 常世(ふじい とこよ、女性、1940年12月3日 - 2013年10月30日)は、日本の歌人。 折口信夫門下の歴史学者・藤井貞文の娘として東京都に生まれる。弟は藤井貞和。「常世」は本名で、折口が名付け親。國學院大學文学部文学科卒業。香川進の歌誌『地中海』を経て、1972年岡野弘彦の歌誌『人』創刊に参加。1993年『笛の会』を結成、代表となる。現代歌人協会会員。2002年「NHK歌壇」選者。2013年10月30日、急性心不全のため死去。72歳没。
玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は… 玉井 清弘(たまい きよひろ、1940年7月21日 - )は、日本の歌人。歌誌「音」選者・編集運営委員会。香川県高松市在住。令和6年6月3日現在。 愛媛県西条市生まれ。國學院大学文学部日本文学科卒業。元香川県立高等学校教諭。 1965年、窪田章一郎の「まひる野」に入会。1982年、武川忠一の「音」に参加。四国を拠点とし、自らの住む所を詠み続ける地方歌人の代表的存在である。四国新聞、愛媛新聞、朝日新聞四国版の歌壇選者。
岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10… 岸上 大作(きしがみ だいさく、1939年(昭和14年)10月21日 - 1960年(昭和35年)12月5日)は、日本の歌人。兵庫県神崎郡田原村井ノ口(現・福崎町西田原)出身。
鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 20… 鳥海 昭子(とりのうみ あきこ、1929年4月6日 - 2005年10月9日)は、歌人、エッセイスト。 山形県鳥海山麓生まれ。1949年歌誌「アララギ」入会。その後「歌と観照」「短詩型文学」に所属する。家出同然で上京して、様々な仕事を経験しながら学費を稼ぎ、1955年國學院大學文学部日本文学科卒業。児童養護施設に洗濯婦として働き始め、身寄りのない子供たちの継母として26年間勤め上げた。1985年、歌集「花いちもんめ」で第29回現代歌人協会賞受賞。1992年東京都文化功労賞受賞。現代歌人協会会員。児童養護施設勤務経験をもとにした随筆も執筆している。2005年、NHKラジオの「ラジオ深夜便」にて誕生日の花にちなんだ短歌を一年間発表。
綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 201… 綾部 仁喜(あやべ じんき、1929年3月26日 - 2015年1月10日)は、東京出身の俳人。 八王子生まれ。國學院大學文学部卒業。1953年「鶴」に入会、石田波郷、石塚友二に師事。1974年、小林康治創刊の「泉」に入会。1977年より「泉」編集を担当、1980年から「泉」編集長。1990年、石田勝彦より「泉」主宰を継承。1994年『撲簡』により第34回俳人協会賞、2008年『山王林だより』により第23回俳人協会評論賞、2009年『沈黙』により第9回俳句四季大賞受賞。2014年「泉」主宰を藤本美和子に譲り同顧問となる。「かたくりの花の韋駄天走りかな」(『樸簡』所収)など、韻文性が強く余情の深い句風が特徴。
森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 201… 森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 2013年6月6日)は、俳人。本名・康秀。 大阪府生。國學院大學国文科卒。1942年より作句し「誹諧」の高浜虚子・年尾選に投句。1944年、岡安迷子に師事。迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子に会いに行き、この際に虚子から「峠」の俳号を貰った。 1951年、兵庫県尼崎市尼崎高等学校に教員として奉職。同年、阿波野青畝の「かつらぎ」に入会。翌年より長く編集長を務めたのち、1990年に青畝より「かつらぎ」主宰を継承。2013年、同名誉主宰に就任。また俳人協会顧問も務めた。 代表句に「箱河豚の鰭は東西南北に」などがある。虚子・青畝に学んだ写生を信条とし、吟行を重んじた。
新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12… 新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12日 - 2001年〈平成13年〉6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。江戸川大学名誉教授。同じく江戸川大学教授を務める新井正彦(1957年 - )は子。 長野県上伊那郡長谷村(現伊那市)生まれ。1945年10月に長野青年師範学校を卒業後、長野県小野青年学校などの教諭を歴任。1958年、國學院大學文学部文学科卒。1970年4月より江東区立亀戸中学校教頭。1985年より江戸川女子短期大学教授、人文学科長。1990年より江戸川大学教授、教養部長。1995年に定年退職し、名誉教授。歌誌『水門』主宰、千葉日報歌壇選者。
山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2… 山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2014年3月20日)は、歌人。 東京府出身。旧姓:田中。松本清張の父・峯太郎の弟・田中嘉三郎の娘で、つまり清張の従妹にあたる。國學院大學文学部国文科卒。中河幹子、折口信夫に師事した。同じく折口門下の詩人・山川弘至と結婚するが、45年夫が戦死。「をだまき」をへて1954年「桃」を創刊。伝統性を尊重しロマン主義をめざす。 大本の信者で、教団の教育機関・梅松塾の第三代塾長を務めた。
今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 20… 今村 充夫(いまむら みちお、1921年6月25日 - 2015年8月27日)は、日本の民俗学者、歌人。 朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)生まれ。京城公立中学校(現・ソウル高等学校)卒。旧制國學院大學予科から学部国文学科卒。旧制福井県立小浜中学校教諭、新制若狭高校、石川県立各高等学校の教諭、教頭を経て、石川県立郷土資料館副館長、分館長。国立石川工業高等専門学校講師(1996年当時)。 加能民俗の会会長、石川県歌人協会会長、石川県立郷土資料館(石川県立歴史博物館の前身)副館長、日本民俗学会名誉顧問、金沢市文化財保護審議委員。国立民族学博物館国内資料調査委員。折口信夫に師事。1983年(62歳)の時に『日本の民間医療』弘文堂を公刊する。
中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 198… 中村 浩(なかむら ひろし、1920年7月15日 - 1985年8月23日)は、日本の国文学者、歌人。 大阪市生まれ。本名・米島勉。父は書道家で大阪朝日新聞にも勤務した中村眉山(本名は平三)。父親が阪田の書の代筆をしていた関係で、晩年の阪田三吉と交流があり、のちにその思い出をもとに阪田の27回忌(1972年)に、それを記念した『実録王将伝』を執筆、のちに『棋神・阪田三吉』として刊行した。 國學院大學文学部国文学科卒。折口信夫、金田一京助に師事。戦後、関西大学、薫英学園で教職につき、その後、大阪府議会事務局、四天王寺女子大学、羽衣学園短期大学、辻調理師学校に勤務。
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10… 飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。
大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)… 大久間 喜一郎(おおくま きいちろう、1917年(大正6年)12月13日 - 2012年(平成24年)3月24日)は、日本の国文学者・歌人。明治大学名誉教授。若い頃にはラジオアナウンサーを務めた経歴も持つ。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)に生まれる。1940年、國學院大學文学部国文科を卒業。卒業後、日本放送協会アナウンサーから満洲電信電話勤務となる(満州電信電話には森繁久弥もアナウンサーとして勤務していた)。 戦後、獨逸学協会中学校(現・獨協中学校・高等学校)教師を経て、明治大学経営学部助教授となり、1962年に教授に就任。1972年「古代文学の構想」で國學院大學より文学博士の学位を取得。
角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日… 吉川 泰雄(よしかわ やすお、1917年〈大正6年〉1月7日 - 2000年〈平成12年〉1月31日)は、日本の言語学者、国語学者、歌人。國學院大學名誉学長。 東京生まれ。1940年(昭和15年)に國學院大學文学部国文学科を卒業し、同国史学科へ編入学、翌年1941年(昭和16年)に退学して東京帝国大学史料編纂掛雇(のち史料編纂所雇)、1952年(昭和27年)に同事務官、1953年(昭和28年)から國學院大學文学部専任講師、1958年(昭和33年)に同助教授、1963年(昭和38年)に同教授となり、1973年(昭和48年)からは文学部長、1975年(昭和50年)の佐藤謙三学長の死去にともなって学長代理、ついで学長をつとめ、1987年(昭和62年)まで在任、退任後に名誉教授・名誉学長となる。
山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10… 山川 弘至(やまかわ ひろし、大正5年(1916年)9月10日 - 昭和20年(1945年)8月11日)は、歌人、詩人、国文学者。 岐阜県奥美濃の郡上市生まれ。國學院大學文学部国文科卒。折口信夫に師事。林富士馬らと文芸同人誌を興す。田中京子(山川京子)と結婚後5日目に召集され、敗戦直前に台湾で爆撃のため28歳で死去。 . NCID BB08934063
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 201… 加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。 京都府綾部市生まれ。旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。1938年、國學院大學卒業。 その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。戦後は浦和中学校の教諭に復帰。1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月… 臼田 甚五郎(うすだ じんごろう、1915年〈大正4年〉1月25日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の国文学者・民俗学者・歌人(雅号:碧洋)。文学博士(國學院大学・論文博士・1961年)(学位論文「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」)。國學院大學名誉教授。 東京都大田区生まれ。東京府立第一中学校を経て、1937年國學院大學文学部卒。柳田國男、折口信夫、河野省三らに師事[要出典]。1953年國學院大學文学部助教授、1957年同教授。1961年「日本歌謡の文学史的民俗学的考察」で國學院大学より文学博士の学位を取得。1985年定年退職、同大学名誉教授。1990年、勲三等瑞宝章受章。学外では日本学術会議会員や歌謡学会会長などを歴任した。
林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年… 林 翔(はやし しょう、1914年1月24日 - 2009年11月9日)は、日本の俳人。本名は林 昭(はやし しょう)。 長野県長野市生まれ。生後10ヶ月で母と死別し、5歳まで祖母に養われる。國學院大學を卒業。大学在学中に能村登四郎と知り合い、登四郎とともに短歌雑誌「装填」の同人となるが、同誌の廃刊後ともに俳句に転じた。1939年から1982年まで旧制私立市川中学(現・市川高等学校)に勤務。1940年、水原秋櫻子の「馬酔木」に初入選。この頃から「翔」を俳号に用いた。1950年「馬酔木」同人となる。1962年、現代俳句協会を脱会し、俳人協会に加入する。1970年、登四郎が「沖」を創刊すると編集主幹に就く。
冷泉 為臣(れいぜい ためおみ、1911年〈明治44年〉5月… 冷泉 為臣(れいぜい ためおみ、1911年〈明治44年〉5月7日 ‐ 1944年〈昭和19年〉8月31日)は、日本の華族、歌人。また、上冷泉家23代当主。父は冷泉為紀伯爵、母は水無瀬忠輔子爵の娘恭子。 祖父、父が宮中で御歌所参候を務めた影響からか、歌学を学ぶため國學院大學文学部に進学。卒業論文では藤原俊成をテーマとした。大学卒業後は陸軍に応召。1936年(昭和11年)4月21日、京都在住華族総代として昭和天皇に拝謁する。 太平洋戦争により中国湖南省邵陽県磨石舗にて戦死したため、妹の冷泉布美子の夫冷泉為任が婿養子として跡を継ぐ。
能村 登四郎(のむら としろう、1911年1月5日 - 20… 能村 登四郎(のむら としろう、1911年1月5日 - 2001年5月24日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事、「沖」を創刊・主宰。東京都出身。 東京都台東区谷中に、7人兄弟の四男として生まれる。1918年、東京都北区田端に引っ越し、錦城中学に入学する。中学時代、伯父から手ほどきを受けて俳句をはじめる。1931年、國學院大學高等師範部に入学、国文学を学ぶ。在学中、短歌同人誌『装填』に参加し、林翔と出会う。1938年、俳誌『馬酔木』に入会、水原秋桜子に師事。同年、私立市川学園の教諭となる。同校は林翔も教員として勤めた。 1945年、応召。除隊後、教員に復職し、1946年に復刊した『馬酔木』に投句を再開。
岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 20… 岩崎 敏夫(いわさき としお、1909年8月21日 - 2004年10月28日)は、日本の民俗学者、歌人。 福島県相馬生まれ。國學院大學高等師範部卒。1962年「本邦小祠の研究」で國學院大學文学博士。相馬女子高等学校教頭。東北学院大学教授。1963年「本邦小祠の研究」で柳田賞受賞。歌人。
村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1… 村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1986年8月1日)は、昭和期の俳人。京都府京都市下京区仏具屋町出身。本名・正三。兄の村山葵郷、姉のたかも俳人。 1939年、國學院大學国文科卒。 保善商業教諭を経て、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事。 俳句は少年時代、兄・葵郷の手ほどきを受ける。「草上」同人を経て、1932年「東炎」同人となる。戦後、1946年「べんがら」を、1952年「たちばな」を創刊したが、1955年石田波郷の知遇をえて「鶴」同人となる。1978年山路閑古のあとを継いで鴫立庵第二十世庵主。 俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。
牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 198… 牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 1986年9月17日)は、日本の民俗学者、神職、歌人。現代に神がかりを残す大元神楽の伝承者で主に神楽と田植歌の分野で功績を残している。 1907年4月5日、島根県邑智郡市山村(現江津市桜江町市山)に生まれる。実家は神職を家職としていた。 1921年、市山村尋常高等小学校を卒業し島根県立浜田中学校に入学するも、長期の病気療養を経て1925年に退学、広島市の私立山陽中学校に編入し1927年に卒業した。医科大学進学を希望していたが、兄の死により牛尾が家業を継ぐことになり國學院大學神道部に進学する。なお母の死によって上京は1年遅れる。 在学中、鈴木棠三、三谷栄一らとともに方言研究会を創設し会誌「方言」を発刊するも3号で廃刊する。
折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月2… 折口 春洋(おりくち はるみ、旧姓: 藤井、1907年2月28日 - 1945年3月19日)は、日本の国文学者、歌人。折口信夫の門弟、養嗣子。國學院大學教授。最終階級は陸軍中尉。 1907年(明治40年)2月28日、石川県羽咋郡一ノ宮村一ノ宮寺家千五十七番地(現・羽咋市)に藤井升義の四男として生まれる。 1913年(大正2年)4月、一ノ宮小学校に入学。1919年(大正8年)4月、金沢市少将町高等小学校に転じる。長兄・次兄と共に、同村の老婦をつけて、早くから遊学させられた。1920年(大正9年)4月、石川県立金沢第一中学校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)入学。 1925年(大正14年)4月、國學院大學予科入学。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1… 今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1968年1月23日)は、歌人、国文学者。 山梨県甲府市生まれ。号・白水。1927年ころから作歌。1935年に國學院大學文学部国文科を卒業。1961年「万葉集の地名と伝承」で國學院大學文学博士。和洋女子大学教授。
金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14… 金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14日 - 1981年(昭和56年)5月12日)は日本の歌人、郷土史家、方言研究家。飯田義資(1894-1973)・一宮松次(1897-1972)と共に徳島県郷土史研究の三大長老の1人とされる。徳島県郷土資料専門調査員を務めた。 1899年2月14日、徳島県美馬郡半田町(現:つるぎ町)に金沢与平の長男として生まれる。 1918年3月、徳島県師範学校本科第一部を卒業する。 1923年4月、上京し国学院大学高等師範部に入学する。在学中は折口信夫に師事する。 1926年、国学院大学高等師範部を卒業し、神奈川県立商工高等学校に就職する。 1927年、帰郷し徳島県立徳島中学校に転任する。
広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月1… 広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月10日 - 1968年(昭和43年)4月4日)は、歌人。 東京出身。國學院大學卒。1915年『アララギ』に入会し、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。1926年東京帝国大学史料編纂所業務嘱託、1927年史料編纂官補、1946年事務官、1954年東京大学史料編纂所助手、1958年講師、1962年退官。歌人としては1950年『白埴』を創刊、1953年『草苑』と合同して『久木』を主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。