榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月… 榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月 - )は、日本の東京都出身の陸上自衛官。 PKO業務に関する経験が豊富なことから、三自衛隊の将官として初となる単身での海外訓練に派遣された。通訳を介さない流暢な英語を駆使することで知られる。
防衛大学校:203人
榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月… 榊枝 宗男(さかきえだ むねお、1953年(昭和28年)2月 - )は、日本の東京都出身の陸上自衛官。 PKO業務に関する経験が豊富なことから、三自衛隊の将官として初となる単身での海外訓練に派遣された。通訳を介さない流暢な英語を駆使することで知られる。
下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月… 下平 幸二(しもひら こうじ、1952年(昭和27年)10月 - )は、佐賀県出身の航空自衛官、第6代情報本部長。職種は飛行。
君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月1… 君塚 栄治(きみづか えいじ、1952年〈昭和27年〉7月16日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の陸上自衛官。第33代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。自衛隊初の災統合任務部隊(JTF)指揮官・東北方面総監経験者初の陸上幕僚長。位階は従三位。 神奈川県相模原市出身。東京都立豊多摩高等学校卒業。防衛大学校(第20期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。アメリカ陸軍上級砲兵学校、アメリカ陸軍指揮幕僚大学及び幹部レンジャー課程、空挺課程を修了。東北方面総監在任時に発生した東日本大震災においては自衛隊の統合運用史上最大となる10万人規模からなる陸海空の統合任務部隊(JTF-TH:Joint Task Force - Tohoku)の指揮官を務め、人命救助や被災地支援などの陣頭指揮にあたった(東日本大震災に対する自衛隊の対応)。
高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月2… 高嶋 博視(たかしま ひろみ、1952年(昭和27年)4月25日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。第40代横須賀地方総監。 香川県出身。1975年(昭和50年)3月、防衛大学校(第19期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は護衛艦、海上幕僚監部、在ノルウェー日本国大使館付防衛駐在官や統合幕僚会議事務局等で勤務したのち、2002年(平成14年)11月に第1護衛隊群司令に就任し、第4次インド洋派遣海上支援部隊指揮官として派遣された。その後、海上幕僚監部人事教育部長を経て、海将に昇任、第32代護衛艦隊司令官、統合幕僚副長を歴任し、2010年(平成22年)7月に第40代横須賀地方総監に就任した。
織田 邦男(おりた くにお、1952年1月19日 - )は日… 織田 邦男(おりた くにお、1952年1月19日 - )は日本の評論家。麗澤大学特別教授。日本会議副会長。国家戦略研究所(自営)所長。元航空自衛官。 愛媛県出身。兵庫県立明石高校卒。大阪大学も受験し合格していたが、防衛大学校に入校。1974年3月、防衛大学校(18期)を卒業し、同年4月、航空自衛隊に入隊。 F-4戦闘機パイロットなどを経て、1983年、アメリカ空軍大学へ留学し、指揮幕僚課程を修了。1990年、第301飛行隊の隊長、1993年、スタンフォード大学の客員研究員を務める。 1999年、第6航空団司令兼小松基地司令。2005年、空将・航空開発実験集団司令官、2006年、航空支援集団司令官(イラク派遣航空部指揮官)。
安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は… 安部 壽和(あべ としかず、1952年〈昭和27年〉- )は、日本の元陸上自衛官、剣道家。最終階級は陸将補、剣道の段位は教士八段。 山形県鶴岡市出身。第11特科連隊長、自衛隊福岡地方連絡部長、陸上自衛隊輸送学校長などを歴任した。1佐までの職種は野戦特科。 6歳から剣道を始め、2008年に合格率わずか1%の難関である八段昇段試験に合格した(防衛大学校出身者では2人目)。座右の銘は「謙虚精進」である。陸上自衛隊剣道連盟副会長、関東自衛隊剣道連盟会長を務める。
杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12… 杉本 正彦(すぎもと まさひこ、1951年〈昭和26年〉12月13日 - )は、日本の海上自衛官。第30代海上幕僚長。 富山県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(本科第18期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「はるゆき」艦長など艦艇勤務を経て、2001年(平成13年)12月に第3護衛隊群司令に就任。在任中の2002(平成14年)2月から第2次インド洋派遣海上支援部隊を指揮した。 2005年(平成17年)7月、海将に昇任、潜水艦隊司令官、呉地方総監、自衛艦隊司令官等の要職を歴任し、2010年(平成22年)7月、第30代海上幕僚長に就任した。自衛艦隊司令官を経ての海上幕僚長就任は第16代長田博以来23年ぶりであった。
外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年… 外薗 健一朗(ほかぞの けんいちろう、1951年(昭和26年)9月15日 - )は、日本の航空自衛官。第30代航空幕僚長。職種は要撃管制。鹿児島県出身。
火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月1… 火箱 芳文(ひばこ よしふみ、1951年〈昭和26年〉5月15日 - )は、日本の陸上自衛官。第32代陸上幕僚長。三菱重工業株式会社顧問。全日本柔道連盟特別顧問。公益財団法人陸修偕行社理事長。日本会議代表委員。 福岡県出身。1974年(昭和49年)3月、防衛大学校(第18期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後、普通科幹部として第1混成群に配属。第1空挺団中隊長、第3普通科連隊長等の指揮官、陸上幕僚監部・方面総監部等の幕僚、学校教官等を務める。空挺基本降下課程、富士幹部レンジャー課程、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程、統合幕僚学校一般課程を修了。1999年(平成11年)7月、陸将補に昇任し、第1空挺団長、北部方面総監部幕僚長を経て、2005年(平成17年)7月、陸将に昇任し、第10師団長、防衛大学校幹事、中部方面総監を歴任し、2009年(平成21年)3月に第32代陸上幕僚長に就任した。
泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- … 泉 一成(いずみ かずしげ、1951年〈昭和26年〉5月- )は、日本の陸上自衛官。防衛大学校本科第18期卒業。1佐までの職種は普通科。第34代東部方面総監を務めた。 退官後の2013年5月に、ロシアの駐在武官、セルゲイ・コワリョフに対して、陸上自衛隊の普通科部隊の運用についての教範である「普通科運用」や、特殊作戦群や第一空挺団が駐屯する習志野駐屯地を紹介するパンフレット、及び生活家電を渡していたことが2015年に発覚した(ただし、教範等の受け渡しはすでにコワリョフを視察下に置いていた警察官に確認されていた)。この駐在武官はロシアの軍事情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)所属と見られ、また、自衛隊を除隊した泉が富士学校長の渡部博幸(渡部は泉が方面総監当時の総監部防衛部長)を始めとした現職自衛官に教範調達を依頼していたことも明らかになっている。
源田 孝(げんだ たかし、1951年〈昭和26年〉4月5日 … 源田 孝(げんだ たかし、1951年〈昭和26年〉4月5日 生まれ )、元空将補、元防衛大学校教授。 福岡県立門司高等学校を経て防衛大学校航空工学科卒業(第18期)。早稲田大学大学院公共経営研究科公共経営学修士(専門職)。専門は軍事史。 PwCアドバイザリー合同会社顧問。国際安全保障学会理事と軍事史学会監事を歴任。戦略研究学会監事。早稲田大学招聘研究員。 NHKの戦争特集番組で時代考証を担当。月刊「歴史街道」に定期的に軍事記事を投稿。 1974年、航空自衛隊に入隊し、兵器管制官として日本の防空の最前線で勤務する。 1992年、西部防空管制隊長として230名の部下を率いて九州の防空を担う。 1998年、北部防空管制群司令として370名の部下を率いて東北と北海道の防空を担う。
山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )… 山口 昇(やまぐち のぼる、1951年〈昭和26年〉 - )は、日本の陸上自衛官、研究者、軍事評論家。最終階級は陸将。国際大学国際関係学研究科教授。タフツ大学フレッチャー・スクール修士。元ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所国家安全保障客員フェロー。三重県出身。 1974年、防衛大学校卒業。第18期。同期に火箱芳文、杉本正彦など。 同年、陸上自衛隊航空科部隊配属。1983年、陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程修了。1988年フレッチャー・スクール修了、同修士号取得。1991年、ハーバード大学ジョン・M・オーリン戦略研究所客員研究員。 外務省北米局日米安全保障条約課出向、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長、第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官を経て、1999年から2001年まで外務省在アメリカ合衆国日本国大使館首席防衛駐在官(外務事務官・在米国日本大使館付参事官(国防・陸軍担当))。
折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月… 折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月10日 - )は、日本の元陸上自衛官。熊本県津奈木町出身。第31代陸上幕僚長、第3代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 熊本県立八代高校を経て、1972年(昭和47年)3月に防衛大学校(第16期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第3特科群長、陸幕補任課長、同装備部長を経て、 2003年(平成15年)3月に陸将に昇任、第9師団長、陸幕副長、中部方面総監の要職を歴任し、2007年(平成19年)3月、第31代陸上幕僚長に就任。2009年(平成21年)3月には統合幕僚長に就任した。統合幕僚長就任直後に発生した北朝鮮による弾道ミサイル発射実験への対処、ソマリア沖の海賊対処及び自衛隊ハイチPKO派遣並びに自衛隊南スーダン派遣の実施計画の制定し、2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、3自衛隊10万人の統合任務部隊を編成、史上初の災害派遣態勢を確立して北澤俊美防衛大臣(当時)の指揮を補佐した。
椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の… 椋木 功(むくのき いさお、1950年2月 - )は、日本の島根県出身の陸上自衛官、官僚。
生天目 章(なまため あきら、1950年 - )は、防衛大学… 生天目 章(なまため あきら、1950年 - )は、防衛大学校教授。福島県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - … 中村 秀樹(なかむら ひでき、1950年(昭和25年) - )は、日本の元海上自衛官(2等海佐)。軍事史家。
香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 … 香田 洋二(こうだ ようじ、1949年(昭和24年)12月 - )は日本の海上自衛官、第36代自衛艦隊司令官(海将)。徳島県出身。 海上幕僚長の有力候補であったが、いくつかの理由から、自衛艦隊司令官を最後に退官した。
平田 誠一郎(ひらた せいいちろう、1949年8月31日 -… 平田 誠一郎(ひらた せいいちろう、1949年8月31日 - )は、日本の右派、保守系の政治運動家である。山口県出身。防衛大学校卒業。維新政党・新風本部国際部長。アジア文化交流会会長。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佐藤 泰志(さとう やすし、1949年4月26日 - 199… 佐藤 泰志(さとう やすし、1949年4月26日 - 1990年10月10日)は、日本の小説家。 北海道函館市高砂町(現・若松町)出身。國學院大學文学部哲学科卒業。芥川賞に計5回ノミネートされたが、受賞は逸したまま41歳で自死した。 1949年(昭和24年)4月26日、北海道函館市高砂町に父・佐藤省三、母・佐藤幸子の長男として生まれた。村上春樹と同年の生まれである。1965年4月、北海道函館西高等学校に入学。1966年、高校の文芸部誌に小説「退学処分」を発表、また「青春の記憶」を第4回有島青少年文芸賞に応募して優秀賞を受賞。翌年の第5回有島青少年文芸賞では、1967年10月の「第一次羽田闘争」に触発を受け、同年9月に函館西高で起こった防衛大学校入学説明会阻止闘争を題材とした「市街戦の中のジャズ・メン」で優秀賞を獲得する。
山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉… 山口 淨秀(やまぐち じょうしゅう、1949年〈昭和24年〉3月 - )は、富山県出身の元陸上自衛官。防衛大学校本科第17期卒業。第2普通科連隊長時代に発生したナホトカ号重油流出事故災害派遣に際し、部隊指揮官として陣頭指揮を執った経歴を持ち、2007年3月に新編された中央即応集団の初代司令官を務めた。
田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月… 田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は空将(空軍中将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長。 防衛大学校卒業後、航空自衛隊に入隊し、2007年3月に航空幕僚長に就任。2008年10月31日に政府の歴史認識と異なるアパグループ主催の懸賞論文を公表し、航空幕僚長を更迭された。論文では、日本は第二次世界大戦に蒋介石とルーズベルトの策略によって巻き込まれたと主張した。また、日本の戦時中の行動は「西洋の植民地主義からアジアを解放する」ための努力であったと論じた。
中込 博文(なかごみ ひろふみ、1948年(昭和23年)5月… 中込 博文(なかごみ ひろふみ、1948年(昭和23年)5月22日 - 2023年(令和5年)3月18日)は、日本の政治家。山梨県南アルプス市長(1期)、山梨県議会議員(1期)を歴任した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校卒業。1973年(昭和48年)、防衛大学校卒業。同年、陸上自衛隊に入隊。2003年(平成15年)、一等陸佐で退官。同年、特別養護老人ホームの施設長となる。 2007年(平成19年)4月8日執行の山梨県議会議員選挙に、南アルプス市選挙区から無所属で出馬し、初当選。 2011年(平成23年)4月24日執行の南アルプス市長選挙に、無所属で出馬。現職の今沢忠文を破り、初当選(得票数は、中込:18,467票、今沢:16,439票)。
吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日… 吉田 正(よしだ ただし、1948年〈昭和23年〉2月15日 - )は日本の元航空自衛官である。大阪府出身。第28代航空幕僚長。 防衛大学校に在学中から「将来の航空幕僚長」と嘱望されており、このためパイロットとしての基礎課程を終え機種を選択する際には周囲から墜落事故による殉職が続発していた戦闘機ではなく輸送機を希望することを強く勧められたと言われている。このことを本人は「個人プレイの戦闘機ではなく乗員や貨物を預かり送り届ける輸送機のパイロットになったことは指揮官としての資質を養う上で有益だった」と回想している。 またコロラドスプリングスのアメリカ空軍士官学校の教官を務めたため後年航空幕僚長として航空総隊司令部を府中基地からアメリカ空軍横田基地内に移転する事業を推進するのに、かつての教え子たちが中堅幹部となっていたことで事実上の日米協同作業になった。
齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11… 齋藤 隆(さいとう たかし、1948年〈昭和23年〉2月11日 - )は、日本の海上自衛官。第2代統合幕僚長、第27代海上幕僚長。防大14期。戦後生まれ(団塊の世代)初の統合幕僚長でもある。神奈川県出身。 父の斎藤頼男は海軍機関学校(第47期)を卒業し、海上自衛隊では防衛大学校学生課長などを務め、第2術科学校長(海将補)を最後に退官した。祖父も海軍水兵であった。横須賀市立池上小学校、横須賀市立池上中学校を経て、父(中22期)と同じく神奈川県立横須賀高等学校(高18期)に進学。高校時代は陸上部に所属し、200メートルハードルでインターハイ出場。のちに齋藤の海幕長在任時に海幕副長となる荒川堯一は高校の同窓である。
吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月2… 吉川 榮治(よしかわ えいじ、1948年(昭和23年)1月28日 - )は、日本の海上自衛官。第28代海上幕僚長。大阪府出身。
山根 維隨(やまね いずみ、1948年(昭和23年) - )… 山根 維隨(やまね いずみ、1948年(昭和23年) - )は、風水統計家{伴天風水}創始者であり日本の実業家。株式会社アンジコア代表取締役会長。特定非営利活動団体(NPO法人)幸せな家づくりの研究会理事長。本名は、山根 一純(やまね いずみ)。 鳥取市吉岡温泉町生まれ。鳥取西高校卒業後、防衛大学校応用物理学科専攻に進学。卒論テーマはEL素子の研究。 1988年に西野バレエ団の西野晧三氏から西野流呼吸法を学ぶため、西野塾に入塾、気や生命エネルギーを学ぶ中で、目に見えない力という物の凄さを知り、同時期に統計学を用いた風水にも着目。 独自に研究を重ねて行く中で、3.11の東日本大震災がおき、現地を視察の際に、研究通りの結果を目の当たりにする。
福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月… 福井 祐輔(ふくい ゆうすけ、1947年(昭和22年)11月9日 - )は、日本の政治家、陸上自衛官。元静岡県下田市長(1期)。 高知県土佐清水市出身。中学3年のときに下田市に移り住んだ。下田市立下田中学校卒業。1966年(昭和41年)3月、静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1967年(昭和42年)3月、防衛大学校に入校。1971年(昭和46年)3月、同校を卒業。同年4月、陸上自衛隊に入隊。第1次カンボディアPKO国際平和協力隊長兼停戦監視員、普通科教導連隊長兼滝ヶ原駐屯地司令、防衛大学校教授などを歴任し、2003年(平成15年)8月、定年退官。退職時階級は陸将補。 2015年(平成27年)7月、NPO法人日本地雷処理・復興支援センター理事を任期満了退職。
荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)1… 荒川 堯一(あらかわ ぎょういち、1947年(昭和22年)11月6日 - )は、日本の海上自衛官。第37代横須賀地方総監。神奈川県出身。 神奈川県立横須賀高等学校を経て、防衛大学校本科第16期卒業。 第4航空群司令、第1航空群司令、自衛艦隊司令部幕僚長、教育航空集団司令官、海上幕僚副長などを歴任し、第37代横須賀地方総監に就任。荒川の海上幕僚副長在任時に海上幕僚長となった齋藤隆は高校の同窓であった。 退官後は三笠保存会理事長、横須賀市観光協会会長に就任。
森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 -… 森 勉(もり つとむ、1947年〈昭和22年〉8月19日 - )は、日本の陸上自衛官。岡山県出身。第30代陸上幕僚長。西部方面総監を経た初の陸上幕僚長。日本会議代表委員。
立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )… 立山 良司(たてやま りょうじ、1947年6月15日 - )は、国際政治学者、防衛大学校名誉教授。
清水 訓夫(しみず くにお、1947年 - )は、日本の外交… 清水 訓夫(しみず くにお、1947年 - )は、日本の外交官。駐アルジェリア特命全権大使を経て、防衛大学校教授を務めた。 長野県上伊那郡辰野町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校在学中AFSで1年間イリノイ州に留学。1971年一橋大学法学部卒業後、外務省に入省。1972年から1974年までフランスに留学。駐アルジェリア公使、アジア福祉教育財団難民事業部長などを経て、1998年在ストラスブール総領事、2001年在ニカラグア大使、2003年国際労働財団常任理事、2005年から2009年まで在アルジェリア大使を務めた。2009年から2014年まで防衛大学校防衛学教育学群安全保障・危機管理教育センター教授。
西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11… 西村 繁樹(にしむら しげき、1947年 - 2019年11月13日)は、大阪府出身の陸上自衛官。元防衛大学校防衛学教育学群戦略教育室教授。専門は、軍事戦略。 北方前方防衛戦略の提唱者。陸上自衛隊幹部学校の戦略教官として長年勤務した、戦後日本を代表する「軍人学者(warrior scholar)」の一人である。 1947年に大阪で生まれた。 1969年、防衛大学校本科第13期(電気工学専攻)卒業後、陸上自衛隊入隊。職種は野戦特科。 特科連隊、陸上自衛隊調査学校、防衛庁内局、ハーバード大学研究員、防衛大学校陸上防衛学教室助教授、陸上幕僚監部防衛部防衛課、世界平和研究所研究員、ランド研究所研究員、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、2001年陸上自衛隊を退職(1等陸佐)後、2002年から防衛大学校防衛学教育学群統率・戦史教育室教授、戦略教育室教授を務めた。
鈴木 通彦(すずき みちひこ、1946年〈昭和21年〉8月2… 鈴木 通彦(すずき みちひこ、1946年〈昭和21年〉8月26日 - )は、福井県出身の陸上自衛官。1佐までの職種は施設科。防衛大学校本科13期卒。父は第16代陸上幕僚長の鈴木敏通。 同名の人物が陸上自衛隊東北方面衛生隊の隊長を務めていたが、別人である。 1969年(昭和44年)3月、防衛大学校(第13期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。陸上自衛隊幹部候補生学校卒業は、施設科部隊に配属された。第12施設群長、陸上幕僚監部人事計画課長を務め、1994年(平成6年)7月に陸将補に昇任。防大13期では一選抜であった。その後も東部方面総監部幕僚副長、陸上幕僚監部教育訓練部長を経て、1999年(平成11年)12月、陸将昇任し、第9師団長に就任した。
津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月… 津曲 義光(つまがり よしみつ、1946年(昭和21年)7月8日 - 2011年(平成23年)11月27日)は、日本の元航空自衛官である。福岡県出身。第27代航空幕僚長。位階は従三位。戦後生まれ最初の航空幕僚長であった。
古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5… 古庄 幸一(ふるしょう こういち、1946年(昭和21年)5月13日 - )は、日本の海上自衛官、第26代海上幕僚長。英霊にこたえる会会長、日本会議代表委員。 海上幕僚長時代、防衛大綱の見直しを庁内で議論する「防衛力のあり方検討会議」において、「統合運用体制への移行に際しての長官補佐体制」と題した文書を提示して説明し、制服組の最高ポストとして統合幕僚長が新設される組織改編にあわせ、内局の組織や制服組との関係の見直しを求めた。具体的には、「(自衛隊創設)50年を経た現在、統合運用に移行し、長官補佐を健全かつ円滑なものとするとの観点から適切ではない」と指摘し、防衛参事官制度の削除(廃止)を要求したほか、防衛庁(当時)・自衛隊全体への「監督権」を防衛事務次官に付与していた内閣府設置法61条を改正して、「部隊運用に関する監督機能を削除」、さらに「統合幕僚長が自衛隊の運用に関する事務を所掌するよう明記する」ことを求めた。
馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21… 馬渕 睦夫(まぶち むつお、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本のノンフィクション作家、元外交官。 在イスラエル日本大使館公使、在タイ日本大使館特命全権公使、特命全権大使キューバ国駐箚、駐ウクライナ兼モルドバ大使、防衛大学校教授を歴任。日本文化チャンネル桜コメンテーター。 京都府船井郡八木町日置出身。八木町立富本小学校、福知山市立大江中学校、京都府立園部高等学校第16回を経て、京都大学法学部3年次在学中に外務公務員採用上級試験に合格し中退、1968年(昭和43年)に外務省入省。 研修先であったイギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、1971年(昭和46年)に卒業。 外務本省では、国際連合局社会協力課長(1984年-1986年)、大臣官房文化交流部文化第一課長、東京都外務長(1995年-1997年)などを歴任。
久玉 清人(くだま きよと、1946年 - 2014年6月1… 久玉 清人(くだま きよと、1946年 - 2014年6月11日)は、鹿児島県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 加世田高等学校から防衛大学校に進学。神奈川五大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1968年春秋季リーグでは連続して3位となり、秋は首位打者。同年の明治維新百年記念明治神宮野球大会に神奈川五大学選抜チームの一員として出場。1回戦で先発、片岡建につなぐが、関西六大学選抜に敗退した。 卒業後は丸善石油に入社、都市対抗などの常連として活躍する。1970年の産業対抗では、黒沢浪男(日本石油から補強)らと強力投手陣を組む。準々決勝でクラレ岡山に完投勝利。三協精機との決勝では、延長10回裏に秋元国武(日本石油から補強)が会田照夫からサヨナラ2点本塁打を放ち優勝を飾る。
小田 邦博(おだ くにひろ、1945年(昭和20年)8月 -… 小田 邦博(おだ くにひろ、1945年(昭和20年)8月 - )は、日本の航空自衛官。第37代航空総隊司令官。第2代内閣衛星情報センター所長。
金田 秀昭(かねだ ひであき、1945年(昭和20年)6月2… 金田 秀昭(かねだ ひであき、1945年(昭和20年)6月20日 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。現在、岡崎研究所理事特別研究員、三菱総合研究所主席専門研究員。祖父は金田秀太郎海軍中将。 1945年(昭和20年)、神奈川県に生まれる。1968年(昭和43年)3月、防衛大学校(第12期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。アメリカ海軍大学校指揮課程修了。海上幕僚監部防衛課長、舞鶴地方総監部幕僚長、 第4護衛隊群司令、統合幕僚監部第5幕僚室長等を歴任し、1998年(平成10年)7月1日、第26代護衛艦隊司令官に就任。護衛艦隊司令官在任中の1999年(平成11年)2月に護衛艦「はるな」による高性能20ミリ機関砲(CIWS)の不時発射事案(後述)が発生した。
先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日… 先崎 一(まっさき はじめ、1944年〈昭和19年〉5月4日 - )は、日本の元陸上自衛官。第29代陸上幕僚長、第26代統合幕僚会議議長、初代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は普通科。 鹿児島県出水郡高尾野町(現在の出水市)出身。4人兄弟の長男で「親に金銭的な迷惑をかけたくないと考え」、防衛大学校に進学した。1968年(昭和43年)3月に防大を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校を卒業後は第3普通科連隊に配属。その後、第39普通科連隊長、第3師団長、北部方面総監を経て、2002年(平成14年)12月に第29代陸上幕僚長に就任。2004年(平成16年)8月、第26代統合幕僚会議議長に就任、2006年(平成18年)3月に陸海空3自衛隊の指揮・命令系統を一元化するために統合幕僚会議を廃止して新設された統合幕僚監部の初代統合幕僚長に就任した。
坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月… 坂上 芳洋(さかうえ よしひろ、1944年(昭和19年)3月19日 - )は、日本の防衛アナリスト、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、日本の将来を考える会会長。 昭和42年3月防衛大学卒。護衛艦あやせ艦長、第46護衛隊司令、防衛庁海上幕僚監部防衛部通信課長、同装備体系課長、海将補、第一護衛隊群司令、環太平洋合同演習日本部隊指揮官、阪神基地隊司令を経て、日米欧の多国籍弾道ミサイル防衛会議議長、日米欧弾道ミサイル防衛戦術ゲーム主管、一般財団法人日本総合戦略研究所理事長、米国レイセオン社上級アドバイザー、ダイキン工業顧問など多くの役職を兼任した。 著書に「世界のミサイル防衛」他多数。 1944年 富山県南砺市(旧富山県西砺波郡福光町)に生まれる。
奥出 阜義(おくで あつよし、1944年 - )は日本の陸上… 奥出 阜義(おくで あつよし、1944年 - )は日本の陸上自衛官、元防衛大学校教授、日本の戦略教育の第一人者。零戦研究家。特に古代カルタゴの将軍ハンニバルの戦略研究のスペシャリスト。 1964年防衛大学校に第12期生として入学し、零戦の開発者として知られる堀越二郎教授に師事する。同期生には、先崎一(元統合幕僚長)、野中光男(元東北方面総監・情報本部長)、勝山拓(元自衛艦隊司令官)、瀬井勝公(元防衛大学校教授)などがいる。 卒業後、陸上自衛隊に入隊し、航空操縦士となる。飛行隊長として、雪山遭難者など数々の人命救助を成功させる。陸上自衛隊航空学校教官、陸上自衛隊幹部学校教官を歴任し、米国海兵隊にも研修入隊する。
黒野 耐(くろの たえる、1944年(昭和19年) - )は… 黒野 耐(くろの たえる、1944年(昭和19年) - )は、日本の軍事史家。陸上自衛官。 愛知県出身。防衛大学校機械工学科(第10期)卒業後、陸上自衛隊入隊。陸上幕僚監部調査部部員、第2特科群長等を経て1999年に陸将補で退官。その後教官として防衛庁防衛研究所に入所、戦史第二部監察官となる。2004年から武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部講師。日本国際政治学会評議員。
野中 光男(のなか みつお、1944年(昭和19年) - )… 野中 光男(のなか みつお、1944年(昭和19年) - )は、佐賀県出身の元陸上自衛官。福岡県立修猷館高等学校・防衛大学校を卒業(第12期・同期に初代統合幕僚長先崎一)。1佐までの職種は野戦特科。現在は埼玉県在住。
中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月… 中谷 正寛(なかたに まさひろ、1943年(昭和18年)9月25日 - )は、日本の元陸上自衛官。第28代陸上幕僚長。1佐までの職種は普通科。 大阪府出身(2015年現在東京都在住)。1966年(昭和41年)3月に防衛大学校(第10期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後の初任地は第23普通科連隊。北海道でレンジャー訓練を受け、その後レンジャー教官を5回を務めたと語っている。その後、第28普通科連隊長、陸上幕僚監部防衛課長、東部方面総監部幕僚副長、北部方面総監部幕僚長、 第4師団長、中部方面総監等を歴任した。陸幕長候補には中谷と防大同期の天野良晴が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任中に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が2000年(平成12年)に発覚し、辞任したため、2001年(平成13年)1月、第28代陸上幕僚長に就任した。
天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月1… 天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月16日 - )は、神奈川県出身の元陸上自衛官。父は元統合幕僚会議議長の天野良英。 1966年(昭和41年)3月、防衛大学校本科第10期を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第14普通科連隊長、陸上幕僚監部人事部長、第12師団長、陸上幕僚副長等を歴任し、西部方面総監に就任。次代の陸上幕僚長昇格が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任時に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が発覚し、陸将初となる停職処分を受け辞任した(陸上幕僚長には同期の中谷正寛が就任)。
遠竹 郁夫(とおたけ いくお、1943年(昭和18年)4月1… 遠竹 郁夫(とおたけ いくお、1943年(昭和18年)4月10日 - )は、日本の元航空自衛官である。鹿児島県出身。第26代航空幕僚長。現在は埼玉県在住。
竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)… 竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)3月10日 - )は、日本の航空自衛官。第25代航空幕僚長、第24代統合幕僚会議議長。勲等は瑞宝大綬章。 広島県三次市出身。防衛大学校第9期卒業後、航空自衛隊に入隊し、戦闘機パイロットとなる。若い頃はF-86やF-4EJなどで昼夜を問わず緊急発進し、旧ソ連軍機などに直接対峙して対領空侵犯措置任務を行った。 その後、空幕防衛部防衛課長、第5航空団司令、北部航空方面隊司令官、航空支援集団司令官、航空総隊司令官等の要職を経て、1999年(平成11年)7月、第25代航空幕僚長に就任。2001年(平成13年)3月には制服組トップの第24代統合幕僚会議議長(現・統合幕僚長)に就任した。
中村 好寿(なかむら よしひさ、1943年 - )は広島県出… 中村 好寿(なかむら よしひさ、1943年 - )は広島県出身の軍事評論家、陸上自衛官。政軍関係論、軍備管理論、RMA(軍事における革命)等に関し著作がある。 1965年防衛大学校本科第9期卒業後、陸上自衛隊入隊。職種は普通科(歩兵)。陸上自衛隊幹部学校指揮幕僚課程、米国スタンフォード大学大学院及び同大学安全保障・軍備管理問題研究所等で学ぶ。 普通科連隊中隊長、防衛大学校陸上防衛学教室助教授(この間に、アメリカ海軍大学院客員教授、米国国防大学客員研究員、カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所客員研究員)、陸上自衛隊幹部学校戦略教官室教官、陸上自衛隊東北方面総監部幕僚、ジョージア工科大学客員教授、防衛研究所主任研究員を経て、2000年陸上自衛隊を退職(1等陸佐)、その後軍事アナリスト。
藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月… 藤田 幸生(ふじた こうせい、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本の海上自衛官。第24代海上幕僚長。防大9期。 高知県出身。高知高校を経て1965年(昭和40年)3月、防衛大学校(本科第9期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜ヘリコプター HSS-2のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、航空集団司令官、海上幕僚副長等の要職を歴任し、第24代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30