スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980… 斎藤 玄(さいとう げん、1914年8月22日 - 1980年5月8日)は、北海道出身の俳人。本名・俊彦。 北海道函館市春日町(現青柳町)に生まれる。祖父斎藤又右衛門は末広町で呉服屋を営み、函館銀行初代頭取や函館商工会議所初代会長などを務めた地元財界の大物だった。父俊三は咀華と号した画家で、二科展に属し川端龍子や斎藤五百枝らと交流があったが、4歳のときに死別した。親類に上田敏がいる(祖父の妹の夫)。 函館中学校、早稲田大学商科卒。大学在学中、新興俳句に惹かれたことから従兄の杉村聖林子に誘われて「京大俳句」に参加し西東三鬼に師事。当初は三樹雄と号した。1938年、旧北海道銀行に入社。1940年、郷里で「壷」を創刊するが、4年後に休刊。
日野 道夫(ひの みちお、1914年〈大正3年〉3月10日 … 日野 道夫(ひの みちお、1914年〈大正3年〉3月10日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名同じ。 北海道函館市出身。北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)卒業。いむらプロに所属していた。 中学校卒業後、新協劇団を経て劇団俳優座に入り、移動演劇の芙蓉隊に参加する。1946年3月、俳優座第一回公演『検察官』の舞台に立つ。後に劇団民藝を経てフリーとなり、この間にもジャンルを問わず多くの作品に出演していた。 2004年に公演された舞台『アマデウス』以降の作品が見当たらず、以後の消息は不明である。没年不詳。
田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 … 田中 元(たなか はじめ、1912年〈大正元年〉8月24日 - 1953年〈昭和28年〉8月28日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 北海道函館区(現函館市)で生まれる。北海道庁立函館中学校(現北海道函館中部高等学校)を経て、1939年(昭和14年)東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業した。興亜院嘱託となり、同技手、在北京大使館技手、同技師を歴任した。 その後、日本興行取締役、函館ミツワ商会取締役会長、大洋貿易社長、函館ドック顧問などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で北海道第3区から民主自由党所属で出馬して初当選。第25回総選挙で自由党所属で出馬するも次点で落選。
木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11… 木田 三千雄(きだ みちお、1912年〈明治45年〉1月11日 - 1994年〈平成6年〉7月29日)は、日本の俳優。本名は同じ。 青森県黒石市出生、北海道出身。エヌ・エー・シーに所属していた。 札幌レビュー団を皮切りに早川雪洲一座、水谷八重子芸術座、森川信一座など数々の劇団を渡り歩いた。 テレビ進出後は温かみのあるキャラクターでお茶の間の人気を得た。 1992年に芸団協から芸能功労者表彰を受ける。 1994年に、東京都杉並区、荻窪病院で、肝臓ガンのため死去。82歳没。 特技は乗馬、東北弁。
山本 秀雄(やまもと ひでお、1911年8月6日 - 199… 山本 秀雄(やまもと ひでお、1911年8月6日 - 1991年11月16日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 東京市品川の二本榎に生まれた。父が寺の住職をしていた関係で小学校と中学校時代は北海道の函館で過ごし、函館中学校(後の函館中部高校)を経て早大一高に進学、この頃から柔道で頭角を現し始めた。同時期、小内落を考えだし研究し完成させた。膝を柔らかく保って両足の指先は左右に開かず真っ直ぐ平行に構え、小柄な体格と他人には真似のできないその独特の足運びから小さな大選手として名を馳せた。1933年10月の第7回明治神宮大会柔道競技では準決勝戦で東京高等師範学校の加藤幸蔵5段を小内落で降し、同門対決となった決勝戦では早大専門部の山口利雄5段の払釣込足に辛酸を舐めたものの準優勝という成績を残した。
杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - … 杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - 1994年2月8日)は日本の社会福祉家。在学時代からハンセン病のフィールドワークを始め、九州大学で学び、国立療養所星塚敬愛園、満州国立らい療養所同康院、リデル・ライト記念養老院などで働き、『らいと社会福祉』の研究をまた、老人の福祉についても研究した。
長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月… 長谷川 四郎(はせがわ しろう、1909年〈明治42年〉6月7日 - 1987年〈昭和62年〉4月19日)は、日本の小説家、翻訳家。 北海道函館市出身。函館中学卒業。1926年に上京、松本泰のもとに寄宿する。1933年、立教大学予科を経て、法政大学文学部独文科に入学する。関口存男・片山敏彦にドイツ語・ドイツ文学を学び、豊島与志雄からフランス文学を学ぶ。 同学科を卒業後、1936年、南満州鉄道株式会社に入社。1942年、満鉄を退社し、満洲国協和会調査部に入る。1945年、ソ連侵攻により捕虜収容所に収容され、5年に及ぶシベリア抑留となった。 1951年、抑留経験をもとに雑誌『近代文学』に「シベリヤ物語」を発表した。
四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <… 四ツ柳 高茂(よつやなぎ こうも/たかしげ)、1908年 <明治41年> 9月4日 - 1996年 <平成8年> 3月20日)は、日本の経営者。北海道電力社長を務めた。位階は従三位。北海道函館市出身。長男は化学工学者で東北大学名誉教授の四ツ柳隆夫。 函館の資産家、四ツ柳亮策・イシの長男として生まれる。 函館市住吉小学校(現・青柳小学校)、旧制函館中学校、旧制水戸高等学校を経て、1932年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。東京での生命保険会社勤務の後、肺結核に罹り故郷の函館に戻った後、1936年に帝国電力に入社、翌年には米屋を営んでいたヤエと結婚、5人の男児をもうける。1944年には乙種合格で徴兵され旭川通信隊を経て千島方面に配属が予定されるも五十音順で後の方になっていたことから配属漏れとなった。
時任 巌(ときと いわお、1908年(明治40年)- 没年不… 時任 巌(ときと いわお、1908年(明治40年)- 没年不明)は、日本の水球選手で1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1908年、北海道函館区(現在の函館市)に生まれる。北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)で水球に励み、早稲田大学を卒業した後は中華民国大連市の南満洲鉄道本社に勤務し、地方部地方課に所属した。1932年のロサンゼルスオリンピックでは水球の日本代表として出場した。フルバックのポジションでハンガリー戦、アメリカ戦、ドイツ戦の全てに出場したが、他の全ての日本選手と同じく、ゴール数は全て0に終わった。戦後は東京都北多摩郡保谷町(現在の西東京市)に暮らし、日本水泳連盟理事を務めた。
亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉… 亀井 勝一郎(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉2月6日 - 1966年〈昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員。 当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。 函館貯蓄銀行支配人の父・喜一郎、母・ミヤの長男として、北海道函館区(現・函館市)元町で生まれる。旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)では田中清玄、大野一雄と同期。旧制山形高等学校(現・山形大学)を経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学文学部美学科に入学。
長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日 - 197… 長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日 - 1973年12月16日)は、日本の詩人・作家・ロシア文学者。 父・清(後に淑夫に改名)と母・ユキの三男として函館市元町に生まれる。1925年、函館中学を卒業すると、兄海太郎の勧めもあって4年の間漁船に乗った。1932年、大阪外国語学校露語科を卒業し、満州国の新政府資政局自治指導部訓練所(後の大同学院)に入る。大同学院を一期生として卒業し、満州国外交部を経て、満州映画協会に勤務する。1938年、北村謙次郎や仲賢礼らと雑誌『満州浪曼』を発刊する。1941年3月1日、満映の映画人養成所を開業し、同年11月には株式会社満州電影総社を設立する。この頃、ニコライ・バイコフの「偉大なる王」を文藝春秋から翻訳する。
田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5… 田中 清玄(たなか せいげん、1906年〈明治39年〉3月5日 - 1993年〈平成5年〉12月10日)は、日本の実業家、政治活動家、CIA協力者。フィクサーともいわれる。 戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設工業株式会社社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中と南方哲也(元長崎県立大学教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年12月10日、脳梗塞で死去した。 資金を得た田中は、党の武装化を進め、川崎武装メーデー、東京市電争議の際における幹部暗殺計画、車庫放火事件、中央メーデー暴動化、小銃弾薬類の略奪計画など数多くの暴動を既遂未遂した。
水谷 準(みずたに じゅん、1904年(明治37年)3月5日… 水谷 準(みずたに じゅん、1904年(明治37年)3月5日 - 2001年(平成13年)3月20日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。編集者でもあり、雑誌『新青年』編集長を累計18年務めた。本名は納谷 三千男。 北海道函館区(現在の函館市)船見町の生まれ。当時の函館は幕末に開かれて以来の国際的な港町であった。父はパン屋や外国人の執事をしており、外国人が三千男を「ジョン」と呼んでいたことから、のちに自らのペンネームを「準」とした。弥生小学校に在学中、鈴木三重吉が創刊した雑誌『赤い鳥』に童謡を投稿して入選した。 旧制函館中学(現:北海道函館中部高等学校)中退後、上京して早稲田高等学院に入学。在学中の1922年に博文館の雑誌『新青年』の懸賞に応募した「好敵手」が一等に入選。
長谷川 潾二郎(はせがわ りんじろう、1904年1月7日 -… 長谷川 潾二郎(はせがわ りんじろう、1904年1月7日 - 1988年1月28日)は、日本の画家。猫の絵で有名。また、地味井 平造(じみい へいぞう)の筆名で探偵小説を執筆した小説家でもある。 1904年、父・長谷川清(後に淑夫に改名)、母・長谷川ユキの二男として函館に生まれる。長兄に、牧逸馬・林不忘・谷譲次の三つのペンネームを用いて活躍した作家の長谷川海太郎がおり、弟には、ロシア文学者で詩人の長谷川濬(三男)、作家の長谷川四郎(四男)がいる。 旧制函館中学(現・北海道函館中部高等学校)卒業。中学の同級生に、探偵小説家・編集者の水谷準がいた。その後、画家を志して1924年に上京し、松本泰が大家をつとめる下宿で、水谷と共同生活を送る。
久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 19… 久生 十蘭(ひさお じゅうらん、1902年4月6日 - 1957年10月6日)は、日本の小説家、演出家。北海道函館市出身。本名:阿部 正雄。推理小説、ユーモア小説、歴史・時代小説、現代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手掛け、博識と技巧的な文体で「多面体作家」「小説の魔術師」と呼ばれた。 北海道函館区に、父・小林善之助と母・鑑(戸籍上は「カン」) の長男として生まれる。母方は回漕業を営む家の次女 で草月流生花の師匠、父は番頭頭だった(後に離婚)。2歳の時に両親と離れて、回漕業を営む祖父阿部新之助に養育される。1916年春に函館区立寶小学校高等科を卒業して北海道庁立函館中学校(現:北海道函館中部高等学校)に進学するも中退。
野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月2… 野又 貞夫(のまた さだお、1901年(明治34年)12月23日 - 1976年(昭和51年)10月15日)は、日本の商学者・学校経営者・政治家だった人物。 学校法人野又学園初代理事長。数多くの学校長を務めた。北海道旭川市出身。子に野又肇がいる。
明石 信道(あかし しんどう、1901年7月 - 1986年… 明石 信道(あかし しんどう、1901年7月 - 1986年)は昭和期に活動した日本の建築家。早稲田大学名誉教授。 函館市青柳町生まれ。生家は函館の名家堀川家で五男坊。同地の願乗寺川を掘削し、函館発展に尽力した真言本願寺派の僧侶・堀川乗経は祖父、英国人地震学者ジョン・ミルンと結婚したトネ・ミルンは伯母。 新川小学校を経て道立函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)を卒業後に上京。23歳の時に母方の名跡で松前藩重臣であった旧家明石家の養子となって家を継ぎ明石姓となる。その後トネのアドバイスにより、信道は早稲田大学理工学部建築科に進学。1928年に卒業。 在学中に新宿の映画館・武蔵野館のオーナーの依頼を受け、設計を担当。
長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 … 長谷川 海太郎(はせがわ かいたろう、1900年1月17日 - 1935年6月29日)は、日本の小説家、翻訳家。 林不忘(はやし ふぼう)、牧逸馬(まき いつま)、谷譲次(たに じょうじ)の3つのペンネームを使い分けて執筆した。林不忘は時代小説「丹下左膳」シリーズ、牧逸馬は犯罪実録小説、家庭小説、翻訳、谷譲次は米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる。 幕府の金座役人を祖父に持ち、新潟県立佐渡中学校で英語教師をし、後にジャーナリストとして活動する長谷川清(のちに改名した長谷川淑夫の名前で知られる。楽天、あるいは世民とも号した)の長男として新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市赤泊)に生まれる。父・清は佐渡中学校の寄宿舎の舎監も務めており、当時佐渡中学校に在学していた北一輝にも感化を及ぼし、鈴木重嶺門下の清楽社同人として和歌を新潟新聞に寄稿していたが、海太郎が1歳のとき、北海新聞主筆に招かれ、のちに犬養木堂の依頼で函館新聞の主筆となる父に従って一家で函館に移住した。
潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1… 潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1937年11月6日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 義夫。現役時代の体格は身長170cm、体重90kg。最高位は西前頭11枚目(1930年1月場所・3月場所)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り、足癖。 旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)を卒業し、小学校の代用教員をしていたという、角界では異色の経歴を持つ。遠縁に幕内力士立汐祐治郎・立汐唯五郎の兄弟がいた。3代高砂(元大関2代朝潮)に入門して1917年1月場所で初土俵。6年後の1923年5月場所に十両昇進、1928年3月場所で入幕した。
吉谷 一次(よしたに いちじ、1897年〈明治30年〉3月1… 吉谷 一次(よしたに いちじ、1897年〈明治30年〉3月14日 - 1990年〈平成2年〉3月23日)は、日本の政治家。北海道函館市長(3期)。位階は正六位。 長野県生まれ。吉谷重平の長男。1918年(大正7年)、北海道帝国大学土木専門部卒。卒業後は北海道炭礦汽船に入り、土木技師として活動する。1920年(大正9年)に函館区水道拡張事業所(現・函館市企業局上下水道部)に移り、市水道課長、同水道部長、助役を経て、1955年(昭和30年)の函館市長選挙に立候補し、現職の宗藤大陸を破って初当選した。同年5月2日に市長に就任した。在職中は市勢拡大の時期であり、道南の中核都市としての都市計画が一層進んだ。
薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1… 薄田 美朝(すすきだ よしとも、1897年1月16日 - 1963年4月16日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、警視総監、衆議院議員。 秋田県出身。薄田正美の長男として生まれる。函館中学、旧制第二高等学校を経て、1920年7月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年7月、内務省に入り大阪府属兼警部として警察部特別高等警察課に配属された。 1921年11月、香川県警視となり警察部に勤務。1923年2月、朝鮮総督府に転じ総督官房庶務部に勤務し、警務局に異動。 1926年12月、地方事務官として栃木県農商課長に就任。以後、内務事務官・警務官、岡山県書記官・警察部長、長崎県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。
児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年… 児玉 作左衛門(こだま さくざえもん、1895年(明治28年)12月3日 - 1970年(昭和45年)12月26日)は、日本の解剖学者・人類学者。北海道大学名誉教授。アイヌ研究で知られる。秋田県鹿角郡生まれ。 1895年(明治28年)、秋田県鹿角郡柴平村(現鹿角市)に生まれる。1900年(明治33年)、父が眼科医院開業とクリスチャンとしての宗教教育を目的として、一家で函館に移住。函館中学校、第二高等学校を経て東北帝国大学医学部に進学。解剖学を専攻し、スイス留学後の1928年(昭和3年)に「中枢神経の解剖学的研究」で博士学位を取得。翌1929年(昭和4年)、北海道帝国大学医学部解剖学第二教室教授に任じられる。
冨永 格五郎(とみなが かくごろう、1894年9月23日 -… 冨永 格五郎(とみなが かくごろう、1894年9月23日 - 1954年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 北海道出身。1915年旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)卒。函館市議、北海道議を経て、北海商報社代表取締役、函館水産物、巴冷蔵各(株)社長などを務める。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で北海道1区(大選挙区制)から立候補するが落選。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において北海道3区から立候補して初当選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補して当選した。この間衆議院水産委員長や民主自由党総務を歴任した。1952年の第25回衆議院議員総選挙では自由党公認で立候補して落選。
葛木 香一(かつらぎ こういち、1890年3月12日 - 1… 葛木 香一(かつらぎ こういち、1890年3月12日 - 1964年9月6日)は、日本の俳優である。出生名中澤 次良(なかざわ じろう)、本名根石 次郎(ねいし じろう)。 1890年(明治23年)3月12日、北海道函館市、現在の十字街交番 (同市豊川町7番13号)のあたりに生まれる。同地に仕立屋「丸高」を営む中澤喜三郎・マツ夫妻の次男として中澤家に生まれ、根石家を継ぐ。11歳下の弟に俳優光岡龍三郎(本名中澤喜一、1901年 - 1961年)がいる。叔父が山崎函館新聞(現在の北海道新聞)の支局長だったが、その縁で、道内亀田郡大野村(現在の北斗市大野地区)に移り、弟は同地で生まれている。 旧制・北海道庁立函館中学校(現在の北海道函館中部高等学校)に在学中から芝居に熱中し、同校を卒業した1905年(明治38年)ころ、函館新派革新劇団に参加して、函館地区を巡業する。
野田 清(のだ きよし、1887年(明治20年)7月6日 -… 野田 清(のだ きよし、1887年(明治20年)7月6日 - 1974年(昭和49年)3月29日)は、日本の海軍軍人。大本営海軍報道部長。階級は海軍中将。北海道出身。 北海道出身。旧制函館中学校卒業。海軍兵学校35期。席次は172人中40番。同期生に近藤信竹、高須四郎、野村直邦がいる。「浅間」分隊長として第一次世界大戦に出征した。野田は海軍大学校乙種、砲術学校高等科を修了した砲術専攻士官で、のちに戦艦「鹿島」砲術長を務めている。皇太子裕仁親王の欧州訪問の供奉艦「鹿島」の分隊長として渡欧した際は、海軍士官に芸術の素養が必要であるとの報告書を提出した。帰国後海大甲種17期を卒業。 佐官時代は艦隊では第三艦隊、第二艦隊の各参謀や軽巡洋艦「鬼怒」副長、軍政では軍務局局員兼教育本部員、海軍省副官兼大臣秘書官、臨時調査課長、軍令では海大戦略教官、軍令部第二課長(後任は南雲忠一)などを歴任した。
安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年… 安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年12月19日)は、日本の童話作家。号は村羊。 山形県出身。函館中学校(現北海道函館中部高等学校)卒。 1908年時事新報社に入社、『少年』『少女』の編集主幹となりみずからも執筆する。1929年退社し、東京中央放送局『コドモ・テキスト』編集顧問となり、口演童話を開拓、大阪毎日新聞嘱託講師として全国各地に講演旅行する。1952年久留島武彦と全国童話人協会を設立し、のち2代委員長となる。
小泉 辰之助(こいずみ たつのすけ、1875年〈明治8年〉1… 小泉 辰之助(こいずみ たつのすけ、1875年〈明治8年〉12月24日 - 1936年〈昭和11年〉5月29日)は、大正から昭和時代前期の政治家。衆議院議員。 青森県東津軽郡幸畑村(筒井村、筒井町を経て、現在の青森市)に生まれる。函館中学校を卒業し、警官、陸奥日報記者を経て、日月新聞を主宰後、政治家に転身する。1905年(明治38年)東平内村長となり、1909年(明治42年)まで在職。1907年(明治40年)には東津軽郡会議員、同議長を経て、1915年(大正4年)東津軽郡選挙区から青森県会に立候補し当選し、再選後議長に就任した。 県議に3選後の1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では青森県第5区から政友本党所属で出馬し当選するが、選挙後の訴訟に敗れて失格した。