スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
蛇口 浩敬(へびぐち ひろたか、1937年 - )は、八戸大… 蛇口 浩敬(へびぐち ひろたか、1937年 - )は、八戸大学前学長、八戸短期大学学長、学校法人光星学院理事、元東京銀行取締役、ドイツ連邦勲一級功績十字勲章受章、日本国外務大臣賞受賞。 1937年(昭和12年)青森県八戸市出身、八戸高校-東北大学法学部卒業後、東京銀行入行。ドイツ・マールブルク大学留学。スイス東京銀行総支配人、八重洲通支店長、取締役東京銀行ドイツ総支配人兼デュッセルドルフ支店長などを歴任。海外勤務は通算18年。ドイツ滞在中はデュッセルドルフ日本商工会議所・日独円卓会議の創設で尽力し、外国人では最高位となるドイツ連邦勲一級功績十字勲章を受章した。 東京銀行退職後は横河電機顧問を経て2002年(平成14年)~2008年(平成20年)八戸大学学長、2004年(平成16年)八戸短期大学学長。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
京谷 昭夫(きょうや あきお、1936年(昭和11年)1月6… 京谷 昭夫(きょうや あきお、1936年(昭和11年)1月6日 - 1996年(平成8年)5月6日)は、日本の農水官僚。水産庁長官、食糧庁長官、農林水産事務次官、日本中央競馬会理事長。青森県出身2人目の事務次官。 青森県八戸市生まれ。八戸市立第二中学校、青森県立八戸高等学校、東京大学法学部を経て1958年に農林省入省。三重県農政課長、農林水産省畜産局長、水産庁長官、食糧庁長官などを経て1992年事務次官に就任。退官後、1995年に日本中央競馬会理事長に就任。在任中には日本中央競馬会としてはじめての女性ジョッキーを誕生させるなどの功績を残した。また、スーパーオトメが厩舎から逃げ出して首都高速道路を走った問題などの収拾に追われた。
田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年〈昭和9年〉12月7… 田名部 匡省(たなぶ まさみ、1934年〈昭和9年〉12月7日 - 2025年〈令和7年〉3月26日)は、日本の政治家、アイスホッケー選手。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。 1960年スコーバレーオリンピック、1964年インスブルックオリンピック日本代表。参議院議員(2期)、衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第17代)などを歴任した。次女は立憲民主党参議院議員の田名部匡代。 青森県八戸市出身。八戸市立第一中学校、青森県立八戸高等学校を経て、大学進学を期に上京。1957年(昭和32年)に立教大学経済学部経営学科を卒業した。 岩倉組アイスホッケー部のディフェンスとして活躍。アイスホッケー日本代表選手として2度の冬季オリンピック(1960年スコーバレー、1964年インスブルック)に出場した。
三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010… 三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010年8月29日)は、日本の小説家、日本芸術院会員。 青森県八戸市に生まれた。早大に入学したが中退、郷里で2年間中学教師を務めたあと、早大仏文科に再入学し、文学を志す。 井伏鱒二に師事し、純愛小説『忍ぶ川』(1960年)で芥川賞受賞。以後、『恥の譜』(1961年)、『初夜』(1961年)などの情感深い私小説を発表し続けた。1985年、ふしあわせだった家族に対する鎮魂の書『白夜を旅する人々』(1984年)で大仏次郎賞受賞。私小説の系譜を継ぐ代表的作家である。 青森県八戸市三日町の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。青森県立八戸高等学校へ進学し、八戸高校の籠球部時代に「はやぶさの哲」と呼ばれた(当時の遠征の様子を『笹舟日記』に残している)。
鈴木 三成(すずき みつなり、1925年10月25日 - )… 鈴木 三成(すずき みつなり、1925年10月25日 - )は日本の弓道家。範士十段。全日本弓道連盟会長、国際弓道連盟会長を務めていた。 2015年より名前を冠した「範士十段鈴木三成杯弓道大会」が開催されている。 大正14年(1925年)10月25日、八戸市出身。 青森県立八戸中学校(現青森県立八戸高等学校)出身。 全日本弓道選手権大会には1960年より14回出場し、優勝2回、2位3回、3位1回、5位2回の成績を挙げ、最高得点賞を5回獲得している。 1964年東京オリンピックではデモンストレーション弓道競技で代表の1人として参加している。 1974年、デーリー東北賞受賞。 2006年から2012年まで全日本弓道連盟会長を務めた。
正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)… 正部家 種康(しょうぶけ たねやす、1925年(大正14年)1月28日 - 2012年(平成24年)12月6日)は、元八戸市博物館館長。八戸市の郷土史家。 八戸中学-東京農業大学卒業後青森県農業改良普及員となる。1958年から八戸市職員となり、総務部長などを務め、秋山皐二郎市長に重用された。 1983年に八戸市博物館の初代館長に就任し、1989年まで務めた。八戸観光協会長、根城史跡保存会、八戸市文化財審議会委員等を歴任。 郷土史家としても八戸地方の民話に関する本など、多くの著書を執筆している。
山田 隆之(やまだ たかゆき、1923年5月14日 - 19… 山田 隆之(やまだ たかゆき、1923年5月14日 - 1994年5月16日)は、日本の脚本家。 青森県八戸町出身。八戸中学を卒業後、早稲田大学に進学、在学中の1943年に学徒出陣する。復員後、八戸に戻り、終戦後は地元で劇団を設立し、演出などを担当するかたわら、役者として自ら出演もしていた。 1949年に上京し、ラジオドラマの脚本を書くようになり、その後、テレビ時代への移行とともにテレビドラマ(主に時代劇)の脚本を書くようになる。 1994年5月16日、埼玉県秩父市の自宅で死去。
小比類巻 富雄(こひるいまき とみお、1911年〈明治44年… 小比類巻 富雄(こひるいまき とみお、1911年〈明治44年〉2月9日 - 1978年〈昭和53年〉7月31日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。 青森県上北郡大三沢町長、三沢市長。 小比類巻金太郎、ナミの長男として青森県上北郡三沢村(現在の三沢市)に生まれる。1930年(昭和5年)3月、八戸中学校を卒業し、翌年7月に三沢尋常高等小学校の代用教員となる。戦後、1947年(昭和22年)4月、三沢村議会議員に当選。翌年4月に周辺村との合併により大三沢町が発足すると、同町長に就任した。1955年(昭和30年)5月から1959年(昭和34年)4月まで青森県議会議員を務め、同年5月に三沢市長に就任した。
秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)… 秋山 皐二郎(あきやま こうじろう、1910年(明治43年)2月22日 - 2007年(平成19年)9月28日)は、日本の政治家。第13〜17代八戸市長。 湊村(現八戸市)で網元を営む秋山家の四男として生まれた。2歳で父與吉を亡くし、叔父秀之助に漁業の手解きを受けた。 湊尋常高等小学校、八戸中学校(現八戸高等学校)を経て、1936年(昭和11年)中央大学法学部卒業。合同油脂株式会社に入社後、二度召集を受ける。21年8月帰還を果たす。 1952年(昭和27年)に八戸市議会議員に当選し2期、さらに青森県議会議員を3期務めた。1969年(昭和44年)に中村拓道を破って八戸市長に当選し、5期務めて史上最長任期となった。
小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日… 小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日 - 1996年(平成8年)2月5日)は、日本の脚本家、映画監督。青森県八戸市出身。 青森県八戸市柏崎新町の母の実家玉内家で誕生。旧制八戸中学校(現・青森県立八戸高等学校)時代に同郷の友、松下正寿の兄・正臣の影響で武者小路実篤の作品に傾倒し、小説を実篤に送るなど文学に目覚めた。実篤の勧めで日本バプテスト神学校(現・関東学院大学)に進学し卒業。白樺派の影響を受け、実篤主宰の新しき村に参加する。関東大震災に遭遇し帰郷するも、「大震災救援」のための演劇活動に精力を注いだ。 1929年(昭和4年)に実篤の紹介で日活太秦撮影所に助監督として入社。
松下 正寿(松下 正壽、まつした まさとし、1901年〈明治… 松下 正寿(松下 正壽、まつした まさとし、1901年〈明治34年〉4月14日 - 1986年〈昭和61年〉12月24日)は、日本の元政治家、国際政治学者、著述家。第5代・6代・7代立教大学総長、元参議院議員(1期)、核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)初代議長、Ph.D(コロンビア大学)、正四位、勲二等旭日重光章受章。 極東軍事裁判では東条英機の弁護人を務めたほか、岸信介首相の特使として英国政府にクリスマス島の原水爆実験の中止要請を行った。強固な反共主義者としても知られ、民社党系の核禁会議の結成に尽力。1970年代以降、文鮮明を師と仰ぎ、世界平和教授アカデミー会長、世界日報論説委員、宗教新聞社社主を務めるなど統一教会の最高幹部として関連団体で要職を歴任した。
山崎 岩男(やまざき いわお、1901年1月9日 - 196… 山崎 岩男(やまざき いわお、1901年1月9日 - 1964年11月23日)は日本の政治家。衆議院議員や青森県知事を務めた。 1901年、北海道久遠村(現せたな町大成区)に青森県出身の漁師の末子として生まれる。実家は貧しく、父は本籍地を捨てて出奔した状態だったので戸籍上は母の私生児扱いであった。1915年、父の郷里である八戸市に移住。八戸中学(現青森県立八戸高等学校)に入学するもストライキ騒動の責任者とされて退学処分を受ける。その後は中央大学の予科に進学。箱根駅伝の走者として活躍し、第2回から第7回まで出場した。在学中に結婚し、長男の竜男が生まれている。 中央大学法学部卒業後、青森県立青森商業高等学校の英語兼民法の教師となるが、大学の先輩である梅村大の衆議院議員立候補を応援するために退職。
北村 小松(きたむら こまつ、1901年(明治34年)1月4… 北村 小松(きたむら こまつ、1901年(明治34年)1月4日 - 1964年(昭和39年)4月27日)は、日本の劇作家、小説家、脚本家。 青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)生まれ。八戸中学校を経て慶應義塾大学英文科卒。在学中から小山内薫に師事して劇作を学び、卒業後に松竹キネマ蒲田研究所に入社。松竹の『マダムと女房』(1931年)など多くの映画シナリオを書く。戦後はユーモア小説作家に転じた。『人物のゐる街の風景』(1926年)が初期代表作で、初期は左翼文学にも手を染めたが、戦時下は戦争協力小説を多く書き、スパイものを編纂した。ほか翻訳がある。終戦後の1948年(昭和23年)に公職追放を受けて活動停止追放処分となる(1950年(昭和25年)に解除)。
武藤 健(むとう たけし、1893年11月28日 - 197… 武藤 健(むとう たけし、1893年11月28日 - 1974年12月18日)は日本の大正時代・昭和時代の牧師。日本基督教団第4代議長、日本キリスト教文化協会理事長、キリスト新聞社社長。 青森県八戸市番長のクリスチャンの眼科医武藤一明の三男に生まれる。八戸中学時代より神学者を目指し、八戸中学を首席で卒業し、青山学院で学ぶ。1918年(大正7年)に日本メソヂスト教会の教職になり、メソジスト城西教会の牧師、銀座教会の福音英語学校校長になる。1919年(大正8年)に結婚し、東京帝国大学文学部、アメリカ合衆国ノースウェスタン大学大学院、ベルリン大学で神学の勉強を続ける。 1924年(大正13年)に帰国して青山学院教授に就任する。
小井川 潤次郎(こいかわ じゅんじろう、1888年〈明治21… 小井川 潤次郎(こいかわ じゅんじろう、1888年〈明治21年〉3月21日 - 1974年〈昭和49年〉2月28日)は、日本の民俗学者、郷土史家。青森県八戸・十六日町生まれ。1928年、八戸郷土研究会を結成。翌年より地方紙『奥南新報』などで会員とともに次々と民俗レポートや論考を発表し、それらに注目した柳田國男や折口信夫、佐々木喜善らと交流した。1935年、「民間伝承の会」(後の日本民俗学会)の創立に参加。1952年、日本民俗学会名誉会員。 「北奥民俗学の巨星」、「八戸史学の父」などと評されるが、その活動範囲は民間信仰「おしらさま」や郷土芸能「えんぶり」の研究から、伝統工芸「南部菱刺し」の復興活動および柳宗悦の協力を得ての全国への紹介、糠部郡三十三観音巡礼に関する古文書の発見と翻刻・出版、地元の種差海岸、根城、是川遺跡の研究による名勝・史跡指定への貢献など多岐にわたる。
村井 倉松(むらい くらまつ、1888年〈明治21年〉1月1… 村井 倉松(むらい くらまつ、1888年〈明治21年〉1月10日 - 1953年〈昭和28年〉10月23日)は、日本の政治家。青森県八戸市の8代目市長。 青森県上北郡百石村(百石町→おいらせ町の前身)に生まれる。青森県立第二中学校(現青森県立八戸高等学校)、京北中学校を経て、1911年(明治44年)に東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業、東亜同文書院教授。 1913年(大正2年)に東亜同文書院教授を退任。1914年(大正3年)高等文官試験外交科(外交官及領事館試験)に合格し、同年在長春領事官補、高等官七等となる。 在ホノルル領事官補を経て、1918年(大正7年)在ニューヨーク領事官補。1919年(大正8年)在中国外交官補。
夏堀 源三郎(なつぼり げんざぶろう、1887年4月6日 ‐… 夏堀 源三郎(なつぼり げんざぶろう、1887年4月6日 ‐ 1962年7月20日) は、日本の政治家。位階は従四位。自由民主党衆議院議員(6期)。自由民主党副総裁、自由民主党幹事長、衆議院議長などを務めた大島理森は甥に当たる。 1887年、青森県三戸郡地引村(現南部町)出身。生家は豪農であったが13歳のとき破産し、一家は八戸に移住した。八戸中(現・青森県立八戸高等学校)に学ぶ。卒業後、漁師となり、水産加工業を始める。1929年、八戸で湊川魚市場組合長に就任。1932年に株式会社化し、社長に就任した。その後、東北振興水産(1937年)、大洋冷凍母船、日南興産、東北冷蔵の各社長となり、八戸商工会議所会頭、青森県水産業会長、東北漁業出漁組合連合会長なども務めた。
山内 亮(やまうち りょう、1886年(明治19年)12月2… 山内 亮(やまうち りょう、1886年(明治19年)12月20日 - 1960年(昭和35年)7月26日)は、日本の政治家。青森県八戸市の5代目市長。終戦直前の1945年8月、米軍による空襲の予告を受けて全市民に総退去を命じた。 戦争末期に青函連絡船を撃沈したハルゼー機動部隊により1945年(昭和20年)7月14日に八戸・三沢が空襲を受け、日東化学工業や尻内駅が被害を受けた。さらに8月5日にB29爆撃機が八戸市に飛来し八戸空襲を予告、8月9日にハルゼー機動部隊により八戸港にいた海防艦・稲木が撃沈された。こうした状況を受け、空襲や艦砲射撃による攻撃を見越し、8月10日に八戸市中心市街地からの総退去命令を決断した。
稲城 篤実(いなき あつみ、1849年(嘉永2年) - 19… 稲城 篤実(いなき あつみ、1849年(嘉永2年) - 1918年(大正7年))は、日本の政治家。青森県八戸町長。 八戸城下の下組町に生まれる。町村制が成立する直前に八戸町の戸長となり、1889年(明治22年)から1893年(明治26年)まで八戸町長を務める。 1894年(明治27年)からは青森県立八戸中学校(後の青森県立八戸高等学校)の書記となり、死去するまで務めた。 八戸町役場が発足した時に、戸長役場の職員がそのまま引き継がれた。町村制施行により、それまで三戸郡役所が受け持っていた学校の授業料徴収や町税徴収の事務が町役場に移管されたが、新制度への対応がスムーズに行われず、出納事務に不手際が続出する事態となった。
神田 潤一 は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院… 神田 潤一 は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。
中村 隆司 は、日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、オリ… 中村 隆司 は、日本の実業家。日清製粉代表取締役社長や、オリエンタル酵母工業代表取締役社長、製粉協会会長などを務めた。
田髙 寛貴 は、日本の民法学者。名古屋大学大学院法学研究科教… 田髙 寛貴 は、日本の民法学者。名古屋大学大学院法学研究科教授を経て、慶應義塾大学法学部教授。元法務省司法試験考査委員。
大石 雅寿(おおいし まさとし、英語: Masatoshi … 大石 雅寿(おおいし まさとし、英語: Masatoshi Ohishi)は、日本の天文学者。専門は電波天文学、アストロバイオロジー、星間化学、天文データベース。元国立天文台特任教授。 青森県八戸市生まれ。八戸高等学校を経て、京都大学理学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻にて理学博士を取得。 1990年から国立天文台に勤務。電波天文学研究系助手、天文学データ解析計算センター助教授、天文データセンター准教授(2007年 - 2019年)、同センター長(2011年 - 2016年)を経て、2019年から2023年まで天文情報センター特任教授を務めた。 国際的には、国際電気通信連合(ITU)第7研究委員会電波天文作業部会(WP7D)議長(2000年 - 2010年)、国際天文学連合(IAU)委員会F3(Astrobiology)元会長、同委員会B5(Astronomical Data)元会長などを歴任した。
柏崎 順子(かしわざき じゅんこ)は、日本の国文学者。専門は… 柏崎 順子(かしわざき じゅんこ)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、江戸時代の書物文化。一橋大学名誉教授。 青森県上北郡下田町(現おいらせ町) 生まれ。青森県立八戸高等学校を経て、実践女子大学大学院文学研究科博士課程修了。一橋大学講師、助教授を経て、2003年から一橋大学大学院法学研究科法言語論部門教授。2024年一橋大学名誉教授、一橋大学大学院法学研究科特任教授。この間、八戸市特派大使等も務める。
北山 兼弘(きたやま かねひろ)は、日本の森林生態学者。京都… 北山 兼弘(きたやま かねひろ)は、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。日本生態学会賞受賞。 青森県八戸市生まれ。1981年東京農工大学農学部環境保護学科卒業。1983年東京農工大学大学院農学研究科修士課程修了、農学修士、マレーシア国立大学自然資源学部講師(青年海外協力隊)。1992年ハワイ大学植物学科博士課程修了、Ph.D.(植物学)、ハワイ大学植物学科ポストドクトラル・フェロー、東西センター環境政策研究所フェロー研究員。1993年ハワイ大学植物学科研究員。1994年農林水産省林野庁森林総合研究所主任研究官。2000年京都大学生態学研究センター助教授。2001年京都大学生態学研究センター教授。
小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医… 小渡 康行(こわたり やすゆき)は、日本の認知神経科学者、医師。人間の顔認識における視線方向(特に左向き斜め顔)の脳活動への影響をfMRIを用いて研究したことで知られる。 青森県立八戸高等学校を経て、東京大学医学部医学科卒業。東京大学大学院医学系研究科にて博士(医学)を取得(2005年)。学位論文の題目は「脳左向き斜め顔は顔の認識に関与する脳皮質領域を強く賦活する」。 その後、産業技術総合研究所において文章朗読の高速再生刺激に対する脳活動などの研究に参加。 臨床分野では、肥満や生活習慣病関連の臨床試験責任者として名前が挙がっている。
高砂充希子(たかさごみきこ)は、日本の建築家、建築デザイナー… 高砂充希子(たかさごみきこ)は、日本の建築家、建築デザイナー。宮城大学非常勤講師。2025年10月八戸市長選挙に無所属で立候補した。 1988年(昭和63)年青森県八戸市生まれ。青森県立八戸高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築学科入学、五大学講評会 内藤廣賞受賞や、日本最大の卒業設計展せんだいデザインリーグにて415作品中1位を獲得、2013年卒業。その後アメリカに留学し2018年南カリフォルニア建築大学大学院修了。サイアーク修了制作にてウッズバゴット賞を受賞し、2万ドルが授与された。その後、世界的な建築コンサルタント会社Woods Bagot(英語版) ニューヨーク支店勤務。その後、WRNS Studio(英語版)サンフランシスコ支店勤務。
田中 愛智朗(たなか あいちろう)は、日本の内閣府官僚。内閣… 田中 愛智朗(たなか あいちろう)は、日本の内閣府官僚。内閣府沖縄総合事務局次長、内閣府大臣官房政策立案総括審議官等を経て、内閣府沖縄総合事務局長。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1987年東北大学教育学部卒業、総務庁入庁。内閣府沖縄総合事務局総務部長を経て、内閣府官民人材交流センター総務課長併大臣官房参事官を経て、2014年から内閣府沖縄総合事務局次長を務め、2015年には北中城村に開設された沖縄最大のイオンモール沖縄ライカムの開設式典であいさつを述べるなどした。 2015年内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(総括担当)兼子ども・子育て本部参事官(総括担当)兼内閣官房副長官補付。
種市 桃子 は日本の女性声優。アクセント所属。青森県八戸市出… 種市 桃子 は日本の女性声優。アクセント所属。青森県八戸市出身。
武尾 実(たけお みのる)は、日本の火山物理学者、地震学者。… 武尾 実(たけお みのる)は、日本の火山物理学者、地震学者。東京大学名誉教授。気象庁参与。 1953年青森県八戸市生まれ。1972年青森県立八戸高等学校卒業。1977年気象大学校卒業。1982年北海道大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。1983年気象研究所地震火山研究部研究官。1987年東京大学地震研究所助手。1991年東京大学地震研究所助教授、日本火山学会評議員。1996年日本地震学会理事。1998年東京大学地震研究所教授。2016年には西之島の噴火を受けた火山研究チームのチームリーダーとして調査にあたった。 2019年定年退職、東京大学名誉教授、東京大学地震研究所特別研究員、気象庁参与。