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渡部 恒雄(わたなべ つねお、1963年〈昭和38年〉11月… 渡部 恒雄(わたなべ つねお、1963年〈昭和38年〉11月13日 - )は、日本の政治学者、歯科医師、笹川平和財団特任研究員を経て上席研究員(元東京財団上席研究員)。戦略国際問題研究所非常勤研究員、沖縄平和協力センター上席研究員。父親は元衆議院議員の渡部恒三。 1963年(昭和38年)11月13日、政治家渡部恒三の長男として福島県に生まれる。 1982年(昭和57年)福島県立会津高等学校を卒業(高34回)、1988年(昭和63年)東北大学歯学部を卒業。歯科医師となるが、社会科学を学ぶため米国留学。1995年(平成7年)ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ政治学修士課程を修了する。その後、戦略国際問題研究所に入所し、客員研究員、研究員などを務めた。
目黒 公郎(めぐろ きみろう、1962年 - )は、日本の工… 目黒 公郎(めぐろ きみろう、1962年 - )は、日本の工学者。東京大学大学院情報学環・学際情報学府学環長・学府長、東京大学生産技術研究所教授、東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター長。専門は、都市震災軽減工学、国際防災戦略研究。福島県只見町出身。
高畑 由起夫(たかはた ゆきお、1953年4月13日 - )… 高畑 由起夫(たかはた ゆきお、1953年4月13日 - )は、日本の生態学者、自然人類学者、霊長類学者。関西学院大学名誉教授。主な研究対象はニホンザルやチンパンジー、ワオキツネザル等。2009年~2011年には、日本霊長類学会の会長を務めた。 ニホンザルにおいて、特定のオスとメスの間に親和的関係が生まれると、その後は交尾を避けるようになる現象(特異的近接関係: Peculiar Proximate Relations, PPR)を発見した。
川村 邦光(かわむら くにみつ、1950年5月27日 - )… 川村 邦光(かわむら くにみつ、1950年5月27日 - )は、日本文化学者、大阪大学名誉教授。専門は宗教、民族、性の歴史。 福島県生まれ。1969年会津高校卒。1975年東北大学文学部宗教史学科卒。学生時代は学生運動で活動。1978年同大学院宗教学修士課程修了、1984年実践哲学博士課程単位取得満期退学。1989年天理大学おおやさと研究所助教授、1991年同文学部助教授、1996年教授、1997年大阪大学文学部(日本学)教授。2016年定年退任し名誉教授。 近代における性の民俗などを研究。
山口 隆美(やまぐち たかみ、1948年5月 - ) は、日… 山口 隆美(やまぐち たかみ、1948年5月 - ) は、日本の生体工学者、外科医。東北大学名誉教授。 元日本機械学会バイオエンジニアリング部門長。文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。 1948年、福島県出身。 1967年、福島県立会津高等学校卒業。 1973年に東北大学医学部卒業後、財団法人・竹田綜合病院外科で外科医となった。その後、心臓外科医になることを志して上京。 1976年、東京女子医科大学附属第2病院循環器外科助手。 1977年東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所理論外科助手。 1980年、東京女子医科大学医学博士。 1981年、東京大学工学博士、ロンドン大学インペリアル・カレッジ・ロンドン留学。
田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は… 田中 俊一(たなか しゅんいち、1945年1月9日 - )は、日本の元公務員、工学者(原子力工学、放射線物理学・放射線遮蔽工学)。学位は工学博士(東北大学・1978年)。 日本原子力研究所副理事長、独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問、社団法人日本原子力学会会長(第28代)、内閣府原子力委員会委員長代理、財団法人高度情報科学技術研究機構会長、内閣官房参与、原子力規制委員会委員長(初代)などを歴任した。 1945年、福島県福島市生まれ。国鉄職員だった父の転勤により福島県伊達郡伊達町(のちの福島県伊達市)で小学校に通ったのち、中学生から会津地方(福島県西部)で過ごし、福島県立会津高等学校を卒業する。
坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
高久 晃(たかく あきら、1933年 - 2015年)は、日… 高久 晃(たかく あきら、1933年 - 2015年)は、日本の医学者。専門は、脳神経外科学。学位は、医学博士。富山医科薬科大学医学部脳神経外科学教室教授(初代1980年-1997年)、富山医科薬科大学学長(1997年-2003年)。 脳神経外科顕微鏡手術に優れ脳神経外科手術の治療成績と安全性の向上、国内外の若手医師の指導など幅広く脳神経外科の発展に寄与する。2016年3月27日、富山市シティホールにて富山大学脳神経外科同門会・高久家合同お別れの会が開催された。
小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 … 小室 直樹(こむろ なおき、1932年〈昭和7年〉9月9日 - 2010年〈平成22年〉9月4日)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。 学位は法学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。 社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビエト帝国の崩壊』や『痛快!憲法学』などがある。 出生名爲田直樹として東京府荏原郡玉川村(現・東京都世田谷区奥沢)に生まれる。私生児であった。
柏木 繁男(かしわぎ しげお、1930年 - )は、日本の心… 柏木 繁男(かしわぎ しげお、1930年 - )は、日本の心理学者、千葉大学名誉教授。 福島県会津若松市生まれ。東京大学文学部心理学科卒、同大学院教育学研究科をへて1967年教育学博士。旧国鉄の鉄道労働科学研究所を経て、千葉大学教授・文学部長、1996年定年退官、名誉教授、城西国際大学教授、慶應義塾大学教授。 内田クレペリン精神検査など心理検査の研究など人格心理学に関する研究者として著名である。また計量行動学や心理学における多変量解析を用いた心理学研究法に関する著書や論文を国内外の学術誌で多数執筆している。特に因子分析に関する研究で国際学術誌に数多くの業績を残している。最近は主要5因子性格検査の研究を中心に行っている。
宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7… 宮崎 十三八(みやざき とみはち、1925年(大正14年)7月8日 - 1996年(平成8年)5月11日)は、日本の郷土史家。福島県会津若松市生まれ。旧制新潟高等学校文科卒業。会津若松市商工観光部長。会津史学会会長、顧問。会津史談会相談役。 1993(平成5)年に出された「教育委員会表彰推せん調書」によれば次の通り。 福島県若松市融通寺町(現在の本町)に生れ、市立第四(城西)小学校・県立会津中学校を経て、旧制官立新潟高等学校文科卒業。県立安積高校教員の後、昭和二十六年若松市役所に奉職。三十三年間勤務。商工観光課長のとき、天守閣再建担当。社会教育課長、文化福祉センター初代所長、商工観光部長。五十九年三月定年退職。
大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29… 大橋 薫(おおはし かおる、1922年(大正11年)4月29日 – ) は、日本の社会学者。明治学院大学名誉教授。社会病理学、都市社会学を主たる専門とする。明治学院大学社会学部長、日本社会病理学会、家族問題研究会の各会長などを歴任。 社会病理学では社会解体論的、社会偏倚論的方針に立脚し、家族病理、社会病理の視点から研究を行う。また都市社会学においてはシカゴ学派の影響を受ける。 研究対象は家族、アルコール中毒、被差別部落、売春婦、やくざなど多岐にわたり、高知市や大阪市で行った調査活動への評価は高い。一方その社会病理学の方法については、学問領域としての社会病理学それ自体と併せて批判もある。 福島県田島町出身で、会津中学、浦和高校を経て1942年(昭和17年)に東京帝大へ進む。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理… 佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校から1943年東京帝国大学文学部倫理学科卒。1950年東大教養学部講師、助教授、教授、1981年定年退官、名誉教授、信州大学教授。
金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 199… 金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 福島県生まれ。会津中学校(現福島県立会津高等学校)卒、1939年東京文理科大学卒、46年同大学助手、1951年東京教育大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、文教大学教授。85年退職、インターカルト日本語学校校長。
星 冬四郎(ほし とうしろう、1907年(明治40年)12月… 星 冬四郎(ほし とうしろう、1907年(明治40年)12月23日 – 1989年(平成元年)8月7日 ) は、日本の農学者。家畜生理学を専門とした東京大学農学部教授、同名誉教授である。「馬の不妊症に関する内分泌学的研究」で東京帝大農学博士、「哺乳期における卵巣機能に関する研究」で日本農学賞を受賞。家畜繁殖研究会会長。 「ラットの卵巣静脈血中の黄体ホルモンの化学的測定法の確立に関する研究」は世界で最初の取り組みで、のちに体外受精、胚移植へと発展した。昭和38年度の日本農学賞を受賞した「ラットの哺乳期における内分泌機能に関する研究」(「哺乳期における卵巣機能に関する研究」)は低受胎症の改善に、「家畜不妊症に対する性腺刺激ホルモンの応用に関する研究」は家畜繁殖障害のホルモン療法に貢献した。
星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日… 星 光一(ほし こういち、1907年(明治40年)9月11日 - 1991年(平成3年)4月13日)は、日本の工学者。切削工学を専門とした北海道大学教授、同名誉教授である。旭川工業高等専門学校校長、精密工学会名誉会員。「金属切削における構成刃先の研究」で東京大学工学博士。 福島県会津若松市出身。会津中学などを経て1933年(昭和8年)に北海道帝国大学を卒業。基隆炭鉱、栗本鉄工所、新潟鐵工所に勤務する。北大に精密工学科が設置された1958年(昭和33年)に教授となり、1972年(昭和47年)には名誉教授の称号を授与される。この間の1970年(昭和45年)に旭川工業高等専門学校校長に就任。1979年(昭和54年)の退官までに、同校では設備の充実が図られた。
大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 19… 大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 1989年3月10日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1960年)。一橋大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。キリスト教徒であり青山学院大学学長も務めた。従三位勲二等瑞宝章。妻は宮城県会議長・南條秀夫の長女。 1905年、福島県会津若松市で生まれた。1923年3月、 会津中学校を卒業して小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学。1926年3月に小樽高等商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。1929年3月に同校を卒業。 卒業後は、1929年7月より母校である東京商科大学の補手に着任。1930年11月、高等試験司法科試験に合格。
鈴木 勝(すずき まさる、1903年〈明治36年〉 - 19… 鈴木 勝(すずき まさる、1903年〈明治36年〉 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の歯学者(医学博士)。第六代日本大学総長、第四代、第五代日本歯科医学会会長。 会津路の峰、博士山の登山口である福島県河沼郡柳津町大成沢に生まれる。 1921年(大正11年)に旧制福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)を卒業し、日本大学専門部歯科へ進む。在学中に馬術部の創設に関わり、選手として京都若草大会(学生の部)で3位となる。卒業後、専門部歯科助教授となり、放射線学教室を担当。教授に1943年(昭和18年)4月就任したが、より高度の知識と医学学位の取得を求め、1948年(昭和23年)には東京医学歯学専門学校(現・東京医科歯科大学)医学科を卒業した その後、日大に戻り、歯学部教授兼学監、歯学部長、理事、総長を歴任。
富山 小太郎(とみやま こたろう、1902年(明治35年)1… 富山 小太郎(とみやま こたろう、1902年(明治35年)12月28日 - 1972年(昭和47年)8月23日)は、日本の物理学者。理論物理学を専門とした東京物理学校、早稲田大学の各教授である。その著作や『科学』編集主任としての活動を通じ「現代物理学の紹介者、解説者」であった。 福島県喜多方町に生まれる。幼時に父が日露戦争で戦死し、母の養育を受けた。母方の祖父は喜多方事件の中心人物の一人で、のち県会副議長を務めた中島友八である。会津中学4年修了、二高理科甲類を経て、1925年(大正14年)3月に東京帝国大学を卒業。堀内寿郎は二高、中谷宇吉郎、三石巌、和達清夫は理学部物理学科の同級生であった。 同年4月から翌々年3月まで松本高校の講師、教授を務め、物理学を担当した。
横田 嘉右衛門(よこた かえもん、1897年(明治30年) … 横田 嘉右衛門(よこた かえもん、1897年(明治30年) - 1981年(昭和56年)9月24日)は、日本の薬学者。製薬学(有機製造化学)を専門とした富山薬学専門学校校長、富山大学学長を歴任。学位は、薬学博士(東京帝国大学)、日本薬学会名誉会員。 福島県出身で、生家は薬屋、造り酒屋を営んでいた。会津中学、四高第二部薬学科を経て、1923年(大正12年)に東京帝国大学医学部薬学科を卒業。同年1年志願兵として入営(陸軍三等薬剤官)。1925年(大正14年)、東大医学部助手に任ぜられる。 慶松勝左衛門教授(薬品製造学教室)の助手として勤務し、慶松との共同論文を発表した。横田は制癌剤合成研究の先駆者の一人である。
河原 万吉(かわはら まんきち、1896年 - 1981年)… 河原 万吉(かわはら まんきち、1896年 - 1981年)は、日本の翻訳家、書誌学者、評論家。 福島県耶麻郡喜多方町(現喜多方市)に五十嵐六七八の次男として生まれる。会津中学校中退。1918年より二年間軍役に服したのち、栃木県の河原仁三郎の養子となる。 1923年上京し、新光社を経て万有文庫刊行会に勤め、翻訳を手がける。その一方、江戸時代の書誌研究・出版を行う。1930年東洋思想学者宇多尚に師事し、日華文化交渉史、日本精神史の研究を行う。 1938年4月陸軍省嘱託として北京師範大学助教授、7月教授となるが病気のため10月辞職、帰国後は著述に専念し、戦後はオリオン社の通信添削国語科担当。
本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年)8月2… 本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年)8月29日 - 1968年(昭和43年)4月20日)は、日本の医学者、防衛官僚である。京城帝国大学教授、警察予備隊本部医務局長、防衛庁衛生監を歴任。「Ueber die Noma」で東京帝大医学博士、日本大腸肛門病学会会長。日本の膿胸手術における先駆者である。 福島県南会津郡大宮村(現・南会津町)出身。会津中学、一高を経て、東京帝国大学を卒業。医学部首席の井深健次は一高、大学とも同級生であった。東大第二外科局員、東京女子医専講師を経て台湾入りし、台湾総督府医院外科医長兼台北医学専門学校教授、日本大学専門部医学科教授を歴任。この間フランス留学を経験している。
黒河内 四郎(くろかわち しろう/くろこうち しろう、188… 黒河内 四郎(くろかわち しろう/くろこうち しろう、1882年(明治15年)7月 - 1960年(昭和35年)6月3日)は、日本の鉄道省官僚、土木工学者(工学博士)。鉄道省工務局長を最後に退官し、東京高速鉄道技師長として現在の銀座線新橋、渋谷間の開通に貢献。第31代土木学会会長、初代日本保線協会会長。 福島県士族香川源左衛門の次男として若松町に生まれ、同士族黒河内源治の養子となる。1901年(明治34年)会津中学を卒業。大島破竹郎が同級生である。二高を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学を卒業。席次は29名中3番である。 逓信省鉄道作業局に入り、生涯にわたる鉄道への関わりが始まる。1915年(大正4年)に米国留学し、帰国後は工務局保線課に配属され、保線業務、軌道の改善に努めた。
斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年… 斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年)11月20日 - 1951年(昭和26年)7月22日) は、日本の法学者。和議法、破産法の権威者で、神戸商業大学、京都帝国大学の各教授、会津短大学長を歴任した。「和議制度の研究」で、法学博士(京都帝国大学)。日本学士院会員。 実務経験を有する研究者であり、判事時代に著した『注釈訴訟記録』は実務家、研究者双方に貴重な著作として扱われた。日本の民事訴訟法は1890年(明治23年)に制定されたが、その学問的研究が発展を遂げるのは大正中期以降であり、斎藤はその先駆者の一人である。『日本破産法』は1922年(大正11年)制定された(新)破産法に関するもので、同法に関する書として加藤正治の『破産法要論』と並ぶ代表的著作である。
君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月… 君島 八郎(きみしま はちろう、1876年(明治9年)12月28日 - 1955年(昭和30年)10月14日)は、日本の土木工学者。工学博士、九州帝国大学教授。日本における道路研究の先駆者であり、その著書『君島大測量学』と『河海工学』は戦前土木名著100書に選ばれている。 福島県若松町諏訪町四谷の旧会津藩士君島勝平の次男として生まれる。1895年(明治28年)会津中学を一回生として卒業する。松江春次、森俊六郎、平石弁蔵らが同級生で、特選生として野口英世が通学しており、のちに留学先で再会している。二高第二部工科を首席で、1901年(明治34年)には東京帝国大学を19名中首席で卒業した。 大学院在学中に『道路学一斑』を著し、母校の講師や助教授、独国、仏国、米国での留学を経て、1911年(明治44年)、新設された九州帝国大学の工学部教授に就任。
佐藤 義長(さとう よしなが、1866年7月20日(慶応2年… 佐藤 義長(さとう よしなが、1866年7月20日(慶応2年5月20日) - 1937年(昭和12年)1月8日)は、日本の農学者。農芸化学を専門とする農学博士で、宇都宮高等農林、盛岡高等農林の各校長を務めた。 幕末の会津若松博労町に生まれる。会津藩藩士佐藤大八郎の長男であり、会津会会員であった。幼少期に佐原盛純らに学び若松予科学校(現会津高校)に入学するが、同校はその翌年に廃校となり、上京した。佐藤は農学を志し、1888年(明治21年)に駒場農学校を卒業した。埼玉師範学校教諭、茨城農業技師を経て、栃木農業技師となり、渡良瀬川流域の農作物被害調査に従事し、古在由直と足尾銅山の鉱毒調査を行った。京都農事試験場長、京都農学校長を歴任。
植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15… 植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年 <明治15年> 2月 - 1945年 <昭和20年>) は、日本の林学者。専門は、林政学・森林経理学。入会権について史的研究を行い、川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える。また樺太に設けられた九州帝国大学の演習林の指導、調査報告を行った。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝国大学)。九州帝国大学教授、同名誉教授。 旧会津藩藩士の植村家に生まれる。会津中学、一高を経て、1906年(明治39年)7月に東京帝国大学林学科を18名中首席で卒業。大学院を経て盛岡高等農林教授となる。在任中に森林政策、森林行政、木材商況、経理、外国語などを担当し、またドイツに留学している。