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亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月… 亀淵 迪(かめふち すすむ、1927年 - 2023年11月19日)は、日本の物理学者。専門は場の量子論、特に繰り込み理論の研究で知られる。学位は、理学博士。筑波大学名誉教授。坂田昌一に師事。石川県出身。 旧制小松中学、旧制四高を経て、1950年に名古屋大学理学部物理学科を卒業後、名古屋大学大学院理学研究科に進学。1951年 梅澤博臣と協力して、近似によらない荷電繰り込みの一般論を作り、副産物として、電磁場に対する電流(カレント)の応答公式(後に「線形応答理論の久保公式」と呼ばれる式の原型)や、カレントの応答関数の相対論的不変な表示公式(後の「レーマン Lehmann のスペクトル表示」と呼ばれる式と同等)を導入した(梅澤・亀淵、久保、レーマンの研究成果の位置付けについては、高橋康「昔話 名古屋における場の理論」素粒子論研究 2007年 114巻 6号 pp.35-48 の p.47 の記述も参照)。
嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年… 嶋崎 譲(嶋﨑 譲、しまさき ゆずる、1925年(大正14年)1月21日 ‐ 2011年(平成23年)10月26日)は、日本の政治学者、政治家。衆議院議員(8期)。 石川県小松市粟津町に生まれる。兄の均は自由民主党所属の参議院議員、法務大臣を歴任し、兄弟で党籍が与野党に別れていた。また、弟の丞は石川県立美術館館長。 旧制第四高等学校を経て九州大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。 大学院修士課程修了後、九州大学助教授、教授となる。向坂逸郎らと共に社会主義協会系の学者として活躍するが、1967年(昭和42年)社会主義協会分裂の際は太田派の中心人物の一人となった。 1969年(昭和44年)、社会党執行部から求められて九州大学教授を辞職し、旧石川1区から第32回総選挙に立候補するが落選。
嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 199… 嶋崎 均(しまさき ひとし、1923年3月28日 - 1997年5月11日)は、日本の官僚、政治家。法務大臣(第43代)、参議院議員(5期)を務めた。 現在の石川県小松市出身。旧制小松中学校時代には体格のよさから相撲部に所属、角界から入門の話があったような強さだった。旧制第四高等学校を経て、1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部卒業後、大蔵省入省。主税局配属。1948年8月 横浜税関監視部。1950年5月 津税務署長。1951年8月 大阪国税局総務部総務課長。1955年6月 東京国税局調査査察部次長。1960年7月 東京国税局間税部長。1961年7月 経済企画庁調整局政策課長。
寺尾 晃洋(てらお こうよう、1923年1月26日 - 20… 寺尾 晃洋(てらお こうよう、1923年1月26日 - 2003年6月23日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は、公企業論、水道事業論。商学博士(関西大学、1990年)。 公益事業学会理事、国際公共経済学会理事、京都市交通事業審議会委員、大山崎町・大阪府・吹田市・東大阪市・堺市・摂津市・川西市・豊中市の水道事業審議会委員、大阪市政調査会理事などを歴任。
原谷 敬吾(はらたに けいご、1911年 <明治44年> 9… 原谷 敬吾(はらたに けいご、1911年 <明治44年> 9月20日 - 1999年 <平成11年> 1月22日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。石川県小松市出身。位階は従三位。 1932年に広島高等工業学校電気工学科を卒業。金沢市電気局、日本海電気、小松電気での勤務を経て、1960年に北陸電力理事に就任し、1962年に取締役、1964年に常務、1968年に副社長を経て、1979年に社長に就任。1979年に会長に就任し、1987年には取締役相談役に就任。 1979年から1991年までに北陸経済連合会会長を務めた。 1973年に藍綬褒章を受章し、1984年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年1月22日心不全のために死去。
森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年… 森 茂喜(もり しげき、1910年3月27日 - 1989年11月19日)は、日本の政治家、陸軍軍人(中佐)。父は根上村長を務めた森喜平。長男は第85・86代内閣総理大臣の森喜朗。 石川県能美郡根上村(現能美市)出身。旧制小松中学、早稲田大学専門部法律科で学ぶ。大学時代はラグビー部の中心選手として活躍した。大学卒業後、京都市役所で勤務。その後石川県庁に移る。 日中戦争勃発により陸軍に召集され従軍(特別志願将校)。少尉時代に上海上陸から南京攻略戦、その後徐州作戦、武漢作戦と初期の激戦を一通り経験し、伝記にも載っている。週刊誌に取り上げられたこともある。 満州の牡丹江に駐留していた歩兵第7連隊第9中隊長時代、部下に丁来赫(チョン・ネヒョク)が居た。
勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 19… 勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 1994年3月6日)は、生理学者、文化勲章受章者。聴覚の研究に大きく貢献した。 石川県小松生まれ。第三高等学校、東京帝国大学医学部卒業。当初は耳鼻科を専攻していたが、橋田邦彦の生理学教室に移る。1949年東京医科歯科大学教授、1971年に定年退職後に鶴見大学歯学部教授。1974年に東京医科歯科大学学長に就任し、1977年まで務める。1972年日本学士院会員。1977年生物科学総合研究機構長に就任し、1981年まで務めた。 1948年 東京大学 医学博士。論文は「日本語母音の構成と口腔及び附属管腔の研究」。 母音解析や魚類、哺乳類等の聴覚の研究から脳の聴覚機構を研究する。
宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年〈明治38年〉5月… 宮本 三郎(みやもと さぶろう、1905年〈明治38年〉5月23日 - 1974年〈昭和49年〉10月13日)は、日本の洋画家。金沢美術工芸大学名誉教授。石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれ。 1905年、石川県小松市に生まれる。旧制小松中学校に在学中に陸軍幼年学校を受験するも落ちたため中学校を中退、画家になることを志す。1922年(大正11年)に上京すると川端画学校に入り富永勝重、藤島武二に師事する。また安井曾太郎、前田寛治からも教えを受けた。関東大震災後に京都に移り、関西美術院で黒田重太郎の指導を受ける。 1936年(昭和11年)、二科会に新会員として迎えられる。 油絵の他に雑誌の挿絵、新聞小説の挿絵も多く手がけた。
石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - … 石田 龍次郎(いしだ りゅうじろう、1904年1月4日 - 1979年1月11日)は、日本の地理学者。一橋大学名誉教授。日本地理学会会長(1966-67)。 石川県能美郡小松町(現・小松市)で酒類販売商を営む麦谷家の六男として生まれる。14歳で尋常高等小学校の高等科を修了し、石川県立小松中学校に入学する。1921年第四高等学校理科甲類に入学し、1924年に卒業。1927年、東京帝国大学理学部地理学科卒業。在学中は山崎直方、辻村太郎、多田文男等の指導を受ける。同年4月、石田姓を継いで石田龍次郎と改姓。同年東京商科大学予科講師に就任。同専門部講師、予科教授を経て、1949年一橋大学社会学部教授。1967年、定年退官、名誉教授。
田谷 充実(たや じゅうじつ、1902年7月27日 - 19… 田谷 充実(たや じゅうじつ、1902年7月27日 - 1963年2月27日)は、石川県能美郡山上村(旧山口村、旧辰口町を経て現在の能美市)火釜出身の政治家。石川県知事(2期 第46-47代)公選では2人目。 1928年、京都帝国大学法学部卒。全国指導農業協同組合副会長、農林中央金庫評議員、石川県農業協同組合中央会会長などを経て、1955年2月20日第3回石川県知事選挙で現職の柴野和喜夫を破り、初当選する。1959年2月8日の第4回石川県知事選挙で再選。石川県知事を2期務め、1963年2月19日知事を退任した(後任は中西陽一)。知事退任直後の2月27日に死去した。
中谷 治宇二郎(なかや じゅうじろう、1902年〈明治35年… 中谷 治宇二郎(なかや じゅうじろう、1902年〈明治35年〉1月21日 - 1936年〈昭和11年〉3月22日)は、日本の考古学者。筆名は中谷杜美。物理学者・中谷宇吉郎の弟。 1902年(明治35年)1月21日、中谷宇一の次男として石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)に生まれる。中学生の頃は文学を志し、同窓生たちと発行した同人誌『跫音』に発表した小説「独創者の喜び」が芥川龍之介の目にとまったことがある。 1919年(大正8年)、小松中学校を卒業し、約1年間、作見村小学校で代用教員として奉職する。1920年(大正9年)に上京し、菊池寛の内弟子として身を寄せて新劇運動に参加し、1921年(大正10年)に金沢新報の記者としてシベリア出兵に従軍する。
佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)… 佐々木 直次郎(ささき なおじろう、1901年(明治34年)3月27日 - 1943年(昭和18年)5月24日)は、日本の翻訳家。 石川県小松市生まれ。小松中学校を経て金沢第一中学校に転じ、四年修了で第四高等学校に進む。1925年、東京帝国大学文学部英吉利文学科卒。同大学院を経て、日本大学で短期間教える。 1931年9月から1932年11月にかけて第一書房より刊行された『エドガア・アラン・ポオ小説全集』を訳出。ポーの本格的翻訳として注目を浴びる。その他、ロバート・ルイス・スティーヴンスン『宝島』『ジーキル博士とハイド氏の怪事件』、チャールズ・ディッケンズ『二都物語』などの訳書がある。肺炎で急死。
中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7… 中谷 宇吉郎(なかや うきちろう、1900年(明治33年)7月4日 - 1962年(昭和37年)4月11日)は、日本の物理学者、随筆家。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は理学博士(京都帝国大学・1931年)。 北海道大学理学部教授を北海道帝国大学時代から務め、世界で初となる人工雪の製作に成功した。考古学者・中谷治宇二郎は弟。 1900年、温泉地の石川県江沼郡片山津町(現・加賀市)で生まれる。学齢期になると母方の親族に預けられ、大聖寺町(現・加賀市)に転居。 1913年、大聖寺町立錦城尋常高等小学校卒業後、間もなく父を失う。同年、旧制小松中学(現・石川県立小松高等学校)に入学、その後5年間の寄宿舎生活を送った。
北村 喜八(きたむら きはち、1898年11月17日 - 1… 北村 喜八(きたむら きはち、1898年11月17日 - 1960年12月27日)は、日本の演出家、劇作家、翻訳家。 石川県出身。東京帝国大学英文科卒。 1924年(大正13年)、築地小劇場に参加する。1937年(昭和12年)、村瀬と芸術小劇場を結成し主宰する。第二次世界大戦後は新劇で活動。1950年(昭和25年)8月18日、阿部知二とともに第22回国際ペンクラブ大会に戦後始めて代表として出席。1951年(昭和26年)、国際演劇協会日本センター初代理事長となる。 ドイツ・英米演劇を翻訳した。 妻は女優の村瀬幸子。
浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 19… 浅井 恵倫(あさい えりん、1894年12月25日 - 1969年10月9日)は、日本の言語学者。台湾を中心としたオーストロネシア語族諸言語を研究した。日本言語学会評議員、日本民族学会評議員、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所運営委員を務めた。 1894年、石川県能美郡苗代村(現・小松市)で浄土真宗大谷派住職・浅井恵定の長男として生まれた。1912年、県立小松中学校を卒業。第四高等学校に進学し、在学中にエスペラントを独学。1915年に卒業し、東京帝国大学文科大学に進学した。言語学科専攻で学び、1918年に卒業。 卒業論文『ポリネシア諸民族とその諸言語』はエスペラントで執筆した。1919年、日本エスペラント学会の創立に関わった。
竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 197… 竹田 儀一(たけだ ぎいち、1894年3月24日 - 1973年4月30日)は、日本の弁護士、実業家、政治家。位階は従三位。 大阪市会議員、衆議院議員(4期)、地方財政委員会委員長(初代)、厚生大臣(第16代)、神鋼商事株式会社社長などを歴任した。 石川県出身。1918年、京都帝国大学法科大学法律科を卒機後、鈴木商店に入社し、支配人金子直吉の秘書を務めた。その後弁護士となり、さらに大阪市会議員となる。また樺太ツンドラ工業、大聖寺商業等各社の社長を歴任する。 1930年の第17回衆議院議員総選挙に旧大阪府第2区から立憲民政党公認で立候補し当選。以後、18、22、23回総選挙に当選。戦前は、同郷である拓務大臣の永井柳太郎の下で大臣秘書官などを務めた。
新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月2… 新木 栄吉(あらき えいきち、1891年〈明治24年〉4月24日 - 1959年〈昭和34年〉2月1日)は、大正から戦後昭和に活躍した日本の銀行家。日本銀行総裁を2度にわたって務めたほか、戦後初の駐米大使も務めた。 石川県小松町(現 小松市)出身。石川四中から第四高等学校 (旧制)首席を経て、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年日本銀行に入行。 日本銀行では国庫局、大阪支店、ニューヨーク駐在(1922年-1926年および1935年-1937年の二度)などを経たのち、外国為替局長、営業局長、理事、副総裁を歴任。1945年(昭和20年)10月に渋沢敬三総裁が幣原内閣の大蔵大臣を拝命して入閣すると、その後任の日銀総裁に就任した。
犬丸 徹三(いぬまる てつぞう、1887年〈明治20年〉6月… 犬丸 徹三(いぬまる てつぞう、1887年〈明治20年〉6月8日 - 1981年〈昭和56年〉4月9日)は、日本の実業家。元帝国ホテル社長。元日本ホテル協会会長。元東京モノレール社長。 元帝国ホテル社長犬丸一郎の父。 石川県能美郡根上村字福島(現能美市)に生まれた。父・犬丸六右衛門、母・いその長男。 小松の芦城小学校高等科、旧制小松中学校(現・小松高校)を経て東京高商(現・一橋大学)に入学。 1908年文部省が専門部廃止の方針を明らかにしたため、全学生がこれに猛反対し商科大学昇進を叫んで同盟休校敢行にまで発展した事件が起きた。犬丸は級友に選出され、ストライキ指導者の一人として校長に直接談判したり、文部省へ押しかけ大臣に面会を要請してひかなかった。
園田 眞理子(そのだ まりこ、 - )は、日本の、建築学者で… 園田 眞理子(そのだ まりこ、 - )は、日本の、建築学者である。 現在、明治大学理工学部建築学科教授。専門分野は建築計画、住宅・住環境計画、住宅政策論。
木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の… 木村 佳代子(きむら かよこ、11月19日 - )は、日本の女性サクソフォーン奏者、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家(ホーンアレンジ)、イベントオーガナイザー、著作家、リミキサー。 Monday満ちる、大沢伸一との出逢いを機に、1990年代末、30歳前より本格的に奏者としてプロ活動をスタートする。国内外のアーティストのレコーディング、海外ツアー、教則本著作、イベントオーガナイズ、音楽プロデューサー、リミキサー、スタジオ・ミュージシャンとして、多岐に渡り精力的に活動する女性管楽器奏者である。 幼少の頃より母と共に郷土民謡会『美松民謡会/子雀会』で唄い、踊り、横笛を演奏 小中高校吹奏楽部ではトランペット、クラリネットを演奏 土岐英史氏・藤陵雅裕氏・小池修氏にサックスを師事 録音参加作品・共演/斑尾ジャズフェスティバル(with Maceo Parker, Michael Brecker、島健、小曽根真)、CX「僕らの音楽」安全地帯『じれったい』、桑田佳祐PV、平井堅TVプロモーション、KinKiKidsドームツアー(京セラ・東京ドーム)・TVアニメ『ちびまる子ちゃん』『KinKiのやる気まんまんソング』、aiko『ボーイフレンド』、山崎育三郎1stシングル『Congraturations』、Nissy『トリコ』、中島美嘉、倖田來未、村上隆アニメ『6hp』、WOWOW『眼の壁』(小泉孝太郎主演、Jazztronikヨーロッパツアー、ラフォルジュルネ『遠tone音』、InitialTalk 作編曲・サウンドプロデュース・著作/Jackson5Remixes『ABC~Lovestream Mix~』(Motown)、YAMAHA DM2000 5.1ch デモ楽曲『Once Upon A Time』、篠山紀信『digiKISHIN』、『めちゃ吹け☆アルト・サックス・コレクション(RittohMusic)』、『味の手帖』、『JazzLife(立東社)』 ※『小松おどり』(小松市制80周年記念)、『小松鉱山ブルース』、『能登舟漕唄』(石川県モダン郷土民謡・狛江市文化芸術活動支援)イベント・出張ライブ企画演奏 / KIRIN SVB生麦『Beer Meets Music』、ARIMINO Manabu(海野学)セミナー、SABON Beach House Party、club2001(Blue Note)、
角 英夫(かど ひでお)は、日本のジャーナリスト、テレビプロ… 角 英夫(かど ひでお)は、日本のジャーナリスト、テレビプロデューサー。NHK大型企画開発センター長、NHK広報局長、NHK専務理事等を経て、放送衛星システム代表取締役社長、能美市観光特使。 石川県能美市出身。石川県立小松高等学校を経て、1983年東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業、日本放送協会入局。社会情報番組部ディレクター、クローズアップ現代デスク、スペシャル番組部チーフ・プロデューサー、NHKスペシャル事務局長等を歴任。2010年大型企画開発センターエグゼクティブプロデューサー。2014年放送総局大型企画開発センター長。2016年NHK大阪放送局長。2019年広報局長。2020年理事(内部監査業務統括、考査業務統括、コンプライアンス統括、広報統括)。
地井 明子(じい あきこ)は、日本のキャラクターデザイナー、… 地井 明子(じい あきこ)は、日本のキャラクターデザイナー、イラストレーター。 石川県小松市出身。石川県立小松高等学校。金沢美術工芸大学出身。 1989年にサンリオに入社、以降はサンリオに所属している。主にキャラクターデザイン活動の他にも、キャラクターサイン活動などで活動している。 ()内はキャラクターデビュー年。