スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明… 高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明治40年)6月1日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、昭和期の政治家。塩尻市長(第2代)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 長野県東筑摩郡塩尻町(現:塩尻市)生まれ。1925年(大正14年)3月、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業。1947年(昭和22年)塩尻町議会議員、1959年(昭和34年)4月、塩尻市議会議員に当選し1967年(昭和42年)4月まで連続2期在任。同年4月に前市長の小松多喜雄を2328票差の1万3170票で破り、塩尻市長に当選。全国初の日本共産党籍をもつ市長として注目された。前市長のワンマン体制への批判の他、高度経済成長下で、道路・交通問題、下水道や不足する住宅の整備、特別養護老人ホームの建設、公害対策など福祉や市民生活に直結した問題に取り組み支持を得た。
洞 富雄(ほら とみお、1906年11月14日 - 2000… 洞 富雄(ほら とみお、1906年11月14日 - 2000年3月15日)は、日本の歴史学者。専攻は日本史。元早稲田大学文学部教授。文学博士(早稲田大学)。
北沢 喜代治(きたざわ きよじ、1906年10月17日 - … 北沢 喜代治(きたざわ きよじ、1906年10月17日 - 1980年8月11日)は、日本の作家。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科甲類を経て東京帝国大学国文科卒業。 富山県旧制高岡中学(富山県立高岡高等学校)などの教壇に立つ傍ら、1937年、臼井吉見らと同人誌『鳰の巣』を発行し「最後の銅貨」などの小説を発表。『早稲田文学』には「雁の書」が掲載された。 詩集『兄の最後の手紙』(1935年)では貧困への憎悪を表現したものであるが、秋山清には酷評された。 戦時中は宇野浩二が北沢を頼り松本に疎開。戦後は小谷剛主宰の『作家』に「日之島」、「夢三代」などの小説集を出した。
池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月… 池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月15日 - 1986年(昭和61年)4月3日)は、日本の民俗学者、政治家。衆議院議員、信濃木崎夏期大学理事長。 1906年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で、商家・池上良三の五男として生まれた。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学で学んだ。学生時代は柳田国男に師事し、赤羽一雄ら信州白樺派の教員とも交流を持った。 卒業後は農林省研究所に勤務。義兄の有賀喜左衛門とともに民俗学雑誌『郷土』の編集と発行にあたり、菅江真澄遊覧紀の刊行にあたっては信濃の部を担当した。長野県をたびたび訪れた折口信夫らとも交誼を深めた。
古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973… 古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973年10月30日)は、日本の出版人、筑摩書房の創業者、初代社長。
村山 有(むらやま たもつ、1905年12月24日 - 19… 村山 有(むらやま たもつ、1905年12月24日 - 1968年12月31日)は、アメリカ合衆国シアトル生まれの日本のジャーナリスト。早稲田大学講師。ソルトレイク市名誉市民。ボーイスカウト日本連盟理事・相談役。
赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 19… 赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 1991年5月22日)は、日本の医学者。専門は内分泌学。 長野県駒ヶ根市出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和4年(1929年)東京帝国大学医学部卒業。同9年(1934年)医学博士。同10年(1935年)帝国女子医学専門学校(現東邦大学)教授、同33年(1968年)金沢大学医学部教授。同35年(1970年)金沢大学附属病院長、同46年(1971年)退官。私立金沢医科大学客員教授、国保松戸市立病院事業管理者を務めた。 また昭和35年(1970年)日本内分泌学会会長、同43年(1968年)日本産婦人科学会会長、同46年(1971年)日本輸血学会会長などを歴任した。
小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 198… 小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本の歴史家。専門は、東洋史・仏教史。 1905年、長野県上伊那郡小野村(現:辰野町)で生まれた。長野県松本中学校、松本高等学校文科乙類を経て、1927年に京都帝国大学文学部史学科に入学。在学中に2年間病気療養のために休学したが、1933年に卒業論文『両税制度の一考察を提出して卒業。京都帝国大学大学院へ進んだ。 同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より外務省在支特別研究員として中華民国北平市(現:北京市)に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。
臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17… 臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校(現・信州大学)文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学での同級生に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平がいる。 旧制伊那中学(現・長野県伊那北高等学校)、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに1946年に創刊した筑摩書房の総合雑誌『展望』編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947… 永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947年9月7日)は日本の哲学者である。マルクス主義の立場から活動した。 長野県東筑摩郡山形村に生まれる。県立松本中学(後の長野県松本深志高等学校)に学び、小岩井源一(後の詩人、高橋玄一郎)と知り合う。中学時代から哲学に興味を持ち始める。卒業後、1921年に東京外国語学校露語部に入学。クロポトキンら、当時のソ連の哲学動向に関心を持つ。卒業後は一時朝鮮に渡り、国境近い新義州で流入するソ連文献を検閲する任務に当たる。 1927年、パーヴェル・アクセリロード『ブルジョア社会学の批判』を翻訳して刊行、海外文献の紹介、翻訳につとめる。1930年、川内唯彦のすすめでプロレタリア科学研究所に参加し、唯物弁証法の研究につとめる。
小岩井 源一(こいわい げんいち、1904年3月31日 - … 小岩井 源一(こいわい げんいち、1904年3月31日 - 1978年1月31日)は、長野県浅間温泉の旅館「香蘭荘」の経営者で、当時の東筑摩郡本郷村の初代公選村長となり、後には助役も務めた。他方では、筆名の高橋 玄一郎(たかはし げんいちろう)として詩人、文学者としても知られた。 浅間温泉で温泉旅館「香蘭荘」を経営していた小岩井家から、石川県輪島の高橋家に養子に出ていた父・孝八のひとり息子として輪島で生まれた。その後、父が浅間温泉の家業を継ぐこととなり、輪島で母方の高橋家の祖父母によって育てられた。中学に上がることになり、父に呼び寄せられ、浅間温泉に戻り、松本中学校(後の長野県松本深志高等学校)に学ぶ。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
降旗 三七男(ふりはた みちお、1904年2月10日 - 1… 降旗 三七男(ふりはた みちお、1904年2月10日 - 1965年8月27日)は、日本の経営者。東亜燃料工業社長を務めた。 長野県出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、1927年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業。小倉石油での勤務を経て、1939年に東亜燃料工業取締役に就任し、1944年に常務、1952年2月に副社長を経て、1962年2月には社長に就任した。 1965年8月27日、心不全のために在任中に死去。61歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
青柳 優(あおやぎ ゆたか、1904年2月1日 - 1944… 青柳 優(あおやぎ ゆたか、1904年2月1日 - 1944年7月30日)は日本の詩人、文芸評論家。 長野県南安曇郡烏川村(現・安曇野市)に医師の三男として生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)では同級に唐木順三がいた。早稲田大学英文科在学中からアナーキズム文学雑誌『世紀文学』を創刊する。その後、文芸雑誌『黒色戦線』を創刊し、「丹沢明」の筆名で、同人誌にダダイズム的な評論や詩を発表した。1930年(昭和5年)『黒色戦線』を廃刊し、『黒戦』1932年『アナーキズム文学』を創刊する。1931年(昭和6年)京都帝国大学の青柳栄司の世話で、四条畷女子学校の英語教師となるが、2ヶ月ほどで退職し、千住税務署に勤務しながら文芸評論を続ける。
筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月… 筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月12日 - 2002年(平成14年)11月10日)は、日本の公吏、政治家、実業家。松本市長。 長野県東筑摩郡神林村(現松本市)で、筒井浜十郎、きん の五男として生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1930年(昭和5年)京都帝国大学法学部卒業。 1932年(昭和7年)東京府公吏となり、東京市社会局、麻布区総務課長などを務めた後、1945年(昭和20年)退職し帰郷。1946年(昭和21年)8月から1947年(昭和22年)3月まで松本市助役・市長代理に就任した。 同年4月に施行された、初の公選による松本市長選挙に当選。
神谷 新一(かみや しんいち、1903年7月 - 1986年… 神谷 新一(かみや しんいち、1903年7月 - 1986年11月8日)は、日本の実業家。竹中工務店副社長などを務めた。 長野県木曽郡大桑村生まれ。松本中学(長野県松本深志高等学校の前身)から、早稲田大学へ進み、建築科に学ぶ。1928年、竹中工務店大阪本社に入り、もっぱら現場管理関係に従事する。満洲竹中工務店常務取締役、竹中工務店専務取締役、大阪支店長、副社長などを歴任し、竹中工務店顧問となった。 現場監督として関わった建物には、1937年竣工の平安中学校(龍谷大学付属平安中学校・高等学校の前身)講堂・教室や、1936年から 1937年にかけて現地に住み込んで担当した、ヴォーリズ建築事務所の設計による豊郷尋常高等小学校(豊郷町立豊郷小学校の前身)などがある。
吉川 清一(よしかわ せいいち、1902年10月20日 - … 吉川 清一(よしかわ せいいち、1902年10月20日 - 1990年9月20日)は日本の実業家。清水建設元社長。長野県松本市生まれ。
赤羽 善治(あかばね ぜんじ、1902年9月9日 - 197… 赤羽 善治(あかばね ぜんじ、1902年9月9日 - 1973年12月4日)は、日本の経営者。長野県出身。 旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業。東邦電力での勤務を経て、1951年6月に九州電力理事に就任し、取締役、常務、副社長を経て、1960年5月に社長に就任。1967年5月には会長に就任。福岡商工会議所会頭、福岡証券取引所理事長、日本放送協会経営委員、日本経営者団体連盟常任理事などを歴任。 1961年10月に藍綬褒章を受章し、1965年12月に紺綬褒章を受章し、1972年11月に勲二等旭日重光章を受章。 1973年12月4日に急性肺炎のために死去。
島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月… 島村 信政(しまむら のぶまさ、1902年(明治35年)8月7日 - 1944年(昭和19年)4月1日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中佐。殉職後は海軍大佐。 長野県東筑摩郡島内村(現松本市)出身。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、海軍兵学校卒(51期)。兵学校では高松宮宣仁親王の「学友」を命じられる。少尉候補生から海軍砲術学校、「古鷹」、「榛名」、横須賀鎮守府、「厳島」、「響」、「大鯨」、第二艦隊司令部などに配属された。 太平洋戦争開戦(1941年)時、連合艦隊旗艦「長門」司令部の真珠湾攻撃作戦指揮に気象担当として従事した。のちに(1943年7月、8月15日付以降との説もある)古賀峯一連合艦隊司令長官のもと、トラック泊地でも旗艦「武蔵」の連合艦隊司令部幕僚(参謀・気象長)として所属した。
和合 恒男(わごう つねお、1901年(明治34年)5月10… 和合 恒男(わごう つねお、1901年(明治34年)5月10日 - 1941年(昭和16年)5月16日)は、日本の農本主義者で、長野県東筑摩郡波多村(現松本市)に農本主義に基づく学校をつくった。
望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 -… 望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者、信州大学名誉教授。
池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - … 池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - 1956年1月29日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部教授。新カント派の哲学を学び、文化哲学、現象学、生の哲学を研究、紹介した。 1900年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で生まれた。1918年、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を卒業し、第二高等学校に進学。1921年に同校を卒業し、東京帝国大学哲学科で学んだ。1925年に卒業。 卒業後は、東京外国語学校などで教鞭をとった後、1936年、母校の東京帝国大学助教授に就いた。1945年に同教授昇格。1941年、学位論文『文化哲学基礎論』を東京大学に提出して文学博士号を取得。56歳で在職中に死去。
中村 一策(なかむら いっさく、1900年(明治33年)10… 中村 一策(なかむら いっさく、1900年(明治33年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月22日)は、日本の銀行家。日本勧業銀行頭取、第21代全国銀行協会会長。 長野県東筑摩郡朝日村に中村愛治の長男として生まれる。 旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、慶應義塾大学経済学部を卒業。1925年日本勧業銀行入行。 1955年監査役に就任。常務、副頭取を経て、1961年に頭取に就任する。 頭取時代は、特殊銀行から普通銀行に転換する多難な時期にあたり、積極的な経営を展開、特に預金の吸収に力を入れて業績を伸ばし、「預金の神様」と言われた。また、金融界に対しては利子課税、融資ルールなどの問題に対処して功績があった。
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月2… 臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉3月8日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。 1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 … 小島 勗(こじま つとむ、1900年(明治33年)6月1日 - 1933年(昭和8年)1月6日)は、日本の小説家、劇作家。 1900年6月1日、宮城県仙台市に生まれる。長野県旧制松本中学(現在の長野県松本深志高等学校)を経て、1924年に早稲田大学文学部哲学科卒業。在学中に横光利一や中山義秀と同人誌『塔』を発行した。卒業後はプロレタリア文学に傾倒し、1925年、『早稲田文学』に「地平に現れるもの」を発表したが発禁処分となる。翌年には『新小説』に「遥かなる眺望」、創作集『ケルンの鐘』などの戯曲を発表して、社会主義とモダニスムを併せ持つ作風で注目を集めた。当初は労農芸術家連盟に所属していたが、その後第二文戦打倒同盟をへて日本プロレタリア作家同盟に参加した。
椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 198… 椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て、慶應義塾大学医学部卒業後、1925年同大眼科教室助手となった。その後は満鉄長春医院眼科医長、満鉄撫順医院眼科医長を歴任。 1946年に引き揚げ、東京電力病院眼科医長などを歴任した。 「テノン氏嚢の研究」「ミュッレル氏筋の研究」など眼科研究論文を発表。 大学在学中、本名で正木不如丘主宰の同人誌『脈』に小品を発表。1949年『宝石』に「カメレオン黄金虫」を発表し推理小説作家として登場した。1951年に『宝石』に発表した「扉」が翌年の第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。
野々山 広三郎(ののやま こうざぶろう、1899年1月4日 … 野々山 広三郎(ののやま こうざぶろう、1899年1月4日 - 1985年8月8日)は日本の実業家。サッポロビール社長。長野県東筑摩郡宗賀村(現塩尻市)生まれ。
増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10… 増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10月4日 - 1985年(昭和60年)12月21日)は、昭和戦後期の政治家。吉田茂の側近として、運輸大臣、労働大臣、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任。
降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 19… 降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 1995年9月5日)は、日本の政治家、実業家。信濃日報社長、信越放送取締役、長野放送社長、衆議院議員、第2次吉田内閣の逓信大臣、松本市長などを歴任した。映画監督の降旗康男は三男。
岡 正雄(おか まさお、1898年(明治31年)6月5日 -… 岡 正雄(おか まさお、1898年(明治31年)6月5日 - 1982年(昭和57年)12月5日)は、日本の民族学者。戦中戦後を通じて日本の民族学・文化人類学を主導した。兄は民族学や考古学、山岳書の名著を多数出版した岡書院店主の岡茂雄。息子に文化人類学者の岡千曲。
百瀬 結(ももせ ひとし、1897年11月1日 - 1982… 百瀬 結(ももせ ひとし、1897年11月1日 - 1982年12月24日)は日本の実業家。元日本ビクター社長・会長。ビクター中興の祖。
犬飼 哲夫(いぬかい てつお、1897年10月31日 - 1… 犬飼 哲夫(いぬかい てつお、1897年10月31日 - 1989年7月31日)は、日本の動物学者。著書、研究論文等の名義はいずれも「犬飼哲夫」であるが、中学校卒業証書から学位記までの公文書では「犬飼哲男」と記載されている。 1897年、長野県に生まれる。北海道帝国大学農学部生物学科動物学分科に入学し、ヤツメウナギを研究対象とした発生学者の八田三郎(当初札幌農学校、東北帝国大学農科大学(北海道帝国大学農学部の前身)教授、北海道帝国大学農学部教授)の直系の弟子として、1920年代には発生生物学者であった。1930年頃に眼を痛め、これ以降は哺乳類を中心とした脊椎動物の応用動物学的な研究をおこなうようになる。
熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年… 熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年)1月7日 - 1966年(昭和41年))は、大正から昭和時代の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡伊那町(現・伊那市)に生まれる。松本中学校(現長野県松本深志高等学校)を卒業後、西春近小学校教員を2年間務め、渡米し1916年(大正5年)コロンビア大学を卒業した。 帰国後は火災保険代理店を営み、荒井区長、伊那町消防組頭、同町農地委員、同町会議員を経て、1949年(昭和24年)伊那町長に就任。上伊那郡町村会長、長野県町村長会副会長を兼任した。1954年(昭和29年)の町村合併の折には、伊那市実現に向け尽力し、市制施行と共に同年4月30日に初代伊那市長に就任し、1958年(昭和33年)4月まで1期務めた。
大下 宇陀児(おおした うだる、1896年11月15日 - … 大下 宇陀児(おおした うだる、1896年11月15日 - 1966年8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。別名、XYZ。 1896年(明治29年)、長野県上伊那郡中箕輪村(現箕輪町)に父・甚五郎、母・やすのもとに生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、第一高等学校へ進む。1921年(大正10年)、九州帝国大学](現在の九州大学)工学部応用化学科を卒業。農商務省臨時窒素研究所に勤務。同僚の甲賀三郎の探偵小説文壇における活躍に触発されて探偵小説を書き始めた。 1925年(大正14年)4月、博文館の探偵雑誌『新青年』誌上で、探偵小説『金口の巻煙草』でデビュー。 探偵小説だけでなくSF小説にも関心を示し、「空中国の大犯罪」や『ニッポン遺跡』といった作品を執筆し、星新一の文壇デビューに一役買った。
大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990… 大池 眞(おおいけ まこと、1896年1月5日 - 1990年7月5日)は、日本の官僚。 長野県東筑摩郡山形村生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業。農商務省から1925年衆議院書記官に転じ、1945年書記官長を経て、1947年新憲法下での初代衆議院事務総長となった。1956年から1962年まで土地調整委員会委員長を務めた後、西武グループの株式会社「池袋地下駐車場」に転じ、1966年同社長。同年従四位勲一等瑞宝章を受勲した。
鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1… 鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1981年12月7日)は、日本の電気工学者。武蔵工業大学名誉教授。専門は高電圧工学。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学専門部修了後、同工学部電気工学科卒業。1922年理化学研究所助手、1924年文部省在外研究員となり、アーヘン工科大学に留学。1926年北海道帝国大学工学部教授。1930年工学博士(東北帝国大学)。1944年日立製作所中央研究所に転じ、1946年同所長。1951年東北大学教授となり、1958年武蔵工業大学教授、1971年退職。1979年日本学士院会員選出。 放電現象の解析分布手段として沿面放電図形法を開発し、破壊事故の原因を発見し、且つ真空、気体、液体、固体の全てにわたって一貫性のある破壊機構があることを発見した。
小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日… 小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小沢。長男は元塩尻市長の小野光洪。 長野県上伊那郡小野村(現辰野町小野)で、小沢五郎三郎の三男として生まれ、東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市北小野)の小野郡吾の養子となる。旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1920年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。陸軍に志願して入隊し2年後に歩兵少尉で除隊し、1928年、予備役歩兵中尉に昇進。帝国在郷軍人会本会審議員、同第十四師管連合支部審議員、同東筑摩郡連合分会長、同東筑摩郡将校分団長、同長野支部参事など、在郷軍人会の役職を務めた。
宮坂 勝(みやさか まさる、1895年1月1日 - 1953… 宮坂 勝(みやさか まさる、1895年1月1日 - 1953年4月10日)は、明治から昭和にかけての洋画家。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27… 上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27年)10月2日 - 1969年(昭和44年)2月18日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 長野県東筑摩郡今井村(現:松本市)で生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業後、代用教員を経て、1920年、早稲田大学政治経済科を卒業。同年、読売新聞社に記者として入社した。 1920年、大日本労働総同盟友愛会東京連合会書記に就任。1925年、第7回国際労働総会に日本労働代表随員として渡欧した。その後、日本労農党、日本労働組合同盟の結成に参画し、1936年、日本労働組合会議書記長に就任した。 戦後、日本社会党に入党し、日本労働組合総同盟(総同盟)全繊同盟総主事、総同盟副会長、中央労働委員会労働者側委員、全繊同盟政治顧問などを歴任した。
青木 誠四郎(あおき せいしろう、1894年3月15日-19… 青木 誠四郎(あおき せいしろう、1894年3月15日-1956年12月9日)は、日本の児童・教育心理学者。
藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1… 藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1日 - 1962年(昭和37年)12月20日)は、日本のドイツ文学者、童謡作家。別名に藤太彦。
上條秀介(かみじょうしゅうすけ、1893年12月22日 - … 上條秀介(かみじょうしゅうすけ、1893年12月22日 - 1956年5月19日)は日本の医師。1928年(昭和3年)に昭和医学専門学校(現・昭和医科大学)を設立し、日本病院協会(現・日本病院会)の初代会長も務めた。勲四等瑞宝章、従五位に叙された。
吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - … 吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - 1978年4月2日)は、日本の外交官。
柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 19… 柳田 元三(やなぎた げんぞう、1893年1月3日 - 1952年10月7日)は、日本の陸軍軍人、最終階級は陸軍中将。
細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日… 細見 惟雄(ほそみ これお、1892年(明治25年)4月9日 - 1963年(昭和38年)8月10日)は、日本陸軍の軍人。陸士25期。最終階級は陸軍中将。
筒井 茂也(つつい しげや、1891年(明治24年)12月1… 筒井 茂也(つつい しげや、1891年(明治24年)12月1日 - 没年不明)は、大正から昭和時代の公吏。東京市芝区長、浅草区長、京橋区長、神田区長。 筒井濱十郎の三男として長野県に生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1917年(大正6年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、住友銀行を経て、東京市に奉職する。同市主事、社会局職業課長、同庶務課長を経て、1935年(昭和10年)芝区長に就任。1937年(昭和12年)浅草区長に転じ、1939年(昭和14年)6月、京橋区長となった。1943年(昭和18年)7月、神田区長に就任した。 1944年(昭和19年)に退官。
竹内 良三郎(たけうち りょうざぶろう、1891年(明治24… 竹内 良三郎(たけうち りょうざぶろう、1891年(明治24年)11月24日 - 1984年(昭和59年)11月1日)は、松商学園短期大学第3代学長。 法学者、経済学者として長く大学教員の職にあったが、「学究というよりは行政官として活躍」したと評されている。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第四高等学校を経て、東京帝国大学法科大学政治学科に進み、1917年に卒業、宝田石油に入社し、1919年に日本製粉に転職した。 1920年に第五高等学校教授となり、教員として法制・経済を講じるとともに、生徒監兼舎監となった。当時は、校友会誌『龍南』に小説などを寄稿したこともあった。 1927年に東京帝国大学農学部助教授となり、1928年には学生主事、1929年の学生課新設に際して初代の学生課長となって、滝川事件前後の左翼学生の処分などに対処した。
唐沢 俊樹(からさわ としき、1891年(明治24年)2月1… 唐沢 俊樹(からさわ としき、1891年(明治24年)2月10日 - 1967年(昭和42年)3月14日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。戦前は内務次官、貴族院議員を歴任し、戦後、自由民主党の衆議院議員。第1次岸改造内閣の法務大臣を務める。勲一等瑞宝章。
神林 浩(かんばやし ひろし、1890年(明治23年)7月1… 神林 浩(かんばやし ひろし、1890年(明治23年)7月14日 - 1966年(昭和41年)4月12日)は、日本の陸軍軍人、医師。最終階級は陸軍軍医中将。旧姓・小岩井。 長野県出身。小岩井永次郎の二男として生まれ、神林玄進の養子となる。松本中学校(現長野県松本深志高等学校)、第二高等学校を経て、1917年(大正6年)6月に東京帝国大学医科大学を卒業し、二等軍医に任官し歩兵第56連隊付となる。1918年(大正7年)6月、久留米衛戍病院付となる。1920年(大正9年)8月、陸軍軍医学校に専攻学生として入学。1921年(大正10年)4月、一等軍医に昇進。その後、東京陸軍幼年学校付、陸軍省医務局課員を務め、1925年(大正14年)3月、医学博士の学位を受けた。