スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
竹内 章郎(たけうち あきろう、1954年 - )は、日本の… 竹内 章郎(たけうち あきろう、1954年 - )は、日本の哲学者、岐阜大学名誉教授。専門は社会哲学、生命倫理、障害者論。日本哲学会理事。 神戸市生まれ。岐阜県立岐阜高等学校卒業、1978年一橋大学社会学部卒業。1989年同大学院社会学研究科博士課程単位修得退学。指導教官は岩崎允胤。1989年岐阜大学教養部講師、1992年助教授、1996年同地域科学部教授、社会福祉法人いぶき福祉会理事。2012年唯物論研究協会委員長。2015年日本哲学会評議員、2017年同理事兼評議員。2020年定年退職。
柘植 康英(つげ こうえい、1953年8月6日 - )は会社… 柘植 康英(つげ こうえい、1953年8月6日 - )は会社経営者で、東海旅客鉄道(JR東海)第5代代表取締役社長。岐阜県大垣市出身、岐阜県立岐阜高等学校卒、東京大学経済学部卒。
後藤 寿彦(ごとう としひこ、1953年5月14日 - )は… 後藤 寿彦(ごとう としひこ、1953年5月14日 - )は、日本のアマチュア野球の選手、監督である。現在は朝日大学野球部総監督。 岐阜県出身。岐阜高等学校では、1970年秋季中部大会県予選で4校決勝リーグへの進出決定戦まで進むが県岐阜商に敗退。慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは1972年に春秋季連続優勝を経験するが、その後はチームが低迷し優勝から遠ざかる。しかし中心打者、遊撃手として活躍し、1975年春季リーグでは戦後3人目となる三冠王を獲得、ベストナインに選出された。リーグ通算56試合に出場し216打数60安打、8本塁打、35打点、打率.278。大学同期に外野手の小島和彦(北海道拓殖銀行)がいる。
本田 勝(ほんだ まさる、1953年4月27日 - )は、日… 本田 勝(ほんだ まさる、1953年4月27日 - )は、日本の経営者、運輸官僚。東京地下鉄顧問。国土交通事務次官、東京地下鉄代表取締役会長等を歴任。岐阜県出身。 2022年12月13日、各地の空港でビルの運営などを手がける「空港施設株式会社」の社長、会長と面会し、国土交通省OBの同社副社長を社長に昇格させるよう要求。自身の立場を「有力なOBの名代」と説明し、社長に就任させれば「国交省としてあらゆる形でサポートする」とも語った。 2023年3月30日に報道でこれが発覚。本田は取材に対し、「関係のある方々に懸念、不快感を招いたとすれば、私の軽率な行動の不徳のいたす限り。反省しなければならない」と述べる一方で人事への介入については否定した。
細野 哲弘(ほその てつひろ、1952年12月14日 - )… 細野 哲弘(ほその てつひろ、1952年12月14日 - )は、日本の通産官僚、経営者。株式会社JECC代表取締役社長、中東調査会常任理事。岐阜県出身。過去に、資源エネルギー庁長官、特許庁長官を歴任。
渡邊 良朗(わたなべ よしろう、1952年10月10日 - … 渡邊 良朗(わたなべ よしろう、1952年10月10日 - ) は、日本の水産学者。専門は海洋生物資源科学。東京大学名誉教授。元水産海洋学会会長。科学技術庁長官賞受賞。 岐阜県美濃加茂市生まれ。1971年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1975年北海道大学水産学部水産増殖学科卒業、北海道大学大学院入学。1982年北海道大学大学院水産学研究科水産増殖学専攻博士課程修了、水産学博士。1984年水産庁東北区水産研究所研究員。1990年水産庁東北区水産研究所研究室長。1991年科学技術庁長官賞受賞。1992年水産庁中央水産研究所研究室長。1995年東京大学海洋研究所助教授。1999年東京大学海洋研究所教授。2001年水産海洋学会副会長。
林 文夫(はやし ふみお、1952年4月18日 - )は、日… 林 文夫(はやし ふみお、1952年4月18日 - )は、日本の経済学者。専門はマクロ経済学・計量経済学。一橋大学教授。アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員、Econometric Society終身特別会員。2001年日本学士院恩賜賞受賞。1995年日本経済学会第一回中原賞受賞。
垣見 吉彦(かきみ よしひこ、1952年3月22日 - )は… 垣見 吉彦(かきみ よしひこ、1952年3月22日 - )は、日本の技術者、実業家。サントリープロダクツ代表取締役社長、サントリー食品インターナショナル取締役副社長、サントリー生命科学財団理事長、日本プラントメンテナンス協会会長などを歴任した。 岐阜県岐阜市柳ヶ瀬出身。家業は酒屋。1970年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1975年広島大学工学部醗酵工学科卒業、サントリー入社。 品質保証を担当したのち、1978年から京都のビール工場に異動し、以降ビールの技師としてビール製造に携わった。桂ビール工場醸造技師長等を経て、2002年サントリービール生産部長。2003年サントリー取締役生産副本部長、ビール生産部長。
大橋 弘忠(おおはし ひろただ、1952年 - )は、日本の… 大橋 弘忠(おおはし ひろただ、1952年 - )は、日本の工学者。工学博士。元東京電力社員。東京大学工学系研究科システム創成学専攻教授。岐阜県出身。
深尾 光洋(ふかお みつひろ、1951年7月7日 - )は、… 深尾 光洋(ふかお みつひろ、1951年7月7日 - )は、日本の経済学者。武蔵野大学経済学部教授、慶應義塾大学名誉教授。元日本経済研究センター理事長。専門は国際金融論、コーポレートガバナンス。 岐阜県岐阜市生まれ。1970年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1974年京都大学工学部卒業、日本銀行入行。日本銀行から米国ミシガン大学に留学し、1981年に経済学博士 (Ph.D) を取得。その後、経済企画庁調査局、経済協力開発機構 (OECD) 金融財政政策課エコノミスト、日本銀行金融研究所調査役、日本銀行調査統計局参事などを経て、1997年4月から2017年3月まで慶應義塾大学商学部教授。2003年金融審議会保険の基本問題に関するワーキンググループ専門委員。
磯村 一路(いそむら いつみち、1950年11月30日 - … 磯村 一路(いそむら いつみち、1950年11月30日 - )は日本の映画監督、脚本家。アルタミラピクチャーズ専務取締役。岐阜県出身。 岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専修卒業。 カメラマンを目指していたが大学卒業後はデザイン会社に勤務するかたわら、新宿のジャズ喫茶などで映画の上映会を主催。その上映会のゲストで来ていた若松孝二監督に声をかけられ、ずっと興味があった映画に関わりたいと会社を退職してアルバイトをする。1977年から助監督として若松に師事。神代辰巳、崔洋一、高橋伴明監督らの作品にも携わる。 1979年、『レイプゾーン/犯しの履歴書』により監督デビュー。以後はピンク映画の監督と平行して助監督、製作主任を務める。
上田 正樹(うえだ まさき、1949年〈昭和24年〉7月7日… 上田 正樹(うえだ まさき、1949年〈昭和24年〉7月7日 - )は、日本のR&B・ソウルシンガー、シンガーソングライター。京都府出身。 父は京都大学医学部卒業の医師。京都市に生まれ、恵まれた環境で育っていた。 電車道を挟んだ隣の家が沢田研二の家であり幼少期には よく遊んでいたという。父の結核が悪化し、母も感染したため、京都市立第三錦林小学校二年のとき、母親の実家・兵庫県姫路市に預けられる。 間もなく父が亡くなり、母は回復し、父の親友でやはり医師と再婚。姫路の小学校四年の冬に、岐阜県高山市へと移った。母を巡る嫉妬から「絶対この義父には負けたくない」と東京大学医学部を目指して猛勉強。高山市立松倉中学校では生徒会長も務め、岐阜県立岐阜高等学校に進学。
吉村 泰典(よしむら やすのり、1949年1月26日 - )… 吉村 泰典(よしむら やすのり、1949年1月26日 - )は、日本の医学者、産婦人科医。慶應義塾大学名誉教授。新百合ヶ丘総合病院名誉院長。専門は生殖生理学、不妊症学、臨床内分泌学。内閣官房参与(第2次安倍内閣。少子化対策・子育て支援)。日本産科婦人科学会理事長、日本生殖医学会理事長を歴任。 岐阜県岐阜市出身。父は日本電信電話公社の技術者、母は洋裁学校の経営者。岐阜市立木之本小学校、岐阜市立本荘中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1975年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学で研修医となり、以後、国立埼玉病院、横浜警友病院、慶應義塾大学医学部、浜松赤十字病院において産婦人科医として勤務。1983年よりアメリカ合衆国に留学(ペンシルバニア病院、ジョンズ・ホプキンズ大学)。
大野 秀敏 (おおの ひでとし、1949年 - )は、日本の… 大野 秀敏 (おおの ひでとし、1949年 - )は、日本の建築家・都市構想家。東京大学名誉教授。元東京大学大学院教授(新領域創成科学研究科環境学専攻、工学部建築学科兼担)。2015年よりアプルデザインワークショップ代表取締役。 東京大学建築学科では芦原義信、香山壽夫、稲垣栄三らの薫陶を受ける。修士課程を修めたのち建築家槇文彦の事務所で実務経験を積む。在職中に槇が東大教授に就任し、最初の助手栗生明の後任として1983年より助手を務めた。その後工学部建築学科助教授に昇格。東京大学新領域創成科学研究科新設に参画し1999年に教授(社会文化環境学専攻)に就き、2015年に定年退職、同大名誉教授。 社会文化環境学専攻での研究活動は都市の未来像構想に向けられた。
小川 真里子(小川 眞里子、おがわ まりこ、1948年10月… 小川 真里子(小川 眞里子、おがわ まりこ、1948年10月 - )は、日本の科学史家、三重大学名誉教授。 岐阜市生まれ。岐阜県立岐阜高等学校卒。1971年東京大学教養学部基礎科学科卒。1974年同大学院理学研究科科学史科学基礎論修士課程修了。1978年同人文科学研究科比較文学比較文化博士課程中退。1986年三重大学人文学部助教授、1994年教授、2012年特任教授、2015年名誉教授。 2010年科学技術社会論学会・柿内賢信記念賞受賞。2018年日本科学史学会学術賞受賞。
住 明正(すみ あきまさ、1948年(昭和23年)9月2日 … 住 明正(すみ あきまさ、1948年(昭和23年)9月2日 - )は、日本の気象学者。岐阜県出身。東京大学名誉教授。東京大学未来ビジョン研究センター特任教授。専門分野は気象学、気候力学。
細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月1… 細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月18日 - 2020年(令和2年)4月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長(5期)。 岐阜県岐阜市伊奈波通出身。岐阜市立金華小学校(現岐阜市立岐阜小学校)、岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、三井物産に就職。 2002年(平成14年)1月11日、市職員の公職選挙法違反事件により、岐阜市長の浅野勇が辞職。これに伴って2月24日に行われた市長選挙に民主党の推薦を受けて立候補。5人の候補者を破り初当選した。投票率は49.55%。 2006年(平成18年)、再選。投票率は30.28%。
稲垣 勝巳(いながき かつみ、1948年-)は日本の教育者、… 稲垣 勝巳(いながき かつみ、1948年-)は日本の教育者、学校心理士、臨床催眠実践者、SAM前世療法()の創始者であり、稲垣勝巳メンタルヘルス研究室主宰。日本教育催眠学会理事。日本教育催眠学会研修委員長(稲垣勝巳 2010)。 超心理学におけるサバイバル仮説を裏付ける応答型真性異言発現事例・ラタラジューの事例におけるセラピストである。 幼少の頃より、催眠の施療を行う祖父を見て育つ。岐阜県立岐阜高等学校を卒業後、国立岐阜大学教育学部に進学、教員として岐阜市立加納中学校などに勤務。35歳で、現職のまま上越教育大学大学院に研修派遣され、マズローの研究から、教育催眠の可能性に目覚め、その実践を志す。 教育催眠としての児童生徒を対象とした催眠面接は、教員在職期間中だけで1200名、のべ3000回を超え、児童生徒とその保護者が希望した場合のみ、面接記録を逐一カルテに残す形式で実施。
浜田 道代(はまだ みちよ、濵田 道代、1947年11月25… 浜田 道代(はまだ みちよ、濵田 道代、1947年11月25日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学修士(名古屋大学・1972年)、LL.M.(ハーバード・ロー・スクール・1986年)。名古屋大学名誉教授。公正取引委員会委員、サンゲツ社外取締役、東邦ガス社外取締役、アイシン精機社外取締役、首都高速道路社外監査役を歴任。授勲瑞宝重光章。 北澤正啓の弟子。旧帝国大学法学部初の女性教授(新制大学移行後、1985年昇任)。なお、名古屋大学初の女性教授は、1983年に教授昇任した岡崎恒子。 2008年公正取引委員会委員人事につき、退任する山田昭雄委員の後任委員として、当時一橋大学大学院教授を務めていた上杉秋則(元公正取引委員会事務総長)が内定し、国会同意人事への閣議決定がなされた。
鹿野 清宏(しかの きよひろ、1947年10月 - )は、日… 鹿野 清宏(しかの きよひろ、1947年10月 - )は、日本の工学者。奈良先端科学技術大学院大学名誉教授。 岐阜県出身。専門は、音情報処理学で、研究内容は、音声認識・対話システム、肉伝導音声インタフェース、音声モーフィング、発話障害者補助、複数の人の声を同時に認識する技術の開発、音声情報案内ロボットの開発(近鉄けいはんな線学研北生駒駅設置「キタ」ちゃん)等。
古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日… 古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日 - )は、日本の政治家、通産・経産・外務官僚。元岐阜県知事(公選第16・17・18・19・20代)。無所属。2022年3月27日からは全国知事会副会長(東海北陸ブロック)を務める。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年6月、東京大学法学部卒業。同年7月、通商産業省(現・経済産業省)に入省(貿易振興局貿易振興課)。同期入省に杉山秀二(事務次官)、今井康夫(特許庁長官)、鹿島幾三郎らがいる。1974年にフランス国立行政学院(ENA)に留学した。 1994年、羽田孜内閣総理大臣の首相秘書官に就任し、村山富市内閣総理大臣の下でも引き続き首相秘書官を務めた。
尾関 周二(おぜき しゅうじ、1947年2月18日 - )は… 尾関 周二(おぜき しゅうじ、1947年2月18日 - )は、日本の哲学者。東京農工大学名誉教授。元共生社会システム学会会長、元唯物論研究会委員長。専門は環境哲学、コミュニケーション論。 日本における環境哲学・思想研究の第一人者。 岐阜県笠松町生まれ。岐阜県立岐阜高等学校卒、1969年京都大学文学部哲学科卒、1974年同大学院博士課程哲学専攻満期退学。 1973年に、京都大学から発刊された「哲学論叢」の第1号に寄稿している。 京都大学では、ドイツ語のクラスで同じだった鹿児島大学名誉教授の種村完司、同志社大学名誉教授の木下康光、京都工芸繊維大学名誉教授の大橋良介らと読者会をおこなった。 1977年戸坂潤賞受賞。
小池 民男(こいけ たみお、1946年10月5日 - 200… 小池 民男(こいけ たみお、1946年10月5日 - 2006年4月25日)は日本のジャーナリスト。朝日新聞編集委員兼論説委員。「天声人語」担当。
信田 さよ子(のぶた さよこ、1946年5月23日 - )は… 信田 さよ子(のぶた さよこ、1946年5月23日 - )は岐阜県生まれの日本の心理学者、臨床心理士。専門は臨床心理学。原宿カウンセリングセンター所長。
若尾 祐司(わかお ゆうじ、1945年11月22日 - )は… 若尾 祐司(わかお ゆうじ、1945年11月22日 - )は、日本の西洋史学者、名古屋大学名誉教授。 1945年、岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年、京都大学文学部史学科を卒業、1972年、名古屋大学大学院法学研究科博士課程中退し、琉球大学法文学部講師となる。(後に1986年「ドイツ奉公人の社会史 近代家族の成立」を名古屋大学に提出して法学博士号を取得)。 1976年より琉球大学法文学部助教授、1987年、同学部教授。1988~89年、同大学法学研究科長。1989年、名古屋大学文学部助教授に転じ、1992年より同学部教授。1999~2001年、同大学文学部長・文学研究科長。2004年、名古屋大学理事・副総長。
松永 清彦(まつなが きよひこ、1945年(昭和20年)9月… 松永 清彦(まつなが きよひこ、1945年(昭和20年)9月26日 - )は、日本の政治家。岐阜県海津市長(4期)。岐阜県議会議員(2期)。 岐阜県海津郡平田町(現・海津市)出身。平田町立海西小学校、学校組合立今尾中学校、岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、岐阜薬科大学卒業。同年4月、塩野義製薬に就職。1998年(平成10年)6月、同社を退社。 1999年(平成11年)4月の岐阜県議会議員選挙で初当選。2003年(平成15年)、再選。県議時代は自由民主党に所属した。2005年(平成17年)3月25日に県議を辞職した。 同月28日、海津郡の海津町、南濃町、平田町の3町が合併し、海津市が誕生。
田中 謙次(たなか けんじ、1944年12月16日 - 20… 田中 謙次(たなか けんじ、1944年12月16日 - 2001年4月30日)は、日本の外交官。2000年(平成12年)から2001年(平成13年)までカザフスタン兼キルギス兼タジキスタン駐箚特命全権大使を務めた。 岐阜県出身。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1968年一橋大学法学部卒業、外務省入省。ロシアが専門で、フランク・エルベと親交を結んだ。軍縮会議日本政府代表部一等書記官、外務省経済局海洋課長、防衛庁長官官房法規課長、外務省情報調査局分析課長等を経て、1991在ソビエト連邦日本国大使館公使。1992年在ウィーン日本政府代表部公使。1995年日本原子力研究所国際協力室次長。1998年デュッセルドルフ総領事。
青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 -… 青木 健(あおき けん / たけし、1944年9月21日 - 2019年12月)は、日本の詩人、作家、文芸評論家、編集者。 朝鮮京城生まれ、岐阜県育ち。岐阜県立岐阜高等学校を経て、名古屋大学法学部卒業。河出書房に入社し、小島信夫や大岡昇平などを担当する。1984年、「星からの風」で第16回新潮新人賞受賞。愛知淑徳大学非常勤講師、中原中也の会理事、小島信夫文学賞選考委員。 『季刊文科』80号(鳥影社、2020年3月)で追悼小特集が組まれた。
河合 正智(かわい まさとも、1944年1月22日 - 20… 河合 正智(かわい まさとも、1944年1月22日 - 2012年5月1日)は日本の政治家、元公明党所属の衆議院議員(通算4期)、元岐阜県議会議員(通算2期)。
今村 仁司(いまむら ひとし、1942年2月26日 - 20… 今村 仁司(いまむら ひとし、1942年2月26日 - 2007年5月5日)は、日本の哲学者。専門は社会思想史・社会哲学。主に1980年代以降、多数の翻訳や著作によって、フランス現代思想を中心に現代思想の諸潮流を日本に紹介した。著書に『暴力のオントロギー』(1982年)、『現代思想の系譜学』(1986年)、『社会性の哲学』(2007年)などがある。 1942年、岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、京都大学経済学部へ進学し、1965年に卒業。京都大学大学院経済学研究科に進み、1970年に博士課程を退学。 その後は、東京経済大学経済学部教授。元々はマルクス経済学の研究者であり、当時マルクス主義の独自な認識論を展開していたフランスのルイ・アルチュセールに関心を抱き、アルチュセールを批判的に考察した諸論考を世に出した。
山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日… 山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日本の小児科医。岐阜県美濃市の生まれ。 父親は軍医。父親の転勤で福岡に移ったが、父はさらに満州に転属となり、母と子は美濃に戻り、以後、そこで育った。 岐阜県立岐阜高等学校卒後、1967年東京大学医学部を卒業。以後、東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。妻の梅村浄(きよら)も小児科医で、東京都西東京市で梅村こども診療所を営み、同診療所でも医師として勤務。2人間に障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人など公的な場での発言も多い。
林 紘一郎(はやし こういちろう、1941年3月10日 - … 林 紘一郎(はやし こういちろう、1941年3月10日 - )は、日本の法学者。経済学博士(京都大学・1991年)、博士(法学)(慶應義塾大学・2004年)。慶応義塾大学教授などを経て、情報セキュリティ大学院大学学長を務めた。専門は、技術標準や知的財産、メディアのあり方などをめぐる法と経済学、インターネットの自由と規律、セキュリティ法など。 日本統治時代の台湾生まれ。岐阜県立岐阜高等学校を経て、1963年東京大学法学部卒業。同年旧電電公社(NTTの前身)に入社。民営化後は、国際部次長、専用サービス推進部長、NTTアメリカ社長など経て、1996年退社。この間、一橋大学商学部、早稲田大学理工学部、東京大学(教養学部、経済学部)などの非常勤講師を歴任。
森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24… 森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24日 - 2021年(令和3年)9月3日)は、日本の政治家。岐阜県各務原市長(4期)、岐阜県議会会議員、社会党岐阜県本部委員長、民主党岐阜代表代行などを歴任した。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。会社員から地元紙の新聞記者を経て、社会党の書記長だった山本幸一の秘書を務めた。2度の落選を経て、1979年に岐阜県議会議員選挙に当選し5期務めた。 1997年に各務原市長選に立候補し当選。2013年の任期満了に伴う同市長選で新人の浅野健司に敗れ、落選するまで4期務めた。 2015年、旭日中綬章を受章。 2021年9月3日14時15分、誤嚥性肺炎のため死去。
森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり ま… 森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 読売ジャイアンツ(巨人)のV9時代に正捕手を担い、「V9の頭脳」の異名を取った。また引退後、西武ライオンズ監督時代に在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。 兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。 岐阜市立長森中学校出身。野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。
森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪… 森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。本名「森 昌彦」(もり まさひこ)。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 19… 河合 保彦(かわい やすひこ、1933年10月3日 - 1984年9月11日)は岐阜県出身の元プロ野球選手。右投右打。
田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 197… 田中 照雄(たなか てるお、1933年4月16日 - 1972年1月19日)は、岐阜県出身のプロ野球選手(投手)。近鉄投手の武智文雄は兄、東映内野手の田中和男は弟。 岐阜高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。ここではあまり出番がなく、1954年オフにトンボユニオンズへ移籍。1956年には先発陣の一角に食い込み、7勝をあげる。翌年は球団合併により大映ユニオンズに所属するが、1958年に兄文雄がいる近鉄パールスに移籍し、同年限りで引退した。下手投げから、スライダー、ドロップ、カーブとシュートを武器にした。 1972年1月19日に38歳で死去した。
花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年… 花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年12月14日)は、岐阜県出身のプロ野球選手、野球解説者。 岐阜高等学校(1948年8月までの校名は岐阜第一高等学校)では、エースとして1948年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、小倉高の福嶋一雄に抑えられ完封負け。翌1949年の夏の甲子園でも順調に勝ち進み、決勝に進出。佐々木信也のいた湘南高と対戦するが3-5で逆転負け、準優勝にとどまる。チームメートに河合保彦、森和彦らがいた。卒業後は慶應義塾大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは1951年秋季リーグから2季連続優勝、右翼手、四番打者として活躍する。リーグ通算86試合出場、265打数76安打、0本塁打、49打点、打率.287。
澤登 佳人(沢登)(さわのぼり よしと、1927年4月21日… 澤登 佳人(沢登)(さわのぼり よしと、1927年4月21日 - )は、日本の法学者。専門は、刑法・刑事訴訟法・少年法。中京大学教授・山梨学院大学教授・新潟大学教授等を経て、新潟大学名誉教授。神奈川県横須賀市出身。 大学教授として刑事法を中心に研究し、論文・著作を発表していたが、その研究対象は労働法、経済学、哲学、量子力学等幅広い。晩年になって自らの哲学的研究の成果をまとめた「宇宙超出論」を提唱し、脳死説に反対している。
箕浦 宗吉(みのうら そうきち、1927年(昭和2年)2月2… 箕浦 宗吉(みのうら そうきち、1927年(昭和2年)2月27日 - 2016年5月18日)は、日本の経営者。元名古屋鉄道株式会社社長・会長。元名古屋商工会議所会頭。元日本銀行理事。岐阜県出身。
篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日… 篠田 一士(しのだ はじめ、1927年(昭和2年)1月23日 - 1989年(平成元年)4月13日)は、日本の文学研究者・文芸評論家・英文学者。 岐阜県出身。旧制岐阜中学から旧制松江高等学校へ進み、1948年、東京帝国大学文学部英文科入学。1951年、東京大学英文科を卒業。高校教諭を経て、1955年、東京都立商科短期大学専任講師。1957年、旧・東京都立大学英文科専任講師。1960年、助教授。1973年、教授。 松江高校時代に駒田信二から新しい文学状況に関しての知見を得て、当時刊行され間もないマチネ・ポエティク運動の加藤周一・中村真一郎・福永武彦共著『1946・文学的考察』(後年に冨山房百科文庫版で解説を担当)に出会い、近代日本の私小説的風土を克服する、国際的な文学のありかたに関心をもつ。
武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月1… 武藤 嘉文(むとう かぶん、1926年〈大正15年〉11月18日 - 2009年〈平成21年〉11月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員、農林水産大臣(第3代)、通商産業大臣(第51代)、外務大臣(第114代)、総務庁長官(第19代)を歴任した。 岐阜県各務原市出身。岐阜中学 (旧制)、富山高校 (旧制)卒業。中国・上海の東亜同文書院大学に入学するが、一時帰国中に同校が敗戦によって閉校したため、戦後、京都大学法学部に転入学する。在学中は当時大学の総長だった瀧川幸辰に師事していた。1951年(昭和26年)、京都大学法学部卒業。ファミリー企業の武藤醸造(菊川株式会社、後にヒシノ)に入社する。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 201… 伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 2011年7月20日) は岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
黒木 博司(くろき ひろし、1921年(大正10年)9月11… 黒木 博司(くろき ひろし、1921年(大正10年)9月11日 - 1944年(昭和19年)9月7日)は、日本の海軍軍人。海軍機関学校51期。太平洋戦争の末期、仁科関夫中尉とともに人間魚雷「回天」を創案し、自らも搭乗して訓練中の事故で殉職した。最終階級は海軍少佐。 1921年(大正10年)9月11日に岐阜県益田郡下呂村(現・下呂市)で生まれる。幼少より成績優秀・努力家で、黒木家は尊皇の志が篤く、黒木の父親は町医師として近隣の貧しい農民の医療に大きく貢献していた。母親も「百人の人に笑われても一人の正しい人に誉められるよう、百人の人に誉められても一人の正しい人に笑われないよう」と教えた。旧制岐阜中学校を卒業後、1938年(昭和13年)12月1日に海軍機関学校(51期)へ入学する。
沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 20… 沢田 文吉(さわだ ぶんきち、1920年7月18日 – 2006年6月12日)は、日本の棒高跳び選手。 1940年代から1950年代にかけて活躍、日本陸上競技選手権大会優勝9回、アジア大会金メダル2回。1952年ヘルシンキオリンピックでは6位入賞を果たした。 岐阜市出身。1938年、旧制岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)在学中、全国中等学校選手権(全国高等学校陸上競技対校選手権大会の前身)で110mハードル走に出場し優勝している(16.8秒)。 東京文理科大学(東京教育大学を経て筑波大学の前身となる官立大学)に進む。1942年、日本学生陸上競技対校選手権大会で優勝(4m00)。同年、日本陸上競技選手権大会で初優勝(4m10)。
小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日… 小島 信夫(こじま のぶお、1915年〈大正4年〉2月28日 - 2006年〈平成18年〉10月26日)は、日本の小説家。中国から復員後、教師を経て『小銃』で文壇に登場。「第三の新人」の一人と目されるも、抽象表現を帯びた前衛的手法の作品に独自の道を拓いた。評伝や文学論でも活躍。日本芸術院会員。文化功労者。位階は正四位。 岐阜県稲葉郡加納町(現・岐阜市加納安良町)出身。旧制岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1941年東京帝国大学文学部英文科卒業。卒業論文は『ユーモリストとしてのサッカレイ』。 1942年より中国東北部で従軍、敗戦でポツダム上等兵(伍長)。1946年復員し、1948年4月から千葉県立佐原女子高等学校で教え、1949年度より東京都立小石川高等学校に移る。
柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月… 柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日 - 1990年(平成2年)1月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。その後、日本大学を卒業した。 岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2… 上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。 その後、日鉄鉱業に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。 岐阜市役所に入庁し、経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任した。収入役を経て、1970年に岐阜市長に初当選。 1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し、日本社会党参議院議員の中村波男らを破り初当選。