スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
竹山 逸郎(たけやま いつろう、1918年10月5日 - 1… 竹山 逸郎(たけやま いつろう、1918年10月5日 - 1984年4月4日、本名:竹山 逸平)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手である。代表曲は「泪の乾杯」、「異国の丘」など。 静岡県浜松市出身。浜松第一中学校を経て慶應義塾大学法学部に進学。大学在学中から歌好きが高じてコーラス部に所属。卒業後は日本火災海上(現:損害保険ジャパン)に就職するも、歌手になる夢が捨てきれず、1943年に日本ビクターから歌手デビューする。 ヒットに恵まれたのは戦後になってからで、1947年に平野愛子の「港が見える丘」のB面だった「泪の乾杯」をはじめ、藤原亮子とデュエットした「誰か夢なき」、1948年に作曲家・吉田正の出世作となり、復員兵の中村耕造とデュエットした「異国の丘」、1949年に再び藤原亮子とデュエットした「月よりの使者」、「熱き泪を」、「流れの船唄」が相次いでヒットとなった。
遠藤 忠二郎(えんどう ちゅうじろう、1917年9月20日 … 遠藤 忠二郎(えんどう ちゅうじろう、1917年9月20日 - 戦死)は、静岡県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、内野手、外野手。 浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)から早稲田大学に進学。1936年に早大を中退して、大東京の結成に参加。投手で入団したが、当時の大東京軍は弱小球団かつ選手不足だったため、野手との二刀流で試合に出場する事となった。1936年秋季シーズン、大東京は5勝21敗2引き分け(うち16連敗〈1リーグ時代の最多連敗記録〉がある)と悲惨な成績だったが、遠藤はエースとして活躍。4勝5敗、防御率3.03とチームの勝ち頭の成績を残した(このシーズンの大東京の投手では、他に桜井七之助しか勝ち星を挙げた投手はいなかった)。
宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月1… 宮崎 康二(みやざき やすじ、1916年(大正5年)10月15日 - 1989年(平成元年)12月30日)は、日本の水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100m自由形、800mリレーの金メダリスト。元・日本水泳連盟理事。 静岡県浜名郡吉津村(現在の湖西市)の出身。吉津尋常小学校を経て浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)時代に15歳で1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。身長179cm、体重66kgの恵まれた体躯を生かし、100m自由形の予選で58秒7の日本新記録を樹立し、準決勝ではジョニー・ワイズミュラーの記録を破る58秒0の五輪新記録・日本新記録を打ち立てる。決勝では58秒2で金メダルを獲得、アメリカのこの種目の連勝を6でストップさせた。
木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 20… 木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - 2018年4月30日)は、日本の作曲家。兄は映画監督の木下恵介。兄が監督した映画の音楽を数多く手掛けた。 妻は元音楽プロデューサーでiLabシリーズを販売するパントロン・ワンの創業者である木下美智子(関根光致子)。 静岡県浜松市生まれ。映画監督として有名な木下恵介の弟で、妹に脚本家の楠田芳子がいた。 静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京し諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。1940年卒業、新交響楽団(現NHK交響楽団)の機関誌『フィルハーモニー』の編集に携わるが、応召して敗戦まで内地および支那で軍隊勤務する。
堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 200… 堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 2003年3月29日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、経済学者。早稲田大学名誉教授。 現役時代のポジションはポジションはフルバック(現在のディフェンダー)。静岡県浜名郡舞阪町(現:浜松市)出身。 静岡県立浜松第一中学校(現:静岡県立浜松北高等学校)時代にサッカーを始め、早稲田高等学院を経て早稲田大学政治経済学部に進学。在学中はア式蹴球部に所属した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。また、1936年にはベルリンオリンピックの日本代表に選出された。
久保田 収(くぼた おさむ、明治43年(1910年)7月22… 久保田 収(くぼた おさむ、明治43年(1910年)7月22日 - 昭和51年(1976年)12月7日)は、日本の歴史学者。専門は神道史。学位は、文学博士。 明治43年(1910年)、富山市に生まれる(本籍滋賀県)。昭和3年(1928年)静岡県立浜松第一中学校、昭和6年第六高等学校文科甲類を経て、昭和9年(1934年)に東京帝國大學文学部国史学科を卒業。在学中は平泉澄に学び、高弟として知られ終生師事した。朱光会の創立に関わり、また青々塾最初の入塾者の一人でもあった(いずれも平泉主宰)。 昭和10年に東京府立第九中学校教諭を経て、昭和13年(1938年)に、第七高等学校造士館教授となった。 帝大卒業後鹿児島に赴任するまでの間は、青々塾塾頭をつとめ、七高時代は集義塾を開くなどして、後進の指導にあたった。
高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13… 高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 早稲田大学、お茶の水女子大学などの非常勤講師も務めた。耽美派や芥川龍之介などの研究で知られる。多くの研究書と啓蒙書、3冊の受験参考書がある。 1960年(昭和35年)9月に新塔社で刊行された『新釈 現代文』は、現代文を読むための「たった一つのこと」だけを説いた高校生、大学受験生向けの本である。約20数年間、現代国語の受験参考書としてベストセラーとなった。「たった一つのこと」とは、文脈を追跡するための「内面的運動感覚」である。論旨の展開を追跡する論理感覚とでもいうものであった。
吉岡 忠一(よしおか ただかず、1908年5月14日 - 2… 吉岡 忠一(よしおか ただかず、1908年5月14日 - 2000年9月5日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校57期。海軍大学校卒。横須賀海軍航空隊で爆撃雷撃の研究、高雄海軍航空隊隊長、第一航空艦隊、第三艦隊航空参謀を経て第26航空戦隊司令部先任参謀として終戦。最終階級は海軍中佐。旧姓は大杉。 真珠湾攻撃に、第一航空艦隊航空参謀として参加。その奇襲成功を伝える暗号電文「トラトラトラ」(我れ奇襲に成功せり)を小野寛治郎通信参謀と二人で発案した。 ちなみに、実際にこれを打電した突撃飛行隊長の淵田美津雄は、当時誰もが奇襲攻撃を危ぶんでいた中で、その成功電文が「虎」の連打と知り、縁起が最高だと喜んだと言う。
清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明… 清水 みのる(しみず みのる、本名:清水 實、1903年(明治36年)9月11日 - 1979年(昭和54年)12月10日)は、日本の作詞家。主に昭和初期から中期にかけて活躍した。 静岡県浜名郡伊佐見村(現在の浜松市中央区伊左地町)生まれ。少年期は水泳に熱中した。 旧制浜松中学(現・浜松北高校)を経て、京都の予備校へ数ヵ月通った後、山陽中学校(現・山陽高等学校)への編入を経て、立教大学文学部英文学科卒。立教大学では水泳部に入り、主将として、短距離自由形で全日本ベスト5に入る好記録をマークした。詩人のサトウハチローは立教の先輩であり、レースが始まると必ず神宮プールの玄関に来てみのるを呼び出したという。
気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 … 気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 - 1958年(昭和33年)3月24日)は、日本のキリスト教神学者、牧師、青山学院大学学長。 1901年8月8日、静岡県引佐郡気賀町に、気賀定吉・すみ子の長男として生まれた。気賀小学校、静岡県立浜松第一中学校で学んだ。1916年1月7日に日本基督教団浜松教会にて鵜飼捨吉牧師より洗礼を受け、1919年4月、青山学院神学部に入学。1923年5月、第1回全国学生英語演説大会に青山学院代表として出場し、第1位となった。 1924年3月に青山学院を卒業し、同年4月から本郷中央教会の副牧師となる。1925年4月から日本メソヂスト小樽教会の牧師、1927年4月から日本メソヂスト浅草教会の牧師、1928年4月から日本メソヂスト銀座教会の副牧師を務めた後、同年同月より青山学院神学部の講師となった。
小野田 一雄(おのだ かずお、1900年11月28日 - 1… 小野田 一雄(おのだ かずお、1900年11月28日 - 1983年2月21日)は、大正期の日本の水泳選手。静岡県磐田郡今井村(現袋井市)出身。拓殖大学卒業。 浜松第一中学校(現静岡県立浜松北高等学校)卒業。1924年パリオリンピックには日本水泳チーム主将として出場。男子4×200m自由形リレーにおいて宮畑虎彦、野田一雄、高石勝男とともに4位の成績を収めた。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
松尾 邦之助(まつお くにのすけ、1899年(明治32年)1… 松尾 邦之助(まつお くにのすけ、1899年(明治32年)11月15日 - 1975年(昭和50年)4月3日)は、日本の新聞記者、評論家、翻訳家。 反権力・個人主義的志向を持つ人物であった。1940年のナチス・ドイツの占領まで長くパリに住み、日仏の文化交流に貢献した。 松尾嘉平・きみの次男として、静岡県引佐郡引佐町金指(現・浜松市北区引佐町金指)に生まれた。家は裕福な呉服商で、嘉平ときみの間には邦之助を含めて三男三女がいた。金崎の小学校、気賀(現・浜松市北区細江町気賀)の高等小学校を経て静岡県立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)を了え、親の希望の旧制高等学校でなく、東京外国語学校フランス語文科に学び、1922年、逓信省の嘱託となり、その秋、嘉平の渋々の承諾を得て渡仏し、パリに住んだ。
田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 198… 田畑 政治(たばた まさじ、1898年12月1日 - 1984年8月25日)は、日本の教育家、新聞記者、水泳指導者。静岡県浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)出身。 長きに渡り日本水泳連盟会長を務めた他、1964年東京オリンピックの招致活動におけるキーマンの一人として知られる。 田畑は1898年(明治31年)12月1日、浜名郡浜松町成子(現・浜松市中央区成子町)にて生まれた。実家は造り酒屋であった。 旧制静岡縣立浜松中学校(現・静岡県立浜松北高等学校)、第一高等学校(現・東京大学教養学部)を経て、東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、1924年(大正13年)に朝日新聞社(東京朝日新聞)に入社する。
内田 正練(うちだ まさよし、1898年1月7日 - 194… 内田 正練(うちだ まさよし、1898年1月7日 - 1945年2月14日)は、日本の水泳選手。オリンピックに出場した日本最初の水泳選手の一人であり、日本でのクロール泳法の普及に尽力した。 静岡県浜松市に生まれる。内田家は浜松有数の名家で、父が産業家、母が産婦人科開業医師で、5人兄弟の二男であった。兄の内田千尋(東京帝国大学卒)が水府流太田派古式泳法の師範という環境で、内田も幼少時より水練に親しみ、古式泳法を習得した。 旧制浜松中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)に入学すると、浜松中水泳部に属して水泳を研鑽した。内田は部員にとって憧れの存在であり、1学年後輩の田畑政治も内田に憧れた1人であった。
鈴木 敬司(すずき けいじ、1897年〈明治30年〉2月6日… 鈴木 敬司(すずき けいじ、1897年〈明治30年〉2月6日 - 1967年〈昭和42年〉9月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。1941年から1942年にかけて存在したビルマ(現在のミャンマー)の独立運動の支援を任務とする日本軍の特務機関「南機関」の機関長。この経歴から「日本版アラビアのロレンス」と称される。 静岡県出身。鈴木房蔵の長男として生まれる。浜松中学校(現在の静岡県立浜松北高等学校)を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第4連隊付となる。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業し、翌月、近衛歩兵第4連隊中隊長に就任。
西 文雄(にし ふみお、1897年1月10日 - 1990年… 西 文雄(にし ふみお、1897年1月10日 - 1990年9月3日)は、日本の柔道家(講道館8段、大日本武徳会範士)。 主に福岡県に拠点を置き、選手として熊本・福岡対県試合や全日本選士権大会で活躍する傍ら、福岡・満州対抗試合や全日本東西対抗大会の開催に尽力するなど柔道界の運営にも携わった。その技量は名人・達人の域に達していたと云われるが、晩年は故あって講道館と全日本柔道連盟に反目し、柔道界からは距離を置いて過ごした。 東京府青梅市の出身。中学生となって静岡県浜松市の旧制浜松中学校(現・県立浜松北高校)に在学中、他校の柔道教師であった戸田順吉に傾倒し、1915年に旧制浜松中学校を卒業するのと前後して戸田が指導する静岡市の講道館分道場義正館へ入門した。
伊藤 孝之(いとう たかし、明治27年(1894年)- 昭和… 伊藤 孝之(いとう たかし、明治27年(1894年)- 昭和57年(1982年)5月9日)は、大正時代から昭和時代にかけての浮世絵師、版画家。 結城素明及び鏑木清方の門人。本名は伊藤孝。孝之と号す。静岡県長上郡蒲(かば)村下(現・浜松市中央区子安町)に伊藤蒲邨(文久2年(1862年)-昭和14年(1939年))の二男三女の次男として生まれる。祖父は伊藤平六といい、孝之も一時期、平六という印を使用している。大正2年(1913年)、19歳の時、県立浜松中学校(現・浜松北高校)を卒業。中学校では水野以文が指導する美術グループに入って小学校において研究会を開いていた。卒業後、京都に赴き、まず京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科に入学、以降3年間、日本画を竹内栖鳳に学び、油彩画を都鳥英喜に学んでいたが、後に中退している。
加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月1… 加藤 七郎(かとう しちろう、1889年(明治22年)9月11日 - 1944年(昭和19年)8月23日)は、昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。静岡県会議長。 静岡県、のちの浜松市上池川町(現・浜松市中央区布橋一丁目)出身。旧制浜松中学校中退。 浜松市会議員、静岡県会議員、同副議長、同議長、浜松市茶業組合長、静岡県茶業組合連合常議員、全国茶業組合中央会議員、日本紅茶、東亜製茶各監査役、東海精機重工業社長、遠州鉱物工業組合理事長を歴任した。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬し当選。在任中に死去した。
大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2… 大橋 亦兵衛(おおはし またべえ、1884年(明治17年)2月11日 - 1946年(昭和21年)10月16日)は、大正から昭和時代戦前の政治家。治水家。衆議院議員。静岡県会議長。静岡県磐田郡井通村長。俳号は天竜。 大橋頼摸の長男として、静岡県豊田郡小立野村(豊田郡井通村、磐田郡井通村、豊田村、豊田町を経て現磐田市)に生まれる。1912年(大正元年)家督を相続する。書籍業を営む。浜松中学校を卒業する。 井通村会議員、同村長を経て、1919年(大正8年)静岡県会議員に当選。1926年(大正15年)同議長に推された。1928年(昭和3年)2月の第16回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選。
村上 精一(むらかみ せいいち、1883年〈明治16年〉11… 村上 精一(むらかみ せいいち、1883年〈明治16年〉11月2日 - 1959年〈昭和34年〉9月10日)は、日本の英語学者、青山学院大学教授、青山学院専門部文学部長、青山学院高等部長。 1883年11月2日、静岡県引佐郡細江町に生まれる。静岡県立浜松中学校を経て、1903年4月、青山学院高等科に入学する。1906年3月に卒業し、同年5月から秋田県立本荘中学校の教諭となる。1910年9月に依願免職、同年10月からアメリカ合衆国インディアナ州のデポー大学に入学する。1913年6月に卒業し、B.A.の学位を受ける。同年9月、イリノイ州のシカゴ大学に入学し、1916年3月にM.A.の学位を受け、同年9月に卒業、B.D.の学位を受ける。
山本 勝次(やまもと かつじ、1880年(明治13年)10月… 山本 勝次(やまもと かつじ、1880年(明治13年)10月12日 - 1928年(昭和3年)1月10日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(1期)。 山本庄次郎の二男として静岡県浜名郡白須賀宿伝馬街(白須賀町、湖西町を経て現湖西市)に生まれる。小学校を卒業後、敷知郡新所村(浜名郡新所村、湖西町を経て現湖西市)の湖西高等小学校から浜松中学校を経て、1900年(明治33年)東京専門学校政治経済学科を卒業する。浜名郡会議員、白須賀町会議員、同町長、静岡県会議員、浜名郡農会長、県農会、県蚕業組合、県畜産組合の役員などを歴任した。1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では静岡県第9区から憲政会所属で出馬し当選したが、任期満了を待たずして死去した。
中村 與資平(なかむら よしへい、1880年2月8日 - 1… 中村 與資平(なかむら よしへい、1880年2月8日 - 1963年12月21日)は、明治から昭和にかけて活躍した建築家。朝鮮・旧満州及び静岡県などにおいて多くの銀行や公共建築の設計を手がけたことで知られる。 中村与資平は、1880年に静岡県長上郡天王新田村(現在の浜松市中央区天王町)に中村貞一郎の長男として生まれた(中村は慶長年間からの庄屋(官号:与左衛門)で,与資平は第14代にあたる)。1889年に下堀学校(現・浜松市立与進小学校)を卒業し、1893年には浜松高等小学校(現・浜松市立元城小学校)を卒業した。1899年に静岡県浜松尋常中学校(現静岡県立浜松北高等学校)を卒業し、その後、1902年に第三高等学校を卒業した。
伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8… 伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8月10日) - 1923年(大正12年)12月31日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(1期)。 伊藤長重郎の子。遠江国麁玉郡宮口村(現・静岡県浜松市浜名区宮口)出身。1881年(明治14年)7月、浜松中学校を卒業後上京し同人社に入るが1883年(明治16年)7月、退学する。東京専門学校に転じ1886年(明治19年)7月、卒業をもって帰郷し1888年(明治21年)2月、静岡県茶業組合連合会議員となり、1890年(明治23年)2月には静岡県会議員に当選した。ほか同副議長、同参事会員、中央茶業組合会議所議員、関東茶業会本部主事、宮口銀行頭取、宮口委託監査役などを歴任した。
宮本 ゆみ子(みやもと ゆみこ、旧・斎藤 友美子(さいとう … 宮本 ゆみ子(みやもと ゆみこ、旧・斎藤 友美子(さいとう ゆみこ)、8月24日 - )は、静岡県浜松市出身のビジネス書作家、フリーアナウンサーである。
高橋 栄一 は、日本の地球科学者。専門は実験岩石学でマグマの… 高橋 栄一 は、日本の地球科学者。専門は実験岩石学でマグマの成因、火山の深部プロセス、マントル深部の鉱物相転移などを研究。
岡本 充功 は、日本の政治家、医師。
清水 彩子(しみず あやこ)は、日本の文部科学官僚。 静岡県… 清水 彩子(しみず あやこ)は、日本の文部科学官僚。 静岡県立浜松北高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)に合格。2006年4月 文部科学省入省。大臣官房国際課。2009年7月 財務省主計局調査課調査主任。2010年7月 財務省主計局法規課調査主任。2011年7月 文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課企画係長。教育行政の今後の大きな方針を決める教育振興基本計画や、地方分権の流れのなかでの教育の規制改革、着任前に起きた東日本大震災を受けての復興の基本方針といった政府全体の方針について、初等中等教育行政としての全体の方針を踏まえ局全体をコーディネート。その後、同局幼児教育課専門職、教育課程課専門官。
森田 裕介(もりた ゆうすけ)は、日本の教育工学者。静岡県浜… 森田 裕介(もりた ゆうすけ)は、日本の教育工学者。静岡県浜松市出身。博士(学術)(東京工業大学)。 早稲田大学 人間科学学術院 教授 (2020.4〜現在)。人間科学部人間情報科学科、大学院人間科学研究科、人間科学部通信教育課程eスクールの授業を担当(2007年度から教育工学、教育工学研究法、情報メディア教育論、2026年度以降は学習科学、学習科学研究法、学習メディア工学)。主な研究プロジェクトは、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)の技術を用いた学習教材の開発、タンジブルユーザインタフェースを実装した学習システムの開発、効果的な遠隔学習に関する研究、生体情報を用いた学習評価に関する研究、ゲーム学習、ロボットを活用した学習、プログラミング教育、STEM/STEAM教育などに関する研究に従事。