スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山口 豪志(やまぐち ごうし、1984年〈昭和59年〉1月5… 山口 豪志(やまぐち ごうし、1984年〈昭和59年〉1月5日 - )は、日本の起業家、投資家。岡山県岡山市出身。茨城大学 理学部 地球生命環境科学科 卒業。株式会社54 代表取締役社長、プロトスター株式会社 代表取締役 COO。 岡山朝日高等学校を卒業したのち、茨城大学 理学部に進学し、地球生命環境科学を専攻。 大学在学中、クックパッド株式会社に参画し、広告領域とマーケティング領領域の立ち上げに関わる。少人数体制の中で顧客開拓や広告商品の設計に携わり、事業拡大に向けた体制づくりへ踏み込む。その後、営業活動にも取り組み、サービス規模が拡大していく過程を現場で経験する。 2011年2月にクックパッドを退社後、南米や南極を巡り、働き方や事業への向き合い方を再整理する時間を持った。
山海 嘉之(さんかい よしゆき、1958年6月24日 - )… 山海 嘉之(さんかい よしゆき、1958年6月24日 - )は、日本の工学者であり、サイバーダイン株式会社の創業者兼CEO、筑波大学システム情報系教授、筑波大学サイバニクス研究センター長。 日本ロボット学会理事、日本栓子検出と治療学会会長などを歴任。グローバルCOEサイバニクス国際教育研究拠点 拠点リーダー、内閣府最先端研究開発支援プログラム「健康長寿社会を支える最先端人支援技術研究プログラム」中心研究者 (サイバニクス研究コア/Center for Cybernics Research 統括)、内閣府革新的研究開発推進プログラムImPACT、プログラムマネージャ。工学博士(筑波大学、1987年)。
榎原 雅治(えばら まさはる、1957年 - )は、日本の歴… 榎原 雅治(えばら まさはる、1957年 - )は、日本の歴史学者、東京大学史料編纂所教授。中世史専門。東京大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。岡山朝日高校卒。1980年東京大学文学部日本史学卒、1982年同大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程中退。同大学史料編纂所助教授、教授。2010-2013年同所長。2003年「日本中世地域社会の構造」で東大文学博士。 2001年に、新しい歴史教科書をつくる会の教科書が検定に合格した際に、宮地正人が同教科書に掲載されている幕末にマシュー・ペリーが来航した際に白旗と「開国要求を認めないならば武力に訴える」「降参というときにはこの白旗を押し立てよ」と書かれた手紙を渡した―とするコラムを「ペリーの手紙なるものは、明々白々の偽文書である」と批判した。
道垣内 正人(どうがうち まさと、1955年12月18日 -… 道垣内 正人(どうがうち まさと、1955年12月18日 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。東京大学名誉教授。早稲田大学法学学術院・大学院法務研究科教授。弁護士、長島・大野・常松法律事務所シニアカウンセル(第一東京弁護士会)。岡山県岡山市出身。弟は民法学者で東京大学名誉教授の道垣内弘人。2025年、文化庁長官表彰。 専門である国際私法の他にスポーツ法やエンターテイメント法も研究対象としている。 早稲田大学 法学学術院、大学院法務研究科教授、長島・大野・常松法律事務所シニアカウンセル(第一東京弁護士会所属)を務める。元(公財)日本スポーツ仲裁機構代表理事(機構長)。 民法学者・道垣内弘人(東京大学教授、専修大学法科大学院教授)は実弟。
瀬川 至朗(せがわ しろう、1954年 - )は、日本の科学… 瀬川 至朗(せがわ しろう、1954年 - )は、日本の科学ジャーナリスト、早稲田大学教授。岡山県岡山市出身。 1954年岡山県岡山市生まれ。1973年岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1977年東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。1978年東京大学大学院工学系研究科修士課程中退。毎日新聞社に入社し、ワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長などを務める。早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学ジャーナリズム大学院プログラムマネージャー。『科学報道の真相――ジャーナリズムとマスメディアの共同体』で科学ジャーナリスト賞2017を受賞。
保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、… 保江 邦夫(やすえ くにお、1951年9月27日 - )は、日本の物理学者。専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授・同情報理学研究所所長を経て、2017年、同大学名誉教授。 量子脳理論の治部・保江アプローチ(英:Quantum Brain Dynamics)の開拓者。少林寺拳法武道専門学校講師。冠光寺眞法・冠光寺流柔術創始・主宰。大東流合気武術宗範佐川幸義直門。特徴的な文体を持ち、45冊以上の著書を上梓。2010年以降はスピリチュアル、宗教、UFO、宇宙人についての本を多数出版している。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。
陶山 計介(すやま けいすけ、1950年 - )は、日本の経… 陶山 計介(すやま けいすけ、1950年 - )は、日本の経営学者。日本のブランド戦略研究におけるパイオニアであり、第一人者。 関西大学商学部教授。経済学博士(京都大学、1995年)。ブランド戦略研究所理事長。日本商業学会前会長。日本広告学会元理事。日本広報学会元理事。 専攻はマーケティング論、ブランド戦略論のほか、販売管理論、流通論、商業論、消費論など。岡山県出身。 『ブランド・エクイティ戦略』等の訳書が日本にブランドブームを起こす。『日本型ブランド優位戦略』、『21世紀のマーケティング戦略』等著書多数。 トヨタ自動車、リクルート等、企業の幹部研修で産学交流を推進。行政での活動も多数。 日本商業学会副会長、大阪ブランド戦略検討委員会委員等、学外活動多数。
逸見 千代子(へんみ ちよこ、1949年 - 2018年)は… 逸見 千代子(へんみ ちよこ、1949年 - 2018年)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学。東京大学理学博士。元岡山大学理学部地球科学科准教授。 1949年、鉱物学者の逸見吉之助の娘として生まれる。1968年に岡山県立岡山朝日高等学校を卒業し、岡山大学理学部、同大学院理学研究科修了。 ゲーレン石後退変質の研究で、東京大学から理学博士の学位を取得。数々の新鉱物を発見し、1976年に櫻井賞を受賞した。 父で鉱物学者の逸見吉之助と共に鉱物学への功績をたたえて逸見石(Henmilite)、その後には千代子石(chiyokoite)の鉱物名に献名されている。
西井 正弘(にしい まさひろ、1946年9月16日 - )は… 西井 正弘(にしい まさひろ、1946年9月16日 - )は、日本の法学者。京都大学名誉教授。大阪女学院大学教授。専門は、国際法・国際人権法・国際環境法 (研究分野は、テロの国際的規制・国際人権法・国際環境法を中心とした国際法)。岡山県笠岡市出身。 略歴は以下のとおり。
渡辺 聰子(わたなべ さとこ、1946年 - )は、日本の社… 渡辺 聰子(わたなべ さとこ、1946年 - )は、日本の社会学者・経営学者、上智大学名誉教授。中央大学研究開発機構教授。専門は経営社会学、比較社会学、組織論、人的資源、国際経営論、社会政策、社会理論。学位はPh.D.(社会学博士)(ボストン大学、1980年)。姓の「渡辺」は戸籍上の表記である「渡邉」と表記されることもある。旧姓:浅野(あさの)。 岡山県岡山市出身。岡山大学教育学部附属小学校、同中学校卒業。岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1965年東京大学に入学。東京大学在学中の1968年にサンケイスカラシップを授与され、米国ウェスタン女子大学に1年間留学、1969年にB. A.の学位を授与される。
三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - … 三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。
小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年… 小田 晋(おだ すすむ、1933年7月28日 - 2013年5月11日)は大阪府生まれの日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。筑波大学名誉教授。国際医療福祉大学名誉教授。元帝塚山学院大学教授。医学博士。
脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 200… 脇本 平也(わきもと つねや、1921年1月11日- 2008年10月24日)は、日本の宗教学者、東京大学名誉教授(文学部)。 岡山県生まれ。1944年東京帝国大学文学部宗教学科卒業。 立教大学助教授を経て、1964年東京大学文学部助教授(宗教学)就任、70年教授に昇任、81年に定年退官し名誉教授、駒澤大学教授、国際宗教学研究所理事長。 1989年に紫綬褒章受章。94年秋、勲三等瑞宝章受勲。
逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - … 逸見 吉之助(へんみ きちのすけ、1919年6月28日 - 1997年11月11日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学。岡山大学名誉教授。理学博士。 岡山市生まれ。岡山一中、第六高等学校を経て、1941年東京大学理学部地質学科を卒業。満州国大陸科学院高等官試補、岡山県立岡山操山高等学校教諭を経て、1951年、岡山大学理学部講師に着任。1952年助教授。教授、理学部長を経て1984年に退官し以後、名誉教授。 戦後、岡山県倉敷市の三吉鉱山の金属鉱床から日本で初めて砒銅ウラン石を発見した。さらに、広島県庄原市東城町久代および岡山県高梁市備中町布賀の高温型スカルンを発見し、高温型スカルンの成因の解明のみならず、多数の世界新鉱物の発見した。
福武 直(ふくたけ ただし、1917年2月12日 - 198… 福武 直(ふくたけ ただし、1917年2月12日 - 1989年7月2日)は、日本の社会学者。文学博士(東京大学)。東京大学名誉教授。岡山県岡山市出身。 1917年(大正6年)岡山県岡山市に出生する。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1937年(昭和12年)第六高等学校を卒業する。その後、1940年(昭和15年)東京帝国大学文学部社会学科卒業した。 卒業論文は「社會學と社會的現實−社會學方法論における諸問題−」。1948年に東京大学文学部助教授、1960年に教授。1962年に「日本村落の社会構造」で東京大学より文学博士の学位を取得。1977年(昭和52年)に定年退官、名誉教授。
近藤 洋逸(こんどう よういつ、1911年(明治44年)3月… 近藤 洋逸(こんどう よういつ、1911年(明治44年)3月30日 - 1979年(昭和54年)5月22日)は、日本の数学史家、科学思想史家。元岡山大学法文学部教授。岡山大学名誉教授。文学博士。 岡山県に生まれる。岡山県立第一中学(現・岡山朝日高等学校)京都帝国大学文学部哲学科に入学。田辺元に師事する。その後東北大学に理科学生として在籍する。 昭和高等商業学校、第六高等学校で教授を務めた後、1952年(昭和27年)より岡山大学法文学部教授となった。 1946年(昭和21年)にゲーデルの赤い本を翻訳して出版した。
時実 利彦(ときざね としひこ、1909年9月4日 - 19… 時実 利彦(ときざね としひこ、1909年9月4日 - 1973年8月3日)は、日本の生理学者。東京大学名誉教授。専門は大脳生理学。医学博士。岡山県和気郡備前町(現備前市)生まれ。その名前を冠した時実利彦記念賞もある。 時実は、実験脳生理学の手法を日本に導入、大脳皮質の活動水準を調節し行動に至る神経活動を電気生理学的に体系づけた。 大学の恩師に橋田邦彦がいる。また数学者の岡潔と親交があり、岡の晩年は時実よりも岡の方が大脳生理学の師に近い関係であった。
三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 199… 三宅 泰雄(みやけ やすお、1908年4月17日 - 1990年10月16日)は、日本の地球化学者。東京教育大学教授。 岡山県岡山市にて誕生。岡山県立岡山中学校、静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1931年東京大学理学部化学科を卒業。 北海道大学理学部助手、中央気象台、同台研究部(戦後はそのまま気象庁・同庁気象研究所に改称)勤務。1940年 東京大学にて、「西部北太平洋の海洋科学」の論文で理学博士号を取得。 1957年、東京教育大学教授。 1954年のビキニ事件を発端にビキニ周辺海域・大気の放射能汚染を調査、研究し、高い評価を得た。以後、海洋や大気の放射能汚染の危険性を訴えつづけた。第五福竜丸の船体の保存にも尽力。
塩見 賢吾(しおみ けんご、1908年3月31日 - 197… 塩見 賢吾(しおみ けんご、1908年3月31日 - 1971年6月4日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授、学位は理学博士。専攻は植物栄養化学。 岡山県出身。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校を経て、1930年(昭和5年)東京帝国大学理学部化学科卒業。台湾総督府工業研究所技師、第一高等学校教授、東京大学教授を経て、東邦大学教授在職中の1971年(昭和46年)逝去。
葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - … 葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - 1989年3月7日)は、哲学者、天台宗の僧侶、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。比叡山延暦寺長﨟で初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長を務めた。世界平和のためには宗派を超えた宗教者の連帯が必要との持論から、世界宗教サミットを発起・開催した。 岡山県赤磐郡石生村原(現在の岡山県和気郡和気町原)の天台宗・元恩寺住職の葉上慈照の長男として生まれる。小学校一年の時、備前岡山藩主の池田家の寺である金剛山常住寺の弟子となる。1916年(大正5年)9月、岡山県立岡山中学校に進学、1920年(大正9年)第六高等学校 (旧制)の入学試験では数学で満点を取り、首席入学した。
石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8… 石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8月21日 - 2003年 <平成15年> 7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為責任論。岡山県出身。大阪大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。位階は従四位。 神戸学院大学法学部の設置にも関与した。1984年日本学士院賞受賞。 旧制岡山中学(現:岡山朝日高校)、旧制第六高等学校を経て、1926年京都帝国大学法学部卒。京都帝国大学在職中に滝川事件が起こり、抗議のため同大学を辞職した。100歳になっても、家族の介助による口述筆記により論文を書き上げた、というエピソードも残っている。2003年死去。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
塩尻 公明(しおじり こうめい、1901年11月6日 - 1… 塩尻 公明(しおじり こうめい、1901年11月6日 - 1969年6月12日)は、日本の哲学者、神戸大学名誉教授。J・S・ミルが専門だが、宗教的な人生論を多く書いた。 岡山県吉備郡岡田村(現:倉敷市)出身。旧制岡山第一中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、第一高等学校在学時に出講していた河合栄治郎と出会う。東京帝国大学法学部卒業直後、西田天香の一灯園に入り求道生活を送り、のち高知高等学校教授、戦後神戸大学教育学部教授、65年定年退官、帝塚山学院大学教授。
中原与茂九郎(なかはら よもくろう、正字は中原與茂九郎、19… 中原与茂九郎(なかはら よもくろう、正字は中原與茂九郎、1900年〈明治33年〉4月16日 - 1988年〈昭和63年〉3月27日)は、日本の西洋史学者、アッシリア学者、京都大学名誉教授。日本における古代メソポタミア研究の先駆けの一人で、特にシュメール行政・経済文書の研究で優れた業績を残した。 出身は岡山県倉敷市浅口郡西阿知町(現・倉敷市西阿知地区)。1919年(大正8年)に岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、1922年(大正11年)に第六高等学校、1925年(大正14年)3月に京都帝国大学文学部(西洋史学専攻)を卒業した。同大文学部助手ののち、翌1926年(大正15年)3月、新設の広島高等学校教授に任命された。
米谷 隆三(まいたに りゅうぞう、1899年2月11日 - … 米谷 隆三(まいたに りゅうぞう、1899年2月11日 - 1958年5月3日)は、日本の法学者。専門は、商法・保険学。学位は、法学博士。1955年「約款法の理論」で日本学士院賞受賞。岡山県出身。 岡山県都窪郡茶屋町(現倉敷市茶屋町)生まれ。旧制第一岡山中学校(現岡山県立岡山朝日高等学校)を経て、1925年東京商科大学(現一橋大学)卒業(青山衆司ゼミナール)。 1923年文官高等試験行政科合格、1925年商工省入省、商務局保険課勤務。1929年明治大学兼任講師(火災保険論)を経て、1930年東京商科大学(現一橋大学)助教授兼予科教授就任。ベルリン、ローマ、パリへの留学を経て、1934年第10回国際アクチュアリー会議日本代表。
和栗 明(わくり あきら、1899年1月31日 - 1986… 和栗 明(わくり あきら、1899年1月31日 - 1986年11月28日)は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。第2代久留米工業短期大学学長。初代久留米工業高等専門学校校長。日本学士院賞受賞。和栗雄太郎九州大学名誉教授は長男。 岡山県出身。1923年九州帝国大学工学部機械学科卒業。1936年九州帝国大学工学博士。九州帝国大学工学部講師、九州帝国帝国大学工学部助教授を経て、1938年九州帝国大学校工学部教授。1953年「歯車に関する研究」により成瀬政男東北大学教授、中田孝東京工業大学教授とともに日本学士院賞を受賞。1964年久留米工業高等専門学校校長、日本機械学会名誉員。1969年勲二等瑞宝章受章。
長崎 明(ながさき あきら、1898年 (明治31年)9月2… 長崎 明(ながさき あきら、1898年 (明治31年)9月26日 - 没年月日不明 )は日本の哲学者。元八幡大学教授。岡山県出身。 備前岡山の池田家家老 日置健太郎を母方の祖父とする名門の家に生まれる。父親、長崎常は札幌農学校で内村鑑三と共にクラーク博士に学んだ農務省官僚であった。なお、常は九州法学校創設時に宇賀田順三と親交があった人物。母キヨは日本画壇の女流画家。 明は岡山一中から慶応義塾、松本高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学科に入学、美学を専攻し伊藤吉之助に師事する。卒業後西南学院専門学校、九州専門学校で教鞭を執る。1947年、宇賀田順三の要請により 戸畑専門学校開校時に教授に就任。1948年から1956年まで八幡大学教授(1954年に法経学部長就任)。
黒正 巌(こくしょう いわお、1895年(明治28年)1月2… 黒正 巌(こくしょう いわお、1895年(明治28年)1月2日 - 1949年(昭和24年)9月3日)は、日本の経済学者、農業史家、農村社会史学者。専門は経済史、経済地理学。経済学博士(京都帝国大学)。岡山県出身。大阪経済大学初代学長。 1895年(明治28年)岡山県上道郡可知村(現在の岡山市東区)生まれ。可知尋常小学校、上道高等小学校を経て1909年(明治42年)4月岡山県立岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)に入学、1914年(大正3年)3月同校を卒業し同年9月第六高等学校に入学、ドイツ語や英語などを習得し他に歴史や経済史を研究した。1916年に黒正家の養子となる(旧姓中山)。翌1917年(大正6年)7月に六高を卒業し同年9月京都帝国大学法科大学政治経済学科に入学。
原 彪(はら ひょう / たけし、男性、1894年(明治27… 原 彪(はら ひょう / たけし、男性、1894年(明治27年)11月24日 - 1975年(昭和50年)12月17日)は、日本の政治家、政治学者。衆議院副議長。本名は彪之助。 岡山県小田郡金浦村(現・笠岡市)に生まれる。岡山一中、第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。その後は文部省嘱託、鉄道省鉄道講習所講師、明治大学講師を経て、1928年法政大学教授に就任。政治学・政治史を講じていた。 学生時代より社会主義に共鳴し、1924年安部磯雄らと社会主義研究団体「日本フェビアン協会」を結成する。以後安部に付き従い、1932年安部を委員長とする社会大衆党が結成されると原も入党し中央執行委員になる。
武居 高四郎(たけい たかしろう、1893年8月2日 - 1… 武居 高四郎(たけい たかしろう、1893年8月2日 - 1972年8月9日)は、日本の都市計画家、土木工学者。専門は都市計画学。工学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授。本邦の都市計画学の草分けとして知られる。実業家武居綾蔵の養子で、妻妙子は湯川秀樹の次姉。 岡山県津高郡一宮村(現・岡山市北区)に生まれる(旧姓小野)。旧制岡山県立岡山中学校、第六高等学校を経て1917年京都帝国大学工科大学土木工学科を卒業。 大阪市役所に入り市区改正部などで技師として奉職。次いで内務省技師、国の都市計画の実務に従事する。この間米国ハーバード大学、英国リヴァプール大学に留学、都市計画学を学ぶ。1922年京都帝国大学工学部が日本最初の都市計画の講座(土木工学第六講座)を開設。
大賀 悳二(おおが とくじ、1893年7月1日-1964年2… 大賀 悳二(おおが とくじ、1893年7月1日-1964年2月24日)は、日本の工学者。専門は機械工学。特に、蒸気タービンの研究や伝熱工学理論で知られた。位階は正三位。室蘭工業大学元学長。北海道大学名誉教授。日本学術会議会員。岡山県出身。「大賀徳二」とも表記される。 岡山県出身。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1918年東京帝国大学工科大学機械工学科卒業。浅野造船所に入社。1922年文部省在外研究員としてアメリカやヨーロッパを留学。1925年北海道帝国大学工学部教授(原動機第一講座担当)。1952年北海道大学工学部長・同大学院工学研究科長。1956年北海道大学停年退官。
高原 美忠(たかはら よしただ、明治25年(1892年)3月… 高原 美忠(たかはら よしただ、明治25年(1892年)3月16日 - 平成元年(1989年)6月12日)は、日本の神道学者、神職。八坂神社名誉宮司、皇學館大学学長。 明治25年(1892年)3月16日、岡山県岡山市に喜三治・辰野の子として生まれる。明治44年(1911年)岡山県立岡山中学校(現在の岡山県立岡山朝日高等学校)卒業、大正5年(1916年)神宮皇學館本科卒業。 和歌山県立農林学校(現在の和歌山県立南部高等学校)教諭、神戸市神港商業学校(現在の神戸市立神港高等学校)教諭を経て、大正12年(1923年)より日光東照宮禰宜。翌年、白山比咩神社宮司、昭和8年(1933年)函館八幡宮宮司、昭和11年(1936年)弥彦神社宮司。
仁科 芳雄(にしな よしお、1890年〈明治23年〉12月6… 仁科 芳雄(にしな よしお、1890年〈明治23年〉12月6日 - 1951年〈昭和26年〉1月10日)は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京帝国大学・1930年)。日本現代物理学の父。 岡山県浅口郡里庄町浜中出身。東京帝国大学卒。日本に量子力学の研究拠点を作ることに尽力し、理化学研究所(理研)に在籍して宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。 死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。この財団では毎年、原子物理学とその応用に関して著しい業績を上げた研究者に仁科記念賞を授与している。また理研の仁科加速器科学研究センターにも名を残す。 ニールス・ボーアの下で身に着けたその自由な学風は、自由で活発な精神風土を日本にもたらし、日本の素粒子物理学を世界水準に引き上げた。
田村 剛(たむら つよし、1890年〈明治23年〉9月7日 … 田村 剛(たむら つよし、1890年〈明治23年〉9月7日 - 1979年〈昭和54年〉9月4日)は、日本の造園家・造園学者・林学者。日本の国立公園、海中公園制度の確立と発展に尽くす。岡山県生まれ。 妻は日向利兵衛の娘。国際自然保護連合名誉会員。日本自然保護協会初代理事長、日本造園学会会長など、要職を多数歴任。 倉敷市で次田家に生まれ、まもなく田村家の養子となる。兄は国文学者の次田潤。旧制岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)から第六高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学農科大学林学科に進学。高等学校時代の1911年(明治44年)、新聞社が募集していた立山登山に参加。1915年(大正4年)に大学を卒業し、2年間、明治神宮造営局で神宮内外苑の造営に携わる。
野田 清一郎(のだ せいいちろう、 1883年〈明治16年〉… 野田 清一郎(のだ せいいちろう、 1883年〈明治16年〉10月6日 - 1968年〈昭和43年〉5月10日)は、日本の電気工学者。大阪工業大学初代学長・名誉教授。京都帝国大学元助教授・工学博士。 専門は、電気回路・電気工学(特に電動機)、電力工学・電線力学、教育工学。 1883年、岡山県岡山市旭町に生まれる。旧制岡山中学(現:岡山県立岡山朝日高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1906年(明治39年)9月に京都帝国大学理工科大学入学。「電気の鬼」と評された青柳栄司の指導のもと、電気工学の研究に打ち込んだ。1908年(明治41年)7月に同大学電気工学科を卒業するとともに講師に着任し、1910年(明治43年)には助教授となった。
大賀 一郎(おおが いちろう、1883年〈明治16年〉4月2… 大賀 一郎(おおが いちろう、1883年〈明治16年〉4月28日 - 1965年〈昭和40年〉6月15日)は、日本の植物学者。勲等は勲三等瑞宝章。学位は理学博士。位階は正五位。 1883年(明治16年)岡山県賀陽郡庭瀬村(現・岡山市)に生まれる。 1901年(明治34年)岡山中学校を卒業するが、チフスにより進学を断念。1902年(明治35年)9月に第一高等学校二部に入学。第一高等学校卒業後は東京帝国大学理学部に入学。1909年(明治42年)に大学を卒業し大学院へ入学。大学院では植物細胞学を専攻し、そこでハスについての研究も始めた。学生時代に内村鑑三の影響により無教会主義のキリスト教に入信する。 1910年(明治43年)第八高等学校の講師となり、翌年に同校の生物学教授となる。
井戸 泰(いど ゆたか、1881年(明治14年)9月8日 -… 井戸 泰(いど ゆたか、1881年(明治14年)9月8日 - 1919年(大正8年)5月4日)は、日本の大正時代の医学者。医学博士。東京帝国大学助教授を経て、九州帝国大学教授。 大正4年(1915年)、恩師でもある九州帝国大学第一内科稲田龍吉教授と共に、ワイル病(黄疸出血性スピロヘータ病)の病原体を発見する。第6回帝国学士院恩賜賞を受け、ノーベル医学賞の候補にも推薦されるなど、当時の日本を代表する医学者として将来を嘱望されながらも、大正8年(1919年)5月8日死去、37歳。 岡山県勝田郡北吉野村荒内西(現:奈義町荒内西)で酒造業を営む家(井戸酒店)に長男として生まれる。父・恒四郎、母・たけよ。
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月… 小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の財政学者、政治家。京都帝国大学経済学部教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等、法学博士。旧姓・村山。 岡山県浅口郡、のちの里庄村(現里庄町)で村山菊蔵の長男として生まれる。岡山県医局長で医師の小川知彰の養子となり、岡山中学、開成中学、旧制第一高等学校を経て、1900年(明治33年)東京帝国大学に入学。 1903年(明治36年)東京帝国大学法科大学政治学科次席卒業。首席は小野義一(大蔵官僚、高文次席)、3位が上杉慎吉(東大教授、憲法学者)、4位は馬場鍈一(大蔵官僚、高文首席)。
岸本 能武太(きしもと のぶた、慶応元年12月16日(186… 岸本 能武太(きしもと のぶた、慶応元年12月16日(1866年1月22日) - 昭和3年(1928年)11月16日)は、日本の宗教学者。宗教学者の岸本英夫は次男である。 慶応元年12月16日(1866年1月22日)、岡山県岡山市花畑に岡山藩士である滝義夫の次男として生まれる。 1880年7月、岡山中学校を卒業し、同年9月、京都同志社英学校普通科に入学する。1882年2月5日、新島襄から洗礼を受ける。1884年6月、京都同志社英学校普通科を卒業する。 1885年4月、同志社英学校神学科に入学し、1887年6月、卒業する。 仙台の東華学校で教師を務めた後、1890年9月、ハーバード大学神学科に留学し、宗教哲学、比較宗教学、サンスクリット語、パーリ語を研究する。
窪田 静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年… 窪田 静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年11月10日(慶応元年9月22日) - 1946年10月6日)は、日本の内務官僚、法学者、社会事業家。法学博士、行政裁判所長官、枢密顧問官。 岡山藩学師範教授・窪田善之の長男として生まれる。岡山中学、第一高等学校を経て、1891年7月、帝国大学法科大学法律学科(英法)を首席で卒業した。内務省に入省し、後藤新平のもとで日本の保健衛生制度の確立に尽力。伝染病予防法、癩予防法などの制定を推進した。医者ではない事務官として初めて衛生局長に就任した。また後藤の影響から、狭義の衛生政策のみならず社会問題・社会政策全般に関心を抱き、社会政策学会が発足するとその会員となった。
井頭 政之(いがしら まさゆき) は、日本の原子力工学者。東… 井頭 政之(いがしら まさゆき) は、日本の原子力工学者。東京工業大学名誉教授。仁科記念賞受賞。 岡山市生まれ。1970年岡山県立岡山朝日高等学校卒業。1974年東京工業大学(のちの東京科学大学)理学部応用物理学科卒業。1976年同大学大学院理工学研究科原子核工学専攻修士課程修了。1978年同博士課程中退、同大学原子炉工学研究所助手。1987年工学博士。1990年東京工業大学原子炉工学研究所助教授。1997年手島記念研究賞(研究論文賞)受賞。2002年度仁科記念賞を永井泰樹と共同受賞。2009年東京工業大学原子炉工学研究所教授。2017年東京工業大学名誉教授。指導学生に堀順一京都大学複合原子力科学研究所教授など。
姫野 美沙緒(ひめの みさお、Misao Himeno、旧姓… 姫野 美沙緒(ひめの みさお、Misao Himeno、旧姓:黒木)は、日本の医学者。東京大学大学院医学系研究科 助教。学位は博士(医学)(岡山大学・2013年)。専門はウイルス学、感染症学など。 岡山県立岡山朝日高等学校卒業。2002年4月 岡山大学農学部 農芸化学に入学、2006年3月 同大を卒業した。2006年4月 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 医歯科学専攻 修士課程に進み、2009年3月 同大 修士課程を修了。2009年4月 同大病態制御科学専攻 腫瘍制御学講座 博士課程に進み、2013年3月同大博士課程を修了。博士(医学)を取得。 修了までの2010年4月 - 2013年3月 岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 腫瘍ウイルス学(現腫瘍微小環境学)の腫瘍ウイルス学で名高い加藤宣之教授の指導を受け、肝炎ウイルスなどに関する研究を行なった。
平田 彩子(ひらた あやこ)は日本の法社会学者。東京大学大学… 平田 彩子(ひらた あやこ)は日本の法社会学者。東京大学大学院法学政治学研究科教授。 岡山県倉敷市生まれ。岡山県立岡山朝日高等学校から東京大学に入学。2007年 東京大学法学部を「卓越」で卒業。2009年 東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻修士課程修了。2015年9月 京都大学大学院地球環境学堂特定准教授。2016年8月 カリフォルニア大学バークレー校ロースクール修了。2017年3月 岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授。2021年8月 東京大学大学院法学政治学研究科准教授。