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知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日… 知念 覚(ちねん さとる、1963年〈昭和38年〉9月19日 - )は、日本の地方公務員、政治家。沖縄県那覇市長(1期)。 1963年(昭和38年)、那覇市首里山川町生まれ。那覇市立城西小学校、那覇市立首里中学校、沖縄県立首里高等学校を経て、沖縄大学第2部法経学部法学科卒業。 1985年(昭和60年)、那覇市役所に就職。2000年(平成12年)、当時の那覇市長・翁長雄志により秘書に任命された。2010年(平成22年)から総務部長、2015年(平成27年)に副市長就任。 2022年城間幹子の引退に伴い実施される那覇市長選挙に無所属で立候補する意向を表明し、自由民主党・公明党からの推薦と城間市長から支持を受けた。
岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月… 岸本 建男(きしもと たてお、1943年(昭和18年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月27日)は、日本の政治家。沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県名護市出身。親は教員を務めていた。琉球政府立首里高等学校(現・沖縄県立首里高等学校)時代はボクシング部に所属した。1967年(昭和42年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学大学院に在学中、沖縄の本土復帰運動に身を投じた。1969年(昭和44年)12月刊行の『ドキュメント沖縄闘争』(亜紀書房)の編集に新崎盛暉や全国沖縄闘争学生委員会委員長の渡名喜明らとともに携わった。1970年(昭和45年)、北米・南米へ向かい、放浪。チェ・ゲバラに心酔し、ゲバラが死を遂げたボリビアでベレー帽をかぶった写真を撮るほどであった。
宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日… 宮城 健一(みやぎ けんいち、1933年〈昭和8年〉6月3日 - 2021年〈令和3年〉9月3日)は、日本の政治家。元沖縄県浦添市長(1期)。位階は従五位。 浦添市生まれ。1951年(昭和26年)、沖縄県立首里高等学校卒業。卒業後は米軍基地で勤務した。1952年(昭和27年)、コザ教員訓練校卒。卒業後は沖縄県内で中学校教諭となる。本土復帰後の1975年(昭和50年)に沖縄教職員組合政治部長となった。1976年(昭和51年)、沖縄県議会議員選挙に浦添市選挙区から社会党公認で初当選を果たした。1980年(昭和55年)の県議選にも立候補したが、落選した。1984年(昭和59年)の県議選で当選し、返り咲きを果たした。
親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - … 親泊 康晴(おやどまり こうせい、1926年8月28日 - 2005年4月11日)は、日本の政治家。1984年から2000年まで沖縄県那覇市長を務めた。
大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月1… 大田 昌秀(おおた まさひで、1925年〈大正14年〉6月12日 - 2017年〈平成29年〉6月12日)は、日本・沖縄の政治家・社会学者。元沖縄県知事(2期)、元社会民主党参議院議員(1期)。琉球大学名誉教授。特定非営利活動法人沖縄国際平和研究所理事長。 沖縄県島尻郡具志川村(現・久米島町)出身。 母校の小学校の用務員などを経て、東京の工学院へ特待生で進学する予定であったが、親戚のつてで沖縄師範学校に進学する。在学中の1945年(昭和20年)3月に鉄血勤皇隊に動員され、情報宣伝隊の「千早隊」に配属された。沖縄戦の中、九死に一生を得るが多くの学友を失う(同期125人中生存は大田を含めて37人)。
平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)1… 平良 良松(たいら りょうしょう、1907年(明治40年)11月12日 - 1990年(平成2年)3月19日)は、日本の政治家。沖縄県那覇市長(4期)などを務めた。 那覇市出身。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を卒業後上京し、近衛師団兵器部にて働きながら法政大学専門部法律科に通っていたが、赤色救援会の活動への関与が発覚したことや病気療養により、一旦帰郷する。 だが、警察の監視つきで就職さえままならなかったため、1934年、ペルー・リマ市に渡り現地の日本人学校で8年間教鞭を執る。終戦後の1946年に沖縄へ戻り、村会議員や農協会長などを経て、1954年から4期にわたり立法院議員となる。
小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3… 小田 栄(小田 榮、おだ さかえ、1904年〈明治37年〉3月24日 - 1994年〈平成6年〉7月11日)は、日本の社会主義者、政治家、ジャーナリスト。衆議院議員。別名・天界。 広島県賀茂郡川尻村(川尻町を経て現呉市)で菓子製造業の家に生まれる。父の事業が失敗し、叔父からの勧めで1912年に一家で沖縄に移住。一家で飴屋を始め、小田も行商を行う。1918年、沖縄県立第一中学校に入学。4年次の学芸会で社会批判の演説を行い放校となった。 沖縄出身の先輩、アナキストで労働運動社にいた泉正重を頼り上京。同志と雑誌創刊を計画するも当局に検挙された。1922年、中浜哲、古田大次郎らのギロチン社に加わったが、1923年の関東大震災により沖縄に戻った。
安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1… 安里 積千代(あさと つみちよ、1903年8月22日 - 1986年9月30日)は、八重山群島政府及び琉球政府の政治家。元衆議院議員(沖縄社会大衆党→民社党)。
宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月… 宮里 栄輝(みやさと えいき 、1898年(明治31年)3月2日 - 1984年(昭和59年)1月10日)は、日本の政治家。沖縄県真和志市(現・那覇市)長。立法院議員。 沖縄県真和志間切(のち島尻郡真和志村→真和志市、現・那覇市)与儀に生まれる。沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を経て、熊本の第五高等学校に入るが、1年で中退する。東京の私立大学(大学名不明)に入るが、ここも中退した。その後は沖縄県立図書館に勤務する。以後は沖縄文化の研究に没頭する。1940年に図書館を退職。翌年開南中学校講師となる。1942年、小学校教師の石川初子と結婚する。1945年、熊本に疎開し、終戦を迎える。終戦後は沖縄県の疎開者の生活を守る活動をし、沖縄人連盟の九州本部の会長に選ばれ、1946年に沖縄に戻った。
当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治… 当間 重剛(とうま じゅうごう、當間 重剛、1895年(明治28年)3月25日 - 1971年(昭和46年)10月20日)は、戦前の沖縄県および琉球政府の政治家・裁判官。那覇市長・琉球政府行政主席(1956年11月11日 - 1959年11月10日)。フランス語に堪能な人物だった。 ジャーナリストで初代那覇市長だった当間重慎の息子として沖縄県那覇(現・那覇市)に生まれる。沖縄県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、1920年に京都帝国大学法学部を卒業。1939年に那覇市長に選出され、戦時中は大政翼賛会沖縄県支部長を務めた。 沖縄戦後には一転沖縄民政府行政法務部長を歴任し、1946年には戦前の市町村長経験者を市町村長に起用する米軍の特別措置に伴い再度那覇市長に就任。
徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月… 徳田 球一(とくだ きゅういち、1894年〈明治27年〉9月12日 - 1953年〈昭和28年〉10月14日)は、日本の政治運動家、共産主義者、革命家、弁護士、政治家。衆議院議員(3期)、戦前の非合法政党時代から戦後初期に至るまでの日本共産党の代表的活動家で、戦後初代の書記長を務めた。徳球の愛称で知られる。 沖縄県国頭方名護間切(現:沖縄県名護市)で、鹿児島の豪商の庶子であった父とウチナーンチュの母の間に生まれる。家は沖縄の中にあっては裕福で、「球一」の名は「琉球一の人物」になることを願って付けられた。母方の祖母は高利貸しと泥藍売りを営み、徳田もこの稼業を手伝っていたが、強欲な祖母に反発して「お金を借りてはだめだ」と借りに来た者に対して注意するなど、正義感が強い子供であった。
平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月1… 平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月18日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 沖縄県、のちの那覇市で実業家・平尾喜三郎の長男として生まれる。沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を修了した。 家業の平尾商店に勤務し、その後、同商店の経営を弟・喜治郎に委ね、ライジングサン石油沖縄県代理店、新垣・平尾自動車社長、沖縄県石油統制配給社長、沖縄県自動車整備配給社長、沖縄県製瓦販売社長、琉球新報社長、沖縄新報常務取締役、那覇商工会議所議員などを務めた。 政界では、那覇市会議員を務め、1939年、貴族院多額納税者議員選挙で当選して、同年9月29日、同議員に就任し、交友倶楽部に所属して活動し、1941年5月2日に辞職した。
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明… 伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)字北谷で、農家・伊礼昆正の三男として生まれる。沖縄県立第一中学校から第七高等学校造士館に進学し、1916年に同校理科を卒業。京都帝国大学法学部法律学科(独法)に進学し、1919年7月に卒業した。 同年に帰郷して沖縄県属となり地方課に配属。要請を受け1920年8月に北谷村長に就任。村政改革を進めたが保守勢力との対立を引き起こした。1923年11月に村長を辞して那覇に法律事務所を開設。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙に憲政会の公認を受けて沖縄県から出馬したが落選。
平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969… 平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969年7月26日)は、戦前の沖縄県の官僚で、沖縄群島政府及び琉球政府の政治家。
伊豆見 元永(いずみ もとなが、1891年(明治24年)11… 伊豆見 元永(いずみ もとなが、1891年(明治24年)11月12日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家。沖縄県首里市長。 伊豆見元功の長男として、首里山川村(現沖縄県那覇市首里山川町)に生まれる。1910年(明治43年)沖縄県立第一中学校を卒業後、沖縄県第1回の貸費生として垣花恵常と共に東亜同文書院に入学する。1913年(大正2年)3月、同院を卒業し、三井物産上海支店に勤務する。のち芝罘出張所長を経て、上海支店に戻り会計事務を担当し、1931年(昭和6年)東京本社参事室勤務となり翌年10月に退社した。上海在任中は同地の沖縄県人会長を務めた。その後、郷里にて沖縄物産販売業などに従事した。
仲井間 宗一(なかいま そういち、1891年(明治24年)3… 仲井間 宗一(なかいま そういち、1891年(明治24年)3月13日 - 1965年(昭和40年)12月2日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 名護間切名護(現名護市)で、仲井間宗宣の長男として生まれる。1911年、沖縄県立第一中学校5年に在学中に上京。苦学して日本大学専門部法律科に入学。1922年、弁護士試験に合格。 1923年に帰郷して那覇に弁護士事務所を開業した。その後、那覇弁護士会会長に就任。 1930年2月の第17回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から立憲民政党所属で出馬して当選。その後、第19回 から第21回総選挙まで連続三回の当選を果たし、衆議院議員を通算四期務めた。
仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月… 仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月23日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、沖縄県出身のジャーナリスト、政治家。後半生を沖縄の日本復帰運動に挺身し、「復帰男」「沖縄復帰の父」と呼ばれた。 首里儀保村に生まれる。1908年、沖縄県中学校を卒業し、早稲田大学英文科に入学する。大学在学中はキリスト教と文学に傾倒した。1912年、早稲田大学を卒業し、『琉球新報』記者となり、のちに『沖縄朝日新聞』を創設した。1919年に上京し、『東京日日新聞』記者となる。1921年にはアメリカ合衆国に移住し、1923年、ロサンゼルスの羅府新報社に入社し、1925年には帰国し、東京日日新聞社に再入社する。
当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月1… 当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月10日 - 1946年(昭和21年)8月24日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
志喜屋 孝信(しきや こうしん、1884年(明治17年)4月… 志喜屋 孝信(しきや こうしん、1884年(明治17年)4月19日 - 1955年1月26日)は、日本の教育者、政治家。太平洋戦争後、アメリカ統治下の沖縄で、沖縄諮詢会委員長や初代沖縄民政府知事のほか、沖縄最初の大学である琉球大学の初代学長を務めた。 沖縄県中頭郡具志川(現・うるま市宮里)出身。1904年(明治37年)、旧制沖縄県立中学校(現・沖縄県立首里高等学校)卒業。1908年(明治41年)に広島高等師範学校(現・広島大学)を卒業する。在学中、内村鑑三の著書に影響を受ける。 最初は私立金光中学校、熊本県立鹿本中学校に勤務した後、沖縄県立第二中学校に赴任する。そして1924年(大正13年)に同校の校長に就任する。
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日… 漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。衆議院議員、平沼内閣内務政務次官。最終階級は海軍少将。海軍兵学校27期卒。沖縄県出身。 大正年間に当時の皇太子(昭和天皇)の欧州遊学の際、御召艦「香取」の艦長を務めた事で知られる。退役後は地元の沖縄県から選出され、衆議院議員となった。戦前最後の沖縄県選出議員の一人である。 1877年(明治10年)、漢那憲慎・オトの長男として琉球国那覇西村(現・沖縄県那覇市西)に生まれる。先祖は福州との貿易に従事していた。 1892年(明治25年)、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校、現在の沖縄県立首里高等学校)に入学。
金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(… 金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(明治8年)11月4日 - 1967年(昭和42年)8月10日)は、沖縄県出身の医師、政治家。衆議院議員、那覇市長。
大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月1… 大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月11日(尚泰24年6月25日)- 1951年(昭和26年)11月11日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 琉球王国小禄間切宇栄原(のち沖縄県島尻郡小禄村、現那覇市小禄字宇栄原)で、屋号新屋敷・大城三郎の長男として生まれる。小禄小学校、島尻高等小学校を経て、1890年(明治23年)沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)に入学したが、3年で退学した。1896年(明治29年)長崎鎮西学館(鎮西学院)神学科沖縄支部を卒業し、伝道師としてキリスト教の布教に従事した。 1901年(明治34年)から臨時沖縄県土地整理事務局で測量に従事。