宮尾尊弘(みやお たかひろ、1943年10月17日- )は、… 宮尾尊弘(みやお たかひろ、1943年10月17日- )は、日本の経済学者、筑波大学名誉教授。 東京都生れ。1966年慶應義塾大学経済学部卒、71年同大学院博士課程満期退学。1974年マサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。68年慶大助手、1974年トロント大学助教授、1976年南カリフォルニア大学助教授、78年準教授、83年教授を経て1985年筑波大学社会工学系教授、のち名誉教授。1997年国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)教授。専門は都市経済学。
北村 歳治(きたむら としはる、1943年10月17日 - … 北村 歳治(きたむら としはる、1943年10月17日 - )は、日本の財務官僚、経済学者。早稲田大学教授などを務める。山梨県出身。 山梨県中巨摩郡鏡中條(現・南アルプス市)、酒造業北酒屋(酒銘は「若柳」、当主は代々荻衛門を襲名)の11代目として生まれる(その一族には、明治時代に北海道開拓の先駆となった北村三兄弟がいる)。元大蔵官僚、退官後は早稲田大学教授(2014年名誉教授)。この間、ウズベキスタンをはじめとする中央アジアと東南アジアに対する支援、及び、(国際会計監査問題に係る)公益監視委員会(PIOB)における国際活動。 なお、2016年春に瑞宝中綬章を授与される。 北村の教育・研究は、いずれも30年余の政府・国際機関等の実務を基盤にしている。
広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、… 広野 功(ひろの いさお、1943年10月16日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。実兄は元プロ野球選手の広野翼。 徳島商業では2年次の1960年に左翼手として甲子園に春夏連続出場し、春の選抜では2回戦で滝川高に敗退。夏の選手権では2回戦で米子東高のエース・宮本洋二郎を打ち崩すなど順調に勝ち進むが、準決勝で静岡高に敗れた。3年次の1961年夏はエースの妹尾幸一(南海)を擁し南四国大会決勝に進むが、高知商の高橋善正に抑えられ、9回裏0-1のサヨナラ負けで甲子園には届かなかった。他のチームメイトに二塁手の多田勉(広島)がいた。 高校卒業後は1962年に慶應義塾大学へ入学し、同期外野手の鈴木義信と共に東京六大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。
田中 真人(たなか まさと、1943年10月16日 - 20… 田中 真人(たなか まさと、1943年10月16日 - 2007年4月4日)は、日本史研究者。日本近代史、日本近代思想史を専攻。とくに、近代日本における社会主義や日本共産党に関する研究で知られる。文学博士。愛知県名古屋市出身。 京都大学文学部卒。同志社大学人文科学研究所の教授を務めた。初期社会主義研究会会員。平和憲法の会・京都の呼びかけ賛同人。 在職中にクロウ・フカセ症候群という難病を発症、病と闘いながらの研究生活を自身のウェブページ上にて公開。2007年4月4日15時12分、多臓器不全のため、京都市左京区の京都大学医学部附属病院にて死去。63歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小島 孝之(こじま たかゆき、1943年10月16日 - )… 小島 孝之(こじま たかゆき、1943年10月16日 - )は、中世日本文学研究者。文学博士(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文『中世説話集の研究』)。東京大学名誉教授。 東京都立川市生まれ。1972年、東京大学文学部国語国文学専修卒業、1975年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1977年、同大学大学院博士課程中退。 1975年、武蔵高等学校教諭、1977年、実践女子大学専任講師、1980年、立教大学文学部助教授、1987年同大学教授を経て、1994年、東京大学文学部教授。1999年『中世説話集の研究』で文学博士(東京大学)の学位を取得。2006年、定年退職、名誉教授。同年4月、成城大学文芸学部教授。
豊沢 有兄(とよさわ ゆうけい、1943年10月15日 - … 豊沢 有兄(とよさわ ゆうけい、1943年10月15日 - 2018年1月28日)は、日本の政治家。(旧)能代市長(1期)。 1943年に秋田県で誕生。父は旧能代市6 - 8代市長を務めた豊澤勇治。 一橋大学を中退。学習塾と保育園の経営者を歴任した。 2003年、(旧)能代市長選挙で現職の宮腰洋逸を破って、初当選を果たした。 ※当日有権者数:43,961人 最終投票率:80.37%(前回比:-pts) 4月30日に市長に就任した。在任中は、福祉に力を入れた一方、合併協議会脱退など問題を多く残した。合併に伴う(新)能代市発足のため2006年3月20日で市長を退任した。 同年、能代市が隣接する二ツ井町と新設合併したことで実施された市長選に、豊澤は無所属で立候補したが、斉藤滋宣に敗北した。
実川 幸夫(實川 幸夫、じつかわ ゆきお、1943年〈昭和1… 実川 幸夫(實川 幸夫、じつかわ ゆきお、1943年〈昭和18年〉10月14日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、運輸政務次官(第2次森内閣)、法務副大臣(第2次小泉内閣)、衆議院総務委員長、千葉県議会議員(1期)などを歴任。 千葉県印旛郡富里町(現・富里市)出身。成田高等学校を経て、1967年法政大学法学部卒業。同年山村新治郎の秘書となる。 1991年に千葉県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。1993年、任期途中で議員を辞職し自民党を離党。衆議院議員総選挙に新生党公認で立候補し初当選。その後新進党の結党に参加するも1997年に自民党に復党し、新進党を除名される。第2次森内閣で運輸政務次官、第2次小泉内閣で法務副大臣を歴任。
伊藤 亜人(いとう あびと、1943年10月14日[要出典]… 伊藤 亜人(いとう あびと、1943年10月14日[要出典] - )は、日本の文化人類学者。専門は韓国研究、農村研究、開発人類学。東京大学名誉教授。学位は修士(東京大学)。伊藤亞人とも表記。 東京都生まれ。東京都立明正高等学校、東京大学教養学部を卒業後、1970年東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年7月、同大学院博士課程を中退し教養学部助手。その後東京大学東洋文化研究所助手、教養学部教授、大学院総合文化研究科教授。その後、琉球大学大学院教授、早稲田大学アジア研究機構教授。この間、ハーバード大学客員研究員、ロンドン大学SOAS上級研究員、ソウル大学校招聘教授などを歴任。 漂泊漁民への民俗学的な関心から、東京大学では文化人類学を専攻。
冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、… 冨田 務(とみた つとむ、1943年10月14日 - )は、日本の自動車技術者。愛知県出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、東北大学大学院工学研究科修了。 トヨタ・モータースポーツ(TMG、後のトヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)会長、トヨタF1チーム代表、富士スピードウェイ代表取締役会長などを歴任した。
須藤 靖明(すどう やすあき、1943年10月14日 - 2… 須藤 靖明(すどう やすあき、1943年10月14日 - 2018年7月15日)は、日本の火山学者。東京都出身。京都大学大学院を修了し、同大学の助教授を務めた。阿蘇山について長年研究したことで知られる。2007年に退官後は阿蘇火山博物館の学術顧問を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山﨑 孝明(やまざき たかあき、1943年〈昭和18年〉10… 山﨑 孝明(やまざき たかあき、1943年〈昭和18年〉10月13日 - 2023年〈令和5年〉4月12日)は、日本の政治家。東京都江東区長(4期)、東京都議会議員(5期)、江東区議会議員(2期)、特別区長会会長を務めた。 東京都江東区南砂出身。江東区立砂町小学校入学、江東区立第四砂町小学校、江東区立第三砂町中学校、東京都立両国高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。 東京都議会議員選挙に25歳、29歳で立候補するがともに落選。日本そば店「やま孝」の経営、木場の銘木店勤務、トラック運転手、石井桂衆議院議員の秘書など様々な職業に就く。 1983年(昭和58年)、江東区議会議員に初当選。1987年(昭和62年)に再選。
濱田 政則(はまだ まさのり、1943年(昭和18年)10月… 濱田 政則(はまだ まさのり、1943年(昭和18年)10月13日 - )は、日本の土木工学者。専門は地震防災工学、地盤工学。早稲田大学名誉教授。兄弟にAIRDO創業者の浜田輝男や北海道大学教授の浜田康行がいる。 神奈川県出身。栄光学園高等学校、早稲田大学理工学部を経て、1968年に東京大学大学院工学研究科修士課程を修了する。同年に大成建設に入社したのち、1983年に東海大学海洋学部海洋土木工学科助教授に転じ、1986年から同教授、1994年から早稲田大学理工学部土木工学科教授、1996年から地域安全学会会長、2005年から日本学術会議会員。退職後早稲田大学名誉教授。ほか、中国西南交通大学名誉教授、アジア防災センターセンター長、土木学会会長、理事、副会長、創立90周年記念事業実行委員会委員長、巨大地震災害への対応特別委員会委員長などを務めた。
橋本 元一(はしもと げんいち、1943年10月13日 - … 橋本 元一(はしもと げんいち、1943年10月13日 - )は、日本の団体役員。第18代日本放送協会会長。元アジア太平洋放送連合会長。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松北高等学校、東京工業大学理工学部電子工学科卒業。1968年NHKに入局、大阪局に赴任、後に技術畑を歩み、放送の発展を陰で支えた。 2004年にNHKの不祥事が次々と発覚し、批判に晒される中での前任者海老沢勝二の辞任を受けて、2005年、NHK会長に就任。技術畑出身者としては初であり、政治部記者出身で、強権的な手法が目立った海老沢や15代会長の島桂次とは異なる、技術者らしいクリーンさ、清新さが求められた結果だった。副会長には永井多恵子が就任した。
齋藤 正樹(さいとう まさき、1943年10月13日 - 2… 齋藤 正樹(さいとう まさき、1943年10月13日 - 2013年11月2日)は、日本の外交官。駐カンボジア、ニュージーランド大使、財団法人交流協会台北事務所代表を務めた。 1943年に広島県で生まれる。広島大学附属福山高等学校、東京大学教養学部を卒業後1966年に外務省へ入省。入省同期には野上義二、浦部和好、孫崎享、大塚清一郎などがいる。外務省大臣官房領事移住部長、カンボジア特命全権大使、ニュージーランド兼サモア特命全権大使を経たのち、財団法人交流協会台北事務所代表を務めた。 しかし、2009年に台湾の国立中正大学での講演で「台湾の国際的地位は未定」と発言したことから、馬英九政権はこの発言に「中華民国の主権を否定するもの」と強く反発し、台湾外務省は齋藤代表を呼び出して厳重抗議した。
鎌田 道隆(かまだ みちたか、1943年10月13日 - )… 鎌田 道隆(かまだ みちたか、1943年10月13日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史。博士(文学)。奈良大学学長・名誉教授。 鹿児島県屋久島(屋久島町楠川)生まれ。1962年3月、鹿児島県立屋久島高等学校卒業。1966年3月、立命館大学文学部史学科日本史専攻卒業、1969年3月、同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了(文学修士取得)。2001年、立命館大学より博士(文学)授与。 1980年4月に奈良大学文学部助教授に就任し、1988年に教授に昇任。同大学の図書館長(1994年)、文学部長(1997年)、学長(2002年)を歴任。2011年同大学退任。平城遷都1300年記念事業協会評議員。
渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )… 渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )は、埼玉県出身の元アナウンサー。 東京都北区立富士見中学、法政大学第一高等学校、法政大学経済学部卒業。ラジオ大阪(旧社名・大阪放送株式会社)にアナウンサーとして入社。主にスポーツ・ニュース部門を担当。 ハワイ日本語放送局KZOOに日本語アナウンサーとして派遣される。1994年(平成6年)、ラジオ大阪を退社。 元京都光華女子大非常勤講師。 株式会社「フェーム」ならびにフェーム・コミュニケーションアカデミーを設立。 話し方教室「渡辺剛夫のスピーチセミナー」、朗読教室「フェーム・朗読教室」を主宰。 その後、リタイアして兵庫県丹波篠山市に移住、現在、地区老人クラブで会長職などを務めている。
野田 侃生(のだ ただお、1943年(昭和18年)10月12… 野田 侃生(のだ ただお、1943年(昭和18年)10月12日)は、日本の政治家、実業家。元大分県国東市長(1期)。 大分県出身。慶應義塾大学商学部卒業。大学時代は柔道部に所属していた。 1971年、国東物産を創業。 2007年1月21日、国東市長の照山俊一が収賄容疑で逮捕される。照山の辞職に伴い2007年に行われた国東市長選挙に出馬。前市助役の森正二を破り初当選。 2011年に行われた国東市長選挙に出馬したが、新人の三河明史に破れ落選した。
穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )… 穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、写真家、登山家。名字の「穂高」はペンネームであり、本名は非公開。 広島県大崎上島町出身、中央大学経済学部卒業。 日本ペンクラブ広報委員会・会報委員会、電子文藝館の各委員。 日本文藝協会、日本山岳会、日本写真協会に所属。 読売・日本テレビ文化センター、朝日カルチャーセンター、目黒学園カルチャースクールなどで、「文学賞を目指す小説講座」、「エッセイ教室」、「フォト・エッセイ」の講師を務める。 東京都葛飾区在住。かつしか区民大学では、「区民記者講座」の講師も務める。 作家・吉岡忍、伊藤桂一、小中陽太郎、出久根達郎、高橋千劔破、新津きよみ、山名美和子、ジャーナリスト・轡田隆史、大原雄、吉澤一成、井出勉、相澤与剛、文藝評論家・清原康正らと交流を持つ。
近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1943年10月12日 - … 近藤 勝彦(こんどう かつひこ、1943年10月12日 - )は、東京都出身の日本のキリスト教神学者、学校法人東京神学大学理事長、日本基督教団銀座教会 協力牧師。 東京都出身。1966年、東京大学文学部哲学科卒業。1970年、東京神学大学大学院修士課程修了。ドイツに留学しチュービンゲン大学で神学博士を授与された。 帰国後、東京神学大学教授、同学長などを務める。2020年4月、学校法人東京神学大学理事長に就任(現職)。 他に、東京神学大学名誉教授。日本基督教団銀座教会協力牧師。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日… 伊佐 功(いさ いさお、1943年10月12日 - )は、日本の技術者、実業家。日本カーリット株式会社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本保安炎筒工業会会長などを務めた。電気化学協会棚橋賞受賞。 1967年北海道大学理学部化学科卒業。1972年日本カーリット入社。1990年チップ形アルミニウム固体電解コンデンサの開発により電気化学協会棚橋賞受賞。日本カーリット中央研究所主任研究員等を経て、1992年日本カーリットファインケミカル部長。1996年日本カーリット取締役機能材料部長。2000年日本カーリット常務取締役電子材料事業本部長。2004年日本カーリット専務取締役研究開発本部長兼電子材料事業本部長。
新谷 眞人(あらや まさと、1943年10月12日 - 20… 新谷 眞人(あらや まさと、1943年10月12日 - 2020年8月23日)は、日本の構造設計者。早稲田大学名誉教授。 伊東豊雄・隈研吾・原広司など、著名な建築家の構造設計を数多く担当。松井源吾賞・日本建築学会賞作品賞などの受賞歴を持つ。
高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10… 高橋 正弘(たかはし まさひろ、1943年〈昭和18年〉10月10日 - 1996年〈平成8年〉8月12日)は、日本のサッカー指導者。北海道の室蘭大谷高等学校(後の北海道大谷室蘭高等学校)のサッカー部の初代監督。雪国の壁を乗り越え、サッカー無名校であった室蘭大谷を日本全国準優勝にまで導き、北海道サッカー界と全国高校サッカーの技術向上に貢献した。教え子にはプロサッカー選手やサッカー指導者の道に進んだ野田知、財前恵一、三浦雅之、交通事故のためにプロサッカーから車いすバスケットボールに転向した京谷和幸らがいる。北海道室蘭市西小路町出身、国士舘大学卒業。 高橋家の長男として誕生。喧嘩ばかりのやんちゃ坊主として育った。
冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - … 冨士井 金雪(ふじい かねゆき、1943年10月10日 - 1990年6月13日)は、三重県度会郡二見町(現・伊勢市)出身の元ボクサー、ボクシング指導者、高校野球指導者。 中学卒業後に神鋼電機に勤めながら定時制の伊勢実業高等学校(現・三重県立伊勢まなび高等学校)に通ったが、2年の時に中退し、名古屋市のボクシングジムに入る。だが、わずか2年で伊勢実業に復学し6年かけて高校を卒業した。その後、国士舘大学に進み、元来はボクシング選手であるにもかかわらず陸上競技部にも在籍した。 26歳で大学を卒業後、三重県内の小学校や中学校で教員経験を積み、1974年、三重県内でボクシング部のあった三重県立明野高等学校のボクシング部監督に就任。
奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日… 奥 浩平(おく こうへい、1943年〈昭和18年〉10月9日 - 1965年〈昭和40年〉3月6日)は、日本の学生運動家。遺稿集『青春の墓標』で知られる。 1943年10月9日、東京都に4人兄弟(姉1人、兄2人)の末っ子として生まれる。世田谷区立守山小学校(現:世田谷区立下北沢小学校)、目黒区立第六中学校(現:目黒区立目黒中央中学校)を卒業。1959年4月、東京都立青山高等学校に入学。高校2年時の1960年6月、樺美智子の死に触発されて安保闘争に参加する。 1962年3月、都立青山高校を卒業。1年間の浪人生活ののち、1963年4月、横浜市立大学文理学部に入学。史学研究部やマルクス主義研究会でのクラブ活動を経て、同年7月に中核派に加盟し、原潜寄港阻止闘争や日韓会談反対闘争などに参加する。
多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島… 多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
西口 泰夫(にしぐち やすお、1943年10月9日 - )は… 西口 泰夫(にしぐち やすお、1943年10月9日 - )は、日本の実業家。京セラ社長、会長、CEOを歴任。 大阪府堺市出身。1972年、大阪教育大学大学院修士課程-(物性物理)修了、日本計算器を経て、1975年、京都セラミツク(現京セラ)に。1987年取締役。常務を経て、1992年代表取締役専務、1997年代表取締役副社長を経て1999年6月、代表取締役社長。2000年京セラミタ株式会社代表取締役会長、2001年京セラコミュニケーションシステム株式会社代表取締役会長、株式会社タイトー取締役会長。2003年京セラ代表取締役社長兼執行役員社長、京セラキンセキ株式会社取締役会長、2005年6月、京セラ代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)。
室田 武(むろた たけし、1943年〈昭和18年〉10月8日… 室田 武(むろた たけし、1943年〈昭和18年〉10月8日 - 2019年〈令和元年〉5月8日)は、日本の経済学者・エコロジスト。同志社大学名誉教授。一橋大学教授・同志社大学教授を歴任。専門は理論経済学。 はじめエントロピー理論を研究し、栗本慎一郎に称賛されたが、その後反原発運動に加わり、エコロジストとして活動し、コモンズ理論を唱えていた。
金子 雅臣(かねこ まさおみ、1943年10月8日 - )は… 金子 雅臣(かねこ まさおみ、1943年10月8日 - )は、労働ジャーナリスト。 新潟県出身。静岡大学文理学部卒業後、東京都庁入庁。東京都職員として労働相談を担当するかたわら、豊富な経験を生かして労働問題を扱う社会派のルポライターとして活躍した。日本の「ホームレス」「パワーハラスメント」問題を提起し、東京都の設置した「セクハラ相談窓口」での経験をもとに、セクシャルハラスメントの解決にも取り組む。 著書に、『裁かれる男たち—告発の行方』(明石書店)、『ホームレスになった-大都会を漂う』(ちくま文庫)、『パワーハラスメント何でも相談』(日本評論社)、『労働相談(裏)現場レポート』(築地書館)、『職場のモンスター』(マイコミ新書)などがある。
畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - … 畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会」」(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)の代表を務めた。 中国・上海に生まれる。父親は会社員だったが、第二次世界大戦終戦後、故郷の舞根()(宮城県唐桑町)へ戻り牡蠣養殖を始めた。周辺に子供が少なく、重篤は海川でハゼ釣りや小エビ捕り、山でキジを追う少年時代を送った。1962年、宮城県気仙沼水産高等学校卒業。家業である牡蠣養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて、宮城県では初めて帆立の養殖に成功した。 日本は高度経済成長期を迎えていた1964年頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて赤潮が発生するようになり、それに染まって売り物にならない「血ガキ」が相次ぎ、廃業する漁師が続出するようになった。
明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日… 明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。田中プロモーションに所属していた。 高校卒業後に俳優を目指して上京。1965年、劇団世代に入団。 1969年、新藤兼人監督による松竹映画『かげろう』に出演。 1970年に同じく新藤によるテレビ映画『愛妻物語』(東京12チャンネル)の主役に抜擢されたことがきっかけで注目され、同年の花王 愛の劇場『波の塔』(TBS)で、桜町弘子演じるヒロインの相手役で出演。当時の紹介記事では「ごまかしの利かない性格なので、ドラマの中で愛の告白をするのは気が重いです」と述べている。 以後、1974年の昼ドラ『君待てども』(東海テレビ)で、三浦真弓演じるヒロインの従兄弟である伊吹武夫役でレギュラー出演するなど、テレビドラマを中心に活動した。
三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は… 三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。
大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - … 大石 弥太郎(おおいし やたろう、1943年10月6日 - )は、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
山口三十四(やまぐち みとし、1943年10月6日 - )は… 山口三十四(やまぐち みとし、1943年10月6日 - )は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授。 京都府生まれ。1967年京都大学農学部農林経済学科卒業、1969年同大学院農学研究科修士課程修了、1973年ミネソタ大学大学院農業応用経済学科博士課程修了 (Ph.D.)、1983年「日本経済の成長会計分析 人口・農業・経済発展」で神戸大学経済学博士。 1973年神戸大学経済学部講師、1975年助教授、1985年教授となり、2007年定年退職、名誉教授、尾道大学経済情報学部教授を務め、2009年退職。1983年『日本経済の成長会計分析』で日経・経済図書文化賞受賞。
今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 201… 今野 雄二(こんの ゆうじ、1943年10月5日 - 2010年7月27日)は、日本の映画・音楽評論家、翻訳家、小説家。 北海道室蘭市生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業後、平凡出版(後のマガジンハウス)に入社。『平凡パンチ』『an・an』編集部を経て、評論家として独立。音楽評論家としては、ミッシェル・ポルナレフ、ロキシーミュージック、10ccなど、多数のレコードのライナーノーツを担当した。 日本テレビの深夜番組『11PM』に出演して映画紹介や流行のサブカルを紹介するコーナーを受け持ち、司会の愛川欽也から「コンちゃん」と呼ばれ、そのニックネームで知られるようになった。 1970年代にはその他に当時の若者向け番組『リブ・ヤング!』や『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』などに司会者として出演した。
青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、… 青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、日本の地方公務員、政治学者。東京都出身。東京都人事委員会委員長。元東京都副知事、元東京都住宅供給公社理事長。博士(政治学)、明治大学名誉教授。ペンネームは郷 仙太郎(ごう せんたろう)。
杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月… 杉田 成道(すぎた しげみち、1943年〈昭和18年〉10月5日 - )は、日本の演出家、映画監督。フジテレビ役員待遇エグゼクティブディレクター、日本映画放送社長を務めた。 『北の国から』シリーズなどの演出家として知られる。日本映画テレビプロデューサー協会会長(2003年 - 2015年)。 「すぎた せいどう」と呼ぶ者もある。 愛知県豊橋市新本町 で3人兄弟の末っ子として出生。生家は江戸時代から300年続く老舗の酒問屋。成道という名は、父と親交のあった陸軍大将の宇垣一成から1字をとって名付けられた。兄はピアニストの杉田谷道。 1962年(昭和37年)愛知県立時習館高等学校を卒業し、慶應義塾大学文学部へ進学。
岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )… 岡本 芳郎(おかもと よしろう、1943年10月5日 - )は、日本の農水官僚、政治家。学位は博士(農学)(東京大学・1997年)。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)。 徳島県徳島市出身。徳島県立城南高等学校を経て、東京大学農学部農業工学科にて農学を修め農業工学科、1967年に卒業した。 大学卒業後、農林省に入省。徳島県庁耕地課長などを歴任し、1996年より農林水産省構造改善局次長を務めた。 2000年、第42回衆議院議員総選挙に徳島1区から出馬するも、仙谷由人に敗れた。2003年、第43回衆議院議員総選挙に比例四国ブロックより立候補し初当選。自由民主党内では平成研究会に所属した。2005年9月、第44回衆議院議員総選挙に出馬し、徳島1区で再び仙谷に敗れるも、比例四国ブロックで復活当選。
藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - … 藤本 蓮風(ふじもと れんぷう、 1943年10月5日 - )は、日本の鍼灸師。一般社団法人北辰会会長・日本伝統鍼灸学会の顧問・株式会社 藤本漢祥院 院長。 1965年 関西鍼灸柔整専門学校を卒業。鍼灸資格を取得。大阪府堺市にて独立。藤本漢祥院 開業。 1968年 大阪市立大学、医学部解剖学教室助教授藤原知博士に学問的薫陶を受けるとともに、東洋医学の研究会「大阪経絡学説研究会」の代表幹事となる。 1976年 「われわれの診断法」(東方会の「鍼灸医学」)の論文を掲載。 1978年~1986年開業するかたわら母校関西鍼灸柔整専門学校の講師となる 新中国の中医学を理論的基礎とし、そこに日本古来の鍼灸法の優れた点を融合させた治療を実践する。
箕浦 輝幸(みのうら てるゆき、1943年10月5日 - )… 箕浦 輝幸(みのうら てるゆき、1943年10月5日 - )は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。 兵庫県出身。六甲高等学校を経て、1967年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。 2003年に専務に就任し、2004年にダイハツ工業副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。2010年にはトヨタ紡織会長に就任。 2012年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
弓場 季彦(ゆば すえひこ、1943年10月5日 - )は奈… 弓場 季彦(ゆば すえひこ、1943年10月5日 - )は奈良テレビ放送(TVN)の前社長、奈良県吉野郡十津川村にある玉置神社の元宮司。 単行本(すべて2007年、奈良テレビ放送発行)
河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )… 河野 義博(かわの よしひろ、1943年10月4日 - )は、日本の元スピードスケート選手。北海道中川郡本別町出身。同町出身者として初のオリンピック代表選手である。名字の読みは「こうの」ではなく「かわの」である。 1962年、北海道帯広三条高等学校を卒業。立教大学に進学し、卒業後は実業団のSSSスケート(長野)に入った。現役引退後、1年間の会社員生活を経て本別町教育委員会に勤務。2000年から2003年の間本別町教育長を務めた。 大学2年時の1964年インスブルックオリンピックに出場、5000m26位、10000m32位だった。
横尾 広光(よこお ひろみつ、 1943年10月4日 - 2… 横尾 広光(よこお ひろみつ、 1943年10月4日 - 2013年10月30日)は、日本の天文学者、科学史・宇宙文明論研究家。兄は同じく天文学者で大阪教育大学名誉教授の横尾武夫。 大阪府池田市出身。大阪府立池田高等学校を経て、1967年に大阪大学理学部物理学科を卒業、東京大学大学院理学系研究科天文学専門課程修士課程に入学し修了、理学修士の学位を取得。1974年から杏林大学医学部物理学教室に勤務。70年代から天体物理学の歴史と地球外文明・SETIに興味を抱いて、研究会・学会で斬新なアイデアと研究を活発に発表した。大腸菌に感染するウイルスの遺伝子に異星人からのメッセージが隠されている可能性を論じた論文は、賛否両論の末に国際学術誌Icarusに掲載された。
竹花 光範(たけはな みつのり、1943年10月4日 - 2… 竹花 光範(たけはな みつのり、1943年10月4日 - 2008年2月12日)は、日本の法学者。駒澤大学法学部教授。専門は憲法。長野県佐久市出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学院政治学研究科修了。大西邦敏に師事する。 駒澤大学副学長を歴任(2002年4月-2006年3月)。第9代憲法学会理事長。 同僚の西修と並び、改憲派の急先鋒として知られた。 2月12日午前9時45分、急性呼吸不全のため東京都内の自宅で死去。64歳。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は… 山本 耀司(やまもと ようじ、1943年10月3日 - )は、日本のファッションデザイナー。ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)の名でプレタポルテ(高級既製服)ブランドを展開している。 長女の山本里美(英: Limi Feu )(りみ)も、自身のブランド「LIMI feu」(リミフゥ)のデザイナー。ヨウジヤマモトグループである。 歌舞伎町で百貨店に総菜を卸す会社を経営する父・山本文雄と、その経理や事務作業を手伝っていた母・山本冨美の長男として東京都新宿区に生まれた。父がルソン島で戦死した後、母は歌舞伎町でオーダーメイドの洋装店(フミ洋装店)を営んでいた(母も文化服装学院出身)。 歌舞伎町の風紀の悪さを密かに心配していた茨城県水戸市に住む叔母(母の妹)の勧めで、新宿区立大久保小学校から暁星小学校に編入(小6)。
長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月… 長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 法務大臣(第77代)、内閣官房副長官(第3次小泉改造内閣)、法務副大臣(第2次森改造内閣)等を歴任。富山県魚津市名誉市民。 富山県魚津市石垣に生まれ、小学校入学時に父親の仕事の関係で富山市在住となった。富山市立柳町小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東大法学部第3類(政治コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。 1966年、労働省(現、厚生労働省)に入省する。1986年6月、労政局労働法規課長。
藤崎 照彦(ふじさき てるひこ、1943年10月3日 - )… 藤崎 照彦(ふじさき てるひこ、1943年10月3日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。所属事務所はキャラ。北海道出身。
与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、… 与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、… 前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家、歴史研究者。静岡県立大学名誉教授、立教大学社会学部講師。株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 慶應義塾大学経済学部に入学。1969年4月、毎日新聞社に入社。1993年4月に静岡県立大学国際関係学部教授に就任。1995年からは大学院国際関係学研究科教授兼務。2009年3月に定年退官。2009年、現在は首都圏を拠点に活動を行うジャーナリスト、ノンフィクション作家である。 1943年10月、岡山県岡山市生。1962年3月、岡山県立岡山操山高校卒、1963年4月、慶應義塾大学経済学部に入学 1969年(昭和44年)3月卒業後、毎日新聞社に入社。
守屋 毅(もりや たけし 1943年10月2日 - 1991… 守屋 毅(もりや たけし 1943年10月2日 - 1991年2月4日)は日本の歴史学者。専攻は日本文化史(主に中世・近世)。元国立民族学博物館教授。文学博士(筑波大学、1985年)(学位論文「近世芸能興行史の研究」)。
西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本… 西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本名:山田 祥子)は、日本の漫画家。高知県高知市生まれ。高卒後、長期の漫画家の後で中央大学法学部法律学科卒業。代表作に『マリイ・ルウ』『レモンとサクランボ』『ジェシカの世界』『花びら日記』など。 昭和40年代前半、少女漫画が週刊誌時代を迎える中で、青春ラブコメ、学園もの、等身大の少女を描き出し、ジャンルを広げるエポックメーキングな作品を多数発表した。 世代的には、水野英子などのトキワ荘世代・女流草分け世代の後、昭和40年代少女雑誌のマンガスクール世代の前にはさまる。 学園漫画の開拓者と見られ、また自認もしている。恋愛要素の強い学園ものの始まりともいわれるが、学園を場とする同世代群像、また世界を意識的に考える少女の姿、子どもから大人への成長途上の自覚、を持ち込んだことも大きな特徴である。