鈴置 保雄(すずおき やすお、1950年5月26日 - )は… 鈴置 保雄(すずおき やすお、1950年5月26日 - )は工学者。名古屋大学大学院工学研究科長・工学部長や、エネルギー・資源学会会長を務めた。電気絶縁材料の物性、劣化診断や新エネルギーの有効利用、エネルギーシステムに関する研究を行う。 東海高等学校卒。名古屋大学工学部電気学科卒業。同大学院工学研究科博士課程修了。工学博士(名古屋大学)取得。名古屋大学工学部助手、助教授を経て1995年から名古屋大学工学部教授。2010年に工学研究科長・工学部長に就任。日本素材物性学会山崎賞、電気学会電気学術振興賞論文賞受賞。 2015年エネルギー・資源学会会長。2016年に名古屋大学定年退職後、愛知工業大学教授、中部生産性本部副会長、日本学術会議会員。
小林 高行(こばやし たかゆき、1950年5月26日 - )… 小林 高行(こばやし たかゆき、1950年5月26日 - )は、日本の実業家、東武宇都宮百貨店社長。栃木県経済同友会幹事。 1973年に、専修大学商学部を卒業して、東武宇都宮百貨店に入社し、2003年に取締役に昇格した。2004年から2009年まで東武百貨店に出向し、東武宇都宮百貨店に戻ってからは、取締役として大田原店長、本店長、常務取締役営業本部長兼本店長を経て、2013年に代表取締役社長となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
友部 正人(ともべ まさと、1950年5月25日 - )は、… 友部 正人(ともべ まさと、1950年5月25日 - )は、日本のフォークシンガー、詩人。本名 小野正人。 青森県出身の父の子として東京都下の吉祥寺に生まれ、各地を転々として育つ。愛知県立熱田高等学校時代から友人らとビートルズのコピーバンドで(ギターが得意でなかったため)ベースなどを担当する。その後、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聴き、衝撃を受けソングライティングにのめり込むようになる。ウッディ・ガスリー、レッドベリーらが汽車の中で人々の感情を歌うスタイルを日本でやりたいと思い、高校卒業と同時に家を飛び出し、路上で歌い始める。やがて学生運動に参加し火炎瓶を投げ、鑑別所に入れられてしまう。
清水 雅文(しみず まさふみ、1950年5月25日 - )は… 清水 雅文(しみず まさふみ、1950年5月25日 - )は日本の政治家。勲等は旭日双光章。元愛媛県南宇和郡愛南町長(4期)。 無所属。家業は真珠母貝養殖業。趣味は柔道、空手など格闘技系スポーツ。
外池 徹(とのいけ とおる、1950年5月25日 - )は日… 外池 徹(とのいけ とおる、1950年5月25日 - )は日本の実業家。アフラック元日本における代表者・社長。
池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 201… 池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 2012年11月24日)は、京都府出身の野球選手(投手)、指導者。 繋駕速歩の騎手である池田三郎を父に持つ。 平安高校では甲子園に4回出場した。1966年、1年の時に、3年生エース門野利治の控えとして夏の選手権に出場。準々決勝に進むが報徳学園に敗退。この大会では2試合にリリーフとして登板。2年からエースとなり、1967年の春の選抜に出場。2回戦で新居浜商に敗れる。同年夏は京滋大会決勝で守山高に敗退、甲子園出場を逸する。1年上のチームメートに四番打者の江島巧中堅手がいた。 翌1968年春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ敗退、同年夏の選手権にも出場するが、1回戦でまたも大宮工に9回逆転負けした。
本間 隆(ほんま たかし、1950年5月24日 - 2023… 本間 隆(ほんま たかし、1950年5月24日 - 2023年4月24日)は、日本のチューバ奏者。 東京音楽大学チューバ科を卒業後、東京バリチューバアンサンブル、東京ブラスソサエティで活動した。また、高校吹奏楽部や市民バンドの指揮指導、聖徳大学講師として後進の指導をおこなった。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
蒲原 正義(かもはら まさよし、1950年〈昭和25年〉5月… 蒲原 正義(かもはら まさよし、1950年〈昭和25年〉5月24日 - )は、日本の外交官、法務官僚。2013年(平成25年)8月30日からカザフスタン駐箚特命全権大使。 東京都出身。父・蒲原大輔は、札幌高等検察庁検事長などを務めた検察官。1974年(昭和49年)東北大学法学部在学中に外務公務員採用上級試験に合格する。池上政幸元最高裁判所判事は教養部時代のクラスの同級生。1975年(昭和50年)東北大を卒業して、外務省に入省する。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
永山 文雄(ながやま ふみお、1950年5月23日 - 20… 永山 文雄(ながやま ふみお、1950年5月23日 - 2017年5月31日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。 富山県高岡市生まれ。1974年、中央大学経済学部卒業。病院職員などを経て、1990年、自由民主党富山県連事務局次長。2002年、県連事務局長。 2012年、第46回衆議院議員総選挙に自民党から比例北陸信越ブロック(単独21位)で立候補し初当選した。 2014年、第47回衆議院議員総選挙では比例名簿から外れ、立候補しなかった。 2017年5月31日、肺炎のため富山市の病院で死去。67歳没。
足利 道夫(あしかが みちお、1950年5月22日 - )は… 足利 道夫(あしかが みちお、1950年5月22日 - )は、日本の元サッカー選手。秋田県河辺郡(現秋田市河辺)出身。 三菱重工などに所属し、日本代表としてもミュンヘンオリンピック予選など、国際Aマッチ7試合に出場した。
珠 めぐみ(たま めぐみ、1950年5月22日 - 2013… 珠 めぐみ(たま めぐみ、1950年5月22日 - 2013年8月23日)は、日本の女優、歌手。 東京都新宿区出身。生前は松竹、東京俳優生活協同組合、蛭川企画に所属していた。東京都立鷺宮高等学校卒業。姪はタレントの小川菜摘。 六人兄弟の末っ子として育つが、小学校一年の時に父を病気でなくす。高校在学中よりテレビドラマなどに出演。中学三年の夏頃、フジテレビの見学に行って放送作家の寺田信義の目に止まり、寺田が脚本した1964年の『中之島ニッポン』(TBS)でテレビ初出演。その時の役名・珠子から芸名がつけられた。「めぐみ」は恵まれるようにと名づけられた。 デビュー当初の円谷プロ作品『ウルトラQ』の第20話「海底原人ラゴン」では、周囲の人々が躊躇する中、怯えながらも意を決して海底原人の赤ん坊をラゴンに渡し終えてから気絶してしまうという難しい役を演じた。
中村 滋延(なかむら しげのぶ、1950年5月22日 - )… 中村 滋延(なかむら しげのぶ、1950年5月22日 - )は、日本の作曲家、メディア・アーティスト。九州大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。同志社高等学校を卒業後、愛知県立芸術大学音楽学部作曲科で石井歓に、ドイツのミュンヘン国立音楽大学作曲科でヴォルフガング・キルマイヤーに師事。1977年に愛知県立芸術大学大学院修了。 現代音楽の作曲家として、「交響曲第1番アニマ」など5曲の交響曲、「弦楽器群のためのモルゲン」などのオーケストラ、室内楽、「ピアノのためのMei-An」などの器楽曲と多くの分野で、100以上の作品がある。ガウデアムス音楽週間内若手作曲家対象国際コンクール佳作など、国際コンクールでの受賞歴・入賞歴多数。
右城 猛(うしろ たけし、1950年〈昭和25年〉5月22日… 右城 猛(うしろ たけし、1950年〈昭和25年〉5月22日 - )は日本の工学博士。高知県長岡郡本山町古田出身。第一コンサルタンツの代表取締役社長を務める。 高知県立高知工業高等学校土木科、徳島大学工業短期大学部土木工学科卒業。右城の最終学歴は短期大学卒業であるが、その研究が認められ1997年(平成9年)10月31日に愛媛大学より工学博士の学位を受けた。 擁壁の土圧計算法には様々なものがあるが、複雑な形状の背面土圧は試行くさび法で求めるのが一般的である。しかしその試行くさび法を逆T型擁壁やL型擁壁に当てはめると矛盾が生じるとして、右城は1991年(平成3年)に自らが改良した試行くさび法に「改良試行くさび法」と名付けて発表した。
傳野 隆一(でんの りゅういち、1950年5月22日 - )… 傳野 隆一(でんの りゅういち、1950年5月22日 - )は、日本の医師・医学者。医学博士(札幌医科大学)。札幌医科大学名誉教授。北海道雄武町出身。 1978年3月、札幌医科大学医学部卒業。1982年3月、札幌医科大学大学院医学研究科博士課程修了。 1983年4月、札幌医科大学外科学第一講座助手。1985年10月、北海道立江差病院外科医長。1988年1月、東札幌病院外科医長。1995年4月、札幌医科大学外科学第一講座専任講師。1997年9月、札幌医科大学外科学第一講座助教授。2000年4月、札幌医科大学保健医療学部看護学科教授。その後、札幌医科大学医療人育成センター長に就任。2014年3月、札幌医科大学定年退官。
半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )… 半沢 正利(はんざわ まさとし、1950年5月21日 - )は、日本の原子力技術者、実業家、工学博士。三菱アルミニウム代表取締役社長や、日本アルミニウム協会副会長を務めた。 福島県福島市上鳥渡生まれ。福島県立福島高等学校を経て、東京工業大学工学部機械物理工学科卒業後、1979年東京工業大学大学院理工学研究科原子力核工学専攻博士課程修了、「低密度気体の超音速ディフューザーに関する研究」で工学博士。 1980年東京工業大学原子炉工学研究所助手。1983年三菱金属(現三菱マテリアル)入社。原子力関連の事業に携わり、六ヶ所再処理工場プロジェクトのプロジェクトマネージャなども務めた。2007年執行役員。2009年常務執行役員。
三上 たつ次(みかみ たつじ、1950年5月21日 - )は… 三上 たつ次(みかみ たつじ、1950年5月21日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 東京学芸大学教育学部附属高等学校を経て立教大学卒業後、1974年入局。一旦2度目の福岡局勤務でアナウンスの現場を離れたものの、北九州局へ異動しアナウンスの現場に戻った。2010年、新人の配属と同じタイミングで60歳定年を迎えたため、嘱託職に移行し、新人・若手の指導やバックアップの要員に回った。 NHKアナウンスルームの旧サイト(現在は削除)に記載されていた内容によると、佐賀は夫人と出会った場であるという。その影響もあってか、アナウンサー生活の大半を九州北部と山口県で送っている。
池内 守厚(いけうち もりあつ、1950年5月21日 - )… 池内 守厚(いけうち もりあつ、1950年5月21日 - )は、日本の経営学者、関東学院大学教授。 高知県生まれ。駒澤大学大学院修士課程修了。 1978年同大学院博士課程単位取得。1979年日本経済短期大学(現亜細亜大学短期大学部)助手、講師、1984年助教授。1993年8月から1994年7月末まで台湾・東海大学工学院工業工程学系客座副教授、「日本式管理」担当。 1986年関東学院大学経済学部経営学科助教授を経て、1996年教授となる。同大学大学院経済学研究科経営学専攻教授。工業経営研究学会2004年学会賞受賞。
岡田 由紀子(おかだ ゆきこ、1950年5月20日 - )は… 岡田 由紀子(おかだ ゆきこ、1950年5月20日 - )は、主に1960年代〜1990年代に活動していた日本の元女優。 東京都杉並区出身。3人兄弟の末っ子(姉と兄がいる)。父親は企業経営者。5歳の時に劇団若草に入って芸能界入り、子役から活動。その後東映児童研修所に移って学ぶ 。 東京都立荻窪高等学校卒業、東京富士大学短期大学部企業経営科卒業。短大在学中に出演したテレビドラマ『セブンティーン -17才-』(日本テレビ、東映)で初主演。なお、一時期「岡田由起子」の名前で出演していたこともある。 身長は154cm(1970年当時)。なお、1967年4月2日生まれの同姓同名の女優(、)とは別人である。
毛利 蔵人(もうり くろうど、1950年5月20日 - 19… 毛利 蔵人(もうり くろうど、1950年5月20日 - 1997年1月13日)は日本の作曲家。出生名は平井祥治。 兵庫県芦屋市に生まれる。生後1歳足らずで両親が離婚し養子に出されたが、大学受験で戸籍謄本を取り寄せるまでその事実を知らなかった。中学生の頃より独学でピアノと作曲を始めた。都立西高校に入学し、弦楽合奏クラブに入部。2~3ヶ月の独習でヴィオラやチェロを弾くようになる。同時に作曲への志向が強まった。京都大学受験に失敗し、高校卒業後は浪人生活に入ったものの、出生の事実を知ったことや受験失敗などの不運から精神を病んで入院し、結局進学することを諦めた。初め別宮貞雄に手紙を書いて作曲の教えを乞うも、別宮の提示した月謝を払えず断念し、次いで桐朋学園大学教授三善晃に月謝を払えぬことを予め詫びた上で教えを願い、三善からの紹介で桐朋学園大学図書館に勤めながら、1971年から翌年にかけて5、6回、三善晃の許で、習作の講評を受けつつオーケストレーションを学んだ。
福山 庸治(ふくやま ようじ、1950年5月20日 - )は… 福山 庸治(ふくやま ようじ、1950年5月20日 - )は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。東京学芸大学教育学部卒業。 1970年、『漫画アクション』(双葉社)に掲載の『納屋の中』でデビューした。代表作は『マドモアゼル モーツァルト』。 1993年から『週刊ダイヤモンド』に連載された『F氏的日常』で2001年12月、第5回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞する。 2000年代には日本工学院専門学校のマンガ・アニメーション科マンガコースにて講師を勤めていた。
茶木 みやこ(ちゃき みやこ、1950年(昭和25年)5月2… 茶木 みやこ(ちゃき みやこ、1950年(昭和25年)5月20日 - )は、日本の歌手。京都府京都市中京区生まれ。 1970年、フォークデュオグループ ″ピンク・ピクルス″ を結成。1972年に解散する。 1973年4月20日、「雪の朝に」でソロデビュー。1978年まで活動していたが、結婚を機に音楽活動からは離れる。 1994年より再始動。2019年現在もライヴ活動を中心に活動する。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
猪狩 元秀(いがり げんしゅう、1950年5月19日 - )… 猪狩 元秀(いがり げんしゅう、1950年5月19日 - )は、特定非営利活動法人日本拳法協会理事長・同協会主席師範。日本拳法九段。日本大学文理学部社会学科卒。元キックボクシングWKAミドル級王者。日本王者を二階級制覇。元・K-1レフェリー。 日本大学在学中に日本拳法部で活躍。プロのキックボクシングに転向。日本拳法をベースとした重いストレートパンチはマッハパンチと呼ばれ、ムエタイ統一王者サタンファー・ソープラティープをルンピニー・スタジアムでKOするなど、3人のムエタイの現役王者をKOで下している。キックボクシング国内タイトルを二階級制覇、WKAミドル級タイトルを獲得して活躍した。 初代タイガーマスク(佐山聡)が人気絶頂の頃、異種格闘技戦が企画され、対戦相手として猪狩がリストアップされたことがある。
嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉5月18… 嘉田 由紀子(かだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉5月18日 - )は、日本の政治家、農学者、環境社会学者、文化人類学者。日本維新の会所属の参議院議員(2期)。 滋賀県知事(第8代)、日本未来の党代表、地域政党チームしが代表、びわこ成蹊スポーツ大学学長、教育無償化を実現する会副代表などを歴任。 埼玉県本庄市の養蚕農家に、3兄妹の末っ子として生まれる。父親の渡辺康雄は本庄市議会議員も務めた人物で、父が8人兄弟の長男であったことから、3世代13人の大家族で暮らす。嫁ぎ先でこき使われ結核を患った母の姿を見て、「女性がなぜ苦しい思いをするのか」との思いから学問を志す。 今西錦司や梅棹忠夫の本でアフリカ研究に憧れを抱くようになり、埼玉県立熊谷女子高等学校卒業後、京都大学農学部へ進学。
青木 基正(あおき もとまさ、1950年5月18日 - )は… 青木 基正(あおき もとまさ、1950年5月18日 - )は、宮城県出身のプロゴルファー。 東京都立昭和高等学校出身。 12歳からゴルフを始め、1977年にプロ入りする。 青木功と同姓、姿も似ていることから「影武者」と言われ、1982年のフジサンケイクラシックの練習日には青木功から色々と教わった。 1982年の関東プロでは2日目に65をマークして一気に謝敏男(中華民国)の2位に浮上し、3日目には6バーディー、1ボギーの5アンダー67のベストスコアで、68で上がった新井規矩雄に3打差を付け、通算14アンダーの202で単独首位に立った。最終日には激しい雨の中で3バーディー、3ボギー72と手堅くまとめ、2位の森憲二に2打差付けて逃げ切った。
柳川 茂(やながわ しげる、1950年5月18日 - )は、… 柳川 茂(やながわ しげる、1950年5月18日 - )は、日本の男性脚本家、構成作家である。神奈川県出身。 神奈川県立相模台工業高校を卒業後、アニメーション制作会社の竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)に入社。タツノコプロでは企画文芸部に配属され、『タイムボカン・シリーズ』や『ポールのミラクル大作戦』など、数々のテレビアニメに企画者として関わった。その一方で、『カバトット』や『いなかっぺ大将』等では脚本も手掛けている。 1979年、同僚であったデザイナーの下元明子(現:河井ノア)と結婚。2年後、妻の明子はタツノコプロを退社し、フリーランスの立場に。自身も1983年、同プロから離れて本格的に脚本家としての道を歩み始めた。
國井 英夫(くにい ひでお、1950年(昭和25年)5月18… 國井 英夫(くにい ひでお、1950年(昭和25年)5月18日 - )は、日本の銀行家、実業家。荘内銀行頭取、庄交コーポレーション社長などを務めた。 山形県余目町(現:庄内町)出身。山形県立鶴岡南高等学校を経て明治大学農学部を卒業。1974年に荘内銀行に入行。ブリヂストンCOOを務めた西海和久は高校の同級生。 1994年5月、町田睿が荘銀副頭取就任を前提に顧問として着任する。それから程なくして、かねてから銀行の現状に危機感を覚えていた國井は、町田宅に赴き、「同じ時期に設立された七十七銀行は東北一の銀行になっている。それより早く設立された当行は、なぜこれほど差をつけられてしまったのか」と嘆いた。すると町田は「地域経済の違いは行政だけではなく、銀行にこそ責任がある。
東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、… 東尾 修(ひがしお おさむ、1950年5月18日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)、監督、野球解説者。日本プロ野球名球会理事。タレント。
赤司 まり子(あかし まりこ、1950年5月18日 - )は… 赤司 まり子(あかし まりこ、1950年5月18日 - )は、東京都出身の俳優。文学座所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小寺 正史(こでら まさし、1950年5月17日 - )は、… 小寺 正史(こでら まさし、1950年5月17日 - )は、日本の弁護士、弁理士、法学修士。札幌弁護士会会長や、北海道弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長、北海道大学客員教授、北海道第三者検証委員会委員長、法務省人権擁護委員等を歴任した。 1969年北海道帯広三条高等学校卒業。1975年北海道大学法学部卒業。1977年旧司法試験合格。1978年最高裁判所司法研修所司法修習生。1980年弁護士登録、橋本昭夫法律事務所入所。小寺正史法律事務所設立。1985年弁理士登録。1997年北海道大学大学院法学研究科中国法専攻修士課程修了、修士(法学)。 1997年市立札幌病院倫理委員。1999年北海道大学先端科学技術共同研究センター客員教授、法務省人権擁護委員。
譚 璐美(たん ろみ、タン・ロミ、タン・ルゥメイ、1950年… 譚 璐美(たん ろみ、タン・ロミ、タン・ルゥメイ、1950年5月17日- )は、ニューヨーク在住のノンフィクション作家。元慶應義塾大学訪問教授。 東京都生まれ。横浜育ちで、横浜中華街と縁が深い人物であるという。本籍は中華人民共和国広東省高明県。慶應義塾大学文学部卒業。1973年から慶應義塾大学講師、海外技術者研修協会講師、広東省中山大学講師などを経て文筆家。専攻分野は、中国近代史と日・米・中国際関係、国際政治、経済、文化など幅広く執筆している。 汪精衛政権外交専門委員・駐日大使館情報部長・芸文社主幹の譚覚真を父に、陸軍中将河田槌太郎の娘淑子を母に聖路加病院で誕生した。譚平山と譚植棠(中国語版)は大叔父にあたる。
土肥 健二(どい けんじ、1950年5月17日 - )は、富… 土肥 健二(どい けんじ、1950年5月17日 - )は、富山県新湊市(現:射水市)出身の元プロ野球選手(捕手)。
田中 保成(たなか やすなり、1950年5月17日‐)は、日… 田中 保成(たなか やすなり、1950年5月17日‐)は、日本の教育者、日本教育工学研究所代表、日本数学協会理事。 広島県生まれ。中央大学法学部卒業後、埼玉県春日部市にて私塾考究道場を立ち上げ、以後30年以上に渡って小学生・中学生・高校生を指導。独自の勉強法、田中メソッドを考案し、様々な教育機関に導入。また20代から、仏教・社会学を久保田正文 (仏教学者)、数学・物理学を春日屋伸昌、政治・経済を木内信胤、文章表現を宇佐美承、キリスト教・論理学を渡辺正雄、仏教を渡辺宝陽に長年師事する。
藤本 和秀(ふじもと かずひで、1950年5月17日 - )… 藤本 和秀(ふじもと かずひで、1950年5月17日 - )は、日本の実業家。阪急阪神ホテルズ代表取締役社長。 東京都出身。明治大学政治経済学部卒業。 1974年第一ホテル入社。1998年人事部長、2003年第一阪急ホテルズ取締役(第一ホテルが阪急電鉄の完全子会社になったことに伴う)、2005年阪急ホテルマネジメント執行役員、2008年阪急阪神ホテルズ執行役員、2009年同常務執行役員、2012年同取締役常務執行役員、2013年同代表取締役社長に就任。
根津 公一(ねづ こういち、昭和25年(1950年)5月16… 根津 公一(ねづ こういち、昭和25年(1950年)5月16日 - )は、日本の実業家。東京都出身。祖父は初代根津嘉一郎、父は二代目根津嘉一郎、東武鉄道現会長の根津嘉澄は実弟。 また、五島美術館、山種美術館、林原美術館、原美術館などの評議員も務める。
夢月亭 清麿(むげつてい きよまろ、1950年5月16日 -… 夢月亭 清麿(むげつてい きよまろ、1950年5月16日 - )は、東京都渋谷区出身の落語家。落語協会所属。本名∶池谷 実。出囃子∶『串本節』。 早稲田大学第一文学部卒業後1973年3月、五代目柳家つばめに入門、前座名「雪之丞」。1974年9月、つばめ死去により、大師匠五代目柳家小さん門下に移籍。 1978年3月に金原亭馬治、古今亭菊龍と共に二ツ目昇進、亡き師匠である五代目柳家つばめの二ツ目名「夢月亭歌麿」と改名。 1989年3月に林家鉄平と共に真打昇進、「夢月亭清麿」と改名。2020年より落語協会監事を務める。 落語協会事務所で、落語協会百周年記念興行の話し合いをしている時に脳疾患(脳梗塞)で倒れたため、2023年11月以降休演。
山口 高志(やまぐち たかし、1950年5月15日 - )は… 山口 高志(やまぐち たかし、1950年5月15日 - )は、兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現役時代は日本球界でも屈指の速球投手として、関西大学や阪急ブレーブスで優勝に貢献した。
横山 久雅子(よこやま くがこ、1950年(昭和25年)5月… 横山 久雅子(よこやま くがこ、1950年(昭和25年)5月15日 - )は、日本の政治家。元千葉県白井市長(1期)。 東京都足立区に生まれる。東京都立日比谷高等学校、国際基督教大学教養学部卒業。東京大学大学院薬学系研究科修了。 1980年に千葉県白井町(現・白井市)に転居。その後、町内の学校の給食の自校方式にする運動に取り組み、1991年に白井町議会議員に初当選。町議を3期務めた。2003年の千葉県議会議員選挙に立候補したが、207票差で落選する。2004年の白井市長選挙に立候補した(民主、社民推薦、共産支持)が、現職の中村教彰に敗れた。 2008年に白井市長選に当選し、千葉県初の女性市長となった。
小林 眞(こばやし まこと、1950年5月14日 - )は、… 小林 眞(こばやし まこと、1950年5月14日 - )は、日本の政治家・元官僚。元青森県八戸市長(4期)。元八戸圏域水道企業団企業長。 青森県八戸市白銀町生まれ。八戸市立第二中学校、青森県立八戸高等学校、東北大学法学部卒業。1975年に青森県庁に入庁するが、1979年に改めて自治省に入省。1991年から埼玉県浦和市企画部長を務め、浦和・大宮・与野3市の合併に伴うさいたま市の政令指定都市への格上げを推進した。1997年に自治省に復職。2005年9月13日、総務省自治財政局財務調査官を最後に退官した。 2005年10月30日執行の八戸市長選挙に大島派無所属で立候補し、田名部派無所属現職の中村寿文を破り初当選。
高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月1… 高島 直樹(たかしま なおき、1950年(昭和25年)5月13日 - 2023年(令和5年)10月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。 東京都議会議員(6期)、東京都議会議長(第46代)、東京都議会オリンピック・パラリンピック推進対策特別委員長、2016年東京オリンピック招致委員会理事、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、自由民主党東京都支部連合会幹事長、東京都議会自由民主党幹事長・政務調査会長、足立区議会議員(3期)等を歴任した。 東京都足立区千住生まれ。獨協中学校・高等学校を経て獨協大学経済学部卒業。1976年3月に東京都議会議員の秘書となる。1981年3月からは実家の株式会社高島製餡所に3代目として従事した。
長崎 慶一(ながさき けいいち、1950年5月13日 - )… 長崎 慶一(ながさき けいいち、1950年5月13日 - )は、大阪市阿倍野区出身(出生地は高知県)の元プロ野球選手(外野手、左投左打)・コーチ。現役時代は大洋ホエールズ・横浜大洋ホエールズ、阪神タイガースに所属した。
町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 - )は、日… 町田 忍(まちだ しのぶ、1950年5月12日 - )は、日本のエッセイスト、コメンテーター、写真家。 庶民文化研究所所長、(社)日本銭湯文化協会理事。元ノベルティミュージアム副館長、元浅草庶民文化資料館・三十坪の秘密基地名誉館長、台場一丁目商店街(デックス東京ビーチ)特別顧問。[要出典] 庶民文化研究家と名乗る事があるが、これは町田自身が作った造語だとインタビューで語っている。 東京都目黒区出身。目黒区立碑小学校、目黒区立第九中学校、和光高等学校、和光大学人文学部芸術学科卒業。 在学中ヨーロッパ一周一人旅。大学卒業後、警視庁麹町警察署に勤務。「警視総監賞を受賞した」と語ることがあるが、実際に受賞しているのは警視庁職員美術展の銅賞であり、これはいわゆる警視総監表彰にはあたらない。
吉田 哲(よしださとし、1950年5月12日 - )は日本の… 吉田 哲(よしださとし、1950年5月12日 - )は日本の作曲家、音楽プロデューサー。東京都出身在住。蟠龍寺スタジオを運営している。 東京都目黒区にある霊雲山蟠龍寺の三男として、僧侶の家系に生まれる。祖父の吉田良雄(りょうゆう)はハワイのホノカア・タウンにおける浄土宗ハマクワ寺院の日本人宣教師であった。亡父の吉田哲雄(てつゆう)は蟠龍寺住職と同時に観経曼荼羅研究家であった。 母親の勧めで10歳より藤岡めぐみ、藤岡ゆきにピアノを師事。国立音楽大学附属高等学校在学中にジャズバンド「クリーミーヤム・トリオ」を結成しイベントに参加するようになる。ヴォーカルは本名でアマチュア活動していた頃の天地真理。 国立音楽大学調律別科在学中に次兄の紹介で成城大学軽音楽部に出入りする。
木本喜美子(きもと きみこ、1950年5月12日- )は、日… 木本喜美子(きもと きみこ、1950年5月12日- )は、日本の社会学者、一橋大学名誉教授。 新潟県生まれ。1973年津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。1978年北海道大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。97年「家族・ジェンダー・企業社会 ジェンダー・アプローチの模索」で一橋大学から博士(社会学)。 広島大学総合科学部助手、立命館大学助教授、1990年一橋大学社会学部助教授をへて、93年教授、2001年社会学研究科教授(家族と労働の社会学専攻)、2016年定年退任、名誉教授。1996年『家族・ジェンダー・企業社会』で社会政策学会奨励賞受賞。
海野 まり子(うみの まりこ、1950年5月12日 - )は… 海野 まり子(うみの まりこ、1950年5月12日 - )は、フジテレビの元アナウンサー、香川県出身。本名、海野 満里子。 6歳の頃から藤間流の日本舞踊を習う。 1973年に明治学院大学法学部卒業と同時にフジテレビに入社(報道局解説放送室付リポーター。1978年に退社し、フリーとなる。1986年にテレビ朝日の契約社員として活躍した。
中山 讓治(なかやま じょうじ、1950年〈昭和25年〉5月… 中山 讓治(なかやま じょうじ、1950年〈昭和25年〉5月11日 - )は、日本の実業家。第一三共株式会社常勤顧問、日本製薬工業協会会長。大阪府出身。学位は経営学修士(ノースウェスタン大学・1979年)。 大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て大阪大学基礎工学部を卒業。大阪大学大学院生物工学科修士課程を修了後、1979年にサントリー(現・サントリースピリッツ)に入社。2000年に取締役に就任。2002年に第一サントリーファーマを設立した後、2003年に第一製薬に移籍、取締役に就任。2007年に経営統合により第一三共に入社、執行役員に就任。2010年に代表取締役社長兼CEOに就任。2017年に代表取締役会長兼CEOに就任。
藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )… 藤猪 省太(ふじい しょうぞう、1950年5月11日 - )は、日本の柔道家。旧姓名:藤猪省三(読み同じ) 現役時代は対外国人選手で生涯無敗を誇り世界選手権大会4連覇を果たすなど、1970年代から1980年にかけて一世を風靡した名選手であったが、一方で3回チャンスがあったオリンピックを怪我やボイコットでことごとく棒に振った悲運の名選手でもあった。現役を引退後は京都産業大学や天理大学で後進の指導に当たり、多くの五輪王者・世界王者を育て上げた名伯楽として知られる。 香川県大川郡大内町(後の東かがわ市)出身。町立大川中学校1年生の時に柔道を始める。藤猪は当時身長150cm・体重50kg前後と平均的な体躯ながら大相撲の力士に憧れており、角界へ行くために「体を大きくするにはどんなスポーツをやれば良いか」を考え、「柔道だったら背が高くて大きくなるだろう」と思って入部する事にしたという。
大栗 育夫(おおぐり いくお、1950年5月11日 - )は… 大栗 育夫(おおぐり いくお、1950年5月11日 - )は、日本の経営者。長谷工コーポレーション社長、会長を務めた。 栃木県下都賀郡壬生町出身。1974年に東京理科大学工学部建築学科を卒業し、同年に長谷川工務店(のちの長谷工コーポレーション)に入社した。2001年6月に取締役に就任し、2004年6月に常務、2005年4月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。2014年4月に会長に就任し、2020年4月には相談役に就任。 2021年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤本 俊(ふじもと しゅん、1950年5月11日 - )は、… 藤本 俊(ふじもと しゅん、1950年5月11日 - )は、元体操競技選手。山梨大学名誉教授。1976年モントリオールオリンピック体操男子団体金メダリスト。 広島県出身。1973年(昭和48年)3月、日本体育大学卒業。同年、紀陽銀行に入社、その後山梨大学教育学部助手を経て山梨大学教育学部教授。 1976年(昭和51年)のモントリオール五輪の男子団体総合で5連覇を目指す日本は規定でソビエト連邦に0.5点のリードを許した。逆転を目指す自由演技最初のゆかで藤本はひざの半月板を痛めたが、その状態を心配することでコーチやチームメートのソビエト連邦との金メダル争いに対する集中力が欠けることを心配してそれを黙っていた。
太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月1… 太田 三郎(おおた さぶろう、1950年〈昭和25年〉5月11日 - )は、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)出身の現代美術家。 郵便切手や消印を用いた作品や、身近なものをオリジナルの切手の形にした作品制作など、郵便を素材に「時間」と「場所」の関係性をテーマとする。近年は一般市民と共同制作するアート・プロジェクトを各地で展開している。 1950年、山形県西田川郡温海町(現・鶴岡市)大岩川に生まれた。1971年4月、鶴岡工業高等専門学校卒業後に上京。デザイン事務所に勤務しながら、写真に撮った身近な人々を鉛筆で細密に描く肖像画を描き始め、1980年の初めての個展で発表。個展をきっかけに銀座の画廊巡りをはじめた太田は、ニュー・ペインティングやコンセプチュアル・アート、ミニマル・アートなどの現代美術に遭遇し大きな衝撃を受ける。
赤坂 光昭(あかさか みつあき、1950年5月10日 - )… 赤坂 光昭(あかさか みつあき、1950年5月10日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城県築館高等学校では、捕手、四番打者として1968年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、東北高のエース佐藤政夫に抑えられ大敗、甲子園出場を逸する。 1968年にドラフト外でサンケイアトムズへ入団。加藤俊夫、大矢明彦の壁を破れず、一軍でマスクを被ることはなかった。いわゆる当て馬として1971年に6試合出場したに留まる。1973年限りで現役を引退した。