長浜 功(ながはま いさお、1941年(昭和16年)7月1日… 長浜 功(ながはま いさお、1941年(昭和16年)7月1日 - )は、日本の教育学者、近代日本文化研究者。 北海道岩内町に生まれ、北海道大学教育学部を卒業後(恵迪寮OB)、同大学院博士課程を単位取得退学した。1974年に東京学芸大学講師となり、その後助教授(1976年)を経て、1987年に教授に昇格した。2007年に定年退職。 もともとは近現代日本教育史を専門としており、『教育の戦争責任』(1979年)にて宮原誠一をはじめ戦争協力の過去を戦後に隠蔽した教育学者たちを厳しく批判した。2000年代以降は北大路魯山人、石川啄木、土岐善麿といった近代文化に関する著作をなす。
ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimu… ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。本名:木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。 後期のエースを務めた国際プロレスでは金網デスマッチの鬼の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。 多くのプロレス団体を渡り歩いたことでも知られる。 2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。 佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。
幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )… 幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本農業機械工業会会長などを歴任した。 福岡県北九州市の神職の家に長男として生まれる。伊勢神宮少宮司を務めた幡掛正浩は父。福岡県立東筑高等学校を経て、1964年横浜市立大学商学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。機械企画部長、枚方製造所長、経営管理部長等を経て、1999年取締役に昇格。企業行動監査部担当、関連事業推進部・情報化推進部副担当、経営企画部長等を務めた。2001年常務取締役に昇格し、コンプライアンス本部長、PV事業推進部長等を務めた後、2003年、代表取締役社長に昇格。
北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )… 北川 公一(きたがわ こういち、1941年6月29日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。
石黒 克巳(いしぐろ かつみ、1941年6月29日 - )は… 石黒 克巳(いしぐろ かつみ、1941年6月29日 - )は、公益財団法人JKA顧問(名誉会長)。元毎日新聞社専務取締役。 愛知県知多郡生まれ。 東京大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。同社専務取締役を経て、2003年にパレスサイドビルディング(現 毎日ビルディング)社長に就任。 2003年より7年間日本財団の評議員を務め、2009年からはJKAの評議員となった。 2011年4月1日、前会長の下重暁子の後を受けてJKA会長に就任。2期4年務めた後、2015年6月26日をもって退任し、顧問(名誉会長)となる。
倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6… 倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日 - )は、日本の女優、歌手、声優。愛称は、チコちゃん。妹は同じく女優の倍賞美津子。弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明、夫は作曲家の小六禮次郎。元夫は歌手で俳優の小宮健五。 豊島区西巣鴨に生まれ、北区滝野川で育った。戦時中は茨城県に疎開した。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現:北区立滝野川紅葉中学校)卒業。 両親は共に東京都交通局職員であり、父は都電の運転士、母は車掌であった。 珍しい倍賞姓は出羽国鹿角郡大湯温泉(現:秋田県鹿角市十和田大湯)に起源を持つ。先祖は久保田藩(佐竹氏)に仕えた守衛で、先祖に賢い者がいたため書記に抜擢され、何らかの賞を受けたのがこの姓の由来という。
中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )… 中原 茂明(なかはら しげあき、1941年6月28日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社取締役会長、塩ビ工業・環境協会会長、日本ソーダ工業会会長などを務めた。 東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社、計数課配属。東京支店調査課、ソーダ薬品営業企画課、化学品営業企画課を経て、1970年東京支店購買課課長代理。1972年総合企画室主席。1988年IRIS本部主席兼広報室主席。1989年広報室長兼IRIS本部部長。1991年化成品企画グループリーダー兼IRIS本部部長。1995年取締役化成品事業部長。2000年常務取締役化成品事業部長、各支店管掌。
上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島… 上 久雄(かみ ひさお、1941年6月28日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF、MF)・監督。 広島市立国泰寺中学校を経て、広島山陽高校では渡部英麿監督の指導を受けた。卒業後は寺西忠成監督に誘われ、1960年に八幡製鉄サッカー部へ入部。身体能力に優れ、ハードタックルと空中戦に強さを発揮。渡辺正・宮本輝紀らと共に主力選手として活躍し、ストッパーとして相手チームのエースのマークを任され、1966年と1967年には2年連続で「年間優秀11人賞」に選出される。日本代表では主にハーフバックとして活躍し、東京五輪では代表初のベスト8進出に貢献。メキシコシティ五輪は予選こそレギュラーとして出場したが、本戦では登録メンバーから外れた。
平沢 豊満(ひらさわ とよみつ、1941年6月28日 - )… 平沢 豊満(ひらさわ とよみつ、1941年6月28日 - )は、日本の政治家。元長野県箕輪町長(3期)。ローカル・マニフェスト推進首長連盟町村長代表。旭日双光章受章。
八木忠栄(やぎ ちゅうえい、1941年6月28日- )は、日… 八木忠栄(やぎ ちゅうえい、1941年6月28日- )は、日本の詩人。 新潟県見附市田井町出身。新潟県立長岡高等学校、日本大学芸術学部卒業。「むむ」「新日本詩人」「悪徒」「炎」「ぎゃあ」などの同人をへて、1962年詩集「きんにくの唄」を発表。1965-69年「現代詩手帖」編集長を務めたのち73年から個人詩誌「いちばん寒い場所」を創刊。2004年の「雲の縁側」で現代詩花椿賞、2015年「雪、おんおん」で詩歌文学館賞、現代詩人賞受賞。2011年日本現代詩人会会長。スタジオ200、銀座セゾン劇場総支配人をへて、セゾン文化財団常務理事。落語に関する著作もある。新潟日報読者文芸選者。
前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2… 前島 秀行(まえじま ひでゆき、1941年6月27日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。社会民主党国会対策委員長などを務めた。 富士宮市出身。静岡県立富士高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業し、日本社会党書記局に就職。 その後、党総務部長などを務め、1986年に勝間田清一の後継として第38回衆議院議員総選挙に旧静岡2区から立候補し初当選。以後4期連続当選。副書記長などを歴任。社会民主党への改組後も党に残り、党総務部長に就任。1998年には国会対策委員長に就任する。 4期目の当選は、小選挙区比例代表並立制の導入となったため、静岡県第5区からの立候補となったが落選し、重複立候補していた比例東海ブロックでの復活当選となった。
桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は… 桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者(JFA公認C級コーチ)。日本サッカーリーグ(JSL)初代アシスト王。 父親がハルビンの商社に勤務していたため満洲で生まれた。1945年終戦に伴い帰国、母の郷里・広島市で育つ。父もサッカー選手、母もバレーボールの選手で、父は後に広島サッカー友の会理事長を務め、当地の小学生のサッカー普及に尽力した。1947年、戦後復活第一回の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で、広島高等師範学校附属中学(現・広島大学附属高校)が超中学級の長沼健、木村現、樽谷恵三の三羽烏を擁して圧倒的な強さをみせ初優勝した。
森 光昭(もり みつあき)(1941年6月26日 - 201… 森 光昭(もり みつあき)(1941年6月26日 - 2017年2月16日)は、日本のドイツ文学者。熊本大学名誉教授・顧問、元副学長、理事。同大学における男女共同参画を推進し、他大学でも講演を行っている。正四位、瑞宝中綬章。 長崎県立長崎東高等学校を経て、1965年東京大学文学部独語独文学科卒業後、1967年同大学大学院文学研究科独語独文学専攻修了。1967年金沢大学法文学部助手、1968年同講師を経て、1970年に熊本大学へ異動、教養部講師となる。1972年同助教授、1980年同教授を経て、1997年法学部教授。 1992年に日本独文学会西日本支部長を務めるなど研究に取り組む傍ら、1998年10月から2000年4月まで熊本大学学生部長、2000年4月から同年11月まで初めて設置された副学長を務めた。
君和田 正夫(きみわだ まさお、1941年(昭和16年)6月… 君和田 正夫(きみわだ まさお、1941年(昭和16年)6月26日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社専務を経て、テレビ朝日社長などを務めた。神奈川県出身。 1964年(昭和39年)早稲田大学商学部卒業後、朝日新聞社入社。経済部記者として主に経済畑を歩み、東京本社経済部長等を歴任。96年に朝日新聞社の子会社であるテレビ朝日が、ソフトバンクとニューズ・コーポレーションが設立した合弁会社に株の21%を取得された際には、買い戻しのため、ソフトバンクの北尾吉孝(現:SBIホールディングス社長)などと厳しい交渉をこなした。 1997年(平成9年)6月、取締役に選任。01年6月専務(グループ政策担当)、03年2月専務(編集・出版担当)、6月代表取締役専務(編集担当、電子電波メディア局長)。
酒井 清孝(さかい きよたか、1941年6月26日 - )は… 酒井 清孝(さかい きよたか、1941年6月26日 - )は、日本の理工学者。 現在は早稲田大学名誉教授、公益財団法人松籟科学技術振興財団理事、医療法人社団善仁会Gr顧問、人工臓器歴史遺産研究会代表である。 化学工学を中心とした医療工学の研究を行い、人工臓器の開発や設計に携わった。生命維持管理装置の操作・設計に化学工学の知識を生かして、現代の高度先進医療を支える医療工学の発展を促進した研究者である。生命維持管理装置を扱う臨床工学技士、医学に関わる理工学研究者、人工臓器を扱う医師とともに研究を行い、多くの業績を残している。秋山敏、林寛、穂坂英明、横山真喜男、峰島三千男、安住利恵子、小沢治子、鶴岡秀志、竹澤真吾、松田兼一、山下明泰、小澤喜久夫、金森敏幸、金武潤、吉田亮、櫛谷文彦、阪上正裕、柳沢真澄、吉見靖男、桜井公美、小久保謙一、福田誠、氷見直之、宮坂武寛、薬師寺大二、青柳里果、松田範昭、小林純、荏原充宏、熊代善一、長瀬健一、葉山順代、山本健一郎、井戸田直和、小川武人、岩永進太郎、長谷川麗、小松寛、阪田宏樹、滑川亘希、井上幹康などの理工学研究者、企業経営者、企業技術者、医学研究者、医師を育てた。
島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )… 島村 俊治(しまむら としはる、1941年6月25日 - )は、スポーツジャーナリスト、フリーアナウンサー。 個人事務所である有限会社「ニューヴォイス嶋村プロ」所属で、代表取締役。元NHKエグゼクティブアナウンサー。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部卒業後、1964年にNHKにアナウンサーとして入局。 音楽好きであることや高校・大学時代に合唱をしていた経験もあって、NHK入局時にもアナウンサーではなくミュージカルを担当する音楽ディレクターを志望していたが、米子支局(現在は鳥取放送局のエリア)在籍時代に、高校野球秋季中国大会での岡山東商・平松政次と関西・森安敏明の投手戦の実況を務めて感動し、スポーツアナウンサーを目指すことになった。
大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月… 大西 大介(おおにし だいすけ、1941年(昭和16年)6月25日 - )は、日本の実業家。香川県高松市出身の名士。元カナック代表取締役会長・社長・相談役、名誉顧問、元カマタマーレ讃岐代表取締役会長、カマタマーレ讃岐後援会会長、元浜田恵造後援会会長、元玉翠会会長、元稲門会香川県支部支部長、西日本土木株式会社監査役、高松市トライアスロン協会名誉会長、盛和塾香川世話人、114あぐら会会長、香川県経営者協会会長、香川県経済同友会代表幹事、香川県ゴルフ協会会長 などを歴任した。 1960年3月(昭和35年) 高松高校卒業 (玉翠会会長) 1965年3月(昭和40年) 早稲田大学理工学部卒業 (稲門会香川県支部支部長) 1966年5月(昭和41年) 関西電業株式会社(現株式会社カナック)取締役 1988年5月(昭和63年) 株式会社カナック代表取締役社長 2007年5月(平成19年) 株式会社カナック代表取締役会長 2008年6月(平成20年) 株式会社カナック相談役 2014年6月(平成26年) 株式会社カナック名誉顧問(現任)
山崎 武昭(やまざき たけあき、1941年6月25日 - 1… 山崎 武昭(やまざき たけあき、1941年6月25日 - 1995年2月1日)は、高知県吾川郡伊野町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
中込 秀樹(なかごめ ひでき、1941年6月25日 - )は… 中込 秀樹(なかごめ ひでき、1941年6月25日 - )は、日本の法学者。元裁判官、弁護士。大東文化大学法科大学院特任教授、元名古屋高等裁判所長官。東京都出身。
楠原 佑介(くすはら ゆうすけ、1941年6月24日 - 2… 楠原 佑介(くすはら ゆうすけ、1941年6月24日 - 2021年)は、日本の地名研究家、フリーライター。「地名情報資料室・地名110番」主宰。 楠原は『こんな市名はもういらない! 歴史的・伝統的地名保存マニュアル』にて歴史的伝統的地名の保存・復活を絶対的に重視し、新たに創作された地名(ひらがな・カタカナ地名、広域地名、方角地名、瑞祥地名、合成地名など)を「歴史的伝統的地名の破壊」であるとして強く批判している。その中で、合併市町村での旧国名を市町村が名乗るなどの広域地名使用については「小なるものが大なるものの名称を名乗る」という意味で「僭称」という言葉を用いて批判している。 楠原は歴史的伝統的地名を支持する根拠のひとつに地方自治法第3条(地方公共団体の名称は、従来の名称による。
岩田 英憲(いわた えいけん(ひでのり)、1941年6月23… 岩田 英憲(いわた えいけん(ひでのり)、1941年6月23日 - )は、日本のパンパイプ(パンフルート)奏者。 奈良時代以降初めて日本でパンパイプを演奏したパイオニアであり第一人者である。 パンパイプ・エイケントリオのメンバー。広島文化学園大学名誉教授、宮島観光大使、日本野鳥の会会員。妻は舞踊家の岩田玲子。 1941年、広島県生まれ。国立音楽大学を卒業後、1970年にオーストリア・ウィーンに音楽留学。 ウィーン市立音楽院、ウィーン国立音楽大学卒業、フルートを竹本博、吉田雅夫、カミロ・ヴァナウゼック、ゴッドフリード・ヘヒトゥル、ハンス・レズニチェックに師事。パンパイプはM,ファネルから基本的な奏法を学び、G,ザンフィル、D,ルカには技術だけではなく精神面での教えを受け、後の演奏スタイルに大きく影響を与えた。
吉岡 公義(よしおか きみよし、1941年6月23日 - )… 吉岡 公義(よしおか きみよし、1941年6月23日 - )は、日本の経営者。紀伊國屋書店社長、会長を務めた。 広島県出身。1964年に島根大学教育学部を卒業し、同年に紀伊國屋書店に入社。専務を経て、2002年11月に社長に就任。2006年11月から2008年11月までに副会長を務めた。
朝風 新一郎(あさかぜ しんいちろう、1941年6月23日 … 朝風 新一郎(あさかぜ しんいちろう、1941年6月23日 - 没年不明)は、現在の香川県善通寺市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は石川 旻(いしかわ たかし)。183cm、98kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、吊り。 1958年3月場所初土俵、1967年11月場所十両昇進、1971年7月場所限りで廃業。
荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、… 荻野 一雄(おぎの かずお、1941年6月22日 - )は、北海道紋別郡西興部村出身の元プロ野球選手(投手)。 西興部中時代から速球派投手として知られ、北海高校では2年からエース。2年生時の1958年秋季北海道大会札幌地区予選決勝では、千歳高に対して北海道高校野球史上初の完全試合を達成。秋季北海道大会準々決勝に進むが函館工に敗退。1959年春季北海道大会の対歌志内高戦では、初回先頭打者から13連続三振を記録。同年夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け、甲子園出場を果たすことはできなかった。同期には茅野智行(芝浦工大 → 西鉄)・八木沼陽一(立教大 → 河合楽器)、1期下には佐藤進(富士鐵室蘭 → 国鉄・産経 → 中日)などのメンバーを擁していた。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2… 六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2019年1月12日)は、日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。旧名は正廣。東京都出身。日本建築学会賞作品賞など受賞。 祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌、娘は建築家の六角美瑠。
橋本 宏(はしもと ひろし、昭和16年(1941年)6月22… 橋本 宏(はしもと ひろし、昭和16年(1941年)6月22日 - )は、日本の外務官僚。首相を務めた橋本龍太郎は従兄で、橋本内閣で創設された沖縄大使を務めた。外務報道官、駐オーストリア特命全権大使、社団法人霞関会理事長、公営財団法人日本国際フォーラム理事長等を歴任。東京生まれ。鎌倉市育ち。 大日本麦酒(現・サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎は祖父。NKK常務を務めた橋本實やジャーナリストの橋本明は兄。橋本大二郎は従兄弟。モルガン・スタンレー・キャピタル・グループ代表取締役の橋本幸子は娘である。橋本内閣の内閣総理大臣秘書官などを務めた外交官の岡本行夫は高校・大学・外務省の4年後輩。 外務省入省同期には以下のような人物がいる。
山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日… 山田 真(やまだ まこと、1941年6月22日 - )は、日本の小児科医。岐阜県美濃市の生まれ。 父親は軍医。父親の転勤で福岡に移ったが、父はさらに満州に転属となり、母と子は美濃に戻り、以後、そこで育った。 岐阜県立岐阜高等学校卒後、1967年東京大学医学部を卒業。以後、東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。妻の梅村浄(きよら)も小児科医で、東京都西東京市で梅村こども診療所を営み、同診療所でも医師として勤務。2人間に障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人など公的な場での発言も多い。
神原 啓文(かんばら ひろふみ、1941年6月22日 - )… 神原 啓文(かんばら ひろふみ、1941年6月22日 - )は、日本の医学者。2021年瑞宝中綬章受章。 軍医であった父が支那事変で負傷、帰還先であった福島県会津若松市にて1941年に生まれ、終戦後に郷里の香川県多度津町に戻る。多度津小学校を卒業後、6年間、大手前中学・高等学校に通学した。 1960年に、従兄であった小西淳二(京都大学名誉教授)の感化を受け、京都大学医学部医学科医学進学課程に入学した。1966年に米国ECFMG(Educational Commission for Foreign Medical Graduates)を取得、京都大学医学部医学科専門課程を卒業後、同年神奈川県座間米国陸軍病院でインターン研修を受けた。
石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 201… 石井 慎二(いしい しんじ、1941年6月22日 - 2010年2月12日)は、日本の雑誌編集者、洋泉社代表取締役社長。 東京都出身。旧姓・鈴木慎二として東京都立九段高等学校に学び、新聞部にあたる出版委員会で活動、さらに早稲田大学でも新聞会で活動する。 JICC出版局(後の宝島社)の編集者となり、1974年の『宝島』出版権の買収の際には、蓮見清一の腹心として晶文社に赴き、電撃買収をとりまとめた。JICC出版局では、1976年に『別冊宝島』を創刊。「読むムック」として発想されたこのシリーズは、新たなジャンルを開拓した取り組みとして評価された。 1987年に季刊雑誌『田舎暮らしの本』を創刊し、編集長を務めていたころには、茨城県で有機農業による米作にも取り組んでいた。
田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は… 田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は、宮崎県延岡市出身の元騎手・調教助手。 元騎手・調教助手の田島裕和は子。 中学の先輩には矢野一博、後輩には大崎昭一・安田伊佐夫がいる。 1959年10月3日に阪神・武輔彦厩舎からデビューし、京都第8競走4歳以上20万下・ビガラス(7頭中3着)で初騎乗を果たす。11月1日の阪神第8競走4歳以上50〜60万下・バアムランドで初勝利を挙げ、菊花賞でも同馬に騎乗し、1年目にして八大競走及びGI級レース初騎乗を果たす。1年目の同年は初騎乗が遅いこともあり3勝に終わるが、2年目の1960年には6勝、3年目の1961年には初の2桁で20勝台となる23勝(平地17勝, 障害6勝)を挙げる。
長山 藍子(ながやま あいこ、1941年〈昭和16年〉6月2… 長山 藍子(ながやま あいこ、1941年〈昭和16年〉6月21日 - )は、日本の女優。中国内蒙古自治区フフホト市生まれ、静岡県三島市育ちで、3人きょうだいの長女。身長159cm、体重50kg。日本新劇俳優協会理事。夫は俳優の武正忠明(1997年結婚)。 父は同盟通信社記者で東京タイムズ創立に参加した。通信社の記者として父親が赴任していた中国・内蒙古フフホト市で生まれ、幼児期を東北部の新京(現:長春)で過ごした。4歳のとき現地で終戦を迎え、父親と離れてしまい、母・弟とともに引き揚げて、東京に住む。 成蹊小学校・中学校、静岡県立三島北高等学校卒業。小・中学校の同級生に俳優の東野英心がいた。 父親の影響で俳優を目指し、小・中学校時代から演劇部に所属。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 … 金子 亮太郎 (かねこ りょうたろう、1941年6月20日 - )は、日本の実業家。明治生命と安田生命の合併を実現し、明治安田生命の初代社長や、生命保険協会会長を務めた。 鳥取県鳥取市出身。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1965年一橋大学経済学部卒業、明治生命保険入社。 1991年取締役首都圏業務部長、常務、1997年専務。 1998年明治生命保険社長就任。宮本三喜彦(安田生命社長)とともに、相互会社形式をとったまま安田生命と合併することを決定 2004年明治安田生命保険社長就任。 この間、2000年三菱東京フィナンシャル・グループ取締役。2001年生命保険協会会長。
金澤 一郎(かなざわ いちろう、1941年6月20日 - 2… 金澤 一郎(かなざわ いちろう、1941年6月20日 - 2016年1月20日)は、日本の医師。医学者。専門領域は大脳基底核・小脳疾患の臨床、神経疾患の遺伝子解析、中枢神経系の神経活性物質の探索などの脳科学分野。
乾 侑美子(いぬい ゆみこ、1941年6月20日 - 201… 乾 侑美子(いぬい ゆみこ、1941年6月20日 - 2010年7月4日[要出典])は、日本の児童文学の翻訳家。 東京都生まれ。1964年(昭和39年)お茶の水女子大学文教育学部教育心理学専攻卒業。家庭文庫を手伝った後、児童書の翻訳を始める。1991年にオープンした黒姫童話館のエンデ資料室の開室にも尽力した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 200… 朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 2006年6月10日)は、兵庫県洲本市出身(本籍地は、同県尼崎市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西前頭10枚目(1966年5月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は押し。 洲本市立青雲中学校在学時より相撲を始め、卒業後、川崎重工業の相撲部を経て1962年に高砂部屋へ入門。同年5月場所、20歳で初土俵を踏んだ。 当時、まだ実業団相撲のレベルが懐疑視されていた中、実業団で5年間鍛えた実力を発揮。足腰の良さを生かした押し相撲を活かし、1964年11月、初土俵から僅か2年半で十両に昇進した。 その後、1966年3月場所にて新入幕(実業団出身力士としては、大龍志郎以来2人目となる、幕内昇進)。
保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、… 保坂 一夫(ほさか かずお、1941年6月19日 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授、元日本大学教授。 北海道上川郡東鷹栖村(現・旭川市)生まれ。北海道旭川北高等学校を経て、1966年東京大学文学部独文科卒業、テュービンゲン大学留学。新潟大学講師、玉川大学助教授、1981年東京大学教養学部助教授(ドイツ語)、1990年教授、2002年定年退官、日本大学文理学部教授。2012年定年退職。 クリスタ・ヴォルフ選集全7巻を訳した。ほかエルンスト・ブロッホなどを研究。
やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、19… やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、1941年6月19日 - )は、日本の漫画原作者。代表作は画:北見けんいちにより『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて連載されている『釣りバカ日誌』。 宮崎県都城市に7人きょうだいの3男として生まれる。実家は学校教材等を取り扱う大規模な文具店の山崎文科堂で、『釣りバカ日誌』にてハマちゃんの実家「浜崎文科堂」として登場したが、2013年12月18日に火災被害に遭い全焼している。 中学時代は野球部で投手を務めて宮崎県大会で優勝し、野球の才能を見込まれて宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学、1年生のときには補欠で甲子園に出場した。しかし、2年生で腰を痛めて野球を挫折し、加えて肺浸潤で2か月の入院生活をした後に映画を観るようになる。
丸山 正雄(まるやま まさお、1941年6月19日 - )は… 丸山 正雄(まるやま まさお、1941年6月19日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー。元・株式会社マッドハウス取締役社長、現・MAPPA取締役会長。 2002年に第7回アニメーション神戸特別賞、2003年に第23回藤本賞奨励賞をそれぞれ受賞した。 1941年、宮城県塩竈市に生まれる。 法政大学文学部を卒業後、やりたいことが見付からずに1年ほどフリーターのようなことをしていたが、知人の紹介で1965年に虫プロダクション(旧虫プロ)にアニメの会社とは知らずに入社する。 1972年、経営危機を迎えた虫プロから出崎統、りんたろう、川尻善昭ら、その後の日本のアニメ文化を牽引することになる作り手たちと共に独立して有限会社マッド・ハウス(現:株式会社マッドハウス)を設立、1980年には代表取締役社長に就任する。
足立 和浩(あだち かずひろ、1941年6月18日 - 19… 足立 和浩(あだち かずひろ、1941年6月18日 - 1987年11月14日)は、日本の哲学研究者、翻訳家。 埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ。1960年、東京都立新宿高等学校卒業。1965年、東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻修士課程入学。森本和夫の指導を受けた。1967年、修士課程修了、東大教養学部助手。1972年、ジャック・デリダの『グラマトロジーについて』をいち早く翻訳、1973年、立教大学専任講師、1975年、東京都立大学助教授。1981年、哲学奨励山崎賞受賞。1987年、急逝。 日本ではまだほとんど知られていない時代に、ジャック・デリダの主著を日本語訳した人物である。
山本 秀一(やまもと ひでかず[1]/ひでい… 山本 秀一(やまもと ひでかず[1]/ひでいち[2]、1941年6月18日 - )は、和歌山県出身の陶芸家、元プロ野球選手。プロ野球選手時代のポジションは内野手。陶芸家としては雷山陶秀の名義で活動している。
片岡 弘次(かたおか ひろじ、1941年6月18日 - )は… 片岡 弘次(かたおか ひろじ、1941年6月18日 - )は、日本のウルドゥー語学者。大東文化大学名誉教授。 埼玉県生まれ。1969年東京外国語大学インド・パーキスターン語科卒、同大学院アジア第二言語修了。1971から1973年まで、パキスタン・カラチ大学に学ぶ。その後大東文化大学にて教授、国際関係学部長、国際交流センター所長。 2009年パキスタン政府より、ウルドゥー文学の翻訳と日本でのウルドゥー語の振興に寄与したことでシターラ・エ・イムティアーズ勲章叙勲。2011年『ジブリールの翼』で日本翻訳家協会特別賞受賞。2012年定年退任、名誉教授。ウルドゥー文学専攻。
長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 202… 長沢 純(ながさわ じゅん、1941年6月17日 - 2026年1月15日)は、日本の実業家、元スリーファンキーズのリーダー、テレビ番組の司会者、俳優、タレント。東京府(現東京都)出身。本名は、長澤 毅(ながさわ つよし)。 法政大学第二高等学校を卒業。法政大学法学部在学中に、アイドルコーラスグループ「スリーファンキーズ」を結成。長沢がリーダーとなり、高倉一志(現・藤健次)、高橋元太郎との三人組で、1962年1月に東芝レコードよりアルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』でレコードデビュー。同年5月に1stシングル『でさのよツイスト』発売。若い女性を中心に人気を集め、男性アイドルグループの元祖的存在となったが、1966年2月に解散。
難波 紘二(なんば こうじ、1941年6月17日 - )は、… 難波 紘二(なんば こうじ、1941年6月17日 - )は、日本の医師・医学者・評論家。広島大学名誉教授。
浅見 真州(あさみ まさくに、本名:浅見真広、1941年(昭… 浅見 真州(あさみ まさくに、本名:浅見真広、1941年(昭和16年)6月17日 - 2021年(令和3年)7月13日)は、能楽師、(シテ方観世流)である。重要無形文化財総合認定保持者で、日本国の日本芸術院賞、紫綬褒章及び旭日小綬章並びに仏国芸術文化勲章の受章者。 1941年(昭和16年)、浅見真健の五男として東京都に生まれる。父および観世寿夫、八世観世銕之亟に師事。4歳の時に『雲雀山』の子方で初舞台、16歳の時に『敦盛』で初シテ。能の源流を探るとともに他分野と積極的に交流し、能楽界に新風を吹かせた師を見習うように、復曲・新作・実験的上演にも積極的に取り組み、復曲『重衡』、『鐘巻』(『道成寺』の原曲)、『常陸帯』、『綾鼓』ほかを上演。
種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月… 種市 一正(たねいち かずまさ、1941年(昭和16年)6月15日 - )は、日本の政治家。元青森県三沢市長(3期)。 青森県三沢市出身。1960年(昭和35年)3月、青森県立三本木農業高等学校卒業。卒業と同時に当時防衛庁長官の職にあった赤城宗徳(旧茨城3区)の書生となる。茨城県の養豚・椎茸栽培を学ぶ。1979年(昭和54年)2月、青森農業協同組合青年部協議会の委員長に就任。 2002年(平成16年)7月25日、全国農業協同組合連合会(JA全農)経営管理委員会の副会長に就任。2004年(平成18年)7月29日、同経営管理委員会の会長に就任。 2005年(平成19年)7月29日、全農秋田県本部などのコメ不正取引問題にかかる責任をとって、JA全農会長を辞任。
水谷 正史(みずたに まさし、1941年6月15日 - 20… 水谷 正史(みずたに まさし、1941年6月15日 - 2008年4月10日)は、日本の実業家。株式会社メタルワン初代代表取締役社長。 1965年、上智大学外国語学部卒業。同年、日商岩井(現・双日)株式会社に入社。1993年に同社鉄鋼貿易部長、1994年に同社取締役、1998年に同社常務取締役に就任。2003年に三菱商事株式会社と日商岩井株式会社の鉄鋼製品事業部門の統合により設立された株式会社メタルワンの初代代表取締役社長に就任。COOを兼任。2008年4月10日、膵臓癌のため死去。66歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 20… 増田 貴光(ますだ たかみつ、1941年6月14日 - 2015年4月2日)は映画評論家、司会者、実業家。 元モデルで、『MEN'S CLUB』に登場したこともある。本名:増田元臣。東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)出身。 東京本郷で3代続いた看護婦家政婦紹介所経営者の家庭に生まれる。幼時に父を亡くし、母と姉に育てられた。 慶應義塾大学法学部在学中から増田貴光の筆名で「映画の友」に映画批評を寄稿。「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題するコラムを目にとめた三島由紀夫から手紙を貰い、以後三島と親交を結んだ。1970年に三島が自決すると「ぼくは三島先生に殉死したい」と語ったこともある。 大学卒業後、日本航空に入社するも1年で退社し渡米。
生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月1… 生島 孝子(いくしま たかこ、1941年〈昭和16年〉6月14日 - )は、東京都出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1972年(昭和47年)11月、東京都渋谷区にて失踪した。失踪当時、彼女は31歳であった。 1941年(昭和16年)6月14日生まれ。失踪当時は妹とともに渋谷区笹塚に居住し、港区役所支所の電話交換手の仕事をしていた。彼女は身長153センチメートルくらいで血液型はO型である。 1972年(昭和47年)11月1日、一日の年次休暇届けを出して勤務先を休んだ。その日の朝、出勤する同居の妹に「夕方に電話があったら出かける」と声をかけた。妹が夜に帰宅すると彼女は不在で、秋冬の衣類の入れ替えを行うなどの家事を済ませており、翌日出勤時に着用する自身の衣服一式が揃えてあった。
國井 和郎(くにい かずお、1941年(昭和16年)6月13… 國井 和郎(くにい かずお、1941年(昭和16年)6月13日 - 2010年(平成22年)2月15日)は、日本の法学者。専門は民法。名誉法学博士(トゥールーズ第一大学)。大阪大学名誉教授。大阪府八尾市生まれ。司法試験考査委員などを務めた。