渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1… 渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1日 - )は、日本の弁護士、評論家。 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を経て、1963年に中央大学法学部を卒業後、1966年に弁護士開業。 千葉県の女性弁護士第1号。 家族、遺産相続、DVなどの問題を担当、人生相談の回答者として活動している。 女性と仕事の未来館館長(2003年 - 2011年)を務めたほか、NPO法人DV被害者支援活動促進のための基金を設立(同理事長)、NPO法人高齢社会をよくする女性の会監事などを務めている。2005年に男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣表彰を受けている。 法律事務所の会議室に高座をもうけて講談師を招き、「渥美講談塾」を開設。
松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10… 松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10月1日 - )は、日本の社会学者、社会福祉学者。専攻は、自殺予防の社会学、社会病理学、高齢者の生きがい、育児・子育て論。 大妻女子大学名誉教授、日本自殺予防学会常務理事(1999.4-2015.9)。 愛媛県東宇和郡宇和町中川村杢所出身。(現愛媛県西予市宇和町杢所) 年間3万人前後という日本における自殺予防の方法論の確立に向けた研究に取り組んでいる。特に、社会学・社会福祉学の方法論を駆使し、地域での実証的な研究に早くから取り組む(この分野の論文・著書多数)。また、子どものいじめ・自殺問題を無くすための方法を育児・子育てのあり方に着目し、母親との面接や実態調査を踏まえ検討している。
小森 博(こもり ひろし、1940年10月1日 - )は、日… 小森 博(こもり ひろし、1940年10月1日 - )は、日本の経営者。日本鉄道建設公団総裁、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。北海道出身。 1964年に北海道大学工学部土木学科を卒業し、同年4月に日本国有鉄道に入社した。1983年5月に札幌鉄道管理局施設部長を経て、1985年3月に日本鉄道建設公団に転じ、1995年7月に理事、2001年1月に副総裁を経て、2003年3月には総裁に就任。2003年10月から2004年10月までに鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。
田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月… 田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月30日 - )は、日本の政治家。福山大学経済学部客員教授。 衆議院議員(3期)、経済企画庁長官(第52代)、内閣総理大臣特別補佐(細川内閣)、新党さきがけ代表代行、学習院大学法学部特別客員教授等を歴任した。 1990年代前半の新党ブームの火付け役の一つ、新党さきがけの理論的指導者であった。 長野県更級郡篠ノ井町(現:長野市篠ノ井)生まれ。 早稲田大学第4代総長の田中穂積は一族にあたるという。長野県長野高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。哲学、歴史、経済、法律を一通り学びたいと考えていたが、ウィンストン・チャーチル、石橋湛山、吉田茂、緒方竹虎に関心を抱いていたことから、まず歴史から学ぼうと考え、東大在学中は林健太郎ゼミに所属し、近代ヨーロッパ政治史を専攻、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「危機の20年」が最大の関心事だった。
門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は… 門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は、日本の教育学者。専門は教育社会学。筑波大学名誉教授、ラボ言語教育総合研究所代表、日本教師教育学会会長、元茨城県つくば市教育長。
飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉… 飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉9月30日 - 2023年〈令和5年〉8月15日)は、日本の指揮者。 満洲国・新京生まれ。父は裁判官の飯守重任、兄はロゴデザイナーの飯守恪太郎。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。母方の祖父母に日向輝武、林きむ子。 桐朋学園大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。 ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。またマンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動をする。ドイツでの活動を継続出来るよう朝比奈隆が一度助けてくれたという逸話がある。
上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018… 上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018年11月11日)は、日本の日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(立命館大学・論文博士・1996年)(学位論文「石川啄木<抒情と思想>」)。立命館大学名誉教授。国際啄木学会元会長。明治文芸講演会主宰。歌誌「ポトナム」同人。国崎望久太郎・和田繁二郎に師事。大阪府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
茨木 俊秀(いばらき としひで、1940年9月29日 - )… 茨木 俊秀(いばらき としひで、1940年9月29日 - )は、日本の計算機科学者。京都大学名誉教授。京都情報大学院大学名誉学長 。専門はアルゴリズム、計算複雑性、組合せ最適化。兵庫県出身。
小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - … 小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - )は、日本の実業家。総合メディカル創業者。元総合メディカル代表取締役社長、現相談役(2020年10月現在)。 東京都葛飾区亀有生まれ。東京大空襲後、鹿児島県に疎開し、日本の降伏後、宮崎県都城市に転居した。1959年宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1961年三共(現第一三共)に入社した。その後1971年に入社した日医リースを経て、1978年総合メディカル設立、専務取締役就任。 1980年同社代表取締役専務。1990年同社代表取締役社長。2004年同社代表取締役会長。2012年同社取締役相談役。2017年同社相談役。 2002年社団法人九州・山口経済連合会(現一般社団法人九州経済連合会)評議員(現審議員)(~2006年) 2004年日本保険薬局協会(現一般社団法人日本保険薬局協会)設立時に総務委員長 2004年社団法人日本経済団体連合会(現一般社団法人日本経済団体連合会)評議員(現審議員)(~2013年) 2007年在福宮崎県人会会長 2009年福岡ベンチャークラブ会長 2009年在福岡スペイン国名誉領事館名誉領事(~2017年) 2011-2012年度国際ロータリー第2700地区ガバナー 2012年ピエトロ創業者村田邦彦、ふくや川原正孝、古賀マネージメント総研古賀光雄らと福岡市創業者応援ファンドを設立
木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29… 木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29日 - )は、日本の検察官。弁護士(牛島総合法律事務所オブ・カウンセル)。元東京高等検察庁検事長。
上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 201… 上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 2019年2月28日)は、日本の絵本作家、画家。本名は中江紀子。 埼玉県生まれ。日本大学藝術学部美術学科。1973年『ELEPHANT BUTTONS』でデビュー。大学の同級生・中江嘉男(なかえよしを)と結婚し、中江が文、上野が絵を描いて絵本を合作。1975年、ねずみくんシリーズの第1作となる『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞受賞。1987年『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年中江とともに巖谷小波文芸賞受賞。 中江のほか、あまんきみこ、舟崎靖子などの作品にも挿絵を描く。挿絵の代表作として、あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房 1982)などがある。
武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は… 武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は、おもに少女漫画を手がけ、1960年代から1970年代にかけて『週刊マーガレット』や『週刊セブンティーン』で多数の作品を発表した日本の漫画家。 大阪府池田市生まれ。日本画専攻の学生時代に、貸本漫画作家としてデビューし、若木書房から貸本用の少女漫画作品を多数発表した。 1961年に雑誌『少女』(光文社)に掲載された『あの波こえて』で雑誌デビューして、以降、『週刊マーガレット』、『週刊セブンティーン』など集英社の少女誌で多数のヒット作を発表し、特に『さぼてんとマシュマロ』はテレビドラマ化されるほどの人気となった。1980年代以降は『BE in LOVE』など女性漫画/レディースコミック誌に活動の場を移した。
高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 … 高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 - 2021年7月15日)は、元NHKアナウンサー。元関西国際大学教授。東京都出身。 上智大学文学部新聞学科卒業。 1963年(昭和38年)、NHK入局。 松山→福岡→静岡→仙台(1982年から)などを歴任。 NHKの報道アナウンサーとして公害問題に特に力を入れた取材を展開した。1995年のNHK大阪放送局勤務を最後に退職。その後関西国際大学・経営学部で教授に就任し、話し言葉についての講義を行うほか、各地で講演活動も行っていた。また、1996年から1997年には関西発ラジオ深夜便のアンカーも担当した。 学生時代からの趣味は、高校生の時に時刻表で高梨駅(魚沼線、1984年廃止)を見つけてそこに出かけて行ったのがきっかけで始めた鉄道旅行で、特に特急や急行を使わずに乗っていくのを好んだ。
松本 啓二(まつもと けいじ、1940年9月27日 - 20… 松本 啓二(まつもと けいじ、1940年9月27日 - 2008年11月8日)は、日本の弁護士。京都府出身。元森・濱田松本法律事務所特別顧問。 渉外金融法務(特にキャピタル・マーケット分野)において高名であった。森・濱田松本法律事務所を退職後は、松本法律事務所を設立するとともに、特定非営利活動法人マネジメントアシストを設立し理事長を務めるなどしてなお活躍していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は… 住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は、日本の経営工学者・社会システム工学者。大阪工業大学名誉教授・第6代工経会会長。工学博士(慶應義塾大学)。元日本経営工学会理事。元日本設備管理学会理事。元日本ロジスティクスシステム学会理事。元オフィス・オートメーション学会編集委員幹事。公益財団法人船井奨学会2022選考委員。瑞宝小綬章受章。 専門は、経営工学・技術マネジメント(特にSCM、QC、OA、FA)、社会システム工学・マーケティング科学・経済工学。 1970年大阪工業大学工学研究科工業経営学専攻修了。その後、慶應義塾大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)教授として長きに渡り教鞭を執り、2006年同大学名誉教授。
萩原量吉(はぎわら りょうきち、1940年(昭和15年)9月… 萩原量吉(はぎわら りょうきち、1940年(昭和15年)9月25日 - )は、三重県の政治家。日本共産党所属の三重県議会議員。四日市ぜんそく問題に取り組んだ反公害活動家(環境運動家)。日本共産党三重県常任委員。 三重県立高等学校教諭を務める際に、四日市市坂部ヶ丘団地に在住した。当時は地元の四日市市で四日市ぜんそくが社会問題化しており、教育委員会に公害対策委員会を設置させるなど、同問題に取り組んだ。 北勢地区の高校教員が創設した四日市公害の対策委員会に参加して、四日市公害の被害地の塩浜地区の公害被害調査に取り組んだ。1971年(昭和46年)に三重県議会議員に当選した後も、公害防止条例の改正や公害対策予算の増額に尽力した。
菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )… 菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )は、日本の木漆工芸家である。 20世紀に世界で初めて、オーストラリア・メルボルンのビクトリア国立美術館(National Gallery of Victoria、略称NGV)にて現存する創作家として漆展を開催し、同時にシナバーレッドの漆器など2点が同美術館所蔵品となった塗師で東京都千代田区出身。女子美術短期大学卒業後、木と漆の人生を一筋に生きている。座右の言葉は「デザインとテクニックは一生の仕事」で、日本の伝統を受け継いで次代を担う若者の発掘をモットーにしており、昭和平成を経て今現在令和の時代に入って[いつ?]NGV所蔵の総数は9点になる。
筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は… 筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は、日本の茶道研究家。号は宗紘、如是庵。 福岡県生まれ。早稲田大学文学部東洋哲学科卒業。同大学院研究科修士課程日本文学専攻修了。文学博士。京都文化短期大学助教授、京都学園大学人間文化学部教授などを経て、京都府立大学客員教授。今日庵文庫長、茶道資料館副館長、茶書研究会会長。一般社団法人文化継承機構の代表理事。2022年、文化庁長官表彰。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2… 東家 夢助(あずまや ゆめすけ、1940年9月22日 - 2018年3月31日)は函館市在住の落語家。東京生まれ。本名∶田中 誠。道南落語倶楽部所属。 1940年、東京都中央区の聖路加国際病院で田中誠として産声を上げる。 1947年、東京都港区立白金小学校に入学、幼いころから落語好きだった。 1953年、明治学院中学校に入学。高校時代は上野にある寄席、鈴本演芸場に通った。高校2年のとき落語家を志す。 1959年、明治学院高等学校を卒業。五代目柳家小さんに弟子入り。7年余り修行する。前座名は師匠初の芸名でもある「栗の助」、4月21日に初高座。 1963年、二ツ目に昇進、柳家小三太に改名。 1966年、芸に行き詰まり苦悩。
古市 忠夫(ふるいち ただお、1940年9月22日 - )は… 古市 忠夫(ふるいち ただお、1940年9月22日 - )は、兵庫県神戸市長田区出身のプロゴルファー。 59歳だった2000年に、史上2番目の年長で日本プロゴルフ協会(PGA)主催のプロテストに合格するとともに、史上最年長でPGAのゴルフインストラクター資格を取得した。 兵庫県立星陵高等学校を経て、立命館大学経済学部を卒業。小学校から高校時代の途中までは野球部、大学時代にはボート部で活動していた。ザ・スパイダースや井上堯之バンドのメンバーであったミュージシャンの井上堯之は、高校の同級生に当たる。 大学卒業後の28歳からは、地元・長田区の鷹取商店街で「東洋カメラ店」を経営。客の誘いで30歳からゴルフを始める と、店舗の経営や地元自治会・消防団での活動と並行しながら、地元の大神戸ゴルフ倶楽部でクラブチャンピオンに輝くほどにまでゴルフの腕を上げた。
中山 欽吾(なかやま きんご、1940年9月22日 - )は… 中山 欽吾(なかやま きんご、1940年9月22日 - )は、日本のオペラ制作者。大分県立芸術文化短期大学理事長兼学長、大分県立総合文化センター館長、東京二期会理事長を歴任。 実業家として活動していたが、叔父であり養父であるバリトン歌手中山悌一に乞われて、二期会に転身し、同会の再建にあたる。2008年(平成20年)10月1日に、大分県立芸術文化短期大学の学長に就任。
川田 絢音(かわた あやね、女性、1940年9月22日 - … 川田 絢音(かわた あやね、女性、1940年9月22日 - )は、日本の詩人。 満洲・斉斉哈爾生まれ。イタリア在住。武蔵野音楽大学中退。2015年、『雁の世』で萩原朔太郎賞を74歳の最高齢で受賞。
石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、… 石井 竜生(いしい たつお、1940年9月22日 - )は、日本の作家、編集者。本名・石井龍雄。 妻は作家の井原まなみ。 神奈川県横須賀市出身。早稲田大学法学部法律学科卒業[要出典]、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。 1967年9月、戸麻竜悟のペンネームでNHKテレビドラマ脚本に「うだでなや」で入選[要出典]。同作品が日本放送作家協会新人賞受賞[要出典]。菊島隆三の内弟子となり、3年間、脚本を執筆[要出典]。妻との合作で推理小説を書き、1976年「アルハンブラの想い出」で第15回オール讀物推理小説新人賞を受賞。同じく夫婦合作の1985年『見返り美人を消せ』で第5回横溝正史賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小口 雄三(おぐち ゆうぞう、1940年9月21日 - 20… 小口 雄三(おぐち ゆうぞう、1940年9月21日 - 2010年2月14日)は、日本の経営者。三協精機社長を務めた。 長野県出身。1963年に武蔵工業大学工学部電気通信工学科を卒業し、同年4月に三協精機に入社。1992年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務を経て、1997年4月には社長に就任。2004年4月に相談役に就任。 2010年2月14日に急性心不全のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 201… 上田 健二(うえだ けんじ、1940年9月21日 - 2010年2月3日)は、日本の法哲学者、刑法学者。 京都市生まれ。同志社大学法学部教授。ドイツのミュンヘンに留学し、グスタフ・ラートブルフの弟子であるアルトゥール・カウフマンに影響を受けた。ドイツの法哲学について造詣が深く、アルトゥール・カウフマン『法哲学』を代表とした数多くの訳業がある。 他にも『同志社法学』などに発表した訳業が数多く存在する。
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20… 麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。
越村 敏昭(こしむら としあき、1940年〈昭和15年〉9月… 越村 敏昭(こしむら としあき、1940年〈昭和15年〉9月20日 - 2023年〈令和5年〉8月13日)は、日本の実業家。東京急行電鉄社長・会長、東急グループ代表、日本ショッピングセンター協会会長、五島美術館理事長等を歴任した。 静岡県出身。1956年、静岡県立静岡高等学校入学(2年次修了まで在籍し転校)。早稲田大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)4月、東京急行電鉄株式会社入社。1995年(平成7年)6月、取締役。1999年(平成11年)6月、常務取締役。2001年(平成13年)6月、専務取締役。2003年(平成15年)6月、代表取締役。2005年(平成17年)6月、代表取締役社長。2011年(平成23年)4月、取締役会長。
佐藤 光信(さとう みつのぶ、1940年9月20日 - 20… 佐藤 光信(さとう みつのぶ、1940年9月20日 - 2021年10月30日)は、日本の歯科医師、歯学者。徳島大学名誉教授。元徳島大学歯学部口腔腫瘍制御学(口腔外科学第二)講座教授。元日本口腔組織培養学会会長。 1964年大阪大学歯学部卒業、1968年同大学院歯学研究科修了。以後同大学助手、講師を務め、1980年より徳島大学口腔外科学第二講座(現、口腔腫瘍制御学)教授。現在徳島大学名誉教授。2021年10月30日死去。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。 1969年、大阪大学より歯学博士の学位を得る。論文は「Rous肉腫のフェノール抽出物中のインターフェロン産生物質」。
安部 正一(あべ しょういち、1940年9月20日 - 20… 安部 正一(あべ しょういち、1940年9月20日 - 2018年5月4日)は、日本の経営者。住友倉庫社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1963年に京都大学法学部を卒業し、同年に住友倉庫に入社した。1994年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務を経て、2000年6月には社長に就任。2015年6月に会長に就任。。 2005年4月に藍綬褒章を受章。 2018年5月4日、心不全のために死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大沢 辰美(おおさわ たつみ、女性、1940年9月20日 -… 大沢 辰美(おおさわ たつみ、女性、1940年9月20日 - )は日本の政治家。日本共産党参議院議員を1期務めた。日本共産党中央委員会委員、災害対策部会長。 兵庫県朝来郡朝来町(現朝来市)出身。兵庫県立有馬高等学校を経て、1962年岡山県川崎高等看護学院卒業。 国立療養所兵庫中央病院に13年間勤務した後、1972年より兵庫県三田市議を5期20年務める。1998年の第18回参議院議員通常選挙で兵庫県選挙区(定数2議席)から出馬し初当選を果たす。国政選挙挑戦4度目、兵庫の共産候補としては過去最多得票(582,244票)での当選であった。 しかし2004年の第20回参議院議員選挙に再選を期して同選挙区から出馬するも次点で落選。
大羽 進(おおば すすむ、1940年9月19日 - )は、東… 大羽 進(おおば すすむ、1940年9月19日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 中学時代から王貞治と対戦しており、地区大会決勝で対戦するも敗北。日本大学第一高校に進学。2年生時にはエースとして1957年夏の甲子園都予選決勝に進み、早稲田実業高の王と投げ合うが完封負けを喫する。しかし翌1958年春季関東大会都予選では早実高を完封、関東大会決勝まで進むが銚子商に惜敗した。夏の都予選では4回戦で敗退、甲子園には出場できなかった。王とは3度対戦したが1勝2敗であった。 高校卒業後は明治大学に進学する予定だったが、家業のメッキ工場が倒産したこともきっかけになって急遽進学をとり止め、プロ入りすることを決意し1959年に広島カープへ入団した。
小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月1… 小原 豊明(おばら とよあき、1940年(昭和15年)9月19日 - )は、日本の政治家・元官僚。元二戸市長。 岩手県二戸市出身。1963年(昭和38年)北海道大学農学部卒。1963年(昭和38年)厚生省に入省。同省国立公園部レンジャーを経て、1978年(昭和53年)環境庁設立の参画に加わり、同庁大気保全局に入局。1988年同庁同局課長、1991年(平成3年)同庁同局国立公園課長を務めたのち退職。 1992年(平成4年)二戸市長選に出馬し、当時の現職市長國分保男との一騎討ちによる選挙戦を制し初当選を果たす。以来、2006年(平成18年)1月1日に浄法寺町との新設合併により新たな二戸市が誕生するまでの間に4期連続で当選(うち2回は無投票)し、合併直後の2006年1月29日の市長選でも対立候補の元県議であった工藤篤を破って当選し新市の初代市長となり、2010年(平成22年)1月に当時の副市長小保内敏幸に市長を譲り、勇退するまで旧二戸市時代も含め計5期約18年に渡り市長を務めた。
下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、… 下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、日本の女優、声優。福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。劇団手織座を経て、プロダクション・タンク所属。下川 清子の名を使っていた時期もある。地方出身を活かして柳川弁や久留米弁の方言指導も行う。
竹中 淑子(たけなか よしこ、1940年9月18日 - )は… 竹中 淑子(たけなか よしこ、1940年9月18日 - )は、日本の数学者。慶應義塾大学名誉教授。
佐久間 実(さくま みのる、1940年〈昭和15年〉9月17… 佐久間 実(さくま みのる、1940年〈昭和15年〉9月17日 - )は日本の政治家・元埼玉県議会議員(9期)。元自民党県議団長。会社社長。 埼玉県立春日部高等学校卒業。会社役員、春日部市議会議員、同議長、自民党埼玉県連青年部長を経て、1979年4月実施の埼玉県議会議員選挙に東7区(春日部市、のち東8区)から立候補し、初当選。以後、9回連続当選。 埼玉県議会第90代議長に就任(1989年3月から1990年6月)。 1992年に埼玉県知事に就任した土屋義彦と対立。議長退任後の1993年5月、過去の埼玉県議会議長選挙をめぐる汚職事件が発覚し、佐久間は収賄容疑で逮捕された。佐久間は自民党県議団を離団し、議員辞職した。
井原 文之(いはら ふみゆき、1940年9月16日 - )は… 井原 文之(いはら ふみゆき、1940年9月16日 - )は、元日本男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元富士フイルムの選手・監督。広島県佐伯郡三高村(現江田島市)出身。崇徳高等学校卒。身長167cm。 高校時代は崇徳高校の九人制のバック選手として活躍。レシーブの名手として知られた。1959年、当時は企業名もほとんど知られていなかった富士フイルムに入社。1964年の九人制全日本総合選手でチーム初優勝に貢献したが、会社が翌1965年度を最後に九人制をやめ、六人制一本に絞ったため167cmのレシーバーに出番はなく1966年引退。大卒のエースだった同期の小山勉部長が監督に就任するのとは対照的にバレー部を去り7年間工場勤務。
八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県… 八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。
佐藤 茂秋(さとう しげあき、1940年(昭和15年)202… 佐藤 茂秋(さとう しげあき、1940年(昭和15年)2023年 (令和5年 9月16日) - )は、日本の医学者。専門は分子疫学、衛生学。神戸大学名誉教授。 1959年(昭和34年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年(昭和40年)、東京大学医学部医学科卒業。1985年(昭和60年)、富山県衛生研究所長の時、「環境発がん物質の複合効果と人体に対する危険度の評価」代表研究者として日産財団研究助成金を受領。1987年(昭和62年)2月、国立がんセンター研究所生化学部部長の時、「加熱食品中の発癌物質のヒト発癌に対する危険度の実験的検討」に1986年度高松宮妃癌研究基金助成金を受領。1991年(平成3年)、神戸大学医学部衛生学講座教授。
蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音… 蒲田 耕二(かまた こうじ、1940年9月15日 - )は音楽評論家。本名、鎌田紘次。 愛媛県今治市出身。1964年、東京外国語大学フランス語科卒。同年、音楽之友社に入社。1969年、日本リーダーズダイジェスト社に転じる。1976年に独立しフリーとなる。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は… 松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は、日本の経営学者。神奈川大学名誉教授。専門は、海外広報論、企業市民論、英文出版・編集、アメリカ社会事情、ボランティア論、市民協働。「企業市民」の提唱者。英文国際比較統計集「Japan 1980」シリーズの生みの親。「松岡紀雄の公式YouTube」に、本人が80歳を超えて作成したスライド471枚、4時間24分のナレーションで構成するユニークな自分史、「自分勝手な記憶で綴るスライド自叙伝-松岡紀雄の80年の歩み」を公開。 愛媛県松山市出身。1964年京都大学法学部卒業後、松下電器産業(株)(現パナソニック)入社。松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表や英文国際版PHP編集長等を歴任。
宮西 正宜(みやにし まさよし、1940年9月14日 - )… 宮西 正宜(みやにし まさよし、1940年9月14日 - )は、日本の数学者。専門は、代数幾何学・可換環論。学位は、理学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授。2019年瑞宝中綬章受章。滋賀県出身。 京都大学理学部数学科卒業。 長年大阪大学教授を務め、2003年に退官し、名誉教授。2003年から関西学院大学教授を務め、2009年に定年退職、数理科学研究センター客員研究員となる。代数幾何学における重要な未解決問題 Jacobian Conjecture を長年研究している。 僧侶だけあって物事に厳しい一面ももつ。しかし、本人曰く実際は親が僧侶であり本人は僧侶ではないと、このことを否認している。高校の教科書の作成にも携わっている。
坂井 昌治(さかい しょうじ、1940年9月14日 - )は… 坂井 昌治(さかい しょうじ、1940年9月14日 - )は、日本の実業家。名鉄運輸相談役、元同社社長。 1940年岐阜県に生まれる。1964年に滋賀大学経済学部を卒業。同年名古屋鉄道入社。同社常務取締役、専務取締役、名鉄運輸代表取締役副社長、代表取締役社長を経て、2008年より現職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大島 富五郎(おおしま とみごろう、1940年9月13日 -… 大島 富五郎(おおしま とみごろう、1940年9月13日 - 2026年1月9日)は、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)出身のプロゴルファー。 今市高校では野球部の主将としてチームをまとめ、8つ先輩には作曲家の船村徹がいる。 卒業後は生まれ故郷にオープンした鬼怒川カントリークラブに就職し、所属プロであった中村寅吉の弟子・藤井正五に習ったため、中村の孫弟子を自認している。 その後は静岡・御殿場の富士小山ゴルフ倶楽部で修業を重ね、1964年12月にプロ入りする。 1966年の日本オープンに直近のブロック大会の優勝者として出場権を得て初出場を果たし、2日目には同郷の先輩小針春芳、石井朝夫と回り、イーグルもあって69で回って首位に立った。
川北 稔(かわきた みのる、1940年9月12日 - )は、… 川北 稔(かわきた みのる、1940年9月12日 - )は、日本の歴史学者。専門は、イギリス近世・近代史。大阪大学名誉教授。文学博士(大阪大学・1983年)。別名・北川信也。 大阪府生まれ。奈良女子大学文学部附属高等学校(現:奈良女子大学附属中等教育学校)を経て、1963年、京都大学文学部西洋史学科卒業。京都大学大学院文学研究科修士課程修了後、1967年、京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程中退。 1967年大阪大学文学部助手、1969年大阪女子大学学芸学部社会福祉学科講師、1970年同助教授を経て、1976年から大阪大学文学部助教授、1987年から同教授。2004年に同大学を定年退職ののち、名古屋外国語大学教授、国際高等研究所副所長、京都産業大学文化学部客員教授、佛教大学歴史学部歴史学科特別任用教授を歴任。
大塚 祐司(おおつか ゆうじ、1940年9月12日 - 20… 大塚 祐司(おおつか ゆうじ、1940年9月12日 - 2025年6月6日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手。 米子工業高校から1959年に阪急ブレーブスへ入団。 2025年6月6日午後3時27分、心不全のため死去。3日後の9日にはオリックス・バファローズが米子市内の施設で死去したと発表した。84歳没。
渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日… 渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日本文学研究者、中央大学名誉教授。宮沢賢治、太宰治、石川啄木など日本近代文学を専門とする。2020年瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。東京大学文学部卒業、1971年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1967年武蔵高等学校教諭、1971年立正大学教養部専任講師、1975年助教授、1976年中央大学文学部助教授、1984年教授。1986年日本近代文学会評議員。2011年定年退任、名誉教授。退任後は岩手県下閉伊郡山田町に移住した。2020年春、瑞宝中綬章受章。 妻の渡部紀子は芹沢光治良の研究者。
工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本… 工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本の実業家。元セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立四日市高等学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、東北大学法学部卒業後、いすゞ自動車入社。ミサワホームを経て、1976年ヨークセブン入社。1981年セブン-イレブン・ジャパン取締役オペレーション本部ゾーンマネジャー。1986年セブン-イレブン・ジャパン取締役商品部長。1989年セブン-イレブン・ジャパン常務取締役商品本部長。1994年セブン-イレブン・ジャパン専務取締役商品本部長。1997年セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。2002年セブン-イレブン・ジャパン取締役副会長。
橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)… 橋本 鋼太郎(はしもと こうたろう、1940年(昭和15年)9月11日 - )は、日本の建設官僚。元建設事務次官。土木学会認定特別上級土木技術者(調査・計画)。
中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月… 中原 正純(なかはら まさずみ、1940年(昭和15年)9月11日 - 2016年(平成28年)11月10日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 現在の駒ヶ根市出身。長野県赤穂高等学校卒業。昭和46年(1971年)駒ヶ根市議会議員に初当選し、のちに議長を務める。昭和63年(1988年)駒ヶ根市長選挙に当選し、5期務めた。在任中は国道153号伊南バイパスの建設に尽力し、平成の大合併では、上伊那郡3町村との「中央アルプス市」構想を推進したが、反対多数の住民の意向を受けて断念した。 その他、長野県市長会長、全国市長会副会長、全国土地改良事業団体連合会副会長などを歴任した。平成10年(1998年)藍綬褒章、平成22年(2010年)旭日中綬章受章。
知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、… 知念 恒男(ちねん つねお、1940年9月11日 - )は、日本の政治家。沖縄県初代うるま市長(1期)、具志川市長(2期)、具志川市議会議員(6期)などを歴任した。 沖縄県具志川村具志川出身(現・沖縄県うるま市具志川)出身。沖縄国際大学短期大学部卒。1970年から具志川市議会議員を6期連続で務め、議長に就任した。1998年、具志川市長に当選。2期務めた。2005年に具志川市は合併でうるま市となり、合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選、初代うるま市長として、合併後うるま市の基盤づくりに努めた。。うるま市長は1期務め、2009年に退任した。2011年11月3日、秋の叙勲において旭日中綬章受章した。