奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2… 奥島 孝康(おくしま たかやす、1939年4月16日 - 2024年5月1日)は、日本の法学者。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。 専門は会社法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1976年、学位論文『現代会社法における支配と参加-現代フランス会社法研究』)。大野實雄(早稲田大学名誉教授)門下。 早稲田大学名誉教授、早稲田大学第14代総長(1994年11月 - 2002年11月)、白鷗大学第5代学長(2013年4月 - 2021年3月)、日本高等学校野球連盟第6代会長、ボーイスカウト日本連盟第10代理事長(2010年 - 2020年)、ボーイスカウト日本連盟第9代総長、元埼玉県公安委員会委員長を歴任した。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 201… 小出 義雄(こいで よしお、1939年4月15日 - 2019年4月24日)は、陸上競技の元選手。佐倉アスリート倶楽部代表取締役。マラソン・中長距離選手の指導者。順天堂大学客員教授。千葉県佐倉市出身。 大きなサングラスが特徴で、小出正子は実子。高橋健一は婿にあたる。 千葉県立山武農業高等学校卒業後、家業の農業に従事していたが、陸上競技への思いを断ち難く出奔。小出の語るところによると、「電話工事のアルバイトや工事現場の作業員をやりながら食いつなぎ、昭和高圧(現在の高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を続けた」後に苦学の末、22歳で順天堂大学体育学部に入学。箱根駅伝に3年連続出場(1年時の第38回は5区区間10位、2年時の第39回は8区区間3位、3年時の第40回は8区区間5位)。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
吉川 淳(よしかわ あつし、1939年4月14日 - )は、… 吉川 淳(よしかわ あつし、1939年4月14日 - )は、日本の経済学者、元経済企画審議官。大阪学院大学経済学部名誉教授。奈良県出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
松尾 武(まつお たけし、1939年4月14日 - )は、元… 松尾 武(まつお たけし、1939年4月14日 - )は、元NHK所属のテレビドラマのディレクター・プロデューサー。 1962年NHKに入局、1997年に理事に就任、1999年に専務理事・放送総局長に就任する。2001年の退任後には日本放送出版協会の社長に就任する。第14、15期著作権審議会委員。日本映画テレビプロデューサー協会監事。
小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は… 小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )… 勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )は、日本の元文部官僚。元鈴鹿工業高等専門学校校長。 1963年大阪工業大学工学部建築学科を卒業し、同年に文部省(現在の文部科学省)入省(技官)。旧文教施設部(現文教施設企画部)技術課管理官、計画課施設企画官、技術課長、指導課長、東京外国語大学事務局長、山形大学事務局長を経て、1996年7月より文部省大臣官房文教施設部長。1998年7月より鈴鹿工業高等専門学校校長。2004年5月より文教施設協会専務理事。公共建築協会理事(非常勤)。 2010年春の殊勲に於いて、瑞宝中綬章を受章。
岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、… 岡本 宏(おかもと ひろし、1939年4月10日 - )は、日本の医学者、東北大学監事・名誉教授、医学博士(京都大学)。研究の中心は細胞の生死のメカニズムを解明することであり、特にインスリンを産出する膵臓細胞が壊れる仕組みを解明したことで知られる。瑞宝中綬章受章、日本学士院賞受賞。 古書の蒐集が趣味で、ニューヨークの古書店から約300万円で購入した種の起源の初版本を、東北大学附属図書館が百周年を迎えるのに合わせて寄贈した。
安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1… 安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、茨城県土浦市出身(兵庫県西宮市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 兵庫県西宮市平松町で出生後に、実父の転勤で土浦市内に転居。土浦一高進学後は、2年次の1956年まで木内幸男監督の指導を受け、3年次の1957年夏に遊撃手兼控え投手として夏の甲子園へ出場。山本秀一を擁する県和歌山商との初戦に勝利したものの、高木守道を擁する県岐阜商の前に完封負けを喫した。 高校卒業後は1958年に慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、3年次の1960年秋季リーグの早慶六連戦では一番打者、遊撃手として活躍。
荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、… 荒木 芳久(あらき よしひさ、1939年4月8日 - )は、日本の男性脚本家。主にテレビアニメを手がけた。 東京府出身。東京都立大森高等学校放送同好会および日本大学芸術学部で脚本などの作劇を学び、卒業後は東映の脚本家に師事しテレビドラマを手掛ける傍ら、系列の東映動画の作品 ひみつのアッコちゃんの制作現場に呼ばれる。その後もフリーとして各社で仕事を重ね、日本サンライズにおいては『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』、『機動戦士ガンダム』、『戦闘メカ ザブングル』を始めとする富野由悠季監督作品や『無敵ロボ トライダーG7』や『最強ロボ ダイオージャ』等の作品を手がけた。
長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 20… 長友 啓典(ながとも けいすけ、1939年4月8日 - 2017年3月4日)は、日本のグラフィックデザイナー。東京造形大学客員教授。 大阪府大阪市阿倍野区に生まれる。大阪府立天王寺高等学校卒業後、浜松市に本社を置く鉄工所に旋盤工としての勤務を経て上京し、倉庫番、機械の修理工など職を転々とする。 20歳の時、当時勤務していた会社の社長の息子がアメリカ帰りのグラフィックデザイナーだったことから、当時桑沢デザイン研究所を紹介され、ここで恩師・田中一光に出会うと共に、田中からエディトリアルデザインを学ぶ。日宣美の入選を経て、田中に早川良雄を紹介され、早川の下で色彩感覚を身につける。またここでのちにK2を設立することになる黒田征太郎と出会う(のちに黒田は武者修行として一年半の間、ニューヨークへ渡る)。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
大城 伸彦(おおしろ のぶひこ、1939年〈昭和14年〉4月… 大城 伸彦(おおしろ のぶひこ、1939年〈昭和14年〉4月7日 - )は、日本の政治家。元静岡県伊豆市長(1期)。 明治大学工学部卒。東芝に入り、東芝テック三島工場長などを務めた。2001年静岡県修善寺町長に当選。2004年修善寺町は近隣3町と合併し、伊豆市が誕生。合併後の市長選挙に当選した。市長を1期務める。2008年退任した。
岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 -… 岸 香織(きし かおり、1939年〈昭和14年〉4月6日 - 2012年〈平成24年〉6月5日)は、宝塚歌劇団卒業生、宝塚歌劇団公演編成会議議員。本名は岸本理恵子(きしもと りえこ)。 公称身長156cm。愛称は「キッシャン」(姓に由来)。後輩の大方からはキシモトさんと呼ばれていた。 大阪府大阪市出身、大谷高等学校出身。 1957年、宝塚音楽学校入学。1959年、45期生として、宝塚歌劇団入団。宝塚入団時の成績は57人中26位。雪組公演『花田植え/ラブリーロマンス』で初舞台。のちに雪組に配属される。同期生には、高城珠里(元星組男役)、八汐路まり(元月組主演娘役)、藍葉子(野坂昭如と結婚、娘は花景美妃・愛耀子)など。
飯塚 真(いいづか しん、1939年4月6日 - )は、日本… 飯塚 真(いいづか しん、1939年4月6日 - )は、日本の銀行家。 茨城県出身。1964年に東京大学農学部を卒業し、同年に足利銀行に入行。1992年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1998年11月に専務を経て、2000年6月には頭取に就任。2002年6月から2005年2月までに特別顧問を務めた。
山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、… 山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、日本のエッセイスト、アドバイザー、コメンテイター。ミス日本コンテスト関東大会委員長、山下塾主宰者。元夫は脚本家のジェームス三木。息子は俳優の山下規介。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会審議委員を務めた。 本名、山下憲子。満洲国三江省で生まれる。1955年、岩手県立盛岡商業高等学校入学。上京後、文化服装学院在学中に三木と知り合い、1960年3月1日に結婚。ジェームス三木事務所を設立、20年間にわたって三木の秘書を務める。三木との間に二男一女を生む。 1988年秋、ごま書房から『女房学入門』を出版。この本の中で、三木の浮気相手が押しかけてきても慌てず騒がず、三木への電話の取次ぎまでした体験を語る。
潮谷 義子(しおたに よしこ、1939年4月5日 - )は、… 潮谷 義子(しおたに よしこ、1939年4月5日 - )は、日本の政治家。元熊本県知事(公選第15・16代)。 同じ2000年に大阪府知事に初当選した太田房江に続く日本で2人目の女性知事として知られた。日本福音ルーテル教会熊本教会会員でもあり、知事選告示日には出陣式を兼ねて当選祈願礼拝が行なわれた。 佐賀県出身。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀西高校・佐賀北高校・佐賀東高校)、日本社会事業大学社会福祉学部卒業。 佐賀県、大分県で社会福祉主事を務め、その後熊本県の慈愛園乳児ホームの園長を務める。 1999年、当時の熊本県知事であった福島譲二に福祉関連政策のブレーンとして副知事に抜擢される。民間登用の女性副知事として、にわかに県民の注目を浴びていたところ、翌2000年2月25日に福島知事が急死。
塩田勉(しおた つとむ、1939年4月5日- )は、日本の英… 塩田勉(しおた つとむ、1939年4月5日- )は、日本の英文学・言語学者、早稲田大学名誉教授。 東京府(現中野区)生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。英国、フランスの大学で応用言語学を研究。ニュージーランドのカンタベリー大学講師、早稲田大学語学教育研究所教授を経て、所長。2004年早稲田大学国際教養学部教授を務め、2010年退職、名誉教授。専攻は文体論と英語教育。
高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年… 高島平吾(たかしま へいご、1939年4月5日- 2024年1月6日)は、日本の編集者・翻訳家。 兵庫県出身。本名・福住治夫。早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒。美術出版社勤務。1971~73年『美術手帖』編集長。のち『あいだ』編集長。
村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよ… 村田 耕一(むらた こういち、本名:村田 清照(むらた きよてる)、1939年4月5日 - 2006年11月7日)は、日本のアニメーター。有限会社オープロダクション代表取締役。新潟県柏崎市出身。 1970年5月、塩山紀生、小松原一男、米川功真と共にOH!プロダクション(以下、OH!プロ)を設立する。OH!プロでは、東映動画班と東京ムービーの子会社であったAプロダクション班(現在のシンエイ動画の前身)に分かれて二社の作品を製作していたが、村田はAプロ班の中心アニメーターとして、原画、作画監督などを務め、多くの作品に取り組んだ。また、OH!プロ代表取締役として同社の経営に当たった。 村田はAプロ班のアニメーターとして同社の作品にかかわる中で、高畑勲、宮崎駿らと深い関係を築き、二人の作るアニメ映画やテレビアニメに参加し、作画監督として活躍した。
畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )… 畠山 みどり(はたけやま みどり、1939年4月5日 - )は日本の演歌歌手。本名は千秋 みどり(せんしゅう みどり)。北海道士別高等学校卒業。 北海道稚内市出身。北海道士別高校卒業後、デザイナーを志し上京し文化服装学院に入学するも、幼少時からの歌手の夢が棄て難く退学。古賀政男ギター学院へ入学し、レッスンに励む。一時は練習生として大橋節夫とハニー・アイランダースでハワイアンを歌っていた。 1960年、素人のど自慢番組『トップライトショウ』(ニッポン放送)で優勝したことでレコード会社の関係者の目に入り、日本コロムビアに入社。入社後1年4ヶ月間、船村徹のもとでレッスンに通うかたわら、島倉千代子らコロムビアの看板歌手の前座を務めたのち、1962年に「恋は神代の昔から」でデビュー。
田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 201… 田中 裕康(たなか ひろやす、1939年4月4日 - 2017年8月3日)は、福島県出身のプロ野球選手。 磐城高校から中央大学を経て1962年に中日ドラゴンズへ入団。1965年に引退。
青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は… 青山 善充(あおやま よしみつ、1939年4月4日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事手続法。東京大学名誉教授。公益財団法人日本スポーツ仲裁機構評議会会長。長野県高遠町(現・伊那市)出身。三ヶ月章門下。弟子に松下淳一、大橋眞弓、貝瀬幸雄など。
及川 正通(おいかわ まさみち、1939年4月4日 - )は… 及川 正通(おいかわ まさみち、1939年4月4日 - )は、日本のイラストレーターである。東京イラストレーターズ・ソサエティ会員。 旧関東州・大連生。横須賀高等学校定時制卒業後、16歳で横須賀市のデパートさいか屋に入社し、ポスターのデザイナーとして9年間勤務。1963年「SOULS OF NEGRO」を日宣美展に出展し入選したのを機にプロのデザイナーとしてデビュー。 その後主婦と生活社に4年間勤務後、1968年にフリーとなり横尾忠則と共同事務所「ジ・エンドスタジオ」を立ち上げ、天井桟敷のポスターなどを手がける。1972年「平凡パンチ」に連載した“ドッキリメント劇画”などで注目を浴びる。 1975年から、書籍・プレイガイド(チケットぴあ)会社のぴあが運営する情報雑誌「ぴあ」の表紙を担当し続け、2007年、「同じ雑誌の表紙イラスト画家として世界一長いキャリアを持つ人物」ということで、ギネス世界記録に登録された。
石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月… 石川 達紘(いしかわ たつひろ、1939年〈昭和14年〉4月4日 - )は、日本の元検察官、元弁護士(2023年5月15日付で法曹資格を喪失)。 山口県出身。1958年下松工業高校工業化学科卒業。1962年中央大学法学部を卒業後、同年に23歳で司法試験合格。司法修習生17期を経て、1965年に検事任官。任官同期に原田明夫(検事総長)ら。 1982年東京地検特捜部副部長に就任。岡田茂の三越事件、リッカー事件、平和相互銀行事件、新薬スパイ事件、撚糸工連事件などに関わる。 1986年10月、河井信太郎以来、私立大学出身者としては2人目の法務省刑事局刑事課長に就任。 その後、法務省大臣官房会計課長を経て、1989年に東京地検特捜部長に就任し、金丸信の巨額脱税事件、ゼネコン汚職事件などを指揮した。
湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 20… 湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 2003年11月26日)は、日本の自動車技術者、実業家。元豊田工機代表取締役社長。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1962年東北大学工学部機械工学科卒業。トヨタ自動車で開発に携わり、トヨタ自動車工業労働組副執行委員長等を経て、1992年には石坂芳男、白水宏典らとともに取締役に昇格した。豊田工機常務取締役、豊田工機代表取締役副社長を経て、2000年からは豊田工機代表取締役社長を務めていたが、2003年に出張先の東京都内のホテルで死亡しているのが発見され、覚王山日泰寺で社葬が行われた。
東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 20… 東郷 たまみ(とうごう たまみ、1939年4月3日 - 2016年5月)は、日本の洋画家、歌手。二科会絵画部会員。 1939年に画家・東郷青児の長女として生まれる。立教女学院に在学。 1956年には、画家として二科展に初入選する一方で、歌手としてもデビューを果たし、ソロでジャズを歌い、朝丘雪路、水谷良重とトリオ「七光り三人娘」を組んでステージに立つこともあった。1958年の第9回NHK紅白歌合戦では、水谷良重、沢たまきとのトリオで「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」を歌っており、この時の音声が現存している。 1960年、勉学に専念するため、絵と歌を中断し、単身渡米しカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に留学する。
櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年… 櫻井 武次郎(桜井 武次郎、さくらい たけじろう、1939年4月3日 - 2007年1月22日)は、日本の国文学者。神戸親和女子大学名誉教授。近世文学、特に俳諧が専門。 大阪府豊能郡(現豊中市)出身。高野山大学文学部卒業。園田学園女子大学助教授、親和女子大学助教授、神戸親和女子大学教授、名誉教授。 2002年「奥の細道の研究」で、早稲田大学より博士(文学)の学位を取得。 2007年1月22日、筋萎縮性側索硬化症のため死去。67歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4… いわむら かずお(本名:岩村 和朗〈読み同じ〉、1939年4月3日 - 2024年12月19日)は、日本の絵本作家。代表作に『14ひきのひっこし』などの「14ひきのシリーズ」。 東京都足立区に生まれる。6人兄弟で育ち、5歳の時に兄と2人で秋田県の祖父母の家に疎開。戦後東京に戻り、杉並区の8畳一間の借家で8人暮らしをした。 1958年(昭和33年)に東京都立西高等学校、1964年(昭和39年)に東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。サラリーマン生活を経て1970年(昭和45年)『ぷくぷくの絵本』で絵本作家デビュー。1975年(昭和50年)、36歳のときに栃木県芳賀郡益子町に移住、畑を耕しながら創作活動を続ける。
木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 … 木村 充(きむら みつる 1939年(昭和14年)4月3日 - 1998年(平成10年)5月1日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家である。 益子焼の陶芸家である木村一郎の長女である滋子と結婚し、木村家に婿養子として入り、義父である木村一郎に師事し、木村一郎の逝去後に「木村窯」を2代目として引き継いだ。 1939年(昭和14年昭和14年)4月3日、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)に生まれる。 栃木県立今市高等学校を卒業後、鬼怒川温泉の元湯共同組合の専務を務めていたが、その一方でちゃんちゃんこを着て鬼怒川温泉街をふらついており「鬼怒川温泉の風来坊」と渾名されていた。 そんな時に、益子焼の陶芸家である木村一郎の長女・滋子との縁談が持ち込まれた。
髙木 茂(たかぎ しげる、1939年4月1日 - )は、日本… 髙木 茂(たかぎ しげる、1939年4月1日 - )は、日本の実業家。三菱地所相談役、元代表取締役社長。慶應義塾大学評議員。 群馬県高崎市出身。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱地所株式会社入社。取締役副社長兼ビル事業本部長、代表取締役社長、取締役相談役などを歴任した。 慶應義塾大学評議員、一般社団法人全日本駐車協会会長、一般社団法人日本ビルヂング協会連合会会長、千代田区観光協会会長、東京商工会議所監事等も務めている。 2005年3月29日、大阪市北区の複合施設「大阪アメニティパーク」内のマンションを、土壌汚染の事実を告げずに販売したとして、大阪府警察は三菱地所の高木、三菱マテリアル西川章会長ら両社の当時の幹部10人と、法人としての両社を宅地建物取引業法違反容疑で書類送検した。
富永 英義(とみなが ひでよし、1939年(昭和14年)4月… 富永 英義(とみなが ひでよし、1939年(昭和14年)4月1日 - )は、日本の工学者。専門は、情報通信網工学。公益財団法人電磁応用研究所理事長。早稲田大学名誉教授。 情報通信技術の分野において、ディジタルマルチメディアに対する各種の符号化方式の提案と国際標準化のための体系化を行い、その成果として、磁気記録と画像通信の研究分野において画期的な情報の符号化方式を創案して国際準備化に貢献するなど、この学問領域において世界を代表する著名な研究者である。代表的な成果を三つ列挙する。 また同時に、若い研究者育成にも非常に熱心に取り組み、平成10年に早稲田大学国際情報通信研究センター(GITI)所長として、研究独立大学院を設立して、早稲田大学内における情報通信研究教育の基盤を確立し、アジア諸国を中心とした研究教育の連携と共に、産官学の共同研究体制を構築するなど、情報通信分野における人材育成にも多大な貢献をした。
河村 博旨(かわむら はくし、1939年4月1日 - 201… 河村 博旨(かわむら はくし、1939年4月1日 - 2016年10月26日)は、日本の法学者。商法、特に会社法を専門とする。函館大学の学長を13年間務めた。青江由紀夫のペンネームを使う事もあった。 広島県芦品郡有磨村(現在の福山市芦田町)の出身。織物業を営み長い歴史を持つ家の、2男3女の長男として生まれた。父親は有磨村の要職を務め、最期の芦田町長となった河村實。親の實と不仲であり、大学在籍中に勘当される。1961年、中央大学法学部政治学科卒業。水島広雄がそごう経営の傍ら中央大学法学部で講師をしていた頃の教え子としてもたびたび名前が挙がった。1964年、中央大学大学院法学研究科民事法専攻修士課程を修了。
阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日… 阿部 光子(あべ みつこ、1939年3月31日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。東京俳優生活協同組合所属。夫は俳優・声優の安田隆(1988年死別)。 1958年、東京都立新宿高等学校卒業。1959年、劇団東芸附属研究所に入所し、1960年に劇団員となる。1966年より東京俳優生活協同組合に所属。 趣味は手芸。特技は福島弁(会津弁)。ホールヘルパーの資格を持つ。
松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31… 松岡 博(まつおか ひろし、1939年(昭和14年)3月31日 - 2013年(平成25年)7月25日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1987年)。大阪大学名誉教授。元大阪大学副学長。帝塚山大学学長・帝塚山大学国際ビジネス法務塾塾長を歴任。弁護士(大阪弁護士会、土居総合法律事務所)。大阪市人事委員会委員長。大阪市出身。 1957年、大阪府立清水谷高等学校卒業。1961年、大阪大学法学部卒業。専門は、国際私法・国際取引法。 1970年に大阪大学法学部助教授。1974年、米ハーバード・ロー・スクール客員研究員。1981年、大阪大学法学部教授。1987年、大阪大学より法学博士の学位を取得。
川名 大(かわな はじめ、1939年3月31日 - )は、日… 川名 大(かわな はじめ、1939年3月31日 - )は、日本の俳句研究者。 千葉県(現南房総市)生まれ。千葉県立安房高等学校、早稲田大学第一文学部卒、慶應義塾大学・東京大学両大学院修士課程にて近代俳句を専攻。三好行雄、高柳重信に学ぶ。東京都立三田高等学校教諭、聖光学院中学校・高等学校(横浜市)教諭、東京都公文書館史料編纂係などを歴任した。近代俳句の軌跡を俳句表現史の視点から構築。2022年、第22回現代俳句大賞受賞。
茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月… 茅原 南龍(ちはら なんりゅう、1939年〈昭和14年〉3月31日-)は、 沖縄県石垣市出身の書家。本名は茅原 善元(ちはら ぜんげん)。 石垣市役所1階 コミュニティールーム 2025年12月12日(水)~16日(日) 古酒泡盛「おもろ」は2017年10月27日発売(初回出荷分300本限定) (石垣空港・空港駐車場前銘板)門標の石材は、沖縄県最高峰の地元於茂登岳麓産を使用し、毛筆の持ち味を引き出す深彫加工を施している。※石垣空港ターミナル棟正面の黒色の毛筆看板は、同郷の書家 豊平峰雲作である。 第32回全国豊かな海づくり大会 美ら海おきなわ大会開催記念碑 2013年3月16日除幕 標語「魂」(こころ) を第69代横綱白鵬関と記者会見特設会場にて合作揮毫 「満員御礼」懸垂幕揮毫 大相撲沖縄場所実行委員会 冬巡業にて題字『魂』(こころ)を第69代横綱白鵬関とともに大揮毫(動画再生) 2015年8月25日(県庁1階特設記者会見場にて揮毫)記者会見で茅原南龍が題字「魂」と書く中、 最後の部分”ム”を白鵬関が担い、観衆見守る中、場所の安全と成功祈願を込め、勢いよくー点を打ち完成した 唯一無二の入魂の書作品である。
大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - … 大岩 祥一(おおいわ しょういち、1939年3月30日 - )は、日本の経営者。鴻池組社長、会長を務めた。大阪府出身。 1962年に京都大学工学部建築学科を卒業し、同年に鴻池組に入社。 1995年12月に取締役に就任し、1996年12月に常務、2000年2月に専務を経て、2003年10月に社長に就任。2006年11月から会長を務めた。
豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )… 豊嶋 秀直(とよしま ひでなお、1939年3月30日 - )は、日本の検察官、弁護士。東京地方検察庁公安部長や、最高検察庁検事、公安調査庁長官、福岡高等検察庁検事長等を歴任した。 1961年中央大学法学部卒業。1962年旧司法試験合格。1965年東京地方検察庁検事。1988年東京高等検察庁検事。1990年東京地方検察庁公安部長。1991年公安調査庁総務部長。1993年最高検察庁検事。1994年長崎地方検察庁検事正。1995年熊本地方検察庁検事正。1996年浦和地方検察庁検事正。1997年大阪地方検察庁検事正。同年公安調査庁長官。1999年高松高等検察庁検事長。2000年福岡高等検察庁検事長。2001年東京弁護士会弁護士登録。
青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 19… 青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 1991年11月7日)は、日本の小説家。おもに推理小説で知られ、「紅子シリーズ」などが人気を得ていた。別名義に桐村 杏子がある。 東京に生まれ、立教大学に学び、在学中から『文學者』などに小説を寄稿していた。1971年立教大学大学院修了。やがて職業作家としてジュニア小説や官能小説を書くようになったが、1983年の『死の横浜娼婦館』以降は、推理小説に注力し、『完全犯罪の女』、『眠れぬ夜の悪魔』、『消えた家』、『あなたの知らないあなたの部屋』などを発表した。このうち、『あなたの知らないあなたの部屋』は、1989年の第42回日本推理作家協会賞長編部門の候補作となった。
森田 清(もりた きよし、1939年3月29日 - 2020… 森田 清(もりた きよし、1939年3月29日 - 2020年11月8日)は、日本の経営者。石川県金沢市出身。 1957年に学習院大学政経学部経済学科を卒業し、同年に第一製薬に入社。 1991年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1999年6月に社長に就任した。2005年9月には三共との合併により発足した第一三共の会長に就任した。日本製薬団体連合会会長、日本ABC協会会長も務めた。 2011年旭日重光章受章。 2020年11月8日、食道がんのために死去。81歳没。
永田 雄三(ながた ゆうぞう、1939年3月29日 - )は… 永田 雄三(ながた ゆうぞう、1939年3月29日 - )は、日本のトルコ研究者。元明治大学文学部教授、元東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授。東洋文庫研究員。 オスマン史研究の第一人者 。日本人研究者として初めて古文書等のトルコ現地史料を用いて研究を進め、日本語のみならずトルコ語でも研究成果を発表した。イスタンブル大学ではトルコ民族主義者のゼキ・ヴェリディ・トガンから薫陶を受けた。オスマン帝国の時代を中心に社会史の研究を行った。 主な出典:永田雄三先生:略歴と業績, pp. 195–196 ・“第33回セミナー「講演者プロフィール」”. 日本トルコ文化交流会 (2013年8月27日). 2024年7月20日閲覧。
豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - … 豊ノ海 義美(とよのうみ よしみ、1939年3月28日 - )は、大分県宇佐郡長洲町(現役当時、現・同県宇佐市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は西尾 義美(にしお よしみ)。最高位は西前頭18枚目(1958年11月場所)。現役時代の体格は178cm、83kg。得意手は左四つ、寄り、内掛け、切り返しなど。 地元の中学校を卒業後上京し、同郷の元横綱・双葉山が率いる時津風部屋へ入門。1954年5月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序でともに好成績を挙げたため、同年9月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。なお、当初より四股名は、「豊ノ海」であった(由来は、大分県北部と福岡県東部地域の旧称「豊前」と「瀬戸内海」から)。
齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27… 齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27日 - )は、日本の政治家。所沢市名誉市民。埼玉県所沢市の元市長。中央大学商学部卒業。 1939年、所沢市議を務めた父・静の次男として埼玉県所沢市で生まれる。1971年に32歳で所沢市議会議員選挙に当選する。1979年に埼玉県議会議員選挙(自由民主党公認)に当選し、以後連続3期当選を果たした。 1988年に発生した埼玉県議団分裂問題では、分派の「自民党第1県議団」に参加するが、自民党埼玉県連の無条件復帰の呼びかけによって、6県議とともに自民党県議団へ復帰した。 1990年11月、齋藤は所沢市長選挙に無所属から出馬を表明し、県議選挙を見送る形を取ったが、1991年に現職の中井真一郎市長(無所属保守系)が不出馬を表明。
朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、… 朧谷 寿(おぼろや ひさし、1939年3月27日 - )は、日本の歴史学者。同志社女子大学名誉教授。平安朝史、特に邸宅研究を専門とするが、一般向けの著書でも知られる。 新潟県生まれ。旧姓は鮎澤。同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。平安博物館助教授、同志社女子大学短期大学部教授、同志社女子大学学芸学部教授、同大学現代社会学部教授などを歴任。2009年に定年退職し、同大学名誉教授。 2005年、第23回京都府文化賞功労賞受賞。公益財団法人古代学協会理事長、社団法人紫式部顕彰会副会長。2024年、地域文化功労者。
安齊 重男(あんざい しげお、1939年3月27日 - 20… 安齊 重男(あんざい しげお、1939年3月27日 - 2020年8月13日)は、神奈川県厚木市出身の写真家、アート・ドキュメンタリスト。「現代美術の伴走者」を自称し、国内外の現代美術の現場を写真によって記録した。多摩美術大学客員教授。 1939年神奈川県厚木市生まれ。神奈川県立平塚高等学校の応用化学科を1957年に卒業し、1964年までは日本石油中央技術研究所に務めた。独学で美術に踏み入り、現代美術作家としての道を歩み始める。 転機は1969年、李禹煥の個展を準備中の画廊を訪問した時のことである。持っていたカメラで光景を撮影する姿を見た李が「みんなの展覧会の写真を撮ってくれないか」と声をかけ、以来、同年代の作家たちの作品を35mmフィルムカメラで記録するようになった。
井山 嗣夫(いやま つぐお、1939年3月26日 - )は、… 井山 嗣夫(いやま つぐお、1939年3月26日 - )は、日本の官僚、経営者。 北海道出身。1961年に北海道大学法学部法律学科を卒業し、同年に運輸省に入省。1991年7月に鉄道局長に就任し、1992年6月から1994年6月までに海上保安庁長官を務めた。その後は、1995年7月に国際観光振興会会長、2000年6月に日本自動車ターミナル社長を歴任。 2009年4月に瑞宝重光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日… 森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日向和風(ひむかわふう)」「槐山人(かいさんじん)」)は、宮崎県西都市生まれの書作家。「現代書道の父」と呼ばれた巨匠・比田井天来門・四天王(桑原翠邦・金子鷗亭・手島右卿・上田桑鳩)の一人で、近代詩文書を提唱して文化勲章を受章した「近代詩文書の開祖」金子鷗亭に師事。書歴60年。1976年より現在に至るまで世界30ヶ国・計80回以上の文化交流を続ける世界的女流書作家。 1939年3月25日、製氷業・食品加工製造業の事業主・森永薫/朝江の長女として宮崎県西都市に生まれる。1945年、6歳で国民学校に入学。1950年、大相撲地方巡業時、佐渡ヶ嶽親方に依頼され、琴錦と弟子を預かり世話をした際に、色紙に書いてもらった書を見て感銘を受け、書の道に進むきっかけとなる。
小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )… 小山 修三(こやま しゅうぞう、1939年3月24日 - )は、日本の文化人類学者・考古学者。専門は、民族学(オーストラリア・アボリジニ)、考古学(縄文時代)。国立民族学博物館名誉教授。