加納 孝(かのう たかし、1920年10月31日 - 200… 加納 孝(かのう たかし、1920年10月31日 - 2000年6月4日)は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW(左ウイング)。 左足のボールテクニックとスピードを生かしたドリブル突破が持ち味のウインガー。戦前、戦後を通じて日本代表として活躍し、インナー(現在の攻撃的MF)の岩谷俊夫とは名コンビとして知られた。 東京府立第八中学校(現:東京都立小山台高等学校)時代の1937年1月に開催された第18回全国中等学校蹴球選手権大会に出場。卒業後は早稲田大学理工学部へ進学しア式蹴球部に所属。早大WMW(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1940年の全日本蹴球選手権大會 (第20回天皇杯全日本サッカー選手権大会)の準優勝に貢献した。
川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2… 川崎 敏男(かわさき としお、1920年10月31日 - 2004年2月23日 )は日本の薬学者、九州大学名誉教授。専門は天然物化学。薬学博士(1952年)。兵庫県出身。
稲葉 侃爾(いなば かんじ、1920年 <大正9年> 10月… 稲葉 侃爾(いなば かんじ、1920年 <大正9年> 10月31日 - 2017年 <平成29年> 1月14日 )は、日本の経営者。中国銀行頭取を務めた。位階は従四位。 岡山県出身。福山誠之館中学(現:広島県立福山誠之館高等学校)、旧制姫路高等学校を経て、1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に中国銀行に入行した。1970年9月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1978年4月に専務を経て、1985年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格した。1997年6月には会長も兼任し、1999年4月には会長に専任。2000年3月から6月までには再び頭取を兼任し、2001年6月に相談役を経て、2005年4月から参与を務めた。
佐藤 隆一(さとう りゅういち、1920年10月31日 - … 佐藤 隆一(さとう りゅういち、1920年10月31日 - 1984年12月11日)は日本の外科医、医学研究者、医学博士。群馬県邑楽郡小泉町(現大泉町)生まれ。慶応義塾大学卒業。吉田肉腫に非常に感受性の高いDONRYU-RAT(吉田富三博士提唱)の開発。佐藤の肺がんの樹立(ラットに肺がんを作出し)。受託試験業務の他ゲルマニュウム誘導体「バイオジトン8」(半導体の有機化合物)の薬効研究開発、バイオジトン研究グループ代表としてバイオジトンを世に出した。B型慢性肝炎治療薬セロシオンの開発者。 出典:旧制太田中学卒業後、1946年慶応義塾大学医学部卒業、1946年 第一回医師国家試験合格。1947年群馬県太田市所在の富士重工㈱付属太田医院勤務(外科医)。
飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - … 飯島 宗享(いいじま むねたか、1920年10月31日 - 1987年4月19日)は、日本の哲学研究者。 東京大学文学部哲学科卒、東洋大学講師、助教授、教授。キェルケゴール、シェーラーなどの実存哲学を研究、翻訳した。
角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012… 角 圭子(すみ けいこ、1920年10月31日 - 2012年10月29日)は、日本の作家、ロシア文学者。東京都生まれ。本名・石山芳。日本女子大学校国文科中退。ロシア文学を研究し、ほか小説を執筆した。1967年『大正の女』で小説新潮賞候補。
甲斐錦 勝(かいにしき まさる、1920年(大正9年)10月… 甲斐錦 勝(かいにしき まさる、1920年(大正9年)10月31日 - 没年不明)は、山梨県山梨市牧丘町(現役当時は東山梨郡中牧村)出身で、二所ノ関部屋(入門時は松ヶ根部屋)に所属した大相撲力士。本名は鶴田 勝(つるた まさる)。最高位は西前頭12枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は175cm、86kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 17歳の時に上京し、元小結・紅葉川が率いる松ヶ根部屋へ入門。1938年(昭和13年)5月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後の横綱・吉葉山や小結・大起などがいる。当初の四股名は、本名と同一の「鶴田」。改名後の「甲斐錦」は、故郷・山梨県の旧称・甲斐に因む。 三段目時代と新十両昇進時(1945年(昭和20年)6月場所後)に応召された事も災いして出世は遅れ、初土俵から新入幕(1949年(昭和24年)5月場所)まで、およそ11年を要した。
都城 秋穂(みやしろ あきほ、1920年10月30日 - 2… 都城 秋穂(みやしろ あきほ、1920年10月30日 - 2008年7月22日?)は、日本の地質学者。専門は、岩石学・プレートテクトニクス。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1953年)(学位論文「変成作用に対する関係からみた非石灰質ざくろ石 」)。ニューヨーク州立大学名誉教授。 岡山県生まれ。1943年、東京帝国大学卒業。東京大学助教授、コロンビア大学教授、ニューヨーク州立大学教授を歴任、ニューヨーク州立大学名誉教授。1953年、「変成作用に対する関係からみた非石灰質ざくろ石 」で、東京大学より理学博士の学位を取得。 本格的な顕微鏡による記載岩石学および熱力学に基づいた火成岩成因論を日本の岩石学界に輸入した坪井誠太郎を師とし、物理・化学的観点から天然の岩石の成因を探る研究を行った。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29… 桂木 鉄夫(桂木鐵夫、かつらぎ てつお、1920年10月29日 - 2001年7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石川県金沢市出身。石川県立金沢第一中学校を経て早稲田大学卒業。 八重洲地下街社長、滋賀県副知事(1959年7月1日 - 1962年12月21日)を経て1967年、第31回衆議院議員総選挙に石川県第1区から無所属から出馬し当選。 1969年、第32回衆議院議員総選挙に自由民主党から出馬し落選、1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し落選。 2000年秋の叙勲で勲四等旭日小綬章受章。2001年7月9日、脳出血のため死去、80歳。死没日をもって従五位に叙される。
大屋 政子(おおや まさこ、1920年(大正9年)10月27… 大屋 政子(おおや まさこ、1920年(大正9年)10月27日 - 1999年(平成11年)1月16日)は、日本の歌手、実業家、タレント、作家。旧姓は森田。 元帝人社長大屋晋三の妻。実父は元衆議院議員の森田政義。 大阪府大阪市阿倍野区北畠生まれ。父は熊本県天草出身の代議士森田政義、母は大阪府出身。「お嬢様」として育つが、1939年(昭和14年)、政子19歳のとき、父・政義が心臓発作のため急死。これを機に生活は一変。父の取り巻きでにぎわっていた森田家にはもはや誰も寄り付かなくなり、懇意にしていた家を訪ねても、門さえ開けてくれなかった。政子は「没落したらあかんねん」と強く思い、この言葉が政子の口癖になった。
張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日… 張 盛煥(チャン・ソンファン、장성환、1920年10月27日 - 2015年1月4日)は大日本帝国陸軍の軍人及び大韓民国の軍人、政治家、企業家。本貫は仁同張氏。 1920年、京城府に生まれる。1941年、早稲田大学商学部卒業。1942年、岐阜陸軍飛行学校、浜松陸軍飛行学校卒業。 1948年4月、韓国軍入隊。同年6月15日、航空基地司令部勤務。同年9月、航空基地司令部飛行部隊小隊長。1949年9月31日、飛行団飛行隊第2中隊長。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発するとF-51D操縦要員として板付に派遣された。同年11月、空中輸送班長。韓国空軍初の空輸任務を遂行した。1952年7月、駐アメリカ大使館付武官。
猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月2… 猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月27日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。福島県会津若松市長。 会津若松市出身。1943年(昭和18年)日本大学商経学部卒業。 門田村議会議員、会津若松市議会議員を経て、1967年(昭和42年)より福島県議会議員に5選する。1983年(昭和58年)会津若松市長に当選し、1987年(昭和62年)落選した。
中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月2… 中嶋 英夫(なかじま ひでお、1920年(大正9年)10月26日 - 1988年(昭和63年)4月18日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。中島と表記される場合がある。 青森県三戸郡三戸町で、中嶋武兵の息子として生まれる。小学校4年次に母の実家の所在地・盛岡市に転居した。1940年(昭和15年)岩手県立盛岡工業学校(現岩手県立盛岡工業高等学校)土木科を卒業し、日本鋼管(現JFEスチール・JFEエンジニアリング)に入社し川崎製鉄所で勤務した。 1946年(昭和21年)1月、日本鋼管労働組合の発会式で書記長に選出され、以後、川崎市労働組合協議会議長、鉄鋼産業労働組合連合会副執行委員長、日本鋼管労働組合執行委員長などを務めた。
瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日… 瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日 - 1970年(昭和45年)11月9日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 大阪府出身。1942年(昭和17年)関西大学専門部を卒業した。兵役に従事。 復員後、織布会社に入社。1949年(昭和24年)労働運動に加わり主に繊維産業対策に従事。大阪府地方労働委員、社会保障診療報酬支払基金理事、社会保障制度審議会(現社会保障審議会)委員などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で全国区に民主社会党(民社党)公認で立候補して当選。民社党中央執行委員、同党選挙対策委員長、全国繊維産業労働組合同盟(のちゼンセン同盟)顧問などを務めた。
西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2… 西村 彦次(にしむら ひこじ、1920年10月26日 - 2003年1月25日)は、日本の経営者。マンダム社長、会長を務めた。大阪府出身。 1941年に関西学院大学文学部英文科を卒業。桃谷順天舘での勤務を経て、1947年に金鶴香水に転じ1949年に専務を経て、1961年5月には丹頂(のちのマンダム)社長に就任。1980年8月に会長、1995年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 2003年1月25日、腎臓癌のために死去。82歳没。
平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2… 平山 敏雄(ひらやま としお、1920年10月26日 - 2005年4月27日)は、日本の経営者。 新潟日報社社長を務めた。東京都出身。 1944年に東北帝国大学法文学部を卒業し、1945年に新潟日報社に入社。1971年に取締役に就任し、1976年に常務、1979年に専務を経て、1983年には社長に就任。1990年から取締役相談役を務めた。 1990年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 2005年4月27日胃がんのために死去。84歳没。
降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年… 降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。 山形県山形市出身。山形県立山形中学校、旧制山形高等学校を経て、1942年に東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属)。しかし、翌年に応召され、1947年の復員までシベリアに抑留された。1950年に静岡県商工課長。 その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官、自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任。1970年に消防庁長官、1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた。
平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 19… 平原 毅(ひらはら つよし、1920年10月25日 - 1999年4月24日)は、外交官。 中国広東生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。外交官藤田栄介の二男。旧制東京高校を経て東京帝国大学入学。1941年高等文官試験外交科合格。1943年東京帝国大学法学部卒業後、ハルピンでロシア語研修中に学徒動員で出征。戦後の1946年外務省に戻る。在パリユネスコ本部アジア局長、ミラノ総領事、1968年臨時代理でベルギー公使。1969年外務省経済局次長。1970年外務省経済局長時には日米繊維交渉にあたる。1972年モロッコ大使、75年OECD代表部大使、81年英国大使。 1982年フランス政府からレジオンドヌール勲章コマンドール章受章。
江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2… 江口 友鉱(えぐち ともなる、1920年10月25日 - 2014年10月22日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。愛知県出身。 1941年に早稲田大学専門部を卒業し、1942年にトヨタ自動車工業に入社。 1969年12月にダイハツ工業取締役に就任し、1971年12月に常務、1974年12月に専務を経て、1979年9月に副社長を就任。1982年9月に社長に昇格し、1988年6月から1992年6月までに会長を務めた。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1991年4月に勲二等瑞宝章を受章。
平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 19… 平 修二(たいら しゅうじ、1920年10月22日 - 1978年10月23日)は日本の機械工学者。 兵庫県出身。甲陽中学校(19回卒)、姫路高等学校 (旧制)(現在の神戸大学)を経て、京都帝国大学卒。昭和32年京都大学教授となる。1971年、金属材料の強度に関する研究で、横堀武夫とともに、日本学士院賞を受賞。X線フラクトグラフィの権威。 姫路高校時代は水泳に打ち込んだ。その著書はしばしば大学の機械工学科で教科書として用いられた。 元衆議院議員の平智之は息子。
高橋 三郎(たかはし さぶろう、1920年10月20日 - … 高橋 三郎(たかはし さぶろう、1920年10月20日 - 2010年6月24日)は、無教会主義の独立伝道者。キリスト教無教会精神によって設立された、島根県のキリスト教愛真高校の創立責任者。 日本統治時代の朝鮮の忠清南道生まれ。1939年に姫路中学を卒業すると、東京帝国大学工学部に進学。1945年の卒業後は、1948年恵泉女学園高等学校教師、1950年昭和女子大学助教授、1954年東京大学教養学部卒、同大学院で西洋古典を学ぶ。1955年から1958年まで西ドイツ・マインツ大学大学院博士課程、1958年神学博士。始めに三谷隆正の元で聖書を学び、三谷亡きあと矢内原忠雄に師事してその聖書集会に列席した。
高松 敬治(たかまつ けいじ、1920年(大正9年)10月2… 高松 敬治(たかまつ けいじ、1920年(大正9年)10月20日 - 1989年(平成元年)8月27日)は、日本の内務・警察官僚。富山県出身。 東京帝国大学法学部卒業後、高等試験に合格し、1942年に内務省に入省し、警保局に勤務。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年に内務省調査局に勤務。1947年に新潟県警察部警務課長、1948年に国家地方札幌警察管区本部刑事部捜査課長、1949年に国家地方警察本部刑事部捜査課課長補佐、1954年に警視庁刑事部捜査第二課長、1956年に山形県警本部長、1957年に北海道警察本部警務部長、1958年に大阪府警察本部刑事部長、1960年に警察庁刑事局鑑識課長、1961年に防衛庁人事局人事第一課長、1963年に警察庁刑事局捜査第二課長、同年に警察庁刑事局捜査第一課長、1966年に静岡県警本部長を歴任した。
杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月2… 杉内 雅男(すぎうち まさお、大正9年(1920年)10月20日 - 平成29年(2017年)11月21日)は、囲碁棋士。宮崎県出身、日本棋院所属、井上一郎五段門下。主な実績はタイトル獲得2回(日本棋院早碁名人戦優勝、囲碁選手権戦優勝)、本因坊挑戦2回など。常に囲碁一筋であることから「囲碁の神様」と呼ばれた。夫人は杉内寿子九段。 昭和12年(1937年)に入段してから平成29年(2017年)に死去するまでの現役棋士生活は80年を超え、97歳の最年長現役棋士(当時)として最終対局を打ったのは死去の19日前であった。90歳を超えても打ち分けに近い年間成績を維持し、死去した2017年にも2勝を挙げるなど、その実力は最後まで健在であった。
塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 199… 塩谷 饒(しおや ゆたか、1920年10月19日 - 1996年6月11日)は、日本の文学者・言語学者。専門は、ドイツ文学・ドイツ語。 東京出身。1947年、東京大学文学部独文学科卒業。1950年、同大学院文学研究科修了。1951年、東京藝術大学美術学部専任講師。1955年、京都大学教養部助教授。その後、同教授。1970年、北海道大学文学部教授。1975年、同文学部長。1979年、北海道大学附属図書館長。1984年、北海道大学停年退官。同名誉教授。北星学園女子短期大学英文学科教授。1985年、北星学園女子短期大学7代学長に就任。1993年、北星学園女子短期大学退職。
大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2… 大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2008年2月27日)は、日本の実業家。富士火災海上保険社長。
中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 -… 中牟田 栄蔵(なかむた えいぞう、1920年10月17日 - 1997年7月18日)は、日本の経営者。岩田屋社長を務めた。福岡県出身。 1943年に同志社大学経済学部を卒業し、1945年に岩田屋に入社した。1947年に取締役に就任し、1956年に常務、1971年に専務、1979年に副社長を経て、1985年5月に社長に就任した。1989年5月から相談役を務めた。 1997年7月18日肺癌のために死去。76歳没。
新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1… 新田 庚一(にった こういち、1920年10月16日 - 1983年10月2日)は、日本の経企官僚。元経済企画事務次官。地域振興整備公団副総裁在任中死去。 山形県出身。1943年に高等試験行政科試験に合格し、同年東京商科大学(現在の一橋大学)学部を卒業し、商工省に入省した。物価局に配属。通商産業省企業局企業第一課長等を経て、中小企業庁次長、経済企画庁調整局長、経済企画事務次官を歴任。 1974年(昭和49年)通商産業省からの提案を受け電気料金の値上げの審査にあたった。また春闘について、賃上げ率が下がれば実質成長率が高くなるとの調査報告を、田中角栄内閣総理大臣に行った。1975年(昭和50年)経済企画庁顧問。
坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日… 坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日)は、日本の官僚、厚生事務次官。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力。正四位勲二等旭日重光章。 鹿児島県阿久根村生まれで、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職。
水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15… 水本 浩(みずもと ひろし、1920年〈大正9年〉10月15日 - 1999年〈平成11年〉12月3日)は、日本の法学者(民法)。借地借家法、土地法の研究で知られる。立教大学名誉教授。 熊本県出身。1944年、東京帝国大学法学部卒業(指導教授は我妻栄)。同法学部助手。1949年、神奈川大学商経学部専任講師。1950年、同法経学部専任講師。後に、同法経学部助教授。1962年、法学博士(東北大学)(学位論文「借地借家法と不動産賃貸借法の構造 」)。1963年、立教大学法学部教授に就任。1969年、立教大学法学部長。1986年3月、立教大学を定年退職。立教大学名誉教授。同年4月獨協大学法学部教授。1991年獨協大学退職。
杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月1… 杉元 恒雄(すぎもと つねお、1920年(大正9年)10月15日 - 1997年(平成9年)2月16日)は、日本の税理士、司法書士、政治家。参議院議員(1期)。 1920年、現在の宮城県大和町にて出生。 明治大学専門部商科卒後、杉元会計事務所を設立、税理士、司法書士として活動する。 政界に転じ、神奈川県議会議員から、県議会議長に就任し、党県連幹事長、県経営診断協会理事長、県遺族会副会長などを兼務。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区より自由民主党公認で立候補し、初当選。環境政務次官などを務めた。 任期中、体調を崩す。1988年10月24日、自民党神奈川県連は、病気療養中で政治活動が困難と判断し、翌年の参院選をめぐり杉元の出馬とりやめを決めた。
竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月… 竹村 健一(たけむら けんいち、1920年〈大正9年〉10月14日 - 1993年〈平成5年〉5月7日)は、日本の政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、竹村季一、いくゑ の長男として生まれた。東京市京橋区に移り、1938年(昭和13年)3月、旧制東京府立第二中学(現東京都立立川高等学校)卒業。同年9月、赤穂村役場に入り書記となり、その後、兵役についた。1954年(昭和29年)駒ヶ根市に合併後、総務課長、福祉事務所長、税務課長、昭和伊南総合病院事務長を経て、1970年(昭和45年)9月7日に収入役となる。 1975年(昭和50年)12月22日に収入役を退職した。1976年(昭和51年)1月、駒ヶ根市長選挙に保守系候補として立候補して、革新系の新人を破って初当選を果たした。
小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日… 小倉 馨(おぐら かおる、1920年(大正9年)10月13日 - 1979年(昭和54年)7月13日)は、広島平和文化センター事務局長、広島平和記念資料館館長等を歴任した広島市職員である。日系アメリカ人2世。 広島県佐伯郡廿日市町(現・廿日市市)出身である。1920年、両親のアメリカ在住中にワシントン州シアトル市で生まれた。現地の小学校を卒業後に帰国する。帰国後は旧制崇徳中学校を経て、1942年(昭和17年)に旧制山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業し、兵役に就いてセレベス島で終戦を迎える。 1948年(昭和23年)から広島アメリカ文化センター、1953年(昭和28年)から東京国際文化会館に勤務している。
北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月1… 北本 正雄(きたもと まさお、1920年〈大正9年〉10月13日 - 2023年〈令和5年〉3月12日)は、日本の政治家。位階は従四位。元東京都北区長。 東京府東京市王子区(現在の東京都北区)出身。 1950年(昭和25年)中央大学法学部を卒業する。 東京府北区に奉職し、同区立図書館長、教育委員会社会教育課長、財政課長、総務課長、総務部長、助役を歴任した。 1983年(昭和58年)北区長に就任、2003年(平成15年)まで5期20年務める。 2023年(令和5年)3月12日に死去。102歳没。日本政府は没日付にて従四位に追叙した。
野田 只夫(のだ ただお 1920年10月13日 – 200… 野田 只夫(のだ ただお 1920年10月13日 – 2009年5月13日)は、日本の歴史家。 京都府生まれ。1941年に京都府師範学校本科を、1942年に同校専攻科を卒業。その後終戦まで兵役につき、1947年に立命館大学文学部史学科に入学し、1950年に卒業。卒業論文は「酒屋土倉の一考察」。同年、京都学芸大学助手に任じられ、1960年に同大学助教授に昇任。1966年に京都教育大学助教授となり、1975年に同大学教授に昇任。1984年に定年退官し、京都教育大学名誉教授。逝去にあたり、従四位に叙せられ、勲四等瑞宝小綬章を受章する。 専門は日本中世史で、社会経済史、文化史、部落史の研究につとめ、『丹波国山国荘史料』と『丹波国黒田村史料』の編さんを行ったことでも知られる。
真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920… 真板 益夫(まいた ますお、Masuo Maita、1920年(大正9年)10月12日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の教育者。学校法人君津学園の創立者であり、学園の理事長、設置各校の学長・校長・園長を務めた。木更津市名誉市民。 第二次世界大戦の終戦により帰郷後、祖国再建には教育による他にないと確信し、青少年教育、特に女子教育に着目し、自らの教育理念とする「真心教育」の理想実現に向け、学校法人君津学園の創立をはじめとする教育活動を行った。 清和大学・清和大学短期大学部の校名は、出身地の三島村が町村合併に伴って後年に清和村となったことに由来する。 1920年(大正9年)、千葉県君津郡三島村(現在の君津市)で、7人兄弟の3番目として生まれる。
尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月1… 尾島 隆利(おじま たかとし、1920年〈大正9年〉10月11日 - 1962年〈昭和37年〉)は、日本の食肉業者、会社役員。グリコ相模ハム常務取締役兼屠畜場長。 神奈川県藤沢市出身。2代目尾島正吉の嗣子。日本大学商科卒業。藤沢屠場主となる。1947年、神奈川県屠場協会専務理事、同県食肉商業協同組合専務理事。1951年、日本食肉協会理事。 1954年、神奈川県屠場協会長。1956年、日本食肉協会理事、神奈川県食肉組合連合会専務理事各辞任。1957年、グリコ相模ハム常務に就任。 尾島家は父祖3代にわたる屠畜・食肉業者で、尾島隆利は近代感覚と教養を身につけた紳士として知られた。住所は神奈川県藤沢市藤沢。
長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月1… 長島 喜平(ながしま きへい、1920年〈大正9年〉10月11日 - 2001年〈平成13年〉3月11日)は、日本の教員、郷土史家。位階は正五位。 埼玉県生まれ。1942年埼玉師範学校を、1953年日本大学文理学部を卒業。埼玉県で高校教師を務めながら、郷土史研究を行った。1982年に埼玉県立坂戸高校校長をもって教員を退職した。その後、埼玉県郷土文化会会長、埼玉県文化振興基金幹事、嵐山町文化財保護委員長、嵐山町博物誌編さん委員会委員と同委員会中世部会部会長などを務めた。 1990年に勲四等瑞宝章受章。没日をもって正五位に叙せらる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9… 竹井 博友(たけい ひろとも、1920年(大正9年)10月9日 - 2003年(平成15年)7月29日)は、日本の実業家。不動産会社である地産の代表取締役社長。徳間書店と致知出版社の事実上の創業者。 栃木県黒磯町生まれ。福島県立白河中学校、明治大学政治経済学部を卒業後、1943年(昭和18年)に読売新聞社 に入社 する。読売新聞社会部記者などを歴任し、読売争議の際は急進的な組合側の急先鋒となる。 1946年(昭和21年)に読売新聞を退社してアサヒ芸能新聞社を経営し、『アサヒ芸能新聞』、『日東新聞』を創刊する。 1952年(昭和27年)の大阪讀賣新聞創刊と1975年(昭和50年)の中部讀賣新聞創刊に「読売の大番頭」務臺光雄の命で携わり、「務臺(読売)の黒子役」とも言われる。
井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は… 井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は、日本の化学者、千葉大学名誉教授。 東京生まれ。1943年東京帝国大学理学部化学科卒業、工業技術院資源環境技術総合研究所、1948年燃料研究所(公害資源研究所)、1954年「石炭のレオロジー的研究」で東京大学理学博士。1959年八幡製鉄(新日本製鉄)先端技術研究所、1967年千葉大学理学部教授、84年定年退官、名誉教授、神奈川大学理学部教授、91年退職。
高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2… 高橋 清孝(たかはし きよたか、1920年10月8日 - 2013年5月24日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。 岩手県花巻市出身。花巻農学校(現岩手県立花巻農業高等学校)卒。近衛兵となった後、笹間農業協同組合専務理事、同組合長理事となり、1959年から岩手県議会議員を7期務め、自民党岩手県連幹事長、同副会長。1974年に議長に就任し3期務め、1984年に全国都道府県議会議長会会長に就任した。1986年の参院選に岩手県選挙区から立候補して現職の増田盛らを破って当選する。第1次海部内閣で科学技術政務次官を務めた。参議院議員は1期務め、1992年に引退した。同年、秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996… 岩山三郎(いわやま さぶろう、1920年10月8日-1996年5月24日)は、日本の美学・美術史学者。 東京生まれ。奈良県立奈良中学校、松山高等商業学校を経て、1943年東北帝国大学法文学部美学藝術学科卒、阿部次郎に師事した。卒業と同時に海軍予備学生隊に入隊、教育班に配属され、海軍兵学校教官を務めた。終戦後、東北大学大学院に進学し、49年より神戸大学文理学部に勤務。小林太市郎のもとで助手となった後、文学部・教養部等で講師・助教授・教授を務め、70年より文学部で芸術学の講座を担当した。84年定年退官、名誉教授となり、87年から91年にかけて宝塚造形芸術大学教授を務めた。95年勲三等旭日中綬章受章。
片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 201… 片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 2019年8月15日)は、日本の教育者、芸術家。創美学園(現:学校法人片柳学園)の創立者、同学園理事長。1985年4月29日、藍綬褒章受章。 2017年4月29日、旭日小綬章受章。 学生時代を経て、東京芝浦電気(現:東芝)に勤務していたが、学生教育を志して依願退職し、1947年に絵画と洋裁を専門とする学校「創美学園」を立ち上げた。 創美学園は日本電子工学院などを経て、大学や専門学校などを運営する片柳学園となり、教育機関の経営者としての手腕と貢献が認められて1985年に藍綬褒章を授与された。2008年に学者や研究者を奨励する目的で設立された片柳コンピュータ科学賞へ資金提供するなど、理想の教育を目指して教育環境の充実に務めていた。
武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 -… 武部 文(たけべ ぶん、1920年(大正9年)10月7日 - 2001年(平成13年)4月24日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。位階は正四位。 鳥取県米子市出身。1938年(昭和13年)鳥取県立米子商蚕学校(現鳥取県立米子南高等学校)商業科卒。1945年(昭和20年)米子郵便局に入局。1955年(昭和30年)鳥取県総評議長に就任し10期務めた。 1963年(昭和38年)第31回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区から日本社会党公認で立候補し次点で落選。1967年(昭和42年)第31回総選挙で初当選。1986年(昭和61年)の第38回総選挙で落選。1990年(平成2年)第39回総選挙で復帰。
宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2… 宮崎 啓一(みやざき けいいち、1920年10月7日 - 2006年6月13日)は、日本の裁判官。徳島市生まれ。第二水俣病裁判の裁判長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
林 摶秋(りん でんしゅう、ウェード式:Lin Tuan-c… 林 摶秋(りん でんしゅう、ウェード式:Lin Tuan-chiu、1920年10月6日 - 1998年4月4日)は、台湾の映画監督・劇作家。日本統治期から演出家として活動し、戦後は映画界に転身して台湾映画の近代化をすすめた。日本留学時には「林博秋(りん・はくしゅう)」を名乗っていた。 林は台北で8つの鉱山を管理する富裕な家に生まれ、1938年に高校を卒業後、明治大学政治経済学部へ留学した。この間に新劇への関心を深め、ムーランルージュ新宿座の座長の仲介により、在学中から東宝映画で助監督として働き始める。このときマキノ正博や阿部豊など著名監督の作品にも関わっている。卒業後はムーランルージュ新宿座の文芸部につとめ、このとき初の自作戯曲『奧山の社(深山的部落)』を執筆・上演。
霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5… 霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5日 - 2023年〈令和5年〉5月29日)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本学士院会員(第2部第5分科)。位階は正四位。文化功労者。勲二等瑞宝章受章者。 埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市)出身。明星学園小学部、明星学園中学部、旧制武蔵高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学理学部物理学科卒業。 東京大学理学部教授、理化学研究所主任研究員、慶應義塾大学理工学部教授、レーザー学会会長、日本物理教育学会会長を歴任。専門はレーザー分光(laser spectroscopy)、量子エレクトロニクス、物理教育。
藤村 隆男(ふじむら たかお、1920年10月5日 - 19… 藤村 隆男(ふじむら たかお、1920年10月5日 - 1993年12月25日)は、広島県呉市山手町出身のプロ野球選手(投手)・監督。
川崎 七三郎(かわさき しちさぶろう、1920年10月5日 … 川崎 七三郎(かわさき しちさぶろう、1920年10月5日 - 1995年11月29日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長、会長を務めた。東京都出身。 1942年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1946年に日本火災海上保険に入社。。 1969年6月に取締役に就任し、1974年6月に常務、1975年6月に専務を経て、1976年7月には副社長に就任し、1981年7月には社長に昇格。1984年7月に会長に就任し、1989年6月には取締役相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。。 1995年11月29日呼吸不全のために死去。75歳没。
秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017… 秋田 稔(あきた みのる、1920年10月5日 - 2017年4月28日)は、日本の神学者。恵泉女学園名誉学園長。 現中国東北部(満洲)生まれ。大連第一中学校、第一高等学校卒、東京帝国大学文学部倫理学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻(旧制)修了、ハーバード大学ハーバード燕京研究所客員研究員、国際基督教大学助教授、準教授、教授、1973年北星学園大学学長、恵泉女学園長、1995年退任、名誉学園長、山梨英和学院長。