新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 -… 新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 - 2023年〈令和5年〉9月6日)は、日本の実業家。元大阪シティ信用金庫最高顧問。 大阪市出身。1950年(昭和25年)大阪府立四条畷高等学校(現・大阪府立四條畷高等学校)卒業、1955年大阪経済大学経済学部卒業。1967年大阪市信用金庫理事、1974年常務理事、1979年専務理事、1988年理事長。2010年(平成22年)代表理事会長就任。2013年より、市信金など3金庫の合併した大阪シティ信用金庫の名誉会長。 大阪府信用金庫協会・会長、近畿地区信用金庫協会・会長、全国信用金庫協会・副会長、信金中央金庫・理事などの要職に就き、特に大阪府下8金庫の合併を手がけ、当時経営不振問題に直面していた大阪府内の信用金庫再編を行い、金融不安の回避に尽力した。
引田 英雄(ひきた ひでお、1931年4月30日 - 200… 引田 英雄(ひきた ひでお、1931年4月30日 - 2002年8月19日)は、日本の映画監督である。日本映画監督協会会員(物故会員)。 1931年(昭和6年)4月30日、東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)に生まれる。父は宝塚少女歌劇団理事長、宝塚音楽学校校長を歴任した引田一郎である。出身は兵庫県とされることもある。 第二次世界大戦後、大阪府立北野高等学校を卒業、日本大学藝術学部演劇学科に進学する。同学在学中の1953年(昭和28年)、宝塚映画製作所(現在の宝塚映像)が製作した斎藤寅次郎監督の『かっぱ六銃士』に出演、同作は東宝の配給で同年8月26日に公開された。 1955年(昭和30年)、宝塚映画製作所助監督部に入社する。
堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年… 堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年4月12日)は、日本の官僚。
佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 … 佐藤 彰(さとう あきら、1931年〈昭和6年〉4月29日 - 2002年〈平成14年〉5月3日)は、日本の教育者、文学者(国文学・近世文学)。学位は文学修士(北海道大学・1961年)。静岡県立大学名誉教授。 北海道札幌星園高等学校教諭、釧路工業高等専門学校助教授、静岡女子短期大学教授、静岡女子短期大学学生部部長、静岡県立大学短期大学部教授、大谷女子大学文学部教授、大谷女子大学大学院文学研究科研究科長、園田学園女子大学国際文化学部教授、園田学園女子大学近松研究所所長(第3代)などを歴任した。 国文学を専攻する文学研究者である。古浄瑠璃の研究や近松門左衛門が遺した作品の研究で知られる。農村舞台や人形芝居についての研究でも知られ、「近世文学の権威」と謳われた。
有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 … 有賀 正(あるが ただし、1931年(昭和6年)4月29日 - 2017年(平成29年)4月22日)は、第12代松本市長、松本広域連合長(初代)、長野県議会議員(民社党公認)、長野県農業後継者育成協会長。長野県松本市並柳生まれ。ハード事業(箱物行政)に積極的であった。 長野県松本市出身。1949年(昭和24年)に長野県松本県ヶ丘高等学校を卒業、農業に従事した、1964年(昭和39年)から1970年(昭和45年)にかけて松本市農業委員を務める。1971年(昭和46年)に民社党公認で長野県議会議員に初当選し、1992年3月に松本市長に初当選、以降3期を務め、行政改革を推進するとともに、福祉ひろばを全地区に設置するとともに、美術館や市民芸術館の建設など芸術文化の振興に尽力した。
甲谷 知勝(こうたに ともかつ、1931年 <昭和6年> 4… 甲谷 知勝(こうたに ともかつ、1931年 <昭和6年> 4月29日 - 2008年 <平成20年> 1月18日)は、日本の経営者。トピー工業社長を務めた。位階は正五位。 山口県出身。1954年に東京大学工学部冶金学科を卒業し、同年4月に八幡製鉄に入社。1970年に新日本製鐵に転じ、1983年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務を経て、1991年6月にトピー工業副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2000年6月に取締役相談役を経て、2002年6月には相談役に就任。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2008年1月18日に急性肺炎のために死去。
高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - … 高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - 2012年7月15日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー。京都府京都市生まれ。父親は着物のデザイナー。 1955年、立命館大学法学部政治学科中退。1960年、銀座ヤマハホールで8m/mの自主映画の個人映写会を開き、若手実力派映画監督として注目される。同年の『石っころ』が評価された。1963年、16m/m第1作の「砂」がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。 1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1964年に発表した「ひなのかげ」はニューヨーク近代美術館所蔵作となり脚光を浴びる。
佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1931年4月29日 - 没年… 佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1931年4月29日 - 没年不詳)は、日本のラグビー選手。主なポジションはフルバック(FB)。 1950年福岡県中学修猷館を卒業。早稲田大学へ進学し、ラグビー部に入部。1953年度に主将を務める。 1952年ラグビー日本代表に選出され、1952年10月1日、花園ラグビー場で開催された、オックスフォード大学第1回来日第6戦において初出場。キャップ10。 1954年早稲田大学を卒業後、八幡製鐵(現・日本製鉄)に入社し、ラグビー部に入部。1955年1月6日、1954年度全国社会人ラグビーフットボール大会の決勝に出場し、大映を破って優勝。更に、翌年1956年1月6日、1955年度の大会も決勝に出場し、近鉄を破って優勝し連覇をもたらした。
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月2… 倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。
水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ)、1931年… 水野 隆(みずの たかし、旧姓:徳弘(とくひろ)、1931年4月28日 - 没年不明)は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。 甲陽学院中学校在学中よりサッカーを始め、同中学4年修了後の1948年に関西学院高等部へ編入。 1950年に関西学院大学に入学してサッカー部に入部した。在学中の1953年に第33回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として優勝に貢献。また、同年にドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)の日本学生選抜として井上健、木村現、平木隆三らと共に選出され、大会に出場した。 1954年に大学卒業後は湯浅電池に入社。なお、大学卒業後もサッカーを続け、1955年の第35回天皇杯全日本サッカー選手権大会で全関学の一員として、1958年の第38回天皇杯全日本サッカー選手権大会で関学クラブの一員としてそれぞれ優勝した。
本吉 修二(もとよし しゅうじ、1931年4月28日 - 2… 本吉 修二(もとよし しゅうじ、1931年4月28日 - 2017年12月10日)は、日本の教育者。群馬県吾妻郡中之条町に所在する私立学校白根開善学校中等部・高等部の創立者である。 1931年大阪府生まれ。鹿児島県川内市で育ち、慶應義塾大学文学部卒、東京教育大学(現筑波大)大学院修了。日本私立大学協会、東洋館出版社を経て、1965年、東邦大学講師に就任、助教授、教授を務めた。1978年、47歳の時に退職し、白根開善学校を設立。理事長、校長の職に就いた。元県教育委員長、元県私立中学高等学校協会会長、ペスタロッチ教育賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013… 有賀 貞(あるが ただし、1931年4月27日 - 2013年3月13日)は、日本の国際政治学者。位階は従四位。 専門はアメリカ政治外交史。一橋大学名誉教授。1988年から90年まで日本国際政治学会理事長、1992年から94年までアメリカ学会会長を務めた。 東京市小石川区生まれ。1948年旧制松本中学4年修了、1949年旧制松本高等学校文科乙類1年修了。1953年東京大学教養学部教養学科卒業、1955年同大学院社会科学研究科国際関係論専攻修士課程を修了し、翌年からスタンフォード大学大学院およびプリンストン大学大学院歴史学科に留学。1961年東京大学大学院社会科学研究科国際関係論専攻博士課程満期退学。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
荻原 隆(おぎわら たかし、1931年4月26日 - )は、… 荻原 隆(おぎわら たかし、1931年4月26日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。右投右打。埼玉県熊谷市出身。 埼玉県立熊谷高等学校2年の時、南関東大会にて県川口戦(県営大宮)で完全試合(8-0で勝利)を達成し、一躍注目を浴びた。翌1949年夏、甲子園に出場(埼玉県勢として初の夏の甲子園でもあった。1回戦で倉敷工に1-9と大敗した)。 1950年に大洋ホエールズに入団。5月26日の大阪戦(甲子園球場)でデビューを果たし、プロ初勝利も挙げた。 1952年には開幕投手を務めた。1953年に松竹と大洋の球団合併に伴い、大洋松竹ロビンスの選手として復帰。1954年オフに引退した。シュートとドロップが武器の投手であった。
中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1… 中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1931年4月26日 - 2012年10月2日)は、日本の民俗学者・文化人類学者。国立民族学博物館・明海大学名誉教授。 東京生まれ。武蔵高等学校(旧制)卒、1954年武蔵大学経済学部卒、1957年東京都立大学大学院社会学研究科経済政策修士課程修了。1957年民族学協会附属民族学博物館研究員、1962年文部省史料館文部事務官、1972年国文学研究資料館助手、1973年国立民族学博物館創設準備室助手を併任、1974年同助教授、1976年教授。1988年辞職し名誉教授、明海大学経済学部教授。2002年退職、名誉教授。
小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 20… 小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 2016年6月5日)は、日本の作曲家、編曲家、医師。 童謡を多く作曲した。主な作品に、『ブーフーウー』、『勇者ライディーン』、「げんこつやまのたぬきさん」、「おべんとうばこのうた」、「いとまきのうた」、音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』、NHK朝ドラマ『いちばん星』、編曲作品「黒猫のタンゴ」がある。 息子に男性俳優、声優の小森創介がいる。 1931年に東京で生まれ、幼少時からピアノを習う。旧制東京都立九段中学校、慶應義塾高等学校(塾高の同級生に小林亜星、 冨田勲、林光らがいた )を経て、1957年に慶應義塾大学医学部を卒業し、外科学教室助手を経て、脳外科医師として活動した。
日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日… 日下 睦男(くさか むつお、1931年(昭和6年)4月26日 - 2026年(令和8年)5月15日)は、日本の銀行家。仙台銀行頭取を務めた。 宮城県白石市出身。1955年、東北学院大学卒業後、振興相互銀行に入行。企画部次長、平、石巻支店長を歴任。 1982年2月、普通銀行に転換し仙台銀行に改称。1983年6月、取締役に選任され、本店営業部長委嘱。 1989年6月、常務取締役・推進部長委嘱。1990年8月、取締役副頭取・業務本部副本部長委嘱。1993年5月、取締役頭取・業務本部長委嘱。 頭取時代には、多額の不良債権を抱える同じ仙台市に本店を置く徳陽シティ銀行が経営破綻。日下は仙台銀行が営業譲渡で受け皿金融機関の中核となる決断をし、宮城県内55店(うち19店は建物も)分の営業権や預金、行員152人を引き受けた。
寺田 瀧雄(てらた たきお、1931年4月25日 - 200… 寺田 瀧雄(てらた たきお、1931年4月25日 - 2000年7月30日)は、日本の作曲家。宝塚歌劇団専属として活躍した。 数多くの名旋律で舞台を彩り、20世紀後半の宝塚歌劇を支えたメロディーメーカーであり、「宝塚のモーツァルト」との異名も持つ。 和歌山県出身。大阪音楽大学を卒業後、1956年に作曲家として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。1958年頃から公演の作曲家に名を連ね、劇団専属作曲家として本格的に活動を開始する。 同時期の入団だった演出家植田紳爾や柴田侑宏などの作品に多くの楽曲を提供、大ブームになった『ベルサイユのばら』の主題歌「愛あればこそ」、『風と共に去りぬ』の「明日になれば」など300舞台作品中の約3000曲を手がけた。
渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 20… 渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 2023年2月1日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学医学部薬学科を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1981年に取締役に就任し、1985年に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。 1999年6月に会長に就任。 2023年2月1日老衰のために死去。91歳没。
藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 20… 藤井 忠俊(ふじい ただとし、1931年4月25日 - 2018年1月24日)は、日本近代史研究家。 山口県山口市生まれ。早稲田大学法学部卒。専攻は日本近現代史・民衆史。『季刊現代史』主宰、駿河台大学講師などを務めた。妻は松本清張記念館名誉館長の藤井康栄。 2018年1月24日午前10時35分、急性心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森田 桐郎(もりた きりろう、1931年4月24日 - 19… 森田 桐郎(もりた きりろう、1931年4月24日 - 1996年4月24日)は、日本の国際経済学者。元東京大学経済学部教授・東京大学名誉教授。
秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月2… 秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月24日 - 1995年(平成7年)6月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。山梨県大月市長。 山梨県出身。山梨県立都留高等学校を経て、日本大学旧工学部に入るも中退する。1953年(昭和28年)秋山商店勤務を経て、1960年(昭和35年)中央産業を設立し社長となる。1965年(昭和40年)鳥沢交通取締役、1968年(昭和43年)中央開発代表取締役、1974年(昭和49年)桂川砂利興業に合併し、新たに中央産業を設立し社長となった。 1992年(平成4年)2月、大月市長に就任するが、任期中に死去した。
円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日… 円谷 一(つぶらや はじめ、1931年(昭和6年)4月23日 - 1973年(昭和48年)2月9日)は、演出家、プロデューサー。円谷プロダクションの2代目社長。作詞家として、東 京一(あずま きょういち)の名義がある。父は初代社長で特技監督の円谷英二。 学習院大学卒。19歳の時にキリスト教の洗礼を受ける(洗礼名パウロ)。 KRT入社前年に、父・英二が特撮を手掛けた映画『ゴジラ』に参加。 1955年にラジオ東京→KRT(テレビ事業は現在のTBSテレビ)に入社。演出部にてディレクターとしてテレビドラマを制作。『おトラさん』や「純愛シリーズ」といった作品にも演出として携わっていた。 中でも、1962年に「東芝日曜劇場」で放送された『煙の王様』(脚本:生田直親)は、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど高い評価を得た。
齋藤 興二(さいとう こうじ、1931年4月23日 - )は… 齋藤 興二(さいとう こうじ、1931年4月23日 - )は、日本の実業家。元岩谷産業株式会社代表取締役社長、元会長。元全国エルピーガス卸売協会会長。 1931年4月神奈川県に生まれる。1957年3月に横浜国立大学経済学部経済学科卒業後、岩谷産業株式会社入社。 1985年12月に創業者岩谷直治社長の後を受け、岩谷産業代表取締役社長に就任し、「強いイワタニの復活と新創業運動」を提唱した。 1986年、国内初となる液化水素エンジンを搭載した「H-1ロケット試験機1号機」に燃料を供給、以降1992年まで合計9号の打ち上げに成功した。その後、1994年に打ち上げられた「H-2ロケット1号機」にも純国産の液化水素の供給を行い、液化水素の民生用エネルギーの未来に大きな可能性を切り拓いた。
元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2… 元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2018年9月21日)は、最高裁判所判事。弁護士。 兵庫県高砂市出身。京都大学法学部卒業。1955年(昭和30年)に弁護士登録。神戸弁護士会に所属し、兵庫県地方労働委員会委員長などを経験した。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では事務所が被害を受けた。震災による土地建物に関する多発を見越して、神戸地裁に調停委員の増員や調停室の補充などを進言した。 1997年 (平成9年)9月8日に最高裁判所判事に就任。弁護士枠の最高裁判所判事として日弁連は当初は別の人が就任予定だったが、その人物は文部省の教科書検定の違憲性を争う教科書訴訟で原告代理人を務めるなど革新色が強い候補だったため、最高裁が任命権限を持つ内閣の了解が得られないとして他の候補を探した結果、元原となった経緯がある。
辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 20… 辻井 達一(つじい たついち、1931年4月22日 - 2013年1月15日)は、日本の植物生態学者。学生の頃から湿原の調査に取り組んできた。北海道環境財団理事長、環境省ラムサール条約湿地検討会座長。 東京都生まれ。東京都立青山高等学校を経て、1954年北海道大学農学部卒業。理学博士。北海道大学農学部助教授、教授、同附属植物園長、北星学園大学教授を務めた。2012年瑞宝小綬章受章。同年、北海道新聞文化賞受賞。 2012年7月にルーマニアで開かれたラムサール条約締約国会議でラムサール賞を受賞、その帰国後に前立腺がんが見つかり入院。 2013年1月15日、死去。81歳没。
橋本 洋二(はしもと ようじ、1931年4月22日 - )は… 橋本 洋二(はしもと ようじ、1931年4月22日 - )は、日本の元テレビジョンプロデューサー、ラジオディレクター。 1931年4月22日、鳥取県出身。東京教育大学卒業後、1954年にラジオ東京(後のTBSラジオ)に入社。ラジオ東京時代にはラジオドラマや教育ドキュメンタリーの番組を多く手掛ける。 ラジオディレクター時代には後にテレビドラマでコンビを組むことになる佐々木守の脚本で横山光輝の漫画作品『少年ロケット部隊』をドラマ化したり、ドキュメンタリー「伸びゆく子供たち」など数多くの作品の制作に関わった。 1966年に東京放送映画部へ異動となり、「ブラザー劇場」(月曜19時30分枠)で放映された『コメットさん』(1967年、国際放映)を始めとするテレビドラマの制作にプロデューサーとして関わる。
鈴木 三男(すずき みつお、1931年(昭和6年)4月21日… 鈴木 三男(すずき みつお、1931年(昭和6年)4月21日 - 2013年(平成25年)2月4日)は、日本の政治家。初代茨城県かすみがうら市長(1期)。 大東文化大学文学部卒業。新治郡千代田村(のち千代田町)役場に入り、助役などを務めた。助役時代の1986年、収入役選任で村議らに現金を配ったとして贈賄容疑で逮捕された。その後、水戸地裁で有罪判決を受けた。 のちに千代田町助役に復帰した(千代田村は1992年に町制施行)。1993年、当時の千代田町長が急死、その後継を決める町長選挙に立候補して4人の争いを制し、当選。千代田町長を合併するまで3期務めた。 2005年、千代田町は近隣の霞ヶ浦町と合併し、かすみがうら市が発足。
荒川 卓(あらかわ たかし、1931年〈昭和6年〉4月20日… 荒川 卓(あらかわ たかし、1931年〈昭和6年〉4月20日 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。元室蘭工業大学学長。室蘭工業大学名誉教授。北海道勇払郡早来町(現安平町)出身。 1950年(昭和25年)道立岩見沢高等学校(現北海道岩見沢東高等学校)、1954年(昭和29年)北海道大学工学部建築工学科を卒業。 1960年(昭和35年)同大学大学院工学研究科博士課程を修了。 同大学工学部助手を経て、1963年(昭和38年)同大学工学部助教授。1967年(昭和42年)室蘭工業大学工学部教授。1980年(昭和55年)から1984年(昭和59年)まで同工業大学学生部長、1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)まで同工業大学附属図書館長を併任。
戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20… 戸塚 睦夫 (とつか むつお、1931年〈昭和6年〉4月20日 - 1973年〈昭和48年〉5月12日)は、日本の喜劇役者。東京都出身。愛称は「ムッちゃん」。父は剣劇俳優として活躍した藤岡肇。妻は新宿フランス座の看板女優だった水川小夜子。 父・太郎が梅沢昇一座の剣戟俳優・藤岡肇だったためもあって子供のころからチャンバラ映画や大衆演劇に親しみ、ことに大都映画の剣戟スター・大乗寺八郎のカッコよさに強く憧れた。1950年に東京市立芝商業學校を卒業後、シチズン時計に勤務したのち梅沢昇一座、浅香光代劇団、不二洋子劇団を経て、浅草のロック座、池袋のフランス座などのストリップ小屋のコメディアンに転向して辛酸を嘗めていた戸塚は、昭和20年代、浅草の花月劇場に剣劇役者として参加していた際に、同じ浅草の奥山劇場で剣劇役者をしていた三波伸介に出会い、交流を深める。
高木 進(たかぎ すすむ、1931年〈昭和6年〉4月20日 … 高木 進(たかぎ すすむ、1931年〈昭和6年〉4月20日 - 1987年〈昭和63年〉8月23日)は、日本のフランス文学者。学習院大学教務部長、のち文学部仏文科教授。皇太子徳仁親王にフランス語を教えた。没後、妻の高木みどりが1993年東宮女官長に選任された。
山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2… 山口 軍一(やまぐち ぐんいち、1931年4月19日 - 2015年1月6日)は、日本のハワイアンスティール・ギター奏者、編曲家。実兄に山口正保、山口銀次がおり、ともにハワイアン・ミュージシャンである。 幼少期から兄達の影響で、ウクレレなどを始めた。 1945年、学徒動員。 1946年、青山学院の同級生とカハナ・アイランダースを結成。 1951年、山口軍一とルアナ・ハワイアンズを結成。 1955年、青山学院大学を卒業。兄の山口銀次が合流し、山口銀次とルアナ・ハワイアンズに改称。 1960年、日本グラモフォンと契約し、デビュー作『ハワイアン日本民謡集』をリリース。 1964年、銀次がルアナ・ハワイアンズを脱退して、ルアナ・タヒチアンズを結成。
吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18… 吉村 和夫(よしむら かずお、1931年〈昭和6年〉4月18日 - 2003年〈平成15年〉8月20日)は、日本の政治家。元山形市長(第16代、1期)。 山形県山形市出身。山形県立山形南高等学校を経て、山形大学文理学部を卒業する。 鹿野彦吉衆議院議員秘書を16年あまり務め、1971年(昭和46年)の山形県議選で初当選。以後通算6期、山形市選挙区にあっては、常にトップでの当選を果たした。またその間には、県議会副議長を務めたほか、自民党県連政調会長、同副会長も歴任をした。しかし、秘書時代から世話をしてきた鹿野道彦が政治改革を巡って、自民党を離党をしたことに伴い自身も離党した。 山形市長選には、金澤忠雄を対抗馬にして1986年(昭和61年)、1990年(平成2年)と出馬するも落選。
柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日… 柳田 弘(やなぎだ ひろし、1931年(昭和6年)4月18日 - 2018年(平成30年)6月4日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(4期)、由利本荘市長(1期)。 秋田県由利郡大内町(現・由利本荘市)出身。1954年、岩手大学農学部農工学科卒。同年秋田県庁に入る。土地改良事務所長、農政部農業課長補佐、農業水利課、農地整備課各参事、仙北農林事務所長、農政部農地整備課長と農政畑を歩く。のち、由利地方部長、生活環境部長を歴任した。1991年、本荘市長選挙に立候補して当選する。本荘市長を4期務め、2005年に合併して誕生した由利本荘市長選挙に立候補し、元秋田県議の長谷部誠を700票余りで下した。由利本荘市長を1期務め、2009年に市長を退任した。
犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 20… 犬養 智子(いぬかい ともこ、1931年4月18日 - 2016年4月9日)は、日本の作家、翻訳家。 家事、女性問題、高齢者問題、都市問題などについて発言する一方、イラストも手がけ、童話、小説、翻訳も執筆する。 東京府出身。父親は波多野元武(三井物産勤務後千代田証券投資取締役)、母親は瀬下清(三菱銀行第3代会長)の三女・克。長女の犬養亜美はエッセイスト。祖父の波多野承五郎(1858年 - 1929年)は報知新聞記者、フランス公使館付書記官、朝野新聞社長、三井銀行役員、衆議院議員を歴任。 学習院女子短期大学文学科英語専攻卒業後、学習院大学政経学部政治学科に編入学して1954年に卒業する。1955年、米国イリノイ大学大学院入学。
森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015… 森 常治(もり じょうじ、1931年4月17日 - 2015年2月23日)は、日本の英文学者、詩人。早稲田大学理工学部名誉教授。 森於菟の五男として埼玉県大宮市に生まれる。森鷗外の孫。東京都立大森高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業。同大学院文学研究科博士課程中退。小説家を目指し、丹羽文雄の『文学者』に参加、60年10月の『新潮』に「明るい砂丘の林の中で」を載せた。1961年より早大理工学部で英語を教え、1971年教授、2002年定年退任、名誉教授。日本記号学会会長。1987年『文学記号の空間』で平林たい子文学賞受賞。ケネス・バークの研究で知られる。文芸誌『同時代』同人。
太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 201… 太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 2016年11月27日)は、日本の脳神経外科医、大阪医科大学名誉教授。 1956年京都大学医学部卒、同大学院脳神経外科博士課程修了、1961年「合成樹脂による脳動脈瘤の破裂予防およびその補強法」で京都大学より医学博士の学位を取得。大阪医科大学教授、2002年定年退任、名誉教授、医誠会病院脳機能研究所、大阪脳神経外科病院、富永脳神経外科病院院長。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 20… 村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 2008年8月30日)は、日本の精神科医。 北海道生まれ。号・狸山人。1956年北海道大学医学部卒、1962年同大学院精神医学専攻博士課程修了、医学博士。北大医局員、士別市立病院医長、平松病院副院長、1971年聖母会天使病院精神科医長。1975年天使女子短期大学教授(兼任)。北海道家庭生活総合カウンセリングセンター理事長。アルコール依存症の治療に尽した。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月1… 富塚 陽一(とみづか よういち、1931年(昭和6年)4月16日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の政治家。初代鶴岡市長、旧鶴岡市12代市長。2011年旭日中綬章受章。 鶴岡市出身。東北大学経済学部を卒業後、山形県庁に入庁。企画調整部長等を歴任。 1991年、旧鶴岡市の市長選で初当選。以後5期18年にわたって市長を務めた。市長在任中には、学術研究機関の整備による地域振興を政策理念の柱にとし、慶應義塾大学先端生命科学研究所の招致などに尽力した。「官僚的な人物だった」と一部では評価されている。 2011年、旭日中綬章受章。 2018年6月18日、肺炎のため鶴岡市内の病院で死去。87歳没。
石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2… 石井 三雄(いしい さんゆう、1931年4月15日 - 2021年)は、日本の政治家。元狛江市長(3期)。 東京都狛江市出身。1971年には狛江市議会議員に初当選し、以降4期16年務めた。その間には市議会議長も務めている。そして1984年、吉岡金四郎の後を引き継ぎ、市長となった。 市長時代には小田急電鉄複々線事業によって高架駅舎となるため、当時の市議(後の市長となる)矢野裕は議会で「車椅子利用者のためにエレベーターの設置すべき」という主張に対して、それに賛同して当時エスカレーターの設置で十分という考えだった小田急に対してエレベーター設置を要請した。そのほかの取り組みは狛江駅北口整備、北口地下駐車場整備、災害対策、あいとぴあセンター建設などを積極的に推進した。
板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 202… 板津 邦夫(いたづ くにお、1931年4月14日 - 2023年1月26日)は、日本の彫刻家。北海道教育大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、東京芸術大学卒業。東京芸術大学では石井鶴三に師事した。木の特性を生かした、土俗的風合いを持った自由で斬新な木彫作品で知られる。北海道教育大学旭川校の彫刻ゼミの卒業生らでつくる彫刻グループ「青銅会」の設立者・指導者。
松浦 保(まつうら たもつ、1931年4月14日 - 201… 松浦 保(まつうら たもつ、1931年4月14日 - 2012年6月8日 )は、日本の経済学者。専門は経済学史。洗礼名 ステファノ カトリック府中墓地 建屋内納骨堂に遺骨が納めらる。 北海道勇払郡追分町(現・安平町)生まれ。1956年慶應義塾大学経済学部卒。イタリア政府留学生として、ローマ大学に留学。その後、ノルウェー・オスロ大学などにも留学。帰国後、慶應義塾大学経済学部助教授、同教授。 1977年、論文の盗用を指摘され退職勧告を受ける。78年3月3日に慶大は同問題を受けて解雇を決定した。入門書的なものであったため地位保全を求めて争う。慶應義塾大学経済学部教授を退職し、ローマ大学ジーニ社会統計研究所研究員、アメリカ経済学史常任理事、ミラノ・ボッコーニ商科大学客員教授、イタリア国際電信電話会社日本代表、在日イタリア商工会議所専務理事、関東学園大学経済学部教授などを歴任。
今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 20… 今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 2008年1月27日)は、日本の地方公務員、経営者。兵庫県副知事、サンテレビジョン会長を務めた。兵庫県豊岡市出身。勲三等旭日中綬章。位階は正五位。 1949年に兵庫県庁に入庁し、1954年に関西大学法学部を卒業。1993年から1997年までに副知事を務め、サンテレビジョン会長も務めた。 2008年1月27日肺炎のために死去。76歳没。
日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2… 日渡 惺朗(ひわたし せいろう、1931年4月13日 - 2023年5月23日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長、会長を務めた。 鹿児島県出身。1956年に九州大学工学部機械工学科を卒業し、1960年に富士製鉄(現在の日本製鉄)に入社。 1987年に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月に山陽特殊製鋼副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に就任。 2023年5月23日老衰のために死去。92歳没。
大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 201… 大牧 広(おおまき ひろし 1931年4月12日 - 2019年4月20日)は、日本の俳人。 東京府荏原区(現品川区)出身。弦巻学園高等学校卒。1965年、「馬酔木」「鶴」に入会。1971年、「沖」に入会し能村登四郎、林翔に師事。1974年、沖新人賞、83年、沖賞受賞。1989年、「港」を創刊・主宰。2009年、第64回現代俳句協会賞受賞。2015年、『正眼』で第30回詩歌文学館賞受賞。2016年、第15回山本健吉賞受賞。2019年、『朝の森』で第53回蛇笏賞受賞。市井人の哀愁をたたえつつ俳諧味のあふれる作風。門人に櫂未知子、仲寒蝉がいる。 2019年4月20日、膵臓癌のため死去。88歳没。蛇笏賞の授賞式の前に死去したため、授賞式では仲寒蝉が代理出席した。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日… 河原 敬(かわはら たかし、1931年(昭和6年)4月11日 - 2011年(平成23年)4月13日)は、日本の政治家。北海道歌志内市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 北海道芦別市出身。北海道歌志内高等学校卒。歌志内市役所に入り、企画開発、財政、総務の各課長、土地開発公社理事、助役などを歴任し、1992年、歌志内市長選挙に立候補し、現職の堀内日出男を破って当選した。1996年に無投票で再選。2000年も無投票で三選した。歌志内市長は2004年まで務めた。 死没日付をもって従五位に叙され、旭日小綬章を追贈された。
小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月1… 小林 俊弘(こばやし としひろ、1931年(昭和6年)4月11日 - 2020年(令和2年)3月28日)は、日本の政治家。元長野県小諸市長。 現在の小諸市出身。1950年(昭和25年)長野県北佐久農業高等学校卒業。北大井村役場に入り、小諸市に合併後、教育次長、総務部長などを経て、1992年(平成4年)小諸市助役となり、1996年(同8年)小諸市長選挙に当選し、2期務めた。2013年(同25年)旭日双光章受章。 2020年3月28日、肝不全のため、小諸市内の病院で死去。88歳没。死没日をもって正六位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。