脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
1930年代生まれ:11,995人
脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
福原 義春(ふくはら よしはる、1931年3月14日 - 2… 福原 義春(ふくはら よしはる、1931年3月14日 - 2023年8月30日)は、日本の実業家。資生堂の社長、会長を経て名誉会長。資生堂のブランド開発や海外進出に手腕を発揮したほか、企業メセナ協議会で文化への支援にも尽力した。資生堂創業者である福原有信の孫。 福原有信の五男である信義の長男として東京に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学経済学部に進んで卒業し、資生堂へ1953年 に入社。1978年に取締役外国部長、1987年に社長、1997年に会長に就任し、2001年より名誉会長。没時まで慶應義塾評議員だった。 東京都写真美術館館長(第4代、2000年11月~2016年3月、退任後は名誉館長)、かながわ国際交流財団理事長(1999年10月~2015年6月、のち名誉顧問)、企業メセナ協議会(理事長、会長を経て名誉会長)、日仏経済人クラブ日本側議長、日伊ビジネスグループ日本側議長、世界らん展日本大賞組織委員会会長、テレビ東京番組審議会委員長 など公職多数。
小柴 和正(こしば かずまさ、1931年(昭和6年)3月14… 小柴 和正(こしば かずまさ、1931年(昭和6年)3月14日 - 2019年(令和元年)6月21日)は、日本の実業家。伊勢丹社長・会長・相談役、日本百貨店協会会長を務めた。 千葉県富津市生まれ。1953年3月早稲田大学商学部卒業後、同年4月伊勢丹入社。 常務、専務を経て、創業家の小菅家以外で初めて、1993年5月社長に就任。前年に勃発した秀和とイトーヨーカ堂による伊勢丹株の買い占めを阻止し、「毎日が、あたらしい。ファッションの伊勢丹」という経営理念を打ち出す。それに沿って、今までのデパートにはない洗練された、斬新なファッションデザインを追求した結果、新宿本店を中心に「ファッションの伊勢丹」という新しいブランドイメージ作りに成功した。
藤田 秀雄(ふじた ひでお、1931年3月13日 - )は、… 藤田 秀雄(ふじた ひでお、1931年3月13日 - )は、日本の教育社会学者、平和運動家、立正大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学教育学部卒、58年同大学院人文科学研究科教育行政学博士課程中退。大学院在学中、群馬県島村に住み、アクション・リサーチとしてサークル活動をおこなう。1958年東大・スタンフォード大学共同研究助手。1959年立正大学文学部専任講師、助教授、教授。2001年定年退職、名誉教授。平和のための各種運動に参加。
笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2… 笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2022年3月15日 )は、日本の俳優、声優。三重県出身。 劇団東演所属。日本大学芸術学部卒業。1952年11月、新演劇研究所に入所し、1958年12月まで在籍。1959年4月、劇団東演(旧:東京演劇ゼミナール)の創設に参加。劇団と並行して東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。
篠田 守男(しのだ もりお、1931年3月13日 - )は、… 篠田 守男(しのだ もりお、1931年3月13日 - )は、東京都目黒区出身の彫刻家である。青山学院大学文学部英米文学科中退。鋼鉄線の張力と圧力で金属塊を中空に固定させるTC(Tension and Compression)シリーズで知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 199… 成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 1995年8月14日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。國學院大学文学部助教授、教授。1995年8月14日、在任中に肝不全のため死去。 ルネサンスの民衆文化などを研究、『マルタン・ゲールの帰還』などアナール派の歴史書の翻訳で知られる。
前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - … 前ヶ潮 春夫(まえがしお はるお、1931年3月12日 - 1979年11月30日)は、岐阜県大野郡上枝村(現在の高山市赤保木町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は三野谷 春夫(みのや はるお)→清水 春夫(しみず はるお)。身長175cm、体重88kg。得意手は右四つ、下手投げ。最高位は東前頭18枚目(1958年7月場所)。 小学校3年生の時に母を病で亡くし、以後は、父の手1つで育てられた。 地元・上枝村の青年相撲で活躍していた頃、巡業で高山市内を訪れた横綱・前田山に見出され、彼が所属する高砂部屋にスカウトされた。 1949年10月場所で初土俵を踏み、四股名を本名の「三野谷」から「前ヶ潮(ゲン担ぎとして改名、先輩の四股名をそのまま襲名)」と改めた1953年1月場所で三段目優勝を遂げ、幕下も4場所で突破して1954年3月場所で十両に昇進した。
秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 20… 秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 2022年2月19日)は、日本の医師・医学博士、政治家。日本医師会代議員であり埼玉県医師会参与。元埼玉県議会議員(議長経験のある自由民主党議員)。 医療法人社団彩優会の元理事長で、現在は社会福祉法人昭仁会及び北葛北部医師会の学校法人橘心学園の理事長を務める。 2011年、医療法人社団彩優会の理事長を辞任した。後任は吉岡利孝が理事長で、現在は、弟である秋谷行男。 2013年、秋谷昭治氏及びその家族が、医療法人社団彩優会から多額の資金を流用しているとの報道が一部の雑誌に掲載される。 また、幸手市が旧香日向小学校の校舎の賃貸借契約において学校法人橘心学園への賃料を格安に設定したことから、市民より幸手市に対して住民監査請求が提出されるなど、地元住民と幸手市政を巻き込む問題に発展している。
河上 敬子(かわかみ けいこ、1931年3月11日 - )は… 河上 敬子(かわかみ けいこ、1931年3月11日 - )は、日本の元女優・タレント。芸能活動と並行して医学を学び、芸能界引退後に医師となった。 東京女子医科大学卒業後、慶應義塾大学医学部で学ぶかたわら、日活と契約し映画女優としてデビュー。1956年に出版したエッセイ『女だけの部屋』が、芸能界の裏面を暴露する内容であったことからベストセラーとなったほか、テレビやラジオ番組の医療コメンテーターとして活動した。 1950年代末に芸能活動を休止し、以降は医業に専念。1965年に『週刊現代』のインタビューに答えたのを最後にメディアには現れていない。
麻島 昭一(あさじま しょういち、1931年3月11日 - … 麻島 昭一(あさじま しょういち、1931年3月11日 - )は、日本の経営学者。専門は近代日本経営史、金融史。専修大学名誉教授。経済学博士(東京大学、1972年)。東京府(現東京都)出身。
東畑 朝子(とうはた あさこ、1931年(昭和6年)3月11… 東畑 朝子(とうはた あさこ、1931年(昭和6年)3月11日 - )は、日本の栄養評論家、料理研究家。 東畑精一の次女。三重県出身。女子栄養短期大学を卒業し、国立中野療養所栄養士、北里研究所付属病院栄養士、東京大学医学部助手を経て、女子栄養大学講師、お茶の水女子大学講師。1974年「2、3のDNA阻害剤の阻害様式について」で東邦大学より医学博士。テレビ、雑誌でフードドクターとして活躍する。弟は慶應義塾大学名誉教授・東畑隆介(1933年 - )。
近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2… 近藤 信行(こんどう のぶゆき、1931年3月11日 - 2022年7月17日)は、日本の文芸評論家。編集者。 文芸評論のほか、著作は登山関連書を軸としていた。 東京生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒、同大学院修士課程修了。 中央公論社で『中央公論』『婦人公論』などの編集に携わった後、1969年、文芸雑誌『海』を創刊する。翌年まで編集長を務め、1973年-1976年再度編集長になったあと、退社。 1978年『小島烏水 山の風流使者伝』で大佛次郎賞を受賞した。山梨県立文学館館長を2013年3月まで務めた。 2022年7月17日、老衰のため死去。91歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
川端 季雄 (かわばた すえお、1931年3月10日 - 2… 川端 季雄 (かわばた すえお、1931年3月10日 - 2001年9月12日)は、日本の化学工学者。京都大学名誉教授。滋賀県立大学名誉教授。 奈良県生まれ。1955年京都工芸繊維大学工芸学部桟織工芸学科卒業。1960年京都大学大学院工学研究科博士課程修了、京都大学工学部助手。1961年工学博士。1964年カリフォルニア工科大学研究員。 京都大学工学部助教授を経て、1983年京都大学工学部教授。1994年停年退官、京都大学名誉教授。同年から滋賀県立大学開設準備室顧問として滋賀県立大学設立にあたり、1995年から滋賀県立大学工学部材料科学科長・教授。2001年定年退職、滋賀県立大学名誉教授。同年9月12日、肝不全のため死去。
弟子 シギ子(てし シギこ、1931年〈昭和6年〉3月10日… 弟子 シギ子(てし シギこ、1931年〈昭和6年〉3月10日 - 2024年〈令和6年〉4月1日)は、日本のアイヌ文化伝承者。阿寒アイヌ民族文化保存会で、結成当初から中心的な役割をはたし、古式舞踊の伝承・保存に尽力した。また、伝統楽器ムックリの名手として、日本国外の口琴大会への参加をはじめ、国際交流を通してアイヌ文化を世界に紹介されるなど、アイヌ文化の振興並びに普及啓発に寄与した。 北海道川上郡弟子屈村(現在の弟子屈町)屈斜路コタンで誕生した。アイヌの生まれながら、自身はすでにアイヌ語やアイヌの風習を禁じられていたが、親戚や周囲の人々のアイヌ語やサコロベ(英雄叙事詩)などのアイヌ文化に囲まれて育った。
船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日… 船川利夫(ふなかわ としお、1931年(昭和6年)3月10日 - 2008年(平成20年)10月4日)は、島根県安来市後小路(うしろこうじ)生まれの作曲家である。箏曲家・作曲家古川太郎の高弟。代表作に、組曲「出雲路」・尺八と箏のための「複協奏曲」・交響詩「海」・飾画などがある。 富士山・九月十日・春日山懐古・峨眉山月の歌・金州城外・寒梅・常盤狐を抱くの図に題す・山行・江南の春・早に白帝城を発す 己亥の歳・静夜思・生田に宿す・海南行・川中島・夜墨水を下る・宝船・城山・楓橋夜泊・青葉の笛
今井 和也(いまい かずや、1931年3月9日[要出典] -… 今井 和也(いまい かずや、1931年3月9日[要出典] - 2019年10月24日)は、日本の広告宣伝プロデューサー。1960年代、株式会社レナウン宣伝部在職時に、テレビCMを担当。「イエイエ」をはじめとするテレビCMで一時代を築き、日本における「CM元年」をプロデュースした人物。東京都出身、東京大学文学部美学美術史学科卒業。 東京都自由が丘で、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を卒業した父・秀雄と、女子美術専門学校を卒業した母・テイの長男として生まれた。清水組(現在の清水建設)に建築設計士として勤務していた父がハルビン工業大学の教授になったことを契機に、1937年、小学校1年の時に父母、姉と4人の一家でハルビンに移住。
篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 202… 篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - 2025年3月25日)は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授。 岐阜県岐阜市生まれ。梅林小学校、岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、松竹に入社。1960年代にかけて大島渚、吉田喜重とともに松竹ヌーヴェルバーグの旗手と呼ばれた。 早々に会社と衝突して独立した二人と異なり、松竹にしばらく残った後、1966年にフリーになる。翌年に独立プロダクションの株式会社表現社を設立。前衛的作品も辞さない大島や吉田に比べ、篠田は平易なサービス精神も持ち合わせており、独立後の1960年代後半から1970年代前半は『心中天網島』(1969年)や『無頼漢』(1970年)などの先鋭的な作品を独立プロから連発したが、1970年代後半からは『はなれ瞽女おりん』(1977年)や『鑓の権三』(1986年)などの大手映画会社配給の大作が多く、『鑓の権三』ではベルリン国際映画祭の銀熊賞 (芸術貢献賞)を受賞した。
栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8… 栗林 卓司(くりばやし たくじ、1931年〈昭和6年〉3月8日 - 1997年〈平成9年〉9月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期、民社党)。 本籍宮城県仙台市。千葉県、現在の市川市で元陸軍主計大佐の長男として生まれる。東京府立第六中学校から疎開のため栃木県立宇都宮中学校に転校。学徒勤労動員により戦闘機の生産に従事した。戦後に仙台に移り、宮城県仙台第二中学校を経て、1954年(昭和29年)東北大学法学部を卒業した。 1954年日産自動車に入り吉原工場に配属された。日産自動車労働組合(日産労組)に入り吉原支部青年部の結成に尽力。1964年(昭和39年)日産労組情宣部長、1965年(昭和40年)同副組合長になる。
佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - … 佐藤 研一郎(さとう けんいちろう、1931年3月8日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家、技術者。ローム株式会社創業者。ローム ミュージック ファンデーション理事長。 東京都出身。父親は新交響楽団(現・NHK交響楽団)のバイオリニスト、母親も琴を趣味としていたことから、6歳からピアノを習い、プロのピアニストを目指していた。立命館高等学校、立命館大学理工学部卒業。 1954年(昭和29年)、立命館大学在学中に開発した超小型抵抗器の特許を元に、京都西陣に東洋電具製作所を創業。1958年(昭和33年)に株式会社に組織変更。1981年(昭和56年)、社名をローム株式会社に変更。一代でロームを世界的な電子部品メーカーに育て上げる。
手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 202… 手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 2020年4月18日)は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役。旭日重光章受賞者。阪神電鉄元会長・社長、阪神タイガース元オーナー、元毎日放送社外取締役。 徳島県鳴門市出身。旧制市岡中学校、第四高等学校を経て、京都大学法学部卒業後、1953年に阪神電鉄へ入社。取締役運輸部長、常務・不動産事業本部長、代表取締役専務などを歴任し、1992年には社長に就任。2004年から2006年まで会長を務めた。 阪神電鉄社長時代に発生した阪神・淡路大震災では自社路線も大きな損害を受け、社長として復旧作業の陣頭指揮を取った。 1998年から阪神タイガースのオーナー代行を務め、オーナーの久万俊二郎を支えていた。
溝田 弘利(みぞた ひろとし、1931年3月8日 - 201… 溝田 弘利(みぞた ひろとし、1931年3月8日 - 2012年10月12日)は、日本の実業家、政治家。溝田旗工業元社長、エドモンズ大学日本校元理事長、元神戸市会議員(長田区選出)、同議長。 1955年(昭和30年)関西大学文学部卒業。先代の前社長溝田利松が1930年(昭和5年)5月に個人で創業した溝田旗工業の跡を1984年(昭和59年)3月に利松の死去にともない引き継ぐ。同時に神戸市会議員も務め、市会議長などを歴任する。その後、1992年(平成4年)には国政選挙にくら替えするため市会議員を辞職し、第16回参議院議員通常選挙兵庫県選挙区に出馬したが落選(78,413票、10人中7位)。供託金も約6,000票差で没収された。
茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025… 茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025年12月28日)は、日本の経営者。西松屋チェーン社長、会長を務めた。 兵庫県姫路市出身。1953年に神戸商科大学を卒業し、1956年に西松屋を設立し、社長に就任。2000年5月に会長に就任し、2003年5月には名誉会長に就任。 2025年12月28日、老衰のため姫路市の病院で死去。94歳没。
池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 … 池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の元皇族、神社本庁総裁。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、厚子内親王(あつこないしんのう)、諱は厚子(あつこ)、御称号は順宮(よりのみや)、お印は菊桜であった。伊勢神宮祭主(1988年 - 2017年)。旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女子。東久邇成子、久宮祐子内親王、鷹司和子の妹。第125代天皇・明仁(上皇)、常陸宮正仁親王、島津貴子の姉。東久邇信彦、高木文子、壬生基博、東久邇真彦、東優子の叔母。第126代天皇・徳仁(今上天皇)、秋篠宮文仁親王、黒田清子、島津禎久の伯母。
上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3… 上横手 雅敬(うわよこて まさたか、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の歴史学者。専門は、日本中世政治史・日本中世社会史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。和歌山県出身。 若き日に中世史において画期的で洞察に満ちた見解を数多く示した。 後鳥羽は当初武家の臣従を前提とする公武融和路線を取り、建保6年(1218年)の政子上洛時に、幕府と後鳥羽との間に後鳥羽の皇子を実朝の養子として東下させ、後継将軍とする密約が成立していたと説いた(「北条泰時」1958年、「承久の乱」1962年)。 また、承久の乱に際し、大江広元以外の武士たちが唱えた迎撃によれば鎌倉方は敗れていたであろうとし、広元の功績を特筆した。
久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は… 久水 宏之(ひさみず ひろゆき、1931年3月7日 - )は、日本の経済評論家。
沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 202… 沖井 千代子(おきい ちよこ、1931年3月7日 - 2021年11月15日)は、日本の児童文学作家。 愛媛県生まれ。広島県、山口県岩国市で育つ。広島県立広島女子専門学校(現県立広島大学)卒業。 2002年「空ゆく舟」で第42回日本児童文学者協会賞、第32回赤い鳥文学賞受賞。 童話サークル『びわの実ノート』同人。放送分野ではNHK「お話でてこい」に「風の子フウタくん」の脚本を書いた。 2021年11月15日、心不全のため死去。
中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 200… 中村 登流(なかむら のぼる、1931年3月7日 - 2007年11月19日)は、日本の鳥類学者、上越教育大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1953年に信州大学教育学部を卒業。長野県内で中学校教員として勤務したのち、1963年に信州大学医学部助手。その後、教育学部助教授として教育学部附属志賀自然教育研究施設に勤務。1971年、「エナガの個体群の行動圏構造」で京都大学より理学博士の学位を取得。1968年、日本野鳥学会賞受賞。1982年、信州大学退官、1983年、上越教育大学教授、上越教育大学附属中学校校長など。1996年、定年退官、名誉教授、山階芳麿賞受賞。日本野鳥の会、日本野鳥学会、日本生態学会会員。
斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999… 斉藤 実(さいとう みのる、1931年3月7日 - 1999年11月22日)は日本の記録映画監督・探検家。1975年(昭和50年)に実施されたヘノカッパⅡ世号での漂流実験が有名。 1931年千葉県に生まれ、中央大学経済部卒業。記録映画の監督となり、自らマグロ漁船に乗り込み、撮影を続けた。 1965年(昭和40年)9月、TV局の依頼を受け、近海マグロ船の取材中に台風26号に遭遇し、乗船は無事だったが、同日に別の漁船が遭難、十数時間後に救助されていたにもかかわらず二人が死亡したこと、また翌10月にマリアナ群島沖で、静岡のカツオ船団が台風に巻き込まれ多くの遭難者を出したこと(マリアナ海域漁船集団遭難事件)に衝撃を受ける。
井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7… 井上 洋介(いのうえ ようすけ、1931年(昭和6年)3月7日 - 2016年(平成28年)2月3日)は、日本の絵画・版画美術家、日本の絵本作家、イラストレーター。本名 井上洋之助(いのうえ ようのすけ)。 東京都港区赤坂出身。武蔵野美術学校西洋画科卒。1960年「こどものとも」(福音館書店)で初の絵本「おだんごぱん」刊行。以後、多数創作絵本出版。 1965年第11回文藝春秋漫画賞、第4回東京イラストレーターズ・クラブ賞受賞。『ぶんぶくちゃがま』他で小学館絵画賞、『でんしゃえほん』で日本絵本賞大賞、『月夜のじどうしゃ』で講談社出版文化賞、『ぼうし』でJBBY賞を受賞。 ※ 公開展示・個展は1960年代より毎年2~3回開催。
津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論… 津田 類(つだ るい、1931年3月6日 - )は、演劇評論家。
鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 20… 鈴木広(鈴木廣、すずき ひろし、1931年3月6日 - 2014年11月13日)は、日本の社会学者、九州大学名誉教授。 北海道函館市出身。1958年東北大学大学院文学研究科博士課程満期退学、1961年「都市研究における基礎概念」で文学博士の学位を取得。1959年九州大学文学部助教授、教授となる。1995年定年退官、名誉教授、久留米大学教授を務め、2007年退任。日本都市社会学会会長を務めた。
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年… 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ とも… 波瀬 満子(はせ みつこ、本名:白波瀬 智子(しらはせ ともこ)1931年3月5日 - 2012年4月19日)は、日本のことばパフォーミング・アーティスト、女優。 京都府出身。東京女子大学卒業。劇団四季、仮面座を経て、1977年谷川俊太郎らと「ことばあそびの会」を設立する。 1993年から1999年まで6年間にわたって、NHK教育テレビのあいうえおにレギュラー出演。その後も「詩」や「ことば」そのものを構成・演出・出演する「ことば」パフォーマンスを行う。 2012年4月19日15時45分、急性腎不全のため、東京都町田市内の病院で死去。81歳没。 ジャンルを超えたスーパーことばショーを創ったことばパフォーマーはせみつこは、ウリポ・はせ・カンパニーを設立。
本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 … 本山 剛(もとやま つよし、1931年(昭和6年)3月5日 - 2001年(平成13年)7月7日)は、日本の銀行家。北都銀行副会長、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 宮城県仙台市出身。東北大学法学部卒業後、日本銀行に入行。 1980年には、秋田相互銀行に移り常務、専務を歴任。副社長時代には、普銀転換の陣頭指揮にあたり、1990年には、プロパーや創業者家系の多い秋田県の金融界では異色の存在、日銀出身者として秋田あけぼの銀行頭取に就任した。頭取在任時は、第三次オンラインシステムを鳥取銀行、沖縄海邦銀行と共同開発にあたったほか、羽後銀行との合併を成功裡にまとめあげた。 1993年の北都銀行発足後には、副会長に就任。
田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月… 田村 英之助(たむら えいのすけ、1931年〈昭和6年〉3月4日 - )は、日本の英文学者、詩人。専門はイギリス・ロマン派。立教大学名誉教授。筆名は中崎 一夫。 1931年群馬県桐生市生まれ。1950年群馬県立桐生高等学校を卒業。1954年東京大学文学部英文科卒業[要出典]。1957年同大学院英語英文学研究課程修了。修士号を取得。茨城大学文理学部講師、中央大学法学部助教授、教授[要出典]、1977年立教大学文学部英米文学科教授。1996年定年退任、名誉教授[要出典]。中崎一夫の筆名で詩や児童書の翻訳を書いた。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は… 櫻井 秀勲(さくらい ひでのり、1931年3月4日 - )は日本の作家、編集者、YouTuber。 「ミニスカートブームの仕掛け人」「OLの名付け親」「西洋占星術を日本に紹介」として知られる。 『ウーマンウェーブ』代表取締役会長、『きずな出版』代表取締役社長、『KIZUNA CREATIVE』取締役、『早稲田運命学研究会』主宰。元女性自身編集長。著者『女がわからないでメシが食えるか』『男の運命は35歳で決まる』など200冊に及ぶ。古今東西の占い・運命学を研究活用している。 作家、きずな出版社長、5つのオンラインサロンのオーナー、YouTuberの顔を持ち、女学の神様・運命師・伝説の編集長などと呼ばれる。
種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987… 種谷 春洋(たねや はるみ、1931年3月3日 - 1987年9月19日)は、日本の憲法学者。とりわけ、幸福追求権や基本的人権の歴史研究で知られる。 1931年、京都市に生まれる。京都府立山城高等学校を卒業後、京都大学文学部に入学。その後、法学部に転じ、1954年3月に同学部を卒業。同年、京都大学大学院法学研究科に進学し、公法学を専攻。杉村敏正に師事する。1956年、岡山大学法文学部に赴任し、助手、講師、助教授を歴任。1968年、大阪市立大学法学部に教授として就任(憲法)。1987年、心不全のため死去。享年56。 種谷は日本で初めて、日本国憲法13条の「幸福追求権」を、包括的な基本権(主観的権利)として捉え、独自の意味を見出す学説を提唱した。
赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日… 赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日本の小説家。青春小説・推理小説・時代小説・官能小説などで知られる。本名は赤松 光雄。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市市場町)で23代つづく浄土真宗尊光寺の僧侶の四男として生まれる。旧制阿波中学校(現・徳島県立阿波高等学校)から京都大学文学部卒。出版社に勤務し、女学生雑誌『高校家庭クラブ』の編集長をしていたが、石上玄一郎の主宰する同人誌『現象』に参加し、菊村到らとも知り合う。1960年から作家活動を始める。初め青春小説を書き、ファンレターに書かれていた経験を基に書いた「ロストラブ」シリーズはベストセラーになった。同時期にジュニア小説を書いていた川上宗薫は「おれと赤松はジュニア小説の柏鵬だ」と語っている。
高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日… 高坂 卓至(こうさか たかし、昭和6年(1931年)3月3日 - 平成19年(2007年))は、昭和から平成時代の日本の洋画家。 昭和6年(1931年)富山県新湊市庄西町(現・射水市)に生まれる。金沢美術工芸大学美術科卒業、宮本三郎、高光一也に師事。1951年金沢現代美術展知事賞。1954年、東京都公立中学校教諭となる。1979年、東京銀座の日動画廊で開催の「第2回現代裸婦展」にて出品、準大賞を受賞。翌年、同画廊にて海をモチーフとする作品発表。1981年モスクワ、レニングラード、キエフを訪れ滞欧作品を制作する。1982年故郷の新湊市中央文化会館にて個展開催。1988年、高岡市美術館にて異色作家シリーズ特別展「高坂卓至展」開催。
島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年1… 島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)は、日本の学生運動家、精神科医。1960年の安保闘争当時の全学連書記長。 東京都生まれ。1950年、東京大学教養学部入学と同時に日本共産党に入党。共産党の50年分裂で除名処分をうける。レッドパージ反対闘争に参画し、自治会副委員長として運動する。1951年、共産党に復党。1954年、東京大学医学部に進学。 1955年、全学連再建に精力的に活動し砂川基地反対闘争、原水爆禁止反対闘争に参画。1957年、共産党の東京都党委員に当選。第7回大会の代議員になるが生田浩二、佐伯秀光と共に党内フラクションを結成し「プロレタリア通信」を発信する。
中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 19… 中丸 和伯(なかまる かずのり、1931年3月3日 – 1982年1月25日)は日本の歴史学者。 神奈川県生まれ。1953年に東京教育大学理学部地学科を卒業し、さらに1955年に卒業論文「近世封建社会の形成過程-特に後北条治下に於て」を提出して、同大学文学部史学科を卒業。同大学大学院に進学し、1961年に同大学大学院文学研究科博士課程を修了。1977年に「後北条氏の歴史地理的研究」により、東京教育大学から文学博士の学位を授与される。 相模工業大学教授、東日本学園大学理事。
青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026… 青木 望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 - 2026年2月20日)は、日本の作曲家、編曲家。JASRAC会員。 クリスチャンの家系であり、幼少期から母親のオルガン演奏に合わせ賛美歌を毎週歌っていた。これが好きだったといい、後に青木は「私の音楽の原点だった」と回想している。 少年時代から音楽に親しみ、ヴァイオリンが得意であったという。 旧制東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)在学中、知人に誘われてバンド活動を始める。そこでステージ演奏の魅力に摂りつかれたことで学校を中退し、15歳でプロのミュージシャンとしてデビュー。様々なバンドを転々としながら活動する。 当初は、自分が所属するバンドのために作曲・編曲をはじめたが、外部からも頼まれるようになり、放送やレコーディングが多くなると演奏家より稼げるようになったため、作・編曲家に転向。
小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )… 小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )は、日本の舞踊家。日本人フラメンコダンサーの第一人者。 常磐津勝蔵の長女として東京府東京市浅草区柳橋で生まれ、邦楽一家の中で育つ。幼い頃から、三味線、日本舞踊、クラシック・バレエなどを習い、15歳のとき、小牧バレエ団に入団。俳優座で演劇活動も始める。女子美術大学付属高等学校出身。 1958年(昭和33年)に単身スペインにわたり、エンリケ=エル=コホらにフラメンコを学びステージに立つようになる。帰国後の1969年(昭和44年)スペイン舞踊団を結成。 俳優の菅原謙次は実兄。
内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日… 内藤 功(ないとう いさお、1931年3月2日 - )は、日本の弁護士、政治家。日本共産党所属の元参議院議員(2期)。日本共産党名誉幹部会顧問。日本平和委員会代表理事。自由法曹団本部常任幹事。 東京都中央区出身。1952年明治大学法学部卒業後、同大学講師にて教鞭を執りながら弁護士として活動。恵庭事件や砂川事件、長沼ナイキ基地訴訟など憲法裁判で弁護団に関わったほか、恵庭裁判の過程で統幕会議事務局長を法廷で証人喚問、自衛隊による有事研究(三矢研究)を明らかにしたことでも知られる。 1974年の参院選に全国区から立候補し初当選。2期12年参議院議員を務めたが、1989年の参院選で落選するとそのまま政界を引退する。
藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年1… 藤木 悠(ふじき ゆう、1931年3月2日 - 2005年12月19日)は、日本の俳優。東京府荏原郡荏原町(現・東京都品川区)出身の大阪府大阪市西成区育ち。身長180cm。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵(すずき ゆうぞう)。
常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日… 常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日 - 2013年〈平成25年〉1月22日)は、日本の作家・翻訳家・アメリカ文化研究者。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。母親は福島県の出身。税務署員だった父親の転勤に伴って生後半年で水沢を離れ、山形県長井町、宮城県石巻市と転居した。小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。 早川書房に入社。1961年には新雑誌「ホリディ」の編集長になるが11号のみの発行となる。都筑道夫、生島治郎の後任として、ミステリー小説誌 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(日本版)の三代目編集長を、1963年(昭和38年)から6年間務めた。
澤村 紫光(さわむら しこう、1931年3月1日 - )は、… 澤村 紫光(さわむら しこう、1931年3月1日 - )は、日本の経営者。沖電気工業社長、会長を務めた。 栃木県出身。1953年に成蹊大学政治経済学部を卒業し、同年に沖電気工業に入社。1979年6月に取締役に就任し、1985年2月に常務、1991年6月に専務、1993年6月に副社長を経て、1995年8月に社長に就任。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に退いた。 2005年11月に旭日重光章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。