松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年… 藤井 健(ふじい けん、1931年2月11日 - 2021年6月14日)は、日本の経営者。三井信託銀行社長、会長を務めた。 東京都出身。1969年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に三井信託銀行に入社。1982年6月に取締役に就任し、1986年9月に常務、1987年9月に専務を経て、1991年9月に社長に就任した。1996年6月には会長に就任し、1999年4月に取締役、1999年6月に顧問を経て、2000年4月には中央三井信託銀行特別顧問に就任。 2021年6月14日、誤嚥性肺炎のために死去。90歳没。
髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 20… 髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日)は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。位階は従三位。 1931年、日本人の両親の間に日本統治時代の朝鮮釜山に生まれる。父は朝鮮総督府の役人であった。 1947年、福岡県小倉中学校4年修了。1950年、第五高等学校理科甲類卒業後、東京大学医学部医学科に進学、1954年卒業。1960年論文「赤血球内遊離プロトポルフィリン」により、東京大学医学博士。 群馬大学医学部助手、東京大学医学部助手、シカゴ大学留学などを経て、1972年から自治医科大学内科教授。1982年より、小坂樹徳の後任として東京大学医学部第三内科教授。
永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11… 永野 耐造(ながの たいぞう、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)8月25日)は日本の法医学者で、金沢大学名誉教授。
高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は… 高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。2004年から日本医学会第6代会長を務める。
右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、… 右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、日本の社会福祉学者。大阪府立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1953年大阪市立大学家政学部卒。同大学院博士課程中退。1985年「英国における地方自治体社会福祉行財政の研究」で大阪市立大学より学術博士の学位を取得。1969-71年ロンドン大学客員研究員、シェフィールド大学客員教授。1973年大阪社会事業短期大学教授、1981年大阪府立大学教授、86年社会福祉学部長、1994年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、広島国際大学副学長・医療福祉学部教授。
末石 冨太郎(末石 冨太郎、すえいし とみたろう、1931年… 末石 冨太郎(末石 冨太郎、すえいし とみたろう、1931年2月11日 - 2025年7月15日)は、日本の土木工学者、環境学者、大阪大学名誉教授。 兵庫県武庫郡(現神戸市灘区)出身。1953年京都大学工学部土木工学科卒、1955年同大学院修了。1961年「上下水道における集配水の合理化に関する基礎的研究」で工学博士。大阪水道局技術吏員、1958年京大工学部助教授、1967年教授、1975年大阪大学工学部教授。1973-1977年京大経済研究所教授兼任。1994年定年退官、名誉教授。2025年7月15日、自宅にて老衰により死去。
橋谷 義人(はしたに よしと、1931年〈昭和6年〉2月11… 橋谷 義人(はしたに よしと、1931年〈昭和6年〉2月11日 - )は、日本の農学博士、元大阪成蹊女子短期大学学長。 鳥取県出身、日野郡溝口町(現・西伯郡伯耆町)在籍。1955年、神戸大学農芸化学科助手。1964年、京都大学大学院農学研究科博士課程修了、同年京都大学化学研究所研究員。 1965年、「高等植物におけるビタミンB1の生合成について」にて同大学より学位を取得、同年大阪成蹊女子短期大学助教授。1969年、教授。1972年、家政学科栄養コース主任。 1975年、大阪成蹊学園評議員。1976年、理事。1978年、大阪成蹊女子短期大学学生部長。1986年、教務部長。1991年7月、学長に就任。
浦本 昌紀(うらもと まさのり、1931年2月11日 - 2… 浦本 昌紀(うらもと まさのり、1931年2月11日 - 2009年6月15日)は、日本の鳥類学者。和光大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学理学部動物学科卒、1959年旧東京都立大学大学院生態学博士課程満期退学。1960年、山階鳥類研究所研究員、1977年和光大学教授。2000年定年、名誉教授。 1966年、毎日出版文化賞(小原秀雄,小森厚共著『現代の記録・動物の世界』)受賞。1967年、日本鳥学会賞受賞(「森林鳥類のエネルギー消費に関する研究」 )。
しまね きよし(1931年(昭和6年)2月11日 - 198… しまね きよし(1931年(昭和6年)2月11日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の思想史家。本名、嶋根 清。千葉県出身。 東京外国語大学フランス語科卒。思想の科学研究会会員。思想の科学研究会の共同研究「転向」に参加。 1965年から1968年、雑誌『思想の科学』編集長。なお、「1965年から1968年」は「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」の記述であり、「20世紀日本人名事典」「日外アソシエーツ現代人物情報」では「1964年高校を退職、評論活動に専念。同年4月「思想の科学」編集長となり」という表現になっている。 近代日本の社会主義思想を転向の観点から研究した。「日本社会主義人名事典」を作りたいと願った、しまねの膨大なカードを基に、彼の没後、彼の遺志を継いだ者-いいだもも、大野明男、田村紀雄、鶴見俊輔、山領健二、輿石正、渡辺一衛、安田常雄、余川典子、石井紀子-たちの手で、『近代日本 社会運動史人物大事典』(日外アソシエーツ、1997年)が刊行された。
江頭 郁夫(えがしら いくお、1931年2月11日 - 20… 江頭 郁夫(えがしら いくお、1931年2月11日 - 2014年4月26日)は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。 熊本県出身。1951年に長崎経済専門学校を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1972年6月に取締役に就任し、1973年6月に常務、1977年6月に専務、1982年2月に副社長を経て、1988年6月には社長に就任。1995年6月から2001年6月までに会長に就任。 2014年4月26日に心不全のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 20… 木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に三菱重工業に入社。1970年に分社独立した三菱自動車工業に転じ、1989年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。1999年から会長を務めた。 2006年2月5日、胆管癌で死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 202… 松浦 暢(まつうら とおる、1931年2月10日 - 2020年1月23日)は、英文学者、成城大学名誉教授。英国ロマン派詩、特にジョン・キーツを研究し、薄田泣菫との比較研究も行った。 高知市出身。神戸大学文学部英文科卒。同大学院博士課程中退、名古屋商科大学助教授、1965年成城大学助教授、教授、1977-1978年オックスフォード大学客員研究員、同大学院特別研究生。1985年「キーツ-その夢と現実」で神戸大学学術博士。2002年定年、名誉教授。2010年秋、瑞宝中綬章受章。 2020年1月23日3時50分、心不全のため、広島県東広島市の病院で死去。88歳没。死没日をもって、従五位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 201… 中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 2015年10月29日)は、日本のノンフィクション作家。本名、高橋 道(たかはし みち)。旧姓、中島(なかじま)。 京都府京都市出身。1948年、東京都立武蔵高等女学校卒業。東京女子大学英文科卒業。1953年2月に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)にアナウンサー2期生として入社。1958年12月にラジオ東京を退社。1959年1月、ラジオ東京と嘱託契約しタレントアナ第二号に(中島道名義)。1970年に中央大学大学院法学研究科(刑事法専攻)修士課程修了。同年乳がん手術を機に医療の質や安全について関心を持って作家活動を始め、一貫して患者の立場から医療改革を訴え、医療に法律が関わる問題とその接点となる諸問題、医療制度、安楽死、がんの告知、臓器移植、尊厳死など生命倫理の問題医療に関する問題をテーマした作品の執筆、訳書、評論活動が多く、脳死の状態を「見えない死」と紹介するなど、医療現場が直面する課題を社会に投げかけたり、看護の日を発案し制定を呼びかけた。
石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、… 石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、日本の弁護士。日弁連刑事法制委員会委員長、法務省法制審議会刑事法部会委員、自由法曹団団長などを歴任した。 長野県松本市に生まれる。松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1954年に東京大学法学部を卒業。学生時代にはメーデー事件で逮捕されたことがある。 1957年大阪弁護士会に弁護士登録。以降は証拠開示をはじめとする多くの新判例を引き出し、戦後の刑事訴訟法を憲法に基づいて実質化していく実践的な活動に尽力していく。 刑事弁護人の在り方について教えを受けた人物として毛利与一を挙げている。
川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日… 川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日 - 2019年(令和元年)7月12日)は、日本の法学者。専門は商法・アメリカ海事法。京都大学名誉教授。大隅健一郎門下。 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 1】第4章: 大学院法学研究科・法学部』京都大学後援会、1997年。https://hdl.handle.net/2433/152980。
井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月2… 井上雪(いのうえ ゆき、1931年2月9日-1999年4月20日)は、日本の作家、随筆家、俳人。 石川県金沢市出身。本名・幸子。金沢女子専門学校文科(現・金沢学院大学)卒。金沢市の浄土真宗本願寺派の光徳寺の住職の妻(堂守)。1981年「廓のおんな」で大宅壮一ノンフィクション賞佳作となり、その他多くの著作をなした。俳人としては俳誌『雪垣』に拠った。
田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井… 田村 保(たむら たもつ、1931年2月8日 - )は、福井県福井市の俳優。本名は田村 正義。 京都府立東舞鶴高等学校卒業。東京映画俳優協会研究所出身。松竹、劇団三期会を経て、1966年9月、劇団青年座に入団。 1950年代から1970年代にかけ、映画・テレビドラマに端役として出演。
飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995… 飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995年7月18日)は、日本の経営学者。経済学博士(京都大学・1980年)(学位論文「バーナード研究」)。関西大学教授・京都大学教授・大阪学院大学教授を歴任。 京都市生まれ。1953年京都大学経済学部卒、1958年同大学院博士課程退学、関西大学商学部講師、1961年助教授、1969年教授、1978年商学部長、1980年「バーナード研究」で経済学博士(京都大学)の学位を取得。1985年京都大学経済学部教授。1994年定年退官、大阪学院大学教授。
内山 徹(うちやま とおる、1931年2月8日 - 2023… 内山 徹(うちやま とおる、1931年2月8日 - 2023年5月26日)は、日本の経営者。東急百貨店社長を務めた。 東京都出身。1953年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。1981年4月に取締役を経て、1994年1月に副社長に就任し、1995年4月には社長に昇格。2000年4月に取締役相談役に就任し、2001年4月には顧問に就任。 2023年5月26日に老衰のために死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7… 西澤 信正(西沢 信正、にしざわ のぶまさ、1931年2月7日 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、ニュースキャスター、大学教授。 山口県下関市出身。京都府立洛北高等学校→同志社大学文学部英文科卒業後、1953年に中日新聞社(当時は「中部日本新聞社」)に入社。当初は社会部記者として活動するが、後にカイロ、ワシントンD.C.特派員記者、東京本社(東京新聞)国会担当記者を歴任。1976年から名古屋本社文化部長を務めた。 1978年、東海テレビ放送が「イブニングニュース」シリーズ (630→600) をスタートさせると、中日新聞社が東海テレビのニュース制作に現在に至るまで協力している関係から初代メインキャスターに抜擢される。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
田村 四郎(たむら しろう、1931年2月7日 - 2003… 田村 四郎(たむら しろう、1931年2月7日 - 2003年10月9日)は、日本の実業家。日医工創業者。 1953年富山大学薬学部卒業。同期にリードケミカル創業者の森政雄がいた。日本医薬品工業(現日医工)を創業し、ジェネリック医薬品の製造・販売を行った。1984年富山県の大学の研究振興などを目的に田村科学技術振興財団設立。富山県薬業連合会会長なども務めた。2003年10月9日、呼吸不全のため死去。田村友一は長男で、2000年に第2代代表取締役社長に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 19… 桑原 通徳(くわばら みちのり、1931年2月7日 - 1999年12月30日)は、日本の実業家。元コカ・コーラナショナルセールス社長、元全国清涼飲料工業会会長。 1953年一橋大学経済学部卒業、キリンビール入社。大阪で営業を担当し、1979年神戸支店長就任。1983年からマーケティング部長を務め、前田仁を使い商品開発を進めるなどした。やがて、社内で絶対的な権力を有した本山英世社長が大阪時代に担当していた特約店が、桑原の担当する特約店と競合するようになり、また経営会議でも本山に対して直言するなどしていたが、社長の目がなくなり、常務大阪支社長、専務大阪支社長、近畿コカ・コーラボトリング社長、コカ・コーラナショナルセールス社長を経て、1996年から全国清涼飲料工業会会長を務めた。
樋渡 達也(ひわたし たつや、1931年2月6日 - )は、… 樋渡 達也(ひわたし たつや、1931年2月6日 - )は、日本の造園家。樋渡達也研究所主宰。JLAU正会員。元東京農業大学客員教授。みどり環境ネットワーク!代表。一造会顧問。 東京都職員として長年勤務したのち、造園に関する多数の団体の委員や議長、大学の非常勤講師を歴任。東京都の海上公園構想においては海上公園等に関する専門部会委員として構想を推進した。日本造園学会名誉会員。 東京湾の海上公園他多数の公共造園事業をリードしてきた行政プランナーのパイオニアであり、ランドスケープアーキテクト。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)フェロー。 東京生まれ。青山で育つが、父親の転勤によって1945年8月原爆投下時の広島に滞在していたため被爆者となる。
朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 202… 朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 2023年6月17日 )は、日本のコピーライター、詩人、童話作家。東京都出身。 小学生の頃は夏休みごとに静岡市で過ごし、中学1年の3学期に静岡県立静岡中学校へ疎開転校した。中学3年の1947年(昭和22年)7月7日、結核で神奈川県秦野の療養所に入り、1955年(昭和30年)8月末まで8年2ヶ月の間、ベッドの上で暮らし24歳で退院した。静岡中学は3年1学期で中退したが、同級生たちのカンパによって抗生物質の入手が可能となり再起に繋がった。 1960年(昭和35年)1月、米国海軍戸塚無線送信所技術者から、ライトパブリシテイに転職、15年勤務の後、フリーランスを経て、1974年(昭和49年)12月、株式会社パブロを設立。
種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 201… 種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 2014年1月14日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)。 1949年、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高校)卒業後に南海ホークスにテスト生として入団。高校時代のチームメイトに、後に南海でもチームメイトとなる岡本伊三美がいる。1951年は、南海土建に出向し社会人野球でもプレーした。 1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮﨑祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった)。
片岡 徳雄(かたおか とくお、1931年2月6日 - 202… 片岡 徳雄(かたおか とくお、1931年2月6日 - 2020年2月28日)は、日本の教育学者(教育社会学)。教育学博士。広島大学名誉教授。 高知県出身。1953年広島大学教育学部卒業。広島大学大学院教育学研究科博士後期課程修了、教育学博士。広島大学教育学部教授、同教育学部長を歴任。定年退官後は、広島経済大学教授や土佐女子短期大学の学長などを務めた。「日本子ども社会学会」を設立した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、… 落合 清彦(おちあい きよひこ、1931年2月6日- )は、日本の演劇評論家、編集者。 東京都出身。1956年早稲田大学国文科を卒業。東京創元社で「名作歌舞伎全集」の編集に、第三文明社で「絵本通俗三国志」の校訂に携わる。ほか、成城大学文芸学部講師を務めた。
山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 202… 山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 2024年1月17日)は、日本の弁護士、著作家、翻訳家、ワイン評論家。日本労働弁護団名誉会長、日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、一般社団法人「日本ワインを愛する会」会長。東京ドイツワイン協会名誉顧問。 日本でもっともワイン関連著作の多い人物であるとされている。 1931年、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にある商家(自転車屋)の生まれ。旧制中学3年だった14歳の時に太平洋戦争終戦を迎え、戦後にはサイクリングクラブを設立している。旧制中学卒業後、昼間は英語の通訳養成学校に通い、夜間は早稲田大学夜間部に通った。学生時代には学生演劇活動も行っており、後に劇団四季の顧問となっている。
田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 202… 田村 晃祐(たむら こうゆう、1931年2月5日 - 2022年7月1日)は、日本の仏教学者。学位は、文学博士(東京大学・乙種・1989年)。東洋大学名誉教授。専門は日本仏教史。最澄と徳一研究の第一人者。その他に聖徳太子、親鸞、井上円了も研究。茨城県多賀郡日立町(現、日立市)生まれ。 1931年2月、茨城県多賀郡日立町の真宗大谷派の寺院に生まれる。1949年、茨城県立日立第一高等学校を卒業後、東京大学文学部印度哲学梵文学科(現:インド哲学仏教学専修課程)に進む。1954年に同大学院人文科学研究科修士課程に進み、1961年に同博士課程満期退学。1989年に『最澄教学の研究 - 最澄,徳一論争を通じて-』で文学博士(乙種、東京大学)。
永田 哲士(ながた てつじ、1931年2月5日 - 2024… 永田 哲士(ながた てつじ、1931年2月5日 - 2024年1月27日)は、日本の医学者。専門は解剖学。医学博士(信州大学)。中国承徳医学院名誉教授、河北医科大学名誉学長、信州大学名誉教授。
西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018… 西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018年7月10日 )は、日本児童文学研究者。 福岡県大牟田市に生まれる。福岡県立大牟田高等女学校に入学。戦後、学制改革により福岡県立大牟田北高校を卒業。1954年、熊本大学法文学部文学科を卒業。卒業論文は「児童文学論」。同年、早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻に入学。修士論文は「赤い鳥研究」。1956年早稲田大学大学院日本文学博士課程満期退学。1956年、国語学者の西田直敏と結婚後、一男一女をもうける。1965年、夫の北海道大学文学部助教授就任に伴い、北海道札幌市に移住。北海道の各大学の非常勤講師を務める。1982年、國學院女子短期大学(現國學院大學北海道短期大学部)助教授、1984年、大阪国際児童文学館総括専門員、業務室長を経て、1991年、大谷大学教授。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は… 板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は、日本のイスラム学者。東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。文化功労者。
熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年… 熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年9月3日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。 和歌山県那賀郡上岩出村(現:岩出市)に上野家の次男として生まれる。1943年和歌山県立粉河中学校に入学。翌1944年中退し、大坂陸軍幼年学校に入学するが、敗戦により復員し、和歌山県立粉河中学校に復学し、1948年卒業。1953年、卒業論文「中世末期における国人層の動向」をまとめ、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学、京都大学文学部助手となる。 1970年に神戸大学教育学部助教授に転任、1979年同教授、1992年神戸大学文学部教授。
猪俣 浩(いのまた ひろし、1931年2月5日 - 2002… 猪俣 浩(いのまた ひろし、1931年2月5日 - 2002年6月7日)は英文学者。学習院大学名誉教授。東京都出身。 1956年に東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程修士課程を修了。その後、東京水産大学助教授、千葉大学助教授を経て学習院大学英米文学科教授に就任した。主にイギリスルネサンス文芸とシェイクスピアを研究。 2002年6月7日午後8時15分、心不全の為、静岡県東伊豆町の病院で死去、71歳。墓所は川崎市春秋苑。
住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 … 住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本のルーマニア文学者。 ミルチャ・エリアーデやミルチャ・カルタレスクの翻訳を手掛けた。 旧制松本高校文科乙類(ドイツ語選択)在学中に 原口統三『二十歳のエチュード』に感銘を受けフランス語を学ぶ。1953年東京大学文学部フランス文学科卒。 出版社(学研など)勤務のかたわら、直野敦東京大学名誉教授に師事しルーマニア文学研究を志し、1978年にSFファンジン「イスカーチェリ」にトゥードル・ネゴイチァ「最適解」を翻訳掲載。1986年から1990年までルーマニア在住、ブカレスト大学文学部博士課程修了。1989年、反チャウシェスク民衆蜂起をバリケードの内側から見て手記を<Romania literara>1989最終第52号に発表。
望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015… 望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015年4月22日)は、建築工学者。 静岡県三島市出身。1954年早稲田大学理工学部建築学科卒。1964年同大学院博士課程中退、67年「鉄筋コンクリート壁体の耐震設計に関する研究」で工学博士。一級建築士。1962年武蔵工業大学助教授、71年教授、2001年定年退任、名誉教授。2007年日本建築学会教育賞(教育業績)受賞。専門は建築構造学。
井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 … 井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 - )は、日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。第27代日本学士院院長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。 1931年、滋賀県神崎郡八日市町(現:東近江市)生まれ。滋賀県立八日市高等学校卒業。1954年京都大学医学部医学科卒業、医学博士。米国カリフォルニア大学内科研究員、京都大学講師、神戸大学医学部教授、京都大学医学部教授、同大学医学部長を経て、1991年~1997年京都大学総長。同時に国立大学協会会長。京大総長選挙は当時、立候補も他者推薦も無しで各教官が適任と思う人物を紙に書く制度であったため予期せず突如選ばれ、研究を一時中断するほど多忙であったという。
田口 時夫(たぐち ときお、1931年2月4日 - 2000… 田口 時夫(たぐち ときお、1931年2月4日 - 2000年12月29日)は日本の数学者、数理統計学者。統計的集中の解析で知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、数学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:数学/Portal:数学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005… 漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005年6月6日)は、日本の作詞家、訳詞家。本名:草野 昌一(くさの しょういち)。本名名義で編集者、実業家として活動し『ミュージック・ライフ』編集長、シンコーミュージック・エンタテイメント会長を務めた。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。早稲田大学第一商学部在学中の1951年9月、父・草野貞二が経営する新興音楽出版社(現:シンコーミュージック・エンタテイメント)から雑誌『ミュージック・ライフ』を復刊し(貞二が1938年に創刊した『歌の花籠』をベースとし、1946年に創刊された『ミュージック・ライフ』の復活)初代編集長を務めた。 1958年4月、新興楽譜出版社専務取締役に就任。
末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015… 末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015年8月17日)は、日本の政治家、東京都田無市長(4期)、田無市議会議員(5期)。 山梨県北巨摩郡須玉町(現在の北杜市)出身。山梨県立峡北高等学校(現・山梨県立北杜高等学校)卒業。卒業後は日本国有鉄道に入り、八王子機関区に勤務する。のちに田無町に移り、1963年に田無町議会議員に初当選。以後、市制施行(1967年)を挟んで連続5期務め、議長を務めた。その後、田無市助役を経て、1985年、田無市長に当選した。 1993年4月25日に行われた市長選挙に立候補して、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:34.34%(前回比:-pts) 1997年4月20日に行われた市長選挙に立候補して、新人2人を破って4選を果たした。
真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実… 真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実業家である。倉敷紡績相談役、大阪経済大学理事長。
久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日… 久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日 - 1998年〈平成10年〉12月13日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の日本の初代会長、国際勝共連合の日本の初代会長。そのほか、世界日報社会長、世界平和連合会長、リトルエンジェルス芸術団理事長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長などを歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。「久保木亮光(りょうこう)」と名乗っていたこともある。本名は久保木脩夫。 1931年に中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任。
岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年… 岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年5月22日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。上智大学卒業後、早稲田大学文学部大学院で美学を専攻、さらに東京慈恵会医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学助教授、教授。 森田療法の継承者の一人だが、臨床を行いつつ、芸術家的感性を生かした著作を数多く執筆した。1986年5月、全身をガンに侵され、55歳で死去。その最期のさまは松岡正剛によって記録された。また病苦を押して執筆した『森田療法』で、森田療法を、精神の自由を護るための技法として記述し、理不尽と闘うことをしなければ森田療法を適用してもムダだと説いている。 小心で様々なことに気を遣う性質で、“石橋を叩いても渡らない”傾向にあったが、石橋を叩きその道が確かであることを確かめたなら、不安があっても「あるがまま」にその橋を渡り、目的を果たすことを実践してきた。
澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 … 澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 - 1993年9月20日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・1959年)(学位論文「比較法学における法系の役割」)。元立教大学法学部教授。 東京市(現新宿区)生まれ。1954年東京大学法学部卒、1959年同大学院基礎法学博士課程修了、「比較法学における法系の役割」で法学博士の学位を取得。立教大学法学部助教授、教授、法学部長。在任中に61歳で逝去。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 20… 雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 2019年7月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、文化功労者。 彫刻家雨宮治郎の娘として東京に生まれる。弟は雨宮淳。日本大学芸術学部卒業。1956年日展初入選、1982年長野市野外彫刻賞、1983年中原悌二郎賞優秀賞、1985年日展内閣総理大臣賞受賞、1994年日本芸術院会員。2017年4月、旭日中綬章受章。2017年11月、文化功労者。 主に女性のヌード座像を制作している。『雨宮敬子作品集』(講談社 2005)がある。 2019年7月31日、心不全のため、東京都世田谷区内の病院にて88歳で死去。死没日をもって従四位に叙される この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年… 清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年6月16日)は、日本の実業家。位階は従三位。元東京急行電鉄(現:東急)社長。 1995年、東京急行電鉄(現:東急)社長に就任。東急グループ代表として、五島昇亡き後のグループを率い、バブル崩壊の影響で業績不振に陥っていたグループを再興した。日本民営鉄道協会会長等の公職も務めた。 東京府出身。1953年に一橋大学経済学部を卒業し、東京急行電鉄に入社。同社では長く財務部門、経営管理部門を歩み、入社後に公認会計士試験に合格し会計士補の資格も取得した。 専務等を経て、1週間前に横田二郎社長から後任社長の内示を受け、いったん固辞したのち、横田が取締役相談役として引き続き取締役に留任するなどとの説得を受け、1995年東京急行電鉄代表取締役社長就任。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。