渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - … 渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - 2024年10月14日)は、日本の実業家。元宮交シティ社長。元宮崎産業経営大学教授。 朝鮮半島に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。 2024年10月14日、老衰のため宮崎市内の病院で死去。93歳没。
斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は… 斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は、秋田県出身で産総研東北センター顧問・元東北大学工学部教授。
堀 孝彦(ほり たかひこ、1931年 - )は、倫理学者、英… 堀 孝彦(ほり たかひこ、1931年 - )は、倫理学者、英学者、名古屋学院大学名誉教授。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
宇都宮 芳明(うつのみや よしあき、1931年 - 2007… 宇都宮 芳明(うつのみや よしあき、1931年 - 2007年)は、日本の哲学者・倫理学者。北海道大学名誉教授。実存主義研究、カント研究を専門とし、多数の業績を残した。岩波書店から上梓した『カントと神 理性信仰・道徳・宗教』で第12回(1999年度)和辻哲郎文化賞を受賞する。
海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者… 海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者、明治大学名誉教授。専門は日本近代史。
大場 牧夫(おおば まきお、1931年 - 1994年11月… 大場 牧夫(おおば まきお、1931年 - 1994年11月1日)は、日本の幼稚園教諭。 茨城県生まれ。父は文化人類学者の大場千秋(のち茨城大学教授)。弟に保育学者の大場幸夫(大妻女子大学学長)がいる。茨城大学文理学部心理学科卒。1955年から桐朋幼稚園教諭を務める。1992年定年退職。
藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年1… 藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年11月19日)は、日本の医師。岩手医科大学名誉教授。岩手県盛岡市出身。 1996年キング・ファイサル国際賞、2008年武田医学賞を受賞した。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 200… 木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 2008年(平成20年)2月2日)は、日本の作家、小説家。本名は住田 晴幹(すみた はるき)。 1931年(昭和6年)に兵庫県神戸市に生まれる。大阪大学理学部を卒業後、カメラメーカーであるミノルタに入社するも1958年(昭和33年)、肺結核のために休職する。 ストレプトマイシンによる軽快後、1960年代、コンピューターが取り入れられたばかりのレンズ設計に従事し、ミノルタSRシリーズ用の交換レンズを送り出す。コンピューターを用い、OTFを評価関数としたレンズの自動設計を研究し、1970年(昭和45年)、応用物理学会分科会日本光学会光学論文賞を受賞。
福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 20… 福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の生化学者。学位は理学博士。大阪大学名誉教授。専門は生化学、酵素科学。正四位、瑞宝中綬章受章。 1931年(昭和6年)、兵庫県で生まれる。 川西小学校から県立伊丹中学に進むはずだったが、6年生の担任から勧められたこともあり、1944年(昭和19年)、旧制甲南高等学校尋常科入学(尋常科4年、高等科3年)。終戦後の学制改革により高等科を1年で修了。大阪大学へ進学。 1958年、「Enzymatic studies on the phosphorus in potato starch.」で理学博士。 2026年3月18日、腎不全のため死去。
溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9… 溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9日)は、日本史学者、十文字学園女子大学名誉教授。 長崎県生まれ。1958年東京大学文学部国文学科卒業。1976年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。84年「日本古代氏族系譜の成立」で文学博士。十文字学園女子大学教授を務め、2000年退職、名誉教授となる。専攻は日本古代史、古代文学。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年1… 比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年11月15日)は、日本・カナダの生物学者(植物病理学)。学位は、農学博士(九州大学・1963年)。特定非営利活動法人五島の椿と自然を守る会理事長、International Camellia Society副会長、アルバータ大学名誉教授、カナダ王立協会会員。長崎県出身。長年カナダに在住。 日本専売公社秦野たばこ試験場での勤務を経て、アルバータ大学農生命環境学部教授、アルバータ大学マッカラ研究教授、アルバータ大学特別全学教授、International Society for Plant Pathology会計役などを歴任した。 長崎県出身の生物学者である。
宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10… 宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10日)は、日本の精神科医。愛媛県生まれ。1956年京都大学医学部卒業。60年東京大学文学部哲学科卒業。
岡村 圭真(おかむら けいしん、1931年(昭和6年) - … 岡村 圭真(おかむら けいしん、1931年(昭和6年) - 2019年(平成31年)2月15日)は、日本の仏教学者。源久寺名誉住職。元高知大学教授。元高野山大学教授。 徳島県出身。1953年、京都大学文学部哲学科を卒業。1959年、同大学大学院博士課程(宗教学)を修了。1959年に高野山大学文学部講師、1969年に同助教授、1971年に同教授に就任。1973年、高野山大学を依願退職し高知大学文理学部(後に人文学部)の教授に就任。1995年に同大学を退任した。 また1979年から2017年までは真言宗大覚寺派の源久寺の住職を務めた。1999年に密教学芸賞を受賞。2005年から2009年まではかつて所属した高野山大学の客員教授も務めた。
古寺 雅男(こでら まさお、1931年 - 2014年1月2… 古寺 雅男(こでら まさお、1931年 - 2014年1月26日)は、日本の教育哲学者、立命館大学名誉教授。 東京都出身[要出典]。1954年、京都大学教育学部卒業[要出典]。60年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、大谷中学校教諭、成安女子短期大学講師[要出典]。ボン大学を経て[要出典]、1970年、立命館大学文学部に着任。同大学助教授、教授。1997年、定年退職。1980年度に京都大学教養学部において「教育学」の授業の中で天才論を講じたが、その授業を受けた後の映画監督さかはらあつしに大きな影響を与えた。 天才を「すべての仕事で創造的で、品質が安定して高く、量がある」と定義した。
徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月… 徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月30日)は、日本の国文学者。中世芸能が専門。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1985年)(学位論文「室町藝能史論攷」)。國學院大學名誉教授。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部国文科卒、1963年同文学部専任講師、1967年助教授、1977年教授。1985年「室町藝能史論攷」で國學院大学より文学博士の学位を取得。2002年定年退職、名誉教授。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - … 萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - 2017年〈平成29年〉11月9日)は、日本の法学者、裁判官のち弁護士。神奈川大学教授、法学部長を歴任し、同名誉教授。スウェーデン司法研究、民事訴訟法研究、調停を含むいわゆるADR研究など研究対象は多岐にわたる。 1931年、群馬県群馬郡滝川村八幡原(現・高崎市)の農家に生まれる。旧制佐波農業学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を経て、旧制中央大学法学部専門部卒業後(最後の卒業生)、新制中央大学3年に編入、在学中の1951年に司法試験合格。1953年中央大学卒業、1954年裁判官任官。同年、判事補として赴任した仙台地裁家裁の古川支部においていわゆる松山事件に左陪席として関与し、死刑判決を下した。
山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年… 山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年2月6日)は、日本の作詞家。東京都新宿区出身。 中央大学経済学部卒業。1958年に雑誌『平凡』の懸賞募集作詞へ入選し、コロムビアより『乙女の十字架』(唄:青山和子)が発売になる。作詞家の松井由利夫に師事し、1961年に『上野発故郷行』(唄:高城丈二、ポリドール)及び『すてきなワルツ』(唄:松山恵子、マーキュリー)でデビューを果たす。その後は松井の紹介で同人誌『新歌謡界』に入門し、ローカル作品コンクールで発表した『夕焼け水車』が入選。そこで曲を付けた川上英一の師匠・吉田矢健治に出会い、1965年1月にはキングレコード専属作詞家となる。後にフリー。
野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年… 野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年2月10日)は、日本の建築家・都市計画家で日本住宅公団の職員として公団団地設計に長く携わった人物。 1931年、千葉県船橋市生まれ。戦時中宮城県に疎開。1948年から1949年まで旧制山形高等学校在籍。その後新制の東京大学に進学。1954年、東京大学工学部建築学科卒業。同級に磯崎新、川上秀光、奥平耕造ら、同期に富安秀雄らがいる。卒業後、建設省入省。関東地方建設局営繕部配属。 1955年8月、建設省から日本住宅公団の本所建築部に移籍。1956年、産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加。1957年、東京支所建築部設計課団地係へ異動。
宮坂 義彦(みやさか よしひこ、1931年 - 2020年8… 宮坂 義彦(みやさか よしひこ、1931年 - 2020年8月30日)は、日本の教育学者。専門は、教育方法学(授業研究)。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学教育学部学校教育学科卒業。春日部市立春日部中学校、埼玉県立大宮商業高等学校、東京大学勤務を経て、岡山大学教育学部助教授。三重大学教育学部教授。定年退官後、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)教授。2000年ノートルダム清心女子大学教授。この間、日本教育心理学会、全国大学国語教育学会、日本教育学会、日本教育方法学会所属。1973年斎藤喜博と共に教授学研究の会設立、世話人。1990年授業研究の会を設立、1997年より公開研究集会を開催。
安田富士郎(やすだ ふじお、1931年-1982年3月14日… 安田富士郎(やすだ ふじお、1931年-1982年3月14日)は、日本の水産学者。 東京生まれ。安田善三郎の孫、父は安田周三郎。東京大学農学部水産学科卒、同大学院博士課程修了、1959年「プランクトン食魚の攝餌と肉食魚との関係について」で東京大学農学博士。1975年東京水産大学教授となる。
劉 進慶(りゅう しんけい、1931年 - 2005年10月… 劉 進慶(りゅう しんけい、1931年 - 2005年10月23日)は、台湾経済の研究者。日本名、中山 進慶(なかやま しんけい)。 1931年日本統治下の台湾台南州斗六郡斗六街(現・雲林県)生まれ。1956年台湾大学経済学系卒業、1972年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。1975年より東京経済大学助教授、1978年同教授、同経済学部長、図書館長、学校法人東京経済大学理事を歴任。1985年対外経済貿易大学(北京)、1996年北京大学客員教授。1991年スタンフォード大学、1992年ハーバード大学客員研究員。2002年東京経済大学名誉教授。 マルクス経済学者であり、社会主義者として台湾問題で両岸統一を主張していた。
桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1… 桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1月8日)は、日本の歯科医師、歯学者。元大垣女子短期大学教授、元藤田学園保健衛生大学助教授。 1957年日本歯科大学卒業、1961年東京医科歯科大学大学院修了。以後、愛知学院大学歯学部講師、財団法人ライオン歯科衛生研究所付属ライオンファミリー歯科診療所小児歯科主任を経て1974年大垣女子短期大学教授に就任、1986年藤田学園保健衛生大学助教授。 井上直彦、伊藤学而らとともに、宮古・石垣地域の無歯科医地区の乳幼児歯科保健活動などに従事した。
金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月… 金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月21日)は、日本の歯科医師。 東京都生まれ。1955年東京歯科大学卒業。同年東京都中央区に開業。歯科スタディグループの草分け的存在である「火曜会」を創設。以降全国にスタディーグループの設立を促し、歯科臨床家の育成に尽力。全国の歯科スタディグループの集まりである「臨床歯科を語る会」を1981年に設立。 金子は欠損歯列の分類として、歯数分類を提唱した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉村 行勇(すぎむら ゆきお、1931年 - 1991年11… 杉村 行勇(すぎむら ゆきお、1931年 - 1991年11月9日)は、日本の地球化学者。海洋化学者。気象庁気象研究所地球化学部長。理学博士(東京都立大学)。 1950年(昭和25年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1954年(昭和29年)、東京都立大学理学部化学科卒業。同年4月、神奈川県川崎市立塚越中学校教諭。1年で退職。1955年(昭和30年)、東京都立大学大学院入学、1960年(昭和35年)9月、博士課程満了。「現世堆積物の地球化学的研究」により理学博士。これに先立つ同年5月、気象庁気象研究所地球化学研究部に技術補佐員として採用、三宅泰雄に師事。1961年(昭和36年)、地球化学研究部第二研究室に配属。
高木 茂男(たかぎ しげお、1931年(昭和6年) - 20… 高木 茂男(たかぎ しげお、1931年(昭和6年) - 2001年(平成13年)4月9日)は、日本のパズル研究家である。 『Play puzzle』『パズル遊びへの招待』など、多くのパズル研究の著書がある。芦ヶ原伸之とはパズル懇話会設立のメンバーとしても一緒で交友があった。虫食い算の作者としても知られており、何冊かの本を自家出版している。 東京都立大学 (1949-2011)出身。
國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月… 國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月3日)は、日本の電気工学者。第13代青山学院大学学長、第2代日本私立学校振興・共済事業団理事長、第4代学校法人横須賀学院理事長、第15代学校法人大東文化学園理事長などを歴任した。 1954年東京理科大学理学部物理学科卒業。その後物理学から半導体研究に転じて、酒井善雄東京工業大学教授に師事し、1968年には東京工業大学で工学博士の学位を取得した。 サザン・メソジスト大学特別研究員、ロンドン大学客員研究員、青山学院大学理工学部電気電子工学科教授を経て、1995年から99年まで第13代青山学院大学学長。 また、光起電力素子の研究を行い、電気学会調査専門委員会委員長、電気学会技術委員会委員長、電気学会E部門副部門長を歴任。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 一枝(なかむら かずえ、1931年〈昭和6年〉 - 2… 中村 一枝(なかむら かずえ、1931年〈昭和6年〉 - 2019年〈令和元年〉12月7日)は、日本の郷土史研究家。北海道釧路市の釧路アイヌ文化懇話会や札幌女性史研究会に所属し、札幌市を拠点に歴史を掘り起こす地道な活動を続ける一方、現代に警鐘を鳴らすべく、戦争体験の積極的な発信を続けた。日本大学文学部卒業。釧路でアイヌ教育に取り組んだ永久保秀二郎の日記『永久保日誌』の研究でも知られる。 北海道釧路市で誕生した。女学生だった1945年(昭和20年)、戦中当時に学校では防空壕を掘らされ、駆り出された援農先では作業の合間に歌を歌った者が目の前で体罰を受けるといった戦時体験が、その後の生涯に影響を及ぼした。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) -… 川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) - 2017年(平成29年)10月10日)は、日本の真言宗の僧侶。高幡山明王院金剛寺第三十三世貫主。 埼玉県秩父郡皆野町に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1956年(昭和31年)に高幡山明王院金剛寺に入山する。総務部長・執事長を経て、1989年(平成元年)に貫主に就任する。日本一と伝えられる丈六不動三尊(重文)の修復、身代わり丈六不動三尊の造立、宝輪閣・奥殿の建立等、一貫して一山の興隆、文化財の保護に尽力する。また、東日本大震災で被災した宮城県名取市の観音寺の再建を全面支援する。 2005年(平成17年)に密教教化賞を受賞する。 2017年(平成29年)10月10日に死去、享年86。
高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24… 高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24日)は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。専門は金融論、アメリカ金融制度論。 長野県出身。1961年明治大学第二部商学部卒業。1970年同大学大学院商学研究科博士課程修了。テンプル大学研究員などを経て、1982年に明治大学商学部教授就任。1994年に博士(商学)(明治大学)となり、2002年に退職、名誉教授。
高田 勇(たかた いさむ、1931年 - 2012年9月23… 高田 勇(たかた いさむ、1931年 - 2012年9月23日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。明治大学名誉教授。瑞宝中綬章受章(2010年)。 1931年生まれ。明治大学文学部を卒業し、同大学院文学研究科に進学。修士課程を修了。 1955年、母校の明治大学助手に採用された。講師、助教授、教授に昇格し、2002年に定年退任。学界では、日本ロンサール学会会長を2012年まで務めた。1996年、ランス・シャンパーニュ=アルデンヌ大学より名誉博士号を授与された。2012年9月23日、食道がんのため横浜市内の病院で死去。81歳没。 専攻はフランス・ルネサンスの文学で、関連する著書・訳書を多数上梓したほか、フランス語教育に関する著書なども手がけた。
鈴木 隆(すずき たかし、1931年 - 2019年3月29… 鈴木 隆(すずき たかし、1931年 - 2019年3月29日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 元日経BP社長。元格付投資情報センター社長。 1955年に横浜国立大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社した[要出典]。 証券部時代の1965年(昭和40年)に山一証券の経営危機をつかみ、日銀特融に至る経過を報じた。1972年に証券部長となる。1981年から1983年まで日経産業新聞の編集長を務める。1983年にデータバンク局長に就任し、経済情報をオンラインでパソコンに送り込む「日経テレコン」をはじめ、日本経済新聞社の総合情報産業化に貢献する。その後大阪本社代表を経て、1990年に日本経済新聞社を退社した。
吉田 新一(よしだ しんいち、1931年 - 2025年2月… 吉田 新一(よしだ しんいち、1931年 - 2025年2月24日)は、日本の児童文学研究者、翻訳家、教育者。立教大学名誉教授、日本女子大学元教授、日本イギリス児童文学会会長、絵本学会会長。日本におけるピーターラビットとビアトリクス・ポター研究の第一人者として、海外児童文学作品の翻訳も精力的に行い、海外児童文学の研究・教育と普及に貢献する。教え子に桂宥子、北野佐久子がいる。 1931年、東京に生まれる。立教大学文学部英米文学科卒業、同大学院文学研究科修了。 立教大学一般教育部教授となり、英米文学を教える。 1960年代後半、立教大学を含む日本の各大学で起こった学園紛争が収束に向かった頃、新カリキュラムの導入が進められるが、吉田の提案によって英米児童文学分野も新たに設けられ、授業を担うこととなる。
正延 哲士(まさのぶ てつし、1931年〈昭和6年〉 - 2… 正延 哲士(まさのぶ てつし、1931年〈昭和6年〉 - 2015年〈平成27年〉6月27日)は、日本のルポライター、小説家、ジャーナリスト。日本推理作家協会会員。 高知県に生まれる。立命館大学文学部哲学科中退。高知放送勤務を経て、著述活動に入る。主にノンフィクションを執筆し、実在したヤクザの人間像や、冤罪事件をテーマにした作品などを発表。著書『最後の博徒 波谷守之の半生』は東映『最後の博徒』(監督・山下耕作 主演・松方弘樹)として映画化された。
西川 秀男(にしかわ ひでお、1931年 - 2006年3月… 西川 秀男(にしかわ ひでお、1931年 - 2006年3月10日)は、日本の編集者。元岩波書店取締役(辞典・ニューメディア開発担当)。 1931年、東京に生まれる。早稲田大学政治経済学部を中退し、1948年、岩波書店に入社。経理部、出版部を経て、1965年より「広辞苑」第2版から第4版までの編集・制作に携わる。その間、コンピュータ組版(CTS)による各種辞典(「生物学辞典」「六法全書」など)の制作を推進する。1986年から「広辞苑」CD-ROMの開発・商品化を担当し、翌年に「広辞苑 第3版」CD-ROM版が発売される。1991年には、電子ブックの普及のための「電子ブックコミッティー」を立ち上げ、代表幹事に就任する。
西田 正好(にしだ まさよし、1931年 - 1980年3月… 西田 正好(にしだ まさよし、1931年 - 1980年3月7日)は、国文学者・文芸評論家。専門は日本中世文学だが、日本文学や仏教について幅広く論じた。 愛知県出身。1954年早稲田大学文学部国文科卒業。1956年、同大学大学院修士課程修了。大学院では伊藤康安と岡一雄の指導を受けた。同年、金城学院大学講師、1962年愛知淑徳短期大学助教授、1975年愛知淑徳大学教授。49歳で死去。
池杉 昭次郎(いけすぎ しょうじろう、1931年 - 199… 池杉 昭次郎(いけすぎ しょうじろう、1931年 - 1995年8月12日)は、大洋ホエールズ→横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズの私設応援団長。「横浜大洋ホエールズ友の会」理事。 東京都の千住地域出身。本職は1976年までは横浜市交通局勤務で市電の運転士、以降は横浜市立図書館職員。 学生時代からスポーツ観戦を趣味としており、自身でもいくつか競技に取り組んでいた。 元々は東京勤務で後楽園球場に通っていたこともあり、読売ジャイアンツ(巨人)のファンであった。その後は勤務先が変わり川崎市へ移住。 応援団を組織するきっかけは1954年または1955年、たまたま観戦していた川崎球場での大洋・巨人戦。当時は最下位続きだった大洋が巨人に惨敗する中、社命で必死に応援している大洋漁業社員を気の毒に思い、大漁旗を振るのを代わったことに始まる。
池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)… 池多 孝春(いけだ たかはる、本名:池田 孝(いけだ こう)、1931年 - 2014年6月12日)は、日本の作曲家・編曲家。
井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年… 井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年8月18日)は、日本の写真家。高知県土佐市生まれ。 1951年より岩宮武二に師事。大阪・釜ヶ崎地域の写真を撮り続け、1961年に『人間百景—釜ヶ崎』で第5回日本写真批評家協会新人賞、カメラ芸術新人賞を受賞する。 1976年に大阪芸術大学芸術学部写真学科講師となり、1977年に同大学助教授、1987年に同大学教授となった。 1988年、徳之島での撮影中に波にさらわれて事故死した。享年57。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は… 二分 久男(にぶん ひさお、1930年12月29日 - )は、宮崎県都城市出身の元調教師(栗東所属)・元騎手。 妻は師匠である布施文蔵元調教師の次女であり、布施正とは義兄弟の間柄に当たる。 1953年に布施文蔵厩舎から騎手としてデビューし、1219戦60勝(中央以降)をマークし、1965年引退。 引退後の1965年に調教師免許を取得して厩舎を開業し、1968年にクモムラサキでアラブ大賞典(秋)を制して重賞初制覇。1978年にアグネスホープが東京優駿(日本ダービー)2着に入り、1980年にはアラナス産駒のノースガストで菊花賞を制し、クラシック初制覇を達成。1981年にはフォルティノ産駒のテキサスワイポンで中山大障害(秋)を制覇し、1988年から1990年にかけてはウエスタンウインド産駒のシンウインドが短距離戦線で活躍。
西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28… 西辻 豊(にしつじ ゆたか、1930年(昭和5年)12月28日 - )は、日本の政治家。大阪府八尾市市長(第4代)。NPO法人やお文化協会の理事長(2017年現在)。旭日双光章受章。 大阪府、現在の八尾市出身。大阪府立八尾中学校(旧制)卒業(50期。現大阪府立八尾高等学校)。1951年(昭和26年)大阪市立都島工業専門学校を卒業。 八尾市役所に就職し、第3代市長山脇悦司のもとで総務課長や、教育委員会管理部長、市総務部長、助役などを務めた。1995年(平成7年)4月23日の第13回統一地方選挙で、八尾市長選挙に出馬。元市議の田中誠太を破り、初当選した。 市職員時代の1950年(昭和25年)11月3日(文化の日)に「優良職員」として表彰された。
小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014… 小田 清(おだ きよし、1930年12月26日 - 2014年9月4日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。 福島県出身。福島県立安積高等学校卒業。 オペラデビューは横浜勤労者音楽協議会 第76回例会 1960年(昭和35年)3月6,8,9,13,14,15,19日 ヴェルディ『リゴレット』タイトルロール 神奈川県立音楽堂である。最後のオペラ出演は日本オペラ協会1991年(平成3年)3月9,10日 三木稔『あだ』土部三斎 東京芸術劇場中ホール。この間、合計で110本ものプロダクションに一貫して歌手として出演しており、特に二期会の中心的なバリトン歌手として活躍した。中には1967年(昭和42年)の二期会創立15周年記念公演ワーグナー『パルジファル』日本初演のクリングゾルなど歴史的な役柄もあった。
渡部 和(わたなべ ひとし、1930年12月26日 - )は… 渡部 和(わたなべ ひとし、1930年12月26日 - )は、日本の電気工学者。電子計算機(コンピュータ)開発の先駆者。電子回路・システム技術における歴史的貢献を顕彰するキルヒホッフ賞を日本人として初めて受賞。 京都大学工学部電気工学科(旧制)卒業後、日本電気に入社。濾波器の設計に従事し、その基礎となる回路網理論を研究した。設計に要する膨大な数値計算を自動化するために電子計算機を開発し、電子計算機を用いた電気回路設計自動化(CAD)に道を拓いた。その後、ネットワーク分散型の計算機開発、情報ネットワーク研究に従事した。日本電気中央研究所常務理事を経て、1991年から2005年まで創価大学教授。同大名誉教授。
柏木 薫(かしわぎ かおる、1930年〈昭和5年〉12月26… 柏木 薫(かしわぎ かおる、1930年〈昭和5年〉12月26日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の小説家・作家。本名、谷 幸子(たに さちこ)。 「久坂葉子研究会」の代表を務め、小説の他に久坂葉子の評伝や研究書も執筆している。また『告白の海』では自身の性同一性障害を題材としている。 小豆島生まれ。帝国女子専門学校(現在の相模女子大学)国文科卒業。学生時代に文学を志すも、経済的理由で進駐軍専用キャバレーの事務員として働く。1978年、久坂葉子研究会を立ち上げ、研究誌を刊行。1983年には久坂の自殺を題材にした小説「殺された海」を発表。 2023年3月9日、老衰のため神戸市中央区の施設で死去。
篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )… 篠原 三郎(しのはら さぶろう、1930年12月26日- )は、日本の経営学者、会計学者、歌人、経営・労働評論家。 静岡大学名誉教授。日本福祉大学教授、京都自由大学講師。専門は排除論・芸術論。 東京生まれ。一橋大学卒、1960年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。高島善哉の指導を受けた。 関東学院大学講師、立命館大学経営学部助教授、教授、1979年静岡大学人文学部教授。94年定年退官、名誉教授。