川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17… 川勝 泰司(かわかつ たいじ、1930年(昭和5年)8月17日 - 2023年(令和5年)5月12日)は、日本の実業家。南海電気鉄道元社長・会長。元毎日放送社外監査役。南海電気鉄道社長・会長を歴任し、南海ホークスのオーナーも務めた川勝傳の長男。 同志社大学経済学部卒業後、1953年に南海電気鉄道へ入社。その後、副社長・1992年社長・1999年会長・相談役をそれぞれ歴任。南海電気鉄道顧問を務めていた。2007年旭日重光章受章。2023年5月12日、心不全のため、死去した。92歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 京都府南丹市、大阪府高石市 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
藤井 賢祐(ふじい けんゆう、1930年8月17日 - 没年… 藤井 賢祐(ふじい けんゆう、1930年8月17日 - 没年不明)は、元・日本テレビ放送網社員、テレビプロデューサー。日本テレビ版『ドラえもん』の企画を立ち上げたことで知られる。 1958年、早稲田大学第一法学部を卒業し、同年に日本テレビ(現・日本テレビホールディングス)に入社。1960年代前半に『リッピー・ハーディー珍道中』などの輸入アニメのプロデュースを手がけたのち、1960年代後半から1970年代前半にかけて、ほぼ全ての日本テレビ制作の日本テレビ系アニメのプロデュースに携わった。後述の不祥事以降はアニメ番組からは退き、主に日本テレビの報道部で活動し、ドキュメンタリー番組などを手掛けた。 『アニメージュ』1979年4月号「TBS&NTVアニメ16年史」特集のインタビューでは思い出の一作として『男一匹ガキ大将』を挙げている。
太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 -… 太田 龍(太田 竜、おおた りゅう、1930年8月16日 - 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。
村田 経和(むらた つねかず、1930年(昭和5年)8月16… 村田 経和(むらた つねかず、1930年(昭和5年)8月16日 - 2011年(平成23年)4月11日)は、日本のドイツ文学者。 曾祖父は村田銃の開発で知られる村田経芳男爵。祖父は村田綱太郎男爵、父は貴族院議員・村田保定男爵(安場末喜の三男で養子に入る)。男爵家。東京出身。 1954年、学習院大学卒業。1956年、東京都立大学大学院独文学修士課程修了。1962 - 64年ボン大学に学び、1974 - 76年ミュンヘン大学講師。 1962年学習院大学文学部助教授。1971年、教授。2001年、定年退任、名誉教授。 安場保吉・大阪大学名誉教授(経済学)は従兄。妻は村田インゲボルグ(1941 - 、ボン大学卒業、東京農工大学外国人教師)。
板垣 宏(いたがき ひろし、1930年8月16日 - 201… 板垣 宏(いたがき ひろし、1930年8月16日 - 2015年12月2日)は、日本の経営者。帝人社長、会長を務めた。 愛媛県出身。1953年に京都大学工学部工業化学科を卒業し、同年に帝国人造絹絲(のちの帝人)に入社した。1977年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に社長に就任し、1997年6月には会長に就任した。社長在任時には、バブル崩壊に伴う業績低迷を克服し、ポリエステル繊維業界において、国内最大手の地位を固めていった。1999年6月に相談役に就任し、2005年8月から2010年8月までに最高顧問を務めた。 2002年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 2015年12月2日、心不全のために死去。
沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。 妻は国体に出場して最優秀選手を獲得したこともあるバスケットボール選手で、次男の沼澤尚はドラマー。 ルー・ゲーリッグに憧れ、野球選手を目指す。旧制函館中では4番・一塁手として活躍し、1946年には全道大会準決勝で帯広中を17-16という大乱戦の末に降すと、決勝でも沼澤が4長短打の活躍で札幌光星中を破り戦後初優勝を飾った。戦後初出場となった夏の甲子園でも初戦で山形中を降して戦後初勝利を挙げたが、準々決勝でエース平古場昭二を擁する浪華商に敗退。
海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 200… 海津 忠雄(かいづ ただお、1930年8月15日 - 2009年7月21日)は、日本の西洋美術史・美学者、慶應義塾大学名誉教授。 1951年慶應義塾高等学校卒業、1955年慶應義塾大学文学部卒業。1960年同大学院博士課程単位取得満期退学。大学院では守屋謙二に師事した。1965 - 1966年スイス・バーゼル大学に留学する。慶應義塾大学文学部助手、専任講師、助教授を経て、1973年から同教授となる。1986年「ドイツ美術と人文主義 著述者像としてのエラスムスの肖像」で、慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。 1994年、任期を2年残して退職、慶應義塾大学名誉教授。同年4月から2001年3月まで、東亜大学大学院教授を務めた。
沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。
北川 荘平(きたがわ そうへい、1930年8月15日 - 2… 北川 荘平(きたがわ そうへい、1930年8月15日 - 2006年7月8日)は、日本の小説家。和歌山県伊都郡山田村(現在の橋本市)出身。 京都大学経済学部卒業。高橋和巳らとともに京大文芸同人会(のちの京大作家集団)結成に参加。卒業後は大阪ガスに勤務。大阪文学学校に学び、1963年から1969年にかけて文芸雑誌『VIKING』の編集人を務めた。 1958年、『水の壁』で、第39回芥川賞・直木賞に同時ノミネートされた。その後も1960年に『企業の伝説』、1965年に『企業の過去帳』、1966年に『白い塔』で直木賞候補となった。 2006年7月8日に肺炎のため死去した。享年75。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15… 出口 和明(でぐち やすあき、1930年(昭和5年)8月15日 - 2002年(平成14年)6月19日)は、日本の作家、宗教家。大本教祖・出口王仁三郎の孫。 代表作『大地の母』全12巻(出口なお・王仁三郎の伝記であり、大本初期の歴史を描いた小説)。本名以外に「野上竜」「十和田龍」というペンネームで書いた著作もある。 昭和50年代から大本の宗教改革運動に取り組み、仲間たちと共に「いづとみづの会」を設立。昭和60年代には宗教法人「愛善苑」として独立した。 綾部の大本の聖地の中で生まれる。母親は出口王仁三郎の第三女・八重野で、亀岡に住んでいたが、出産の時だけ綾部に滞在していた。生まれた場所は大本の御神体山の頂上(一番の聖域)に建つ穹天閣(きゅうてんかく)という建物で、綾部における王仁三郎の居館だった。
藤井 康男(ふじい やすお、1930年8月14日 - 199… 藤井 康男(ふじい やすお、1930年8月14日 - 1996年11月10日)は、日本の実業家、生化学者、文筆家。 東京都出身で、3代目得三郎(勝之助)の子。千葉大学薬学部卒業後に、大阪大学大学院理学研究科に進学。 1955年、家業の製薬会社龍角散に入社。1960年大阪大学理学博士。1963年龍角散社長。1967年から1977年まで北里大学助教授。1995年龍角散会長。 日本初の臨床試薬会社ヤトロン(現在のLSIメディエンス)の社長などを兼任。クラシック音楽に精通し、龍角散室内管弦楽団では自らソリストを担当した。千代田区教育委員も務めた。 息子の藤井隆太は、1995年から株式会社龍角散の社長に就任。
上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日… 上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日 - 2025年〈令和7年〉11月22日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。英国物理学会名誉フェロー。アメリカ物理学会終身フェロー。第40期日本物理学会会長。理学博士。 1930年8月13日、兵庫県芦屋にて生まれた。1948年に東京都立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を卒業した。1954年に東京大学理学部を卒業し、1959年に同大学院数物系研究科の博士課程を修了した。同年に東京大学理学部物理学科の助手に着任し、1967年に助教授に、1978年に教授に昇任した。東京大学では、改革室員や理学研究科委員会委員、理学部物理学科主任、理学部付属中間子研究センター長、物性研究所協議会委員などを歴任した。
中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 202… 中村 明(なかむら あきら、1930年8月13日 - 2020年2月15日)は、日本の生物学者(細胞遺伝学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学での勤務を経て、静岡県立大学短期大学部教授などを歴任した。 細胞遺伝学を専攻する生物学者である。ニホンウズラの系統に関する研究で知られている。静岡県立浜松北高等学校、静岡女子短期大学、静岡県立大学短期大学部で教鞭を執っていた。 1930年8月13日に生まれ、静岡県立浜松第一中学校に進学した。 1963年4月より、母校である静岡県立浜松第一中学校の流れをくむ静岡県立浜松北高等学校にて教鞭を執った。教科は理科を担当しており、部活動では軽音楽部や生物部の顧問を務めた。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日… 丹羽 厚悦(にわ こうえつ、1930年〈昭和5年〉8月12日 - 2023年〈令和5年〉6月23日)は、日本の銀行家。元山形銀行頭取。 山形県山形市出身。福島経済専門学校(のち福島大学経済学部、現在の同大学人文社会学群経済経営学類)卒業後、両羽銀行(現在の山形銀行)入行。 1993年(平成5年)、8年あまり頭取を務めた三浦新の後任として昇格する。これは戦後初めて、創業家である三浦家、長谷川家以外での頭取就任となった。 2005年(平成17年)には在任12年を迎えたこと、じゅうだん会による新システムも稼動となったことから、長谷川吉茂専務に大政奉還し顧問に退いた。その堅実な経営手腕には定評があった。
上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 … 上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 - )は、日本の建築学者・建築家・都市環境空間デザイナー。専門は、都市計画・比較文明論。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。 滋賀県彦根市出身(出生地は大阪府。里帰り出産後の生育地は、引き揚げまで満洲の奉天市、北支の濰縣(中国語版)、青島市。)。京都大学助教授・大阪大学教授・京都精華大学教授を経て、京都精華大学名誉教授。上田篤都市建築研究所主宰。 専門は主に建築工学であり、主な作品に「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」などがある。 しかしながら、建築分野で評価を受ける反面、近年は古典分野の執筆活動を展開している。
鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月1… 鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月12日 - )は日本の実業家、鹿島建設取締役相談役。工学博士(東京大学)。東京都出身。
井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日… 井上 聰(いのうえ さとし、1930年(昭和5年)8月12日 - )は、日本のヴァイオリニスト。徳島文理大学名誉教授。武蔵野音楽大学音楽学部卒業。徳島県徳島市出身。 1956年(昭和31年)、武蔵野音楽大学音楽学部卒業。大学卒業後、同年に徳島大学学芸学部講師に就任。 1966年(昭和41年)、徳島女子短期大学(現在の徳島文理大学短期大学部)助教授に就任。1972年(昭和47年)、徳島文理大学音楽学部学部長に就任。 また、これまでに徳島県文化協会理事・日本弦楽指導者協会徳島支部長などを歴任。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
濱田 啓介(はまだ けいすけ、1930年8月11日 - 20… 濱田 啓介(はまだ けいすけ、1930年8月11日 - 2021年9月22日)は、日本の国文学者。京都大学名誉教授。専門は日本近世文学を中心とした日本文学。 1930年、東京生まれ。京都大学文学部卒業。卒業後は大阪府立夕陽丘高等学校教諭、北野高等学校教諭、鹿児島大学講師、助教授を経て、1977年、京都大学教養部助教授、のちに教授。1992年同大学総合人間学部教授を経て、1994年、京都大学名誉教授。同年花園大学文学部教授(2001年3月まで)。1994年、『近世小説 営為と様式に関する私見』により第16回角川源義賞を受賞。1995年、京都大学文学博士。博士論文は「近世小説・営為と様式に関する私見 」。
恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2… 恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2010年4月14日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は法哲学者の恒藤恭。祖父は地質学者の恒藤規隆。兄弟に同志社大学法学部教授を務めた恒藤武二がいる。1953年京都大学理学部物理学科卒、1958年京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士(京都大学)。 1963年大阪大学理学部講師、1967年京都大学理学部助教授、1971年京都大学理学部教授。1994年京大定年退官、名誉教授、龍谷大学理工学部教授。
島内 剛一(しまうち たかかず、1930年(昭和5年)8月1… 島内 剛一(しまうち たかかず、1930年(昭和5年)8月10日 - 1989年(平成元年)12月19日)は日本の数学者。立教大学教授。専門は基礎論だが、揺籃期から成長期にあった日本のコンピュータ及びコンピュータ科学の発展にも広く関与し、パズル等への造詣も深かった。理学博士。コンピュータ科学に貢献しながらも、コンピュータ科学なんてものは無くて有るのはコンピュータだけ、という持論だったという。
高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991… 高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991年1月7日)は、日本の奇術研究家・アマチュアマジシャン。東京生まれ。 1935年頃、新橋演舞場で松旭斎天勝のイリュージョン(人体浮揚や美女の胴体切り)を見て奇術に興味を持つようになった。1952年、慶応義塾大学経済学部卒業、1954年、慶応義塾大学法学部卒業。 衆院事務局参事を経て、国立国会図書館参考書誌部索引課主査。1986年4月退官。 1950年代~1960年代ごろ、日本国外の奇術の書籍・雑誌があまり日本に流通していなかったころから、日本国外の専門書の翻訳や解説書の執筆を精力的に行って日本の奇術界に貢献した。特に専門季刊雑誌『奇術研究』を通じてのクロースアップ・マジックの紹介は、当時の日本では非常に貴重なものだった。
門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年… 門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年11月30日)は、日本のジャーナリスト。福島県出身。
吉田 静一(よしだ しずかず、1930年8月6日 - 198… 吉田 静一(よしだ しずかず、1930年8月6日 - 1982年4月13日)は、日本の経済学者。専門はフランス経済史、フランス経済学史。経済学博士(名古屋大学、1966年)。 シモンド・ド・シスモンディやサン=シモンといった思想家について、旧来のマルクス主義的な経済学史にとらわれず、その思想の内在的研究を行った。 1930年、東京生まれ。旧制東京高等学校文科を卒業。1950年、名古屋大学経済学部経済学科入学。水田洋に学ぶ。 1953年に卒業後、京都大学人文科学研究所助手を経て、1958年に関西大学経済学部に着任。1968年、神奈川大学経済学部に移籍し教授を務める。1971年から1973年までフランス留学。
川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は… 川口 芳弘(かわぐち よしひろ、1930年8月6日 - )は、静岡県浜松市出身の元プロ野球選手(投手)。 興誠商業(現・浜松学院中学校・高等学校),ノンプロの小口製作所を経て、1950年に大洋ホエールズに入団。同年6月2日の西日本戦(佐世保市営球場)でデビューした。しかし11試合に登板したが、勝ち星を挙げることができず、1951年に引退した。 川瀬宏之とは、興誠商業,小口製作所,大洋全てでチームメイトであった(高校・ノンプロ時代にはバッテリーを組んでいた)。
亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010… 亀井 龍夫(かめい たつお、1930年8月6日 - 2010年10月23日)は京都市出身の編集者。 父亀井三郎(化学者、京都帝国大学教授)と叔父亀井奎介(内科医、岐阜医大教授)は共に高知県出身で第三高等学校 (旧制)OB。旧制京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)のころから文学作品に魅せられ太宰治に私淑していた。第三高等学校 (旧制)を経て、1954年、東京大学文学部仏文科卒業。同年、古山高麗雄の後任として河出書房に入社。主に文芸出版を担当した。『知性』編集部での同僚に山口瞳がいる。 1957年に河出書房倒産に伴い退社し、フリーライターとなる。テレビ関連の仕事もこなした。 1957年11月、新潮社に入社し三高の先輩の野平健一と仕事をするようになる。
荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - 2016… 荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - 2016年12月4日)は、東京都台東区浅草出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ・監督、解説者。
角岡 与(つのおか あとお、1930年(昭和5年)8月6日 … 角岡 与(つのおか あとお、1930年(昭和5年)8月6日 - 2021年(令和3年)4月25日)は、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身の政治家。愛知県刈谷市議会議員(1963年~1983年、5期)、刈谷市長(1983年~1995年、3期)。刈谷市名誉市民。 1930年(昭和5年)8月6日に愛知県碧海郡依佐美村野田東屋敷(現・刈谷市野田町)に生まれ、1943年(昭和18年)3月に依佐美村立野田国民学校(現・刈谷市立双葉小学校)を卒業した。1945年(昭和20年)刈谷中学校(現愛知県立刈谷高等学校)を中退した。 1963年(昭和38年)7月に32歳で刈谷市議会議員に初当選し、5期20年に渡って市議会議員を務めるとともに、刈谷市議会議長や東海議長会会長(1981年~)などを歴任した。
坂内 正(さかうち ただし、1930年8月5日 - )は、ド… 坂内 正(さかうち ただし、1930年8月5日 - )は、ドイツ文学者、文芸評論家。新潟県生まれ。東京大学卒。カフカを研究し、1990年『カフカの「アメリカ(失踪者)」で平林たい子文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本… 遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本の会計学者、駒澤大学名誉教授。 東京生まれ。法政大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、81年「財務会計制度の展開」で経済学博士。1962年駒澤大学商経学部専任講師、63年助教授、65年経済学部助教授、教授。2001年定年、名誉教授。
竹前 栄治(たけまえ えいじ、1930年8月4日 - 201… 竹前 栄治(たけまえ えいじ、1930年8月4日 - 2015年7月14日)は、日本の政治学者、占領史研究家。学位は、法学博士。東京経済大学名誉教授。 長野県須坂市出身。1951年長野県須坂西高等学校卒業、1955年東京教育大学文学部社会科学科法律政治学専攻を卒業し、世田谷区立尾山台中学校教諭に赴任。1958年から東京都立工業短期大学附属工業高等学校(現東京都立工業高等専門学校)教諭、1962年東京都立工業高等専門学校教諭。1963年旧・東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。1964年東京都立工業高等専門学校助教授、1968年東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻博士課程単位取得満期退学。
川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 20… 川崎 恭治(かわさき きょうじ、1930年8月4日 - 2021年11月12日)は、日本の物理学者。九州大学名誉教授。専門は化学物理学、統計力学。
正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本… 正木 馨(まさき かおる、1930年8月4日 - )は、日本の厚生官僚。社会保険庁長官などを務めた。広島県出身。 2007年6月1日の衆議院内閣委員会で、民主党の細野豪志議員が天下りに関して質問を行った。この中で、元社会保険庁長官の正木馨氏の天下りによる報酬と退職金が、合計で2億9000万円以上に上ることが明らかにされた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
酒井 均(さかい ひとし、1930年8月3日 - 2008年… 酒井 均(さかい ひとし、1930年8月3日 - 2008年9月30日)は、日本の地球化学者。静岡県清水市生まれ。 この間、1958~1960年:カナダ国マクマスター大学核物理研究所研究員(ウラン同位体の核分裂の研究)。1960~1962年:米国イェール大学地質学教室研究員(ペグマタイト鉱物中の揮発性成分の硫黄同位体比の研究)。 この間、1971~1972年:米国カリフォルニア大学ロサンジェルス校研究員(アポロ計画月試料の分析)。 世界における安定同位体地球化学の研究の先駆者の一人で、同位体分別に関する理論的・実験的研究、岩石・鉱物・熱水などの地質学的試料の同位体比分析法の開発、それらを基礎とした野外での地球化学的研究において多くの成果を上げた。
森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の… 森 恒夫(もり つねお、1930年8月3日 - )は、日本の財政学者。 滋賀県近江八幡市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校(文科丙類)を経て、1953年東京大学経済学部卒業。1958年東京大学経済学部大学院(研究奨学生)を修了し、同学部助手となる。 1961年甲南大学経済学部非常勤講師となり、1963年講師、1964年助教授を経て、1969年教授に就任する。甲南大学において、1975年から1976年まで経済学部長、1983年から1986年まで常務理事、1985年から1988年まで学長を務める。 2007年瑞宝中綬章受章。
市川 惇信(いちかわ あつのぶ、1930年8月3日 - 20… 市川 惇信(いちかわ あつのぶ、1930年8月3日 - 2018年) は、日本のシステム科学者。東京工業大学名誉教授。学術情報センター名誉教授。元国立環境研究所長。元人事官。元計測自動制御学会長。 1953年、東京工業大学工学部化学工学科卒業。1955年東京工業大学大学院工学研究科化学工学専攻修士課程修了。1958年、東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了、工学博士、東京工業大学助手。プリンストン大学博士研究員、ケース工科大学(現ケース・ウェスタン・リザーブ大学)博士研究員、東京工業大学助教授、東京工業大学教授を経て、1991年定年退官、東京工業大学名誉教授。1992年国立環境研究所所長。
石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018… 石原 武(いしはら たけし、1930年8月3日 - 2018年3月20日)は、日本の詩人、英文学者、翻訳家。文教大学名誉教授。 山梨県甲府市生まれ。明治学院大学文学部英文科卒業。1967年に詩集『軍港』を上梓、1974年『離れ象』で日本詩人クラブ賞受賞。1996年、英米詩の翻訳業績により第21回地球賞受賞。立正女子大学助教授、校名変更で文教大学教授、図書館長を務め、2001年定年。2007年『遠いうた 拾遺抄』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。ほかブライアン・オールディスの翻訳、詩の翻訳がある。 2018年3月20日午後8時20分、誤嚥性肺炎のため、埼玉県越谷市のグループホームで死去。87歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日… 横澤 英雄(よこざわ ひでお、1930年〈昭和5年〉8月2日 - 2009年〈平成21年〉10月13日)は、日本の演出家(レビュー)。元宝塚歌劇団理事。東京都出身。横沢 秀雄、横澤 秀雄名義で活動していた時期もある。 母:良子(芸名:花野春子)が宝塚歌劇団卒業生。また、父:横沢三郎の妹(芸名:尾上さくら)や、兄弟の妻たちもタカラジェンヌで、宝塚およびレビュー(少女歌劇)に縁の深い環境で育った。なお、妻:チエ子(芸名:虹乃千恵)は宝塚歌劇団44期生。 父の横沢三郎は東京セネターズや阪急ブレーブスで監督を務めた。東京都立西高等学校卒業。関西学院大学では硬式野球部マネージャー。第1回全日本大学野球選手権大会で慶応大学に敗れるも準優勝した。
神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 … 神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 - 2018年(平成30年)11月12日 )は、日本の実業家。サーラグループ名誉顧問、中部ガス元社長、相談役。勲三等旭日中綬章。長男は神野吾郎。父は神野太郎。祖父は神野三郎。 祖父・神野三郎が創立した中部ガスの社長を29年間、会長を16年間にわたって務める一方、日本青年会議所会頭をはじめとして、豊橋商工会議所会頭、中部経済連合会副会長などを歴任。この功績から、2016年には豊橋市名誉市民に推挙された。 神野新田の管理のために八開村(現・愛西市)から移り住んだ神野金之助を初代とする神野家の4代目。出生地は父である神野太郎の仕事の関係で東京都であるが、1933年に豊橋市に転居。
杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、… 杉山 洋子(すぎやま ようこ、1930年8月2日 - )は、日本の英文学者、関西学院大学名誉教授。 台湾生まれ。関西学院大学文学部英文科卒、ミシガン大学に学ぶ。1971年ヴァージニア・ウルフ論で関西学院大学文学博士。関西学院大学文学部助教授、教授、2001年定年退任、名誉教授、帝塚山学院大学教授。
太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没… 太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現役当時、現・同県薩摩川内市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 義経(いわした よしつね)。最高位は東前頭20枚目(1957年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。現役時代の体格は175cm、90kg。 18歳の時、上京して井筒部屋に入門し、1949年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・高錦らがいる。同年10月場所では、12勝3敗と大勝ちし、序ノ口優勝を果たした(当時は、幕下以下も初日から千秋楽まで取組があった)。初めて番付に付いた時より「太刀風」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通している。
福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 202… 福島 重雄(ふくしま しげお、1930年8月1日 - 2025年2月8日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。富山弁護士会所属。自衛隊違憲判決を初めて下した判事である。海軍兵学校、京都大学法学部出身。 富山市出身。旧制富山中学を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校入学(78期)、306分隊に所属。終戦後、1953年(昭和28年)京都大学法学部卒業。裁判所書記官を務めながら司法試験に合格。 1959年(昭和34年)、第11期司法修習修了。1969年(昭和44年)、判事。1969年(昭和44年)9月14日、札幌地方裁判所で長沼ナイキ訴訟を裁判長として担当していた福島に対し、当時札幌地裁所長であった平賀健太が、原告の申立を却下するよう示唆した書簡を渡す(平賀書簡問題)。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
野島 秀勝(のじま ひでかつ、1930年8月1日 - 200… 野島 秀勝(のじま ひでかつ、1930年8月1日 - 2009年2月21日)は、日本の文芸評論家、英米文学者。 東京市新宿生まれ。東京外国語大学卒業、1958年東京大学大学院英文科博士課程満期退学。同年、お茶の水女子大専任講師、1963年助教授、1964年から一年間、フルブライト研究員としてコロンビア大学に留学、1975年教授。94年定年退官、名誉教授。 1955年頃より評論活動を開始、佐伯彰一らの『批評』同人となる。1981年『迷宮の女たち』で亀井勝一郎賞受賞。ロマン主義の誠実概念を核とした近代思想の矛盾を突く歯切れのよい文章で知られる。英米双方の文学を専門とする一方、日本文学の評論も手掛けた。
村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2… 村田 薫(むらた かおる、1930年8月1日- 2018年2月18日 )は、日本の経営者。昭和電線電纜社長、会長を務めた。 静岡県出身。1954年に一橋大学商学部を卒業し、同年に昭和電線電纜に入社した。1988年6月に常務に就任し、1992年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に退いた。 1999年4月に藍綬褒章を受章した。 2004年4月に旭日中綬章を受章した。 2018年2月18日、肺炎のために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 198… 人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 1985年5月22日)は、秋田県出身の俳優、コメディアン。本名は五十嵐 孝治。 1948年、森川信一座に入り、関西中心に喜劇で活躍。その後、朝日放送のドラマ『びっくり捕物帖』でテレビ初出演。1961年放送の『スチャラカ社員』では「ほんと、ちい〜とも知らなかったわァ」が流行語になった。『てなもんや三度笠』などに出演。その後テレビ、映画、吉本新喜劇などの舞台に数多く出演。時代劇や刑事ドラマでは、コミカルな役や普段のイメージとは違う悪役を多く演じた。家庭での素顔は子煩悩で優しい父親だったという。 1985年5月20日朝6時頃、自宅トイレで吐血して倒れているところを家族に発見される。
内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 19… 内田 栄一(うちだ えいいち、1930年7月31日 - 1994年3月27日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家、脚本家、演出家、映画監督。 岡山県出身。実家は岡山市内の古書店。鎌倉アカデミア中退。 若い頃には安部公房に師事。新日本文学会に入会して小説家としてデビューする。1974年には金子正次らとともに、劇団東京ザットマンを旗揚げするなど、アングラ演劇の活動も盛んに行っていた。 1930年(昭和5年)、岡山市に生まれる。生家は老舗の古書店。1945年、中学三年生のとき、高射砲の弾を作る工場に動員される。岡山大空襲で家を失い、愛媛県などに疎開。15歳の夏に終戦。戦後は、高校に通いながら、詩作と小説執筆に熱中。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29… 大村 恒雄(おおむら つねお、1930年(昭和5年)7月29日 - 2022年(令和2年)1月29日)は、日本の生化学者。シトクロムP450発見者。九州大学名誉教授。理学博士。 静岡市に生まれる。静岡県立静岡中学校を経て、1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年(昭和28年)、東京大学理学部化学科卒業。同年、静岡大学文理学部化学科助手。1960年(昭和35年)、 大阪大学蛋白質研究所助教授。 1961年(昭和36年)、理学博士。1970年(昭和45年)、九州大学理学部生物学科教授。1986年(昭和61年)、九州大学大学院医学系研究科教授(分子生命科学専攻)。1994年(平成6年) 、九州大学を定年退職、名誉教授。