植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は… 植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は、日本のテレビプロデューサー・会社役員、伝記作家。 愛媛県松山市に生まれる。父植村清二は東洋史学者で、作家直木三十五の実弟。新潟県立新潟高等学校を経て1962年早稲田大学第一文学部史学科卒業、東映入社。 1964年テレビ東京入社。1994年同局常務取締役。1999年テレビ東京制作代表取締役社長を経て、DACグループ顧問、一般社団法人STEP理事。 2005年『直木三十五伝』で第19回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞受賞、2007年『歴史の教師植村清二』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉… 初代月亭 可朝(つきてい かちょう、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2018年〈平成30年〉3月28日)は、神奈川県横浜市出身(同県三浦郡葉山町生まれ)の落語家・漫談家。本名∶鈴木 傑。通称「カチョヤン」。後年は兵庫県西宮市に居住した。 幕末以来の「月亭」の亭号を名乗り、弟子に月亭八方など、孫弟子に八光や方正などを持ち、「月亭一門」を形成している。定紋は月紋、または桂米朝一門の用いる結び柏。出囃子は「ああそれなのに」または「芸者ワルツ」。 デビュー以降、最初の師匠の事務所であった吉本興業に長年所属し、米朝一門に移ったのちも、一門の多くのように米朝事務所(1974年創立)に所属せず、ケーエープロダクション、スパンキープロダクションを経て、フリーランスとなる。
下平尾勲(しもひらお いさお、1938年3月10日 - 20… 下平尾勲(しもひらお いさお、1938年3月10日 - 2007年8月9日)は、日本の経営学・経済学者。 大阪府池田市生まれ。1963年大阪市立大学経済学部卒、1968年同大学院経済学研究博士課程単位取得。2000年「信用制度の経済学」で商学博士(大阪市立大学)。佐賀大学助教授、福島大学経済学部助教授、教授、2003年定年退官し、名誉教授となり、福島学院大学学長を務めた。地域経済が専門。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 201… 天野 正子(あまの まさこ、1938年3月10日 - 2015年5月1日)は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。前東京家政学院大学・大学院学長。専攻はジェンダー社会学、歴史社会学、新しい社会運動論。現代生活者論。教育社会学者の天野郁夫(東京大学名誉教授)は夫。政治学者の天野拓(熊本県立大学准教授)は長男。 1938年、広島市生まれ。1961年、お茶の水女子大学文教育学部(教育社会学専攻)卒業、1970年、東京教育大学文学研究科社会学専攻(修士課程)修了(社会学修士)、1973年、東京教育大学文学研究科(博士課程)中途退学。1973年、南山短期大学専任講師、1978年、金城学院大学文学部助教授、1983年、金城学院大学文学部教授。
中垣 喜彦(なかがき よしひこ、1938年〈昭和13年〉3月… 中垣 喜彦(なかがき よしひこ、1938年〈昭和13年〉3月10日 - 2025年〈令和7年〉5月26日)は、日本の実業家。元電源開発社長、同相談役。 元オリックスコーチの中垣征一郎は息子。 福岡県出身。1961年(昭和36年)九州大学法学部を卒業し、電源開発に入社。松島火力建設所総務課長、企画調整部企画課長、企画調整部長補佐兼企画課長、企画調整部長補佐、企画調整部長代理兼調整課長、九州支社若松総合事業所長、企画部企画室長、開発計画部次長兼企画部参事役、開発計画部長、企画部長、取締役、副社長を経て、2001年(平成13年)6月、社長に就任した。 2005年(平成16年)石炭エネルギーセンター会長。
山口 清一郎(やまぐち せいいちろう、1938年3月10日 … 山口 清一郎(やまぐち せいいちろう、1938年3月10日 - 2007年11月10日)は、日本の映画監督。東京・品川出身。 60年代安保世代で映画を志し、1962年に早稲田大学文学部を卒業後、日活撮影所に入社した。同期入社には、映画監督の曽根中生、大和屋竺、岡本孝二、映画プロデューサーの岡田裕、作家の榛谷泰明らがいる。監督デビュー作となる『恋の狩人 ラブ・ハンター』が警視庁に摘発され、同僚監督の藤井克彦、近藤幸彦と共に「猥褻裁判」の被告となったことで知られる。「猥褻裁判」は1980年に高裁で無罪が確定した。 なおこのときの主演女優の田中真理をその後の『恋の狩人 欲望』『-北村透谷- わが冬の歌』においても起用している。
應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日… 應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名は応 蘭芳。本名は応 仲奇。日本名は三瀬 滋子(さんのせ しげこ)だったが、1981年に結婚し近藤 滋子になった。身長160cm、B90cm、W60cm、H90cm(1969年1月時点)。第一協団( - 1968年)、伴プロダクション(1969年 - ) を経て、現在はファミリーアーツに所属。 イギリス・イングランド・ロンドン生まれ。父親は英国籍の中国人で、母親は日本人。アンジェラ浅丘はいとこ(応の母がアンジェラの父の妹)。 生後すぐに満州国に移住し、満州国籍となる。11歳の時に母親と二人で舞鶴へと引き揚げた。
森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵… 森滝 義巳(もりたき よしみ、1938年3月8日- )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 史上7人目の完全試合達成者。 兵庫高校では、1955年に春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、後に立教大学同期となる浜中祥和のいた若狭高に敗退。同年夏は県予選準々決勝で長田高に敗れる。 1956年に立教大学に進学すると長嶋茂雄・杉浦忠らの2年後輩となる。杉浦卒業後の3年次からは、1学年下の五代友和と投の二本柱として活躍。東京六大学野球リーグで在学8シーズン中、5度の優勝に貢献した。1957年・1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。1959年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 202… 細谷 四方洋(ほそや しほみ、1938年3月8日 - 2024年1月22日)は、日本の元レーシングドライバー。 トヨタ純血ワークスチームであった「チーム・トヨタ」のキャプテンを務めた。 広島県尾道市で生まれ育つ。父親は警察官だったが広島市で原爆に遭い殉職したという。 広島県立尾道商業高校卒業。1963年に開催された第1回日本グランプリのC-IIクラス(400〜700cc)に、完全ノーマルのトヨタ・パブリカ700でプライベーター(個人)として出場し3位。 その技術を見込まれ1964年、トヨタのワークスドライバーになる。当時のトヨタは、開発を行うトヨタ自工と販売を行うトヨタ自販が別々だったが(後に合併)、細谷はプロとしてトヨタ自工と契約し技術部に所属。
林 孝矩(はやし たかのり、1938年(昭和13年)3月8日… 林 孝矩(はやし たかのり、1938年(昭和13年)3月8日 - 2022年(令和4年)9月3日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(4期)。 大阪府出身。1960年関西大学法学部卒。聖教新聞記者となる。公明党奈良県連事務長、関西本部国民生活部長などを経て、1969年の第32回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から公明党公認で立候補して初当選、以来連続4期。この間、検察官適格審査会委員、決算委員会理事、党決算部会長、党奈良県本部長などを歴任した。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選した。1983年の第37回衆議院議員総選挙には立候補しなかった(立候補したのは森本晃司)。 2022年9月3日、心不全のため、奈良県生駒市の病院で死去。
木村 孟(きむら つとむ、1938年3月8日 - )は、日本… 木村 孟(きむら つとむ、1938年3月8日 - )は、日本の工学者。工学博士(東工大)。文部科学省中央教育審議会副会長。前独立行政法人大学評価・学位授与機構機構長。元東京工業大学学長。専門は、基礎・土質工学。東京都中野区出身。 1961年東京大学工学部土木工学科卒業、東京大学大学院数物系研究科土木工学修士課程修了。1968年、東京工業大学より博士号取得。東京工業大学助教授、教授を経て工学部長。1993年より東京工業大学長となる。 独立行政法人大学評価・学位授与機構 第2代 機構長(1998年-2009年3月)、中央教育審議会副会長などを務める。ケンブリッジ大学チャーチル・カレッジフェロー。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 202… 伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年3月7日 - 2022年3月14日)は、日本の国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。公益財団法人日本国際フォーラム代表理事・会長。日本会議代表委員、NPO法人世界開発協力機構副総裁、青山学院大学名誉教授、カンボジア大学名誉博士。 東京都出身。1960年に一橋大学法学部を卒業し外務省に入省。ハーバード大学留学等のあと、在モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、南東アジア一課長などを歴任し、1977年に外務省を退官した。 外務省退官後は新自由クラブの一員となる一方、1980年から2006年まで青山学院大学に助教授・教授として在籍するかたわら、1980年から1987年までジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS) 東京代表を務めた。
立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月… 立石 憲利(たていし のりとし、1938年〈昭和13年〉3月7日 ‐ )は、日本の民俗学者、岡山県の民話研究家。岡山民俗学会名誉理事長、日本民話の会運営委員、岡山県語りのネットワーク会長。 岡山県久米郡津山市出身。2004年久留島武彦文化賞、2007年岡山県文化賞、山陽新聞賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2… 長谷川 英憲(はせがわ ひでのり、1938年3月6日 - 2022年5月8日)は、日本の政治家。中核派の政治団体「都政を革新する会」(旧「杉並革新連盟」)代表。杉並区議会議員(5期)、東京都議会議員(1期)を務めた。 選挙では、名前を平仮名にした長谷川 ひでのりの表記も用いる。また、俗称に長谷川 エイケン、ハセケン。 長野県生まれ。長野県小諸商業高等学校を卒業し、会計検査院に入庁した。働きながら早稲田大学第二政治経済学部を卒業。 1967年、70年安保や沖縄返還、公害、消費者保護を争点に杉並区議会議員選挙に立候補し、初当選。以後1971年、1975年、1979年、1983年と杉並区議に連続当選。
応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日-… 応地 利明(應地利明、おうじ としあき、1938年3月6日- )は、日本の地理学者。京都大学名誉教授。専攻は人文地理学で、アジア・アフリカ地域研究を主要な研究領域とするが、最近は地理学史・地理思想史に関する著作も多い。大阪府出身。 大阪府出身。1956年大阪府立高津高等学校卒業、1960年京都大学文学部史学科地理学専攻卒業、1964年同大学院文学研究科博士課程退学、名古屋大学文学部助手、1966年名古屋工業大学講師、1969年愛知県立大学助教授、1973年京都大学文学部助教授、1986年教授、同年「南西アジアにおける農業的土地利用の地理学的比較研究」で京大文学博士。94年同東南アジア研究センター教授、98年同アジア・アフリカ地域研究・研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、滋賀県立大学・人間文化学部教授、2005年立命館大学文学部教授、2008年退職。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6… 関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。 参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。 愛媛県松山市三津浜出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学。 1964年4月、日本航空に入社。1967年10月、退社。1967年11月 関谷勝利議員秘書。1970年1月瀬戸内海放送取締役。1974年1月松山青年会議所理事長。
田中 慶秋(たなか けいしゅう、1938年3月6日 - )は… 田中 慶秋(たなか けいしゅう、1938年3月6日 - )は、日本の政治家。
小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 202… 吉岡 賢治(よしおか けんじ、1938年3月5日 - 2025年2月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期)。 兵庫県豊岡市出身。兵庫県立豊岡高等学校卒業。神戸大学電気電子工学科卒業。 電電公社(現在のNTT)に入社し、豊岡局に勤務しつつ、労組活動に入る。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧兵庫5区から出馬するが落選。1990年の第39回衆議院議員総選挙に再び出馬し初当選。以後2期連続当選。 議員在任中は外務委員などを務める。本岡昭次参議院議員らと共に自社さ連立政権反対派として知られた。1994年に土肥隆一と共に日本社会党を離党し、民主改革連合に入党。 1996年の第41回衆議院議員総選挙では民主改革連合公認及び連合・五党協議会統一候補として兵庫5区より出馬するも落選。
中島 誠之助(なかじま せいのすけ、1938年3月5日 - … 中島 誠之助(なかじま せいのすけ、1938年3月5日 - )は、日本の骨董商・古美術鑑定家、エッセイスト、テレビタレント。骨董屋「からくさ」の店主。なお、「からくさ」は2000年に閉店し、店舗営業はしていない。称号(現学位)は獣医学士。そのほか、伊万里文化大使の称号を持つ。
平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 201… 平野 忠彦(ひらの ただひこ、1938年3月5日 - 2014年6月13日)は日本の俳優、オペラ歌手。山梨県甲府市出身。
寺下 陽一(てらした よういち 1938年3月5日-)は、京… 寺下 陽一(てらした よういち 1938年3月5日-)は、京都情報大学院大学の学長、京都コンピュータ学院京都駅前校校長である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3… 関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3月5日 - 2020年〈令和2年〉 4月26日)は、日本の実業家。 実父の関家三男の創業した工業用砥石メーカー、有限会社第一製砥所(現:ディスコ)を、実弟の関家臣二と共に半導体製造装置・システムのメーカーとして東証第一部上場企業へと成長発展させた。 東京市麻布区に関家三男の長男として生まれる。神奈川県大磯町立小学校、私立湘南学園中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部へ進学。高等学校、大学と継続して体育会空手部に在籍して松濤館流空手4段を取得。 1959年(昭和34年)の慶應義塾大学在学中、父である関家三男より日本政策金融公庫(旧中小企業金融公庫)から融資を受ける為の資料作成を命じられ、それらの作成を行う。
あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)… あさの りじ(1938年3月5日 - 2000年11月9日)は、日本の漫画家、イラストレーター、デザイナー。愛知県出身。東京学芸大学美術学科卒。浅野利治、浅野りじとも表記される。オリジナル漫画の他、コミカライズや、児童向けの学習本の著作がある。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
今仁 哲夫(いまに てつお、1938年〈昭和13年〉3月5日… 今仁 哲夫(いまに てつお、1938年〈昭和13年〉3月5日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ジャーナリスト。元ニッポン放送アナウンサー。 東京都出身で、早稲田大学政治経済学部を卒業。1961年4月、、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。同期に天井邦夫がいる。「哲(てっ)ちゃん」の愛称で長らく親しまれた。 オールナイトニッポン担当後半は「ビバテツショー」の番組タイトルで放送した。「若ハゲ」であることを自虐ネタとして扱うことがあり、明るく軽妙な語り口で親しまれた。リクエスト葉書の住所と宛名が「東京都 テツ」だけで届いたことを誇りにした。 1971年、日本全国を3か月掛けて『ビバくりげ』として、天井邦夫とともにホンダ1300 クーペ9で縦断した。
伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の… 伊藤 豪(いとう ごう、1938年3月4日 - )は、日本の俳優、司会者、ナレーター。東京電機大学高等学校、早稲田大学文学部演劇専修卒業。劇団アドック所属。 父は養蚕教師として郡是製糸に在籍し、戦時中は軍属としてインドネシアに派遣され、戦後は埼玉県にある郡是製糸株式会社の原料部に配属されていた。 本人は山形の母の実家で小学低学年時代を過ごしたが三年になる頃天童市(旧天童町)久野本に移住した。その後父の会社のある埼玉県鴻巣市に移住し、鴻巣中学校を卒業後東京電機大学高等学校に進む。 高等学校は電機大学への一過程でもあったが普通科が存在しており、そこに在籍した。他の科との違いは大学への進学科として、高校時代に文科系の内容を一通り習得する目的があったように思われる。
横井 徹(よこい とおる、1938年〈昭和13年〉3月3日 … 横井 徹(よこい とおる、1938年〈昭和13年〉3月3日 - )は、日本の俳優。京都府出身。身長170cm。体重70kg。血液型はO型。劇団朋友所属。劇団くるみ座付属研究所、劇団俳優座第13期生を経て、1964年に劇団新人会に入団。以前は六芸社、九プロダクションに所属していた。京都府立山城高等学校卒業。
米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥… 米田 哲也(よねだ てつや、1938年3月3日 - )は、鳥取県西伯郡大篠津村(現・米子市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。血液型はAB型。 プロ野球歴代2位(達成当時は歴代1位)の949試合に登板し、歴代2位の通算350勝を記録した。通算先発626登板、通算1940失点、通算1659自責点、通算120与敬遠、通算4561被安打の日本記録保持者。 その驚異的スタミナから「ガソリンタンク」「人間機関車」「タフマン」などと呼ばれる。 祖父・長次郎は海産物仲買業を営み、『伯耆国実業人名録』(明治37年 (1904年))に載せられていた大篠津の代表的な商人であった。父・雅明は薪炭雑貨商。
宮腰 賢(みやこし まさる、1938年3月3日 - )は、日… 宮腰 賢(みやこし まさる、1938年3月3日 - )は、日本の国語教育学者。東京学芸大学名誉教授。 東京・板橋生まれ。国民学校一年の時、北海道上川郡多寄村(現士別市)に疎開、高校卒業まで北海道で過ごす。 東京学芸大学卒業。東京都の公立学校教員(地方公務員)として、中学校、高等学校に勤務の後、1972年東京学芸大学助教授、教授、2001年定年退官、名誉教授。 『旺文社全訳古語辞典』『旺文社全訳学習古語辞典』の編者。大学生活協同組合連合会教員理事。学校図書の小・中・高の国語科の教科書編修に参加した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
池田 隆之(いけだ たかゆき、1938年3月2日 - )は、… 池田 隆之(いけだ たかゆき、1938年3月2日 - )は、日本の企業家。太平洋興発元社長。 1965年、青山学院大学経済学部卒業後、太平洋炭礦に入社する。同社釧路鉱業所事務長、同社釧路鉱業所副所長、同社取締役釧路鉱業所副所長、太平洋興発取締役釧路支店担当を経て1999年4月に代表取締役社長、太平洋炭礦代表取締役社長に就任した。2007年6月に退任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 20… 樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 2001年10月4日)は、日本の小説家。本名、黄田 康嗣(おうだ やすつぐ)。福岡県福岡市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科及び法学部法律学科卒。 大学卒業後、三井物産に入社。無機化学品の輸出を担当。11年勤務した後退職。ヨーロッパ、南米などを放浪後、作家活動に入る。商社マン時代、銀座界隈でギャンブルに明け暮れた経験から、銀座を舞台とした作品が多い。またギャンブル小説の名手としても知られ、「真正都会無頼派」(安部譲二)と称される。 1981年、『ジェームス山の李蘭』で第36回小説現代新人賞を受賞。同作は第90回直木賞候補にも選ばれ、野沢尚脚本で映画化もされた。
狩野 忠正(かのう ただまさ、1938年3月2日 - 201… 狩野 忠正(かのう ただまさ、1938年3月2日 - 2018年5月30日)は、日本の建築家、狩野忠正建築研究所代表、竹中工務店プリンシパルアーキテクト、神戸大学、大阪芸術大学教授。 1938年に、当時日本統治下にあった朝鮮の全羅南道麗水(現・大韓民国内)で生まれる。終戦後、佐賀県の唐津港に引き揚げ、両親の実家のあった長崎県島原市に移り住む。小学5年生までを島原で過ごした後、兵庫県明石市に再度転居した。建築家を目指したのは幼少期に岡山県の閑谷学校を訪問してその建物を見たことが原点であると回想している。 1962年に神戸大学工学部建築学科(堯天義久研究室)を卒業して竹中工務店に入社し、設計部に配属された。
小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 -… 小笠原 隆元(おがさわら りゅうげん、1938年3月1日 - )は、日本の仏教学者、僧侶。駒澤大学名誉教授。大本山總持寺顧問。長野県の曹洞宗広沢寺第30世住職。 長野県松本市生れ。1956年長野県松本深志高等学校卒業。同年、駒澤大学仏教学部仏教学科入学、1961年同卒業。同年東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻修士課程入学、1964年同修了。同年、駒澤大学大学院人文科学研究科仏教学専攻博士課程に入学し1968年3月同満期退学。同年、駒澤大学文学部専任講師、同大学国際仏教研究所理事。 1970年より1973年3月まで東海大学教養部非常勤講師。1971年より1994年3月まで曹洞宗教化研修所海外開教課程嘱託講師。
近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は… 近藤 光郎(こんどう みつろう、1938年3月1日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1967年と1968年の登録名は近藤 瑞郎(こんどう みずお)。
兼子 勲(かねこ いさお、1938年3月1日 - 2013年… 兼子 勲(かねこ いさお、1938年3月1日 - 2013年7月18日)は元・日本航空代表取締役会長。東京都出身。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。 慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。 母が所有していたピアノを独学で習得し、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す。 西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。 プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 20… 田口 義嘉壽(たぐち よしかず、1938年3月1日 - 2016年9月22日)は、日本の経営者。西濃運輸社長、会長を務めた。創業者田口利八の次男、田口利夫の弟 岐阜県大垣市出身。1960年に慶應義塾大学法学部を卒業。在学中でも、夏休みなどで必ず実家に帰省し、会社で働いていた。中部生産性本部での勤務を経て、同年10月に西濃運輸入社。 1968年に取締役に就任し、1973年に常務、1976年度日本青年会議所会頭、1981年7月に専務を経て、1987年7月には社長に就任。社長時代は、国内拠点の充実に取り組み、輸送網を国内外で拡大させて、同社を日本有数の物流企業に育て上げた。2003年6月に会長に就任し、2005年10月からは代表取締役を務めた。
若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日… 若林 正人(わかばやし まさと、1938年3月 - )は、日本のタレント。切手収集家でもある。神奈川県藤沢市在住。愛称は「若様」。
岡田 守彦(おかだ もりひこ、1938年3月 - )は日本の… 岡田 守彦(おかだ もりひこ、1938年3月 - )は日本の人類学者。筑波大学名誉教授。学位は理学博士(東京大学)。専門は自然人類学 東京大学理学部生物学科人類学課程卒業。東京大学大学院理学系研究科博士課程満期中退。東京大学理学部助手、京都大学霊長類研究所助手、東京教育大学体育学部助教授を経て、1987年~筑波大学助教授。1995年~筑波大学先端学際領域研究センター教授。1990~2000年 筑波大学体育科学系教授。2004年~2006年 帝京平成大学ヒューマンケア学部教授。2015年 筑波大学名誉教授。バイオメカニズム学会理事、会長、日本人類学会理事を歴任。日本解剖学会、日本霊長類学会、人類働態学会ほかの会員。
外村 仁(とのむら ひとし 1938年3月 - 2018年1… 外村 仁(とのむら ひとし 1938年3月 - 2018年12月6日)は、日本の実業家。元野村アセットマネジメント社長。元野村證券副社長。愛知県出身。 1960年名古屋大学経済学部卒業後、野村證券入社。名古屋大学陸上競技部出身。1964年コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクール(アメリカ)にてMBA取得。その後、海外業務畑を歩み、同社ビジネスの国際化を推し進めた。以後、ノムラ・インターナショナル・リミテッド社長、野村證券副社長等を歴任し、1997年野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)社長就任。2018年死去。
田川 英明(たがわ ひであき、1938年2月28日- )は、… 田川 英明(たがわ ひであき、1938年2月28日- )は、日本の経営者。安田倉庫社長、会長を務めた。 長崎県出身。1961年に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年に安田倉庫に入社した。1984年2月に取締役に就任し、1986年4月に常務、1991年12月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2002年6月に会長に就任し、2008年6月には相談役に就任。 2008年4月に旭日小綬章を受章 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
多田 孝正(ただ こうしょう、1938年2月27日 - 20… 多田 孝正(ただ こうしょう、1938年2月27日 - 2017年2月2日)は、日本の仏教学者、大正大学名誉教授。天台宗僧侶。 神奈川県生まれ。父は多田厚隆、弟は多田孝文。大正大学文学部仏教学科卒、東京大学大学院人文社会系研究科印度哲学博士課程単位取得満期退学。2001年「天台仏教と東アジアの仏教儀礼」で文学博士(東京大学)。大正大学仏教学部助教授、人間学部仏教学科教授、2009年定年、名誉教授、天台宗命徳寺住職。学僧として天台宗勧学にも就いた。。
愛新覚羅 慧生(あいしんかくら えいせい、1938年2月26… 愛新覚羅 慧生(あいしんかくら えいせい、1938年2月26日 - 1957年12月4日頃)は、清および満洲国皇帝・愛新覚羅溥儀の実弟の溥傑の長女。天城山心中で死亡した女性として知られる。 ※以下の記述は、脚注を除き、愛新覚羅浩1992年・舩木1989年による。 1938年、溥傑と嵯峨浩の第一子として、満洲国の首都新京(現在の長春市)で生まれた。1939年、父が満洲国駐日大使館に勤務となり、東京に行く。1940年に妹の嫮生(こせい)が生まれた後、新京に戻る。新京にいる間は皇帝である伯父の溥儀に大変可愛がられた。 1943年(昭和18年)春、学習院幼稚園に通うために再び日本に渡り、神奈川県横浜市港北区日吉にある母の実家の嵯峨家に預けられた。
梶本 靖郎(かじもと やすお、1938年2月26日 - )は… 梶本 靖郎(かじもと やすお、1938年2月26日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)。 兄はプロ野球選手の梶本隆夫。本名は「靖郎」だが、プロ野球選手を退いてから「憲史」という名前を使用している。 岐阜県立多治見高等学校から、1956年に兄・隆夫がいる阪急ブレーブスに入団。隆夫(岐阜県立多治見工業高等学校)とは異なる高校に進んだのは、東京の大学に進学することを念頭に置いたためだった。高校では内野手からスタートして強肩を買われて投手に転向したが、選手も少ない進学校で、3年生の全国高等学校野球選手権岐阜大会も初戦で完封負けを喫した。阪急からスカウトを受けての入団は、女手一つで育てた母・すぎ子への恩返しが理由だったという。
高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月… 高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月26日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。 三重県三重郡菰野町出身。水谷貞雄監督率いる四日市高校では巽一、島田光二の1年後輩になる。1955年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岐阜高を降し優勝。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜き、三岐大会決勝で岐阜商の清沢忠彦に投げ勝って夏の甲子園への出場を決める。大会では準々決勝で西岡清吉、土居章助のいた城東高に完封勝利、準決勝では優勝候補の中京商を破る。決勝は坂出商の岡崎秀智(中大-電電関東)に投げ勝ち4-1で初優勝を飾る。8月には全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝で立命館高の富永格郎を打ち崩し、決勝は浜中祥和のいた若狭高との接戦を4-3で制しまたも初優勝。
森 郁夫(もり いくお、1938年2月25日 - 2013年… 森 郁夫(もり いくお、1938年2月25日 - 2013年5月30日)は、日本の考古学者、帝塚山大学名誉教授。 國學院大學文学部史学科卒業。帝塚山大学教養学部教授、人文学部教授、1998年「日本古代寺院造営の研究」で國學院大歴史学博士、帝塚山大考古学研究所所長・附属博物館館長。2010年定年退任、名誉教授。 2013年5月30日に胃がんのため死去。75歳没。
平野 幸久(ひらの ゆきひさ、1938年2月25日 - )は… 平野 幸久(ひらの ゆきひさ、1938年2月25日 - )は、日本の経営者。中部国際空港社長、会長を務めた。山梨県甲府市出身。 1961年に東京大学工学部を卒業し、同年にトヨタ自動車工業に入社。1990年9月に取締役に就任し、1996年6月に関東自動車工業副社長、1997年6月に同社社長を歴任し、1998年4月には中部国際空港社長に就任。2007年6月に会長に就任。 2012年4月に旭日中綬章を受章。
松村 龍二(まつむら りゅうじ、1938年〈昭和13年〉2月… 松村 龍二(まつむら りゅうじ、1938年〈昭和13年〉2月25日 - 2025年〈令和7年〉9月19日)は、日本の政治家。位階勲等は従三位旭日重光章。 自由民主党・清和政策研究会(町村派)所属の元参議院議員(3期)、国土交通副大臣、文部政務次官などを歴任した。 福井県福井市生まれ。父親が中華民国で働いていた医師であったことから、太平洋戦争の終戦まで青島で育った。戦後、日本に戻り福井県勝山市に住む。1961年(昭和36年)東京大学法学部を卒業。 その後、警察庁に入庁。キャリア(警察官僚)として、外務省や総理府、防衛庁に出向もしながら、1986年(昭和61年)から岐阜県警察本部長を、1990年(平成2年)から埼玉県警察本部長などを歴任。
千葉 吟子(ちば ぎんこ、1938年2月25日 - )は、元… 千葉 吟子(ちば ぎんこ、1938年2月25日 - )は、元体操選手。1962年プラハ世界選手権銅メダリスト、1964年東京オリンピック銅メダリスト。日本体育大学名誉教授。旧姓:虻川。 生家は秋田県大館市の自転車専門店「(有)サイクルショップあぶとく」。6人姉弟の三女。秋田県立大館桂高等学校卒業。日本体育大学卒業。勝負度胸があり、団体では1番手を務めることが多かった。引退後は数々の世界大会で国際審判員や審判長を務めた。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月… 浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月25日 - )は、日本の実業家である。東京商工会議所顧問、浅地事務所代表。日本ビルサービス代表取締役社長、特別顧問を務めたほか、東京青年会議所理事長、逗子なぎさホテル社長、日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭等を歴任した。 1938年(昭和13年)2月25日、東京赤坂に生まれる。1944年(昭和19年)東京都東調布第二国民学校入学。在学中に軽井沢へ疎開。後、暁星小学校を卒業。中学は慶應義塾普通部に、高校は慶應義塾高等学校に進学。中学ではテニス部主将を務め、高校ではゴルフ部主将を務める。その後、慶應義塾大学経済学部に進学。グリーンクラブ(現・体育会ゴルフ部)主将、関東学生ゴルフ連盟委員長と日本学生ゴルフ連盟委員長を務める。