開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - … 開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - 没年不明)は、現在の秋田県横手市出身で錦島部屋、時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は土田 房三。183cm、104kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年9月場所初土俵、1965年1月場所に十両昇進を果たすも、4勝11敗と大敗して翌場所に幕下陥落。そして新十両から1年後の1966年1月場所後に廃業した。廃業後は茨城県水戸市堀町1163-13で料理屋「ちゃんこ錦」を経営した。
松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )… 松下 武義(まつした たけよし、1938年2月10日 - )は日本の実業家、徳間書店代表取締役相談役、多摩大学大学院経営情報学研究科客員教授、元・加州住友銀行代表取締役会長、元・東京総合信用代表取締役社長、クオーク初代代表取締役会長、元・大映代表取締役社長、元・徳間ジャパンコミュニケーションズ代表取締役会長。 1938年生まれ。富山県高岡市出身。高岡市立中田小学校、高岡市立中田中学校を経て、富山県立高岡高等学校にて学んだ。上京し、学習院大学の政経学部に入学し、1960年に卒業する。 大学卒業後、住友銀行に入行する。1985年に取締役となり、以降1988年に常務、1991年に専務に就任した。1992年、住友グループに属する信販会社である東京総合信用の社長に就任した。
鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10… 鈴木 史朗(すずき しろう、1938年〈昭和13年〉2月10日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元TBSアナウンサー。 本名は同じだが、TBS在職当時より冒頭表記と「鈴木 史郎」表記の両方が見られる。 京都府京都市北区、上賀茂神社の社家、神社を守護する武士の家系の出身。父親が日中貿易会社を設立し、幼少期は仕事関係から中国大陸で暮らす。第二次世界大戦の終戦後は、父親が無実のスパイ容疑をかけられ中国政府に拘束、強権的に財産没収を受ける。そのため母親と妹2人の4人で日本へ引き揚げることとなり、北京から天津の港まで約120kmを徒歩で移動したという。佐世保に着いた時、黄砂で空も空気も黄色く濁っていた中国に比べて、日本は「こんなにもきれいな国があるのか。
塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚… 塙 五郎(はなわ ごろう、1938年2月10日 - )は、脚本家。本名は館野 彰。東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。 早稲田大学文学部演劇学科卒業後、東映に入社。東京撮影所に所属し、多くの映画、テレビドラマの助監督・監督を経て脚本家に転身する。 『キャプテンウルトラ』の頃から、佐藤肇とのコンビで脚本も執筆しており、『夜明けの刑事』からは、佐藤が命名したペンネーム(塙五郎)も併用し始める。 『特捜最前線』では、長坂秀佳らとともに番組の主力ライターとして活躍。佐藤と共に本名の館野彰名義で第13話「愛・弾丸・哀」を執筆したのをきっかけに、以後は塙五郎のペンネームに専念して、最下層の人々の悲劇を軸に置いたハードかつアバンギャルドな人情ものの作品を数多く輩出した。
谷山 鉄郎(たにやま てつろう、1938年2月9日 - 20… 谷山 鉄郎(たにやま てつろう、1938年2月9日 - 2016年1月19日)は、日本の農学者・環境学者。三重大学名誉教授。専門は作物学。 鹿児島県生まれ。別名・森泉。1965年九州大学大学院修了、1972年農学博士。三重大学講師、助教授、生物資源学部教授。2002年定年退官となり、名誉教授、中部大学教授を務めた。 1998年日本作物学会会長。四日市公害問題で大気汚染が作物に及ぼす影響について研究した。
村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 20… 村岡 崇光(むらおか たかみつ、1938年2月9日 - 2026年2月10日)は、オランダ在住の日本人の言語学者、聖書学者。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小野 俊行(おの としゆき、1938年2月9日 - )は、日… 小野 俊行(おの としゆき、1938年2月9日 - )は、日本の国土交通技官。気象庁長官を務めた。 岡山県出身。1961年に東京大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1991年に沖縄気象台長、1993年に予報部長を経て、1996年4月から1998年3月までに長官を務めた。 2008年4月に瑞宝重光章を受章。
安田 暎胤(やすだ えいいん、昭和13年(1938年)2月9… 安田 暎胤(やすだ えいいん、昭和13年(1938年)2月9日 - )は現代の法相宗の僧。岐阜県岐阜市生まれ。12歳で薬師寺に入寺。龍谷大学大学院修了。法相宗大本山薬師寺執事長、副住職、管主を経て、2009年8月より薬師寺長老。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
麻生 千晶(あそう ちあき、1938年〈昭和13年〉2月8日… 麻生 千晶(あそう ちあき、1938年〈昭和13年〉2月8日 - )は、日本の作家、評論家、コメンテーター。女性。週刊誌などのテレビ番組や芸能人に対する批評で知られる。ジェイ・キャストの「てれび見朱蘭」では黄蘭名義。 岡山県出身。1961年(昭和36年)、東京大学文学部仏文科卒業。 1969年(昭和44年)、『小説現代』にて『ビフテキとブラームス』を発表し作家デビュー。以降はコメンテーターとして辛口のテレビ批評などを新聞・雑誌で長期連載している。日本民間放送連盟賞、広告電通賞、放送批評懇談会ギャラクシー賞、文化庁芸術選奨放送部門推薦委員、文化庁芸術祭放送部門テレビドラマ選考委員ほか、選考委員多数を務める。
岩久 正明(いわく まさあき、1938年2月7日 - )は、… 岩久 正明(いわく まさあき、1938年2月7日 - )は、日本の歯科医師・歯学者・開業医。新潟大学名誉教授、元新潟大学大学院医歯学総合研究科口腔生命科学専攻口腔健康科学講座う蝕学分野教授、元新潟大学附属歯科技工士学校長、日本歯科保存学会元会長、日本歯科審美学会元会長、日本歯科人間ドック学会元会長。う蝕学(Cariology)の学問体系の確立で知られるほか、一般には3Mix法の開発者として知られる。 1956年に岐阜県立恵那高等学校、1962年に東京医科歯科大学卒業。以後同大学教官を経て1982年より新潟大学教授、2003年に定年退官し、以後同大学名誉教授に就任、現在は東京都豊島区にて開業医。
柿本 善也(かきもと よしや、1938年〈昭和13年〉2月7… 柿本 善也(かきもと よしや、1938年〈昭和13年〉2月7日 - )は、日本の政治家、自治官僚。奈良県知事(公選第13・14・15・16代)。 奈良県大和高田市出身。奈良県立高田高等学校、1961年に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業。自治省に入省。1981年、自治省行政局公務員部給与課長。1983年、自治省財政局地方債課長。1986年、自治省財政局財政課長。1988年7月、自治大学校長。1990年4月、奈良県副知事に就任。上田繁潔知事の辞意表明を受け、1991年11月の奈良県知事選挙に立候補し初当選した。平城遷都1300年記念事業協会副会長。 2009年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 バブル崩壊期に奈良県政を担当し、1997年12月には1億5000万円に上る県庁食料費不正流用事件も発覚した。
高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年… 高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年不明)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。 西南学院高校では、1956年に春季九州大会県予選南部準決勝に進むが修猷館高に敗退。卒業後は門司鉄道管理局に進み、都市対抗などで活躍。この時のチームメートに宮川孝雄がいた。 1960年に東映フライヤーズへ入団。1年目から西園寺昭夫の控え三塁手として起用され、6月からは西園寺の故障もあって26試合に先発出場。その後は一時低迷するが、1963年には準レギュラーとして復帰。1964年は二塁手も兼ね自己最多の124試合に出場、うち32試合に先発する。翌1965年は主に守備固めとして出場、1966年限りで引退。
島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6… 島津 修久(しまづ のぶひさ、1938年(昭和13年)2月6日 - 2024年(令和6年)12月31日)は、島津氏第32代当主。島津義弘から数えて15代目にあたる。株式会社島津興業代表取締役会長。 島津顕彰会会長。鶴嶺神社宮司。照国神社宮司。平松神社宮司。社団法人茶道裏千家淡交会鹿児島名誉支部長。薩摩古武道影之流顧問。元鹿児島経済同友会代表幹事。元鹿児島県公安委員(長)。元西郷南洲顕彰会会長。元薩摩琵琶同好会会長。 島津氏第31代当主・島津忠秀の次男(兄の忠敬は早世)として、東京府(現在の東京都品川区)に生まれる。公爵島津久光の玄孫にあたる。母は近衛文麿の長女・昭子(野口昭子)。 学習院初等科を経て1956年(昭和31年)、学習院高等科卒業、一浪ののち、中央大学法学部法律学科入学。
塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - … 塩見 鮮一郎(しおみ せんいちろう、1938年2月6日 - )は、日本の作家。岡山市生まれ。本名同じ。 岡山大学法文学部独文科卒。大学在学中から小説・評論を手がける。河出書房新社で編集者を務めたのち、専業の作家となる。 1960年代には新日本文学会に所属。このころ、被差別部落における自殺や放火や近親相姦を描いた小説『黄色い国の脱出口』を『部落』誌に発表し、「部落の人間像を異様にデフォルメしている」(井上俊夫)との批判を受け、「状況を変革するためには、とことんまで小説を『作る』というのも一つの方法ではないでしょうか」と反論した。その反論に対し、北川鉄夫は「文学前衛気どり」と批判している。この作品は新日本文学会の第1回文学賞で最終選考まで残り、野間宏から高く評価されたが、同和教育の実践家の福地幸造はそのこと自体を「とほうもない痴呆状態の典型」と批判した。
奥保 多聞(おくぼ たもん、1938年2月6日 - )は、大… 奥保 多聞(おくぼ たもん、1938年2月6日 - )は、大阪芸術大学名誉教授。一級建築士で、専門は建築設計と都市計画。一般社団法人 温暖化防止推進協会副理事長。日中地域間連携ネットワーク大阪代表。 大連市生まれ。石本喜久治とは遠縁。 1962年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1964年 早稲田大学大学院修士課程修了。丹下健三+都市建築設計研究所入所。1968年から日本万国博基幹施設グループ「TEAM BARK」に参加し、日本万国博覧会場「お祭り広場」大屋根グループに。1970年 丹下健三+都市建築設計研究所退所。奥保建築設計事務所代表取締役就任。 大阪芸術大学建築学科專任講師。1977年同校助教授。
舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月… 舟橋 慶一(ふなばし けいいち、1938年(昭和13年)2月6日 - )は、元日本教育テレビ・テレビ朝日のアナウンサー。特定非営利活動法人エコです環境応援団副理事長。環境省認定環境カウンセラー。現在「自然との共生塾」「伝承の会・語り部塾」「伝承の会・闘魂語り部塾(燃える闘魂アントニオ猪木を語り継ぐために)」を主宰。 東京都出身。早稲田大学第一商学部卒業。 1962年、日本教育テレビ(NET)に入社。テレビアナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組、ドキュメンタリーなどを担当。 スポーツ放送ではアマチュアスポーツからプロスポーツの実況まで幅広く活躍した。特にプロレスリング実況では、解説の桜井康雄(東京スポーツ)とコンビを組み、日本プロレス~草創期の新日本プロレスの激戦の語り部としてその名を知られている。
小堀 鴎一郎(こぼり おういちろう、1938年2月5日 - … 小堀 鴎一郎(こぼり おういちろう、1938年2月5日 - )は、日本の医師。医学博士(東京大学、1971年)。父は小堀四郎、母は小堀杏奴、母方の祖父は森鷗外、母方の祖母は森志げ。岳父は嘉治隆一。先祖に小堀遠州がいる。長女麻子、長男鉄郎、次男陸郎 1938年、東京府に生まれる。成城学園初等学校、成城学園中学校、國學院大學久我山高校、城北高校を経て、1956年に東京都立戸山高等学校を卒業。1965年、東京大学医学部医学科卒業。1971年、「胃癌の粘液、及び酵素に関する組織化学的研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。 外科医として食道癌を専門とし、東京大学医学部附属病院第一外科や国立国際医療研究センターに約40年間勤務した。
橋爪 静夫(はしづめ しずお、1938年2月5日 - )は、… 橋爪 静夫(はしづめ しずお、1938年2月5日 - )は、和歌山県出身の体育学者。 和歌山県立向陽高等学校、和歌山大学を卒業し、大阪府立中学校・高等学校の教師を経て、大阪府教育委員会保健体育課長・同事務局副理事などを務めた。その後、大阪府スポーツ教育振興財団理事兼大阪府立門真スポーツセンター(なみはやドーム)館長を歴任し、、武庫川女子大学文学部健康・スポーツ科学科教授を務めた。 バレーボールと縁が深く、日本バレーボール協会副会長・日本ソフトバレーボール連盟副会長・日本バレーボールリーグ機構(Vリーグ機構)理事を務めていた。
緒方 克陽(おがた かつよう、1938年2月5日 - )は、… 緒方 克陽(おがた かつよう、1938年2月5日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(3期)。 佐賀県鳥栖市出身。鳥栖工業高校卒業後、国鉄に入社。国鉄労働組合に参加し、佐賀県評議長を経て、1986年の第38回衆議院議員総選挙で八木昇の後継者として佐賀県全県区から日本社会党公認で立候補し、初当選。同党の県本部などで構成する「玄海原発設置反対佐賀県民会議」の議長を務めていた事から、佐賀県電力総連との政策協定作りなどが難航した。 1995年には村山改造内閣で運輸政務次官に就任。1996年の総選挙で佐賀県第1区から社会民主党公認で立候補するが落選。2000年の衆議院総選挙でも同区から立候補し、前回を約3,000票上回る30,018票を得たが再び落選した。
岩井 國臣(いわい くにおみ、1938年〈昭和13年〉2月5… 岩井 國臣(いわい くにおみ、1938年〈昭和13年〉2月5日 - 2025年〈令和7年〉4月21日)は、日本の政治家、建設技官。 国土交通副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、国土交通大臣政務官(第2次森改造内閣)、参議院決算委員長、参議院議員(2期)、建設省河川局長、同省中国地方建設局長などを歴任。 京都府京都市生まれ(本籍地は福岡県行橋市)。京都府立朱雀高等学校、京都大学工学部を経て、京都大学大学院修了。大学院修了後に建設省に入省。中国地方建設局長や河川局長を歴任した。 1995年(平成7年)、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補し、初当選。2001年(平成13年)、第2次森改造内閣で国土交通大臣政務官に就任。
井口 克己(いぐち かつみ、1938年2月5日 - 2017… 井口 克己(いぐち かつみ、1938年2月5日 - 2017年2月19日)は、日本の詩人。 岡山県生まれ。法政大学大学院博士課程満期退学。法政大学講師。1992年『幻郷鳥獣虫魚譜』で農民文学賞受賞。日本農民文学会議長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
佐倉 輝美(さくら てるみ、1938年2月5日 - 2022… 佐倉 輝美(さくら てるみ、1938年2月5日 - 2022年1月11日)は、女子プロレスラー。本名は佐倉輝子。日本女子プロレス、国際プロレス女子部に所属した日本の女子プロレス創世期の選手として知られる。東京都足立区竹ノ塚出身。 学生時代は短距離を得意にし、運動神経は水泳以外は抜群だった。中学時代に柔道を経験したのち、親が新聞で目にしたプロレスラー募集広告をきっかけに東洋興業によって旗揚げされた東洋女子プロレス(媒体によっては東京女子プロレスとも表記)でデビュー。1954年に入門したが正確なデビュー日は不明。小畑千代や妹の小畑紀代よりは入門及びデビューは遅い。柔道と異なり体が大きな相手でも蹴りや小技で相手を倒せ、投げられてもうまく着地すれば次の行動や丸め込みにつなぐことがプロレスの魅力だったという。
大富 國正(おおとみ くにまさ、1938年2月5日 - )は… 大富 國正(おおとみ くにまさ、1938年2月5日 - )は、日本の実業家。株式会社エキスプレス代表取締役会長、株式会社エイ・アイ・シー代表取締役社長、株式会社ラヴス代表取締役会長、株式会社エキスプレススポーツ代表取締役会長。滋賀県大津市出身。 1961年(昭和36年)9月21日、テレビ番組の制作・技術協力などを行うプロダクション・株式会社エキスプレス設立、代表取締役社長に就任(現職会長)。テレビ中継車システムを導入。 1975年(昭和50年)2月、テレビ番組の美術作業(ヘアメイク)、ヘアメイクアーティストのマネージメントとプロモート業務をする株式会社エイ・アイ・シー設立、代表取締役社長に就任。
中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月… 中島 勝敬(なかじま まさよし、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2023年〈令和5年〉9月24日)は、日本の政治家。群馬県館林市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、館林市議会議員(5期)などを務めた。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に生まれる。群馬県立小泉農業高等学校(現・群馬県立大泉高等学校)卒業。青年団で活動し館林市青年団連合協議会会長、群馬県青年団連合会長、日本青年団協議会常任理事を歴任。坂村吉正衆議院議員の秘書を務める。 1966年に館林市議会議員に当選、以後5期連続で務め1978年には市議会議長にも就任。1987年に群馬県議会議員に当選し、3期県議会議員を務める(自由民主党)。
加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 -… 加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日 - 2018年〈平成30年〉6月18日)は、日本の俳優。本名:加藤 剛(かとう たけし)。身長173cm。体重70kg。俳優座所属。 2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章。 静岡県榛原郡白羽村(御前崎市)出身。父・鉉一郎は小学校の校長。姉四人と兄、弟がいる。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった。なお俳優のうえだ峻は甥で、うえだの母は加藤の姉にあたる。また第32代日本銀行総裁の植田和男は従弟の孫にあたる。 加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり、庭にはたくさん木があった。
田村 セツコ(たむら セツコ、1938年2月4日 - )は、… 田村 セツコ(たむら セツコ、1938年2月4日 - )は、日本のイラストレーター、エッセイスト。 1950年代後半よりイラストレーターとして仕事を始め、1960年代には「りぼん」「なかよし」などで少女向けのおしゃれページを多数手がける。1970年代にはキャラクターグッズが人気を博し、また、『若草物語』や『赤毛のアン』などの名作物語のイラストも手がける。サンリオ発行の「いちご新聞」の連載エッセイは創刊の1975年から現在も続いている。 1938年、東京府東京市(現在の東京都)目黒区にて、警視庁警察官の長女として生まれる(妹2人、弟1人の4人きょうだい) 。1945年の終戦を疎開先の栃木県上都賀郡西方村(現・栃木市)で迎える。
猪熊 功(いのくま いさお、1938年2月4日 - 2001… 猪熊 功(いのくま いさお、1938年2月4日 - 2001年9月28日)は、日本の柔道家。身長173cm。体重88kg。 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック柔道競技の男子80kg超級で金メダルを獲得。 神奈川県横須賀市出身。幼少時代は病弱で、結核・自家中毒・ヘルニアなどを経験した。市立不入斗中学2年生の時に姿三四郎に憧れ、近所にあった渡辺利一郎の道場で柔道を始める。同門に、山村泰三(後の大相撲小結)や森徹(後のプロ野球選手)など。入門当初、体格で劣る猪熊は2人におもしろいように投げ飛ばされ続けたが、持ち前の負けん気が生み出した背負投を武器に、卒業する頃には2人を全く相手にしないほど強くなっていたという。
尾形 勇(おがた いさむ、1938年2月4日 - )は、日本… 尾形 勇(おがた いさむ、1938年2月4日 - )は、日本の中国史学者。東京大学名誉教授、元立正大学教授。 1938年、愛媛県で生まれた。東京大学文学部東洋史学科で学び、1962年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程に進み、1964年に博士課程を中退。 1965年、北海道大学助手に採用された。1972年、山梨大学専任講師に就いた。1974年より山梨大学教育学部助教授、1982年に同教授昇格。1979年に学位論文『中国古代国家の秩序構造に関する基礎的研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1983年、東京大学文学部教授に転じた。1998年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。
丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 202… 丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 2020年6月21日)は、日本の造園学者。位階は従四位。 千葉大学名誉教授。代表的業績に、都市空間の熱環境評価・対策技術の開発がある。 大分県生まれで、長野県長野市育ち。 1964年に、ルイジアナ州立大学大学院修士課程を修了する。翌年に東京大学大学院生物系研究科修士課程を、1969年に東京大学大学院農学系研究科博士課程をそれぞれ修了し、農学博士号を取得した。 1969年より日本大学農獣医学部講師となり、1972年に助教授に昇進する。1978年に千葉大学園芸学部に転じ、1988年に教授に就任した。 1997年に環境情報科学センター理事長、2000年に千葉大学評議員となる。
勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )… 勝間田 具治(かつまた ともはる、1938年2月4日 - )は、静岡県下田市出身の日本のアニメーション演出家、アニメ監督である。 日本大学芸術学部卒業後、叔父で俳優の岸井明の紹介で1960年に映画製作会社の東映に入社。東映京都撮影所でマキノ雅弘に師事し、工藤栄一、加藤泰、田坂具隆監督らの助手を務めた。これら監督につき、『次郎長血笑記・富士見峠の対決(1960年公開)』『次郎長血笑記・殴り込み荒神山(1960年公開)』 『ちいさこべ(1962年公開)』などの制作に関わった。その後、テレビアニメ事業に進出した東映動画(現・東映アニメーション)から請われて1964年に移籍し、アニメーションの演出家に転向。
石井 寛治(いしい かんじ、1938年2月3日 - )は、日… 石井 寛治(いしい かんじ、1938年2月3日 - )は、日本の経済学者、歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本経済史。経済学博士(東京大学、1974年)。東京府出身。妻は元恵泉女学園大学学長の石井摩耶子。
加藤 熈(かとう ひろし、1938年2月2日 -)は、日本の… 加藤 熈(かとう ひろし、1938年2月2日 -)は、日本の歯科医師・歯学者。北海道大学名誉教授。元北海道大学歯学部附属病院長。 1962年東京医科歯科大学歯学部卒業後、同大学助手、北海道大学歯学部講師、助教授、東日本学園大学教授をへて、1986年北海道大学歯学部教授に就任。2001年に定年退官となり名誉教授に就任。
石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、… 石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、日本の元競泳選手。熊本県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。50m自由形の元日本記録保持者。 熊本県立鹿本高等学校、日本大学卒。 1960年ローマオリンピックに初出場。100m自由形では準決勝敗退、400mメドレーリレーでは予選のみ出場した。 1964年東京オリンピックでは400mフリーリレーに出場し、3位と0.6秒差の4位に終わった。
山崎 晴哉(やまざき はるや、1938年2月2日 - 200… 山崎 晴哉(やまざき はるや、1938年2月2日 - 2002年2月)は、日本の男性脚本家、小説家。早稲田大学第一文学部露文科卒業。日本脚本家連盟会員。 1970年代から1990年代にかけて主にアニメの脚本で活躍した。 学生時代に手塚治虫の虫プロダクションでアルバイトをしたのをきっかけに、大学院を修了後に契約社員として入社。文芸部に籍を置いて制作管理の仕事をしていたが、後に退社して1966年のテレビアニメ『ハリスの旋風』からフリーの脚本家として活動する。 テレビアニメでは『巨人の星』『キン肉マン』など、スポーツを下絵にした作品のメイン脚本家として活躍し、代表作にもなった。他には劇場アニメの『ルパン三世 カリオストロの城』のほか、特撮作品も複数執筆する。
乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chin… 乙川 弘文(おとがわ こうぶん、英語: Kōbun Chino Otogawa、1938年2月1日 - 2002年7月26日)は、アメリカで活躍した日本の曹洞宗の禅僧。別姓:知野(ちの)。道号は鳳雲。新潟県加茂市出身。 アメリカ合衆国カリフォルニア州で活動し、Apple社のスティーブ・ジョブズとの交流でも知られた。 新潟県加茂市の曹洞宗「定光寺」の三男として生まれる。1951年に13歳で乙川瑾映(のちの大本山總持寺独住20世貫首)に就いて得度。1960年、駒澤大学仏教学部卒業。1964年に京都大学大学院文学研究科で長尾雅人に師事して修士号(大乗仏教)を取得した。大学院在学中に地域の同宗派寺院耕泰寺の養子になり、知野に改姓。
桐村泰次(きりむら やすじ、1938年〈昭和13年〉2月1日… 桐村泰次(きりむら やすじ、1938年〈昭和13年〉2月1日- )は、日本の翻訳家、哲学研究者、創価学会の人物。 京都府福知山市生まれ。1960年東京大学文学部社会学科卒。創価学会に入り、聖教新聞の記者となり、のち編集主事。フランス文化史の翻訳を多く行っている。
30代 木村 庄之助(さんじゅうだい きむら しょうのすけ、… 30代 木村 庄之助(さんじゅうだい きむら しょうのすけ、本名は鵜池 保介(ういけ やすすけ)、1938年2月1日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2001年11月〜2003年1月。佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。出羽海部屋所属。 1955年3月場所、後に「泉の親方」と呼ばれた名行司22代木村庄之助に入門。兄弟子に28代木村庄之助が、同期生には31代庄之助、32代庄之助、33代庄之助がおり、32代庄之助は同部屋で同期である。翌5月、木村保之助(初代)の名で初土俵。保之助を11年名乗って1966年9月師匠の前名である3代木村林之助を襲名、翌11月に十両格に昇格。
永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30… 永井 多恵子(ながい たえこ、旧姓:高島、1938年1月30日 - )は、公益財団法人せたがや文化財団理事長で、元NHK役職員(アナウンサー、解説委員、副会長を歴任)。 東京都出身。日本女子大学附属高等学校、早稲田大学第一文学部を卒業後、1960年NHKにアナウンサーとして入局。以来ずっと東京アナウンス室に在籍し、経済番組の司会など主として報道番組を担当。1980年、アナウンス現場を離れ解説委員室に異動。女性問題や文化・教育問題にスポットを当てた解説や番組の制作に携わった。 1990年、当時の浦和放送局長に就任。NHK史上初の女性局長であった。3年務めた後解説委員室に復帰し、1995年にNHKを役職定年で退職した。
真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は… 真鍋 康彦(まなべ やすひこ、1938年1月30日 - )は、日本の実業家。香川県を本拠とすることでんグループ代表で、同グループ傘下のほとんどの会社(高松琴平電気鉄道、ことでんバス、ことでんサービス、屋島ドライブウェイ、高松グランドカントリー他)の社長を務めていた、現在は会長。香川日産自動車相談役。アイル・パートナーズ(旧サンクスアンドアソシエイツ東四国)相談役。 元香川経済同友会代表幹事。元香川県経営者協会会長。 香川県高松市に生まれ。1962年香川大学経済学部を卒業し日興証券入社。父親の後を受けて香川日産自動車の社長、会長を歴任。その後、サンクスアンドアソシエイツ東四国の経営を経て2002年、前年に民事再生法適用を申請した高松琴平電気鉄道から社長就任を要請され、「地域社会への使命感」から受諾した。
宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 -… 宮ノ花 秀輝(みやのはな ひでてる、1938年1月30日 - 没年不明)は、愛媛県八幡浜市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮脇 邦義(みやわき くによし)。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭12枚目(1962年9月場所)。現役時代の体格は176cm、110kg。 中学校卒業後に二所ノ関部屋へ入門し、1953年5月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。 序ノ口に付いた時の四股名は、本名と同じ「宮脇」。その後、「宮ノ花」→「八幡濱(故郷の地名に因んだ)」→「宮ノ花」と3度改名している。 左四つからの寄りという正攻法を得意としたが、立ち合いの鋭さに欠け、取り口は地味であった。 また、極度の近視であったため、速攻相撲の力士に対しては苦戦した。
鶴見 修治(つるみ しゅうじ、1938年1月29日 - )は… 鶴見 修治(つるみ しゅうじ、1938年1月29日 - )は、日本の元体操競技選手。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック体操男子団体金メダリスト。日本体操協会女子競技本部長理事、日本ドッジボール協会、日本オリンピアンズ協会の理事などを歴任。 1960年のローマオリンピックでは鶴見ら6人はソビエト連邦を下して、男子団体で金メダルを獲得した。日本勢は男子個人総合で9位以内に全6選手が入る活躍を見せて、鶴見は個人総合で4位、あん馬で銅メダルを獲得した。続く地元日本で開かれた東京オリンピックでも団体総合金メダルに貢献、男子個人総合でも銀メダルを獲得、平行棒とあん馬でも銀メダルを獲得した。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 199… 小沢 僥謳(おざわ きょう、1938年1月27日 - 1999年3月28日)は、日本の劇作家、演出家、翻訳家。本名:小沢 協(読みは同じ)。東京府芝区西久保明舟町(現・東京都港区虎ノ門)出身。暁星中学校・高等学校、パリ大学人文科卒業。父は俳優の小沢栄太郎。 俳優の小沢栄太郎とその最初の妻との長男として生まれ、16歳で母を自死で失う。中学・高校を暁星学園で過ごし、卒業後はパリ大学人文科に進学。同大学卒業後もフランスに滞在して映画助監督となり、帰国後に舞台の劇作家、演出家として活動した。第5回湯浅芳子賞受賞。ファッションブランド「VAN」が製作した『Take IVY』の映画版の監督も務めた。 1999年3月28日、閉塞性黄疸のため死去。
小島 博(こじま ひろし、1938年(昭和13年)1月27日… 小島 博(こじま ひろし、1938年(昭和13年)1月27日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
菅 啓次 菅 啓二(すが けいじ、1938年1月27日 - … 菅 啓次 菅 啓二(すが けいじ、1938年1月27日 - 1997年3月23日)は、日本の俳優。本名は菅原 壮彦(すがわら たけひこ)。 岩手県陸前高田市出身。多摩美術大学卒。 中村嘉葎雄の付き人を経て 萬屋錦之介に師事し中村プロダクションに所属する。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
國安 正昭(くにやす まさあき、1938年1月27日 - )… 國安 正昭(くにやす まさあき、1938年1月27日 - )は、日本の外交官、著作家。 山口県生まれ。山口県立安下庄高等学校卒業。1961年9月、東京大学在学中外務公務員採用I種試験に合格、1962年卒業。同年4月、外務省に入省。国際連合代表部、中南米第一課長、中南米第二課長、国際連合局科学課長、経済協力局経済協力第一課長、経済局調査官、在ソビエト連邦大使館参事官、在フィリピン大使館公使兼マニラ総領事、大臣官房外務参事官、同審議官、東京都外務長等を歴任した。 1992年-1994年、駐スリランカ特命全権大使。1995年-1998年、駐ポルトガル特命全権大使。1998年-2001年、駐ヴェネズエラ特命全権大使。
早川 芳忠(はやかわ よしただ、1938年(昭和13年)1月… 早川 芳忠(はやかわ よしただ、1938年(昭和13年)1月27日 - )は、日本の元政治家。元鳥取県倉吉市長(3期)。 鳥取県出身。1956年鳥取県立倉吉東高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部卒業。熊谷組に入社し、後に退職。1990年の倉吉市長選挙に立候補し、初当選した。1994年に再選。1998年の選挙で三選した。2002年の市長選挙で元鳥取県議の長谷川稔に敗れて落選した。初代倉吉市長の早川忠篤の四男。
加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月2… 加藤 諦三(かとう たいぞう、1938年〈昭和13年〉1月26日 - )は、日本の社会学者、心理学者、評論家。早稲田大学名誉教授、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本精神衛生学会顧問、ハーバード大学ライシャワー研究所アソシエイト。1972年からニッポン放送のラジオ番組『テレフォン人生相談』のパーソナリティを務める。 1938年、東京都で生まれる。祖父は政治家の加藤政之助、父親は大学教員である。東京都立西高等学校を卒業した後、東京大学教養学部教養学科(1963年3月、人文地理、文化人類分科卒業)、同(1965年3月、国際関係論分科卒業)を経て、同大学院社会学研究科博士課程を修了した。1972年4月より早稲田大学理工学部で社会学の助教授に、1977年4月からは教授を務め、2008年に名誉教授となる。
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotar… 石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、英: Shotaro Ishinomori、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家。本名は小野寺 章太郎(おのでら しょうたろう)。1984年までは「石森 章太郎」の表記を使用していたが、この時期には「いしもり しょうたろう」と呼ばれるのが通例だった。 SF漫画、ギャグ漫画から学習漫画まで幅広いジャンルの作品を量産し、“漫画の神様”手塚治虫との対比で「漫画の王様」、「漫画の帝王」 と評された。 代表作は『サイボーグ009』『佐武と市捕物控』『009ノ1』『さるとびエッちゃん』『人造人間キカイダー』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』など。
マティ鈴木(マティすずき、1938年1月25日 - )は、日… マティ鈴木(マティすずき、1938年1月25日 - )は、日本の元プロレスラー。実業家。本名:鈴木 勝義(すずき かつとし)。 現在はペンドルトン・ウーレン・ミルズ社極東販売部門ディレクター。 1938年1月25日生まれ。日本プロレス時代のプロフィールでは1939年生とされていた。神奈川県の出身で東京都世田谷区育ち。日本体育大学荏原高等学校出身で、家業の都合で入学が二年ほど遅れた。高校時代は野球部で捕手を務めていた。高校の1年先輩で野球部のエースだったのがヒロ・マツダ(小島泰弘)であった。 高校時代から東京都中央区日本橋浜町にあった力道山道場でボディビルをやった後、日本プロレスに入門。1959年5月1日、ミツ・ヒライ(平井光明)戦(後楽園ジム)でデビュー。