金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月… 金 鍾吉(キム・ジョンギル、朝鮮語: 김종길、1921年2月5日 - 1991年1月31日)は、大韓民国の官僚、政治家。第5代韓国国会議員。 慶南南海出身。中央大学法科3年卒業。総務処事務官、国務院事務処書記官・人事課長・総務課長、重機工業協同組合理事などを務めた。崔致煥の公民権制限による1961年の第5代総選挙の補欠選挙で当選し、国会議員を務めた。 第5代議員当選後すぐに発生した5・16軍事クーデターにより3日間しか在籍できず、議員宣誓もできなかった。
髙橋英明(たかはし ひであき、1921年2月1日 - 199… 髙橋英明(たかはし ひであき、1921年2月1日 - 1998年5月15日)は日本の大蔵官僚。 東京府出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業。1945年10月 大蔵省入省。国有財産部属。1947年4月 国有財産局。1948年2月 高等試験行政科を合格。同年11月 長崎税務署長。近畿財務局理財部金融課長、為替局投資課長などを経て、1967年8月4日 銀行局総務課長。1968年6月25日 近畿財務局長。1969年8月15日 銀行局検査部長。1970年6月25日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1972年6月27日 経済企画庁長官官房長。1973年6月26日 証券局長。1974年6月26日 銀行局長。1975年7月8日 退官。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982… 山田英世(やまだ ひでよ、1921年1月30日 - 1982年4月17日)は、日本の哲学研究者。 長野県下高井郡穂高村(現木島平村)生まれ。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)を経て東京文理科大学倫理学科卒。1967年「プラグマティズムにおける倫理探求の理論」で東京教育大学文学博士。秋田師範学校教授、新潟高等学校教諭、愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授、1976年筑波大学教授。セイロン大学に留学。デューイ、ベンサムなどを研究した。
村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月… 村松 友次(むらまつ ともつぐ、1921年(大正10年)1月30日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、日本の国文学者・俳人。東洋大学短期大学名誉教授。 2921年、長野県小県郡丸子町(現上田市)で生まれた。ハルピン鉄道学院露語専修科でロシア語を学んだ。1944年から長野県および東京都にて小・中学校教諭として勤務。その一方で、東洋大学国文学科(二部)で学び、1962年に卒業。同大学大学院に進み、1967年に博士課程を満期退学。 東洋大学短期大学助教授に就いた。その後教授昇格。1987年、学位論文『曽良本『おくのほそ道』の研究』を東洋大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年、第12代東洋大学短期大学学長に就任。
草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987… 草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987年11月15日)は、日本の経営者。神奈川県出身。 1942年に東京帝国大学経済学部を卒業し、1950年に日産化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年7月には会長に就任。 1987年11月15日急性心筋梗塞のために死去。66歳没。
渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1… 渡辺 喜久雄(わたなべ きくお、1921年1月27日 - 1993年6月19日)は、日本の経営者。北海道新聞社社長を務めた。 東京都出身。1946年に中央大学法学部を中退し、同年に北海道新聞社に入社。1970年12月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1977年1月に専務を経て、1979年1月に社長に就任。1989年1月に会長に就任。 1993年6月19日慢性うっ血性心不全のために死去。72歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2… 大塚 勇三(おおつか ゆうぞう、1921年1月27日 - 2018年8月18日)は、日本の児童文学者・翻訳家。 旧満洲旧安東市(現・遼寧省丹東市)生まれ。東京帝国大学法学部を卒業。1957年から1966年まで平凡社に勤め、瀬田貞二と出会い、米英、ドイツ、北欧などの児童文学の翻訳に携わる。特にアストリッド・リンドグレーンの作品をほとんど翻訳、アルフ・プリョイセンの「スプーンおばさん」シリーズ、ルーネル・ヨンソンの「小さなバイキング」などの翻訳が著名である。ほか自身で民話の再話絵本も執筆した。 2018年8月18日、死去。97歳没。 ※『リンドグレーン作品集 別巻3 わたしたちの島で』は、尾崎義訳。
清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 20… 清沢 哲夫(きよざわ てつお、1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、愛知県碧南市出身の宗教家・哲学者。大谷大学助教授を務め、晩年は石川県白山市「明達寺」(真宗大谷派)の住職としてすごした。清沢満之の孫。暁烏敏の孫・宣子と結婚し、暁烏 哲夫(あけがらす てつお) と改姓。 大正10年(1921年)愛知県碧南市の西方寺に生まれる。碧南市大浜尋常小学校、愛知県立刈谷中学校、大谷大学予科(ドイツ語科)を経て、昭和19年(1944年)大谷大学文学部西洋哲学科卒業。学徒動員され約2年間の軍隊生活を送る。戦争中に体験した「人間の獣性の事実」「人間の死の事実」を転機として復員後は社会の問題に向き合い、まず実家西方寺において「形骸化し死化した寺院制度」を改革しようとする。
盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 199… 盛田 昭夫(もりた あきお、1921年1月26日 - 1999年10月3日)は、日本の技術者、実業家。井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人。1992年(平成4年)、名誉大英帝国勲章を受勲。
左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 -… 左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 - 2002年8月16日)は、日本の官僚、経営者。中小企業庁長官、共同石油社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、学徒動員で満洲に出征。終戦後は3年間のシベリア抑留を経て、帰国。1949年に商工省に入省し、1978年6月に中小企業庁長官に就任。1980年6月に東京銀行顧問に就任。1982年6月に共同石油専務に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年11月に社長に就任した。1990年6月には会長に就任した。1992年12月に日本鉱業と合併し、日鉱共石副会長に就任し、1996年6月には相談役に退いた。
佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月… 佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月26日 - 2003年 <平成15年> 3月9日)は、日本の官僚、経営者。商工組合中央金庫理事長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1944年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、高文行政科にも合格し、同年9月に軍需省に入省。1971年8月に通商産業省繊維雑貨局長に就任し、1972年6月を以って、退官。1978年7月に日本商工会議所、東京商工会議所各専務理事を経て、1983年11月から1987年11月までに商工組合中央金庫理事長を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年3月9日肺炎のために死去。82歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - … 岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・審判員。 兄は元祖神主打法として知られる岩本義行。 旧制広陵中学では白石勝巳らの2学年下に当たり、中学時代は主力投手ではなかったが、卒業後の1939年に明治大学へ進学。谷沢梅雄監督率いる黄金時代で活躍し、戦後は明電舎を経て、1946年に広陵の先輩・平桝敏男や濃人渉、門前眞佐人らと広島駅前で遊興産業に携わっていた広島鯉城園のノンプロチームに参加。同年夏に戦後初の都市対抗野球大会へ出場し、初戦で先発・橋本正吾の後を継ぐ2番手としてマウンドに上がるも、この大会優勝した大日本土木に打ち込まれ惨敗した。
船後 正道(ふなご まさみち、1921年(大正10年)1月2… 船後 正道(ふなご まさみち、1921年(大正10年)1月25日 - 2013年(平成25年)9月3日)は日本の大蔵官僚。経済企画庁長官官房長、環境庁企画調整局長、環境事務次官、日本環境協会理事長、中小企業金融公庫副総裁、同公庫総裁、全国労働金庫協会理事長などを歴任。 奈良県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大法学部政治学科在学中に高等試験行政科を合格。1943年9月 大蔵省入省。資金局属。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1946年2月 富山税務署長。
佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月2… 佐々木 誠二(ささき せいじ、1921年〈大正10年〉1月25日 - 2018年〈平成30年〉8月23日)は、日本の実業家。テレビ大阪初代社長を務めた。位階は正五位。 群馬県沼田市出身。旧制沼田中学校から旧制九段中学校へ転校。1941年(昭和16年)に東京商科大学専門部を卒業し、日本経済新聞社の前身である中外商業新報に入社。1942年(昭和17年)高崎の歩兵第15連隊に入隊し、中国・フィリピン・ボルネオ・シンガポールなどを転戦した。 1947年(昭和22年)に復員。その後1968年(昭和43年)労務担当取締役に就任。1972年(昭和47年)から常務大阪本社代表を務め、1980年(昭和55年)から専務に就任。
久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - … 久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、馬主。 1921年1月25日、広島県竹原町(現竹原市竹原町)で煙草、塩の販売業を営む家庭に生まれる。学校を卒業後、一度大阪府に出たのち長崎県へ向かい、三菱長崎造船所に入社した。1941年には現役兵として下関第72部隊に入隊したが、終戦に伴い除隊となると故郷の竹原に戻った。1946年5月には25歳ながら竹原町議会議員選挙に立候補し2位当選を果たすと、町議会内で起こった不正事件にかかるリコール問題でリコール派の筆頭として活動し議会の解散に持ち込む。翌1947年にトップで再選を果たすと同議会副議長に就任した。
太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日… 太田 博(おおた ひろし、1921年〈大正10年〉1月24日 - 1945年〈昭和20年〉6月20日)は、日本の詩人。 1941年〈昭和16年〉徴兵検査に合格したのちに、翌1942年〈昭和17年〉1月に千葉県柏・高射砲第二連隊に入営。少尉として沖縄戦に参加。高射砲陣地構築作業に動員されてきたひめゆり学徒隊に、「相思樹の歌」の詩をプレゼントした。米軍との死闘の後に沖縄県糸満市にて戦死。最終階級は死後に陸軍中尉。 短い生涯であったが、厳しい軍務にあっても詩人としての生き方を貫徹した。クリスチャンであった。 東京府東京市渋谷にて、郵便局員であった父・芳松、母・てふの三男として出生。1930年(昭和5年)、福島県郡山市清水台78番地の伯父・太田恒吉の養子となる。
隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月… 隅谷 正峯(すみたに まさみね、1921年(大正10年)1月24日 - 1998年(平成10年)12月12日)は石川県松任市(現在の白山市)出身の日本刀匠。全日本刀匠会元理事長。日本美術刀剣保存協会元理事。本名は隅谷 與一郎(すみたに よいちろう)。 1938年(昭和13年)、金沢一中卒業。1941年(昭和16年)立命館大学理工学部機械工学科卒業と同時に刀匠・桜井正幸に入門。独立後は興国日本刀鍛錬所(広島県尾道市)へ。その後、日本刀鍛錬所傘笠亭(さんりゅうてい)を松任市に開いて多くの作品を手掛けた。昭和40年代には新作刀に与えられる最高賞である「正宗賞」を3度受賞。1989年(平成元年)には伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀(ごしんぽうたち)を制作した。
宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1… 宮脇 幸彦(みやわき よしひこ、1921年1月24日 - 1994年5月10日)は、日本の裁判官、法務省民事局参事官(検事)、学習院大学教授(一時、法学部長)、弁護士
岩本 章(いわもと あきら、1921年1月24日 - 199… 岩本 章(いわもと あきら、1921年1月24日 - 1993年3月4日)は、高知県高知市出身のプロ野球選手(外野手)。
大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23… 大和 哲夫(やまと てつお、1921年(大正10年)1月23日 - 1998年(平成10年)8月20日)は、日本の法学者・官僚・公務員。北海学園大学元学長。福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市)出身。 学内ではこの他、北海学園大学学生部長などを、学外では、北海道地方労働委員会公益委員(1968-1977年)や北海道人事委員会委員(1982-1990年)、公共企業体等労働委員会調停委員など多くの公職を歴任。
粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 200… 粟山 明(もみやま あきら、1921年1月23日 - 2006年9月21日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。衆議院議員を務めた粟山博は義父、同じく衆議院議員を務めた粟山秀は姉。
朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月… 朝長 康郎(ともなが やすろう、1921年(大正10年)1月22日 - 2014年(平成26年)4月17日)は日本の数学者。宇都宮大学名誉教授。東京帝国大学理学部卒業。また長女は財務大臣の片山さつきである。 長崎県長崎市出身。陸軍軍人で近衛騎兵隊長を務めた朝長三郎と埼玉県知事を歴任した銀林綱男の五女・銀林はたの長男として生まれる。旧制府立高等学校を経て東京帝国大学理学部を卒業し理学博士となる。文献上の職歴は初期の著書初版発行当時に宇都宮大学教授・理学博士であることが明記されている。また後年の書籍では教育学部教授とも記載している。後に宇都宮大学名誉教授の称号を授与された。また娘に参議院議員の片山さつきがいる。
伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 … 伊部 真(いべ まこと、1921年(大正10年)1月21日 - 1973年(昭和48年)10月9日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員。位階は正五位。 福井県出身、本籍は大阪府。1939年、此花商業学校(現・大阪偕星学園高等学校)を卒業。 1941年に日本通運に入社、大阪支店労務主任を務めた。戦時中は宮崎県小林市で入隊。その後、全日通労働組合(全日通)梅田支部執行委員、同執行委員長、全日通中央執行委員、同関西地区本部副委員長、同大阪支部書記長、同中央執行副委員長などを経て、1960年、全日通中央執行委員長に就任。 その後、全国通運労働組合協議会議長、全国交通運輸労働組合総連合議長、運輸労連中央執行委員長などを務めた。
梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日… 梅渓 昇(梅溪 昇)(うめたに のぼる、1921年1月21日 - 2016年2月18日)は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。専門は日本近代史・軍事史。文学博士(大阪大学・1962年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21… 和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21日 - 2006年(平成18年)11月14日)は、石油資源開発社長、通商産業事務次官。位階は従三位。 山口県出身の鎌倉育ち。父は海軍中将・和田専三。水戸高等学校文科甲類を経て、1944年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に商工省入省し総務局に配属。入省同期に、増田実(通産審議官)、森口八郎(通産審議官)、林信太郎、山口衛一(防衛庁装備局長、日本航空機開発協会特別顧問)など。
永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979… 永井 明(ながい あきら、1921年1月21日 - 1979年3月)は、日本の児童文学者、キリスト教者。日本児童文学者協会会員、現代少年文学同人。 栃木県佐野市に生まれる。小児マヒにかかり歩行不能となったため、肢体不自由施設の柏学園で小学教育を受ける。その後はほぼ独学で、歴史や文学、哲学や外国語を勉強する。16歳でキリスト教の洗礼を受ける。1941年、埼玉県深谷市に居住し、児童文学を志す。神戸淳吉、山本彰、高田彰らと児童文学の同人誌『白い馬』を刊行する。1956年、『ピイ公物語』でデビュー。1969年に出版された『終りのない道』は自伝的な要素が強く、障害児の視点から書いた文学作品として先駆的なものであり、当時の障害児に関する社会的記録としても評価されている。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 201… 山中 裕(やまなか ゆたか、1921年1月19日 - 2014年6月13日)は、日本史学者・日本古典研究者。東京大学史料編纂所教授、関東学院大学文学部教授を経て、田園調布学園大学名誉教授。 東京府生まれ。1943年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所教授、定年前に1975年関東学院大学文学部教授、1989年退職、田園調布学園大学教授、のち名誉教授。1977年「平安朝文学の史的研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。『栄花物語』を専門として、平安朝の歴史と文学を横断する研究をおこない、藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈を続けた。劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」平安行事監修。横須賀市史編さん委員会委員長として『新横須賀市史』作成に携わる。
中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日… 中山 仁(なかやま じん、1921年〈大正10年〉1月18日 - 2004年〈平成16年〉4月26日)は、日本の体育学者。新潟大学名誉教授。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)の新潟鐵工所新潟工場技師・中山礼吉の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京高等師範学校体育科を卒業。 1942年(昭和17年)に埼玉県立熊谷中学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に応召、南方各地を転戦し、1946年(昭和21年)6月に帰還、同年に新潟高等学校教授に就任、1949年(昭和24年)に新潟大学教育学部助教授に就任、1971年(昭和46年)に新潟大学教育学部教授に就任、1986年(昭和61年)に新潟大学を定年退官、新潟大学名誉教授の称号を受称、関東学園大学教授に就任、1994年(平成6年)に退職。
南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro… 南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、英語: Yoichiro Nambu、1921年1月18日 - 2015年7月5日)は、日系アメリカ人の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授・特別栄誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学・1952年)。 福井県福井市出身。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。 日系アメリカ人(一世)の理論物理学者で1952年に渡米、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行ったほか、弦理論の創始者のひとりとしても知られ、現在の素粒子物理学の基礎をなす様々な領域に多大な貢献をなした。
山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月… 德川 義恭(とくがわ よしやす、1921年(大正10年)1月18日 - 1949年(昭和24年)12月12日)は、日本の美術研究者、装幀家。 尾張徳川家の分家の当主である男爵・徳川義恕の四男。母方の祖父・津軽承昭は弘前藩主。長兄・徳川義寛は昭和天皇の侍従・侍従長。姉・祥子の夫は北白川宮永久王。次兄・義孝(津軽英麿の養子となる)の娘は、常陸宮正仁親王妃華子で、義恭の姪にあたる。 夫人・雅子(のりこ)は田安徳川家の徳川達成の長女。 1942年(昭和17年)、学習院高等科を卒業し、東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。同年7月1日、三島由紀夫や東文彦と共に同人誌『赤絵』を創刊した。同誌および、1944年(昭和19年)10月発行の三島の処女作品集『花ざかりの森』(七丈書院)の装幀を担当した。
牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007… 牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日 - 2007年3月2日)は、日本の技術評論家。元三菱総合研究所会長、東京大学工学博士。 栃木県出身。1944年東京帝国大学工学部卒業。同大学院修士課程修了。1956年東京大学工学博士。 東大の講師をへて、1951年東京計器製造所(現東京計器及び長野計器)に入社。在学中に発明したMT磁石の工業化に成功する。1964年三菱製鋼に移る。1970年三菱総合研究所の設立に参画し、専務、副社長を経て、1984年会長、1994年相談役。技術予測、産業政策の論評で知られた。1999年原子力事故防止のための「NSネット」初代理事長に就任。
杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 -… 杉本 悌二郎(すぎもと ていじろう、1921年1月18日 - 1988年10月25日)は、日本の実業家。元ノリタケカンパニーリミテド社長・会長。 愛知県生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、1942年日本陶器入社。 通算15年の米国生活を経て、副社長就任。1971年には米国ノリタケ社長として、磁器製食卓用品に関する米国関税委員会公聴会で証言する。 1977年日本陶器代表取締役社長就任。積極経営を進め1981年に社名をノリタケカンパニーリミテドに変更。同年脳血栓で倒れ、1982年倉田隆文を後任社長とし社長を退き、代表取締役会長就任。1984年会長を退任し、相談役に就任。これまで務めていた森村グループ企業の日本碍子、日本特殊陶業、東陶機器(現・TOTO)などの役員からも退く。
糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17… 糸居 五郎(いとい ごろう、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1984年〈昭和59年〉12月28日)は、日本のアナウンサー、ラジオ・ディスクジョッキー(DJ)。 日本のラジオDJの草分け的存在として、ラジオの深夜放送で活躍した。 命日の12月28日は、上野修の提唱により糸居の功績をたたえる記念日として「ディスクジョッキーの日」と定められている。 ジャーナリストで、地域向け新聞『小石川新聞』の編集・発行を手掛けていた糸居銀一郎の五男(末子)として、東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)音羽に生まれる。本人は、父に鉱石ラジオのレシーバーを頭にかぶらされて聴いていたと、その自分の子供時代を語っている。
佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2… 佐々木 直亮(ささき なおすけ、1921年1月17日 - 2007年9月9日)は、医学博士、弘前大学名誉教授(衛生学)、疫学者。 1921年1月17日東京都港区三田綱町に生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1943年9月慶應義塾大学医学部卒業。1956年弘前大学医学部教授(衛生学)に就任。1986年退官、弘前大学名誉教授の称号を授与される。2007年9月9日午後9時頃、脳卒中のため青森県弘前の自宅で死去(享年86)。墓所は東京都港区の青山霊園。二男は指揮者の佐々木修。幕末の豪商伊藤八兵衛の曾孫。渋沢栄一の後妻の兼子は伯叔母にあたる。 1974年日本における高血圧の疫学的研究について毎日学術奨励賞、1981年衛生学青森県褒賞、1983年青森県の特産物であるりんごの高血圧予防効果を世界にさきがけて指摘したことにより木村甚弥賞(りんご顕彰会)、1986年脳卒中・高血圧予防についての疫学研究と地域住民の保健活動の推進の貢献に対し保健文化賞(厚生大臣賞))、1995年勲三等旭日中綬章、1996年、脳血管障害に関する基礎的臨床的研究分野における多大の貢献に対し美原賞、同年日本公衆衛生学会推薦により中冨健康科学振興賞、2002年青森りんごの発展に貢献した功績により青森りんご勲章を授与された。
新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 200… 新納 真人(にいの まびと、1921年1月17日 - 2008年8月23日)は、日本の経営者。鐘淵化学工業(現在のカネカ)社長、会長を務めた。 東京都出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に鐘淵紡績に入社。1949年に鐘淵化学工業(のちのカネカ)に転じ、1966年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1974年11月に専務を経て、1978年11月に副社長に就任し、1984年11月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 2008年8月23日胆嚢癌のために死去。87歳没。
礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 19… 礒永 秀雄(いそなが ひでお、1921年1月17日 - 1976年7月27日)は、詩人。旧朝鮮仁川出身。 1921(大正10)年1月17日、旧朝鮮仁川の生まれ。詩人・童話作家。京城中学、姫路高校をへて東京帝大文学部美学科に進学。昭和18(1943)年、学徒動員で南方(ハルマヘラ島)へ行き、敗戦の翌年6月に復員。山口県光市に居住。やがて高校教師をしながら詩作を試み、23(1948)年、小詩集『天路への誘い』『聖玻璃彷徨』『夜の聖歌隊』を刊行。同年、結婚。25(1950)年、詩誌「駱駝」創刊。26(1951)年、詩集『浮灯台』で第1回山口県芸術文化振興奨励賞を受賞。昭和47(1972)年、山口県文学者訪中団の一員として中国訪問。
藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月1… 藤井松一(ふじい しょういち、1921年〈大正10年〉1月17日 - 1980年〈昭和55年〉10月6日)は、日本の日本近代史学者。 岩手県花巻市出身。東京帝国大学文学部卒。立命館大学教授を務めた。歴史科学協議会に属し、左翼的な立場から近代日本史を研究したが、59歳で死去した。
内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2… 内村 良英(うちむら よしひで、1921年1月16日 - 2004年7月3日)は、日本の農林官僚である。 1945年に東京帝国大学経済学部を卒業後、農林省に入省する(食管局嘱託)。 食糧庁、農林経済局、水産庁漁政部、1963年~1967年外務省在ロンドン大使館一等書記官、農林経済局国際部長、食糧庁次長、農政局長、農林経済局長を経て、1974年に水産庁長官、1976年~1978年に農林事務次官に就任した。退官後は1981年~1985年に日本中央競馬会理事長、1987年から大日本水産会会長を務めた。 その他に日本農業研究所理事長、国際農友会会長、自然資源保全協会代表設立発起人、農村更生協会代表、農業者年金基金理事長など、農政分野で要職を歴任した。
山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984… 山田 潔(やまだ きよし、1921年1月16日 - 1984年6月15日)は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - … 上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。 1921年、台湾で生まれた。台北高等学校で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷「回天」での出撃経験を持つが、死を免れた。 戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 200… 佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 2005年2月24日)は、日本の小説家。 東京小石川生まれ。本名・佐藤静夫。日本大学芸術学部卒。映画関係の仕事を経て、文筆活動にはいる。はじめ時代小説を書き、のち歴史小説を書いた。一時期NHK大河ドラマにあわせて執筆していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 194… 久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長であり、特攻第一号とする主張がある。 1921年1月15日愛知県で生まれる。外地の大田中学校を経て、1942年9月法政大学専門部卒業。1942年9月第11期飛行予備学生。霞ヶ浦航空隊付。1943年8月予備少尉、徳島航空隊付。1943年12月265空付。1944年7月予備中尉、第二〇一海軍航空隊付。久納は法政大学在学時から羽田海軍予備航空団に在籍しており、他の予備学生の航空士官と比較して操縦技術はベテランの域に達していた。二〇一空は零式艦上戦闘機を爆戦として運用して敵艦隊を攻撃しようと計画し、副長玉井浅一中佐を中心として零戦による急降下爆撃の訓練を行っていた。
野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - … 野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - 2019年8月4日)は、日本の実業家。日本メナード化粧品の創業者。愛知県小牧市出身。 1935年に篠岡高等小学校を卒業。1941年に野々川産業を設立し、1950年にダリヤ商事社長を経て、1959年に日本メナード化粧品社長に就任し、1990年には会長に就任。1987年にはメナード美術館を開館させた。 1980年に藍綬褒章を受章し、1991年に勲三等瑞宝章を受章。 2019年8月4日老衰のために死去。98歳没。
宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月1… 宮田 敬助(みやた けいすけ、1921年(大正10年)1月12日 - 2013年(平成25年)8月9日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。群馬県出身。 海軍大尉で終戦を迎えた後、警察予備隊・保安隊への入隊を経て海上自衛隊に転官し、少年術科学校長、第3護衛隊群司令、第11代護衛艦隊司令官、第17代横須賀地方総監などの要職を歴任した。海上自衛隊における最終階級は海将。 旧制沼田中学校を経て海軍兵学校を第69期で卒業。卒業後は重巡洋艦「那智」に乗組む。その後、重巡洋艦「三隈」乗組みを経て、戦艦「大和」乗組みとなり、太平洋戦争を迎えた。その後、駆逐艦の水雷長等で勤務し、戦争末期には人間魚雷「回天」を運用する部隊に配属され、大神基地で終戦を迎えた。