浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日… 浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日本の美術評論家、美術史研究者。 大連生まれ。1951年東京大学文学部美学美術史卒。1953年奈良国立文化財研究所勤務、1959年文化財保護委員会美術工芸課勤務、のち課長。東京国立博物館次長、1983年奈良国立博物館館長、1988年東京国立文化財研究所所長。1991年山梨県立美術館館長。
1927年(昭和2年)生まれ:911人
浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日… 浜田 隆(はまだ たかし、1927年3月27日 - )は、日本の美術評論家、美術史研究者。 大連生まれ。1951年東京大学文学部美学美術史卒。1953年奈良国立文化財研究所勤務、1959年文化財保護委員会美術工芸課勤務、のち課長。東京国立博物館次長、1983年奈良国立博物館館長、1988年東京国立文化財研究所所長。1991年山梨県立美術館館長。
紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日… 紫竹 昭葉(しちく あきよ、1927年〈昭和2年〉3月27日 - 2021年〈令和3年〉5月4日)は、紫竹ガーデン(北海道帯広市の名物観光庭園)のオーナー。夫が亡くなったことをきっかけに、紫竹ガーデンをオープンし、運営会社の社長としても活躍した。また、亡くなる前まで庭に出て客を迎え、案内しており「紫竹おばあちゃん」としても親しまれた。著書に『咲きたい花はかならず開く』『紫竹おばあちゃんのときめきの花暮らし』などがある。本名は紫竹昭代。 1927年(昭和2年)北海道帯広生まれ。子供の頃から花が好きで、姉や友人と自宅近郊の山で遊び、家の近所にも花に恵まれた原生花園がある環境で育った。旧制北海道庁立帯広高等女学校(後の北海道帯広三条高等学校)在学中、図画の教員から譲られたチューリップの球根を自宅で植え、凍った土を突き破って芽を出したのを見て、花とのかかわりで忘れられない感動となった。
藤井 昭彦(ふじい あきひこ、1927年3月26日 - 20… 藤井 昭彦(ふじい あきひこ、1927年3月26日 - 2020年9月26日)は、日本の物理学者、上智大学名誉教授。 東京都生まれ。1953年東京大学理学部物理学科卒業。1958年ロチェスター大学大学院修了、Ph.D。その後パデュー大学講師、1958年パデュー大学助教授、1960年ロンドン大学インペリアルカレッジ研究員、1961年フラスカティ国立研究所(英語版)研究員、1963年上智大学理工学部助教授、1969年上智大学理工学部教授。1997年定年退任、名誉教授。主な研究分野は中間エネルギー核物理の理論、弱い相互作用の理論。 妻は英米文学者の藤井かよ。 この項目は、物理学に関連した書きかけの項目です。
宮鍋 幟(みやなべ のぼる、1927年3月26日 - 201… 宮鍋 幟(みやなべ のぼる、1927年3月26日 - 2014年8月20日)は、日本の経済学者。専門は、ソ連経済論・社会主義経済論。一橋大学名誉教授。比較経済体制学会代表幹事、日本学術会議会員等を歴任。 東京生まれ。1947年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1953年に同大学部卒業後、旧制の大学院に進学。1956年野々村一雄や岡稔の下で一橋大学経済研究所ソ連経済部門の助手に就任。 一橋大学経済研究所助教授を経て、1967年度には外務省在ソ連邦日本国大使館とソ連邦対外文化連絡国家委員会の合意に基づき、松井啓及び茂田宏らとモスクワ大学派遣研究員を務めた。1973年から一橋大学経済研究所教授を務め、久保庭眞彰とともに米欧ソ経済部門でソ連経済を担当。
小出 昭一郎(こいで しょういちろう、1927年3月25日 … 小出 昭一郎(こいで しょういちろう、1927年3月25日 - 2008年8月30日)は、日本の物理学者、東京大学名誉教授。専攻は、分子物理学・固体物理学。 東京府出身。府立六中(現都立新宿高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、東京大学理学部卒業。 1950年東京大学教養学部助手、講師、助教授、1958年理学博士。1966年教授、1984年教養学部長、1986年11月定年退官、名誉教授。1986-1992年山梨大学長。1993-1997年山梨県立女子短期大学学長。 1957〜1958年 仁科記念財団海外派遣研究者として英国ブリストル大学へ留学、金属錯塩の光スペクトルを研究。1962〜1964年にわたり、招聘教授としてスイスのジュネーブ大学において固体論の講義と研究を担当した。
松田 幸雄(まつだ ゆきお、1927年3月25日 - 201… 松田 幸雄(まつだ ゆきお、1927年3月25日 - 2013年4月29日)は、日本の詩人、翻訳家。 千葉県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。 三井物産に勤務。『荒地』『詩学』同人。1966年、『詩集 1947 - 1965』で第6回室生犀星詩人賞受賞。2002年、D・H・ロレンス『鳥と獣と花』の翻訳で日本詩人クラブ詩界賞受賞。また、「H氏賞」の選考委員なども務める。
大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2… 大倉 敬一(おおくら けいいち、1927年3月25日 - 2016年8月15日)は、日本の実業家。位階は正五位。 月桂冠株式会社元代表取締役会長。13代目当主。 1927年(昭和2年)3月25日、月桂冠創業家の大倉家12代目・治一の長男として、京都府京都市伏見区(紀伊郡伏見町)で生まれる。 1952年(昭和27年)3月、同志社大学大学院経済学研究科修了後、同年4月に第一銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)入行。のち退行し、1956年(昭和31年)、大倉酒造(現・月桂冠)株式会社に入社。1978年(昭和53年)、同代表取締役社長に就任。その後、1997年(平成9年)に会長、2008年(平成20年)に相談役を歴任した。
植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 20… 植木 光教(うえき みつのり、1927年3月24日 - 2009年6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 参議院議員(5期)、総理府総務長官(第24代)、沖縄開発庁長官(第5代)などを歴任。 京都府生まれ。京都府立京都第一中学校を経て、第三高等学校にて学んだ。その後、東京帝国大学法学部に入学した。東京大学時代は学生運動に関わり、渡邉恒雄らとともに、共産党勢力を排除した新「新人会」の創設に加わった。またクリスチャンでもあったため、東大YMCA代表も務めた。 1950年に大学を卒業すると、日本放送協会に勤務した。その後、警視総監を経て政治家となった町村金五の秘書を務めた。 1962年、35歳の誕生日直後に京都府知事選挙に自由民主党公認で立候補するが、現職の蜷川虎三に敗れ落選。
島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 20… 島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 2001年8月10日)は、日本のジャーナリスト・評論家。 埼玉県出身。東京文理科大学英文科卒。朝日新聞記者を経て、東海大学外国語教育センター(英語)教授。1992年退職、名誉客員教授。女性・老人問題について発言した。 2001年8月10日、くも膜下出血のため死去。
佐藤 勲(さとう いさお、1927年3月22日 - 1980… 佐藤 勲(さとう いさお、1927年3月22日 - 1980年2月9日)は、日本の政治家、医師。広島県尾道市長(1期)、尾道市議会議員などを歴任。収賄容疑で逮捕され、市長退任後の1980年、妻と共に殺害された(元尾道市長夫妻殺害事件)。 広島県に宮本政二の次男として生まれる。1951年、慶應義塾大学医学部医学科卒業。 医師のかたわら尾道市議会議員選挙に立候補して当選。1970年6月に市議会議長に就任した。 1975年4月27日に行われた尾道市長選挙に立候補し、会社役員の桑原卓美、現職市長の石原善三郎、日本共産党公認の樋口利夫の3候補を破り初当選した(佐藤:23,396票、桑原:21,386票、石原:11,468票、樋口:5,063票)。
赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 20… 赤座 憲久(あかざ のりひさ、1927年3月21日 - 2012年8月31日)は、日本の児童文学者。 岐阜県稲葉郡那加村(現各務原市)生まれ。岐阜師範学校(後の岐阜大学教育学部)卒。 はじめは「短歌人」に入会して短歌を創作。斎藤史に師事し、のちに「原型」に移る。岐阜県内の小学校、岐阜県立岐阜盲学校の教員を経て1971年より大垣女子短期大学教授。 1962年『目のみえぬ子ら』で毎日出版文化賞、1964年『大杉の地蔵』で講談社児童文学新人賞、1988年『雨のにおい星の声』で新美南吉児童文学賞、産経児童出版文化賞、絵本にっぽん大賞、1989年『かかみ野の土』『かかみ野の空』で日本児童文芸家協会賞受賞。
松浦 邦男(まつうら くにお、1927年3月21日 - 20… 松浦 邦男(まつうら くにお、1927年3月21日 - 2019年9月18日)は、日本の建築学者。京都大学名誉教授。工学博士。 京都大学建築学教室で、後に第18代京都大学総長となる前田敏男に師事し、建築環境工学、特に光環境(照明)を研究する。相互反射をはじめとする照度計算方法の発展に尽力し、1995年に国際照明委員会 (CIE) 賞を受賞。また、2006年には「建築環境工学、特に光環境工学の研究・教育とその発展に対する貢献」に対して日本建築学会賞大賞を受賞している。2007年、瑞宝中綬章受章。 この間、日本建築学会理事、照明学会副会長、日本照明委員会副会長などを歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 201… 関口 功(せきぐち いさお、1927年3月21日 - 2016年4月8日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。アメリカの黒人文学が専門。 東京出身。明治大学専門部文科文芸科、早稲田大学第二文学部英文科を卒業。明治大学文学部助教授、1968年教授。文学部長、1997年定年退任。
樫本 英彦(かしもと ひでひこ、1927年3月20日 - 2… 樫本 英彦(かしもと ひでひこ、1927年3月20日 - 2010年)は、日本の英語教諭。 1927年(昭和2年)3月20日、石川県金沢市に父・樫本竹治、母・美代子の6人兄弟の3男(末子)として生まれる。 金沢女子師範附属小学校、旧制石川県立金沢第二中学校、旧制第四高等学校、東京大学文学部独文科卒業後、金沢大学附属高等学校で英語教諭として定年まで勤務。定年後は北陸学院短期大学教養科教授、北陸大学薬学部非常勤講師を務めた。 趣味は絵画、旅行、ファション、写真、読書と多趣味。特にイギリスの文化と歴史が好きで、蔵書も多く詳しかった。
首藤訓宏(しゅどう くにひろ、1927年3月20日- )は、… 首藤訓宏(しゅどう くにひろ、1927年3月20日- )は、日本の英語学者。 群馬県桐生市生まれ。本名・新八。1948年東京外国語大学卒業。51年に渡米。アズベリー大学院修士課程修了、ノースウェスタン大学院に留学後、60年に帰国。群馬大学教授、東京慈恵会医科大学教授、新潟経営大学教授。
大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 201… 大森 昭(おおもり あきら、1927年3月20日 - 2012年5月21日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 全逓信労働組合中央副執行委員長。社会党では政権構想研究会に所属した。 法政大学を卒業し、1946年(昭和21年、逓信省入省。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙全国区初当選。1983年(昭和58年、第13回参議院議員通常選挙再選。1985年(昭和60年)、参議院逓信委員長。1986年(昭和61年)、日本社会党選挙対策委員長。 1989年(平成元年)7月、第15回参議院議員通常選挙当選。8月、参議院環境特別委員長。1993年(平成5年、参議院議院運営委員長。
泉 大助(いずみ だいすけ、1927年3月19日 - 201… 泉 大助(いずみ だいすけ、1927年3月19日 - 2012年2月28日)は、日本のタレント、テレビ番組司会者。本名は、荒磯 和行(あらいそ かずゆき)。 静岡県生まれ。1948年、慶應義塾大学経済学部を卒業した。舞台芸術学院、はちの会を経て、1955年のTBS放送劇団所属を経て、1957年頃CMタレントに転身する。1959年からフリーランスで活動を開始する。 松下電器産業(現在のパナソニック)と専属契約を結び、同社のCMに多数出演したほか、同社提供の長寿クイズ番組『ズバリ!当てましょう』(フジテレビ)の司会を務めた。 そのため、「ナショナルの顔」と呼ばれ、東芝の押阪忍、日立の高橋圭三と共に「家電CMの顔」とも呼ばれた。
明石 晃一(あかし こういち、1927年3月18日 - )は… 明石 晃一(あかし こういち、1927年3月18日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。1947年から1950年までの登録名は明石 武(あかし たけし)。
小田嶋 成和(おだしま しげよし、1927年3月18日 - … 小田嶋 成和(おだしま しげよし、1927年3月18日 - 1980年2月7日)は、日本の病理学者、専門は実験腫瘍学、特に化学物質による発がん研究。宮城県仙台市出身。倫理学者・白井成允の三男。 日本癌学会理事、日本病理学会評議員、日本食品衛生学会評議員、厚生省中央薬事審議会委員、食品衛生調査会委員などを歴任。
熊谷 賢一(くまがい けんいち、1927年3月17日 - )… 熊谷 賢一(くまがい けんいち、1927年3月17日 - )は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手。1960年ローマオリンピックに出場した。 愛知県出身。早稲田大学中退。1960年ローマオリンピックには、日本クレー射撃協会所属(常任理事)としてクレー・ピジョン種目に参加、19位の成績を残した。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
志立 託爾(しだち たくじ、1927年3月16日 - 201… 志立 託爾(しだち たくじ、1927年3月16日 - 2013年1月31日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に三菱信託銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1975年11月に常務、1980年11月に専務、1983年3月に副社長を経て、1984年3月には社長に就任。1990年3月に会長に就任し、1995年6月に相談役、1999年6月に最高顧問を経て、2007年7月から名誉顧問を務めた。 1985年4月から1986年4月までに信託協会会長を務め、ニコン、三菱マテリアルで各監査役も務めた。 2013年1月31日に肺炎のために死去。
岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15… 岡田 昭守(おかだ あきもり、1927年(昭和2年)3月15日 - 1992年(平成4年)5月30日)は、日本の政治家、茨城県龍ケ崎市長を務めた(3期)。 茨城県出身。1942年(昭和17年)旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)を卒業した。電機会社に勤めた後、稲敷郡龍ケ崎町役場に奉職する。龍ケ崎市制施行後の市役所内では消防署長、議会事務局長、総務部長、助役を務めた。助役時代の1981年(昭和56年)5月30日、当時の龍ケ崎市長の中村忠雄が交通事故により死去した。その後を受けて市長選挙に立候補し、当選した。当選後は前市長が進めたニュータウンの造成を中心とする総合都市を計画を実施し、「産業文化都市・龍ケ崎」を位置づけした。
関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2… 関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2020年4月9日)は、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現:東京都渋谷区)出身(北豊島郡巣鴨町〈現:豊島区巣鴨〉生まれ)のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 現役時代は近鉄、巨人で活躍。打者で1000本安打・投手で50勝を記録、またオールスターゲームでは初めての投手・野手の両方でのファン投票選出を記録した。2003年、野球殿堂入り。 藤田省三が監督を務める旧制日大三中へ進学したものの、入学初年度は小柄であったため、練習に参加させてもらえなかった。2年生に進級後ようやく参加できたが、それでも外野の球拾いであった。やがて、兼務していた法政大に掛り切りとなった藤田が去り、後任監督から二塁手として抜擢されたのが転機となり、試合に出場できるようになった。
宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日… 宇野 藤雄(うの ふじお、1927年3月15日 - )は、日本の画家。日本画及び洋画を専門とする。 愛知県丹羽郡羽黒村(現・愛知県犬山市)出身。幼いころより絵が好きで小学校時代は得意な絵で訓導(教師)より成績表で褒め称えられていたという。青春期は時あたかも第二次世界大戦中とぶつかり、自身も徴兵により軍隊に取られたこともあり、絵筆を握ることもままならなかった。 戦争終了後、20歳になった時から画家としての活動を始め、1952年度の二科展で初入選し、以後23年連続入選を果たしている。自身は和歌・俳句、仏教などあらゆる日本文化を研究しつくし、研究から得た知識をキャンパスに表現する手法を長年執っている。
はた のぼる(1927年3月15日 - 2022年11月22… はた のぼる(1927年3月15日 - 2022年11月22日)は、日本のお笑い芸人。 福井県鯖江市出身。本名・川畑 正雄(かわばた まさお)。東京演芸協会名誉会長。日本演芸家連合・常任理事。5代目鈴々舎馬風ファミリーの一員。 1951年 - コミックバンド「フラット・セブン」を結成。 1959年 - 灘康次とモダンカンカンに加入。当時の芸名は「畑のぼる」 1964年 - モダンカンカンを退団し、「はたのぼるとポニーズ」(スリーボンボンと改名)を結成。 1968年 - スリーボンボンを解散し、漫談師となる。 1981年 - ロンドンで開催された「一芸名人世界大会」で準優勝する。 1996年 - 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)芸能功労者表彰。
川林 昭郎(かわばやし あきお、1927年〈昭和2年〉3月1… 川林 昭郎(かわばやし あきお、1927年〈昭和2年〉3月14日 - 2005年〈平成17年〉7月31日)は、日本の研究者。 篆刻家の川林寛治郎(川林泱雲)の長男として東京市牛込町出生。 府立六中卒、成蹊高校卒、東京帝国大学第一工学部電気工学科入学、日本放送協会松本支局、渋谷本部勤務を経て 1973年に総合技術研究所放送衛星担当部長として渡米し、米国フィラデルフィア勤務、NHKのチーフとしてGE(ゼネラル・エレクトリック)社、東芝との3社で放送衛星の共同開発を行う。1975年帰国。 主任研究員(理事待遇) 青山学院大学非常勤講師兼業。 NHK早期退職後はシャープ第一研究部長、技術本部副本部長(役員待遇)。
西丸 與一(にしまる よいち、1927年3月14日 - 20… 西丸 與一(にしまる よいち、1927年3月14日 - 2020年4月3日)は、日本の医師、法医学者、作家。横浜市立大学名誉教授。元「ぱしふぃっくびいなす」船医、監察医。 東京府出身。横浜医科大学卒業。 1950年から神奈川県監察医の任にあたり、数多くの事故、事件の検死解剖、鑑定にも携わった。その体験を書いた『法医学教室の午後』正(1982年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)・続(1984年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)は、1985年、1986年と日本テレビ系列でTVドラマになった。同シリーズの続編として『法医学教室との別れ』(1992年、朝日新聞社)がある。 1954年から1992年まで横浜市立大学医学部に勤務し、法医学を担当。
遠藤 楽(えんどう らく、1927年3月13日 - 2003… 遠藤 楽(えんどう らく、1927年3月13日 - 2003年7月24日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトから直接教えを受けた最後の日本人であり、親子二代にわたりタリアセンにてライトの薫陶を受けた。日本国内に、北は青森県八戸市から南は鹿児島県まで300件を超える建築作品を残した。 遠藤新と都の次男として東京府豊多摩郡和田堀町(現・東京都杉並区)に生まれる[要出典]。 1946年3月に自由学園男子部高等科を卒業して、和泉工務所に入社した。1949年、遠藤新建築教室(遠藤新建築創作所、新建創)に移る。[要出典] 1957年3月から、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のタリアセンにて、フランク・ロイド・ライトに学ぶ。
小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 201… 小山 昭雄(こやま あきお、1927年3月13日 - 2017年4月15日)は、日本の数学者・数理経済学者。 長野県更級郡上山田町(現千曲市)生まれ。旧制日本大学第二中学、旧制第一高等学校理科を経て、1948年東京帝国大学理学部卒。武蔵大学助教授、上智大学助教授、教授、1970年学習院大学経済学部教授、97年定年、名誉教授。
高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は… 高松 和男(たかまつ かずお、1927年3月12日 - )は、日本の経営学者。 福島経済専門学校(1947年卒業、現・福島大学)を経て、1950年に東北大学経済学部(旧制)を卒業した。卒業後は、福島大学で講師を務めた後東北大学に移り、助教授を経て、教授に就任した。1962年「現代会計の原理 : 制度論的会計理論の展開」で東北大学から経済学博士の学位を取得した。1971年に初代創価大学学長となる。1984年に日本経営分析学会(現・日本経済会計学会)の初代会長に就任した。
北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11… 北村 和夫(きたむら かずお、1927年〈昭和2年〉3月11日 - 2007年〈平成19年〉5月6日)は、日本の俳優、声優。東京府(現東京都)出身。早稲田大学第一文学部芸術科(現・演劇科)卒業。文学座に所属していた。 息子は俳優の北村有起哉、娘は女優の北村由里。紫綬褒章(1989年)、勲四等旭日小綬章(1997年)受章。 出生地は、東京市小石川区(現東京都文京区)竹早町、出身地は静岡県三島市[信頼性要検証]。父の肇は医師で、その二男として生まれた。祖父の北村利吉は富坂警察署で特高係をしていた。東京都立第十一中学(現在の東京都立江北高等学校)卒業。研数専門学校、東京工業専門学校に進み、終戦を迎える。
石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月1… 石牟礼 道子(いしむれ みちこ、1927年(昭和2年)3月11日 - 2018年(平成30年)2月10日)は、日本の小説家・詩人・環境運動家。 主婦として参加した研究会で水俣病に関心を抱き、患者の魂の訴えをまとめた『苦海浄土ーわが水俣病』(1969年)を発表。ルポルタージュのほか、自伝的な作品『おえん遊行』(1984年)、詩画集『祖さまの草の邑』(2014年)などがある。 石牟礼道子は1927年3月11日白石亀太郎(当時34歳)と吉田ハルノ(当時24歳)の長女として、熊本県天草郡河浦町(現・天草市)に生まれる。父や祖父は石工であり、道子という名は道路が完成することを予祝して、 家族全員が考えて、名付けられた。
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10… 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10日 - 2002年(平成14年)9月8日)は、日本の社会学者、政治家。東京大学名誉教授。元東京都東久留米市長(3期)。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。東久留米市議会議員の間宮みきは次女。 福岡県福岡市生まれ。広島県立広島商業学校、第一高等学校 (旧制)を経て、1953年、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科社会学専門課程(B)新聞学に進学、在学中1958年より東京大学新聞研究所(現東京大学大学院情報学環・学際情報学府)助手。1962年に助教授、1972年に教授に昇格し、1980年から1984年まで、新聞研究所長を務めた。
川添 昭二(かわぞえ しょうじ、1927年3月10日 - 2… 川添 昭二(かわぞえ しょうじ、1927年3月10日 - 2018年3月22日)は、日本の歴史学者、九州大学名誉教授。 佐賀県唐津市生まれ。1952年九州大学文学部史学科国史専攻卒業。1969年1月九州大学文学部助教授、1975年8月教授。1980年「九州探題の研究」で九大文学博士。1990年定年退官、名誉教授、福岡大学人文学部教授、1997年退任。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 中世の九州史を専攻する。禰寝氏(根占氏)研究の第一人者。元寇、日蓮についての著書も多い。
利光 三津夫(りこう みつお、1927年3月10日 - 20… 利光 三津夫(りこう みつお、1927年3月10日 - 2009年9月13日)は、日本の法制史学者。法学博士(京都大学・論文博士・1962年)。慶應義塾大学名誉教授、清和大学名誉学長。 1950年慶應義塾大学法学部卒業、同講師、助教授、教授、1962年「律の研究」で、法学博士(京都大学)の学位を取得。1991年定年退任、名誉教授、清和大学学長。日本貨幣協会会長。古代律令制を研究したが、のち貨幣史で知られた。 2003年、勲三等旭日中綬章を受章。2009年9月13日、心不全のため死去。
上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3… 上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年〈昭和2年〉3月9日 - 2008年〈平成20年〉10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。 1927年(昭和2年)3月9日、教育評論家の上田庄三郎の長男として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。 府立六中(現東京都立新宿高等学校)を経て、旧制一高へ入学した。 旧制一高在学中の1946年(昭和21年)に日本共産党へ入党する。1951年(昭和26年)、東京大学経済学部を卒業する。東大における日本共産党細胞一期生であり、大学卒業後に『中野新報』の記者として地域のオルグ活動へ従事し、いわゆる「中野懇談会」を足場に活躍した。
可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 -… 可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 - 2011年(平成23年)2月3日)は、日本の裁判官、弁護士、最高裁判所判事。位階は正三位。 広島県・可部寅蔵の二男。父・寅蔵は広島市猿猴橋町で呉服商を営んでいた。 旧制広島高師附属中学、旧制広島高校、東京大学法学部卒。1952年(昭和27年)判事補任官。水戸地裁所長、最高裁首席調査官、東京地裁所長等を経て、1988年(昭和63年)福岡高等裁判所長官に就任。 1990年(平成2年)から最高裁判所判事を務める。就任あいさつでは「重い職責を担うことになった。気力、体力、勇気をふりしぼり、困難にめげず、最後までがんばりたい」と述べた。 1997年4月2日の愛媛県靖国神社玉串料訴訟大法廷判決では三好達と共に国側主張を支持し反対意見を出した。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
小林 昭三(こばやし しょうぞう、1927年3月9日 - 2… 小林 昭三(こばやし しょうぞう、1927年3月9日 - 2020年1月24日 )は、日本の法学者。早稲田大学名誉教授。名城大学大学院法学研究科講師。専門は憲法学・比較憲法学。 神奈川県出身。憲法改正の主唱者として、憲法学界のみならず政界や言論界にも広く影響を与えた[要出典]。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016… 松本 仁助(まつもと にすけ、1927年3月8日 -2016年11月3日 )は西洋古典学者、古代ギリシア文学研究者、大阪大学名誉教授。大阪市生まれ。1951年京都大学文学部卒業。同志社大学教授、大阪大学教授、大阪学院大学教授を経て2002年に退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 199… 重兼 芳子(しげかね よしこ、1927年3月7日 - 1993年8月22日)は、小説家。北海道空知郡上砂川町生まれ。福岡県立田川高等女学校(現・福岡県立西田川高等学校)卒業。 1946年、プロテスタントの洗礼を受ける。1947年に結婚し主婦となる。1969年に「一路」短歌会に入会し歌人として文学活動を出発。同人雑誌『まくた』に参加、日本民主主義文学同盟の「文学教室」や駒田信二の小説教室に通い、1978年、『まくた』に載せた「ベビーフード」、「髪」で続けて芥川賞候補となり、『文學界』掲載の「やまあいの煙」で1979年、芥川賞受賞、主婦作家として話題になった。 しかしその後、がん宣告を受けて大手術の後夫を失うという経験を経て、老い、病、死についての著作を精力的に執筆、がんの再発により66歳で死去した。
内藤 昭(ないとう あきら、1927年3月7日 - 2007… 内藤 昭(ないとう あきら、1927年3月7日 - 2007年1月8日)は、京都府京都市出身の日本の元大映京都撮影所の美術監督。祖父は陸軍軍人の内藤新一郎。 京都工業専門学校建築科卒業後、1951年大映京都撮影所の美術助手として大映に入社。水谷浩に師事し溝口健二監督作品を手掛ける。1956年柳生連也斎 秘伝月影抄で美術監督に昇格。 大映京都を代表する美術監督の一人で、大映時代の主な担当作品には『座頭市シリーズ』、『眠狂四郎シリーズ』、1961年の『釈迦』、1966年の『大魔神』などがある。三隅研次監督とは相性が良く、まるで三隅の参謀の様であったという。 1961年の『釈迦』で映像技術賞美術特別賞を受賞。
二世 清元一壽郎(にせい きよもと いちじゅろう、本名:新野… 二世 清元一壽郎(にせい きよもと いちじゅろう、本名:新野幸三、1927年(昭和2年)3月7日 - 1994年(平成6年)9月7日)は昭和から平成にかけて活動した清元節三味線方。歌舞伎公演の立三味線(首席奏者)を長年務めた。 六世清元延壽太夫の立三味線も勤めた。また現家元の七世清元延壽太夫を指導するなど、同い年の清元榮三郎と並び清元節三味線方の代表格として活躍した。 師である清元榮壽郎譲りの歯切れのよい撥捌きと冴えた音色で、師の信頼も厚く、師の存命中の舞台にはその横に顔が見えないことが無いほどであった。実兄清元壽國太夫とのコンビでも活躍したが、晩年は体調を崩し、万全とは言えない体調で舞台を務める事も多く、稀有な才能を惜しまれつつ70歳を迎えずして亡くなった。
能川 昭二(のがわ しょうじ、1927年3月6日 - 201… 能川 昭二(のがわ しょうじ、1927年3月6日 - 2017年6月6日)は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。石川県金沢市出身。 旧制四高を経て1950年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に小松製作所に入社した。1973年に取締役に就任し、1978年に常務、1982年3月に専務を経て、同年9月に社長に就任。1987年6月に取締役相談役に就任し、1988年から顧問を務めた。 2017年6月6日老衰のために死去。90歳没。
稲田 尚之(いなだ ひさゆき、1927年3月6日 - 200… 稲田 尚之(いなだ ひさゆき、1927年3月6日 - 2003年3月13日)は、日本の建築家、京都市立芸術大学名誉教授。 東京美術学校油絵科卒。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン学科教授、同名誉教授(1993)、大阪芸術大学環境計画学科教授(1993-2003)。宝塚武庫川ロータリークラブ会長(1988-89)。戦後の個人住宅、公共施設、ゴルフ場などの独創的な設計で活躍し、その作品の多くが雑誌「新建築」に採り上げられる。 版画家稲田年行の弟。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 20… 藤木 正三(ふじき しょうぞう、1927年3月5日 - 2015年1月22日)は、日本の牧師、神学者。 大阪府生まれ。旧制高校から関西学院大学文学部神学科に入り、53年同神学部卒、1955年同大学院修了。暁明教会牧師、京都御幸町教会牧師。1993年引退。
大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 20… 大山 勝通(おおやま かつゆき、1927年3月5日 - 2006年12月19日)は日本の気象学者。北海道札幌市生まれ。海外ではvic ooyamaの名前でも知られる。 1951年東京大学物理学科卒。中央気象台(現気象庁)で天気予報などを担当した後、1955年渡米、ニューヨーク大学で学ぶ。そのまま同大学に残り、後に教授に就任。 1960年代前半、数値実験により、台風の発達メカニズムを解明することに初めて成功し、その後の台風の力学的研究の発展の基礎を築いた。同功績により、1972年度の日本気象学会賞を受賞。 その後はアメリカ国立大気研究所 (NCAR) 員、ハリケーン研究所 (NHRL) 員を歴任。
金光 不二夫(かねみつ ふじお、1927年3月5日 - 20… 金光 不二夫(かねみつ ふじお、1927年3月5日 - 2000年2月19日)は、日本のロシア語翻訳家。 東京出身。1953年東京外国語大学ロシア語科卒。東京経済大学講師。自然科学系の翻訳を多くした。妻もロシア語学者の金光 節(セツ)。
吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4… 吉田 修一(よしだ しゅういち、1927年(昭和2年)3月4日 - 2013年(平成25年)7月2日)は、日本の政治家。福島市長(4期) 。位階は正五位。 福島県福島市出身。早稲田大学商学部卒業後、福島市商工会議所に入り、書記を務める。その後、1956年(昭和31年)福島市役所に入る。市役所内では商工課勤務を経て、企画商工部、財政部、総務部の各部長を歴任し、1976年(昭和51年)に退職。1985年(昭和60年)の福島市長選挙に立候補して当選、4期務めた。2001年に引退。2013年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
林 亮勝(はやし りょうしょう、1927年3月4日 - 20… 林 亮勝(はやし りょうしょう、1927年3月4日 - 2008年12月23日)は日本の歴史学者。元大正大学学長。大正大学名誉教授。専門は江戸時代政治史。日朝文化交流協会理事長。