山本 博(やまもと ひろし、1922年2月1日 - 2019… 山本 博(やまもと ひろし、1922年2月1日 - 2019年10月9日)は、日本の経営者。四国電力社長、会長を務めた。 徳島県出身。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、1946年10月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に副社長を経て、1988年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 四国経済連合会会長も務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1997年4月にレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章し、1998年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2019年10月9日老衰のために死去。
北野 正二(きたの しょうじ、1922年〈大正11年〉2月 … 北野 正二(きたの しょうじ、1922年〈大正11年〉2月 - 没年不明)は、日本の実業家。大阪府宅地建物取引業協会会長。全国宅地建物取引業協会連合会副会長。 大阪府貝塚市出身。家業の青果物販売業に従事する。1952年、宅地建物取引業の明正商事創業、代表者となる。 大阪府宅地建物取引業協会会長、全国宅地建物取引業協会連合会副会長、近畿圏不動産流通機構会長、大阪国税局土地評価審議会委員などをつとめる。 趣味は将棋。宗教は浄土真宗。尊敬する人物はお釈迦さん。好きな女優は原節子、若尾文子。住所は貝塚市海塚。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 20… 作田 啓一(さくた けいいち、1922年1月31日 - 2016年3月15日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一の長男。妻は作家の折目博子。 山口県山口市に生まれる。関西学院大学卒、1948年(昭和23年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、西京大学(現:京都府立大学)助教授を経て1959年(昭和34年)京都大学教養部助教授、1966年(昭和41年)教授。1985年定年退官、京都大学名誉教授となる。1985年から1995年まで甲南女子大学教授を務め、人間学としての社会学を追求した。
黒土 始(くろつち はじめ、1922年〈大正11年〉1月31… 黒土 始(くろつち はじめ、1922年〈大正11年〉1月31日 - 2023年 〈令和5年〉4月17日)は、日本の実業家。位階は正五位。第一交通産業創業者。 現在の大分県中津市出身。1941年12月に徴兵のため、大分高等商業学校(現:大分大学経済学部)を中退。 終戦後の1960年6月に前身となる、第一タクシー有限会社を創業し、代表取締役社長を務める。 1964年9月に第一通産株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。一地方のタクシー会社であった同社をM&Aなどにより拠点を全国に広げ、8000台を超える全国一のタクシー保有台数を誇る企業グループに成長させた。 1993年4月に現行の第一交通産業株式会社に社名を変更し、2001年6月には娘婿の田中亮一郎が社長に就任したのに伴い、同社の代表取締役会長に就任。
鎌田 皎(かまだ あきら、1922年(大正11年)1月30日… 鎌田 皎(かまだ あきら、1922年(大正11年)1月30日 - 2002年(平成14年)7月24日)は、昭和から平成時代の薬学者。大阪大学名誉教授。 1945年(昭和20年)9月、京都帝国大学理学部化学科卒業後、同学部副手、1949年(昭和24年)助手となる。のち1955年(昭和30年)8月、大阪大学薬学部薬剤学教室講師となり、1960年(昭和35年)助教授を経て、1971年(昭和46年)教授となった。1985年(昭和60年)定年退官と同時に同大名誉教授。 特に界面化学を薬学に応用する研究で知られ、界面活性剤を薬物投与に応用する研究から構造活性相関と生物製剤に関する研究まで広い分野に渡る研究を行った。
長島 隆一(ながしま りゅういち、1922年1月29日 - … 長島 隆一(ながしま りゅういち、1922年1月29日 - 没年不明)は、日本の俳優。東京府北豊島郡南千住町(現:東京都荒川区)出身。 旧芸名・別名は長島 隆二、長嶋 隆一。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 20… 松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 2002年7月10日)は、マツダ(東洋工業)の創業者一族であり、同社元社長、プロ野球・広島東洋カープ元オーナー。広島県広島市上幟町(現・中区)出身。京北中学校 - 旧制修道中学校 - 慶應義塾大学卒業。
岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月… 岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月28日 - 2013年(平成25年)6月4日)は、日本の政治家。東京都練馬区長(4期)、練馬区教育長を歴任した。 練馬区出身。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務。在職中に日本大学専門部法律科卒業。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる。練馬区学務課長(1960年-1965年)、庶務課長(1965年-1966年)、納税課長(1966年-1968年)、財務課長(1968年-1971年)、予算課長(1971年)、区民部長(1971年-1973年)などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた。
三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 20… 三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 2011年4月1日)は、日本の地理学者、陸水学者。法政大学名誉教授。 静岡県富士郡今泉村(現:富士市)に生まれ、幼い頃、調査で静岡県を訪問した多田文男(東京大学名誉教授)の薫陶を受け地理学を志すと単身、縁者を頼り東京の旧制麻布中学に進学した。その後、1937年に創設されたばかりの法政大学高等師範部地理歴史学科に1941年に入学後、学徒動員に応じる。戦時下の苦労と戦後の動乱期を乗り切り、1946年5月から資源科学研究所解散まで嘱託研究員として勤務する傍ら、夜間部として新たに開設された法政大学文学部地歴学科の第1期生として1950年3月に卒業。
林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 201… 林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 2012年1月2日)は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー、ゴルフ指導者・解説者。 長男の林由一、孫の林由寿もプロゴルファーである。 第二次世界大戦直前の1930年代に貧しい農家であった一家を支えるため、小学校を卒業した林は自宅近くの我孫子GCでキャディのアルバイトを始める。大人顔負けの日銭が稼げる仕事でそれ以上のものではなかったが、いち早くボールを発見し利用客に喜んでもらうために一生懸命、客の構えとボールの方向をよく見ていた。毎日、目の前でプレーを見ている内に自然の成り行きでゴルフに魅せられていくと、キャディの仕事の意味は一変。客のスタンスの取り方、グリップの形、テークバックの上げ方、バンカーショットなど、目を皿の様に観察し、練習する毎日となった。
輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - … 輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ、1922年1月26日 - 1967年2月20日)は、北海道留萌市(出生時は留萌郡留萌町)出身で高島部屋に所属した大相撲力士。本名は小林 良彦(こばやし よしひこ)。最高位は東関脇。 1922年1月26日、北海道留萌郡留萌町(現在の留萌市)にて、官吏の家に次男として生まれた。子供の頃から留萌町の相撲大会での怪力ぶりが話題となる。 高島部屋へ入門。1937年5月場所に於いて、15歳で初土俵を踏んだ。 体格面ではほとんど恵まれていなかったが、1日3000回の鉄砲を行ったと伝わる猛稽古で後の武器となる突っ張りを鍛え上げ、突き押し相撲で序二段・三段目で優勝、幕下も1場所で通過して1941年1月場所で新十両昇進、19歳で関取となった。
坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 20… 坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 2002年)は、英米文学者、青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。東京商科大学(のち一橋大学)卒。青山学院女子短大助教授、教授、1993年定年、名誉教授。英米児童文学を研究、翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西尾 優(にしお まさる、1922年(大正11年)1月24日… 西尾 優(にしお まさる、1922年(大正11年)1月24日 - 2009年(平成21年)11月15日)は日本の教育官僚、政治家。鳥取県教育長、鳥取市長。
金守 世士夫(かなもり よしお、1922年(大正11年)1月… 金守 世士夫(かなもり よしお、1922年(大正11年)1月24日 - 2016年(平成28年)12月9日)は日本の版画家。版画芸術院代表、国画会会員審査員。 富山県高岡市に生まれる。帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。戦後、疎開中の棟方志功に師事し、木版画を制作する。1947年国画会に初出品。1952年同会賞を受賞。1958年、ニューヨーク・セントジェムス現代版画展で受賞。1970年刊の「湖山」など数多くの木版画集を手がける。1980年、富山市文化功労賞。1992年、勲五等瑞宝章受章。2016年、死去。藤子 不二雄Ⓐは富山新聞社勤務時代の部下でまんが道には金守をモデルとする変木が登場する。
有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011… 有田 潤(ありた じゅん、1922年1月24日 - 2011年4月11日)は、日本の哲学・語学研究者。 東京出身。1946年に早稲田大学文学部哲学科、1951年にアテネ・フランセを卒業、早稲田大学商学部助教授、教授(ドイツ語)を歴任し、1992年に定年退任、名誉教授。ギリシア哲学・ヘレニズム哲学、ドイツ語学、対照文法、ショーペンハウアーなどを研究し、翻訳も行なった。
那珂 太郎(なか たろう、1922年1月23日 - 2014… 那珂 太郎(なか たろう、1922年1月23日 - 2014年6月1日)は、日本の詩人。日本芸術院会員。「歴程」同人。 福岡市麹屋町の呉服商・酒井家の五男として生まれる。生後半年ほどで実家近くの同業者・福田家の養子となる。旧制福岡中学(後の福岡県立福岡高等学校)、旧制福岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部国文科卒。海軍予備学生として土浦海軍航空隊に入隊、海軍兵学校国語科教官を務める。戦後は教員として、東京都立第十女子新制高等学校(1950年に東京都立豊島高等学校に改称)、東京都立新宿高等学校、玉川大学等で教える。なお、第十女子高校時代の教え子の中に、のちに詩人となった石川逸子と吉原幸子がいた。
小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 20… 小川 守正(おがわ もりまさ、1922年1月23日 - 2019年3月2日)は、日本の実業家、文筆家。 旧制甲南高等学校卒業。1944年九州帝国大学工学部航空学科卒業。川西航空機へ入社するが戦後解散。小型三輪車の明和自動車に移り、同社で労組委員長をつとめた。 1955年松下電器産業入社。電子レンジ事業部長等を経て、1977年独立分社、松下住設機器専務、1982年社長。 1984年退職。甲南学園理事長、近畿大学工学部教授。松下電器産業客員、PHP研究所参与、甲南病院理事長。
赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 197… 赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 1972年11月3日)は、日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、関税局長などを歴任。 長野県出身。東京高校を経て東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。総務局文書課属。 1945年5月 大臣官房文書課。1947年5月8日 水戸税務署長。1950年11月15日に主計局法規課長補佐となって以降は主に主計局でキャリアを歩んでいく。この間、経済企画庁や防衛庁への出向も経験する。1966年7月22日 主計局総務課長。1967年8月4日 経済企画庁調整局参事官。1969年8月 大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 理財局次長(理財担当)。
岸 昌(きし さかえ、1922年1月22日 - 2011年1… 岸 昌(きし さかえ、1922年1月22日 - 2011年1月21日)は、大阪府出身の日本の官僚、大阪府知事。位階は従三位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
花田 圭介(はなだ けいすけ、1922年(大正11年)1月2… 花田 圭介(はなだ けいすけ、1922年(大正11年)1月22日 - 1996年(平成8年)2月16日)は、日本の哲学者。北海道大学名誉教授。イギリス経験論、フランシス・ベーコンを中心に科学論、社会思想史を研究。 東京出身。東京帝国大学卒。北大助教授、1966年(昭和41年)教授。1985年(昭和60年)定年退官、名誉教授、1987年(昭和62年)札幌学院大学教授。
石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月2… 石川 忠雄(いしかわ ただお、1922年(大正11年)1月21日 - 2007年(平成19年)9月25日)は、日本の中国現代史家。慶應義塾長を戦後最長、鎌田栄吉以来歴代2番目の長さとなる4期16年務めた。 1991年文化功労者。1995年勲一等旭日大綬章、2000年文化勲章受章。弟に石川明 (法学者)がいる。 中国政治史研究者で、及川恒忠に師事。初期に中国憲法史と中国共産党史を研究。主著は中国共産党に関する先駆的業績となった『中国共産党史研究』。次いで中華人民共和国の政治及び外交の研究を行ない、同時に日中国交正常化へ至る政策決定にも関与した。1984年から日中友好21世紀委員会の日本側座長を務め、日中関係の基礎作りに邁進した。
江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 200… 江崎誠致(えさき まさのり、1922年1月21日 - 2001年5月24日)は、日本の小説家。福岡県出身。フィリピンでの戦争体験を題材にした『ルソンの谷間』で直木賞受賞。囲碁愛好家としても知られ、呉清源などの棋士の評伝やモデル小説もある。 久留米市に生まれる。父は小学校教師、少年時代から文学好きで、千田是也と中野重治を愛読した。明善中学入学、卒業を待たずに上京し、図書館講習所を経て小山書店に入社し編集、出版業に就く。1943年に召集されて久留米歩兵第48連隊から第4航空隊に転属し、フィリピンに出征。1946年に復員して小山書店に復帰。1949年に小山書店を辞めて独立し冬芽書房を設立、翌年解散して洋紙店などを経営しながら、日本共産党の資金部にて政治活動を行う。
平尾 邦雄(ひらお くにお、1922年1月21日 - 200… 平尾 邦雄(ひらお くにお、1922年1月21日 - 2009年2月13日)は、日本の物理学者、東京大学名誉教授。専門は太陽系プラズマ物理学。 1944年9月に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、約1年の海軍技術将校を経て、理学部助手として東京大学に在職。1950年2月に郵政省電波研究所に転任し、同研究所電離気体研究室長を経て、1965年9月に東京大学に戻り宇宙航空研究所教授に着任した。1981年4月に同研究所が宇宙科学研究所に改編されるのに伴い、宇宙科学研究所教授となり、その後は同研究所惑星研究系研究主幹などを併任した。1985年3月に停年退官。 当初は電波気象学を専門としていたが、1957年 - 1958年の国際地球観測年(IGY)を契機に始まった日本のロケット実験を用いて、電離圏プラズマの研究を始めた。
敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21… 敦賀 一夫(つるが かずお、1922年〈大正11年〉1月21日 - 2025年〈令和7年〉4月14日)は、日本の政治家。元北海道稚内市長(2期)。 北海道宗谷郡稚内町または礼文町出身。札幌逓信講習所卒。卒業後は稚内郵便局に勤務し、地区労働組合事務局長を経て、1959年(昭和34年)に稚内市議会議員を1期務める。その後は日本電信電話公社に勤務し、1971年(昭和46年)に共同ボデー工業株式会社取締役社長に就任。1967年(昭和42年)と1971年の2回北海道議会議員選挙に稚内市選挙区から社会党公認で立候補したが、いずれも落選した。 1991年(平成3年)、8期32年務めた現職の浜森辰雄を破って稚内市長に当選する。
倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 201… 倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 2011年1月30日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。 法学博士(大阪大学、1974年、学位論文「民事交通訴訟の研究」)。 昭和40年代から50年代前半にかけて、東京地方裁判所に創設された交通事故事件専門部の部総括代理と民事13部部総括を歴任し、いわゆる「倉田コート」を率いた。 法律書に加え、裁判官生活をめぐるエッセーや幅広い分野の読書をもとにしたエッセーの著者としても知られる。ハードSF研究所客員。その博識ぶりについて、ある裁判官は「彼は文学歴史から異常性愛の世界に至るまで、これ知らないというものはない、一番知らないのは法律だが、それでも俺たちよりは知っている」と評した。
縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 199… 縫田 清二(ぬいた せいじ、1922年1月20日 - 1995年5月12日)は、日本の社会思想史家。横浜国立大学名誉教授。 イギリス領インド帝国ボンベイの在ボンベイ総領事館舎で生まれる。日本を経て、1927年にマニラの総領事館舎に移る。1936年暁星小学校卒業。1940年暁星中学校卒業。学徒出陣のため1943年に東京外国語学校フランス語貿易学科を半年間繰り上げ卒業した。 同年海軍第三期兵科予備学生として旅順方面特別根拠地隊予備学生教育部に入隊し、青島市で研修を受けた。1944年特信班に編入され、海軍少尉任官。同年海軍通信学校を卒業し、練馬のあたりにあった軍令部特務班で、英米の情報活動に従事した。
大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月2… 大野 俶嵩(おおの ひでたか、1922年(大正11年)1月20日 - 2002年(平成14年)9月5日)は、昭和・平成期の日本画家であり、京都市立芸術大学名誉教授である。 京都府京都市生まれ。本名は大野 秀隆。 須田国太郎の指導を受けた1941年(昭和16年)京都市立美術工芸学校日本画科を終えると、京都市立絵画専専門学校日本画科(現・京都市立芸術大学)を1943年(昭和18年)に卒業。 1948年には星野眞吾の推薦を受けパンリアル美術協会に参加し、下村良之介らと翌1949年に「パンリアル宣言」を発表、パンリアル美術協会を公に結成する。同年、第1回展を開催し、1958年(昭和33年)まで同展に出品。
山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999… 山中 鏆(やまなか かん、1922年1月20日 - 1999年9月26日)は、山口県下関市出身の日本の実業家。伊勢丹専務から、松屋では副社長・社長・会長を歴任、経営危機に陥っていた同社の再建を果たした後、東武百貨店の社長・会長を歴任した。『ミスター百貨店』『百貨店経営の神様』『松屋中興の祖』とも称された。 1922年1月20日、山口県下関市で7人兄弟の長男として生まれる。名前の鏆は『康熙字典』に記載されている中国の漢字で、大倉土木(現・大成建設)で北洋軍閥向けの貿易を担当していた父親が、「鉄をも貫くような強い意志」との意味を込めて命名した。この仕事のため生後1年で満州の奉天に渡り、南満州鉄道附属地で暮らした。
柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日… 柳瀬 睦男(やなせ むつお;栁瀨 睦男、1922年1月19日-2008年12月7日)は、日本の物理学者、科学哲学者、カトリック司祭。 大阪府出身。東京帝国大学理学部卒。1961年「最良の観測装置」で東大理学博士。上智大学理工学部助教授、1964年教授、副学長、同生命科学研究所長、同アジア文化研究所長、81年学長。1995年4月、勲二等瑞宝章を受章。相対性理論や量子力学が現代社会におよぼす哲学的意味を追究した。
照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 -… 照ノ海 照光(てるのうみ てるみつ、1922年1月18日 - 没年不明)は、高知県南国市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は北村 照光(きたむら てるみつ)。171cm、99kg。最高位は西十両筆頭。得意技は左四つ、寄り。 1936年1月場所に初土俵。入門してしばらくは全く勝ち越すことができかったが、1939年1月場所に入門して初めての勝ち越しを決めると、逆に勝ち越しを続けていき、1941年5月場所に十両昇進。1943年5月場所には西十両筆頭まで躍進するも入幕ならず、1947年11月場所に25歳で廃業した。
大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 20… 大隈 秀夫(おおくま ひでお、1922年1月17日 - 2017年11月11日)は、日本のフリーライター。日本エディタースクール講師。 佐賀県生まれ。東京帝国大学文学部を経て九州大学法文学部卒業。 大戦末期に学徒出陣し、西部第47部隊に入営。甲種幹部候補生に合格し、久留米第一予備士官学校に11期生として入学。歩兵砲中隊速射砲区隊を経て福知山の中部軍教育隊での教育機関を終えたのち、12月に大村に戻り初年兵教育を担当する。45年頭に新田原飛行場の警備兼塹壕構築に従事。3月中旬に第156師団に転じ、速射砲中隊を経て5月より歩兵第454連隊(護西第22804部隊)第3大隊副官に転じる。7月に幹部候補生教育隊も兼任した。
吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月1… 吉田 耕造(よしだ こうぞう、1922年(大正11年)1月17日 - 1978年(昭和53年)1月28日)は日本の海洋物理学者。 1922年に大阪府で出生。旧制大阪府立北野中学校、旧制第一高等学校を経て、1944年に東京帝国大学理学部地球物理学科を卒業後、日本の海洋物理学の有識者に学んだり、カリフォルニアのスクリップス海洋研究所で研究をしたりした。1953年東京大学理学博士、学位論文の題は「海の波浪及び海洋に起る波動の研究 」。 1954年には東京大学理学部助教授、1964年には同大教授に就任した。沿岸湧昇の国際的な権威であり、日本海洋学会でも指導的な立場となった。1968年には第3回日本海洋学会賞を受賞した。
北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 19… 北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 1994年2月25日)は、日本の男性俳優、声優。劇作家、演出家。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。 1944年、瑞穂劇団に入団。1947年、新協劇団入団。1958年、東京芸術座入団。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属。1965年の時点では劇団砦に所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日… 平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日 - 2009年(平成21年)12月27日)は、大日本帝国海軍軍人及び航空自衛官である。第13代航空幕僚長。鹿児島県出身。 鹿屋中学を経て海軍兵学校(第69期)卒業。戦時中は当初は艦隊勤務で真珠湾攻撃時は戦艦「霧島」に乗艦して作戦に参加。軽巡洋艦「阿武隈」ではアッツ島の戦いで陸戦隊を指揮している。空母「翔鶴」では高角砲指揮官として南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦に参加したが、航空機の優位を痛感し、飛行学生を志望する。 艦上爆撃機の訓練を受けるが、1944年(昭和19年)末に特攻隊が編成され、その分隊長となる。特攻兵器「桜花」22型の開発実験に携わり、1945年(昭和20年)8月15日午後1時に正式採用のための最終判定の実験が行われることとなり、爆撃機「銀河」に搭載された「桜花」に搭乗する予定であった。
李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 200… 李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 2007年8月3日)は、韓国の政治家、元駐日大使。 韓国・慶尚北道出身。旧制五高を経て東京帝国大学法学部中退後、ソウル大学校経済学部卒。1948年、韓国政府が初めて実施した外交官試験に合格。駐日代表部参事官、外務部次官などを歴任した後、1980年に国家保衛立法会議委員に選出された。1983年から1986年まで外務部長官。1988~1991年には外相経験のある「大物大使」として、駐日大使を務めた。日本でも交友関係が広く、知日派とされた。 2007年8月3日、老衰のため死去。85歳没。
木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 201… 木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 2019年10月11日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。 1938年に第一高等学校理科乙類へ入学し、1941年に東京帝国大学理学部地質学科へ入学、1943年9月に東京帝国大学大学院へ入学する。その後休学し、海軍技術見習尉官(短期)となる。1945年に海軍技術大尉となり、1946年5月に復員。10月東京帝国大学大学院に復学する。1947年9月に東京帝国大学理学部助手となり、1950年3月に名古屋大学理学部助教授、1957年に東京大学教養学部助教授となる。1958年に東京大学より理学博士の学位を受ける。1962年5月に東京大学理学部教授(地質学第二講座)、1964年より1976年まで東京大学地震研究所教授を併任、1982年定年により退職し、東京大学名誉教授となる。
和田 稔(わだ みのる、1922年(大正11年)1月13日 … 和田 稔(わだ みのる、1922年(大正11年)1月13日 - 1945年(昭和20年)7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。 福岡県小倉市立堺町尋常小学校、静岡県立沼津中学校、第一高等学校(一高)を首席で卒業後、現役で東京帝国大学法学部に合格。沼津で開業医の温厚な父と、愛情深い母、兄思いの3人の妹と1人の弟の7人家族であった彼は、一高から東京帝大というエリートコースを順調に進み、都会に出て独り暮らしをするが、故郷が恋しくて、週末はよく沼津に帰郷していた。 帝大に入ってから、彼は学生生活と言いながら、軍事教練ばかりする生活に嫌気が差していた。日々、ラジオでは戦況の悪化が知らされている頃だ。
泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年… 泉 茂(いずみ しげる、1922年1月13日 - 1995年5月11日)は、日本の洋画家及び版画家。
大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 201… 大森 実(おおもり みのる、1922年1月13日 - 2010年3月25日〈日本時間3月26日〉)は、日本のジャーナリスト。兵庫県神戸市出身。 作家の柴田錬三郎は従兄弟。
藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月… 藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月13日 - 2000年(平成12年)7月18日)は、昭和から平成時代の通産官僚。実業家。通産事務次官。電源開発社長、同顧問。 岡山県岡山市出身。藤原末作・貞子の長男として生まれる。旧制一高を経て1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、翌1949年商工省総務局に入る。同期に牧野隆守、村上信二郎、平松守彦、大永勇作(元中小企業信用保険公庫総裁)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)らがいる。大臣秘書官事務取扱、貿易振興局輸出保険課長、大臣官房審議官、化学工業局化学第一課長、企業局外資課長、貿易振興局貿易振興課長、産業政策局総務課長、中小企業庁小規模企業部長、通産省大臣官房審議官、生活産業局長、官房長、通商政策局長を経て、1981年(昭和56年)6月、通産事務次官に就任した。
星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 200… 星野芳郎(ほしの よしろう、1922年1月13日 - 2007年11月8日)は、日本の技術評論家。 東京府生まれ。松本高等学校理科甲類を経て、1944年(昭和19年)東京工業大学電気化学科卒業。内閣技術院参技官補、海軍少尉兵学校教官、文部省科学官補を経て、1946年(昭和21年)に民主主義科学者協会の設立に参加する。 1962年(昭和37年) - 1968年(昭和43年)立命館大学経営学部教授。1981年(昭和56年) - 1997年(平成9年)帝京大学経済学部教授。その他の時期は、主に技術評論家として技術論と現代技術史の研究に専念する。 1961年(昭和36年)に発表された代表的な著作『マイ・カー』は、日本の本格的モータリゼーション初期におけるオーナードライバー向け通俗啓蒙書であり、オーナー自らが運転する自家用自動車を指す「マイカー」my car という和製英語を一般に普及させたとされる。
岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 201… 岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 2013年2月17日)は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授、東京工業大学名誉教授。 1922年、神奈川県横浜市で生まれた。旧制富山高校で学び、地理学に関心を持っていた。戦後の1948年、京都大学文学部市学科を卒業。卒業論文は、オーストラリアのアルンタ族の地域観に関するものであった。 その後は大阪市立大学助教授に就いた。東京工業大学教授の後、国立民族学博物館教授となった。1986年に国立民族学博物館を定年退官し、名誉教授となり、東京工業大学の名誉教授となった。その後は大谷大学教授として教鞭をとった。2013年2月17日、肺炎により死去。
桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - … 桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - 2003年2月16日)は、日本の化学工学者。京都大学名誉教授。主な専門は乾燥工学。工学博士(1953年)(学位論文「固体乾燥の応用的研究」)。香川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
嵯峨 公元(さが きんもと、1922年〈大正11年〉1月12… 嵯峨 公元(さが きんもと、1922年〈大正11年〉1月12日 - 1998年〈平成10年〉10月26日)は、日本の旧華族。嵯峨実勝の長男。母は浜口吉右衛門の娘・尚子。嵯峨家31代当主。長姉が愛新覚羅溥傑夫人の浩。妻は春陽堂書店社長・和田利彦の次女。 東京帝国大学を卒業して陸軍に入り、終戦時は陸軍少尉。1941年、杉並の邸宅を鈴木三郎助(味の素創業社長)に売却し、横浜市港北区日吉に移住する。 1961年に、長姉の浩が北京の夫・溥傑の元に帰ってから亡くなるまで支えた。父の跡を継いで第2代町田学園園長、町田学園第4代理事長を務める傍ら、姉を支えるために1964年に冷凍船株式会社を設立し、三国間貿易を始めた。
伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈… 伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈大正11年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉1月31日)は、日本の建築史家・建築評論家・作家。学位は、工学博士。日本の民家研究を行った。 工学院大学学長および理事長。ワシントン大学客員教授、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。 岐阜県安八郡北杭瀬村(現・大垣市)生まれ。旧制大垣中学校を卒業し、第四高等学校に入学。1942年に同校を卒業し、東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。1945年に卒業後、東京大学第二工学部大学院で関野克に師事。同大学副手・助手になるが肺結核が悪化し、7年間の入院生活を強いられる。
安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月… 安藤 三郎(あんどう さぶろう、1922年(大正11年)1月11日 - 1998年(平成10年)2月1日)は、昭和から平成時代の政治家。岐阜県瑞浪市長。 岐阜県出身。1946年(昭和21年)岐阜農林専門学校卒業。 1946年(昭和21年)土岐郡日吉村農地調査会書記、1963年(昭和38年)瑞浪市総務課長、1975年(昭和50年)総務部長、1977年(昭和52年)収入役、1980年(昭和55年)助役を経て、1987年(昭和62年)7月、瑞浪市長に無投票で当選した。 2期務め、1995年(平成7年)7月に引退した。
船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日… 船田 章(ふなだ あきら、1922年(大正11年)1月11日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の政治家。医師。医学博士。栃木県小山市長(3期)。 栃木県下都賀郡豊田村(のち美田村、現・小山市)卒島出身。1944年、東北帝国大学専門部卒。卒業後は軍医として台湾に赴任する。戦後、帰国し、小山市で開業した。1988年、小山市長選挙に立候補し初当選。1992年と1996年は無投票当選。市長を3期務めた。2021年2月15日、老衰のため死去、99歳。死没日をもって正八位から従五位に叙される。
高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1… 高村 暢児(たかむら ちょうじ、1922年1月11日 - 1998年10月18日)は、日本の著作家。 奈良県生まれ。本姓・篁。明治大学卒。産経新聞社に入社し、1958年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。22年の記者生活を送った後に作家に転身。
波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月1… 波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月11日-平成27年(2015年)10月25日 )は、日本の建築家。都市計画家。都市研究者。波多江健郎建築研究所を主宰。工学院大学名誉教授。社団法人大都市圏研究開発協会「リバーブル21東京」研究委員会委員長。 東京生まれ。1948年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。日本放送協会NHK建築部勤務を経て1952年渡米し米国ワシントン州立大学建築学部を卒業し米国建築学士修得。その後ハーバード大学デザイン大学院にて修士課程を修了し米国建築修士修得。大学院在学中にボストンやニューヨーク・タイムズスクエアエリア、スプリングフィールドなどの中心市街地の都市再開発に携わる。
中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月… 中山 あい子(なかやま あいこ、1922年(大正11年)1月9日 - 2000年(平成12年)5月1日)は東京府(現・東京都)出身の小説家。本名、中山 愛子。 長崎の活水女学院を卒業後、結婚したが夫の戦死に遭い、一児(のちの女優中山マリ(燐光群))を抱えて寡婦となる。このため住み込みの英文タイピストとしてイギリス大使館に16年間勤務。退職後は東京神田の貸しビルに住み込み管理人として勤める。その傍ら、『女流』『炎』などの同人誌に小説を発表。1963年(昭和38年)、『優しい女』で『小説現代』の第1回小説現代新人賞を受賞して文壇に登場。『奥山相姦』『幻の娼婦たち』などを発表し、色川武大から「女流の焼跡闇市派」と賞賛される。