角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 20… 角谷 光一(すみや こういち、1923年1月25日 - 2000年9月20日)は、日本の会計学者。 東京市小石川区(現東京都文京区)出身。1942年旧制日本大学第一商業学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。1949年明治大学商学科卒、1977年「営業費分析の研究」で経営学博士の学位を取得。明大経理研究所研究員、1957年明治大学経営学部専任講師、1960年助教授、1966年教授となる。1980-1982年経営学部長を務め、1993年定年、名誉教授。
緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - … 緑嶋 英三(みどりしま えいぞう、1923年1月25日 - 没年不明)は、北海道石狩郡石狩町(現在の北海道石狩市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は今井 英三(いまい えいぞう)。現役時代の体格は176cm、88kg。自己最高位は東前頭4枚目(1947年11月場所)。得意手は左四つ、押し。 16歳の時に上京して角界入りし、1940年1月場所にて初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、故郷の北海道石狩郡に因んだ「石狩岩」(その後、当時の立浪部屋の師匠である元小結・緑嶋友之助の現役名をそのまま貰って、「緑嶋」と改名している)。 以来、順調に出世し、負け越しなしで1944年1月場所で十両に昇進。 その後、1945年6月場所で入幕を果たし、以降は主に幕内中位で活躍した。
池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年〈大正12年… 池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年〈大正12年〉1月25日 - 1990年〈平成2年〉5月3日)は、戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、映画評論家としても著名であった。映画ではとりわけフランス映画の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督ではジュリアン・デュヴィヴィエや俳優ジャン・ギャバンを敬愛している他、美食家(食通)として多くのエッセイを著している。 1923年(大正12年)1月25日、東京市浅草区聖天町(現:東京都台東区浅草7丁目)に生れる。父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男であった。
長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - … 長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - 2009年8月13日)は、日本の法学者(憲法・フランス近代憲法)。名古屋大学名誉教授。日本科学者会議代表幹事、原水爆禁止日本協議会理事長、世界科学者連盟副会長等を歴任した。田上穣治門下。 1923年茨城県土浦市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。関東大震災後に品川区武蔵小山の長屋に家族で移住。1943年徴兵。1945年乗船中の輸送船が機雷により大破、舞鶴のドックで終戦を迎える。この戦争体験から日本軍に反感を持ち、軍隊、組織嫌いとなり、企業就職を拒否し、研究者の道を歩むことを決意するようになる。 1946年(昭和21年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1949年同窓の酒井正兵衛学部長の下、26歳で新設の名古屋大学法経学部助教授に就任。
松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1… 松浦 行真(まつうら こうしん、1923年1月24日 - 1991年4月25日)は、大阪市出身の日本の作家、産経新聞記者、浄土宗の僧侶。 大阪市生まれ。大正大学二年修了。1946年産経新聞入社、のちフリー。『風が燃えた』『熱い嵐』は、1978-79年にテレビドラマ化された。
辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月… 辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日 - 1985年(昭和60年)10月19日)は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事。 和歌山県出身。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任。 1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する。
田中 六助(たなか ろくすけ、1923年〈大正12年〉1月2… 田中 六助(たなか ろくすけ、1923年〈大正12年〉1月23日 - 1985年〈昭和60年〉1月31日)は、日本の政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 内閣官房長官、通商産業大臣、自由民主党政務調査会長、自由民主党幹事長、衆議院議員(8期)を歴任した。息子に東京医科歯科大学学長の田中雄二郎。 福岡県田川郡上野村(現:福智町)に布団屋の三男として生まれる。生まれたときは七ヶ月の未熟児で、何とか丈夫に育って欲しいという両親の願いから、英彦山神社の近くに住み、豊臣秀吉の前で相撲の35人抜きをしたと伝えられる豪傑「毛谷村六助(けやむら・ろくすけ)」の名にあやかって命名された。 田中の郷里、田川は五木寛之の「青春の門」で描写されたように、筑豊炭田で有名な炭鉱町で、ここを流れる遠賀川沿いに住む人を「川筋者(かわすじもの)」といい、侠客めいた気性で知られるが、田中自身も典型的な川筋者として育った。
辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5… 辻 瑆(つじ ひかる、1923年1月23日 - 2024年5月14日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 日本藝術院会員の画家・辻永の次男として東京に生まれる。成城高等学校(旧制)を卒業し、東京帝国大学独文科へ入学する。1947年、同大学を卒業。 1954年、東京大学教養学部助教授、のち教授となる。1984年に定年退官し、その後は放送大学教授を務めた。ミュンヘン大学名誉評議員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 -… 張 都暎(장 도영、チャン・ドヨン、1923年1月23日 - 2012年8月3日 )は、大韓民国の軍人・政治家。軍での最終階級は陸軍大将。原名は張道英で、創氏改名による日本名は長原道英。本貫は仁同張氏。 第14代陸軍参謀総長を務め、参謀総長在任中に発生した5・16軍事クーデターでは傍観に徹した後、クーデターを主導した朴正煕などによって擁立され国家再建最高会議議長に就任したが、短期間で失脚した。太極武功勲章授与者。 龍川郡のクリスチャンの家庭で生まれる。新義州東中学校に通い、在学中は陸上選手として活躍した。創氏改名の際、当初苗字の読みを「ながわら」としていたが、国語教師から藤原氏のようだとからかわれたため「ながはら」に変更した。
白羽 大介(しらば だいすけ、1923年1月23日 - 20… 白羽 大介(しらば だいすけ、1923年1月23日 - 2005年12月26日)は、日本の喜劇俳優。本名:勝俣定彦(かつまた さだひこ)。神奈川県足柄下郡箱根町出身。 明治大学卒業後、上宮高校教諭の傍ら、アルバイトで歌謡ショウの司会などしていた。 うめだ花月が開場した1959年、吉本興業に入社し吉本新喜劇の旗揚げに参加、一時は座長も務めた。 1965年、吉本首脳陣との対立から千土地興行に集団移籍。ルーキー新一、森信とのトリオを中心にルーキー爆笑劇団を結成しルーキーと漫才を組んだこともある、その後、マスコミを賑わせるような事件を起こし、人気低迷、千日劇場閉鎖などが重なり、劇団活動は頓挫、解散。 映画の端役、脇役を経て、1974年以降は松竹新喜劇に移り、主に脇役として活躍。
石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 202… 石川 允(いしかわ まこと、1923年1月22日 - 2020年2月21日)は、日本の都市計画家。指導者。長岡技術科学大学名誉教授。同大学で教授・副学長、東京電機大学建築学科教授、国土庁審議官などを歴任。都市計画コンサルタント協会認定都市プランナーマスター都市プランナー。 石川栄耀の長男として東京にて生まれる。旧制武蔵高等学校から東京帝国大学工学部建築科を経て軍に招集され、特攻部隊の司令官時に終戦となる。その後東大と戦災復興院で戦災復興都市計画に関与し、建設省・国土庁(現・国土交通省)、総理府首都圏整備委員会で、都市計画・建築行政などに携わった。 1977年、筑波研究学園都市の計画・建設で、今野博とともに日本都市計画学会設計賞を受賞した。
坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月… 坂本 三十次(さかもと みそじ、1923年〈大正12年〉1月22日 - 2006年〈平成18年〉3月19日)は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)。内閣官房長官(第53代)、労働大臣(第46代)を歴任。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。 石川県鳳至郡(現鳳珠郡)穴水町出身。金沢一中、四高、1947年東北帝国大学法学部卒。1948年に石川県教育委員となる。 1967年、第31回衆議院議員総選挙に初当選(当選同期に山下元利・増岡博之・加藤六月・塩川正十郎・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)。以来連続当選11回。自民党内では傍流と呼ばれた三木→河本派に所属。三木武夫直系の硬骨漢、河本敏夫の側近として派内で重きをなす。
鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 201… 鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 2011年2月6日)は、日本の実業家。サントリー名誉会長。龍谷大学経済学部客員教授。 父はサントリー創業者である鳥井信治郎。妻は日本生命第5代社長弘世現の娘の準子。長男にサントリー副社長、3代目マスターブレンダーの鳥井信吾がいる。京都近鉄百貨店社長の若林誠郎、メルボ紳士服オーナーの清水貞夫大阪マルビル会長の吉本晴彦など関西の財界人や祇園・先斗町の元芸子など、同じ大正12年(1923年)生まれのメンバーで構成する「いのしし会」を開いており、酒食など行動を共にしていた。
青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 20… 青木 正久(あおき まさひさ、1923年1月22日 - 2001年8月6日)は、日本の政治家。環境庁長官(第20代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 父は自治庁長官を務めた青木正。 埼玉県北埼玉郡、のちの川里村(川里町を経て現鴻巣市)出身。東京大学法学部卒業後の1947年、東京新聞社に入社。ロンドン支局長、ニューヨーク支局長、政治部長、編集局長などを歴任した後、1966年退社し、翌1967年の衆院選に父・正の地盤を継ぎ旧埼玉4区から立候補し初当選。自民党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属す。1988年12月、竹下改造内閣の環境庁長官として初入閣。翌年6月まで務めた。それ以降は地球環境問題をライフワークとするようになり、1992年、環境と開発に関する国際連合会議に参加。
滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 -… 滝 正(たき ただし、1923年(大正12年)1月21日 - 2003年(昭和15年)7月26日)は、日本の政治家、獣医師。1942年空知農業学校獣医専科卒業。北海道美唄市出身。美唄市長(1980年(昭和55年) - 1996年(平成8年))。 1942年(昭和17年)静岡農学校教員。その後、徴兵を経て復員。1949年(昭和24年)美唄農業共済組合に獣医師として勤務。1967年(昭和42年)美唄市議に初当選。以後連続4期当選し、副議長などを務めた。議長在職中の1980年(昭和55年)美唄市長に初当選。連続4期務め、1996年(平成8年)に引退。
恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月2… 恒松 制治(つねまつ せいじ、1923年(大正12年)1月21日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、日本の経済学者、政治家。島根県知事(3期)。第5代獨協大学学長。連邦制・道州制を提唱。戦国武将で尼子氏の家臣・立原久綱の後裔にあたる。 島根県大田市生まれ。武蔵高等学校、京都帝国大学経済学部卒業後、農林省(現・農林水産省)入省。 1958年(昭和33年)学習院大学経済学部教授に転じ、1975年郷里の知事に担ぎ出され、日本社会党の推薦で初当選。県議の8割を占める保守系県議の支援も得て、3期務めた。任期中は、賛否が割れていた宍道湖・中海淡水化事業を巡って苦心したほか、1981年(昭和56年)には韓国・慶尚北道を訪れ、姉妹提携の筋道をつけた。
近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 20… 近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 2016年1月12日)は、日本の工学者。専攻は冶金工学、流体工学。大阪大学名誉教授。工学博士。 静岡県静岡市出身。1968年(昭和43年)、大阪大学工学部冶金設備工学研究室教授(〜1986年度(昭和61年度)。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。
波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 19… 波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京府出身の俳人。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人、俳誌「青」を創刊・主宰。本名・敬栄(よしひで)。 父・敬三、母・辰子の長男として東京府に生まれる。祖父は元宮内大臣の子爵・波多野敬直。生まれた年に鎌倉の母の実家の別荘で関東大震災に遭い家屋の下敷きとなるも、叔父に庇われて助けられた。なおこの別荘は虛子の次女・星野立子の隣家であり、爽波が助けられる場面に19歳の立子の姿もあったという。1939年、健康を害し鎌倉で療養中に「ホトトギス 」を読みふけり、翌年より同誌に投句をはじめる。1929年。学習院初等科、1935年、学習院中等科、1940年、学習院高等科文科甲類入学。
渡辺 哲也(わたなべ てつや、1923年1月21日- 199… 渡辺 哲也(わたなべ てつや、1923年1月21日- 1991年9月27日 )は、日本の経営者。 熊本県出身。1948年に東京大学法学部を卒業し、同年に九州配電(のちの九州電力)に入社。熊本支店長、理事、総務を経て、1977年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1987年6月に社長に就任した。 1987年11月には藍綬褒章を受章。 1991年9月27日、肝不全のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年〈大正12年〉1… 三國 連太郎(みくに れんたろう、1923年〈大正12年〉1月20日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の俳優、映画監督。本名は佐藤 政雄(さとう まさお)。 息子は俳優の佐藤浩市、孫は俳優の寛一郎。群馬県太田市生まれ、静岡県出身。身長178cm、体重70kg。 個性派俳優として日本映画界を牽引し、圧倒的存在感をスクリーンに残した、日本を代表する名優の一人。デビュー以後、『ビルマの竪琴』(1956年)、『飢餓海峡』(1965年)、『はだしのゲン』(1976年)、『ひかりごけ』(1992年)など社会派作品から、『未完の対局』(1982年)、『三たびの海峡』(1995年)、『大河の一滴』(2001年)など中国を中心にした国際合作、『犬神家の一族』(1976年)、『野性の証明』(1978年)、『マルサの女2』(1988年)などの娯楽大作まで、主演・助演を問わず幅広く出演、映画出演の本数は180本余りに及ぶ。
池田 正晴(いけだ まさはる、1923年(大正12年)1月2… 池田 正晴(いけだ まさはる、1923年(大正12年)1月20日 - 2018年(平成30年)10月7日)は、昭和時代の政治家。新潟県新井市長。 新潟県出身。1945年(昭和20年)京都帝国大学理学部卒業。 新井市議会議員、矢代農協組合長を経て、1966年(昭和41年)新井市長に当選。5期務め、1986年(昭和61年)落選した。
木村 信之(きむら のぶゆき、1923年1月20日 - 20… 木村 信之(きむら のぶゆき、1923年1月20日 - 2016年7月3日)は、日本の音楽教育学者。 鳥取県に生まれる。1948年に東京音楽学校甲類師範科を卒業。群馬大学学芸学部付属小学校教諭、東京学芸大学附属大泉小学校教諭を務めた後、東京学芸大学の講師、助教授を経て、教授となる。[要出典]1986年に定年退官し、名誉教授となるとともに、文教大学教育学部教授を務めた。没後、従四位に叙せられる[要出典]。
千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 20… 千蔵 八郎(ちくら はちろう、1923年1月20日 - 2010年7月15日)は、日本の音楽学者、音楽教育学者。武蔵野音楽大学名誉教授。 東京(現豊島区)生まれ。1948年東京音楽学校卒、1954年東京芸術大学音楽学部卒業。島根大学助教授、武蔵野音楽大学教授、93年名誉教授。
江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 198… 江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 1982年7月17日)は、日本の小説家。本名・中野美与志。 岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)生まれ。高山高等女学校中退。 『文芸首都』同人から、同人誌『東海文学』を主宰。1950年「南海鳥獣店」で新潮文学賞佳作入選。1963年『脱走記』(江夏美子名義)で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞。 口腔がんを患い、闘病生活のなか、1982年7月17日に首を吊って自殺した。享年59。
中村 明(なかむら あきら、1923年〈大正12年〉1月19… 中村 明(なかむら あきら、1923年〈大正12年〉1月19日 - 2009年〈平成21年〉6月7日)は、日本の実業家。昭和発電元社長。昭和電工元取締役。大口自家発電施設者懇話会(JIKACON)元会長。第28代自由民主党総裁・第102・103代内閣総理大臣の石破茂の義父。 新潟県出身。医師の中村安蔵・きい夫妻の六男として生まれる。1946年(昭和21年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、昭和電工に入社。1975年(昭和50年)取締役に就任。1979年(昭和54年)3月退職し、昭和発電(昭和電工の系列会社)社長に就任した。1988年(昭和63年)3月昭和発電解散後、昭和電工顧問に就任。1993年(平成5年)3月退任。
岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - … 岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - 2002年12月23日)は、日本の経営者。京都府出身。 1949年に立命館大学法学部を卒業。1954年11月にホテルはとや、1963年4月にはとや不動産をそれぞれ創立し、各社社長に就任。1972年7月に両社が合併し発足したハトヤ観光社長に就任し、1975年3月には会長に就任。1994年5月に京都放送社長に就任。 1973年2月に紺綬褒章を受章し、1983年11月に藍綬褒章を受章。。 2002年11月23日肺炎のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 200… 神保 五彌(じんぼ かずや、1923年1月19日 - 2009年12月6日)は、日本近世文学研究者。早稲田大学名誉教授。 1923年(大正12年)1月、山口県防府市に生まれる。1942年(昭和17年)10月、早稲田大学文学部文学科国文学専修に入学するも、翌年12月に応召されて南方戦線に出征。ビルマで終戦を迎え、1947年(昭和22年)2月まで捕虜生活を送る。1948年(昭和23年)4月、早稲田大学に復学し、翌年卒業。1964年(昭和39年)早稲田大学文学部助教授、翌年教授。1993年(平成5年)定年退職。2009年、膵臓癌のため86歳で死去した。 井原西鶴の浮世草子、為永春水の人情本、洒落本、滑稽本といった近世文学全般について研究した。
松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月1… 松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。位階は正三位。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。 1965年(昭和40年)6月22日日韓基本条約交渉の際には条約課長として交渉の実担当となり、論点の一つだった韓国の対日請求権について「日韓請求権並びに経済協力協定によって韓国の日本に対する一切の財産及び請求権問題に対する外交的保護権は放棄されている」とした内容で締結に導いた。
土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、… 土田 将雄(つちだ まさお、1923年1月16日 - )は、国文学者、イエズス会司祭。
海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16… 海道 進(かいどう すすむ、1923年〈大正12年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉2月19日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士。神戸大学名誉教授。元日本経営学会理事長。 福井市出身。1942年和歌山高等商業学校卒。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年神戸経済大学(現神戸大学)卒、1949年同助手、1951年神戸大学経営学部講師、1953年助教授、1964年教授。1980-82年経営学部長、1983年日本経営学会理事長、1986年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、… 杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛… 鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日… 宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはハーフバック(現在の守備的MF)。
杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 -… 杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 - 2009年7月15日)は、日本の社会学者。神戸大学名誉教授。部落問題研究の中心的な論客の一人である。京都府出身。 京都市生まれ。1943年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都大学人文科学研究所助手を経て、1986年まで神戸大学文学部教授。日本学術会議会員。 部落の中で階層分化が進行していることを実態調査から明らかにし「アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本」を部落差別の主敵とする日本共産党の主張の正当性を訴えていたが、当の共産党が国民融合論を提唱した後には一転し、同じ調査を根拠に部落差別は解消しつつあるとの立場を取るようになった。1984年、「現代部落差別の研究」で第9回野呂栄太郎賞を受ける。
濱 清(はま きよし、1923年1月14日 - )は、日本の… 濱 清(はま きよし、1923年1月14日 - )は、日本の神経解剖学者。岡崎国立共同研究機構長。日本学士院会員。
田中 稔(たなか みのる、1923年1月14日 - 200… 田中 稔(たなか みのる、1923年1月14日 - 2007年3月3日)は、日本の経営者、銀行家。佐賀銀行頭取を務めた。 佐賀県出身。1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1947年12月に大蔵省に入省した。1974年6月に動力炉・核燃料開発事業団理事を経て、1977年6月に佐賀銀行顧問に就任し、1978年6月に副頭取を経て、1980年5月には頭取に就任。1994年1月から2002年6月までに会長を務めた。 2007年3月3日、心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2… 加島 祥造(かじま しょうぞう、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の詩人、アメリカ文学研究者、翻訳家、随筆家、タオイスト、墨彩画家。 詩作のみならず、アメリカ文学の翻訳にて名声を得た後、壮年期より漢詩を経て老荘思想に大きな影響を受け、文筆のみならず絵画なども含めた幅広い創作活動や執筆活動を通して、90代で没するまで、西洋と東洋の双方を見渡す位置から、私生活でも徹底したタオイストとしての一貫した姿勢を生きた。 翻訳者としては、訳書により、一ノ瀬直二、久良岐基一といった別名義を用いて活動しており、死後になり、改めて関係者よりその事実が明かされた。 東京市神田区にて、大家族の商家の家系に生まれ育つ。
一ノ瀬 直二(いちのせ なおじ、1923年1月12日 - 2… 一ノ瀬 直二(いちのせ なおじ、1923年1月12日 - 2015年12月25日)は、日本の英米文学翻訳家。 1947年、早稲田大学英文科卒。マリオ・プーヅォ『ゴッドファーザー』の翻訳がある。 詩人・翻訳家の加島祥造の死後、加島のペンネームであったことが発表された。
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よし… 内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1923年〈大正12年〉1月12日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。
横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10… 横田 二郎(よこた じろう、1923年〈大正12年〉1月10日 - 2004年〈平成16年〉6月26日)は、日本の実業家、鉄道マンである。
川本 敏美(かわもと としみ、1923年〈大正12年〉1月1… 川本 敏美(かわもと としみ、1923年〈大正12年〉1月10日 - 1998年〈平成10年〉12月15日)は、昭和期の労働運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(2期)。位階は正五位。勲三等旭日中綬章。 奈良県出身。1952年(昭和27年)旧制大阪専門学校法科(現近畿大学)卒。1959年(昭和34年)奈良県議会議員に当選し5期在任。奈良県中小労連副執行委員長、奈良総評組織部長、社団法人南和会館常任理事、奈良県地方労働委員会委員などを務めた。 1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で奈良県全県区から日本社会党公認で立候補して初当選。1980年(昭和55年)の第36回総選挙で再選され、衆議院議員に2期在任した。
田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 -… 田中 保一郎(たなか やすいちろう、1923年1月10日 - 2011年7月29日)は、日本の経営者、銀行家。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日本興業銀行に入行。1972年5月に東京都民銀行取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1979年6月に副頭取を経て、1982年6月に頭取に就任。1989年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に退いた。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2011年7月29日肺炎のために死去。88歳没。
松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 20… 松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 2021年5月22日)は日本のバレリーナ、振付師。夫の清水正夫とともに松山バレエ団を設立した日本のバレエ界のパイオニアである。長男、清水哲太郎もバレエダンサーであり、松山バレエ団代表を引き継いでいる。兄・松山吉三郎および甥(兄の次男)・松山康久は日本中央競馬会(JRA)所属の元調教師。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市隼人町)に生まれる。日本女子経済専門学校(現かえつ有明中学校・高等学校)在学時、アメリカ人教師からメヌエット、マズルカなどのダンスを教わり、バレエに興味を持つ。そこで、在学1年時に日劇ダンシングチームクラシックバレエ科1期生に選ばれて入団。
高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1… 高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1983年7月8日)は、俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。 3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らと共に「前衛俳句」の旗手となった。歌人の高柳蕗子は実子。俳人の中村苑子と事実婚(内縁関係)にあった。
横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998… 横山 亨(よこやま とおる、1923年1月9日 - 1998年11月17日)は、日本の金属工学者。第9代横浜国立大学学長。工学博士(東京大学)。 長野県東筑摩郡片丘村北内田(現松本市)生まれ。神奈川県横浜市育ち。旧制横浜第一中学校、旧制第一高等学校を経て、1945年東北帝国大学工学部航空学科卒業。横浜高等工業学校航空工学科助教授となる。1961年横浜国立大学工学部機械工学科教授。1962年西ドイツ・フンボルト研究員として理工学研究所客員研究員となる。1977年 横浜国立大学工学部長。1985年同学長。1988年退官。1996年勲二等旭日重光章受章。 父の横山盛彰は金沢高等工業学校校長を務めた。
高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 19… 高橋 正衛(たかはし まさえ、 1923年1月9日 - 1999年9月26日)は、日本の編集者、歴史学者、昭和史研究家。元みすず書房取締役。筆名は渡辺正治。 青森県八戸市出身。1943年中央大学専門部経済学科卒業。同年12月学徒動員で入隊。1946年みすず書房の創立に加わり同書房に勤務。1963年から小尾俊人編集長と協力し企画、刊行した「現代史資料」は、1965年第13回菊池寛賞を受賞した。1991年に退職した後は、昭和史研究に従事。
駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 199… 駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 1998年11月12日)は、日本の経営者。ダスキン社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1943年に大阪商科大学高等部商業科を卒業。安宅産業、自営業、クントクでの勤務を経て、1963年にダスキンの創業に参加し、取締役、副社長を経て、1979年11月に社長に就任。1994年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1998年11月12日心不全のために死去。75歳没。
朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1… 朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。 15歳の時に上京し、同郷の元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。 身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。 1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。
鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 201… 鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 2018年3月8日)は、日本の俳人。 大阪府出身。楳茂都流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子(千鳥)との間の長女。本名・ナナ子。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。1940年、夕陽丘高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)卒業。 高女時代より俳句をはじめ、1942年より「馬酔木」に入会、水原秋桜子に師事。また1946年、「南風」に入会し山口草堂にも師事する。1951年「馬酔木」同人。「南風」編集・発行に参加し、1962年より「南風」婦人投句欄選者(1980年まで)。1984年、草堂の指名により「南風」主宰となる。